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それは社歌を越えたAIから大喜利プレイヤーへの賛歌

こんにちは。株式会社わたしは、の竹之内です。

 

前回の広報部で発表させていただいた、株式会社わたしは meets リアルサイタマノラッパー”Hawknest” 社歌制作プロジェクト、「あったまひとつ」。

これは、作詞:弊社人工知能 作曲・編曲:Hawknestの、史上初の人工知能とラッパー、そして大喜利プレイヤーとのコラボレーションプロジェクトです。

今週はこのプロジェクトのコンセプト「あったまひとつ」に託す、私どもの想いをご紹介したいと思います。

 

私たちが大喜利人工知能のサービスを作る会社を起ち上げようと決めて、まずはじめに取り組んだのが「大喜利」という演芸を深く理解することでした。

それは、大喜利というコンテンツの誕生とその変遷という歴史的理解に始まり、笑芸の中での大喜利の位置づけ、大喜利が持っているゲームとしての性質、など多岐にわたる研究でした。

そして何よりも、これまでに作られてきた膨大な数の大喜利作品と向き合い、なぜこれらがこんなにも面白いのか、その秘密を解き明かすことに多くの時間と議論を重ねてきました。

 

しかし、その過程でふと思ったんです。

どうしてこんなにたくさんの大喜利作品が世の中にあるのだろうか?、と。

 

私たちが収集し研究してきた大喜利作品のうち、芸人さんが作られたものはごく一部で、そのほとんどは「お笑い」を職業にしていない方によって作られたものです。

だとすると、これほど多くの大喜利作品を作り出す、そのモチベーションとはどのようなものなのかをもっと深く知る必要がある、そう考えるようになり、そこから、私たちのフィールド調査が始まりました。

 

・大喜利ライブイベントを主催されている方

・お笑いラジオで多くの作品を読まれる伝説のハガキ職人

・ケータイ大喜利のレジェンド

・ニコ生でほぼ毎日大喜利の生放送をしている生主さん

・ネット大喜利界の有名人

・大喜利を題材にする漫画家さん

・アマチュア大喜利界トップクラスの大喜利プレイヤーの方

 

など、北は仙台から南は鹿児島まで、全国各地のたくさんの方に実際にお会いし、お話を伺いました。

また、リアルなイベントとして行われている、大喜利の大会にも何度も足を運びました。

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戦ikusa―大喜利団体対抗戦2016-(2016年3月26日@茨木クリエイトセンター(大阪))

 

それぞれ大喜利をするモチベーションは様々でしたが、唯一共通することは、面白いことが大好きで、自分の作り出す「笑い」にプライドを持っているということです。

私は、そんな彼らの大喜利にかける熱い情熱を、とても尊いものだと感じました。

 

「あったまひとつ」

このコンセプトは、私どもが大喜利プレイヤーの方々に感じた尊敬の気持ちを表現したものです。「身一つで勝負する」。現代となっては、どこか懐かしい響きすら覚えてしまう言葉です。

 

ただ、大喜利プレイヤーの方々に感じた「自分の笑いに対しての誇り」は、どこかそれに近いものすら感じます。

大喜利プレイヤーの方たちは、その頭脳から絞り出したボケのみ、つまり「アタマひとつ」で勝負し、他の人よりも「アタマひとつ」抜きん出たいというプライドを持っています。

しかし、そのストイックなまでに頭脳を刺激し合う戦いの果てには、ライバルであり戦友となった仲間との、強い結びつきが生まれているのです。

「心で繫がる」なんて野暮な結びつきではなく、大喜利を通して笑いを取り合うその瞬間、彼らはその「アタマでひとつ」に繋がっている、そう考えたんです。

 

「あったまひとつ」に託す想いは他にもあります。

私たちが開発しているAIは、そういった気高い大喜利プレイヤー達の頭脳が生み出した、笑いの結晶=集合脳のとしての人工知能です。

言い換えてしまえば、大喜利βは大喜利プレイヤーたちの「アタマをひとつ」にすることでようやく作り出されたものだと考えています。

 

ただお気づきの方もいるでしょう。「あ」と「た」の間に入っている「っ」の存在に。

大喜利プレイヤーの方々は、直截に感情を表現することに照れや野暮ったさを感じるウィットを持たれた方たちです。そんな方たちへのアンサーソングのコンセプトが「あたまひとつ」ではいけません。

 

私どもが託すコンセプトにもユーモアを。そう思い「あったまひとつ」としました。

この「あったまひとつ」に含める他の意味のヒントは、攻殻機動隊、爆笑問題カーボーイ、ドラえもん、etc…

こんな遊び心も入れつつ、プロジェクトは始動しています。

 

P.S.

プロジェクトのコンセプト「あったまひとつ」を一緒に考えてくださったのは、私が信頼するコピーライターの野澤淳さん(ブルース株式会社)です。

野澤さんには心よりの感謝の意を込めて、「トウキョウノコピーライター」の肩書を付けた、「株式会社わたしはオフィシャル名刺」(竹之内のへたくそデザイン)をお贈りいたしました。

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ブルースの野澤さん、そして河村さんありがとうございました。

 

 

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こちらはブルースのオフィスにお邪魔してプロジェクトについて相談させていただいた際に、河村さんが撮ってくださった素敵なフィルム写真です。

(竹之内のポーズは10年以上前にドランクドラゴン塚地さんが開発されたギャグ「幽霊ピース」のリバイバルです)

 

 

強い意志でアヒル口を維持する女を見た

アヒル口という言葉は、すでに下火になっているのか。

時勢に疎い人間だから、そのあたりはわからない。

しかし、とりあえず定義しておこう。

アヒル口というのは、おもに人間の若い女が、自分のくちびるをアヒルの口に近づけようとする行為のことである。なぜそのような行為をするのか? 

口の形をアヒルに似せることで、他人にカワイイという印象を与えることが可能になり、異性および同性からの評価が上昇するからだ。以上、定義終わり。

 

なぜ突然、アヒル口の話などするのか。

スタバでアヒル口をしている女を見かけたからだ。それが強烈なアヒル口だった。強い意志によって維持された不自然なアヒル口だった。私は感動とともに凝視してしまった。だから書いておきたいのだ。

言うまでもないことだが、人間はアヒルではない。よって、アヒルのような口を実現・維持するためには、不断の努力が必要とされる。自分ではない何者かになろうとする行為、それは基本的に何らかの無理を通そうとする行為だが、人類ですらないもの(鳥類)に近付こうとするのだから、そこに努力があるのは当然だろう。

さらに、アヒルのような口を作るにも向き不向きがあり、私がスタバで見た女は、生まれつきアヒル口に向いていなかった。それでも、「私はアヒル口をせねばならぬ」という思いこみ、いや、強迫観念はあるようだった。

 

結果、女は口まわりの筋肉を不自然に緊張させていた。上くちびるがめくれていた。下くちびるもめくれていた。口元に何本もしわが寄っていた。そのすべてが口まわりの筋肉が酷使されていることを伝えていた。どちらかといえば、それはアントニオ猪木の口元に似ていた。カワイイというよりはコワイ。それが正直な感想だった。「鬼気迫る」という表現が本当にしっくりくるのだ。

不自然な口元を維持したまま、女はカウンター前でドリンクの完成を待っていた。私は釘付けになっていた。女はドリンクを受け取り、店員と笑顔をかわした。瞬間、口元はさらに猪木に似た。女は強い意志でアヒル口を維持したまま店内奥に消えていった。私はその後ろ姿を見つめていた。頭のなかで『燃える闘魂』が流れ続けていた。

さて、これは笑い話だろうか?

 
 

チンピラになろうとして修行僧になった男

最初、私は女の姿を面白がっていた。それは否定できない。しかしすぐにゾッとした。自分の過去の失敗を思い出したからだ。といっても、アヒル口になろうと努力していたわけではない。私は三十すぎの男だ。カワイイの獲得に興味はない。

数年前、発作的に坊主にしたことがあった。同時にアゴひげも生やしはじめた。眉毛も薄く剃っていた。「マッチョでいかつい男」にあこがれていたからだ。しかし私はヤセ型で、肩幅がせまく、胸板もうすい。当時はとくにそうだった。身長172cmで体重52kg。そんな状態で「いかつい男」のうわべだけを真似ようとした。

結果、私は修行僧のような見た目になっていた。ガリガリなのに坊主でアゴひげを生やせばそうなる。自分の中のイメージは「厄介な街のチンピラ」だったんだが、客観的に見れば、「断食修行もいよいよ佳境」という感じだっただろう。

あらためて自分に問いかけた。

強い意志でアヒル口を維持する女を、私は笑えるか?

 

 

アヒルと修行僧に共通するあやまち

人は「イメージ」に幻惑される。私たちはいつも外見を「どこかで見たイメージ」に合わせようと努力している。そして、その努力が見当違いなものだったとき、あの女のアヒル口や私の修行僧のような「まぬけな姿」が生まれるのだろう。

「センスがいい人」に関する個人的な定義がある。「自分に馴染むもの」をしっかりと理解している人のことだ。メディアに流通する無数のイメージに幻惑されない人。自分の外見、自分の性格が最初にあって、それに似合うものを適切に選ぶことのできる人。そんな人を見ると、ふっと緊張がとけた気持ちになる。そこに「無理」がなく、控え目でさりげない美しさが感じられるからだ。

 

強い意志でアヒル口を維持する女に欠けていたもの。チンピラになろうとして修行僧になった私に欠けていたもの。それは「自分からはじめる」という当り前のことだ。女はアヒルからはじめた。私はチンピラからはじめた。人生というすごろくは「自分」からはじめるしかないのに。

だから私は、数年前の自分の姿、修行僧のようになった姿で女に話しかけたかった。もちろんこれは空想にすぎない。しかし、ガリガリのまま坊主になり、アゴひげを伸ばし、眉毛まで剃った姿で彼女に話しかけたかった。「あなたは私と同じ過ちをおかしています」と。「口元の緊張をゆるめなさい」と。「置かれた場所で咲きなさい」と。

「アヒルのことは、アヒルに任せておきなさい」と。

そしたら彼女は言うだろう。

「偉いお坊さんなんですか?」と。

私は答えるだろう。

「いや、ただのチンピラの失敗作です」と。

結果的に妙な勘違いをされた可能性は高いが、話しかけたかった。自分から始めましょう、と。

 

 

 

 

【プロフィール】

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著者名:上田 啓太

1984年生 京都在住 居候&執筆業

ブログ:真顔日記

Facebook:https://www.facebook.com/uedakeita316

Twitter:https://twitter.com/ueda_keita

彼が人生で初めて「仕事が嫌だ」と思った日。

一人のサラリーマンがいた。

彼は一度も「心底、仕事が嫌だ」と思ったことがなかった。そしてその理由は、彼の適当な性格にあった。

彼は仕事でミスをしても「ま、次頑張ればいいか」と思えたし、

失注しても「ま、今回は運がなかったな」と言えたし、

上司におこられても「ま、この上司も立場があるのだろう」と割り切れたのだ。

 

彼は「自分の評価」や「出世の見込み」、あるいは「年収の多寡」に興味を持たなかった。彼にとってそれらは、ほとんどどうでも良いことだった。

彼は「仕事」も数ある暇つぶしの1つであると考えていたので、彼が働く目的は、人に勝つことではなかったからだ。

彼は同期が先に出世しても全く気にもとめなかったし、自分の収入の範囲内でつましく暮らすことにも抵抗はなかった。

 

だが一方で、彼は密かに自分の仕事に誇りを持っていることがあった。それは、「お客さんに好かれる」ということだった。

彼は実際、お客さんならほとんどだれでも仲良くなれた。

 

しかし、彼は業績のためにそうしていたわけではない。実は彼は顧客とのやり取りを一種の「ゲーム」だと思っていた。

たとえは悪いがラスボスは顧客の役員、現場の下っ端を倒し、最後にラスボスにアプローチして落とす。彼の仕事観はまさにゲームそのものだった。

「楽しければやるし、つまらなければやらない。だけどやるからには気合い入れて攻略する」だった。

したがって彼は「ゲームごときで、そんなマジになっちゃってどーすんの?」と考えていた。

 

ところがある日、彼の上司が変わった。そして彼の上司は今までの上司と少し違っていた。その上司は仕事のミスを叱責したり、目標に対しての進捗を厳しくチェックしたりするだけではなかった。

その上司は「仕事は真剣にやるもの。人生そのもの。どこまでも真面目に」という考え方を持っていたので、彼に対して、「仕事は人生」という価値観をこんこんと説いたのだ。

 

当然かれは、最初取り合わなかった。

「はいはい、そう思ってんのはアンタだけだよ」

と思っていた。

 

ところが上司はそんな彼に対して「仕事はゲーム?とんでもない」と言った。

「だいたい仕事をゲームなどと一緒にされては困る。仕事は真剣勝負だ。そんなことを考えているから、お前はミスをするんだ。」と彼を責めた。

「お客さんが喜んでくれるなら、私がどう思おうと、勝手じゃないですか」と彼が反駁すると、

「そういう問題ではない、心の問題なのだ」と上司は言った。

「それがわかるまで、オレは毎日口を酸っぱくして、お前に言う。」

 

彼の成績は悪くはなかったし、お客さんからの評判も上々だった。

ただ、彼は上司のくだらないこだわりに付き合うことにほとほと疲れてしまった。

 

「仕事が嫌だ」

ある朝、彼はそう思った。彼は転職活動を始めた。その際に彼が転職エージェントに出した条件は1つ。

「下らない価値観の押しつけをしない会社に行きたい」

だった。

 

そして彼は半年後に無事転職した。

 

一方で、その上司は彼が辞めた後、周囲の部下に言った。

「いいか、価値観の合わないやつはここから追い出す。会社というのは、成果を出しているとしても、ビジョンと価値観を共有しなければダメなんだ。」

誰かが質問した。

「成果が出ていてもですか?」

「当然、成果が出ていてもだ。」

 

 

———————-

 

 

ピーター・ドラッカーは「組織の価値観」について、次のように述べる。*1

彼ら(知識労働者)にとって大切なことは、自分の会社、病院、美術館ではない。大切なことは、プロの仕事がどうかである。

彼らとしても、自らの専門能力を雇用主たる組織の目的、ニーズ、条件に合わせなければならないということは知っている。多かれ少なかれ、そのことは受け入れている。しかしそれらのことは、彼らにとってますます二義的となっている。

知識労働者の価値体系からずれば、組織の価値観は二の次である。専門分野において優れた成績を上げるには、組織の価値観などは障害にすぎないかもしれない。

日本では、とくに企業に働く古い世代の人達には想像さえできない問題にちがいない。しかし、日本においても変化は不可避である。なぜなら、それは知識の本質に由来する問題だからである。

 

上にあげた話のような「価値観のズレ」に由来する転職は、今後ますます増えるのだろう。

 

「最も強力な組織は、宗教団体」と誰かが言っていたが、会社が宗教団体を目指すのか、それとも多様性を追求するのか。

マネジメントの手腕が問われる。

*1

 

 

 

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Tetsumo

40歳になるまで成果を求められてこなかったオジサンの話

少し前のことだ。あるイベントで「40歳になるまで成果を求められてこなかったオジサン」と遭遇した。

 

彼は新卒でその会社に入り、さしたる競争もせず毎年の定期昇給という甘い汁を吸いつづけ、40歳となった。ガチ安定(だった)企業に在籍していたので、そこそこ給料もいい。

たまにこういう人と遭遇すると、

成果を出す厳しさも知らず、
リストラの脅威に怯えることもなく
理不尽な上司からいじめもなく、

呑気に40歳まで仕事をしてきているので「本気で他では生きていけない人」が出来上がっている事を知る。

私は彼から「そんな働いてどうすんですか?大変ですねぇ」と、上から目線で同情された。

 

まあ、本音を言えばその時は若干腹が立ったが、もちろん彼を卑下するつもりはない。彼は彼の人生を生きているだけである。

 

だが、30前後ですでにバリバリ成果をあげ、業界でそれなりに名前を知られているような人と比較をするとあまりのちがいに唖然とした。

そう言った若手はは、常に自分に成果をあげることを厳しく課し、妥協のない仕事を心がけている。上司とぶつかることもしばしばで、常に新しいチャレンジに身を晒し、隙があればより大きな責任を引き受けようと虎視眈々である。

 

こうして働いて10年も経たないのに厳しい競争に身を晒している人がいる一方で、働いて20年にもなるのに、大して成果も出していないのに呑気に「今年はボーナスが少なかったな―」とか言っている人がいるわけである。

当時の私は理不尽な上司に苦しめられていたこともあり、「こいつ……世の中舐めてるな」と、一人で勝手に怒っている、大変狭量な人間であった。

 

ただ、考えてみれば彼は悪いわけではない。彼のまわりの人間は皆、多かれ少なかれ安定の中で安穏と生きてきたのである。彼に競争という価値観が生まれなかったことを本人の責任とすることは些か酷であると言うべきだろう。

 

 

ところが先日、彼の在籍していた会社がリストラを始めていることを知った。

対象者は40歳以上、ちょうど彼は45歳頃だろう。対象者となる年齢層だ。「あの会社もリストラか……」と、衝撃を受けた。

 

彼はどうしているのだろうか。リストラをうまく免れて、会社にしがみついているのだろうか。それとも、クビになってしまい、早期退職に応じて退職金をもらい、転職活動をしている最中だろうか。

定年まで彼はあと20年。とても逃げ切れる歳ではない。

 

現在は、企業の寿命が人の働く長さよりも短くなっている時代だ。

【会社の寿命】企業の繁栄は、たかだか30年

本誌調査が明らかにした企業の寿命――1企業が繁栄を謳歌できる期間――は、平均わずか30年。経営者が企業家精神を失う時、企業は、たちまち衰亡の途を転落し始める。

(日経ビジネス)

 

社会人人生は40年以上だ。

そう考えれば、社会人人生のどこかで必ず厳しい勝負をせざるを得ない時が来るはずである。

 

歳をとればとるほど、一般的に人は頑なになり、そして親身になって教えてくれる人も少なくなる。

つまり、40歳を超えて「これから頑張ろう」と心を入れ替えたとしても、プライドを捨てて若手に頭を下げ、教えてくれる人を探さなければならない。

 

人がどう考えるかは自由だし、怠けた結果として人生がどうなるかは、その人の責任だ。

だが、40過ぎて上のようになるのが嫌ならば、20代、30代で体力があり、そして教えてくれる人を持てるうちにひたすら努力と実績を積み上げなければならない。

 

「良い学校に入り、良い企業に入れば安泰」そんな感覚が持てた時代は終わった。よく言われている話だが、そんなことを、ふと実感した。

 

 

 

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kathuw56

この1本にかける。たった1種類の商品で起業した。

みなさん、はじめまして。この場をお借りして広報をさせて頂いております。

 

「ちょっと目の前にあるやつ飲みながらでも話してもいいっすか?」

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「あ、これなんかレッドブルの味に似てますねー」

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「でも、レッドブルよりも健康的な味がする気がしますねー。」

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「あ、そうかこれすべて自然由来原料のオーガニックな飲料なんだ」

 

申し遅れました。TSUKURU株式会社の辻吉彦と言います。

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すいません冒頭は宣伝でした。改めて、この場をお借りして広報をさせて頂いております。

今回広報させて頂いている商品がこれです。

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「オルガニック」という自然由来原料のみでできたエナジードリンクです。

実は、私は起業してこれ1本でやっております。

1本というのは、本当に1本でして。この1種類の飲料で勝負しています。

 

なぜこの1本で勝負しているのか?

