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「手が動かせない人」への処方箋

ところで私は、かつて「手を動かさない人」でした。

 

仕事にせよ、勉強にせよ、創作にせよ、音楽にせよ、どんなことでも「ごちゃごちゃ考えているより、まずやってみて場数をこなした方がスキルは育つ」というのは、大体の場合で当てはまる普遍的なセオリーであると思います。

ゲーム開発、アプリ開発なんかでも、実績を残している人はみんな「いいからまずやってみろ」って言いますよね。

 

手を動かすこと、超大事です。手を動かすことによって、課題が生まれ、自信が生まれ、ノウハウが蓄積されていく。頭で考えているだけでは何も始まりません。考えたものは、出力しなくてはいけません。

ところが、世の中には「手を動かさない人」がいます。取り敢えずやってみろ、というアドバイスを受けつつも、なかなか「取り敢えずやってみる」という実施タームに移れない、もしくは移らない人ですね。先日、Books&Appsさん内でもそれについての記事が掲載されていたと思います。

参考:「手を動かさない人」へのアドバイスは、とても難しい。

 

既に「手を動かしてきた」人にとっては、「手を動かさない人」の理解は難しいものと思います。「なんでやらないんだ?」という疑問は実にもっともですし、そんなところまでアドバイス出来るか、というのは当然のことですよね。

 

私は以前、「手を動かさない人」ないし「手を動かせない人」でした

今は多分脱却出来たと思うんですが、自分がそこから脱却するまでの間に、随分いろんな試行錯誤をしてきました。なので、「手を動かさない人」がなぜ手を動かさないのか、なんとなく分かります。

「手を動かさない人」の中にも、多分三つくらいのカテゴリーがあると思います。

 

一つ目は、「色んなものが根本的に空回りしている為に手が動かせない人」。タスクの落とし込みとかそういう問題ではなく、「実施タームに移す」というイメージというか、概念自体が存在しない人ですね。

もやもやした計画だけは語るけれど実際には何もしない人とか、色んな人に話は聞きにいくけれど肝心の実行についてはさっぱり、という人がここに当てはまると思います。計画を考えるだけで何かした気になって満足してしまう人、というのもいるようです。

 

二つ目は、「具体的に何をすればいいのかイメージ出来ない、あるいは全量がもやもやしている為に手が動かせない人」。要は、「やらなくてはいけないこと」を、自分の手が届く具体的なタスクに落とし込むのが苦手な人、とでもいえるでしょうか。

人間、不明確なタスクにはどうしても心理的な障壁が高くなってしまって、手が出しにくいんですよね。

 

三つ目は、「具体的なタスクへの落とし込みは出来るけれど、時間マネジメントが苦手・ないし他のタスクを気にし過ぎて、完了させることが出来ないことを恐れて手が動かせない人」

つまり、何をすればいいのかは大体イメージ出来るんだけど、「どうせやるならちゃんとやらなきゃ」「今やっても中途半端になっちゃうし」という意識が邪魔をして手を動かせない人ですね。

 

これらの三つ、どれか一つにだけ所属している人というのもいますし、複数絡み合っている人、というのもいます。一つ目にどっぷり該当しちゃう人については正直ちょっと難しいんですが、少なくとも二つ目、三つ目については明確な「処方箋」があります。

 

二つ目の人に対する処方箋は、「とにかく思いついたタスクを細かいところまで徹底的に書き出すこと」。

やったことがない分野の作業について、きちんとしたタスク切り出しを行うことはどっちにしても困難です。適切な単位のタスクを切り出し、それぞれについて適切な作業量を割り振るのは、それ自体経験に裏打ちされたスキルです。

 

ですが、タスクを明確にしないまま、頭の中でもやもやと「あれもしなきゃこれもしなきゃ、えーとあれはいいのか?」などと考えながら作業をすることは、誰にとっても困難です。人間、見えていないゴールに突き進んでいくことは出来ません。それがどんなに小さなゴールでも、とにかくゴールを目に見えるようにしないといけない。

なので、タスクの全量を整理して切り出すことは最初から諦めて、とにかく思いつくところから手当たり次第にリスト化していくわけです。どんなに細かくても、単位が大雑把でも構いません。

 

例えばRubyでアプリケーションサーバを作ろう、という話であれば、

Rubyの実行環境についてぐぐる
RubyIDEについて調べる
IDEをダウンロード出来るサイトを確認する
IDEをダウンロードしてインストールする

といった感じで、「こんなんいちいち書かなくても」というところまで全部可視化するんです。

 

これによる効果は大きく三つ。

・タスクをもやもや考える脳内リソースが浮く
・小さな単位でも、タスクを消化していくことによって進捗が発生し、やる気ゲージが上がってくる
・後続のタスクは、前提のタスクを消化しているうちに見えてくる

誰でもやっていることなのかも知れませんが。少なくとも、私が「手を動かさない人」から多分脱却出来た、最初の一歩は間違いなくここでした。

 

分かんないことって、結局動かないとタスクも見えようがないんですよ。けれど、動きさえすれば、すぐに障害にぶつかるし、「その障害を解決する」というのが新しいタスクになる。小さなタスクを片づけていくことで、たとえ小さくても達成感を得ることも出来る。達成感はモチベーションに繋がる。

「手を動かす」最初の一歩として、タスクの書き出しは鉄板です。TodoistJootoのような、webのタスク管理ツールを使うのも良いと思います。

 

一方。三つ目の人に対する処方箋は、「中途半端で終わることを恐れないこと」。

勿論本来であれば、時間マネジメントを適切に行って十分な空き時間を確保することが正道なのは百も承知なんですが、そんなことが簡単にできれば苦労はしません。何故か存在しないのが時間リソースというものです。

 

世の中、「どうせやるなら最後までやり切ろう」とか「中途半端ならやらない方がマシ」みたいな考え方が結構溢れてますが、私、これ違うと思うんですよ。「中途半端に終わる」ことは、「最初からやらない」ことに対して圧倒的に勝る、というのが私の考えです。

 

0.10に比べて無限倍進捗してるんです。

 

勿論、頑張って完成させることが出来ればそれに越したことはないですが、0.1まで進める間に溜まったノウハウだって、文字通りゼロじゃない。それ自体無駄じゃないと思うんですが、幾つも0.1を繰り返すうちに、一つくらいは1までいくかも知れない。

中途半端を恐れるあまり、「数うちゃ当たる」の数さえこなせないのが一番の不利益じゃないか、と私は思うんです。

だから私は、「どうせやるなら最後までやらなきゃ」で立ち止まっている人がいたら、「いいじゃん中途半端で」といいます。「0.1でも0よりは進んでるやん」といいます。我々は完璧超人ではないのですから、「完璧」へのあこがれはむしろ害になる場合の方が多いと思うんですね。

 

私が「手を動かさない人」から多分脱却出来た、次の一歩が「中途半端を恐れなくなった」ことだと思います。これによって、勿論箸にも棒にもかからない未完成成果物は量産されるようになりましたが、10手をつける内には1個くらいはそれなりの形に出来るようになりました。中途半端、意外とお勧めです。

 

まとめますと。

あなたが「具体的に何をすればいいのかイメージ出来ない、あるいは全量がもやもやしている為に手が動かせない人」であれば「とにかく思いついたタスクを細かいところまで徹底的に書き出すこと」が処方箋であり、

あなたが「完了させることが出来ないことを恐れて手が動かせない人」であれば「中途半端で終わることを恐れないこと」が処方箋であり、

あなたが「色んなものが根本的に空回りしている為に手が動かせない人」であればすいませんちょっとどうにか豆腐の角に頭ぶつけたりして考え方を変えてください、という話になるわけです。

 

一人でも多くの方が「取り敢えず手を動かせる」ようになることを願って止みません。

 

長くなりましたが、今日書きたいことはそれくらい。

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

社員ががんばっているのに業績が伸びないのは、社員を頑張らせすぎているから。

あるスタートアップに勤務する知人がいる。

彼は一つの部門を任されており、売上・利益に対して責任をもっているので、当然、期末になると、成果に対して説明を求めらる。そしてつい先日も、目標に対しての進捗を報告する会議があったとのこと。


ところが、彼は不満気である。

「自分は、期首に立てた計画をピッタリ達成したんだよ。」

「んー

「そしたら、上から「もっとやれたでしょう」って。アホかと。」

「ほうw」

「そう、じゃあ、期首に立てた計画は一体何だったのかと。」

「まあ、そうですよね。」

「そうwムカついた。だったら最初から期首の計画を承認するなといいたい。」

 

つまり、衝突が生じているのは、次の点だ。

彼の上司にとって、「計画」とはその通りにやるものではなく、下をドライブするための単なるツールに過ぎない。だから、計画通りかどうかよりも、下が「常に全力」であることのほうが重要なのだと言える。

逆に彼にとっては「計画」は、そのとおりにすべきもので、勝手に変えてはいけない。

 

これは私にも見覚えがある。

例えば期中に予算を達成したとき、あるリーダーが「今期はお疲れ様」といって、メンバーに休息を取らせた。

しかし、経営者は労をねぎらうどころか、「予算が低すぎたな」といって「最後まで全力だ!」と扇動した。

 

結局、最後まで手を緩めることは許されなかった。

当時のリーダーは「予算を達成したのだから、来期のために英気を養うのは重要」と言っていたが、どうも経営者とは考え方が合わなかったようだ。

しかも、さらに悪いことに、そうして全力でたどり着いたその値をもとに、次の期の予算が更に上乗せされて決まるものだから、
いつまでたっても仕事に余裕は生まれなかった。

 

こう言う会社では、新人も大抵、入社1,2年目こそ元気だが、4年、5年経つと徐々に生気を失ってくる。

そして、徐々に悟る。

「予算は低めに申請しとかないと、自分の首を絞める事になるし、仮に予算達成が見えても、期中のギリギリのタイミングにするように、受注を調節しよう」と。

こうして、経営者とマネジャーの「予算の攻防戦」は果てしなく続く。

 

 

殆どの人は体験的に知っていると思うが、そもそも「常に全力」は、長続きしない。疑うなら、今すぐ全力で走ってみるといい。一キロメートルも走れないだろう。

だから、全力の7割、8割位の余裕を持ち適度に手を抜かせることで、長期的にパフォーマンスを最大化させるのがマネジメントのポイントとなる。

 

だが「適度に手を抜く」ことを許さない経営者は結構多い。

しかし、そのような企業は反動として、必然的に次のことが苦手である。

・新しい試みをしない

・学習しない

・継続することが苦手

 

社員は常に疲れているので、もちろん新しいことをする余裕はない。経営者が「新しいことを試みろ」というが、現状で手一杯なのだ。

また、余裕が無いので「新しい知識を吸収する」時間も、寄り道をする時間もない。彼らが必要とするのはひたすら「数字をどうやって達成するか」のみとなる。

そして彼らは「余計なことをしたくない」と考えるようになり、長期的な施策には目がいかなくなる。それはつまり「継続性」がない組織が出来上がる、ということだ。

 

 

余裕のないところにはイノベーションも、セレンディピティもない。

実際のところ、社員ががんばっているのに業績が伸びないのは、「社員を頑張らせすぎているから」であることがほとんどである。

 

 

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Steve Snodgrass

現在30歳以下で、自分が有能だと自負がある人は、すぐにスタートアップに行ったほうがよい、という話。

現在30歳以下で、特に今大企業や有名企業で働いている人、あなたは受験勉強、就職活動でのいわゆる「勝ち組」であるのだろう。高い能力をお持ちなのだと想像する。

 

しかし、私の知る複数のキャリアアドバイザー、経営者が

「もし、自分が有能だという自負があるなら、そこはあなたのいるべき場所ではない。すぐに良いスタートアップに行くべきです。」

と強調している。

なぜだろうか。彼らが言うことを総合すると、そこには5つほどの理由がある。

 

1.10年以内に、あなたが「普通の人」になってしまう可能性が高い。

大企業の中、というのはいわば守られた世界であり、日々サバイバルのスタートアップに比べて、一般的にはヌルい環境である。

組織の歯車の1つとなる覚悟でいるのであれば問題ないが、体力、気力ともに充実した20代、30代頭の時期をヌルい環境に置いていたのでは、「普通の人」まっしぐらだ。

高校時代、大学時代、人並み以上に頑張ってきたのに、就職した後は「人並みの頑張り」では、あまりにも勿体無い。

 

2.40歳まで出世できない。

大企業の中では、多くの人が20代、30代では出世できない。統計的には、課長以上の方は10%以下であり、さらに管理職は減っている。

大企業の中で出世するには、実力も重要だが、なによりも「時間」と「運」が必要である。

逆に、あなたが有能なら、すぐに幹部になれるスタートアップはいくらでもある。

 