それは大学時代に遡ります。

 

 

宮大工が千年以上を持たせる建築を生み出していることに憧れ、私は大学の建築系の学部へ進みました。

日本の伝統建築では「木」がとても大切にされます。やがて、私はその「木」と「水」の関係に興味抱き、ブラジルアマゾンへ放浪の旅をしたことがありました。

その時に、坂口陞(ノボル)さんというブラジルに移住した日本人の方にお会いする機会がありました。その方は苦労の末、アマゾンで自ら持続可能農業「アグロフォレストリー」を開発し実践されている方で、それを自力でやられていたのです。

アグロフォレストリーとは、樹木を植栽しながら、その樹間で家畜・農作物を飼育・栽培などをその地域にあったものを選択し組み合わせながら行っていく農林業のことです。それは地域によって最適な組み合わせがあるのです。

その坂口陞さんがおっしゃられた「私がやっていることは大したことないさ。自分はアマゾンで持続的に生活するためにやっているだけだよ。多くの地元の人はこれで食ってるわけだから」

それがまさに自分にとっての啓示のようなものでした。環境問題とは何か?ということに自分なりの答えを見つけた瞬間でした。

 

日本に戻ってからは、いよいよ「水」を大切にするという思いが募り、ついには建築の道から「水と生きる」というその姿勢に共感したサントリーに就職するという道を選択しました。

そこでの仕事は大変満足できるもので、社会人としての基礎はそこで学べたと思います。

社会人として10年ほど経った頃、ある食品展示会で運命的な出会いをしました。

ジョン・パウロさんという方が全てを自然由来原料で作ったエナジードリンクの素案をつくって日本に持ってきていたのです。

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(↑初期のオルガニックは名前もパッケージも違っていました)

 

主な原料は

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の3種類です。

簡単に言うと、レッドブルのオーガニック版と思ってもらえればいいのですが、これらはまさに自分がブラジル旅行をしていた時に頻繁に飲んでいたものでした。これがあったからこそ自分はブラジル旅行をやり遂げたとも言えるほどのものです。

しかも、驚くことにジョンパウロさんは、私が学生時代にブラジル旅行をしていた時に訪問し感動したオスカー・ニーマイヤーが建築したニテロイ現代美術館とご縁の深い方だったのです。時間を超えて再会した瞬間でした。

 

「私が、求めていたのはこれだ!」

 

ブラジルオーガニック飲料、今までの自分がすべてが繋がりました。これだったら環境を大事にしてかつ経済的にも成り立ち商品となりうるのではないか、それらが両立できるものができるのではないかと思ったんです。

それで、気づいたら自分ひとりで起業してました

 

あらためて思うのは、自分はより善い地球環境をつくることに貢献したい、ただそれだけなんですよね。

今、私がそれを実現できる商品が、この「オルガニック」なんです。

たった1つの商品ではありますが、この商品を中心に様々なサービスを提供することが可能であることも日々感じていろいろ取り組んでいます。次回はそのお話をしていきたいと思います。

(つづく)

「オルガニック」お試し購入はこちらから(12本/24本/48本)

 

TSUKURU株式会社

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WEBサイト:http://www.tskru.jp/

 


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他者を変えようとする努力は、大抵徒労に終わる。変えるのは人でなく環境。

彼がが仕事をきちんとしてくれないのですが……

とか

部長がイマイチで……

といった愚痴とも、指摘ともつかない話をよく聞く。

そして、セットで語られる悩みが「あの人をどうやったら変えられるでしょうか?」だ。

行動を起こす人も多い。「やっぱりじっくり話をすることが必要」とか、「危機感を持ってもらわなきゃダメですかね?」といった抽象的ななものから、「先週、ビシっと言ってやりましたよ」といった具体的なものまで、数々ある。

 

もちろん、彼らは真面目に考えており、当人たちに本気で「変わってほしい」と願っている。

「変わらなければ生き残れない、彼らのためでもある」

と純粋に信じている。

 

だが、残念ながら、というか当然、というか、上司や同僚、そして部下を変えようとする努力は、大抵徒労に終わる。

人は、人の心を変えることに関しては、ほとんど無力である。

 

 

例えば、かつてこんなやり取りがあった。

 

彼は有能な技術者だった。

ところが部下の扱いになるとどうにも成果をあげることができない。彼のチームは飛び抜けて離職率が高く、原因は彼のマネジメントにあると思われた。

経営陣は彼のマネジメントスタイルについてヒアリングをかけ、彼が部下の話を殆ど聞かず、独善的な振る舞いをしていることを突き止めた。

 

聞くところによると、彼の口癖は「何言ってんだお前、こんなことも知らないのか。常識だろう」だった。

プロジェクトの状況を見て、様々な提案をする部下も、あまりにも傲慢なその態度に辟易して異動の願いを出すか、離職を選ぶかのいずれかだった。

 

そこで経営陣は彼を変えようと、1週間ほどの「マネジャー養成プログラム」を提供している外部の研修期間に送り込んだ。マネジャーの心得や振る舞い、話し方、聞き方について特訓を施してくれるプログラムだ。

 

1週間後、彼は戻ってきた。

だが、彼が変わった様子はない。部下の話を聴く「そぶり」は見せるのだが、部下の評判は芳しくなく

「あの人、表面的に頷いているだけで、最後には結局自分の意見を通そうとするんですよ」

という評判がたっただけであった。

 

経営者は業を煮やし、彼に通告した。

「来期までにチームの離職率を下げることができなければ、君をマネジャーから降格する」

そこで初めて、彼は危機感を感じた。彼にはまだ家のローンが多く残っていたからだ。給与を下げられてはたまらない。彼は離職率を下げるために何が必要なのかを、初めて真剣に考えた。

 

彼は当時の上司に相談をした。

「離職率を下げなければならない、と言われたのですが、どうすればよいのかわかりません。思うに、最近の若いやつは忍耐がなさ過ぎます。部下の忍耐力を上げる何らかの研修や訓練はないでしょうか?特訓方式のものもあると聞きましたが。」

上司は優しく言った。

「問題があるのは、部下の忍耐力ではなく、君のマネジメント力だ。」

「何故ですか、私は正しいことを言っています。正しいことを受け入れない部下に問題があるはずです」

 

上司は言う。

「人間は正しいことによって動くんじゃない。自分が信じることによって動くんだよ。」

「では、正しいことによって動くように、彼らを教育すべきでしょう。」

「では、その「正しさ」は、だれが決めるのかね?」

「正しさなんて、常識的に考えればすぐに分かります。」

 

上司はニヤリと笑った。

「わからんね、ところで君はいつも缶コーヒーを飲んでいるね。」

「はい。それが何か?」

「あんなマズいものがよく飲めるな。」

「……。何の話ですか?」

「私が、あんなものを飲む奴は体調管理ができないだろうから、仕事ができない、といったらどうする?」

「ひどい偏見だと思いますが。」

「その通り、ひどい偏見だ。だが、君がやっているのは同じことだ。正しいことを受け入れない部下に問題がある、というのは、君の偏見だよ。」

「そんなバカな、全然レベルの違う話だと思いますが。」

「レベルが違うと思うかね?まあ、よく考えてみることだ。」

 

その後も離職率は高止まり、上司はそのマネジャーが変わらないことを見て、予告通りマネジャーから降格し、部下をつけない一介の技術者として、彼を遇した。

 

彼はその後も変わらず働いている。転職も考えたようだが、今の会社よりも良い給与をだしてくれるところはそうそう無いのだろうか、転職する気配はない。

 

後に、その上司も苦笑いして私にいった。

「結局、私も彼も人を変えることはできなかった、というわけですよ。」

「後任の方はいかがですか?」

「後任はよくやってますね。離職率はかなり下がりました。で、そのマネジャーはそれを見て最近少し変わってきたらしいですよ。」

 

 

 

上のような話は、そこらじゅうに転がっている、珍しくもない話である。結局のところ、人については以下のようなことが言える。

 

1.変わりたいと思う人しか、変わらない。

価値観とは、その人が世界を見る時の脳の働き方そのものであり、「世の中の解釈」そのものである。それを他人が直接操作することはできない。

 

2.価値観の転向に働きかけるのではなく、仕組み、ルール、評価などの環境を変えることで、考え方が徐々に変化するように仕向ける。

人によって変わるタイミングは読めないし、人が変わらなくても成果は出せる。

 

3.変わるから成果が出るのではなく、成果が出るから変わる。

人が変わるのは、結果が出た後。「人が変わらないから結果が出ない」とするのはマネジメントの怠慢。

 

 

以下は、価値観の転向に関するピーター・ドラッカー著「マネジメント」の一節だ。

コミュニケーションは受け手に何かを要求する。受け手が何かになること、何かをすること、何かを信じることを要求する。それは常に、何かをしたいという受け手の気持ちに訴える。

コミュニケーションは、それが受けての価値観、欲求、目的に合致するとき強力となる。逆に、それらのものに合致しないとき、全く受け付けられないか抵抗される。

もちろん、それらのものに合致しないときであっても、コミュニケーションが力を発揮するならば、受け手の心を転向させることができる。受け手の信念、価値観、正確、欲求までも変える。だが、そのようなことは人の実存に関わることであり、しかるがゆえに稀である。人の心は、そのような変化に激しく抵抗する。

『聖書』によれば、キリストさえ、迫害者サウロを使徒パウロとするには、サウロを一度盲目にする必要があった。受け手の心を転向させることを目的とするコミュニケーションは、受け手の全面降伏を要求する。

 

そんな簡単に人に「変われ」などというものではない。

 

 

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極論の投げつけあいで育児のハードルを上げまくるのはそろそろやめにしませんか

育児に関して極論を噴き上げちゃう人に、三つだけ言いたいことがあります。

 

・子どもはひとりひとり全く違うし、家庭の事情も家庭ごとに全く違います」

・それへの理解無しに、ファウルライン付近で「○○するべき!!」「××するなどもっての他!」「△△してはいけない!」と吹き上がっても、単に親(特に母親)が疲弊するだけで誰も幸せになりません」

・育児論は、「私はこうやって、割と上手くいっている」とか、「こういうやり方お勧め」くらいのニュアンスに留めておいた方が平和なのではないでしょうか。

 

以上三点です。

なんというか、育児や教育に関する議論って、webにおいてはもの凄く先鋭化し勝ちであるように思います。極端な仮想敵を設定して、その仮想敵を相手に、更に極端な攻撃をしかける、みたいな議論を観測する機会が多いんですね。

こういう文脈で取り上げるのはちょっと申し訳ないんですが、ちょっと前、こんな記事を見かけたんです。

 

大人は子どもに絶対に怒りをぶつけてはいけない(リンク先はこちら

そういうわかりやすいものだけではなくて、「なんでそんなこともできないの!!」「泣くんじゃない!!」「他の人に迷惑でしょ!静かにしなさい!!」と暴力的な言葉で、子どもを脅している場面にも何度も遭遇したことがあります。

けれどもそれは「虐待をしている」とまでは言えないと思います。だけど、問題なのは、そういう親たちは感情のままに「怒り」をぶちまけているだけにしか見えないということです。

それに、本当の意味できちんと子どもと信頼関係を築けていれば、子どもはちゃんと親(大人)の言うことを聞いてくれるはずです。それができてないということは、やはり何か原因があるということなんじゃないですかねぇ。

「子どもに対して、正当な叱責ではなく、理不尽な怒りをぶつけてしまう未熟な親」が仮想敵になっている議論ですよね。

 

えーとですね。これ、極論であることを除くと、おっしゃってることに論理的な間違いはないんです。

確かに、理想を言えば、親は感情抜きで冷静に、子どもが良くないことをしてしまったら整然とそれを叱るべきなんでしょうし、子どもは感情をぶつけられれば理不尽な思いをして、大人に対する信頼を毀損してしまうのかも知れません。怒りの表出を避けることが、もしかすると「親のあるべき姿」なのかもしれません。

私だって、道端で大声で子供を怒鳴りつけてる親御さん見れば、「まあまあ、そこまで激しく怒らなくってもええやないですか」と思うことありますよ。それは確かです。

 

ただ、三点指摘するとすれば、

・親も子どもと同様生き物であって、表に出ないよう感情を完全に抑え込めるわけではない

・子育てはただでさえ大変なのに、たまたま感情を抑えられなかった時に、「ああ、また子どもを怒ってしまった」なんて自分を追い詰めてしまうようなことがあれば、子どもも親も幸せになれない

・家庭の事情、親の事情、子どもの事情はどこまでいっても「人それぞれ」であって、一言でまとめられるようなものではない

 

端的に言ってしまえば、「絶対に怒りをぶつけてはいけない」という言葉はハードルのガン上げ過ぎます。人間は感情の生き物なのであって、感情を完全にコントロールできる人はそうそういません。たとえ普段「なるべく抑えよう」と努力していたって、時には感情が表に出てしまうことだってあるでしょう。

 

それに対して、「親が子どもに怒りをぶつけるなんてもっての他!」という言葉をぶつけていては、子育てという行為自体のハードルが上がって、「私には子育てなんて無理だ」って思う人も増えれば、「怒りをぶつけてしまった」と自分を責める人だって増えると思われませんか。

それ、結局誰も幸せになれてないと思うんですよ。育児なんてただでさえ疲弊する場面が多いのに、よりいっそう疲弊する要因を増やしてどうするのかな、と。

 

怒りのやり取りに限った話であれば、家庭ごとの事情もあれば、親の事情、子どもの事情もあります。多少強く言われないと全く耳に入らずケロっとしている子どもだって中にはいるでしょうし、子どもは案外柔軟なもので、後からフォローすればちゃんと親の事情を理解してくれる子だっているでしょう。

ひとことで「××は絶対ダメ」って断言してしまうことって、特に子育てにおいては凄く危険な行為だと思うんですよ。

 

別に上の記事、上の話題に限った話ではありません。というか、上のような論調は氷山の一角であって、Web上に同じようなニュアンスの記事は山のようにあります。

「育児においては○○するべき」「教育は××であるべき」という意識が一人ひとりあまりにも強くって、その「強い意見」が適当な仮想敵に対して具現化して、あんまり関係ない人を傷つけまくる、というような構図はかなり多いように思います。育児論って、仮想敵に対する敵対心がやたら高い議論が多いなあ、と。

 

分かる部分も、そりゃあります。

「子育て」という言葉と全くかかわったことがない人はいません。多かれ少なかれ、だれもが「育てられた経験」を持っているものですし、人によっては「育てた経験」ももっているものです。それだけに、育児にまつわるエピソードにはみんな感情移入しがちになりますし、「一家言もっている人」も増える。

確かに、育児において、はっきりとした「アウト」のラインというのもあるのだろうと思います。虐待やネグレクト、暴力がアウトだなんてことは、もういちいち言う必要もない当たり前のことです。

 

ただ、それにしたって、そんな「アウト」のラインを気にしなくちゃいけない親なんてごくごく一部でして、大部分の親御さんはファールラインのだいぶ手前で、頑張ってバランスを取ろうとしていると思うんです。

そこを無理やり一般化しようとするのは、ちょっと危険過ぎやしないかな、と。

親としての視点で言えば、子育てに全力を尽くすのは当たり前のことだけど、当事者でもない周囲が子育てのハードル上げまくるのはちょっとどうなのかな、と。

 

育児なんて子供によって何が適しているか変わってくるんだから、一言で「何が正しい」「何が間違ってる」なんて言えるわけないんだし、極論投げつけあうのやめましょうよ誰も幸せになりませんよ、と。

 

しんざきはちょこちょこ育児についての話を書きますが、出来る限り、「ほかのご家庭の育て方の否定」は避けるようにしています。

「こういうやり方をやってるよ、それで今のところは上手くいってるよ」「こういうケースもあるよ、こういうのお勧めかもよ」というくらいの方が、育児論ってのは平和ですし、そういう「お勧めエピソード」こそ「子育ての楽しさ、子育ての幸せ」を伝えるのにもっとも適しているのではないかなあ、と考えてもおります。

そんな中、皆さまの育児にも何か役に立つ話、皆さまの心を軽く出来る言葉を、ちょっとでも届けられれば幸いなことこの上ないなあ、と、そんな風に考える次第なわけです。

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

大喜利人工知能とラッパーがコラボして、我が社の社歌をつくります

こんにちは。株式会社わたしは、の竹之内です。

 

まだまだ開発の途上にある我が社の人工知能ですが、その実力を試させていただく舞台として、生の大喜利大会に人工知能として出場したりしています。

そういう大会では、アマチュアでも長年にわたって大喜利をやられていて圧倒的な実力を持たれている、アマ大喜利界のレジェンドとよばれるような方々にお会いすることもできます。

私たちが大会に出場するのは、そうした大喜利プレイヤーの方々から新しい人工知能開発のヒントを伺う最高の勉強の機会である、というのも理由のひとつです。

 

そうして仲良くさせていただくようになっていった大喜利プレイヤーの方々の中のおひとりで、シャリさんという方がいらっしゃいました。

 

少しばかりシャリさんの紹介をします。

シャリさんは、娘さんが立派に高校を卒業されたタイミングで、これまで封印していた「大喜利をやりたい!」という情熱を解放し、齢40にして大喜利の世界に足を踏み入れた、非常に奇特な方です。

その反面、埼玉でご自身の会社を経営されている、立派な“オトナ”でもあります。

 

ただ、シャリさんのスゴさはこれ以外にもあるんです。

まだ日本にHip-Hopというカルチャーが今ほど浸透していなかった90年代から、ガチでHip-Hop活動を地元埼玉でやられていた、「リアルサイタマノラッパー」なのです。

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「サイタマノラッパーって何?」という方のために少しだけ補足します。

(画像:http://sr1.sr-movie.com/)

 

映画「SR サイタマノラッパーは」2009年に公開された入江悠監督の作品です。

埼玉県のロードサイドに住むうだつの上がらない若者たちが、「Hip-Hop魂では負けねー」という叫びをラップする圧巻の青春Movieです。

竹之内はこの「SR サイタマノラッパー」シリーズの大ファンでして、「いつか自分の会社を作り社歌を作る機会があったら、絶対にラップで」とかねがね思っておりました。

そこで出逢ったのがシャリさんだったわけです。

 

大喜利プレイヤーでありながらも、正真正銘の「リアルサイタマノラッパー」であったシャリさん。

私は内心ビクビクしながらもシャリさんに、「一緒に弊社の社歌を作ってくださいませんか?」とお願いしました。

そしてこの日、シャリさんがオーガナイザーを務めるHip-Hopクルー「Hawknest」の皆さんを引き連れて、株式会社わたしは にやって来たのです。

 

秘密結社ラッパー集団 “Hawknest”

・Hawknest代表 organaizer MC 「Shaleed」

・FMTARO FRIDAY GROOVIN メインパーソナリティ MC 「RAIAN」

・灼熱の街、熊谷アンダーグラウンドより MC 「Derry hell」

・埼玉HIPHOP界の重鎮 track maker / DJ 「Fugo」

・40’sテクニカルドランカー VJ 「Youziro」

・新進気鋭 Babyfaceの悪魔 MC「clown」

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最高。

私はHawknestクルーとの邂逅に震えました。

ただ、プロジェクトの概要をシャリさんにお伝えしていただけでしたので、Hawknesteの皆さんは何やらいぶかしげです。

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私のプレゼンが始まりました。

会社を起ち上げてから色々な場でプレゼンをしてきました。

ビジネスコンテスト、資金調達のためにVCやエンジェルの方々へのピッチ、共同での取り組みを提案する大企業役員の方へのプレゼン。

そういったどのプレゼンよりも熱を込めたプレゼンです。

 

プレゼンの後……しばらくだれも口を開きません……。

ヤバイ……。

呆れてる……?ひょっとして怒ってるかも……。

 

 

沈黙の後、シャリさんが口をを開きました。

 

 

「OK!やろうぜ!」

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こうして、株式会社わたしは meets リアルサイタマノラッパー”Hawknest” 社歌作成プロジェクト、「あったまひとつ」が発足しました。
このプロジェクトは作詞を人工知能が行い、 作曲・編曲は、Hawknestの皆様にお願いをします。

史上初の人工知能とラッパー、そして大喜利プレイヤーとのコラボレーションプロジェクト。
このプロジェクトの詳細と私どものアツい想いは、次回の広報部でお伝えしたいと思いますのでお楽しみに。

いったん、本日はこの辺で。

 

 

努力できることは才能なのかどうかを調べてみた。

「努力できる才能」という言葉を使う人がいるが、努力できることは才能なのか、それとも単なるスキルなのか、意見が結構分かれる。

だが、実際のところはどうなのだろうか。

 

少し調べてみたところ、面白い研究があった。

ノーベル経済学賞を受賞した、シカゴ大学のヘックマン教授が行った「ベリー就学前プロジェクト」という試みだ。*1

このベリー就学前プロジェクトは、低所得の3歳〜4歳の子どもたちに、「質の高い就学前教育」を提供することを目的に行われ、高く評価されているという。

内容としては対象者に対して

・幼稚園の先生は修士号以上の学位を持つ児童心理学などの専門家に限定
・子供6人を先生一人が担当するという少人数制
・午前中に約2.5時間の教室での授業
・1週間につき90分の教師の家庭訪問

と言った手厚い教育を行うもので、子供だけではなく、親に対しても積極的に介入が行われた。*2

 

そして、このベリー就学前プロジェクトは「効果測定」が長期にわたって行われていることで高く評価された。

入園資格のある子どもたちのうち、ランダムに選ばれた58人の入園を許可された子供(=処置群)と、65人の運悪く入園を許可されなかった子供(=対照群)をこの後40年間にわたる追跡調査、比較するという実験を行ったのである。

 

結果は明確に現れた。
ベリー就学前プロジェクトを適用された人々は、小学校卒業時点のIQが高いだけではなく、その後学歴が高く、雇用や経済的な環境が安定しており、反社会的行動に及ぶ可能性も低く抑えられた。

そして、さらに驚くべきことに子どもたちが卒業した後、かなり時間が経った後でも、ベリー就学前プロジェクトの効果が持続することがわかったのである。

*1

*2

 

 

ここまで読むと「ああ、小さい頃に良い教育を施すと、頭の良い人物が育つのだな」という感想を持つと思うが、この実験はもう少し本質的な示唆を与える。

IQや学力テストで計測される能力を「認知能力」と呼ぶ。

ベリー就学前プロジェクトを受けた子供は、3歳から8歳辺りまでは「認知能力」において高いスコアを出した。だが、8歳にもなると、介入を受けた子供と、受けなかった子供の差は無くなってしまった。
「認知能力」は子供の頃の教育の質に依らないのだ。

 

では、ベリー就学前プロジェクトは子どもたちの何に影響を与えたのか。ヘックマン教授は、

・自分に対する自信、やり抜く力
・やる気、意欲
・忍耐強さ、根気
・自制心
・自分を客観的に把握する力
・リーダーシップ力
・失敗から立ち直る能力
・創造性

などのいわゆる「非認知能力」に、プログラムは強く影響を与え、それらの能力の有無が社会的な成功に直結し、かつそれらの能力は「人から学び、獲得するものである」と結論づけている。

結局のところ、頭が良くても「非認知能力」が十分に鍛えられていない人物は、社会的に成功ができない。しかも、その「非認知能力」は才能ではなく、「幼少期の学習」に依るものであると言うデータだ。

 

この「非認知能力」の有無が、まさに「努力できるかどうか」を分けるのである。努力できることは才能だけで決まるわけではない。後天的に獲得されるスキルでもある。

 

では、思春期まで成長した子どもたちは、あるいは大人は「努力するスキル」を身につけることができるようになるのだろうか?