3.「普通の人」で十分大企業は回る

大企業が、大企業である理由は、言ってしまえば「あなたでなくても回る」の一言に尽きる。大企業は、人の能力と関係ないから、大企業なのだ。

大丈夫、あなたがやめても全く問題なく会社は動き続けるだろう。

本質的に、今あなたがやっている仕事がとくに有能な人でなくても回るのなら、いわゆる「普通の能力の人」に席を譲るべきである。そこは、有能なあなたが専有すべき席ではない。

大企業は「普通の人」がある程度大きなことを成し遂げることのできる場所なのだ。

 

4.40代、50代の既得権益が極めて大きく、若手は弱者

基本的に、大企業の世界で20代は「ひよっこ」であり「コマ」である。したがって、若手すべてに発言権、決定権がない。

例えば先日、ある大手コンサルティング会社で「リストラの代行」の仕事を行っていた人から、こんな話を聴いた。

「クライアントから依頼を受けて、リストラをしてました。もちろん報酬と成果が見合っていない、中高年をリストラの対象としてリストアップし、シミュレーションを行いました。」

「はい。ありがちですね。」

「そうです。しかし、結局どうなったと思います?」

「計画通り行かなかったのですか?」

「実は、その計画は握りつぶされ、若手ばかりがリストラの対象となりました。結局いざとなると、若い有能な駒はやめさせ、仕事しない老人が上を塞ぐのが当たり前なんですよ。よく考えれば当然ですよね、40、50の人は辞めさせられたら他に行く場所がない。20代に「辞めてくれ」という方がずっと簡単です。」

大企業の中では、若手は「弱者」なのだ。

 

5.人気企業は、今がピーク

昨日、ある経営者から「50代、60代の人が、メチャメチャ余っている。とくにマイナビとかで、ソニーの人をすごいよく見る。」と聞かされた。

今50代、60代の人がソニーに入社した頃は、さぞかし人気企業だったことだろう。おそらく入社できた彼らは、鼻高々だったはずである。

しかし、ソニーはピークアウトし、現在はすっかり「普通の大企業」と化してしまった。

結局「今の人気企業は、明日の普通の企業」であり、それは統計的には「平均への回帰」としてよく知られる事象である。

 

 

能力に自信がある人は、結局どこでも生きていける。

だったら、「厳しい環境」に身をおいていたほうが、遥かにに伸びしろは大きい。

 

最後に、

「じゃ。30代半ば以上の人は?どうすれば?」

という方もいるだろう。

でもそれに対しては「もう10年以上も社会にいて、いい大人なんだから、自分で考えればいい」としか言いようはない。あと30年、40年をどう過ごすかは、自分で選択すべきものだ。

 

 

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reynermedia

趣味を答える難しさについて。

「おいしい料理を食べるのは好きですか?」

こう聞かれて「嫌いです」と答える人はいるだろうか。

この質問をされて、「答えがわかりきっている質問」というものが存在するのだな、と思った。

これには他にも「楽しい映画を見るのは好きですか?」や、今の時期なら「綺麗なイルミネーションを見るのは好きですか?」などが該当する。「おいしい」「楽しい」「綺麗な」といった、誰もが好きだと答える形容詞を付けた質問をされたら、好きと答えるのは当然だ。

 

答えがわかりきっているからこそ、答え方に迷う。

「好きです」と答えても、聞いた相手は「そりゃそうだよね」という感想しか抱かないだろう。だったらそもそもこんな質問なんてしなければいいのではないかとも思うが、この質問が単体で意味を持つことはないにしても、会話の一部としては機能しているのだろう。(「好きです」と答えたあとには「じゃあ一緒に食べに行こうか」という流れになったり、「どんな料理が好きなの?」と更なる質問が待っていたりするものである。)

 

結局、「人並みに好きです」という答え方に落ち着く。「好きかと聞かれたらもちろん好きなんですけど、でもそれって誰でもそうでしょう? だから人並みに好きですよ」を短く言って「人並みに好きです」なのだ。

 

さて、この「人並みに好き」というのが厄介で、人並みに好きなことを趣味と表現していいものなのかがわからず、最近私を悩ませている。

社会人になって気づいたのだが、どうやら大人は相手の趣味を知りたがるものらしい。

いや、違うか。学生の頃はわざわざ趣味を聞かなくても共通の話題があったし、ある程度共通した背景もあったし、おしゃべりをしていくうちに自然に相手の好きなことやプライベートを知ることができた。

ところが社会人は相手の背景を全然知らない状態で、友達感覚でぺちゃくちゃとおしゃべりする感じでもなく、限られた時間の中で会話をして相手のことを知っていく必要がある。そこで端的な質問として「趣味は何ですか?」と聞かれるのである。

しかし「趣味を語ること」をあまり求められてこなかったせいか、すぐに答えが出てこない。

 

好きなことならたくさんある。それこそ冒頭にもある、「おいしい料理を食べること」は好きだし、「楽しい映画を見ること」も「綺麗なイルミネーションを見ること」も好きだ。

でもそれは趣味とは言えないだろう。なぜなら、みんな好きだから。みんな好きなことに対して「人並みに好き」なだけだから。

人並みではなく、人並み以上に好きだったら趣味なのかというと必ずしもそうとは言い切れない。

たとえば私は働くことが(おそらく人並み以上に)好きだが、「仕事が趣味です」というとプライベートが充実していない残念な人間だと思われるらしい。

学生の場合、もし勉強が大好きだったとして「趣味は勉強です」と言ったとしたら、面白みのない人間だと思われるのだろう。社会人は働くものであり、学生は勉強するものである。当然にそうするはずのことを好きになったとしても、それは趣味とは言えないらしい。

人並みに好きではダメで、当然にそうするはずのことを人並み以上に好きになってもダメ。

 

こう書くと、趣味とは「しなくてもいいことを人並み以上に好きなってするもの」なのだと言っているように聞こえるかもしれないが、私の結論は「趣味とは好き”の他人との“差異”である」というものだ。

この観点で考えると、おいしい料理を食べることも趣味になりうる。いわゆるグルメや食通の人もそうだろうし、「おいしい料理を食べに行くために毎週末ドライブしています」とか「特に●●という食材が好きで、よく食べに行ったり作ったりします」などと言われたら、他人との明確な差異が見え、「あ~この人にとっておいしい料理を食べることは趣味なんだな」という納得感が生まれる。

 

もし仕事が趣味だとしても、そこに具体的な何かがあれば相手は差異がわかり、「なるほど」と納得してくれる。

自分の例になってしまうが、私は会社で働きながら発見したことを文章に書くのが好きで、会社で働くことも文章を書くことも仕事と言えば仕事である。

これを「仕事が趣味」だと表現すると「仕事は趣味とは言えないでしょ」といったリアクションをされてしまうが、具体的に説明すると趣味だと思ってもらえるようなのだ。仕事は社会人なら大抵の人がしているから差異が見えないけれど、具体的に話すと差異が見える。差異が見えると趣味として認識してもらえる。

結局のところ、趣味を語る難しさとは、他人との差異を探す難しさであり、抽象的な「好き」を具体化する難しさだったのだと思う。

 

 

☆★☆★☆

皆さんは、趣味を聞かれたらすぐに答えられますか?

私はこの文章を書きながら、ようやく趣味をきちんと答えられるようになった気がしています。

ではまた!

次も読んでね!

 

 

 [著者プロフィール]

名前: きゅうり(矢野 友理)

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

著書「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri

ブログ:「微男微女

天然パーマと物まねで世の中は乗り切れるか

みなさんこんにちは。

Books&Appsでインターンをしている、獨協大学1年の大塚理子と申します。

こんな顔です。

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いやぁ、この通り。

最近モザイクがつけられるアプリをダウンロードしたのですが

面白くって。

こんなこともできるのですね。

2

顔全体隠せちゃう。

ここまでくると、誰だよって感じですね。もはや、知り合いでも分かりません。

 

前回はこんな記事書きました。

OBOGを100人以上訪問したら、皆ほとんど同じことを言っていた。

 

見て下さった方本当にありがとうございました。

膀胱炎、じんましんにもなった後、扁桃腺が晴れて声が出なかった私に生きる希望を与えてくれました。

はい。

 

いきなりですが、私は、コミュ力がありません。

「は?」何を言っているんだこの人は、という声がパソコンの画面越しから聞こえてきます。

ごめんなさい。

 

でも、本当に話の話題がつまらない人間だと思うのです。

ですが、昔はその自覚すらありませんでした。やばいです。痛いです。そこで、これから私がコミュ力が無いことに気づき、そのためにはどうすれば良いか気が付いた一連の流れを書いていきたいと思います。

 

私は中学校三年生まで友達といえる友達がいませんでした。たぶんコミュ力が無かったから友達がいなかったのだと思います。

いや、絶対そうですね。

 

そして、中学三年生になったある時、会話で話題を振らない限り一切しゃべらない女の子に出会いました。

なかなかそんな人いません。(ですが、容姿が可愛かったため三股していました。)

そこで「人間は外見が命」だと悟りました。

すみません。

 

で、三股していようと人の自由だと思いますが、

彼女のおかげでどれだけ私が面白い話ができないか自覚できたのです。

当時、本気のコミュ障だったのでわたしは「昨日見た夢の話」しか楽しく話せる話題がありませんでした。

 

以下、その模様をお伝えします。

私「ねーねー昨日なんか夢見た?」

三股美女 「・・・」

私「三股美女ちゃーん」

三股美女 「ごめん今昇天してた」

私「おつかれさま!(?)昨日なんか夢見た?」

三股美女 「・・・」

私「普段夢とか見ないのー?」

三股美女 「・・・見ない」

私「私昨日学校行こうと思ったら足下カエルで埋め尽くされていたんよ」

三股美女 「うん」

私「一歩一歩歩くのに足の踏み場がなくて大変で」

三股美女 「・・・」

私「やっと外に出られたと思ったら」

三股美女 「・・・」

私「ボスガエル出てきて銃撃戦した後に結婚した夢見た。」

三股美女 「どうでもいいわ。」

 

という会話をしていました。

彼女は悪くない。

私が悪い。

 

こうして私は記事を書きながら思いました。

「どうして私は『昨日見た夢の話』しかできなかったのに小学校、中学校時代を乗り切れたのか」。

それは、「天然パーマと物まねで人と会話をしてきたから」だと思うのです。

意味分かりませんね。

 

このイラストは私が小学生の時を表したものです。

3

私は当時、物まねと生まれつきの天然パーマが特徴的な変人でした。

本気でこんな感じです。

そのときすでにコミュ力が徹底的に欠けていたのですが、自覚しておらず。昨日見た夢の話しかせず、天然パーマでものまねやってる・・・

変態です。

 

でもどうして、天然パーマとものまねで人と会話ができていたのか?

それはコミュ障を補う「ユーモア」を提供したからだと思っています。面白い会話ができなくても、重力に逆らい、空に向かって立つ私の髪の毛を見てクラスのみんなが笑ってくれ、髪質によって助けられたのです。

ものまねは、にしおかすみこと土と太陽の物まねをやっていれば大丈夫です。

 

そこで、営業をやっている彼に、

「天然パーマとものまねで世の中乗り切れるかしら。」

と思い切って相談してみました。

すると真顔で、

「社会に出てからそれだけでは足りない。」

と、教えてくれました。

やっぱり天パと物まねで世の中は乗り切れないよね。そうだよね。

危なかった。

 

文系学生の新卒7割は営業をやる時代。コミュニケーション能力はどうしても仕事に直結してくるらしい。

甘く考えすぎだと。

そりゃそうだ。

「では、どうしたらコミュ力はあがるのか?」、と聞いたところ

「飲み会に行け!」とのこと。

の、の、飲み会!?