 

スタンフォード大学のキャロル・ドウェック教授は、思春期の子供を対象として介入を実施し、実際に脳の働きや知性が鍛えられるという成果を得た。

介入グループの生徒たちは意欲の大きな向上を示し、低下していた成績が急激に反転した。要は「マインドセット」の切り替えにより、努力するスキルを身につけることは可能だということだ。*3

 

*3

 

ペンシルバニア大のアンジェラ・リー・ダックワーズ氏は、「やり抜く力」が成果をあげる上で非常に重要であることを、グリーンベレーやアイビーリーグの学生を対象とした実験により証明した。

氏は「才能があっても、その才能を活かせるかどうかは別の問題」と述べる。

そして、「やり抜く力」は

1.遺伝子の影響を受ける

2.経験の影響を受ける。

3.育つ時代の文化的な影響を受ける

4.年齢とともに強くなる

と紹介し、「自分の「やり抜く力」を内側から伸ばすことができる」と述べる。*4

 

*4

 

 

少なくとも、「努力は才能のみで決まる」とする研究結果を見つけることはできなかった。

努力できないのは、マインドセット、環境、そして努力するスキルが欠けているためだ、として差し支えはないだろう。

 

 

 

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JM Fumeau

自信満々の若手エンジニア社長が、起業時に絶対やってはいけない3つのこと

みなさん、お疲れ様です。

トップフラワーデザイナーにお花のオーダーメイドができるwebサイトを運営している、株式会社Sakaseruの広報部です。今週もわたくし代表の小尾(おび)が頑張って報告しますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

さて、早速お花屋さんがうまくいかなくなってしまったので、大工へ転職しました。

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というのは、僕なりの渾身の冗談です。

 

実はSakaseruを始める前、フラワーキッチンというリアルのお花屋さんを経営していました。

内装費を抑えるため、お店は自分たちで作りました。写真はその時のものです。

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これはお店の看板です。自分で言うのもなんですが、結構良い感じじゃないですか?

 

結果から言うと、このお店は全然うまくいきませんでした。オープンして2年であっけなく閉めることになりました。

 

自分たちで手作りしたお店が他人の手に渡っていくのを見るのは、めちゃくちゃ切なかったです。でも、この時経験した失敗の数々が、今のSakaseruに活きていると感じます。

お恥ずかしい限りですが、今日は僕の失敗談を3つお話したいと思います。

 

失敗1:花屋なのか、カフェなのかわからない店を作る。

「花を売らない花屋さんを作ろう」

これがフラワーキッチンのテーマでした。

え?何言ってるのかって?そうですよね。すいません、早速わかりにくくて。

 

新宿歌舞伎町の花屋さんを手伝っていた時、「ただ花を売るだけではすぐに頭打ちになる」という課題を強く感じていました(詳しくは週報001号の『小心者のエンジニアがイケイケベンチャーを起業したらこうなった』をどうぞ)。

だから、ただ花を売るだけではなく、花以外の価値を提供し、結果的に花が売れるというビジネスモデルを作りたかった。今までと同じことをやっても面白くない。どうせやるなら新しい花屋をやりたい!という想いもありました。

 

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上の写真の通り、お店のコンセプトはカフェです。

例えばス○バのようなお店が日本のコーヒー文化を変えたように、花屋にも気軽に立ち寄れる文化を作りたかった

コーヒーの種類と大きさを選んで買うように、花も色味と大きさ、ラッピングを選ぶだけで、気軽に買える

 

ブラウン系の花束は「ショコラ」。

グリーン系の花束は「グリーンティ」。

 

サイズもショート/トール/グランデと用意し、ラッピングもストライプやドット柄から好きなものを自分で選べるようにしました。

我ながら良いアイデアだと思いました。

 

でも、見事に失敗。皆さんはこのアイデアの大きな欠点は何だと思いますか。

チッチッチッチッチッチッ・・・

 

正解は「カフェなのか、花屋なのかわからない。」です。

六本木のテレ朝通りに面していたので、それなりに人は通ります。お店をチラチラ見てくれる方もいます。でも、入ってくれない。

 

ようやくお客さんが来店し喜んでいると「ホットコーヒ、Sサイズで」と・・・。カフェだと思われてしまいました。カフェを目指したがゆえ、カフェと勘違いされる。もう、致命的ミスです。

 

普通だったら「カフェっぽいお花屋なんて、理解されるのは難しいかもね」と反省すべきところですよね。

 

でも、僕らは何も見えていませんでした。

お客さんの目線が低いんだ。僕たちのセンスについてこれない客には、わかってもらわなくて結構。

 

イキがっていました。最低です。

今考えれば、客の立場で考えるという商売の基本を忘れていました。

自分たちのエゴを通しても、お客さんには伝わらない。お客さんが求めている商品を作ることが大事だと、この経験から学びました。

 

失敗2:無料で花を配りまくる。

当初は「絶対この店は流行る」と強気の僕らでしたが、オープンしてから3〜4か月たってもオーダーは全く入りませんでした。

 

「まずはフラワーキッチンを知ってもらわないと!」

オーダーが入らない理由は認知度の低さだと考え、広報活動を開始。街中にお花を無料で配る”フリー・フラワーキャンペーン”を始めました。

 

お店の説明が書かれたラッピングで一輪一輪を包み、新宿の紀伊国屋書店の前、渋谷のマークシティ、銀座中央通りなど、人が集まる場所で配りまくりました。

無料で花がもらえると聞いた人たちが殺到し、1000本用意した花はあっという間になくりました。

また、このラッピングには「友達に無料で花を送れるクーポンコード」を付けていました。友達に紹介してもらうことで更に見込み客が増えるんじゃないかって・・・あざといんですけどね。

結局、合計4万本ものフリーフラワーを配り、それなりの手応えを感じていました。

 

しかし、結果はこれまた大失敗

さて、皆さんはこのアイデアの大きな欠点は何だと思いますか。

チッチッチッチッチッチッ・・・

 

正解は、「無料というキーワードで惹きつけたお客さんは、その後も無料を求めてくる」です。

無料に慣れたお客さんって、無料が当たり前だと思っちゃうんですね。無料以外は響かなくなってしまう。

 

また、これは予想外だったんですが、

白いガーベラは、キリスト教だと縁起が悪いんです」とか、

すぐにしおれちゃいました!」といった、苦言が来るように

お金をきちんと頂いていれば、僕たちもきちんと対応ができたはずです。でも、無料で配ったお花を交換できる余裕は、その頃はありませんでした。

「無料」という、自分たちの価値を自ら下げる行為の浅はかさを痛感する経験でした。

 

 

失敗3:大雪の日に、スタッフをチャリでお客さんの元へ走らせる。

僕がやらかした最大の失敗。それがスタッフへの対応です。

当時の僕は、スタッフさんの気持ちがわからない、いや、わかろうともしないクソヤローでした。

 

例えばお客さんからオーダーが入れば、大雨だろうが大雪だろうが「今すぐチャリで行ってきて」の容赦ない一言を浴びせます。手加減はありません。労いの言葉もありません。

 

そんなクソヤローぶりのおかげで、スタッフは一人、二人と辞めていきました。

 

・・・思い出したら胸が苦しくなってきました。この辺でどこか懺悔できる場所はありますか?

 

いや、懺悔なんてしている場合ではありません。

もしこれから起業を考えている方、またはマネジメントで悩んでいる方は、絶対に僕の二の舞になってほしくありません。

この話は長くなりそうなので、また来週ご報告させていただきます(次回へつづく)。

 

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株式会社Sakaseru (英名 Sakaseru,inc.)

所在地:〒101-0052 東京都千代田区神田小川町3-2 #1307

設立:2015 10 14

https://www.sakaseru.jp/

 

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靴屋さんの店頭にある「ピッカピカ」な靴。「靴磨き屋さん」が教える靴磨きの4STEP

こんにちは。出張靴磨きサービスを行っているニイナナ株式会社「ミガクル」広報部です。

この場をお借りして広報活動をさせてもらってます。社長の堀江です。

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みなさんは、靴屋さんで「ピッカピカ」な靴見たことあると思います。それは高級な革を使ったいい革靴で、店頭販売向けに特別な加工をしているからだと思っていませんか?

「特別な加工」をしているのは間違いないのですが、それは「いい革靴」だから、とか「店頭販売向け」だからというわけではなく、「靴の磨き方」によって、革靴であれば誰でもできる加工なのです。

そこで、今回は誰でも簡単に靴屋さんの店頭に飾られているようなピッカピカな革靴にできる「靴磨き屋さん」が教える靴磨きをレクチャーしていきたいと思います。

 

実は、私はレクチャーは得意です。スキルがあれば誰でも教室が開けるというストリートアカデミーというサイトで、

靴磨き 大切な靴を一生モノにする靴磨き教室

という講座を公開しています。すでに70人以上の方を教えている大人気講座となっております。

今日はその講座でお話ししているいることを、Books&Appsの読者のみなさんに、すべて公開したいと思います。

私が教えている「靴磨き」はたったの4stepです。本当に誰でもできます。

 

 

Step-0.道具について

道具は6種類あります。

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「布」 – コットネルと呼ばれる綿100%素材のネル生地と呼ばれるものを使います。30cm×5cmほどに細長く切っておきます。

「馬毛のブラシ」 – 毛がやわらく、主にホコリやゴミを取り除くために使います。

「豚毛のブラシ」 – 毛がやや固めで、靴クリームを靴革に定着させるためにに使います。

「水性クリーナー」 – 汚れ落とし用の水性クリーナーです。

「靴クリーム」- 靴に保湿をあたえます。また補色にもなります。

「油性ワックス」 – 「鏡面磨き」と呼ばれる革靴により光沢をもたせるためのワックスです。

以上の6種類です。(道具に関しては最後にリンクを貼っておきますので、そちらをご覧ください)

 

「布」の持ち方にはコツがあります。ほぼすべての工程で使用しますので、ぜひ一度下記動画をご覧になってください。

 

Step-1.汚れ落とし

まずはじめに靴についている汚れを落としていきます。

使用する道具:「馬毛ブラシ」「布」「水性クリーナー」

最初に「馬毛ブラシ」で、ホコリやゴミを払い落とします。馬毛ブラシを使う理由は、毛が柔らかいからです。

次に靴に残った古いクリームを落とすために、「水性クリーナー」を「布」に3、4滴ほどつけて靴全体をなでまわすように拭いていきます。

ここでは綺麗に磨く必要はありません。あくまでもよごれを落とすことが目的ですので、簡単でいいです。

(所用時間5分)

 

Step-2.靴クリームを塗る&馴染ませる

保湿をあたえるために「靴クリーム」を塗りこみ、靴に水分と油分を与えます。「靴クリーム」は栄養クリームとも呼ばれます

使う道具:「布」「馬毛ブラシ」「靴クリーム」

「靴クリーム」の色は、靴の色に合わせます。茶色などは全く同じ色のものがあるわけではないので、その場合はなるべく靴の色よりも薄いものを選んでください。そうするとムラになりません。

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10円大くらいの大きさを布につけ薄く引き伸ばしていきます。注意点は、あまり塗りすぎないことです。また、コバ(靴底の端部分)にもクリームを塗ることも忘れないようにしてください。

靴クリームを塗った後に、やや固めの毛である豚毛でブラッシングしていきます。ブラシの色は靴クリームの色に近いものがベターです。

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ブラッシングすることにより、革の毛穴にまで靴クリームが行き届き、クリームがさらに馴染んでいきます。

(所用時間10分)

 

Step-3.カラ拭き

クリームを塗っただけでは靴にツヤはでません。乾いた布で磨くことではじめてツヤが出てきます。

使う道具:「布」

「布」での拭き取りを行います。布の余っている白い部分を使って、クリームを拭き取る感じです。丁寧に拭き取る感じで軽く磨いていきます。それだけで十分にツヤが出ます。

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はい完成!ピカピカ!

(所用時間5分)

ここまでで大体15分程度でできるでしょう。

 

なのですが、これをよりピカピカにすることができます。

業界用語で「鏡面磨き」と呼ばれる磨き方があり、靴屋さんに並んでいる新品の靴は、この「鏡面磨き」を行うことで、ピッカピカ」になっているのです。

 

ここからはプロの技です。

Step-4. 鏡面磨き

つま先の部分にワックスを塗り込み磨くことで、まるで鏡のような光沢を出します。

使う道具:「布」「油性ワックス」「水」

まず指に巻きつけた「布」を少し湿らせます。そして「油性ワックス」を10円玉の半分程度の大きさで薄く取り、それをつま先部分に塗りますこ。そこに水をほんの2、3滴たらして、溶かしながら塗りこんでいきます。

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実際に鏡面磨きを行っている動画をご覧ください。

ここでもワックスを薄く塗りこんでいくのがコツです。上記の工程を2,3度くり返していると、やがてワックスが指紋のように浮き出てきます。ワックスが定着しはじめた証拠です。

それを確認しワックスを綺麗に拭き取ると下記画像のように、まさに鏡のように自分の顔が映り込むほどの光沢が出てきます。

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どのように磨いてどれくらい磨けばこうなるのか?ということは説明するよりも自分で磨いてみた方が理解しやすいと思いますので、まずはやってみてください。成功すると明らかに「ピッカピカ」になります。

(所用時間5分〜10分)

 

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写真で違いがお分かりいただけるでしょうか?まさに「ピッカピカ」という言葉がぴったりです。靴屋さんの店頭に飾られている高級靴は必ずこの「鏡面磨き」が行われています。

どんな高級靴でも、自宅で普通に磨くだけでは新品の時のような輝きは戻りません。この「鏡面磨き」を行うことで、必ず元通りの「ピッカピカ」に戻ります。

 

以上です。ご自宅での靴磨きのお役に立てれば幸いです。

「鏡面磨き」だけはコツがいるので、はじめの数回は練習が必要ですが、それを習得さえしてしまえば、大体20分程度で1足を仕上げることができます。

ちなみにプロは、道具を完璧に揃え、工程をルーティン化しかつそれぞれの工程を無駄なく行うようにトレーニングをしているので、大体10分〜15分程度で行うことができます。

最後に道具をご紹介します。アマゾンでプロが使用していものとほぼ同等のものが手に入ります。ぜひ一度ご自宅での靴磨きに挑戦してみてください。

道具(すべてアマゾンリンクです)

「布」白ネル1mカット日本製など

「靴クリーム」columbus ブートブラックシルバーライン シュークリーム (ブラック)など

「水性クリーナー」M.MOWBRAY ステインリムーバー60 3020 (ニュートラル)など

「豚毛ブラシ」MISTER MINIT ツインセットブラシなど

「馬毛ブラシ」Collonil コロニル 馬毛ブラシ 17cmx5.4cmx4.5cm など

「油性ワックス」KIWI 油性靴クリーム 黒用 45mlなど

 

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「出張靴磨きミガクル」サイト

 

【過去の週報】

ニイナナ週報009号 続】お客さんの要望に、「できません」と言わなかったら、こうなった。 → 靴をつくることになった

ニイナナ週報008号 出張靴磨きサービス「ミガクル」には3つのサービスがあります

ニイナナ週報007号 お客さんの要望に、「できません」と言わなかったら、こうなった。

ニイナナ週報006号 儲からなさそうな事業だからこその強みを活かす方法

ニイナナ週報005号 人脈作りには、交流会に行くよりも、交流会を開けばいいんだと気づいた。

ニイナナ週報004号 スニーカーやパンプスを磨けるようになったら単価が上がった、という話

ニイナナ週報003号 キャビンアテンダントはできる男かどうかを靴を見て判断してるらしい。私はその説を信じます

ニイナナ週報002号 DMよりもWEB広告よりもビジネス交流会よりも、結局知り合いからの紹介クチコミが100倍効率よかった

ニイナナ週報001号【公式】出張靴磨きサービスのニイナナ株式会社が広報活動を行います。

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補助金を当てにしたビジネスをする会社って、一体何なの?

うちのメディアをいつも手伝っていただいている方が、先日「ビジネス交流会」なるものに出席したと聞き、その話をうかがった。

彼が言うには、ビジネス交流会そのものは真面目な目的で行われているようで、聞いた所「そういうのが好きならば出てもいいんじゃない」という感じなのだが、1つ面白いというか変な話を聞いた。

 

彼はその場で起きたことを話してくれた。

「そういう場に行くと、よく士業らしき風体の方から「一緒になんかやりましょうよ」って言われるんですよ。」

「ビジネスマッチングの場だから当然じゃない?」

「そうなんですけど、面白いのは、全員判で押したように「◯◯をやると、補助金が出るんでおいしいですよ。」って言うんです。」

「……どういうこと?」

「要するに、ビジネスをこっちにやらせて、自分は補助金の申請書やら何やらを作るから、その補助金の一部をくれと。そういうことみたいです。」

「コンサルティング料みたいな感じ?」

「そんな感じみたいです。まあ、許されていることなのかどうかはわかりませんが。その方は「数百万はすぐに作れる」と。」

「へえ」

「で、思ったんですよ。こういうことばっかりしている人って、結構いるんだなと。補助金目当てで起業家やフリーランスに声かけて、補助金を申請して、一部をもらうっていうビジネス。」

「なるほど、確実に儲かる補助金ビジネスw」

「でしょう?でも、こんなことに税金が結構投入されてるって、なんか微妙ですよね。」

 

 

この話を聴いて、昔こんな記事を見たことを思い出した。

地方を滅ぼす「名ばかりコンサルタント」 「パクリの再生計画」に自治体の未来はない

問題は、それだけではありません。コンサルタントは、自治体からは相当額のコンサル委託料をもらっているのに、結局、現場の実行部隊にはわずかな謝金だけ、もしくは一銭も支払わないこともあります。大手でさえ、そんな「フリーライド」(ただ乗り)を平気にやってのけます。

しかし、地域活性化分野では、補助金という「裏の手」があります。

「パクリ」レベルのひどい企画でも、補助金を使うことで、見た目だけ、似たような「偽物」の計画は作れるのです。

(東洋経済オンライン)

 

「補助金」という名のもとに、多額の税金がばらまかれており、それに便乗した士業やコンサルタントが暗躍する。そんなことを想像すると、「補助金を当てにしたビジネスをする会社って、一体何なの?」と思う人が多いのも無理はないだろう。

 

そう言えばリーマンショックの後、IT業界には補助金が投入されていた。

仕事がなくて暇な社員に外部の研修期間を使って研修などを受けさせると、「教育研修」の名目で補助金が出るという仕組みだった。

前職、教育研修を売り歩いていた時、結構な割合で先方の担当者から「補助金の対象となる研修ですか?」と聞かれたことを思い出す。

 

でも、本当にそれは補助金が世の中の役に立っているのだろうか?