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そそそうか!飲み会か!でも、今栃木に住んでて東京から3時間、終電23時なんだよね。

反射的に言い訳を作っている自分がいた。

だから私はダメなのだ。

 

彼が言うには、

「営業になってから週に4日連続くらい飲み会はあるよ。でも、髪質と一芸はあくまで人格の「付属物」。

面接でもコミュニケーション能力は見られるし(特に答えの一貫性)、社会に出てからも必要だね。営業は他の部署と比べて外回りとかあるし体力勝負。愚痴りたくなる。

そして、商談でいかに商品を買ってもらう雰囲気に持っていけるか、という時も話す力が重要になってくるよ。だからこそ、日ごろから飲み会には出ておきな!」

とのこと。

 

営業さんはすごい。

拝みました。

つまり、一芸や髪質は相手を和ませるための材料であり一番大事なのはコミュ力。

その為には日ごろから飲み会やイベントなどに顔を出すようにして日頃集めた話題をどのように話せば良いか、どうしたら相手に楽しんでもらえるか試行錯誤をねること。

 

そして、これは自論なのですが、友達が多い人の会話を徹底的にマネすることも重要だと思うのです。

それによって自分が身の回りであった面白いことを話すときに、その人はどうして友達が多いのか。どうして仕事ができるのか、といったことも、普段のコミュニケーションから分かってくると思うのです。

 

【結論】

天然パーマと物まねで世の中は乗り切れない。

コミュ力上げていきましょう。

最高!!!!

パーティー!!!!

以上、獨協大学1年 大塚理子でした。

うにうに。

 


−筆者−

大塚理子(Otsuka Riko )

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獨協大学に通う大学生。気づいたらBooks&Appsでインターンをすることになっていた。

ブログ:ひょうたん会議

 

(写真提供 PAKUTASO

ビジョナリー・カンパニーなんて、嘘っぱち。

繰り返し述べているが、最近感じるのは、「会社のビジョン」に対する過度の信奉である。

実際、ビジョンは経営の万能薬でもなければ、社員の心を1つにもまとめることのできる魔法の杖ではない。

そう、「ビジョナリー・カンパニー」は統計的には存在しない。

 

まず最初に、ビジョンがあるから会社がまとまる、というのはかなり嘘が入っている。

「理念やビジョンがあるから会社がまとまる、なんて大嘘」というコンサルタントの話。

コンサルタントは言った。

「あのね、社長。経営理念を作ったからって、社員がまとまるわけないじゃない。私もね、いろんな企業、大企業から零細まで行ったけど、ひとつとして社員が経営理念やビジョンでまとまっている会社なんて無かったよ。」

「……。」

「社内を見渡してみてくださいよ、理念やビジョンががあるから会社がまとまる、なんて大嘘だよ。ビジョンや理念は、会社をまとめるために作るわけじゃないんだから。」

社長は意外だ、という顔をしている。

「で、では何なんのでしょう」

「理念ってのはね、社長。経営者を縛る制約なんですよ。理念は、あなたのためにあるんです。」

このコンサルタントの言うことはある程度正しい。

 

社員がビジョンに共感して一丸となって働きました。めでたしめでたし、という美談は話として面白いが、私はそれに与しない。

むしろ、会社のビジョンは「お前はビジョンに共感していないから」と、社員の評価を下げたり、クビにしたりと悪用されるケースのほうが圧倒的に多かった。

 

このように話すと、大抵「でも、ビジョンがある会社は伸びる」と言っている本や研究があるよ、と反論する方がいる。そして、殆どの方の論拠となるのが「ビジョナリー・カンパニー」という本だ。

このベストセラーは「ビジョンを持つ会社」とその比較対象として「ビジョンを持たない会社」を用意し、その業績の違いについて述べ、「ビジョンがある会社はエクセレントになり、そうではない会社は没落する」と述べている。

 

しかし、この本にかかれていることと、私の会社員生活、コンサルティングの現場での実感値とはかなり異なる。果たしてこれは事実なのだろうか?

 

そう思っていたところ、ノーベル経済学賞を受賞した科学者であるダニエル・カーネマンがその疑問に答えてくれていた。

カーネマンは端的に言えば「ビジョナリー・カンパニーは嘘っぱち」ときっぱり述べている。*1

以下、引用だ。

成功した企業を体系的に検証して経営規範を導き出そうとするビジネス書は世に多いが、こうした本の絶大なる魅力も、ハロー効果と結果バイアスであらかた説明がつく。

この手の本で最も有名なのは、何と言ってもジェームズ・C・コリンズとジェリー・I・ポラスの『ビジョナリー・カンパニー――時代を超える生存の原則』だろう。この本は様々な産業のライバル企業を二社一組で一八組取り上げて分析しており、各ペアでは必ず一方がめざましい成功を収めている。(中略)

多かれ少なかれ成功した企業同士の比較は、要するに、多かれ少なかれ運の良かった企業同士の比較にほかならない。読者は運の重要性を既に知っているのだから、めざましい成功を収めた企業とさほどでない企業とを比較して、ひどく一貫性のあるパターンが現れたときには、眉に唾をつけなければならない。(中略)

運が大きな役割を果たす以上、成功例の分析からリーダーシップや経営手法のクオリティを推定しても、信頼性が高いとはいえない。たとえCEOが素晴らしいビジョンと類まれな能力を持っているとあなたが予め知っていたとしても、その会社が高業績を挙げられるかどうかは、コイン投げ以上の確率で予測することはできないのである。

『ビジョナリー・カンパニー』で調査対象になった卓越した企業とぱっとしない企業との収益性と株式リターンの格差は、大まかに言って調査期間後には縮小し、ほとんどゼロに近づいている。

トム・ピーターズとロバート・ウォーターマンのベストセラー『エクセレント・カンパニー』で取り上げられた企業の平均収益も、短期間のうちに大幅減を記録している。(中略)

あなたはたぶん、これらの結果に原因を見つけようとしただろう。たとえば、成功した企業は自己満足に陥ったからだとか、冴えなかった企業は汚名返上に頑張ったのだとか、だがそれは間違っている。

当初の差はかなりの部分が運によるのであって、運は輝かしい成功にもそれ以外の平凡な業績にも作用していたのだから、この格差は必ず縮小することになる。この統計的事実には、既に私たちは遭遇している――そう、平均への回帰である。

結局のところ、成功譚に私達が惹かれるのは、「因果」が大好きだからであり、私たちの運命は多くが単なる偶然に左右される、という事実を受け入れたくないからに他ならない。

それを考えれば「ビジョンがあったから会社がうまくいきました」と言うのは、多くが思い込みにすぎない。

 

ではなぜ、薄々真実に気づいていながら、経営者たちはあそこまで「ビジョン」に固執するのであろう。

 

もちろんそれは、「コントロール」が楽しいからである。

自らが打ち出したビジョンに対して、多くの人がそれに従い、一丸となって組織が運営されているように感じるあの一体感と陶酔感、それはまさに、経営者冥利に尽きる瞬間なのである。

だが、経営者は知らねばならない。

大半の社員は企業が調子の良いときには「ビジョン」に共感する素振りを見せるが、それが傾けば、あっさり企業を見限るものである。もちろんビジョンも含めて。

 

だから「ビジョンをつくりましょう」というアドバイスよりも、「ビジョンは経営者の胸の中にしまっておいて、手を動かしましょう。成功は運の要素が強いので、試行回数が成功の秘訣です」というほうが、いくらか誠実である。

 

 

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sabin paul croce

 

*1

スタートアップの創業者や個人事業主が「時間の使い方」を極めるために利用するサービスとは。

仕事の生産性にとって決定的に重要なスキルの一つが、「時間の使い方」であることに異論のある方は少ないだろう。

 

ピーター・ドラッカーによれば、時間こそ、成果をあげるための最大の制約である。*1

成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、もっとも欠乏した資源である。それが時間である。

(中略)

時間はあらゆることに必要となる。時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。しかるに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を当たり前のように扱う。おそらく、時間に対する愛情ある配慮ほど、成果をあげている人を際立たせているものはない。

成果にこだわればこだわるほど「時間をどのように使うか」にこだわりを持たざるを得なくなるのは、当然だろう。

 

コンサルティング会社に在籍していたときの私の上司は、「時間を無駄に使うことは、八百屋が売り物の野菜を食べているのと同じだ」と口癖のように言っていた。

コンサルタントにとっては、時間は商品であり、個人が勝手に非効率に使って良いものではなかった。時間の使い方は厳しく管理され、時には監査され、評価された。

 

中でも上司が厳しく監視していたのが、「何に時間を使っているか」であった。

成果に直結しない仕事、例えば、無駄な訪問、お客さんのやるべき仕事をこっちで引き受けてしまうこと、あるいはアシスタントに任せるべき雑用などを自分でやっていることは、厳しい叱責の対象だった。

 

さて、そんな重要な「時間の使い方」であるが、読者諸兄は満足の行く時間の使い方をしているだろうか。

「生産性の低い仕事を自分でやらざるを得ない」

「家族との時間が取れなくなってきた」

「雑用で1日潰れてしまう」

と言った悩みを抱えてはいないだろうか。

 

そういった悩みをサポートするサービスを、あるスタートアップ企業が創り上げた。

株式会社キャスターの提供するオンラインアシスタントサービス「キャスタービズ」だ。

キャスタービズは、スタートアップの創業者や個人事業主に、最も貴重な資源である「時間」を確保してもらうことに貢献するサービスを行っており、大きな成果をあげている。

 

例えば、クックパッド、およびランサーズの創業メンバーである山口豪志氏は、創業時からキャスタービズを利用しており、サービスについて次のように語る。

山口豪志(やまぐちごうし)氏

2006年からクックパッド株式会社にて、広告事業・マーケティング事業の創成期より参加、2009年の同社IPOにトップセールスにて貢献。

2012年より3人目の社員としてランサーズ株式会社に参画。 2015年1月デフタパートナーズのアクセラレーターとして、インキュベーション施設である横浜グローバルステーションの管理運営とベンチャー企業向けに育成プログラムを提供するなど、活動領域を拡げる。

2015年5月、スタートアップエコシステムの構築を目的に株式会社54を創業。

yamaguchi

もともと、請求書の発行やホテルの宿泊予約みたいな「自分がやらなくてもいい仕事」を外部に出したいと思って使い始めました。

そういう仕事って、自分でやるのはすごく勿体無い。いつも言うんですけど、社員が一人の会社の社長の時給は3万円、十人なら30万円、百人なら300万円なんです。それくらい時間に対してシビアじゃないといけない。

でも、外部に業務を頼むのも実は大変です。要件を固めて交渉して、それから募集をかけないといけない。恐ろしく時間がかかります。

で、二の足を踏んでいたところで、キャスタービズさんと出会いました。

 

「オンラインアシスタント」と言うと、クラウドソーシングのイメージを持つ方もいるかも知れませんが、キャスタービズはクラウドソーシングとは根本的に異なりますね。

 

クラウドソーシングには、こっちから「こうしてくれ」「ああしてくれ」と言わないと発注できない。でも、それって結構面倒で、「自分でやったほうが早いじゃない」になりがちです。

そうじゃなく、キャスタービズのアシスタントは、向こうから「これは大丈夫ですか?」「あれは問題ないですか?」ってチェックリストのように聞いてくれる。これ、メチャメチャ楽なんです。

今では正直、キャスタービズさんがいないと、仕事が回りません。

 

———–

 

また、弁護士・公認会計士である菅沼匠氏も創業時からキャスタービズを使っている方の一人だ。

菅沼氏は公認会計士の2次試験に大学在学中に合格、さらに社会人になって働きながら「弁護士」の資格まで取得している。ただでさえ困難な弁護士の資格を、働きながら取得しているところは驚嘆に値するが、その陰には氏の驚異的なまでの時間管理に対するこだわりがある。

菅沼 匠(すがぬまたくみ)氏

弁護士・公認会計士 リンクパートナーズ法律事務所パートナー

監査法人、証券取引所、ベンチャー企業での経験を活かし、企業の成長段階に応じた適切なアドバイスを心がけるとともに、会計・税務・株価算定といった特殊分野の訴訟や種類株式を利用したファイナンス業務の支援などにも積極的に取り組む。

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とにかく私にとっては「時間」が最も大切です。それを会計士や弁護士の試験勉強をする中で学びました。

特に社会人で働きながら弁護士の資格をとるのは普通の努力では無理です。最大のパフォーマンスを毎日の勉強時間にあわせて出すために、時間の使い方には本当に工夫をこらしました。

 

もちろん、今でも時間が最も大切です。欲を言えば「お客さんにアドバイスをしている時間」だけに自分の時間を使いたかった。

でも、実際には様々な判例や文献を当たったり、競合を調査したりと膨大な時間がそれ以外に取られてしまう。そう言った時間を出来得る限り圧縮するため、キャスタービズさんを使い始めました。

 

今、使い初めて1年ほどたちますが、自分のリソースが1.5倍になった感覚があります。

まず「緊急」への対応がかなり早い。社外からチャットを使って指示を出すこともできますし、仕事も正確です。現在事務員の方を一人雇っているのですが、キャスタービズさんは月30時間だけでも「実働時間」しかカウントしないので、もう一人事務員が増えたのと同じ感覚です。これは大きいと思います。