補助金が出ないと潰れてしまうような会社を無理やり生きながらえさせるのなら、そんな会社はさっさと潰して、新しい会社が入り込むマーケットを作ったほうが良いのではないだろうか。

 

私の知る、組み込み開発を行う会社の経営者は

「そういう会社は早く退場させて、健全な会社だけが残るようにしないと、いつまでたっても労働環境が改善しないし、強い会社が育たない」

と言っていた。

「補助金に頼るようになったら終わりだよ。」

と彼はいう。

 

実際、すでに企業は従業員の生活保障を行わない。だから国がお金を企業に渡しても、せいぜい自称コンサルタントやゾンビ企業の経営者の懐にカネが転がり込むだけである。

 

企業は競争の中で鍛えられる。「セーフティーネット」の名目で企業を甘やかす制度は、企業と労働者の双方にとって不利益だ。

 

 

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thethreesisters

お客さまに「営業」されるような営業担当者になろう

また、やってしまいました・・・。教材を売り込みに来た営業担当者への熱い学校紹介!

 言わば、校長のトップ営業。

 

公立と違い、私立学校は生徒や保護者に選ばれてこそナンボです。入学生が集まらなければ、存続さえ危うくなります。そのため、できるだけ多くの方に学校の中身をキチンと伝え、その魅力を知っていただくことが大切です。

 オープンスクールや学校説明会の開催、各種情報誌への寄稿など、さまざまなチャンネルを使ってその機会を増やし、最近ではSNSを活用することも当たり前になってきました。

 

ですが、やはり教員が直接出会い、相手と対面して話す機会を持つことが何よりものチャンス。それが一般教員ではなく、担当部長や教頭など役付きであれば影響力が大きくなり、校長だと最強です。

 そんなわけで、ご挨拶程度の場合を除き、許す限りお時間をいただき、お話しさせていただくことにしています。

 

先日も、イベントで名刺交換をさせていただいたデザイン会社の方が来られた際、気がつけば1時間40分ほどご一緒させていただきました。

まずは向こうが、自社の紹介を・・・ということで話し始めました。当然です。

 

とてもわかりやすく、提案コンテンツの強みはどこにあるかについて、過去に手がけた作品(成果物)を例に、コンパクトに説明していきます。

 もちろん、納得することばかり。

 

で、それらについて今度は私が、例えば印刷物なら、動画なら・・・と、本校の事例について具体例を示しながら話をふくらませていきました。

 あわせて、学校が今どんなことをやっているか、これからどうしていきたいのかについて、他の企業との協働事例を挙げながら、ワクワク感を持って語りました。

 

すると、どうでしょう。それがどうやってカタチになったのか、その経緯も含めて「コラボの肝」を話し出すと、俄然、相手の姿勢が変わってきます。

 ここからが本当の意味の「対話」の時間。

 

お互いにとって、単なる表面上の「営業」ではなく、今後、どのようなカタチで新たなものを生み出せるかを考えていく対話の始まりです。

 そう! 大切なのは、このあとの時間。出会った意味があるのは、この部分です。どんなふうに話が進むかは未知数ですが、必ずその種は生まれます。

 そして、それが現実のものとして姿を現していく・・・。

 

すぐにコラボできなくても、数か月後、1年後・・・。なかには数年後に次の展開がくることだってあります。

 

話は飛びますが、実は一昨日、そんな1本の電話が学校にかかってきました。そして、今月末、京都で会うことになりました。

 電話のあと、すぐにメールをいただき、「以前から先生とコンタクトを取りたいと考えておりまして、先生がスピーカーとして登壇するワークショップや研修に行ってみて、話ができるようならしてみよう・・・と思い始めた矢先でした。

今回、思い切って学校に連絡させていただきました。積もる話は山ほどございますが、ようやく先生までたどり着けた・・・というのが実感です!」と。

 

その方と出会ったのは数年前、群馬県でした。今は沖縄におられるとのことですが、わざわざこちらまで会いに来てくださいます。

 どんな展開になるのか、もう、ワクワクです!

 

いままで出会わせていただいた方々・・・。校長室はもちろん、いろいろなところで熱いトークを交わした皆さんなら、たぶんこの感覚はわかっていただけると思います。

 事実、こんな時間を経てカタチになり、お互いにステキなコラボ事例として、得がたい経験と新しい学びを共有させていただいたことがいくつもあります。

 

せっかくのご縁。単なる営業で終わらせるのでは意味がありません。

 営業は商品やサービスを「売る」のが目的ではなく、それを介してお互いがどれだけ満足できるか、その「最高の一致点を探す」のが目的なんです。

 

クライアントに、そんな気持ちで接してもらえるような営業するためにはどうすればいいか。

 それは・・・

 相手が自社の「営業」をしてくれるような営業担当者になることです。

 

 

☆☆☆

 

 

<プロフィール>

 
私立中高校長。

高校で20年間教員をした後、コミュニティFMの世界へ飛び込む。県内で2局を運営、同時にPCオンサイトサポートを個人起業。11年前、再び教育現場に戻り、「生徒が自ら学ぶ学校へ」改革を推進。4年前から現職。

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・校長Blog → YASUI’s web diary

何より残念なのは、知的に優れているのにコミュニケーション能力が低い人。

企業は採用面接で「コミュニケーション能力」を最重要視することは正しい。なぜなら今は、コミュニケーション能力の高い人物が公私に渡ってにおいて非常に得をする時代だからだ。

例えば顧客との折衝、人脈の獲得、学業におけるコラボレーション、果ては恋愛におけるパートナーの獲得まで、様々な所で、相手の気持を汲み、適切な発言と行動を選択する「コミュニケーション能力」が必要とされる。

人間の3大能力は、身体能力、知力、そしてコミュニケーション能力だ、と言う方もいるくらいだ。

 

だが、逆に言えばコミュニケーション能力の低い人にとっては大変厳しい時代とも言える。

コミュニケーション能力を駆使して有利に立ち回る人物がいる一方で、頼れる人が少ない、相談できる人がいない、友達がいない、と人間関係のネットワークから排除され、身動きが取れなくなる人が大勢いる。

 

彼らは助けを求めることもヘタだが、助けてくれようという人とすらうまくコミュニケーションが取れず、孤立を深めていく。

そして、しばしば、「貧困」「失業」あるいは「人間関係の破綻」などの深刻な事態を引き起こす。

 

しかも、これらの状況は、周囲の人々が救ってあげることが非常に難しい。なぜなら「コミュニケーション能力の低さ」は自覚が難しいからだ。

言い換えれば、「コミュニケーション能力が低い人は、それを自覚できないからこそ、コミュニケーション能力が低い」とも言える。

 

———————————-

 

私の知るだけでも、知的能力が高く学歴も良いのだが、著しくコミュニケーション能力の低い人物が数名いる。

そして彼らに共通する課題は「伸び悩み」である。それなりの成果は出すのだが、それらはすべて「まあまあ」という程度に留まってしまう。

彼らは知的能力や学歴が高いがゆえになおさら「正当な評価を受けることができていない」とギャップに悩む。

 

たとえば、かつて自分を助けてくれた恩人と、必ずトラブルを起こして絶縁していくフリーランスの方がいる。

彼とその周辺の人物から話を聴くと、全ての原因は「その人物のコミュニケーション能力の低さ」にある事がよくわかる。

 

例えば、サラリーマン時代の上司は、「才能はあるが、周りに敵を数多く作る」ことを知っていたので、独立しても彼を助けたのだが、彼がたびたびトラブルを引き起こすので、

「このままだと、大した仕事ができないよ。もう少し人の指摘に素直にならなきゃダメだ。」と彼にいったところ、

「お言葉ですが、あのクオリティの仕事しかできない人たちの指摘は聴いても仕方ありません。」と返された。

 

それでも元上司はなんとかもう少し広い視野を持ってほしい、と考え、

「それはそうかもしれないが、彼らにも良いところがあるし、前回やった仕事は世間的にも非常に評価されている」

と諌めると、彼は「なぜ私の仕事にケチを付けるんですか」と言い、怒って帰ってしまった。その後、彼とは連絡が取れないという。

 

元上司は

「彼はもう少し柔軟かと思っていたのですが……。私の言い方がマズかったのでしょう。」

と言い、

「彼が自分自身のコミュニケーション能力が低い、と自覚さえしてくれていれば、なんとでもやりようがありますが、「コミュニケーション能力が低いのは周りであって、自分ではない。自分が評価されないのは、彼らのせいだ」と言われると、もう如何ともしがたいです。」と語った。

 

このように、彼らはすべて、自分のコミュニケーション能力の低さに関して、ほぼ無自覚である。

いや、むしろ「自分は能力が高いのだから、コミュニケーション能力も同じように高い」と信じて疑わない。それに反して、周りの人物は「あの人、頭はいいけど残念だよね」という評価がほとんどだ。

 

コミュニケーション能力の本質は「自分自身を俯瞰する能力」である。

 

・自分の発言に対して相手がどのような印象を持つのか

・相手の価値観と自分の価値観の相違は何か

・自分にとっての正義がどれほど相手にとって受け入れられるのか

 

上のようなことに想像が及ばなければ、知的に優れ、合理的な判断を下せる人物であっても、「コミュニケーション能力」はお粗末なものとなってしまう。

むしろ、逆説的ではあるが

「所詮人と人は分かり合えない、そして自分は更にコミュニケーション能力が低いのだから、相手のことを誤解しているかもしれない」

と、常に思える人こそ、本当は最もコミュニケーション能力が高いのである。

 

知的に優れているのにコミュニケーション能力が低い人。彼らこそ、何より残念な人たちだ。

良い人と巡り会い、その人物が彼らのコミュニケーション能力の低さを補完してくれることを祈るのみである。

 

 

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Paul Morgan

「人生のコスパ」を追いかけ過ぎると絶望しやすくなる

ここ数年、「人生のコストパフォーマンス」「無駄のない人生」といった言葉を耳にする機会が増えました。 

 

まるでオンラインゲームのレベル上げみたいですね、「人生のコスパ」とか「無駄のない人生」って。もし、人生がオンラインゲームのレベル上げと同じだったなら、こういった言葉は真実そのものとなるでしょう。 

 

でも、人生はオンラインゲームとイコールではありませんし、こういった言葉をありがたがっていた人がメンタルヘルスを損ねてしまった顛末を目にする者としては、人生にコストパフォーマンスを求めすぎるのは危ないなぁと思います。 

 

そもそも、「コスパの良い人生」「無駄のない人生」とは何でしょうか。 

 

一流大学に進学し、一流企業に就職するということ? 

自分自身の快楽ができるだけ多いこと? 

それとも金銭的な収入が支出よりも大きいこと? 

  

どれも、すごくテンプレートっぽい生観ですね。これらだけで人生に彩りが生まれるようには私には思えません。 

  

なるほど、これらのひとつひとつは人生を構成する“骨格”として、意識しておくに越したことはないでしょう。ですが、これら「だけ」を追及し、これらが自己目的化した人生とは、“骨格”ばかりが立派で肉付きや彩りの少ない、骨太の骸骨のような人生ではないでしょうか。 

  

これがオンラインゲームのレベル上げなら構わないのです。オンラインゲームの場合は、「キャラクターのレベルを上げる」という、数値化されたシンプルな目標が存在しますから、そのために最適効率な方法を選ぶのはわかるし、たとえば『ポケモンGO』でレベル上げを急ぐプレイヤーが挙ってポッポマラソン(→https://pokemongo.gamewith.jp/article/show/35068 )やるのも不思議ではありません。 

 

ですが、人生には数値化されたシンプルな目標なんて存在しないので、「経験値を稼ぐ→レベルが上がる→きっと効率の良い人生に違いない!」って考え方は、現実世界には通用しません。

人生の目標は移ろいやすく、人生の目標だと思えることが、思春期と中年期と老年期では全然違う……なんてことも稀ではありません。今日、「人生のコスパが良い」と思っていたはずの人生が、数年後には「あんなものを人生のコスパが良いと言っていた俺は馬鹿だった……!」と思ってしまいかねないのが人生ですから、何をもってコストパフォーマンスが良い人生かを論じるのは、本来とても難しいことのはずです。 

 

テンプレートのような出世街道を歩み、それなりの財をもうけ、ラグジュアリーな生活をしているけれども、ちっとも幸せではないおじさんやおばさんが巷にゴロゴロしています。

彼らは、ある面では「非常にコスパの良い人生」を歩んでいると言えるでしょう。しかし、「コスパの良い人生」に適応特化しすぎていて、それ以外の要素に気を回せずに生き続けているからこそ、華々しい暮らしぶりでも内面の空虚な、人生の牢獄に捕らわれてしまっていて、お気の毒としか言いようがありません。 

 

私の知る限り、本当に豊かな人生を歩んでいる人は皆「コスパの良い人生」の条件ばかりに目を奪われているようにはみえません。もっと、人生の細やかな要素にも目配りをしていて、もっと幅のある生き甲斐を持って生きているようにみえます。だから、「人生のコスパ」なるものを徹底的に追いかけ、それで成功らしきものを手にしたとしても、ただそれだけでは幸福になんてなれないのではないでしょうか。 

 

 

「人生のコスパ」を追いかけ過ぎることの弊害

もうひとつ、「人生のコスパ」を追及しまくっている人達をみていて危うく思うのは、「人生のコスパ」を追求しているつもりの人が、しばしばそれ以外の生き筋を否定し、捨ててしまっている点です。 

私がtwitterやブログで「人生コスパ論」について書くと、必ずと言って良いほど反論が来ます。反論が来ること自体は良いのですが、  

・「若いうちに生涯年収を稼ぐべき。そうでない人生などあり得ない」 

・「サラリーマンなんて人生のコスパ最悪。起業しよう 

・「無駄のない人生を送るために冠婚葬祭や年賀状は切り捨てよう」 

といった風な、極端な設定をしている文面をしばしば見かけます。 

 

でも、こういうのって「自分がコスパが良いと思っているライフスタイル以外は許容していない」ってことですよね。 

たとえば「若いうちに生涯年収を稼ぐべき」と思い込んでいる人は、若いうちに生涯年収を稼げなかったら一体どうなってしまうのでしょうか。自分自身を「コスパの悪い人生」「失敗した人生」と思い込んで、ただちに人生に絶望してしまうのではないでしょうか。 

 

「若いうちに生涯年収を稼ぐべき」と思い込んでいない、世の中のほとんどの人は、そこまでお金を稼がなくてもとりあえずは生きていけます。しかし、この手の思い込みが強過ぎると、若いうちに生涯年収を稼げないことが絶望や葛藤に直結してしまいます。 

 

同じことが「起業するしかない」「高学歴高収入しかない」と思っている人達にも当てはまります。そういう、単一の生き筋を「コスパが良い」と日頃から吹聴している人達は、そのとおりに生きられなくなったら一体どうするつもりなんでしょうね

思い描く「コスパの良い人生」から逸れてしまったら、もう不幸せになるしかないですよね。あるいは、自分自身はどうにか成功できたとしても、たとえば、自分の子どもがそのとおりになれなかったら、親子共々不幸せになるしかありません 

 

そんな、葛藤しやすい思い込みを抱えておきながら、「俺の人生はコスパが良い」とか、ちゃんちゃらおかしいと言わざるを得ません 

 「冠婚葬祭や年賀状は無駄」みたいな考え方も、これってどこまでコストパフォーマンスが良いんでしょうか? 

  

もちろん、諸般の理由でそれらをやらないこと自体は悪いことではありません。でも、初手から冠婚葬祭や年賀状を無駄だと決めつけてしまえば、冠婚葬祭や年賀状とは縁のない人生を確定させてしまうことになります。

冠婚葬祭や年賀状が、本当にただの浪費に過ぎないならそれでも良いのかもしれませんが、これらは社会的な儀礼やコミュニケーションの意味合いを持っているわけですから、これらを初手から捨ててしまえば、そのぶん人間関係やコミュニケーションが制約されるでしょう。

孤独になってしまった老人ならともかく、若いうちから「俺は一生冠婚葬祭や年賀状はやらない!」などと決めつけてしまうのは、人生の可能性を狭める悪手です。「今はやらないけれども、必要になったらやろう」ぐらいの柔軟性は残しておくべきではないでしょうか。  

  

人間の人生はオンラインゲームのレベル上げよりずっと複雑なので、やたら単純化して「コスパ」を考えてもだいたいうまくいきません。「人生のコスパ」を追及していたつもりが、いつの間にか細いロープの上を綱渡りするような人生になってしまっては本末転倒もいいところです。

 

万事が万事「コスパ」で考えたがる人は、このあたりにご注意を 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨 

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)など。 
twitter:@twit_shirokuma 
ブログ:『シロクマの屑籠』

熊代亨のアイコン 3

 

すぐに身を守るクセがついてしまっている人には、安心して仕事を任せられない

仕事で、「すぐに身を守るクセ」がついてしまっている人とよく出会う。

「すぐ身を守るクセ」とは何のことか。

例えば、チーム内で何か問題が起きたり、仕事の質が今ひとつだったりすると、何より先に「私は悪くないですよ」と主張するタイプの人だ。思い当たる人が何人かいるのではないだろうか。

 

例えばこんな人がいた。

その方はデザイナーだった。腕は悪くない、きれいなものを作るのだが、1つこまったことがあった。

 

出してきたデザイン案に、ちょっと意見を加えると、

「ご指示通りにやったのですが、ここは変えたほうが良いということですね。」

と返してくるのだ。

 

あるいは、締め切りの当日になって

「一昨日急な仕事を部長から頼まれたので、間に合いませんでした」

と言ってくる。

 

こんなこともあった。

「一回、デザイン案を見せてくれ。それを基に皆で議論しよう」と上司が言ったところ、

「ちゃんと方針を決めてからにしていただけないですか、あとからいろいろ言われて修正するのは無理なので」

という。

部長が「気持ちはわかるが、それだとデザイナーを雇っている意味がないだろう」と言うと、

「先に決めてくれないから、いつも私が苦労するんです」と反抗した。

 

これらに共通するのは、「指示通りやりました」「仕事を頼まれたので」「先に決めてくれないから」と、私は悪くない。他が悪いという考え方が全面にでてしまっていることだ。

 

 

だが、「すぐに身を守るクセ」がある人の、上のような仕事の仕方はどこで身にについたのだろうか。彼らの身の上に思いを馳せる。

前職「こんなことは指示した覚えはない、お前が間違ったのだから、もう一度やりなおせ」と言われつづけてきたのだろうか。

それとも「絶対自分の非を認めるな」という指導を受け続けてきたのだろうか。

 

場合によっては、この人も被害者なのかもしれない。

が、本人の責任ではないにしても、周りはもはやこの人に安心して仕事を頼めなくなっていることがほとんどだ。

 

上の部長さんは、「どんなやり取りであっても「あなたのせいです」「私は悪くないです」と言い続ける人とは、気持ちよく仕事できない。」と言う。

彼らは、今ではこの人に仕事を頼む時、「あなたのせいではないですが」と、気を遣って必ずつけているそうだ。

 