私が依頼する契約書の雛形の文字起こしや、電話対応、会食の予約からフォローのメールまで、本当に活躍してくれていますが、もちろん、私以外の社員もキャスタービズさんのリソースをシェアして使えますので、かなり多岐にわたる業務をお願いできていると思います。この汎用性も魅力です。

 

———–

 

スタートアップの経営者、個人事業主の皆さんはもちろん、忙しいビジネスパーソンにとって、「時間」は究極の資源である。

その資源を有効に活用するためにも、一度「時間の使い方」を、見直してみてはいかがだろうか。

 

>>キャスタービズサービスサイトで話を聴いてみる。

 

 

 

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*1

 

掛け算の順序問題は日本の治安の良さの裏返しである

学校の掛け算の採点で計算の順番が違うと減点される事例が話題になっている。

参考:掛算順序問題について親戚の現役教員に本音を聞いてみた。

 

インターネット上で定期的に話題にあがるこの問題だけど、事の本質は日本の雇用問題と大きく関連しており、実は根深い問題を内包している。この問題を理解する事は日本人の本質をつかむ上でも極めて大切だ。今日はその事について書こうと思う。

 

義務教育の本質は規則正しい生活とルールを守る事を叩き込むことにある

学校は毎日同じ時間に始まり同じ時間に終わる。教室には教師という絶対的権力者がおり、教師の決めたルールに従って全てが決定される。

こうしてみればわかるけど、学校は極めて管理された社会だ。ちょっとダルイから授業開始時間を30分遅らせてくれといったような融通は基本的にはきかない。毎日毎日、同じような生活リズムが絶対的統制者の元で繰り返し繰り返される。

 

子供はここで社会のルールを身に着ける。規則正しい生活リズムと、目上の者への隷従、ならびに仲間との適切な関係を築く事。これらはサラリーマン社会の基本的なルールとなっている。働いている皆さんなら十分承知の事だろう。

突然だけど、あなたは刑務所で受刑者がどのような生活をおくっているかご存じだろうか?実は刑務所生活は義務教育生活と非常に酷似している。

規則正しい生活リズムはいわずもがな、刑務所では様々なルールがあり、受刑者はそこで徹底的に”決まり”を守る事を叩き込まれる。当然、非合理だったり理不尽な事があるのだけど、”決まり”は”決まり”であり、それを守れない人間は処罰が与えられるようになっている。

 

昔読んだ刑務所本の中に受刑者100人へのアンケートという項目があった。そこに「刑務所に入って何が変わりましたか?」という質問があったのだけど、そこで最も多かったのが、”忍耐強くなった”という回答であった。

義務教育と刑務所での生活の類似点を考えると,おそらくだけど僕たちは義務教育を通過する過程で自分でも気が付かないぐらい”忍耐強く”なっているのだろう(そして日本の治安がいいのは,義務教育がうまい具合に国民を”忍耐強く”しているからなのじゃないかというのが僕の考察だ)

 

ルールはなんの為にあるのか?

刑務所は基本的には犯罪を行った人が入る場所である。普通に考えると社会のルールを守れない人達が多く集まるのだから、治安が悪くなりそうだけど基本的にはどこもそれなりに平穏に稼働している.

これは一見、当たり前の事にみえるけど実は凄い事だ。規律をしっかりと整備すれば,どんな人間を集めようが治安は整うのである。しっかりとした上下関係(看守と囚人)を元に、お上が決めたルールを囚人に順守させればその社会は整うのだ(人権は多少は損なわれるかもしれないけど)

 

学校もこれも全く同じである。義務教育期間の子供達は、どちらかというと自分を自分で律する事が苦手だ。自分を自分で律する事が苦手な人間が何十人も集まっている集団に、規律正しい生活をおくらせる為には、しっかりとした上下関係(教師と生徒)を元に、お上が決めたルールを遵守させる事が何よりも大切だ(多少の不合理がでるのは仕方がない)

この原則がキチンと適用されているからこそ,義務教育は成立しているのである.かけ算の順序問題は、この原理原則から漏れ出たものだ。学問的視点から考えれば、たしかに順序がどうであろうが何も問題はない。けど”教師の決めたルールを守っていない”という点から考えれば、あれは減点を食らったとしても何も文句はいえないのである。

 

だから学問的正しさを元にあの問題を議論するのは論点がそもそも違うのだ。”決まりですから”に”学問的正しさ”で議論をふっかけても、永遠に話は平行線のままなのだ。

 

教師よりも頭がいい子供の問題

とはいえ学問的正しさは真理であり、それをあまりにも蔑ろにするのも問題だというのは事実だ。

人は生まれながらにして平等ではない.あたりまえだけど,世の中には頭がいい人もいれば悪い人もいる.生まれながらにしてIQが80の人もいれば,IQが120の人もいる事ぐらい普通に生きている人ならだれでもわかるだろう。

 

ときどきだけど、教師よりも遥かに知恵がまわるタイプの子供がいる。僕の知人にIQが150以上とかいうとんでもない天才がいるのだけど、彼は「数学の問題文を読むと、解法より先に答えが大体わかる」と言っていた。

そんな人間なので、数学の難問を解かせると別解を3~4個は平気で思いつくのがザラだった(その多くが誰からも全く習ったこともないような方法ばかりだった)

諸外国ではそういう人間は、飛び級させて上の学年にサッサとあがらせている。学問的正しさが、規律と同じかそれ以上に評価されているからこそだろう。

 

けど日本では飛び級は原則的に禁止されている。何故か?それは日本社会が年功序列を元にした終身雇用により運用されているからに他ならない(飛び級や教師よりも頭がいい生徒の存在は、年功序列を根本的に揺るがしかねない存在である。クラスのリーダーである教師より、生徒がごく一部でも正しいだなんて事は学校という特殊空間ではあってはいけない)

こう書くと終身雇用制度と年功序列制度が悪者のようにみえてくるかもしれない。けど冒頭に書いたようにこの制度がしっかり稼働しているからこそ、日本の治安は驚くほど良いのである。

 

かけ算の順序問題は日本の治安の良さの裏返しだ。徹底した年功序列と、”決まりは決まりですから”という融通のきかない生活は一見よくないものにみえる。けど、そこから生み出された”私達の忍耐強さ”が日本の社会を住みやすくしてくれているのだ。

 

 

プロフィール

名称未設定1

高須賀 

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

現実的には「失敗したって大丈夫」とは、気軽には言えない。

昔、よく通っていた飲食店があった。味が良いことはもちろんなのだが、店の雰囲気、主人の人柄など、全てにおいて居心地の良い店であった。

 

だが、店の経営はあまりうまく行っていなかったようだ。

人通りの少ない場所である上、主人が一人でやっているためか、少し混んでくると給仕が遅れたり、オーダーしたものが出てこなかったりと、初対面のお客さんに不手際をしてしまい、新規のお客さんがつきにくかったようだ。

あるいは競争相手の多い地区であったので、かなりの差別化が必要とされたのかもしれない。

 

いずれにしろ、いつしか店を訪れるのは僅かな常連ばかりとなり、ある日「店を閉めることにしました」と主人から聞かされたときは、悲しい気持ちになった反面、「やっぱりそうか」という感想を抱いたことも事実だった。

実際、データで見ても飲食店の経営は非常に厳しく、3年以内に半分の店が閉店することがわかっている。*1 

この店も例外ではなかった。

 

最終日、主人に「これからどうなさるのですか」と聴くと、

「常連客の一人が、大きな飲食店チェーンの社長だったので、そこで雇ってもらえることになった。そこで店を持たせてもらえる」

と聞かされた。

良かった、と素直に思えた。

「新しいお店がオープンしたら、知らせてください」と、主人に連絡先を渡し、主人が閉店するのを見送った。主人はやはり、悲しそうではあったが、どことなく肩の荷が下りたような表情をしていたことを記憶している。

 

数ヶ月が経ち、主人から一通の手紙が届いた。

「新しいお店がオープンします」

という知らせだった。

 

予約し、訪れてみると今度の店は建物も場所もよく、スタッフも何名かを抱えており、今度は成功できる、と言えそうなお店だった。

主人の作る料理は相変わらずであり、以前の常連も何名か来ていたようで、既にそれなりに予約も埋まっていると言う。

新しい門出を、私は心から祝福した。

 

しかし、残念ながら私はその店に以前ほど行くことができなかった。

今までは通勤の経路にお店があり、気軽に寄ることができたのだが、新しいお店は逆方向で、かなりの遠出をしなければならない。仕事が忙しくなったことも重なり、自然に足が遠のいた。

 

そうして、半年後くらいだろうか。

たまたま付近のクライアントによった帰り道、久々に店に寄ろうと店に電話を入れた。

「◯◯さんはいますか?」

「◯◯さん?彼は今、居ませんよ。」

「え……?」

「異動になり、地方に転勤しました……」

私は電話を切った。

 

なんということだ。店は異なる業態に改装され、主人はどこかへ飛ばされていたのだった。

サラリーマンとなってしまったとは言え、もう彼は厨房に立ってもいないと言う。

かなりの喪失感だった。

しかも突然のこと。私が行かなかったことがよくなかったのだろうか。私は主人に申し訳ない気持ちで一杯になった。

彼の店はもうどこにもないのだ。

 

 

そして数年後。

驚いたことに偶然、同業者の方から、その主人の話を聴いた。

「ああ、あの方なら知ってますよ、市場で見かけてましたから。」

という。

「内勤になったと聞きましたが……」

「いえいえ、その後はそこを辞めて、海外で職人として働いていたらしいです。ただ、そこも辞めて帰国し、最近では◯◯の付近で働いていらっしゃるらしいですよ。」

「どこのお店ですか?」

「それなんですが……今でもファンの方が結構いて、探しているらしいのですが、そこで働いていることを、だれにも連絡してないらしいんですよ。若い人に使われているみたいですし、それって、「探さないでくれ」ってことじゃないですか。」

「……」

「そっとしておいてあげたほうがいいと思いますよ。」

 

私はハッとした。

真に失敗すると、その人は消えていく。

「あのときは苦労しましたが……」と言える人は、実は成功者だ。

 

例えば、サイバーエージェントの社長が語る「失敗」は、失敗ではない。

挑戦しない人は「結局、恥をかくのが恐いだけ」 サイバーエージェント藤田社長が失敗カンファレンスで語ったこと

その時ちょうどインターネットバブルがあった2000年でしたし、上場するまでは息止めて一気にやっていたんで、失敗も何もなかったような状況だったんですけど、絶頂の時期に結構いろんな人生の先輩から、「挫折をしてないやつは駄目だよ」、「人生の中で失敗してないやつは駄目だ」って結構言われたんです。

それを聞いた時に、「何を言っているんだ。そんなのなくたって一気に駆け抜けられるよ」と。それまでうまくいっていたんで正直そう思ったんですが、今となっては、同じような調子に乗った若者がいたら、「おまえ、挫折してないから駄目だ」って絶対言っていると思うんですけれども(笑)。

上場直後にネットバブルが崩壊し、その時恐ろしい株価がついていたのが、あっという間に半分じゃなくて10分の1になったものですから、1株850万が85万まで下がっていって、そのまま亡くなった方の心電図のようにピタッと下に張り付いたんです。

これは、「成功の中の失敗という面白いエピソード」に過ぎない。

真の失敗が知りたければ、今もなお失敗し続けていて、浮き上がれる望みが持てそうにない状態の人に語ってもらうべきものだ。

 

もう若くもなく、ファンになってくれた人に合わせる顔も持てず、自分よりも若い人に使われる日々。

それを想像すれば、成功者の失敗談など笑い草に過ぎない。

現実的には「失敗したって大丈夫」とは、とてもではないが気軽には言えないのだ。

 

 

 

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bambe1964

 

*1 http://www.inshokuten.com/foodist/article/611/

進んでサービス残業をするサラリーマンは「悪い経営者に加担している」という主張について。

以前労働時間について、ある会合で議論をした時、大方の人は「サービス残業はよくない」と言っていたのだが、一部の方が

「仕事が好きで、進んでサービス残業する人もいますよ。自由にさせたらどうですか。」

と言っていた。

 

要するに、本人の意志でサービス残業をしているのだから、他人から文句を言われる筋合いはない、ということだ。

だが、それに対しては周りから「それは悪い経営者に加担している」と、かなりの批判があった。

 

————

 

たしかに私にも「進んでサービス残業する人」には覚えがある。

しかも、結構まじめで、成果に対して真摯に向き合っており、しかもそれなりに仕事ができる人ほど、そのような発言をする。

「会社に迷惑をかけたくない」

「私の仕事が遅いのだから、会社に残業代を請求しないのは当然」

そう言う方々だ。

 

ほとんどの経営者にとってはもちろん、彼らはありがたい存在だ。

なにせ、経営者は「成果に対して支払いをしたい」と考えているから、残業することで成果がより上がるならばともかく、生産性が低いのに残業代を請求してくる輩は、「すぐにでもクビにしたい」と思っている人が多いだろう。

 

もちろんサービス残業を進んで行う労働者も

「自分はできる方である」

「会社へ大きく貢献したい」

と考え、長期的には会社の中での出世、あるいは「短時間でより多くの成果を出すスキル」を身に着けようとしているから、経営者も彼らを評価しやすいだろう。

 

だから結果的に、「経営者+サービス残業を進んで行う一部の労働者」と、「サービス残業を望まない労働者」との対立が生まれている。

 

ではなぜ本人の意志で、サービス残業をしているにも関わらず、批判を受けてしまうのだろうか。

「オレは働きたいのだからいいじゃないか」との主張が悪であると言われてしまうのだろうか。

 

その本質はおそらく「サービス残業を進んで行うこと」が一種のダンピング(不当廉売)であるとみなされているからではないか、と思う。

不当廉売とは、市場の健全な競争を阻害するほど不当に安い価格で商品を販売すること。

日本においては、独禁法が不公正な取引方法を規制している。そのうち、不当廉売は、公正取引委員会の一般指定6項において不公正な取引方法に指定されている。

一般指定6項が定める不当廉売行為とは、

・正当な理由がないのに商品又は役務をその供給に要する費用を著しく下回る対価で継続して供給する行為
・その他不当に商品又は役務を低い対価で供給する行為

であって、他の事業者の事業活動を困難にさせるおそれがあるものを指す。

不当に安い価格で商品を販売することは、その時点では消費者に利益があるように見える。しかし長期的視野で考慮した場合、結果として資本力の強い者が弱い者の事業活動を困難にし、市場の健全な競争を阻害し、最終的には消費者の利益を害する可能性が高い。

そのため独占禁止法ではこれを禁止し、公正取引委員会による是正措置の対象にしている。*1

サービス残業をさせる経営者だけではなく、サービス残業を進んで行うサラリーマンが糾弾される理由は「公正な競争ではない」と言われていることに等しい。

 

高い意欲と能力を持つサラリーマンが、そうではないサラリーマンに対して、健全な競争を阻害するほど安い価格で労働力を売れば、当然のことながら、後者は更に困窮することになろう。

そして、長期的に見れば、経営者の利益を阻害する可能性が高い……

これが、進んでサービス残業をするサラリーマンは「悪い経営者に加担している」というロジックである。

 

 

しかし、経営者と、サービス残業をする側だけが悪なのか、といえばそうではない。

結局成果があがらないまま、残業代だけが膨らめば、経営者もサラリーマンも、共倒れになることは明白だからだ。

おそらく「成果に応じて働き、高給と地位を目指す」という人と、「時間に応じて働き、暮らしが成り立つ程度に貰えれば良い」という人では、一緒の制度で働くことは難しいのだと思う。

 

政府が「高度プロフェッショナル制度」という働き方制度の改革を進めようとしているのは周知の事実である。

約1000万円以上の年収をもらう人々から、原稿の労働時間の枠を外そう、という試みだ。

私の周囲には「まあ、現実的にはそうだよな」という方が多い。

 

確かに、上のような「サービス残業を進んで行う人は悪」と思う人と、「能力に自信があって、メチャメチャ働きたい」という人が両立するためには、法制度を分けていかなければいけないのだろう。

「多様化」はこんなところにも現れてきているのだ、と感じる。

 

 

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Aaron Guy Leroux

 

*1 不当廉売 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%BD%93%E5%BB%89%E5%A3%B2

何かを拝みたい気持ちは大事だけれど、変なものに騙されないために。

先日、早すぎる雪が降りました。

今年の秋ももうおしまいですね。

こういう寂しい季節になると、私はお寺や神社をお参りしたくなり、つい、旅行に出かけてしまいます。

 

私は仏教徒ですが、こういうのにもめっきり弱くて、つい、手を合わせてしまいます。

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これはサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会の夜の写真ですが、宗教や宗派に関わらず、寺院や神社を訪れると特別な気持ちが沸いてきます。「この場所には敬意を払いたい」「きちんと手を合わせたい」――そんな気持ちです。

 

私は、人間には何かを拝んだりありがたがったりしたい欲求があると思っています。

「崇拝欲」とでもいいますか。

 

寺院や神社に神仏が宿っているか否かを科学的に検証することはできません。けれども、素晴らしい寺院や神社には、敬意を払いたくなるような、それこそ“スピリチュアル”な雰囲気が漂っています。その雰囲気の正体は、建っている場所が特別だからかもしれませんし、外見や内装が特別だからかもしれませんし、たくさんの参拝者が真剣にお祈りしているからかもしれません。いずれにせよ、神社や寺院の魅力は一般的な娯楽施設のそれとはだいぶ異なっています。

 

 

「崇拝欲」は現代社会でも廃れていない

私のようなお参りマニアにとって、「崇拝欲」はしょっちゅう意識させられる間近なものですが、あまりお参りなどせず、普段は「崇拝欲」を意識しない人も多いのではないかと思います。

 

それでも、何かを拝んだりありがたがったりしたい気持ちって、意外なほど現代社会に残っていると思うんですよ。

 

特定の宗教・宗派に入信してはいないけれども、初詣には寺社で手を合わせ、冠婚葬祭を宗教式にこなし、旅先でお守りを購入する日本人は非常にたくさんいます。クリスマスだってそうですよね、キリスト教徒は少ないはずなのに、“祝された日”“おめでたい日”としてすっかり定着してしまっています。

 

ときに、「日本人は無宗教だ」と言われますし、欧米の組織宗教の定義どおりに考えるなら、そのとおりかもしれません。ですが、八百万(やおよろず)の国に育った私達の心性は、時と場合によって「崇拝欲」がいろいろなものに差し向けられるようにできています。そういう意味では「日本人は無宗教」とは言い切れませんし、そんな国だからこそクリスマスもすんなり定着したのでしょう。

 

そして“パワースポット巡り”のようなレジャーは今も人気です。仏教や神道に入れ込んでいるわけではない人でも山奥の寺社を訪ね、元気をもらってくるわけですから、寺社がもたらす“スピリチュアル”な雰囲気は健在なのでしょう。さしずめ、“宗教は廃れても「崇拝欲」は廃れなかった”といったところでしょうか。

 

 

拝むものを間違えると大変なことになる

ただし、崇拝できそうなものなら何でも拝めば良いというものでもありません。

 

“パワースポット巡り”や観光地でお守りを買うぐらいの「崇拝欲」なら、さして問題無く、ちょっとした心の支えにしても構わないように思われます。

ですが、たとえば怪しげな健康増進法や健康食品が「崇拝欲」の対象になってしまったら、どうなるでしょうか。

 

その筋の健康商品は、万病に効くかのような“スピリチュアル”な雰囲気を伴ってしばしば売り出されます。健康食品の広告欄に載っている経験談も、あれは科学的な裏付けによって買い手を説得しているわけでなく、ありがたい雰囲気を醸し出すことによって、つまり「崇拝欲」に働きかけることによって人を惹き付け、モノを買わせているのです。

そうした健康商品に惹き付けられるあまり、きちんとした医療を受けるタイミングを逃してしまう人もときにいます。

  

また、現代社会にもカルトな集団がそれなり存在していて、「崇拝欲」が宙ぶらりんになっている人を捕まえようと虎視眈々と狙っています。何かを拝みたい・ありがたがりたい気持ちが高まっているけれども自分では気付いていない人は、カルトな教祖や集団に出会うとたちまち魅了されてしまい、ありがたがっているうちに金品を巻き上げられてしまうかもしれません。

 

現代社会では用無しのようにみえる「崇拝欲」ですが、おざなりにしておくと結構危ないのではないでしょうか。

 

 

「崇拝欲」を飼い慣らそう

じゃあ、どうすれば良いのでしょうか。 

私は、「崇拝欲」を野放しにしておくのでなく、飼い慣らしておくのが良いと思っています。

 

人間は、調子に乗っている時には「崇拝欲」を充たしても充たさなくても案外平気だったりします。「自分の力でなんでも解決できる」「自分の生活に理不尽なものなど無い」と思っている時には特にそうです。

 

ですが、「苦しい時の神頼み」という言葉もあるように、「崇拝欲」は、調子が悪い時や自分の力では解決できない事態に直面した時に首をもたげてくるものです。

 

普段、あまり拝んだりありがたがったりし慣れていない人は、そういう事態に直面した時に、目利きも加減もきかないまま、とんでもないものを崇拝しはじめてしまうかもしれません。

 

それぐらいなら、崇拝しても無難なものを、普段のうちから拝んだりありがたがったりしておくのが安全ではないか、と思うのです。

 

特定の宗教に入信している人なら、自分の宗教関連のものを崇拝対象にしておけばとりあえずは安心でしょう。さしあたって、歴史や社会的信用のある宗教なら危なげがないように思われます。

 

そうでなくても、自分自身の「崇拝欲」を安心して預けておける対象を見つけておき、常日頃から「崇拝欲」を充たせるように心がけておけば、心に隙間ができた時にも、危ないものを崇拝し始めてしまうリスクを遠ざけておけます。

 

もし、人間がいつも科学的に判断して合理的に行動する生き物だったら、「崇拝欲」なんて気にする必要はないのかもしれません。しかし、現実の人間はそれほど科学的でもなく合理的でもなく、ときには「崇拝欲」にグイグイ引っ張られてしまうものですから、そういう気持ちもきちんと視野に入れて、お手入れしておきましょう。

 

 

科学や合理主義と「崇拝欲」は両立する

ちなみに、「崇拝欲」を充たすことと科学的思考や合理主義にもとづいて生活することは、必ずしも矛盾するものではありません。

 

たとえば「われ思う、ゆえにわれあり」で有名なルネ・デカルトは、科学や合理主義に大きく貢献した人ですが、彼はキリスト教の信者でもありました。このほかにも、宗教をしっかり信仰しながら科学的業績を挙げた人はたくさんいます。

 

むしろそういった人達は、科学や合理主義と「崇拝欲」の両方の世界を知っていたからこそ、どこからが科学や合理主義を適用すべきで、どこからが神や宗教といった「崇拝欲」に身を任せるべきなのか、わかっていたのでしょう。

 

今日の社会では、科学的思考や合理主義が尊ばれていて、「崇拝欲」にまつわる神や“スピリチュアル”のたぐいはあまり重視されていません。しかしそれだけに、どこからが科学や合理主義を適用すべきで、どこから宗教や“スピリチュアル”に身を任せるべきか、わかったようでわかっていない現代人が案外いるようにいるのです。

 

思うに、怪しげな健康食品を拝むように買い漁ったり、科学の装いをした偽物をありがたがったりしている人達は、そのあたりの区別ができていないのではないでしょうか。科学や合理主義が時代のメインストリームになっている今だからこそ、人間の心の内に潜む「崇拝欲」をしっかり認識して、マネジメントしておく価値があるように私は思います。

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨 

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)など。

twitter:@twit_shirokuma   ブログ:『シロクマの屑籠』

熊代亨のアイコン 3

知的であるかどうかは態度を見ればわかる。

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漫画:眞蔵修平

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出典:知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。

 

少し前に訪れた大学の先生から、面白い話を伺った。

それは「知的な人物かどうか」という判断の基準に関するものである。

彼は「人間の属性と、知的であるかどうかの関係はよくわかりませんが、少なくとも私が判断をするときは、五つの態度を見ています」という。

 

一つ目は、異なる意見に対する態度

二つ目は、自分の知らないことに対する態度

三つ目は、人に物を教えるときの態度

四つ目は、知識に関する態度

五つ目は、人を批判するときの態度

 

知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだ、と思う。

 

 

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元高校野球の女子マネージャーが語る、ソフトウェアのカスタマーサポートの面白さ

こんにちは。ソリマチ株式会社「会計王」シリーズのカスタマーサポート担当の山内と申します。

今日は、ソフトウェアのサポートセンターの内情について、少しお話をしたいと思います。

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電話のサポートセンター、というとどういうイメージをお持ちでしょうか。

私の友人からはいつも、「きつくないの?」とか「クレームとか厳しくない?」と聞かれます。

 

正直に言います。私も入社前はそういうイメージを持っていました。ですが、今はきついどころか「奥深く、極めがいのある仕事」と考えています。

特に誇張しているわけではありません。素直にそう思います。

 