だが、その方は30すぎで、もうすでに四回ほど転職していると聞く。

部長は「面接ではわからなかったよ」とため息をついている。

 

残念ながらその方は今も職場で孤立しつつある。

部長は「はやく悪いクセを改めてくれることを期待するのみ」と言った。

 

 

 

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Nicola Jones

サイトメンテナンスに伴うサービス休止のお知らせ

2016年9月20日 0時〜午前4時の間、メンテナンスのためサイトがご利用いただけなくなります。

何卒、ご理解の程、宜しくお願いいたします。

自由にやっていいよ、と言われ、怖がる人と喜ぶ人がいる。

「自由にやっていいよ」って言われて、結果を出せる人は本当に仕事ができる人だ。これはガチである。

なぜなら「自由」と言うのは、とても強力だが使いこなすのが難しい、例えればRPGの終盤に出てくる、「うまく使うとすごい強いんだけど、デメリットの大きい上級者向けの武器」だからだ。

実際、この「自由を使いこなすスキル」は、かなり個人差があり、「勉強ができる人」だからといって自由を満喫できるとは限らないし、かといって「オレは縛られるのが嫌だぜ、自由に生きるぜ、ヒャッハー!」って言っている人が必ずしも自由を使いこなせているわけでもない。

そういった人々は「自由」に見えても、実際は誰かの考えた型にとどまっていることも多い。

 

必然的に、「自由」は2極化を生み出す。

 

 

そもそも、「自由」とはなんだろうか。

19世紀の功利主義者、ジョン・スチュワート・ミルは「かつて、自由とは、政治的支配者の専制から身を守る事を意味した」と述べた。*1

したがって、国を愛するひとびとが求めたのが、支配者が社会にたいして行使できる権力に制限を設けることであった。そしてこの制限こそ、彼らの言う自由の中身であった。

 

この解釈によれば、自由とはそもそも権力に対するアンチテーゼとして定義されており、本質的には自由だけが独立して存在するものではないとされている。

だが、時代は移り変わり、自由の意味合いも変わった。

ミルは最終的に、「自由とは本人が望むことをすること」としている。すなわち「自由にやっていいよ」とは、「あなたが望むとおりにやっていいよ」という意味である。

*1

 

 

だが「本人が望むこと」はそれほど自明ではない。

たとえば、あるサービス業の会社で目標管理制度を導入したときのことだ。

この会社は会社から与えられる目標以外に、「自己目標設定」という制度があり、自分で自由に目標設定をして良い、ということになっていた。

そしてそのミーティングに出席していた私は、上司と部下のやり取りを見せてもらっていたが、以下のようなやり取りだったと記憶している。

 

「じゃあ、これで成果と、成長に関する目標設定はおしまいだな。ところで最後に、上半期の自己目標は、どうする?」

「うーん、考えてみたのですが、あまり思いつきません。」

「本当になんにもないのか?」

「逆に、本当に何でもいいのでしょうか?何かやってはいけないことってあるんでしょうか?」

「仕事に関係のあることだったら。」

「あいさつをしっかりする、とかでもいいんですか?」

「お前、そんな小さいことが目標なのか?」

「挨拶が大事っていつも上の人は言うじゃないですか。」

「そりゃそうだが……。」

「考えてもよくわからなかったので……これで良いです。」

 

彼は「自由にやっていいよ」と言われたにも関わらず、「普段上司から言われていること」を勝手に目標にしていた。もちろんそれを選択するのは「自由」だ。

ところが一方、その後に行った「できる社員」への面接は上とは全く異なった様相になった。

 

「最後に、上半期の自己目標は、どうする?何か考えてきたか?」

「もちろんです。」

「ほう。ぜひ聞かせてくれないか。」

「はい、仕事において私がやりたいのは「人脈作り」です。」

「ほう、なぜ?」

「うちは既存顧客とのつながりが非常に強く、八割の売上を既存顧客が占めています。でもそれでは、徐々に利益率が下がりジリ貧です。今後、新規顧客開拓に力を入れるべきですが、いきなりのお取引は難しいでしょう。」

「うむ。」

「そこで今のうちに、新規顧客獲得の見込み客を積極的に拡大しておこうと思います。具体的には……」

 

 

自由にして良い、と言われたとき、前者の「あいさつ」を選択する人は全く自分の頭で考えることができていない。もし「すべてが自由だよ」と言われても、彼に大胆な目標は作れないだろうし、「自由なのは困る」と上司に言いそうである。

逆に後者の「人脈」を選択した人は自ら事業の可能性を考え、行動を導きだし、最適となるように動くことができる。むしろ既存の目標という枠組みを与えず、好きにやらせたほうが、さらなる高みを目指すためには良いのかもしれない。

 

このように「自由を使いこなすスキル」は個人差が大きい。

「自由」とはそれを使いこなす能力の低い人物にとっては迷い、不安定、そして恐怖の対象である。

逆に高い能力を有する人物にとっては、主体性、野心、開放などを意味する。

 

そして、高い能力を有する人物は自由を使いこなしてさらなる自由を手に入れ、能力の低い人物はますます自分で自分をを制限し、規制し、枠の中にとどまろうとするだろう。

結局のところ「自由市場」「自由競争」「自由主義」「自由権」など、すべて自由は、その対価すなわち責任、能力、思索、勇気などを人に要求する。

 

 

周知の通り、現代は自由を使いこなすスキルが高ければ高いほど得をするシステムとなっている。

だから、「自由」は2極化を生み出す。

自由とは誠に取扱いの難しいシロモノである。

 

 

 

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Akash Malhotra

「新しい働き方」を選ばないと、生き残れないのだろうか。

「新しい働き方」がもてはやされているが、果たして「新しい働き方」とは一体どんな働き方を指すのだろうか。

「新しい働き方」と聞いて思い浮かべるのは副業、フリーランス、起業といったところだろう。

これら3つに共通することは、「会社に依存せず、個人の力で勝負せよ」というメッセージである。

「ごもっともだ」

「待ってました」

「やっと実力を発揮出来る時代が来た」

と思う強者もいるだろう。

 

ただ大半の人は

「恵まれた環境だから、そんなことが言えるんだ」

「頭ではわかっているけど、実際行動に移すのは無理だ」

「能力の高い一部の人間にしか、そんなことはできない」

と、不安と焦燥感にかられるのではないだろうか。

 

そもそも、なぜ私たちは新しい働き方を目指さなければいけなくなったのか。今までの働き方では、本当に生き残れないのだろうか。

 

時代の流れには逆らえない

ほんの数十年前、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた時代があった。高度経済成長を遂げる日本に世界からの関心が集まり、松下幸之助、本田宗一郎、井深大などの経営者が注目された。

多くの研究者が、彼らの経営手法を研究した。それはやがて、終身雇用や年功序列に代表される「日本型経営」と呼ばれるようになった。

日本型経営のもと、社員はまるで家族の一員のごとく受け入れられた。文字通り「仕事に就く」就職観を持つ欧米とは対照的に、日本では「会社に入る」ことが重視される。社員自身も、どこでも通用する職能より、特定のコミュニティにおける”メンバーシップ”を求めていた。

しかし、時代は変わった。

 

○もはや「社員は家族」は死語となりつつある

だが、今は「社員は家族」という経営者はほとんど居ない。いや、「居ない」というよりむしろ「できない」と言ってもよい。

環境変化が激しく、企業は「安定した事業」を創ることが難しくなっている。安定した事業がなければ、安定した雇用は存在しない。会社を生き延びさせることを優先するあまり、社員に多大な負荷を強いる会社もあるが、それは本末転倒というものだろう。

会社あっての個人ではなく、個人あっての会社、という流れはおそらく止めようがない。

かつては絶対的な原理原則として信じられた日本型経営も、現在では実行そのものが難しくなってしまった。

それでも本屋に行けば、未だに偉大な経営者の自叙伝はベストセラーとして平積みされている。この手の本は現実的な手引きというより、もはや古き良き昭和を回想する小説になっている。

 

どこも欲しがらない人になったら致命的

20代なら若さという武器を手に、無駄に不安がることも、焦ることもないのかもしれない。

30代ならどうだろう。若さだけでは通用しない世界がやっと見えてきたところだろうか。それでも、不安や焦りをまだ振り切れるだけの勢いが残っているかもしれない。

40代ならどうだろう。昭和を生きた先輩のやり方も通用しなければ、迫り来る若い世代の勢いにうまく乗ることも出来ない。経験や能力は誰よりもあるはずなのに、実は一番、絶望と希望の間を行き来している世代かもしれない。

 

「自分をマーケティングする技術」を磨かなくてはならない。

つい先日も何名かのリストラに合った方々のお話を聞く機会があった。全員40歳前後、給与も高くなってきており、「これから若い時の会社への奉仕を回収」と思っていた矢先の出来事だった。

だが、話を聞いていると気の毒だとは思いつつ、仕方のない部分もあるのだな、という印象も持つ。例えば、ある会社のリストラの基準は以下のようなものであった。

1.40歳以上

2.成績が下位30%

3.年収が600万円以上

4.不採算部門に在籍

(中略)

リストラの考え方は非常に単純だ。要は

・給料が高過ぎる、稼げない

・どこからも呼ばれない

の2つが、基準になっていることが圧倒的に多い。特に致命的なのが「どこも欲しがらない、呼ばれない」であるように感じる。

 

 

会社に依存しないで働く人は実在する

ここまで読んで、どう思うだろうか。

「随分働きにくい世の中になったな。」

あなたがもし、古き良き昭和の企業戦士をロールモデルとしているならば、その感想はおそらく正解である。

ホワイトカラーはすべてフリーランスのように働く。「フリーランス型社会」の到来

新しい稼ぎ方、仕事の仕方を模索している方々がいる。彼らに共通するのは、以下のような行動である。

1.企業ではたらく目的は、「経験をつける」ことと「人脈を作る」ことの2つとする

2.副業する

3.発信する

4.社外でプロジェクトを組む

(中略)

以上のこと考えると、これはある働き方に似ている。

それは「フリーランス」である。アメリカではすでに4人に1人がフリーランスとして働いているという。

組織内であっても外部であっても「成果」を求められることには変わりない。そして、自分を発信し、売り込み、様々な組織の人とプロジェクトを作る。

これは、サラリーマンがフリーランスのように働く、「フリーランス型社会」の到来である。

私たちが昭和の余韻に浸っているうちに、世界は刻々と変わっていたのだ。

 

新しい時代を、どう生きるのか。

みんながみんな新しい働き方を選ぶ必要はない。それが唯一の正解とも言っていない。

ただ、新しい時代の到来を事実として真摯に受け止め、変化に対応しながら生きている人が実際存在する。

要は「時代は変わった」という事実を、私たちがどう受け止めるのかという話である。新しい働き方がカッコいいとか、偉いとかの問題じゃない。生き方に対するスタンスの問題である。

 

 

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(photo by Fabrizio Lonzini

サッカー日本代表選手の評価がおかしい。そして同じダメさを日本の会社組織にも感じる。

今月1日にW杯アジア最終予選がスタートし日本代表は2戦をして11敗。結果以上にまずい状況になっている。

試合内容に関しても言いたいことはたくさんあるが、今回はそこから感じてしまう日本のダメさについて書こうと思う。

 

まず言いたいことは、「変化することをなぜそんなにも嫌がるのか。」

代表戦に対する意見を見ても、批判されるのは若手ばかり。本当にこの2試合の責任は若手なのか。むしろそのミスをリカバリーできないベテランが叩かれるべきではないのだろうか。

結果的にもうあの若手は使わないほうがいい、あいつのせいで負けたんだとか。ばかばかしすぎて何も言えない。

 

これは日本人特有なのだろうか。例えばアルゼンチンが負ければメッシがダメだ。ブラジルが負ければネイマールのせいだ。など、海外ではエースが叩かれるのは当たり前だ。それが一流としての宿命でもある。

なのにこれから日本サッカー界を引っ張っていくであろう若手のミスばかり文句を言うのは、本当にどうかしてるとしか思えない。

 

これは日本企業におきかえて話をしても、同じことがおきているのではないだろうか。

若手が結果を出す事で自分の立場が脅かされると考える上司、自分のルールで部下をコントロールする上司、部下に好かれるため優しくする上司。

その一方で、

言われたことしかやらない部下。自分の意見を言わない部下。飲み会で上司の愚痴ばかりいう部下。働いている企業がダメとわかっているのに転職しない部下。

普通に考えて、やばい状況である。人は何かに縛られるものだ。

でも誰が今の会社で働けと言ってるのだろう。それは自分自身が勝手に思っていることではないのか。

 

でもそういう人達が代表戦の批判をしている。しかも若手に対して。もちろん、若手であろうと代表の試合にでるってことは結果が必要だし、結果を出さないことにはスタメン起用はない。

でもよく考えてほしい。なぜ本田や香川、長谷部はミスをしているのにスタメンで起用されるているのだろうか。もちろん彼らにはこれまでの結果があるからだろう。

でも若手を批判するように、この試合だけを見るなら批判する相手はむしろ海外組であるべきだ。

今回のW杯アジア最終予選突破だけを考えれば海外組を起用したほうがいい。でもそれを続けることに日本サッカー界の未来はあるのだろうか。

 

企業においてもそうだ。目先の売上だけ考えてはいないだろうか。10年後の未来を本気で描けてるのだろうか。

改めになるが、変化にすることを嫌がってはいけない。日本サッカー界も15歳でJ契約をした久保をはじめ、明るいニュースがある。

この2試合で起用された若手もそうだ。浅野はゴールという結果をだしている。彼らが今の海外組からスタメンを獲得することが本当の意味での日本の成長に繋がっていくはずだ。

仕事においても、若手が活躍するのはいいことだし、これから日本を作るのは若手だ。だからこそ上司はしっかりと部下と向き合いときには厳しくする必要はある。それが上司としての役目であるからだ。ただ、それが感情的な物では意味がない。

 

最後になるが、著者は小学生からずっとサッカーをしている。そして今でもサッカーに対する想いは強い。だからこそ、代表の若手選手のミスに文句を言う人の理解ができない。

 

上司がそんな人だったら私はすぐにその会社を辞めるだろう。はっきり言って無駄でしかないからだ。若手のミスを笑うような組織には、価値がない。

 

(書き手:いのうえまさる)

悪の秘密結社はどうして失敗した部下を粛正してしまうのか。

先に断っておきますが、くだらない話です。

 

特撮ヒーローものの話から始まります。

長男、9歳。幼少時から「特撮ヒーローよりはドラえもんやポケモン、妖怪ウォッチ」といった嗜好で育った長男は、最近はあまり戦隊ものや仮面ライダーを見ませんが、以前は時折ゴーバスターやゴーカイジャー、仮面ライダー凱武などをみることがありました。仮面ライダーウィザードのおもちゃも自宅にあります。

 

私も子どもの頃、「宇宙刑事シャイダー」や「宇宙刑事シャリバン」を見ていた記憶があります。

いや、正確に言うと記憶自体は全くないんですが、親の話によると「大きくなったらうちゅうけいじになりたい!」と主張していたらしい(幼稚園の文集にもその記載が見られる)ので、恐らくシャリバン辺りは視聴していたものだと推測されます。

残念ながら宇宙刑事にはなれませんでしたが。どこで募集してるんでしょう、宇宙刑事。中途採用とかはしてるんでしょうか。

 

直近の戦隊ものがどうなっているのかは観測出来ていないんですが、少なくともゼロ年代以前の特撮ヒーローものについて言えば、シリーズにつきもの、欠くべからざる存在が「悪の秘密結社」や「闇の宇宙帝国」でした。

敵方が群雄割拠しているケースは多数派ではなく、多くの場合一つの統一組織があり、それが確固たる悪役になってくれていたわけです。

 

フラッシュマンであれば改造実験帝国メス。ギャバンであれば宇宙犯罪組織マクー。シャリバンであれば宇宙犯罪組織マドー。平成ライダーはまた色々複雑になってますが、以前のライダーなら勿論ショッカーやゲルショッカー、デストロンなんかがその代表格でしょう。

 

彼らは、恐るべき策謀をめぐらしては主人公たちに粉砕されたり、変身怪人が現れては主人公たちに粉砕されたり、幹部が現れては主人公たちに粉砕されたりします。途中までは企みが上手くいったり、大きな被害を出したりすることもありますが、まあ最終的には律儀に粉砕されるものと考えて大筋問題はないでしょう。粉砕・オン・ザ・スイング。粉砕のバーゲンセールです。

 

で。

別に特撮ヒーローものに限らないんですが、多くの場合、悪の秘密結社の首領や幹部は非常に冷酷なものとして描写されておりまして、その冷酷さは主人公サイドだけではなく、しばしば身内にも向けられます。彼らは「失敗した部下」に対して厳しく、「お、お許しを…」とか命乞いしている部下を、「無能ものめ!!」とかいいながら処断してしまう場面はしばしば描写されます。

例えば、部下の獣人を情け容赦なく処刑する十面鬼ゴルゴス。同じく、「クライムに失敗は許されない」を忠実に実行するアイアンクロー。歯車大王や電気大王をあっさり切り捨ててしまう機械神。

 

彼らは非常にカジュアルに部下を処刑します。処刑オンザロック。時には、謁見室に手元のボタンだけで開ける処刑用の落とし穴まで用意しているという、充実した処刑インフラっぷりです。

部下のマネジメントまできちんと考えるバビル二世のヨミ様とか、失敗も三度までは許すダイの大冒険のバーン様、定期的に裏切るスタースクリームを毎回見逃してやるメガトロンなど、一部には例外もありますが、彼らのような寛大な上司は全体としては少数派であるように思います。「身内に対しても冷酷」というのは、分かりやすい悪役を描く際にも便利な属性の一つなのでしょう。

 

が。もしも私が悪のコンサルとして悪の組織に招聘されたら、是非提言したいことなのですが、「失敗した部下をすぐ処刑」というのは決して上手い手とはいえません。というか、むしろ組織運営の観点からは非常にまずい手です。

その最大のデメリットは、「失敗によるナレッジが共有されないこと」です。

 

基本的に、人材は「成功体験よりもむしろ失敗体験から育つ」ものです。失敗から学べることは山ほどあります。

 

・「何故失敗したか」ということによって、今後そのリスクをどう避けるかを学ぶことが出来る。
・失敗を最小限にとどめる方法を考えることによって、リスク管理の能力を高めることが出来る。
・失敗から状態を立て直すことによって精神的タフネスが向上する。
・失敗後、撤退戦を指揮することによって「状況の収束のさせ方」を学ぶことが出来る。

 

その他諸々、盛りだくさん。成功体験から学べることなんて、せいぜい「そういうやり方で上手くいくこともあった」くらいのものであって、時として成長を停滞させてしまうことすらあります。失敗体験こそが人を育てる。失敗体験は貴重なナレッジなのです。

 

勿論、「ただ失敗しただけ」で、そこから学ぶことが出来なければなんの意味もありません。だからこそ、失敗した部下こそ、それ以上の成功をおさめる様マネジメントしなくてはいけない。

百歩譲って粛正するのはやむを得ないとしても、最低限「失敗した体験によるナレッジ」をレポートとして残す手段は講じなくてはいけないわけです。であれば、にっこり笑って「さ、失敗した体験のレポート書こうか!」とでも言って、レポート共有の一つもさせないといけない。

悪の組織の怪人連中なんて、ただでさえヒーローにその場でさくっと粉砕されてしまうことが多いわけで、生きて帰るケースなんてそんなに多くはありません。「戦って、生きて帰ってくる」というだけでも物凄い貴重な人材なわけです。

「ちみ処刑ね」と言って脊髄反射ボッシュートなど、対応としては下の下の下。そんなことしてるから勝てないんだよこの馬鹿、と言いたくなる、犯罪的なマネジメント錯誤だと言ってしまってもいいでしょう。

 

この記事を読んでいる悪の組織の首領各位には、是非「失敗ナレッジを活かす方法」を考えて頂きたい次第であります。まずは組織内ワークショップを開いて、失敗した部下を講師として招聘することをお勧めしたいところです。処刑はその後で。

一応まとめておくと、

 

・失敗した部下は貴重な人材であり、スナック感覚で処刑するのは良策とはいえない
・処刑するにしても最低限失敗レポートくらいは書かせて失敗ナレッジの共有を行うべき
・バーン様の魔王っぷりは偉大
・ただ、流石にスタースクリームくらいは処刑しておいてもバチは当たらないような気はします
・まったくこのスタースクリームめ!じゃねえよツンデレかよ

 

という、どうでもいい結論が導き出せるわけです。よかったですね。

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて
書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

医学部の入試面接における志望理由と、現場の現実の乖離について。

医学部入試では面接がある。その時に間違いなく聞かれるのが

「あなたの医学部志望理由をきかせてください」だ。

 

はじめに言っておくと、基本的には面接で合否が動くことはまずない。

さすがに自己紹介をしてくださいと言われて、ジブリ作品について熱心に語り始めたりしたり、いきなり泣き始めたりしたら落ちるかもしれないが、多少どもって「ぼぼぼ僕は・・・」と言ってしまってもまあ落ちないと思う。基本的には日本の大学入試はかなり公平に選別されている。

ただこの面接、傾向と対策がイマイチとれておらず、また試験官の本音が見えにくいので、受験生としては結構困るのも事実である。

どう答えればよいのか、医療現場の現実を踏まえたうえで、お伝えしたい。

 

医療現場の現実

医者の仕事というと、診察して人を治療する事だと普通は思うだろう。まあ大筋としては間違っていない。となると、いわゆる「患者さんの為に命を燃やしたい」みたいなキャラが好かれそうだなーと思う人が多いと思う。

 

ただまあ実際問題、そういう使命感で仕事を全うできている人は少ない。2016年現在、人はそもそもあまり重い病気にならないからだ。

重い病気になって病院にかかるのは、不幸にもよくない遺伝子を引き継いでしまった人か、不幸にも事故にあってしまった人。それか三食ファーストフードみたいな劣悪な生活習慣を長年続けた人か、あるいは長年生き続けて脳も肉体もボロボロになった後期高齢者ぐらいである。

 

そして、テレビでは患者と医者のアツいドラマが流されるが、そういう心温まるようなハートフルストーリーは現場では極めて稀だ。

更に言えば、基本的には、医療現場の8割はどちらかというと、社会的に、収入的にあまり恵まれなかった人達への社会的保障という側面が非常に強い。

 

こういう事をいうと怒り出す人もいるかもしれないが、健康なあなた、そもそも病院に入院したことがあるだろうか。健康で恵まれた人は、病院とは基本的には無縁の生活をおくることがそのことからも十分わかるだろう。

 

つまり普通の人が想定する人をみる医者(業界用語では臨床医という)は、基本的には上に書いたような人をケアするのが仕事だ。

そして残念ながらというかそういう人の事を、基本的には心の底から愛してケアを行うような人は物凄く少ない。

もちろんそんな人もいない事はない。だけどそういう人にキチンと心の底から対面して向き合うとこの世の虚しさから、殆どの人は心を病んでしまう。

 

”残念なことに恵まれなかった人達”を相手に仕事をしたくないのであれば、別の道がある。

ドクターズ・ドクターと言われている麻酔科医・放射線科医・病理医、といわれている人達は、医者から相談をうける立場の存在であり、この3つのどれかになれば、仕事相手が患者じゃなく医者になる。

そしてドクターズ・ドクター志願者は基本的にはあまり多くないので、志願すれば簡単になれる。

 

 

志望動機は何でもよい

つまり医者に仕事にも色いろある。だからあなたにコミュ力があろうがなかろうが、医者になるのに何にも困らない。

だから医学部志望理由を聞かれた時に困ったら

「人の体の神秘に惹かれ、また自分で実際に人を治療できる事に憧れを感じた」

とでも答えればいいし、もし仮に面接官に「じゃあなんで実験にいかなかったの?」と言われたら「実験は実臨床ではなく、あくまで理論でしか無い。

「自分は理論よりも、実地で人を治す現場で仕事を行う事に強くやりがいを感じた」とでもいえばいい。それで納得しない面接官はいないはずだ。

 

また言語聴覚士、看護師、薬剤師など、現場で人の治療にかかわれるのは医者だけではない。

だからもし仮にあなたが面接官から「なんで医者なの?現場で働ける職種は他にも沢山あるよ?」という意地悪な質問をうけるかもしれない。

ただこれを問う試験管も、受験生時代はこの違いがわかってなかったと思うのに、これを問う時点でやや性格が悪いといえば悪いのだが、まあ試験官が問いたくなる気持ちはわからないでもない。

 

一応簡単に医療の流れを説明すると、実臨床の場では医療は3つの役割にわけられる。

 

1つ目は診断。これは病名を明らかにする立場だ。これは基本的には医者の判断により行われる(他職種もやれないことはないが、最終的に責任を負うのは医者の仕事だ)

2つ目は治療。薬を処方したり、手術を行ったり。これも基本的には医者の仕事だ。これは場合によっては人体を著しく損ねる危険性があるので、医者の責任において行われるのが適切だろう。

3つ目が維持。当たり前だけど診断・治療が適切に行われたからといって、病気はすぐには治らない。手術を行った後は、傷口がふさがるまできちんとした管理を行う必要があるし、交通事故とかで骨を折ってしまったら、その後適切にリハビリを行わなくてはいけない。後期高齢者になってボケてしまったら、介護の世話をうけなくてはいけない。

 

医療というのは上記3つで行われる。上の2つは医者の裁量が非常に大きいのに対して、最後の維持はコメディカルによる側面が非常に大きい。

そして適切な維持の為の指示を出すのは医者であり、何が必要かを判断するのはコメディカルの仕事ではない。もちろんコメディカルだって医者に意見は言えるけど。

だから冒頭の質問にはこう答えればいい。

「自分は、患者の病気を診断し、治療の判断をするという重大な責任を負う仕事に興味があるから医者を志願しました。その他の職種でも医療に携わる事はできると思いますが、診断・治療といった責任ある仕事をするのは、医者しかできない事なので」

 

 

色々書いたけど、繰り返すけど面接はあんまし重要ではない

まあ一応中の人として誠実に回答したけど、面接はそこまで重要な事ではない。

例えばとある医学部の試験会場で、筆者の隣にいた受験生は「なぜ医学部を目指したのか?」という質問に対して

「父親が医者で、その仕事っぷりに憧れたから」

と回答していた。それで試験管は全然納得していた(なおこの受験生はその後に筆者と同級生となった)医学部入学後にも複数人の教員に話を聞いたが「身内に医療関係者がいる人は医者の仕事がどういうものかわかっているから、就労後もやりやすい」というような事をいっていた。まあつまり、志望理由なんてどうとでもなるのだ。

 

ただまあ実際問題、医者の仕事にも色々ある。

患者と向き合う職業もあれば、向き合わなくてもいい職業もある。一番大切なのは、医学に興味があるというただ1点だろう。医学が面白そうだと思ったら、そこまで難しいことを考えずに医学部をぜひ志願して欲しい。

仕事としてやりがいがあるのは間違いない。それだけは断言しよう。

 

 

【プロフィール】

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著者名:高須賀 

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

なぜ「それ聞いてどーすんの?」と学生が思ってしまうような質問が、面接でされてしまうのだろうか?

先日、何名かの学生と話をした時に、就職活動の話となった。

「いい経験だった」と話す学生がいる一方で、「理不尽なことが多く、虚しくなった」と語る学生も多かった。

 

そんな中、1つ盛り上がった話題が「面接でされた質問」だ。学生からすると「そんなこと聞いてどーすんの?」という疑問しか起きない質問も多数あったという。

聞くと、たしかにそういった部分もあるので、いくつかご紹介する。

 

ウチの仕事はけっこう残業もありますけど……大丈夫ですか?

・大丈夫、以外の回答ってあるのか?
・覚悟を決めてきなさい、っていう警告なのかと思った。質問じゃないよね。
・残業が嫌な人は来るな、っていう意味ととったけど、面接で聞く必要はないよね。説明会の資料にいれてくれれば。

 

内定を出したら、ウチに来ていただけますか?

・行きます、って答えるしかないw
・この面接官が何を考えているのか知りたい。行かないっていう回答を聞いたことがあるのだろうか。
・内定出してもらったら考えます、って言いたい。

 

あなたの短所は?

・短所をそのまま答えて欲しいのか、美辞麗句を並べる能力を知りたいのか、全く意味のわからない質問。
・短所を聞かれて一度「怠け者で、めちゃくちゃ時間にルーズで、集団で動けないところです」って答えたw

 

ウチの会社について、どう思いますか?

・この質問、曖昧で何を答えたら良いのかわからないんだよね。もっと具体的に質問しなさい、って教わらなかったのかね。
・基本、この質問をされたら、「ああ、褒められたいんですね」って理解してる。

 

なぜウチなんですか?

・その通り。内定くれるなら他でも全く問題なし
・この建前を聞く質問、どうにかして欲しい。「御社は私が受けている数ある起業のウチの一社であり、特に御社に絞って就活しているわけではございません」と言いたい。

 

5年後(将来)どうなっていたいですか?

・これも結構意味不明。「起業したい」とか「自分でアプリ作って出したい」とか言っちゃいけないんだろうし。
・逆質問したら、面接官も答えられなかった。自分で答えられない質問を学生にするなよw

 

嫌な仕事でも黙って続けられますか?

・嫌な仕事を振ります、って予告を面接でしてもしかたがないと思うんだけど。
・これも「続けられない」っていう返事を返す人いないと思うんだけど
・嫌な会社のない仕事って、無いでしょう。Yes一択の質問をして、何を見ているのか。

 

当社のビジョンについて、共感したポイントをおしえてください。

・この質問、複数の会社で聞かれたんだけど「世のため人のために」みたいな普通のビジョンなので、「はあ。当然ですよね」くらいにしか感じないんだけど。
・「そんな良いビジョンとは思えないのであまり共感しませんでした」って言っちゃいけないし、仮にうまく答えられたとしても入っちゃいけないよね。

 

 

話を聞いていくと、面接官の質問の力量に結構ばらつきがあり、スキルの低い面接官も多いのだな、と感じた。学生は、ちゃんとそれを見抜いている。

基本的に面接官は現場の人間であり、面接に関しては「素人」だ。その弊害が出ているとみられる。

 

さて、それでは面接官はどういった質問をすべきなのだろうか?上のような質問はほんとうに意味が無いのだろうか?

 

結論としては、上のような質問はおそらく意味がない。

例えばGoogleの統計的な研究で*1、次のことがわかっている。

 

1.面接の上手い人はほとんどいない。複数名で面接し多面的に評価しなければダメ。

2.面接官は確証バイアス(思い込み)の影響で、最初の10秒に受けた印象を証明するために面接の殆どの時間を使っている。つまり、最初の10秒の印象が「不採用」ならば、残りの時間を「不採用の理由」を探すために使っている。

3.職務能力を測るのに良いのは構造的面接である。

 

「構造的面接」とは

・行動面接

〜した時のことを話してください。(実績に基づく質問)

・状況面接

もし〜のような状況となったら、どのような行動を取りますか?(ケーススタディ)

の2種類の質問からなる面接だ。

 

これの特徴は、「思います」や「感じました」ではなく、「どう行動した(する)」という基準に基づいて成される面接だということだ。

 

上に挙げた学生が「それ聞いてどうすんの?」と思っている質問は、「学生がどういう人物なのか」を見る質問ではなく、「うちの会社はこういう会社だけど、大丈夫?」と聞かれているものが多い。

だから、殆どの面接の現場では「面接」というよりも「印象にもとづく、意思確認」のようなものが行われていると見て良いだろう。

 

採用は大きなお金が動いているにも関わらず、まだまだ「生産性が低い仕事の1つ」といえる。

 

 

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Ma LiEs

*1

もしジョブズが生きていたら… iPhone7の発表はこうなっていた

スティーブジョブズは生きている。オレの脳内で。

  

 

ほんとはもう「iPhone」って名前を捨てたいんだよね。皆これを電話って思ってるかな。

iPhoneを発表したした時、「スマートフォン」という名前とそれにカテゴライズされた製品はあったんだけど、世界のどこにもスマートなフォンなんてなかった。(※1)

だからiPhoneは発表したその瞬間から世界唯一のスマートなフォンであることは間違いなかったんだ。

iPhoneと名付けたのは、少なとくも「電話(Phone) 」と言わないと、人々に「iPhone 」を理解してもらえないことを知っていたからさ。以前iPodの新製品発表時に失敗した経験があったからね。(※2)

ヘンリーフォードの有名な言葉に「もし顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう。」ってあるんだけどさ、

でも、例えばその皆が期待している「速い馬」を突如なくすことはできないんだ。多くの人が理解できるのは、ほんの少しだけ先の未来なんだ。

だから「iPhone 」と名付けて、人々に少しだけ未来を提示したのさ。それは大成功だった。発売する前から、大反響さ。もの凄い「電話(Phone)」が出たってね。あっという間に世界にその名が広まった。

でもさ、これは将来「電話(Phone) 」として紹介されるかな?

世界中の誰もが簡単に使えるようになったコンピューター」って説明されるんじゃないかな。例えば100年後のwikipediaとかにさ。

まあいいや、今はティムやアイブにすべて任せてるからさ。アイツらが今後考えてるくれるさ。

 

 

じゃ、はじめよう。とにかくまあ「iPhone7」なんだ。ここまでくるのに9年。来年で10年だ。

「あっと言う間」だなんて言いたくないな。

アップルに集まってくれた世界最高のエンジニアとデザイナーたちがつくりあげたんだ。簡単なことじゃない。それは本当に本当に本当に凄い事なんだ。奇跡と言ってもいい。

アップルの小型デバイスがiPodから始まったとすると、それは2001年発売だからもう16年も経つ。

あの時はトランプカード1組分の大きさで、好きな曲が全部持ち歩けるってだけでゾクゾクしたものさ。ボブディランの後にビートルズ、U2聞いてまたボブディランに戻ってくる。

今では当たり前だけど、当時はそんなことすら自由にできなかったんだよ。音楽の聴き方を根本的に変えたよね。

やがてiPodは5種類最大7世代まで進化し、その機能はiPhoneへと統合されていった。そしてそのiPhoneもこれで7世代目14個めの新製品だ。(※3)

それがiPhone7だ。

今回のiPhone7には大きく分けると3つの大きな進化がある。これから説明しよう。

 

まず1つ目。

防塵防水になった。まあでも驚きはないよね。だってオレたちをまるパクりしてはじまったサムスンやソニーのスマホはすでに実現しているし。

もちろんアップルにとってもそれは決して難しい技術ではなかったんだけど、できない理由があったんだ。

もう何年も前からこれができることはわかっていた。アップルが開発した素晴らしい技術の一つであるLightningコネクタがあったからね。イヤフォンジャックをそれに置き換えれば、より簡単にできたわけだし。

だからこれに関しては、決して技術的な問題でできなかったわけではなかったんだ。

それよりもユーザー側の問題さ。だってイヤフォンジャックなくすって言ったら、文句言う奴でてくるだろ。アイツとかがさ。(※4)

medium_01_sanfrancisco(ジョブズの盟友ウォズニアック photos by Alan Luckow

でも、今回ついにイヤフォンジャックをなくした。そのメリットはとても大きい。こんなに薄くなったiPhoneでそれを廃止することでできるスペースはとてつもなく大きいものさ。

結果的にバッテリーやカメラ性能のアップにつながった。ホームボタンもソリッドステートボタンに一新することができた。中にTaptic Engineと呼ばれるものが組み込まれて、押す強さによって様々な振動で反応を返してくれるんだ。

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とても自然な使い心地さ。

ちなみにLightningコネクタ用のイヤフォンジャックケーブルは無料でつけてるよ。

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ウォズこれでいいかい?

medium_09_wozPhotos by Alan Luckow

 

さて冗談はここまで。イヤフォンジャックをなくしたもっとも大きな理由は別のところにある。

『AirPods』。見ての通りワイヤレスのイヤフォンだ。これが最高なんだ。

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これはタダのワイヤレスイヤフォンではない。なんせ最新のW1チップと呼ばれるプロセッサを詰め込んでるんだからね。

音楽を聴く、電話をとる、もちろんこれにはマイクもついていてSiriとの会話もできる。当然だけど、今までできたことはすべてできる。

じゃ何が変わったって?

よく見なよ。あ、見えない?そう、見えないことがすべてを物語っている

有線コードもなくなったけど、俺が大嫌いなボタンが一切なくなったんだ

どうするかって?もうみんなわかってるだろ、アップルのやり方。

例えば、音楽を聞きたかったら、まず耳にAirPodsを装着する。そうすると自動的にスイッチが入る。

そしてAirPodsのこの部分をダブルタップする。するとSiriが起動する。

『プレイリストの音楽を再生』と話せば、音楽が再生されるんだ。超簡単。

もちろん、電話がかかってきた時だって、再びAirPodsをダブルタップすればそのまま出られる。

しかも、極めて正確に自分の声を拾ってくれるんだ。デュアルビームフォーミングマイクロフォンと言ってノイズを取り除いてくれた上で相手に声を届けてくれる。

最高だろ。ついにはあの白いイヤフォンすら進化させたよ。

ちなみにこれはiPhone7だけでなくiPhone5以降はすべて使えるよ。10月から発売。

2つ目。

Apple Payについて。日本で使えるようになるんだ。

日本は特別なんだ。俺もよく京都には旅行で行くんだけど、日本では電車がもの凄く発達していて、そして驚くべきことにそれが全国どこにいてもびっくりするくらい時間に正確なんだ。新幹線なんか1秒もズレない。クレイジーだよ。

で、日本にはSuicaという簡単にチャージができるICカードがあって、日本人のほとんどがそれを使ってるんだ。それを駅の改札でかざすだけでノーストレスで通り抜けられる。ものすごく便利なんだ。

東京なんかあのクソ混雑するニューヨーク並みに人が多いんだけど、たくさんの人が改札で一斉に通ってもそのICカードが一瞬で反応するから本当にスムーズなんだ。

日本はこれが10年以上前から採用されていて、このおかげで駅の入口の混雑や機械トラブルが激減したと言われてるんだよ。

今では、電車だけでなくてバスでも使えるし、至るところで使えるんだ。自動販売機でも使えるんだけど、知ってるかな日本って、街なかにいると角を曲がるごとに自動販売機があるんだよ。逆に山の中でも景観無視して平気で置いてあったりもする。富士山を登っている時にも何台も見たな。

まあ、とにかくだからこそ日本でApple Payを採用しない手はないと思っていたんだ。

だけど今まで問題があったんだ。実は日本のそのICカード規格は、Apple Payが採用していて現在世界標準となっているNFC Type-A/Bでじゃなくて、ソニーが開発したFeliCaっていう技術がベースになっているんだ。

FeliCaはType-A/Bよりも処理速度が断然早くて、間違いなく世界一の素晴らしい技術なんだけど、残念なことに日本でしか使われていない技術なんだ。そういう技術は日本にはたくさんあって、日本人たちは自戒と敬意を込めて、こう言うそうだ『ガラパゴス化』。

まあ、そのガラパゴス化された技術の一つがFeliCaだったんだけど、iPhone7のApple Payにそれを組み込んだんだ。だからiPhone7は日本ではとても便利なものになるよ。

日本のみなさん楽しみにしていてね。俺もまた京都に旅行に行く時は楽しみだな。

 

 

3つ目

最後にカメラについてだ。今回も最高のカメラができた。ご存知の通りiPhoneにはすでに最高のカメラがついている。

プロカメラマンから一般の人まで、誰もが簡単にアーティスティックな写真や動画が撮れる。

そして今回もさらにそれが大幅に進化した。特にiPhone7plusは凄いんだ。

カメラが2つある。1つは望遠レンズ、もう1つは広角レンズなんだ、そしてその隣には4つのLED搭載のフラッシュもついている。これらの組み合わせで、高画質ってだけじゃない、質感のあるハイクオリティーな写真、動画が撮れる。

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光学ズーム2倍、デジタルズームは最大10倍、もちろん光学式手ぶれ補正もついている。絶滅寸前のコンパクトカメラ業界は完全に置き去り。もはやライバルは一眼レフさ。