なぜそう言えるのでしょう。

話は7年前、私が高校生の時に遡ります。

 

*****

 

高校生の時、新潟県の下越にある新発田(しばた、と読みます)出身の私は、双子の兄の影響を受け、野球にすっかり熱中していました。

そこで「野球部のマネジャーをやりたい!」と思い、一念発起して勉強し、地元では強豪校であり、甲子園の出場経験もある新発田農業高校に入りました。

 

ところが入ってみると、強豪校だけあって、マネジャー志望の子がたくさんいるんです。

普通は野球部にマネジャーは1,2人なのですが、私のときは6人もいました。ボーッとしていると「仕事がない」なんていう状態になります。

 

ですから「先回りして、部員のニーズに気づく」を実践すること。

これが一番重要なことでした。

練習が終わりそうなときには、飲み物を作って待機したり、部員と仲良くして「これやって、あれやって」という頼み事を積極的に引き受けたりもしました。とにかく練習が多いので「夏休みが2日しかない」という状態で、厳しい部活でしたが、今思えば、この時の体験がとても仕事に生きていると思います。

 

高校を卒業して、私は専門学校の「アナウンス科」に進みました。

実はしばしば、野球場で大会のアナウンスをしていたので、それが面白い、と思ったからです。

地元のラジオ局でアナウンスの練習をさせてもらい、そこで声の勉強をしました。一つ大きな発見だったのは、先生から「口の開け方」よりも「表情」に気を配りなさい、と言われたことです。

声の出し方を勉強することは、実は表情を勉強することでもありました。

実はこれも、現在の仕事に生きています。

 

ここまで来ると、私も自分の強み、あるいは希望、と言ったものが少しずつ分かってくるようになりました。

つまり、私の強みは「人の世話をすること」と「声を出すこと」の2つです。

 

そこで私が見つけたのが、「カスタマーサポート」の仕事でした。

しみじみ思いますが、早いうちから「キャリア」の方向性を見つけることができたことは、とても幸運なことだと思っています。

 

*****

 

本質的に、カスタマーサポートの仕事は、「先回り」です。

つまり、お客様が電話で語る事象から、何が起きているかを推測し、適切な解を先読みして素早く示すことが求められます。

 

例えばこんな具合です。

「ソフトを社内で共有して使いたいんだけど、設定できないんだけど」

というお問い合わせをいただいたとします。

その時点で10個くらいの解決策が思い浮かば無くてはなりません。記憶を辿り、データベースをあたり、その状態から、利用の状況、画面遷移などをお聞きし、当たりをつけてお客様に「こうしてください」とお願いします。

これが早ければ早いほど、よいカスタマーサポート、と言えます。

 

もちろんそれだけではありません。

ソフトウェアのインストールなどは少し時間もかかりますので、お客様をただお待たせするのも良くありません。

その間にお客様が他に疑問に思われている点や、ソフトウェアでやりたいことなどをお聞きして、待ち時間を作らない工夫をしています。

 

こういったことは「営業」のような側面もあり、非常に知的で面白い仕事であるといえるのではないかと思います。

繰り返しますが、トラブルシューティングは、非常に面白い仕事の一つと断言できます。

 

ただ逆に、対面ではない分お客様もこちらの声のトーンにはかなり敏感です。

 

例えば、今でもはっきり覚えている仕事が一つあります。

それは、私がカスタマーサポートに配属されて最初に受けた電話で、以前からよくご利用いただいている方へのサポートでした。

お客様は開口一番

「新人さん?」

と私に言いました。

「わかっちゃうんだ……」と、落ち込みましたが、とてもいい学びとなりました。「声よりも表情に気を配る」の鉄則を忘れていたのです。その時の私は、プロの表情ではありませんでした。

 

現在、サポートセンターには多くのオペレーターが働いています。

長い方ではもう15年以上、カスタマーサポートの仕事をしており、誇りを持って働いている方も多いと思います。

とかくITの世界では、技術者がクローズアップされることが多いですが、実はお客様が使い始めた後のサポートも、重要なのではないでしょうか。

 

サポートの奥深さを日々噛み締め、これからも楽しく働いていこうと思います。

 

ソリマチ株式会社

中小企業・個人事業主向け会計ソフト「会計王」

 


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報酬体系は、極めて不公平に設計されていてしかるべきだ、と有能な人は考えている。

web上で、こんな記事がシェアされていた。

カンファレンスに参加したいという技術者に会社が許可を出さないので、技術者が実際に転職しようとしている、という話だ。

 

カンファレンス参加費(8,000円)を払わないと優秀なエンジニアを失う可能性があるという話

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転職をしようとしている彼がどのような方なのか全く知らないので、以下は全くの当て推量だが、これを見て「知識労働者」の思考の様式の一端を垣間見た気がした。

一体、彼は会社の何に不満なのだろう。

もちろんたった8000円を惜しんでいるわけではない。彼は自腹でも参加費を出してカンファレンスに行っただろう。そうではなく、おそらく、やりたかったのは、会社を「試す」ことだ。

 

—————

 

有能な知識労働者は、常に会社が自分のことを正当に評価しているか、試そうとする。例えば、以下のようなシーンでは常に会社を試す。

・給与の交渉
・セミナーへの参加許可
・図書の購入
・有給休暇の申請

こういったことを通じて、会社が、どれだけ人に対しての投資を躊躇しないか、ということをよく見ている。もちろんこれは、会社に自分が貢献している、という自負があればこその行動だ。

会社はこれに対して、3通りの反応を示す。

・全員に認める。
・優秀な人物だけに認める。
・全員に認めない。

そして、人事が難しいのは、この選択だ。

 

普通の会社、クラシカルな日本の会社がやりがちなのは、

・全員に認めない

である。カネは払わない、自腹で行け、自己研鑽が基本、というわけだ。

これは平等を重んじ、無駄なコストをかけることを嫌う会社の価値観にもよるが、旧来の装置産業、労働集約的な産業では人に投資をするよりも、機械や設備に投資をしたほうがリターンが大きい、という判断があるからだ。

 

だが、すこしお金に余裕のある会社は、

・全員に認める。

を採択する。

これも悪くない。だがこの制度は「優秀な人」ほど、不満を持ちやすい。なぜなら、「差」がないからだ。

人と人の差がつかない人事制度は、本質的には全く機能しない。パフォーマンスの高い人が求めるのは、報酬の金額そのものではなく、「アイツより待遇が良いか悪いか」という差だからだ。

実際、人事制度が演出すべきは、「格差」だ。

 

したがって、表立って言う人は少ないが、有能な人物の思考の様式は多くの場合、真ん中の

・優秀な人物だけに認める

である。

そしてこれこそ、知識集約的な産業において、競争力のある会社が目指している姿だ。

 

例えば、Googleは「不公平であること」を良しとする。*1

大半の企業は見当違いの「公平」を目指し、最もパフォーマンスの高い社員や、最も可能性のある社員がやめたくなるような報酬制度を設計している。
「報酬は不公平に」という原則はもっとも重要だが、これまでの慣習を否定しなければならず、最初は戸惑いを感じるかもしれない。

(中略)

公平な報酬とは、報酬がその人の貢献と釣り合っているということだ。グーグルのアラン・ユースタス上級副社長に言わせれば、一流のエンジニアは平均的なエンジニアの300倍の価値がある。

ビル・ゲイツは更に過激で、「優秀な旋盤工の賃金は平均的な旋盤工の数倍だが、優秀なソフトウェア・プログラマーは平均的なプログラマーの1万倍の価値がある」と言っている。

知識集約的な産業、会社においては、報酬体系は、極めて不公平に設計されていてしかるべきだ、と有能な人は考えている。

 

ここを履き違えている会社に、極めて有能な知識労働者がとどまることはない。

本質的に、知識集約産業において人の出す成果は「正規分布」ではなく、完全な「べき分布」となるからだ。つまり、上位数%が出すパフォーマンスが極端に高い分布となる。

だから、知識労働者は「悪平等」をには徹底的に抵抗しようとする。だから、事あるごとに会社を試す。

先に紹介したGoogleに於いても同じだ。

「生産力の10%を最上位の従業員がにない、生産力の26%を上位5%が担う。」言い換えれば、上位1%の従業員の生産量は平均の10倍、上位5%の従業員は平均の4倍にのぼる。

(中略)

最も優秀な社員一人を何人となら交換してもいいか。5人以上なら、最も優秀な社員の報酬が少なすぎるだろう。10人以上なら、ほぼ間違いなく報酬が少なすぎる。

グーグルでは、同じ業務を担当する2人の社員が会社にもたらす影響に100倍の差があれば、報酬も100倍になる場合が実際にある。

もちろん、テクノロジーがあまり意味をなさず、ひとりひとりの差がつきにくい、労働集約的な仕事においてはこの限りではない。しかし、逆にこれくらいの差がついても「当然」なのが、知識労働者の世界なのである。

 

無能を100人集めても、1人の有能な人間には全くかなわない、ということが普通に存在する世界で、人事、報酬制度はどうあるべきか。

この世界では好むと、好まざるとにかかわらず、ハイパフォーマーを惹きつけなければ企業が競争力を保てない。

 

もちろん、それが人類全体に幸福をもたらすのかは別の話だが、これから我々が直面するのは、そういう時代だ。

 

 

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チャレンジしてもそれほど報われないのに、リスクだけは大きい「社内ベンチャー」制度を、どう変えたら良いか?

こんにちは。Relicの北嶋です。今回は「社内ベンチャーあるある」の1つ、評価の課題について書いてみたいと思います。

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(写真は弊社COOの大丸です) 

例えば皆様のお勤めの会社で、

「社内ベンチャーの責任者の公募」

 があった場合、応募してみたいと思いますでしょうか?

 

一般的にはこの質問への回答は、Noだ、という方が多いと思います。また弊社の活動経験から言うと、特に大企業にお勤めの方ほど、Noという傾向があります。

 せっかくのチャンスなのに、なぜでしょうか?

 

その大きな理由の1つが、

「成功のメリットがそれほど大きくない割には、失敗のデメリットが大きい」ことが挙げられます。

 

このシリーズの中で繰り返しお伝えしていますが、根本的に新しい試みは不確実性が高く、成功確率が非常に低いのが実情です。

 実際、ユニクロの母体であるファーストリテイリングの創業者の柳井氏ですら、「10の施策のうち、9は失敗。成功は1つだけ*1」と述べています。

 

もちろん、新規事業のように大きなチャレンジをすればするほど、失敗の可能性は更に高くなります。

したがって、「社内ベンチャーの責任者」は、キャリアに「失敗」という記録が残る可能性の方が遥かに高いのです。

単に悲観するわけでも、諦めるわけでもないですが、これが現実の厳しさです。

 

もちろん、私自身を含め一般的なスタートアップの経営者たちは、失敗の確率が高いことを承知で仕事をしています。それでも彼らの多くが身を粉にして働くことができるのは、成功したときの見返りが莫大だからです。 

数億、数十億という金銭的な見返りのみならず、社会的な名誉や地位、そして「やりたいことを自由にやって成功した」という満足感や、事業を通して新しい価値や市場を創った達成感。

もちろん、実際は自由に伸び伸びやっているだけで成功するケースは稀ですし、その過程で壮絶な修羅場や苦難を乗り越えている起業家がほとんどですが、いずれにせよ、自分が志を持って立ち上げた事業が成功したという経験は、何事にも代えがたい喜びがあるでしょう。

 

そういったものをすべて、成功した起業家は手にすることができると信じて、仕事をします。

 

翻って「社内ベンチャー」の責任者はどうでしょうか。

成功のためには、彼らもスタートアップの経営者たちと同じように、身を粉にして働かなければなりません。しかし、その見返りは?

 

現実的には、ほとんどの大企業では残念ながら、「見返り」は保証されていません。なぜなら、既存の人事制度の枠に入り切らないからです。

「大抜擢されて出世できるかもしれない」

「ボーナスが大幅に増えるかもしれない」

「大きな裁量が与えられるかもしれない」 

すべては「かも知れない」です。

 

実際、企業は社内ベンチャーが成功したとしても莫大な報奨金を社員に与えることはほとんどありません。

例えば、「ノーベル賞級」の発明だった青色発光ダイオードの発明者である中村修二氏は、日亜化学工業の研究者でしたが、発明の対価として受け取った報奨金は2万円、また、昇進はしましたが年収は2,000万円ほどだったと言われています。

これを不服として中村修二氏は日亜化学工業に対し裁判をおこし、和解金8億円を受け取っていますが、これが正当かどうかは、未だに議論のあるところでしょう。

そもそも、大企業は利害関係者が多すぎるため、一人の人間が莫大な褒賞を受け取ることを良しとしません。

 

1960年から70年代にかけて、産業界を席巻した米コングロマリットのITTの総帥、ハロルド・ジェニーンはこう言っています。

そこで問題はこうなる。—–どうしたら会社組織の中で、自発的な発明の才ある従業員に、企業家としての報酬を与えることができるか?会社と従業員の企業家的熱情を駆き立てるために、どんなことができるか?