撮った写真や動画を見るディスプレイも一層ゴージャスに進化した。新しいRetina HDディスプレイとなった。

25%も明るくなりかつデジタル映画業界とほぼ同等のP3広色域。これ以上ないくらいの綺麗さ。

さらに音声も進化、イヤフォンをはずしてもステレオ対応。

そして、それらを支えるプロセッサも強力だ。A10 Fusionチップに進化。

なんでFusionって言うかというと、これには4つのチップが搭載されていて、そのうち2つは高性能コア。iPhone6の約2倍の速さだ。残り2つは高効率コア。それは高性能コアの5分の1の電力で動くんだ。

つまり高性能で高効率を両立してるってわけさ。魔法のようだ。

大きさは6と全く同じ。色は5色のラインナップ。従来のSilver、Gold、Rose Goldに新たに2色のブラックが加わった。高光沢のJet Blackとマット仕上げのBlack。どちらも最高の仕上がりになっている。

こういうのアイブが大好きだからね。これはアイブに説明してもらおうか。

とにかくクール。ビル(ゲイツ)には、絶対にできない。未だにコンピューターをクールなものにできるのは俺たちAppleだけさ。

史上最高のiPhoneであるiPhone7。これ以上のものはない。あるとしたらAppleの未来にしかない。

9月16日世界同時発売。

 

 

あ、そうだ忘れてた。もう一つ。最後に日本の京都にまつわることなんだけど。

京都に、とてもリスペクトしている会社があるんだ。それはもの凄い会社なんだ。

ディズニーやうちのピクサーとも十分はりあえる会社って言えばわかるかな。ここにいる全員が知っていると思うよ。世界中のみんなが大好き。俺の子供たちも夢中になってた。

そう「任天堂」さ。

そこの社長だった岩田さんって人と昨年知り合いになってさ。任天堂もアップルも、コントロールデバイスにとても拘りがあって、それによって会社を成長させてきたって歴史もお互い似てるしね。あっとういう間に意気投合したんだ。(※5)

それで、iPhoneでマリオ出さないかって相談したんだ。

そうしたら、岩田さんがぜひやりましょうって快諾してくれて、

「スーパーマリオラン」というゲームをリリースすることになった。

宮本さんという伝説的な天才クリエイター、伝説的って言ってもそっちはまだ生きてるんだけど、iPhoneのために一からつくってくれたiOSだけでリリースされるマリオのゲームなんだ。グローバルに展開する任天堂初のゲームさ。それがマリオだなんて、とても光栄だよ。

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宮本さんありがとう。

というわけで、今回の発表はこれがすべて。どうだい楽しめたかい。ありがとう。また来るよ。

(終わり)

 

オレのスティーブシリーズ

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注釈

(※1)初代iPhone発表時のプレゼン(2007年1月9日)で、現状のスマートフォンを強烈に皮肉った。

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(※2)初代iPod発表時、その名前のわかりにくさと音楽を聴くだけという単純さと相まって、ジョブズが思ったほど注目を集めることができなかった。

 

(※3)発売された全種類のiPhone→iPhone, iPhone3G, iPhone3GS, iPhone4, iPhone4S, iPhone5, iPhone5S, iPhone5C, iPhone6&6plus, iPhone6S&6Splus, iPhoneSE

(※4)Apple創業者ウォズニアック氏、iPhone7のイヤホンジャック消失に否定的(iPhone Mania 2016/8/24)

(※5)岩田聡元任天堂社長(2015年没)

 

小心者のエンジニアがイケイケベンチャーを起業したらこうなった

みなさん、はじめまして。

トップフラワーデザイナーにお花のオーダーメイドができるwebサイトを運営している、株式会社Sakaseruの広報部です。

今日からこの場を借りて、会社の活動をみなさんにお伝えさせていただくことになりました。広報部と言っても社員は私一人です。広報するのは私、代表の小尾がやらせていただきます。「おび」と読みます。

 

僕は、面白いことが全然言えません

ここで広報している他の会社さんは、みんなめちゃくちゃキャラが立ってて面白いですよね。僕なんて何も特徴がないので、この企画大丈夫かな、って正直めちゃめちゃ不安です。

でも一生懸命お伝えしていきますので、どうぞよろしくお願いします。

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自己紹介の前に

いきなりですが、大事なことを1つだけ先に言わせてください。

 

「社員は私一人」と書きましたが、Sakaseruは多くの方の協力で成り立っています。決して自分一人ではここまで来られませんでした。

これから毎週、Sakaseruの活動やお花の豆知識、り方、フラワーアレンジメントの情報などをお伝えできればと思っていますが、その裏にはたくさんの人の努力や想いがあります。決して僕一人だけの力ではありません。

 

・・・。

ほら、早速面白くないですよね。初対面なのに突然松岡修造みたいに熱っぽいことを、一方的に言ってしまいました。すいません。

 

 

ギークとナードに囲まれて育った新人時代

お花のオーダーメイドができるwebサービスを提供していますが、ご覧の通り(?)私自身はお花屋さんではありません。

元々はITベンチャーで会社員をしていました。小さい頃からゲームが好きだったので、ある日自分でもゲームを作ってみました。すると、友達がすごい喜んでくれた。それが嬉しくて「自分の生きる道はこれだ」と思ってエンジニアになりました。

 

いくつかの会社を転々としたのですが、今思えば最初に入社した会社が社会人としての土台を作ってくれたと思います。

 

今では結構大きな会社になったのですが、僕が入社した当時はまだまだ少数精鋭のスタートアップ。スーパーギークとナード(※1)しかおらず、優れたコードを書かない人は周りのエンジニアから評価されない厳しい環境でした。

 

入社前はそれなりに実力があると思っていた私も、すぐに井の中の蛙だったと気づきました。

先輩のレベルは全然次元が違いました。このレベルに達しなかったら自分の居場所がなくなる。大変だとか、頑張ろうとか、いちいち反省している余裕すらない。とにかく先輩のコードを読む毎日です。

 

先輩たちは良い人なんですけど、いわゆるアキバ系です。お昼に姿を見かけないなと思ったら、メイドカフェで2時間過ごしてきた、みたいな。加えてナードなものですから、挨拶しても返事は返ってきません。質問しても答えてくれません。

 

でも、次の日の朝には「ハイ。」と言って、最適化されたコードを渡してくれます。僕が帰った後、先輩は自分だけ会社に残って、こっそり書いてくれていたんですね。言葉では説明できないけど、コードでなら答えらえるぞって感じで渡してきて。不器用だけどかっこいいなと思いました。

 

「なんとなく」で6万人の中から採用された

僕も他人の事はとやかく言えないくらい、コミュニケーションをとるのが苦手でした。

話すのが苦手だったので、面接には自己PRの代わりに自分で企画したゲームを持って行きました。ソースコードを全部紙に印刷して。

当時、自分を表現するものがコードしかない、これしかないと思ったんです。

 

そしたら無事に採用されました。後から知ったんですが、実は8名のポジションに6万人の応募があったらしいのです。10人いた面接官のうち、ある上司がなぜか僕をとても気に入ってくれて、内定をもらうことができました。

後で上司に「なんで僕を採用してくれたんですか」って聞いたら、「なんとなく」って

しかし「なんとなく」でも、僕はその上司がいなければその会社に入ることはできませんでした。そして、その会社に入っていなければ今の自分はなかったと思います。

 

それ以来僕は、何をするにもご縁が大切だと信じています。起業だって、縁と運があったからできたようなものでした。

 

歌舞伎町で出会った一軒のお花屋さん

さて、まだ面白いことが一つも言えていませんね。頑張ります。

 

ええっと、フリーランスのエンジニアとして独立したものの、最初は全然仕事がありませんでした。

ある日いつものように「仕事ありませんか」って声をかけていたら、一人の先輩が「歌舞伎町に面白い花屋がいるから会いに行ってみないか」って言ってくれました。

 

新宿・歌舞伎町…。

 

僕、歌舞伎町で遊ぶような感じではなかったので、最初はためらいました。でも、これもご縁だと思って向かうことに。

 

その日は午前中のアポだったんですけど、歌舞伎町に足を踏み入れた瞬間、目の前に顔面ピアスだらけのホストさんが倒れていました。逆側を見たら、腕中に傷跡がある女性がゴミ箱にもたれかかっていて…。

これ、まだ入り口の話です。

 

お店にたどり着くには、さらにラ○ホテル街を通らなくてはいけません。

一仕事終えた皆さんが、ホテルから続々とチェックアウトして出てきます。すれ違いざまに「お疲れ様です」と心の中でつぶやきながら、僕は僕で、仕事へ向かいました。

 

「ITとか全然知らないけど、何か改善できない?」

きらびやかなお店が並ぶ街の真ん中に、そのお花屋さんはありました。

このお店はお花を扱うだけでなく、店の中の工房でバルーンやシャンパンタワーなんかも作っています。

 

これ、公表していいのかわからないんですが、ホステス・ホストの方たちって、毎年数回誕生日があるって知ってますか?僕は知りませんでした。

誕生日にお客さんを呼んで、たくさんお金を落としてもらいたい。そのためにはどれだけ派手に演出できるかが勝負です。ライバルは同じお店で働く他の従業員。盛り上げるためにシャンパンタワーとか、バラの花束を飾ります。

 

そもそも花にも歌舞伎町にも縁がなかった僕がなぜ呼ばれたのかというと、

営業が頭打ちになっちゃった。ITとか全然知らないけど、何か改善できない?

というのが理由でした。

営業改善の実績なんてありませんでしたが、気づけば二つ返事で「とにかく営業の成績を上げるアプリを作ります!」と宣言していました。

 

華やかな世界の裏に、泥臭い営業活動がある

「ところで花屋の営業ってどうやってやるんだろう?」

まずは現場を知りたかったので、朝から晩までお店の方にぴったりついて、営業を見せてもらうことにしました。

・商談はノートとペン。

・連絡手段は電話とファックス

・そこら中に紙が貼ってあり、情報はすべて紙で管理

営業と工房の関係はあまり良くなさそう。

 

改善できそうな点がいくつか見えてきました。そこで、まず以下の3点から取り掛かることにしました。

 

・ホステス・ホストさんの名前の洗い出し

・ホステス・ホストさんの誕生日を記録

・ホステス・ホストさんごとの予算を把握 

 

要は顧客情報の管理です。どのホストさんが受注率が高いのか、どのタイミングで声をかけるのが最適か、代金は回収できるのか、できないのなら違うホストさんに時間を使うべきなのか・・・

これまで紙とともに捨ててしまっていた顧客情報を、きちんと残すことが重要だと考え、お店にあった顧客管理システムを3週間で作り上げました。

 

既存のパッケージシステムを使うこともできましたが、夜の商売には少し合わないところがあります。

 

例えば、歌舞伎町って1日が30時間あるんです。

夜の9時頃から街全体が元気になって、朝の6時頃まで続きます。ですから、普通のシステムみたいに24時で1日が区切られてしまうと、うまく管理できないんですね。

 

そんな風に、夜の街ならではの特殊事情を考慮して作ったシステムを、社長のトップダウンでお店の人に使ってもらいました。

慣れないITに最初は戸惑っていらっしゃいましたが、徐々に「このホストさんは来週誕生日だから、去年の予算金額をもとにこの商品を提案しよう」と、社員さん自ら提案するようになりました

 

お客さんを見える化したら、営業と工房が仲良くなった

また、営業と工房の仲が改善するという予期せぬ効果もありました。

それまで工房の人には、売上やお客さんの姿が見えていませんでした。極端に言えば、目の前のレンガをただ積んでいるだけの状態です。

 

しかし、お客さんの情報が可視化されることで

・なぜ自分たちがこの作業をする必要があるのか

・どのような商品を作ったら利益がいくら上がるのか

を考えて、目的を持って仕事に臨むようになりました。工房の人が営業の状況を理解するようになり、営業 vs 工房という構造もなくなっていきました。

結果的に、売り上げを2倍に伸ばすことができました。

 

すごく嬉しかった。

歌舞伎町も花屋も素人でしたが、その中で「自分ができることは何か」、「テクノロジーを使ってどこを改善できるのか」をものすごく考えました。必要だと思うことは全てやりました。

独立後、初めての大きな仕事で大変でしたが、実績のない私を依頼してくれたお花屋さんの社長、スタッフの皆さんが良い人ばかりだったので、頑張れたと思います。とても感謝しています。

 

・・・たくさん話してしまいましたが、面白かったでしょうか。心配です。

まだまだお伝えしたいことはあるのですが、今日は一旦この辺で終わりにしたいと思います。来週からもどうぞよろしくお願いします!

 

 

※1

ギーク(Geek):コンピュータやインターネットの関する深い知識を持ち、ネット上で多くの時間を過ごす人たちのこと。

ナード(Nerd)内向的で文化系、ある一定の専門知識が豊富な人たちのこと。日本のオタクに近い意味合いで使われる。

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株式会社Sakaseru (英名 Sakaseru,inc.)

所在地:〒101-0052 東京都千代田区神田小川町3-2 #1307

設立:2015 10 14

https://www.sakaseru.jp/

 

【お知らせ】Books&Appsでは、企業の広報活動を支援するサービスを行っています。ご興味のある方はこちらからご連絡ください。

 

“忙しくなければならない症候群” の人はいませんか?

“忙しくなければならない症候群”

ググってみても出てこなかった。既に誰かが言っていても不思議ではない言葉だが、そうでもないらしい。

これは文字通り、常に「忙しくなければならない」と思ってしまう人たちのことだ。575のリズムで言いやすいから私はこう呼んでいる。

 

忙しいことは素晴らしい。

忙しさは充実度の高さの表れである。

暇な時間があるなんて、もったいない。

そんな思いを持っている人たちが確かに存在する。

 

「何が悪いのか」と思うかもしれない。

そう、悪くはない。スケジュールがビッシリ埋まっていることに心から満足しているのなら、それは幸せなことだろうと思う。それに、充実した時間を過ごしたいという思いは多くの人が持っていると思う。

 それをあえて“症候群”と表現しているのは、“忙しくなければならない”というある種の強迫観念が心にあり、忙しくないと不安になってしまうからだ。

 

私も中学生の頃から患っている。高校生までは勉強していない時間が不安だった。家族や友人とのんびりお話する時間や、移動時間、電車の待ち時間が不安だった。食事に行って料理が出てくるまでの時間さえも不安だった。

「この時間に勉強しなくてもいいのだろうか」という不安が消えないのである。

 

大学生になり、この不安はなくなったような気がしていた。でも、それは幻想だった。好きなだけ眠ることができる幸せ、のんびりできる幸せを噛み締めていたのだが、不安な気持ちは消えていなかった。

「私はこんな時間の過ごし方をしていていいのだろうか」という不安が常に心の中にあって、消そうとしても消えないのである。

 なぜ自分だけこんなに不安な気持ちを抱き続けているのだろう、と思っていた。でも、自分だけではないことに気づいた。

 

それは、ある友人のスケジュールを聞いた時のことだ。

「忙しくて、数ヶ月先までスケジュールがビッシリ埋まっている」と友人は言った。

そしてそのあと「埋まっていないと不安になるから、あえてたくさん入れているんだ」と付け加えた。

 

当時(不安はありながらも)のんびりできる幸せを噛み締めていた私は「スケジュールがスカスカでのんびりできるのも幸せだよ」なんて言ってしまったが、実は心の中で友人に共感していた。「その感覚、わかる」と。

 

☆★☆★☆

 

そもそも、この症候群について書こうと思ったきっかけは、森博嗣さんの本『正直に語る100の講義』を読んだことにある。

59番目の講義のタイトルが「『お忙しいところ……』とよく言われるが、皮肉だろうか。」だった。

タイトルだけでも大枠は伝わるだろうが、印象的なところを引用する。

 どこへ行っても、向うは、「お忙しいところ、わざわざありがとうございます」と挨拶をしてくれるのだが、そこにいる誰よりも僕は暇なのだ。

 確かに社会人をやっていると、やたらと「お忙しいところ恐縮ですが」という言葉を耳にする。もちろん私も使っている。

相手が忙しいことは大前提であり、暇であることは想定していない。その上でこちらは恐縮する。そういうマナーなのだ。もちろんこの言葉に込められた意味は理解しているし、相手への心遣いが感じられるとも思っている。

ただ、毎回決まり文句のように使っている自分に、ふと疑問を抱くこともある。

 この挨拶の根拠としてあるのは、忙しいことは望ましい状況である、という観念だ。逆に言えば、「暇」は悪いイメージがつき纏う。

 しかし、僕は暇人なのだ。暇になることを選んだ。暇になりたくてなった。暇であることを誇りに思っている。また、他者を見ても、暇な人を羨ましく思うし、暇人を尊敬しているし、人間のあるべき姿だとも認識しているのである。こういった感覚が、珍しいということはわかっているけれど、しかし、間違っているとは思わない。

 私も暇でのんびりできる時間が幸せであることを知っている。森博嗣さんの言葉に共感しているはずである。

それなのに……

そう、“忙しくなければならない症候群”だから、暇な時間の「幸せ」には常に「不安」がくっついてきてしまう。

 

「好奇心が強いから刺激が足りないと満たされないだけ」

「充実感を追い求めているだけ」

と思いたいが、そうなのだろうか。向上心があるからかもしれないが、森博嗣さんが書いていたように、単に暇であることに対する悪いイメージが拭えていないだけなのかもしれない。頭では「そんなことない」と思っていても、一度染み付いたものを完全に拭い去ることは難しい。

社会人になった今でも、私は“忙しくなければならない症候群”だ。平日は不安な気持ちがないのに、土日祝日(休日)はのんびり過ごせる幸せを噛み締めつつ、不安な気持ちが膨らんでいくのを抑えられない。

 

私以外にも患者はいる。

よく効く薬は、どこかに売っていないだろうか。

 

☆★☆★☆

 

「そんなの、薬を飲まなくても大丈夫だよ」

 

えっ、そうなの?

 

「忙しくしていればいいんだよ。だって、忙しい状態なら不安にならないんでしょう?」

 

あっ、そうか。

 

治す(=のんびり過ごしても不安にならないようにする)のではなく、最初から不安を感じない状態(=忙しい状態)を目指せばいいのか。

 

さて、のんびりするか、忙しくするか。

“忙しくなければならない症候群”にとって、どちらが幸せなんだろう。

 

ではまた!

次も読んでね!