実は、それは何も新しい問題ではない。昔からよく挙げられる例に、とびきり優秀なセールスマンの処遇の問題がある。会社全体の利益になる新しい売上を”創造”したスターセールスマンが、どれほど大きな報酬を得ようとも、それにストップをかけるつもりはなく、仮に一人二人のスターセールスマンの収入が社長である自分のそれより多かろうとも、ちっとも気にはしない、とあちこちの会社の社長が断言するのを私は耳にしてきた。

しかし、セールスマンが実際に自分より多くの報酬を得ても前言を翻さなかった最高経営者は、一人か二人しか知らない。他は全て方針を変えてしまった。*2

もちろん、金銭的な報酬だけが重要なわけではありません。中には、金銭などには目もくれず、別の形での報酬を求める方もたくさんいます。

それは、冒頭申し上げたとおり、地位や名誉かもしれませんし、より大きなやりがいのある仕事や裁量・権限かもしれません。

 しかし、上述したように、それですら仮に成功したとしても、必ずしも報われるとは限りません。

 

そしてさらに、新規事業がもし「失敗」した時はどうでしょう。

この場合、多くの場合はその方の評価にとってプラスにはなりません。極端に下がることはなくとも「失敗しても、チャレンジしたことそのものが評価され、評価が上がった」という会社は極めて少数であるのが現実です。

 

また、場合によっては出世コースを外れてしまう、という極めて酷な結果が待ち受けている場合もあります。

「イノベーションのジレンマ」で有名なクレイトン・クリステンセン氏が創設したイノサイト社の共同経営者、スコット・D・アンソニー氏は、次のように述べています。

多くの企業では失敗に対して厳しいペナルティが課され、成功に対する報酬は少ない。(中略)

 結局のところ、イノベーションを起こすようにとリーダーがチームに伝える時に、チームは耳を傾けてはいるが、彼らは実際には、リスクを取って失敗したチームが罰せられる事例を目にした時に、何が大切なのかを学ぶのだ。*3 

こう言うと「いや、うちの会社の新規事業の責任者は、評価を気にせず、見返りも期待せず頑張っているよ」と言う経営者もいます。

ですが、そういった有能な責任者は自分の中に確固たる意志や芯があるので、そのうちに会社を辞めて、自ら起業してしまうことがほとんどです。

 

結局のところ、「失敗してマイナスになったり、自由に挑戦できないならば、いっそ会社を辞めて自分でやればいいや」と思ってしまうのです。

前述したジェニーンは、こうも言っています。

真の企業内企業家は—–従来もそうしたように—–すべての責任とリスクと、そして報酬を一人でとれる自分の事業を始めるために会社を去っていく。

(中略)

企業の中には真の企業家は—長期に渡っては—-存在せず、また存在し得ないのが実相である。企業家は十分な経験を身につけるまで大企業の中にとどまる。

それからキャッシュを手に入れるために出ていってしまう。*2

では、この状況を、企業側はどのようにハンドリングすればよいのでしょう。

 

1つ目は、社内ベンチャーを始めるにあたり、「成功の基準」と「見返り」をきちんと定義しておくことです。

良いか悪いかは別としても、スタートアップの場合はIPOや事業売却といったイグジットがわかりやすい短期的な成功の基準として存在していますが、とかく、社内ベンチャーには「どこまで成功すればよいのか?」というわかりやすい基準が定められていないケースがほとんどです。

これではメンバーのやる気に影響が出ることは避けられません。辛く、苦しい新規事業の立ち上げという困難を乗り切るためには、抽象的な「想い」だけでは続きません。

 

そして2つ目は、「社内ベンチャー」のメンバーを、社内の既存の評価の枠組みから外してその事業、人材に適した評価・報酬を設計をすることが重要です。

積極的に新規事業に取り組み、会社を成長させてきた某大手IT企業などはここが非常に上手く、例えば、実際にはマネジャークラスの給与しか与えていなくても、新規事業の責任者を「子会社の社長」とし、一国一城の主という名誉と権限を与えることで、やる気を喚起すると同時に、起業予備軍的な人材の流出を防いでいます。

 

大きく成果を出した場合には、既存の人事制度では算出できないような高額な報酬を与えたり、大抜擢の人事により役員・執行役員に就任させるといったこともあります。 

場合によっては、子会社の経営陣によるマネジメント・バイアウト(MBO)を認め、親会社のコントロール外に出ることさえも許容して応援します。

 

また、昔ながらの総合商社でも30歳前後の優秀な若手を子会社の社長や役員として出向させ、そこで経験を積ませて鍛えるなど、既存の枠から外して若手人材に裁量を与えることに対して積極的です。

 

上記はほんの一例ですが、起業家精神を持つ人物を企業内で上手くプロデュースするためには、既存の枠組みから少し外れた所で、報酬も裁量も、自分たちである程度決められるような環境を作ってあげることが重要なのです。

 

どの企業にも、その会社の文化や人材に合った、挑戦しやすい仕組み作りが必要だと考えています。大切なのは、それを考え続け、試行錯誤を繰り返すことなのです。

 

 

WEBサイト:株式会社Relic

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現在の40代以下の人は、65歳では引退できない。

ロンドン・ビジネス・スクールの教授、リンダ・グラットンは、MBAプログラムを受講する学生たちに次のような問いを発するという。

100歳まで生きるとして、勤労時代に毎年所得の約10%を貯蓄し、引退後は最終所得の50%相当の資金で毎年暮らしたいと考える場合、あなたは何歳で引退できるか?*1

具体例をあげよう。

23歳で就職、現在40歳の人物がいて、現在は700万円ほどのそれなりの水準の給与をもらっている。

貯蓄は毎月の給与とボーナスの10%程度をコツコツと行い、現在は1000万円程度の蓄えがある状態だ。

想像できただろうか?

 

さて、解答だ。

リンダ・グラットン氏の解答は、

「この場合は80代まで働くことが求められる」

となっている。

 

この数字には私も少し驚いた。70代の中盤くらいまでは働く必要があると思っていたが、実際には想像以上に長く働かなければならないという事実が、我々に突きつけられている。

大きな原因の一つは、年金の減少だ。

当たり前だが、平均寿命が伸びて出生率が下がれば、年金の受取が増え、拠出は減る。

 

 

「100歳まで長生きする人なんて、そういないよ」という方もいるかもしれない。

私も現在の平均寿命から考えると、85歳位で自分も死ぬのではないかと思っている。

 

だが、リンダ・グラットン氏の試算では、1971年生まれの人物が2056年に85歳で死ぬと仮定しても、勤労期間の44年の間は、17.2%を貯蓄する必要があると試算している。

つまり、月給40万、ボーナス80万の人なら、毎月の貯金額は7万円、ボーナス時には上に加えて14万円の貯金が必要だということだ。

これぐらいの貯金をコツコツ40年以上続けて、ようやく65歳で、現役時代の50%の生活資金で暮らしていけるだけのお金が手に入る。

 

つまり、現実的に考えれば、現在40代以下の人たちは、65歳で引退するなどとてもではないが考えられない、ということが既に見えている。

そして、対策は3つしかない。

・現役時代により多く貯金する。

・老後の生活水準を現役の時に比べて著しく落とす(消費する金額を3分の1、4分の1にする。)

・65歳を超えても働き続ける

どの選択肢が好みに合うかは人それぞれだが、何もせずに我々の親の世代と同じような老後が過ごせる、と思っている人は考えを改めるべきだろう。

 

では、この現実にどのように対処すべきなのだろうか。

個人的には65歳を超えても働き続ける事を選択したいとおもっている。

現在の65歳は、一昔前までの65歳よりも遥かに健康であって仕事をするのに差し支えはなく、仕事をやめてしまうと認知症になる危険性も上がるからだ。

 

だが、そのためにはかなり前からの準備が必要だ。

何もしなければ65歳になって企業から放り出され、大切な退職金を無謀な投資で失ってしまったり、うまくいきそうにない商売を始めてしまって何もかも失う、ということにもなりかねない。

投資をきちんと学ぶには時間が掛かるし、実験も必要だ。自分で商売をするならばなおさらである。

 

そう言う意味では、現在安定した職についていようがいまいが、

「自活するにはどうしたら良いか」

を今から真剣に考え、現在の勤め先と年金を当てにせず自分自身である程度稼げる道を見つけておく必要があるだろう。言うなれば、65歳での「再就職」に対して、現在から念入りに準備をするのだ。

 

20歳過ぎでの新卒の就職は、世の中に大きなレールがあった。しかし、65歳での就職活動にはレールがない。

そのため、あと20年で意図的にやらなければならないことがいくつかある。

・「自分の名前が残る」仕事をしておくこと

・創作、あるいはマネジメントなど、機械に代替されにくいスキル、あるいは機械と共存できるスキルを身につけること

・広く人的ネットワークを築き、仕事の紹介をもらえるようにしておくこと

 

誰もが、惨めな老後を迎えることは避けたいと思っているだろう。

したがって、20代での新卒就職が、それまでの人生の集大成だったように、65歳での就職も、それまでの人生の集大成であることを自覚して動かなければならない。

 

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Tori Barratt Crane

 

 

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我々がなぜ、人工知能開発でGoogleと伍して戦うことができるのか。高校生の取材に答えました。

こんにちは。「株式会社わたしは」の竹之内です。

つい先日ですが、珍しいことがありました。高校生の秋山璃月(りつき)さんが「取材」ということで弊社を訪ねてきてくれたのです。

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秋山さんは埼玉県の開智高校の1年生です。

開智高校では「フィールドワーク」と称し、さまざまな大学や会社に取材をする課題があり、秋山さんは先日の千原ジュニアさんとの共演で、弊社のことを知ったとのことです。

 

創業半年、社員2名の会社に行くと担任の先生に伝えたところ

「大丈夫?」

とかなり心配されたそうですが、ともあれ、今回は秋山さんから頂いた質問を中心に、私たちの人工知能に対する考え方を述べたいと思います。

 

さて、取材をお引き受けするにあたって、我々は秋山さんに1つ、事前に宿題を出させていただきました。

その宿題とは

「現在、巷にある人工知能と、弊社の大喜利人工知能とは、本質的に何がちがうと思いますか?」

という質問です。

これは、秋山さんに予習していただくと話がスムーズに進む、という狙いもありましたが、高校生がAIを見た時に抱く素朴な疑問はどのようなものか?に、我々も興味がありました。

 

 

そして取材当日、秋山さんから頂いた回答は

「文章解析の精度とそれに紐づく条件分岐の精度が違うのでしょうか?」でした。

面白いです。

この質問、実は同業者たち、つまりAIの技術者からもよく聞かれる疑問なのです。

そして、この質問は実は核心をついています。

 

最も有名なマイクロソフトの「りんな」も含め、現在一般的な「対話型のAI」や「チャットボット」のしくみは、概ね以下のようなものです。

1.ユーザーから話しかけられる

「今何しているの?」

2.ユーザーの会話の内容を分析し、予め用意された幾つかの返事の中から、最適と思われる返事を探す

「おなかへったー」

「今起きたところ」⇒ ◉最適◉

「昨日は楽しかった」

「仕事いやだー」

3.ユーザーに返事を返す

「今起きたところ」

秋山さんからも、同業者からも聞かれる質問

「文章解析と条件分岐の精度はどれくらい?」

は、この2番めの「会話の内容の分析」をどれくらい細かくやっていて、それに対する「返事の候補」がどの程度あるのか?という疑問でしょう。

 

しかし、結論から言うと我々のAIは「返事の候補」を用意していません。

ここが重要な点です。

要するに、我々の対話型のAIは、予めデータベースに登録された返事をユーザーに返すだけ、と言うものではなく、ユーザーから質問があった都度、文章をゼロから生成しているのです。ここが、他の対話型AIとの決定的な違いです。

 

実は、この話をしますと、同行の方々から「信じられない」という顔をされます。

なぜならば、AIが会話の意味を理解し、返事を返すのは極めて難しいとされているからです。

 

例えば先日、あるニュースが報じられました。「東大合格」を目指していた人工知能が、東大合格を諦めた、というのです。

そして、その原因は「読解力不足」にありました。

AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?