 

 

 

 [プロフィール]

名前: きゅうり(矢野 友理)

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

著書「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri

ブログ:「微男微女

できるだけ小さな労力で、大きな成果を得るための7つのコンセプト

かつてピーター・ドラッカーは「生産性の向上が労働者を豊かにした」と述べ、生産性の向上が経済活動に極めて重要な役割を担っていることを指摘した。

実際、生産性の向上は、貧富の差を縮小し、生活水準を向上させ、自由時間の増大をもたらした。さらには医療と教育を労働者にもたらしたのである。*1

 

彼は著作の中でこのように述べた。*2

一定の業績を得るために投入した努力が少ないほど、良い仕事をしたことになる。市場が求める自動車や鉄鋼を生産するために、10万人が必要だということは、実のところ、エンジニアリング上の未熟を示すにすぎない

つまり「できるだけ小さな労力で、大きな成果を得る」ことはあらゆる意味で正解である。

*1

*2

 

 

では、生産性の向上をもたらすものは具体的には何か。「さらに小さな労力で、大きな成果を得る」ために必要なことは何だろうか。

 

それは、がんばり、集中力やモチベーションと言った曖昧なものではなく単に「コンセプト」によって得られるものである。

歴史的にも、産業革命以後の大きな生産性の向上は、「蒸気機関」「科学的管理手法」「教育訓練」などのコンセプトによるものであることがわかっている。

したがって知識労働者たる我々は「自分の仕事にどのようなコンセプトを持ち込めば、生産性が飛躍的に向上するのか?」を常に検討し、見極めなくてはならない。

 

具体的には以下のものだ。

 

1.ソフトウェアの利用

ソフトウェアとは、繰り返し発生する一連の手続きを自動化するために非常に有用である。ソフトウェア化することによるメリットは以下のとおりだ。

・処理能力に優れた計算機資源を利用することができる

・大量のデータを取り扱うことができる

日常でなにか繰り返し発生する手続きがあれば、まずは「ソフトウェアで取り扱うことができるだろうか?」と発想することが求められる。

 

2.マニュアル・教育訓練の利用

マニュアルとは、ソフトウェアの一種とみなすこともできるが、主に人間の暗黙知を形式知に置き換えたものである。暗黙知を形式知にすることで得られるメリットはいくつかある。例えば

・よりコストの安い労働力に仕事を任せることができ、能力に合わせた分業が可能になる

・形式知にすることで、皆で改善事項を挙げ、より効率の高いやり方を選択できる可能性が上がる

・技能の伝承スピードが上がる

マニュアル化されていないものはマニュアル化し、マニュアル化されたものはソフトウェア化を図る。それが生産性向上の初歩である。

 

3.職業・スキルにおける選択と集中

知識労働においては、肉体労働と異なり時間を投じれば成果が上がるとは限らない。むしろ、投じた労力がすべて徒労となることも非常に多い。

よって生産性向上のためには「何に時間を投じるか」を意思決定することが決定的に重要となり、それを行った知識労働者だけが成功できる。

必然的に「自らの時間資源の投資先の選択と集中」を行わなければ成果が出ない、という結論に達するだろう。

だから、すべての知識労働者は「自分がなにを職業として選び、何のスキルに集中するのか」を考えなければならない。すでに、会社の指示に従っていれば将来が保証される時代は終わっている。

 

4.長く働くのではなく、良いアイデアによって働く

より多く働いたとしても、より多くの成果が得られるわけではない。すでに現代は、長時間働くことは美徳でもなんでもなくなっている。

では、より多くの成果を生み出すものはなんだろうか。それは「より良いアイデア」である。

・こんなアイデアで改善できる

・こんなアイデアでラクができる

・こんなアイデアでロスが減る

そういった「より良いアイデアによって仕事をする」という習慣付けが、あなたの生産性を飛躍的に向上させる。

アイデアのない所には、徒労があるのみである。

 

5.ネットワークの活用

かつて、これほど多くの人間が即座にコミュニケーションをとれるようになった時代はなかった。現代はwebという超ネットワークを誰もが利用できる。

そんな世界ではすべてのアイデアを自ら生み出す必要はない。アイデアを持ち寄って、皆がネットワークに接続されている人を頼ればよい。ネットワークに接続されているノウハウを参照すれば良い。

「アイデアは、既存の要素の新しい組み合わせ」という言葉の通りである。

したがって、知識労働者は自分のアクセスできるネットワークを常に広げる努力をし続けるほど、新しいアイデアを入手できる可能性が高く、したがって生産性が向上するということである。

「頭の良さ」だけで勝負できる時代ではない。「頭の良さ」+「その人物が持つネットワークの広がり」が知識の源泉となる。

 

6.学びの場=職場、仕事=学習と考える

かつて「学習」とは学校で行うもの、師から学ぶものであった。現代は異なる。なぜならば、「学校」と「師」が持つ情報の陳腐化が早いからである。

知識労働においては5年という短い期間ですら、ほとんどの知識が陳腐化する。したがって「学んでから仕事に使う」「師から教えてもらってから仕事に適用する」では遅い。

現代の学習は学校ではなく職場で、師からではなく仕事から学ぶものとなった。そうすれば「学習するだけ」という生産性の低い期間を最小限にすることができる。

 

7.金だけではなく「知識」を得られる仕事をする

金だけが貰える仕事は、そこから得られるリターンはごく小さいものにすぎない。多少カネを犠牲にしてでも、「知識」を得られる仕事につくことが重要だ。

なぜなら、ある場所で得た知識は、別の仕事に適用されることで、生産性が飛躍的に向上するからだ。

例えば商社で得た知識を製造業に適用すれば、新しい調達の流れを作ることができるかもしれない。あるいは、ソフトウェアの知識を持って小売業界に望めば、在庫を最適水準に保つことができるかもしれない。

 

 

我々は常に「さらに小さな労力で、大きな成果を得る」ことを考えなければならない。

経済活動とは、本来そのようなものだ。

 

 

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Dwilliams851

年収アップしたいなら、転職や複業よりも「起業」が最強。

毎月送られてくる給与明細を見て、

「なんでこんなに働いているのに、年収上がらないのかな。」

と思ったことはありませんか。

 

学生時代の就職活動は、給与よりも仕事のやりがいや組織風土を重視しがち。それがしばらく働いて現実が見えてくると、給与の大切さをひしひしと痛感しますよね。

 

特に、大学時代の友人の年収がうっかり耳に入ってしまった時は悲惨です。

な、なんでアイツがそんなにもらってんだ…!?」動揺が止まらず、もう会話が全然頭に入ってこない。

同じ年数働いて、大してスキルも違わない(だろう)に、なんで年収に差が開いてしまうのか…会社のせい?業界のせい?理由なんて何でもいいから、とにかく年収を上げていきたい!

そんな野心家の私たちは、一体どうしたらいいのでしょうか。

 

 

1. 一番簡単なのは賃上げ

年収アップの一番簡単な方法は、◯◯◯◯◯。

年収を上げたいという人に、一体どれくらい欲しいかと尋ねると、具体的な数字を言えない人がいます。また豪語する割には「え?そんな少ない金額でいいの?」と思う人もいます。

考えてみれば当たり前なのだが、人は、「高いもの」「手に入りにくいもの」に対して価値を感じる。安く、あるいは無料で配布してしまう、ということはお客さんに「あまり良いサービスではないのでは」という誤った印象を与えてしまうことにつながる。

 

年収を上げたいと思うなら、そもそも自分を安売りしないことが大事。それは商品を無駄に安売りすべきでないのと同じこと。

 

サラリーマン、あるいはフリーランスの方々が、「安く使われている」という状況をよく見かける。だが「ほんとうに良い仕事をしてくれる人」は極めて少ない。

だから、自分に自信があるならば、堂々と「昇給してくれ」「報酬をアップしてくれ」と言おう。交渉をはじめなければ、相手はそもそも真剣に賃上げ、報酬アップを検討しない。

したがって、年収アップの最も簡単な方法は「賃上げ交渉」だ。

 

 

2. 転職で年収アップを図るのも、一応選択肢

「年収が下がってでも転職をする」は正しい決断だろうか。

転職すれば、手っ取り早く年収アップできると考える人もいるでしょう。でも、日本では残念ながら年収ダウン、または据え置きが3分の2、年収アップできる人は3分の1しかいないらしいです。

当たり前ですが、年収アップを目的として転職を図るなら、どんなに仕事が魅力的でも年収で譲歩しないこと。

特に若い時に一度年収が下がる転職をしてしまうと、なんとなく転職を「やりがい」で正当化してしまう「負け癖」がつきかねない。

転職をするにしてもなんとか実績を現在の職場で出し、できうる限り年収が高く、労働条件も良い転職を勝ち取れるように粘ってみるべきかとは思うのだが、いかがだろうか。

 

 

3. 複業して年収アップを目指す

複業(副業)をすることで「残業代+昇給」を上回るメリットを得られるか?

 

最近では副業を解禁する企業もチラホラ出てきました。

ちなみに「副業」と「複業」は同じ読み方でも、意味が全然違います。

副業は英語で言うとサイド・ビジネス。多くの場合、主(メイン)の収入を会社から給料としてもらい、あくまで副(サイド)としてお小遣いを稼ぐ感覚に近いです。

一方複業は複数のビジネスを持つということ。二つの収入口を持っていたとしても、どちらが主、どちらが副という感覚ではありません。

この二つの本質的違いを表しているのがこの三文。

 

自社での出世で勝負をするか。

マーケット全体で勝負するか。

後者の場合、複業は必要なのである。

 

 

4. なぜ会社は高い給料を払わないのか

なぜ会社はエース社員に高い給与を払わないか。

年収を上げるためには、そもそもなぜ年収が上がらないのか、そのロジックを理解しておくと便利です。

 

利益を月に10万円出す、フツーの人を100人雇うのと、

利益を月に1000万円出す、卓越した人材を一人雇うのと、どちらが良いか。

色々な考え方があると思うが、経営者であれば上を選ぶひとが多いだろう。

なぜか。

単純である。「稼ぎ口は、分散させておくほうが良い」からだ。下は、卓越した人材が突然「やめます」と言ったり、病気になったり、家族の都合で引っ越したり、そう言った事自体が全てがリスクとなる。

 

経営者としてはリスクを分散させたい。一人に頼るよりも、10人雇って、替えがきく仕組みを作った方が経営が安定する。だから、どんなに仕事ができるエース社員がいても、その人だけに高い給料を支払いたくないわけです。

 

残念ながら「成果を出したらそれだけ欲しい」という上の稼ぎたいという若手は、独立するか、成果を出せない時にはクビになるリスクを取って、外資系で成果を出し続けけたほうが稼げるのではないだろうか。

 

 

5. 会社員じゃなくて、経営者になるという選択肢。

上の話が正しいとなると、会社員のままセコセコ年収アップを狙うよりも、独立した方が話が早いということになります。

「会社員は稼げないよ」と言った経営者の話。

せいぜい30人程度の中小企業であっても、それなりの割合で経営者は3千万円以上の報酬を手にしている。100人を超えている企業で、長く続いている企業であれば、億単位で報酬を手にしている経営者も珍しくない。

「上場企業の社長の報酬が数億円」で驚いている場合ではない。儲かっている中小企業の経営者の報酬は、それこそ青天井である。

だが、多くの経営者はそれを黙っている。「従業員には言えないよ」と私はなんども聞かされた。

 

私たちが目指す年収アップとは、そもそも次元が違うわけですね。

 

「なぜ会社員が稼げないか、教えてあげよう。それは勝負しているマーケットが小さいからだよ。」

「どういうことですか?」

「つまり、会社員が稼ごうとすると選択肢は「給料を上げる」しかない。」

「そりゃそうです。」

「でも、給料を上げようとする時、君が勝負しているマーケットは、「社内」だろう?要するに、「他の社員より仕えるやつ」であれば、給料を上げてもらえる。」

「否定はしません」

「ま、そうすると小さい世界での競争ってわけだ。でも、そんな小さな世界で勝ったところで、得られるものはわずか。わかるでしょ?」

 

「聞きにこない人」に困っている上司がやるべきこと

マネジメントの観点からすると、企業においては4種類の人がいる。

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1.上司が何も言わなくても、成果を出す人

口出し無用。できる人なので、有能な部下として活躍する。

 

2.上司の言うとおりにやって、成果を出す人

簡単な仕事であれば、きちんと上司が仕事を設計し、彼らの仕事をレビューしながら進めれば、結果は出せる。ただし彼らを「上司が言わなくてもできる人」にするためには時間と忍耐が必要。

 

3.上司の言ったとおりにやっても、成果を出せない人

最初はここからはじまる。仕事を覚えたての時。

 

そして通常であれば、新人で会社に入ってから、3⇒2⇒1の順番で成長していく。

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ところが、この流れから取り残されてしまうのが4.の人だ。

 

4.上司の言った通りにやらず、成果を出せない人

働かないわけではないのだが、とにかく上司の言ったとおりにやらない。そればかりではなく 妙なこだわりがあり、時間をかけ過ぎたり、指示を勝手に解釈したり、不必要なクオリティを追求したりするので 成果が出ないが、本人はさほど気にしていない。

 

 

そして、本題の「聞きにこない」人物はこの4.に当たる事が多い。

実は会社の現場では 「上司に聞きづらい」 とか、 「どうやって聞いたら良いのかわからない」 という人ももちろんいるのだが、実際に多いのは、「上司に聞くべき時に、聞こうと思わない」ことである。

 

例えば、4.の人と仕事をするとこうなる。

「提案書の下書きができました」

「ああ、おつかれさん……ん??このタイトル、前回の打ち合わせの時と違うようだけど。章立てもちょっと変えた?」

「はい。作っていてこちらのほうが良いと思ったので。」

「ちょっとまて、打ち合わせの時これで行こう、って言ったじゃないか。何で勝手に変えるんだ。」

「ですから、こっちのほうが良いと思ったので。内容を踏まえてです。」

「……おまえなあ、チームで決めたことを「自分が良いと思ったので」で勝手に変えていいと思ってるのか。」

「はい。」

「バカヤロウ!そんなわけないだろう!!報告、連絡、相談が当たり前だ。」

「しかし、この程度のことでいちいち相談していたら、仕事が滞ります。」

「……やりなおしだ。」

「は?」

「やりなおしと言ってるんだ、きちんと前回決めた章立てとタイトルに直して、さっさと出し直せ。」

「しかし……私は今日の夜予定があり……」

「そんなもの知るか、お前が報告しないのが悪いんだろう。もうお客さんへの提出はギリギリなんだぞ。」

「はあ……。」

「オレは、前にも言ったよな。勝手に自分の解釈で仕事をするなと。」

「……。お言葉ですが。「自分の頭で考えろ」といったのは課長です。この通り、自分で考えました。」

「屁理屈を言うな!」

「屁理屈ではありません。自分で考えて、こちらのほうが良いと思ったので、変えたまでです。それとも「自分で考えろ」は撤回なさいますか?」

「お前というやつは……。」

「私は間違ったことは言っていないと思います。私の解釈が嫌であれば 「俺の言った通りにやれ」と、細かいところまですべて指示を出していただけなければ困ります。」

「……。」

課長は困り果ててしまった。 彼は一体どんな指示を出すべきだったのだろうか。

 

本質的に「聞きにこない人」は

・聞くべきこと

・自分で判断していいこと

の境界線が曖昧なまま働いている。だから、上のようなトラブルを起こす。 しかし、現場だけを責める訳にはいかない。 なぜなら、上司も「自分で考えろ」とか「こんなことをいちいち聞くな」と部下に言っているからだ。

 

この状況を解決するためには、上司は2つのことを徹底しなければならない。

 

・上司は現場での判断基準を提示

例えばタイトルや骨子については相談すること、表現や表記のみで内容に関して変更がない箇所は 各自で判断して良い、など。判断基準を提示する。

また、作業指示をする時に部下に質問させ、「〜で作業が止まったら報告せよ」など 幾つか例を上げてすり合わせをしておくと、かなりスムーズに事を運ぶことができる。

 

・部下に保守的に報告、記録させる

判断基準がない、あるいは逸脱した、と思うときには必ず「上司への問い合わせと、問い合わせ内容の記録」をやるよう要求する。 ここに関しては保守的に考え、「誤解があると困るので、先回りして確認しよう」という習慣をつけさせること。

「こんなことはいちいち聞くな」とは絶対に言ってはならない。いちいち聞かれるのが困るのであれば、基準を提示すべきだ。

 

「報連相を徹底せよ」というのは、現実的には以上の2点を上司と部下で何度か行い、ある程度の共通認識を形成することだ。

 

最近ではプロジェクト単位で動く仕事も多いため、必ずしも共通認識が醸成される土壌があるとは言えない。 その場合、どんなことはリーダーに報告し、どのようなことはメンバーが自分で判断して良いのかをあらかじめ詳細に決めなければならない。

 

プロジェクトマネジメント世界標準であるPMBOKにて、「変更管理マネジメント」が重要な位置を占めているのは偶然ではない。

「たかが判断基準」と思う方も居るだろうが、 実は仕事のクオリティを左右する、かなり重要なポイントだ。心してかかりたい。

 

 

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センセイにAIでボケかます千載一遇のチャンス到来。

こんにちは。株式会社わたしは、社長の竹之内です。 

突然ですが、総務省が行っている「異能(Inno)vation」という名前のプログラムがあります。

 

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端的にいうと「情報技術分野で活躍する、ちょっと変わった人を集めて支援する」というプログラムです。

って思って過去の最終選考通過者調べてみると、

過去の最終選考通過者は、MITメディアラボのスプツニ子さんや、LINE元社長の森川さんなど。なんか良さげです。

 

そして今回「株式会社わたしは」の開発する人工知能が、このプログラムへの1200以上の応募の中から最終選考に臨むことが決定しました。

タイトルは「パーソナライズされた笑いをお題(フリ)回答(ボケ)ガヤ(ツッコミ)により生成する大喜利人工知能の開発」です。

 

 

この「異能ベーション」プログラムですが、面白い特徴として「他薦」も可能だということが挙げられます。

本プログラムの特徴でもある、”独創的な考えや物事への挑戦を行っているにもかかわらず、その独創性に自分自身では気づいていない人”を推薦する「他薦」枠につきましても、多数のご応募を頂き、前年比113%となりました。

実は恥ずかしながらこの「異能ベーション」プログラムについては我々は何も知らず、突然お盆前に「1次選考通過」の連絡があったのです。

 

どこかの誰かが、推薦してくれてたみたいでした。ありがたいお話です。だってこうやって最終選考まで残ってるんですから。

自分で自分のこと異能なんて言うの恥ずかしいですからね。自分たちじゃさすがに出せません。

 

さて、この「異能ベーション」プログラムの最終選考ですが、プレゼンテーションを「スーパーバイザー」と呼ばれる審査員の前で行い、その結果をもって採択されます。

 

そこで、今週は緊急対策会議を実施。我々のミッションの確認をしつつ対策を立てたのでした。

 

まず我々が最終選考に臨むにあたって一番大事なことは、このスーパーバイザーさんたちに、我ら人工知能のボケをかまして笑かすことです。

全員を笑かすことができれば我らの大勝利です。

が、しかしお笑いとは難しいのもので、10人いれば10人の笑いのツボがあるわけです。まだまだ人工知能1年目の我らには畏れ多いことです。ちょっと自信ないです。

 

そこで、今回はある特定の人を笑かすことで、なんとかこの「異能ベーション」で一発かましたろって思いました。その人さえを笑かせば今回の我々のミッションは果たされます。

つまり、今回の緊急会議は、誰をターゲットとして笑かすか?を決めたのでした。

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さて、検討を始めます。スーパーバイザーの方々は以下の8名の方々です。

上田 学  米国 MODE, Inc. CEO

川西 哲也 早稲田大学 理工学術院 基幹理工学部 電子物理システム学科 教授

高須 克弥 医療法人社団福祉会高須病院理事長 高須クリニック院長

高橋 智隆 株式会社ロボ・ガレージ 代表取締役社長 東大先端科学技術研究所特任准教授

西川 徹  株式会社Preferred Networks 代表取締役社長 最高経営責任者

原田 博司 京都大学 情報学研究科 通信情報システム専攻 教授

牧野 友衛 トリップアドバイザー株式会社 代表取締役

まつもと ゆきひろ 一般財団法人Rubyアソシエーション 理事長

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検討の結果、まず「大学教授」は外しました。たぶん、ニコリともしてくれないでしょう。

つぎに、「トリップアドバイザーの社長」です。前はTwitter Japanの役員だった方ですが……転職前なら大喜利βとの相性も良かったでしょう。

そして、ロボ・ガレージの社長です。……イケメンです。イケメンは外しましょう。

MODE社の社長は……なんか、シリコンバレーの会社ってだけで、カルチャーの違いを直感します。

 

結局、最後に残ったのはプログラミング言語Rubyを生みの親として日本プログラマー界でダントツにリスペクトされ、もはや生き神扱いのまつもとゆきひろさん。

最近、縁もゆかりもないはずのサッカーのリオ五輪のナイジェリアのサッカー代表に20万ドルの支援をちゃったダントツにキャラの立った高須センセイ。

 

弊社の小橋はまつもとゆきひろさんに一票いれました。

「やったことの偉大さで言えば、他の人たちに比べて圧倒的にすごいでしょう。」

と言っています。……いやいや、お前こんなとこでいいカッコしようとしてないか?

 

私はもうダントツでこの方です。下の記事を見てください。このお顔。

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(出典:ZakZak http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160531/dms1605311140006-n2.htm)

 

私の心のなかでは……すでに決意していました。

岡村隆史のオールナイトニッポンのヘビーリスナーである私は、高須センセイがしばしばゲストとして出演していることを知っています。そして、昨年のオールナイトニッポン歌謡祭にも登場し、そのご自慢のミケランジェロを披露してくださいました。

私も高須センセイにウケたい、見てほしい!

 

というわけで、高須センセイに決定です

さて、そうと決まるとあとはAIを高須院長を笑かすことに向けてチューニングするのみです。

とりあえず、ナイジェリア、ミケランジェロ、Yesは要注意ワードです。

 

最終選考に向けて、人工知能のチューニング、頑張ります。

 

 

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