東ロボは、問題を解き、正解も出すが、読んで理解しているわけではない。現段階のAIにとって、文章の意味を理解することは、不可能に近い。

そうすると、特に難しいのが国語と英語だ。

国語では、2016年のセンター試験模試(進研模試 総合学力マーク模試・6月)では、200点中96点しかとれなかった。偏差値は49.7。5科目8教科全体の偏差値が57.1だったことを踏まえると、かなり低く、これらの教科は苦手だということがはっきりした。

AIが文章の意味を理解する、という行為はこれほど難しいのです。ですから、現在の対話型AIやチャットボットが、大した会話ができないことにも納得がいくでしょう。

つまり、現在巷にあふれるAIは、言語をまだ扱えていません。言語ではなく、記号を扱っているだけなのです。

先程の記事の中でも、AIが言語ではなく、記号として言葉を扱っていることが紹介されています。

「徳川家康は(    )年の関ヶ原の戦いで、石田三成らの西軍を破った」の(    )に何が入るか。

答えは1600年。

コンピュータは、この答えを膨大な情報を瞬時に検索して答えを出す。

教科書、Wikipedia、百科事典など、デジタル化された情報すべてにアクセスし、検索をかけられる。

コンピュータは「戦う」とか「破る」という事態が、どのような事態なのかはわからない。

(中略)

問題文は、コンピュータにとって、意味不明の記号の羅列にすぎない。

人間にとっての「●△※×★÷◎◆▼□+」と同じだ。

でも、膨大な検索をかけると「●△※」と「◆▼□」がセットで出てくることの多いことがわかる。

「●△※」と「◆▼□」は強い結びつきがありそうだと推論する。

これが確率だ。

そこで、選択肢の中から「◆▼□」を選ぶ。

これが「1600」だ。

膨大な検索を通じて、確率的にありそうなことを選び出す。

これがAIのやっている作業だ。

しかし、我々の「大喜利人工知能」は、違います。当然ですが、意味を理解していなければ、大喜利などできません。笑いと言うものは、大きく文脈に依存するものだからです。

 

逆に言えば、まだその領域はGoogleも、Facebookも、IBMも、Microsoftもたどり着いていません。よって、対話型AI開発の未踏の領域とは、AIに記号ではなく言語を扱わせることなのです。

 

では「言語」を扱うことのできるAIを生み出すには何が必要なのでしょう?

「ディープラーニング」だけでは不足です。ディープラーニングは記号を扱うには適していますが、言語を扱うには力不足です。

言語を扱うことの難しさを指摘する、数学・論理学・記号論・哲学・現代思想・コンピュータサイエンスの領域のほとんど科学者は、ここで、フレーム問題や不完全性定理を持ち出し、「人工知能の不可能性」に言及するばかりです。

しかし、私たちは、現在の人工知能ブームが到来する以前から、こういった問題系を扱う数理モデルを研究してきました。

こういう武器を手に、世界のトップを走っていると思われるGoogleやFacebookの人工知能研究者とは違う戦い方で、でも彼らよりも圧倒的に早く、最高の対話AIを作るチャレンジを始めています。

 

最後になりましたが、秋山さん、探究レポート頑張ってください!

 


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不本意なキャリアを大事にすべき理由

長いことサラリーマンをやっていると、「会社の出世コースの事業」から外れたように見える業務を任される時がある。

やる気を失ったり、プライドを傷つけられた思いをする方も多いだろう。

 

例えば、新卒でお菓子の会社に入社したとする。

配属希望は商品開発だ。これは譲れない。子供もの頃からの憧れだった商品だ。

 

彼は必死に仕事をし、そして新人から数年来のの頑張りを評価されその後「売れ筋商品」の商品開発を任された。要するに花形の部署である。

「やりたい仕事にようやく就くことができた」とますます張り切って仕事をする彼、成果も出て「そろそろ管理職に昇進……」と思っていた矢先、人事から異動の辞令があった。

なんでも、大して盛り上がっていない新事業「宅配弁当」の部署に回されたらしい。

彼はがっかりした。「今まで頑張ってきたのに……この仕打は何だ」と。

サラリーマン、特に大企業に勤めているサラリーマンは、自分で働く場所を選べない。上のようなことになる事態は、誰にでもあり得る話だ。

 

だが、悲観することはない。
実は、この不本意な移動こそが、本質的な意味での自分の強みを作るかもしれないのだ。

 

例えば、コピーライター志望だった知人は、「コピーライターへの道もある」との人事の話をうけ、とある広告代理店に入社した。

しかし、そんな約束はなかったかのごとく、彼は営業に配属され、テレアポ、飛び込みなどハードな営業業務を黙々とこなすうちに、なんとトップ営業となってしまった。

その後彼は、営業として医療、映像業界などを渡り歩く。

「営業に目覚めちゃいまして、やりたいことと、得意なことはちがうんですよ。」と、彼はいう。

 

経営コンサルタントになりたいと、コンサルティング会社の内定を勝ち取った知人は、現場に入って現実を知った。

「単なるセミナーの販売会社じゃないか、と思いました。」

だが、その後彼は教育系のwebサービス会社に転職、活躍中だ。

「あの時の経験が役に立ってます」と、彼は振り返る。

 

実際、キャリアの本質はスキル掛け算である。上の彼らは

営業✕医療✕映像

セミナー営業✕webサービス

と言った組み合わせは、それなりに珍しい組み合わせであり、希少性がある。

 

ということは、誰もが思いつくような組み合わせや、人気のある業界ばかりを経験していると、

「希少性」が身につきにくいということだ。

「不本意なキャリア」が有効なのは、このためである。

 

さらに、「花形部署」のその地位は、さほど長続きしない。

例えば商社においては、資源・エネルギー部門が花形と言われるが、それに依存していた各社が赤字を出す中、繊維・食品などで稼いでいた伊藤忠商事は業績を落とさずに済んでいる。

結局のところ、商売は浮き沈みがあり、「現在の花形」は、後は落ちるだけなのだ。

 

自分のキャリアを、自分が想像できる範囲に閉じ込めるのはあまりスジが良くない。そう言う意味では「不本意なキャリア」ほど、実はチャンスなのである。

 

世界的に有名な日本の映画監督である押井守氏は、その作品である「攻殻機動隊」の中で

「組織も人も、特殊化の果てにあるのは緩やかな死」

と述べている。

「不本意なキャリア」は、つまらない特殊化を防ぐ良い機会だ。割り切って楽しみ、次のチャンスにつなげよう。

 

 

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Technogym – The Wellness Company

 

OBOGを100人以上訪問したら、皆ほとんど同じことを言っていた。

皆さん、初めまして。

獨協大学一年の大塚理子と申します!

・・・

・・・

「誰だこいつ。」

「なんでいきなり大学生が出てきたんだよ。」

と!思った方多いのではないでしょうか。

そんな方のために簡単に自己紹介を。

 

私は今年の四月から大学生になった者でして。

人材会社でテレアポのインターンや、吉野屋で深夜バイトをやったり。道端でOBOG訪問をしたいがあげく、道を尋ねてから名刺交換をしたりいろいろしていました。

そんな大塚、これからこの、Books&Appsさんの方で記事を書くインターンをさせて頂くことになりました。

うふふ。

今後ともよろしくお願いします!

ちなみにこんな顔です。

image1

服着ていないですが気にせず。

 

ですが、こんなにかわいい私でもつまらない授業だとこうなります。

image2

このイラストは授業を聞いているふりをしてさりげなく睡眠をとっていたら口が開いてきちゃったの図です。

よく見ると目の焦点が合っていないところが寝ている証です。

・・・

・・・

ごめんなさい。

 

さて、本題に入ります。

私、実はOBOG訪問マニアでして。

image3

これくらいお会いしてきました。

終わったらメモをとってノートまとめたりしているのですが

image4

私これらを読み返したときに気づいたのです。

「これ・・・毎回言っていること同じでは?」

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・・・

ぽぴぽぴ!!!!!

社会人のすべての方を敵に回してしまうので、説明させてください。

もちろんお話をしてきた方々は人材、マスコミ(テレビ、出版、ラジオ)、メーカー、建築などそれぞれ違う業界で働かれています。

けれども、皆口をそろえて大学生に言っていることがあるのです。

・・・と!

言うことは!

image6

(※大塚ひらめきの図。髪の毛が直角になるほどひらめいています。ワックスで立ててます。あはん。)

大学時代にやっておくべきことはどの業界にもかかわらず必要なものなのではないか。

 

つまり、他の人が「大学時代にこれをやっておくべき!!」と口をそろえて言っていたものを確実にこなしていればどこの会社でも「ほしい!」と思える人材に近づけるのではないか?との考えです。

 

では!!今まで100人以上の社会人の方とお話ししてきてどういったことを大学生に向けて語ってくださったか。

正確には107人の方とOBOG訪問をしてきて多く社会人の方が言っていたことをこれから実際の人数と共に書いていきたいと思います。

 

1.英語をやりなさい。(107/63)

107人中63人の方が言っていました。

英語はこれからのグローバル社会で重要な武器となるみたい。

また、自分が感じたことですが海外と関わる傾向が強い会社や、CMを定期的にやっているような大手の会社さんほどTOEICの点数や日常的に英語が話せるくらいの能力を求めていた気がします。

「試験の段階では顔も分からない。そのため、大手企業は名前も知られている分たくさん応募が来るのでまずは大学とTOEICの点数で人を選ぶのだよ。」

と、ある会社の元人事の方がにこにこして言っていました。

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2.英語はやりたければやれ。(107/56)

ですが、これとは対照的にベンチャー企業の方や人材会社の方(イン○リジェンス、○ジャパンさんなど)は「英語の能力よりも『人』として優れている人材を求めている」と言っていました。

英語は好きだったらやるべきだし、好きでなかったらやらなくてもいいんじゃない。

と、いうことです。非常に気が楽になります。

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↑るんるんあはは

私は英語が世界から消えてほしいほど嫌いなので、このような考えの方々に賛成しています。

で、す、が!!!!

自分の武器をつくるために英語はやっておいて損は無いでしょう。

逃げてはいけない!!!!

結局英語アレルギーは撃破しなければなりません!!!

 

3.就活がゴールではない。問題は「会社に入ってから」何をするかだ。(107/87)

これは皆さん口をそろえて言っていました。話していた方の数もぐいーんと上がります。

かっこいい。

名前で会社を選んで実際入って「ちょっと違うわ」とならないためにも。自己分析と業界分析は死ぬほど重要なのかも。

ある方は、とりあえず3ヶ月目標を作ってそれに向けて自分は今何ができるか。目に見える状態にしておくことが大切だ!!!とおっしゃっておりました。

日頃の行いが自分の武器となり、会社で何をしたいか考える「軸」となるのでしょう。

 

すんごーく話題が変わりますが、私は現在栃木県に住んでいます。

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↑(ちょっと見づらいですが埼玉の真上が栃木!!!!覚えてくださいな~!)

その時に「今日はメロンパン美味しい店行きたいから勝ちどき行こう」とか「暇なので半蔵門線を横断してこよう」とか。

けっこう突発的に行動してしまうたちでして。だめですね、ゴミですね。

計画的に動いていかないと!!と将来に危険を感じています。はい。

関係ないですね!!!!!

ぽぴぽぴ!!!!!!!

 

4.OBOG訪問やりなさい(107/65)

OBOG訪問は必ずやるべきだと私も思います。「早すぎる」といったことはないでしょう。

1・2年生は将来を考えるきっかけとなり、3・4年生は会社で働く人の生の声を聞く+ESの添削や面接の練習もできるかも。面接官となる方と顔見知りになれるかもしれないですね。

また、内定後は自分は就職する会社の雰囲気や研修のことなど知ることができるため、就活後もOBOG訪問をやってみる、というのも良いかも知れません。

 

余談・・・社会人の方もOBOG訪問は積極的に受け入れていくべきだと思います。

・青春を思い出して若返れる。

・会社の宣伝ができる

・自分の就活経験で後悔したことや、得したことなど発信することができる

・若年層をターゲットにした商品に対してその場でフィードバックがもらえたりする→仕事の役にたつ、

といった利点があるかもしれません。

(社会人談)

 

なので、OBOG訪問は社会人の方の時間が無くなる、学生だけが得をする。といったものでは無いと思います!!!

つまり、OBOG訪問はwin―winな機会なのです!!!!

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↑にこにこ人事。

 

5.「なぜなに」といった問題追及を大切に!(107/33)

「ポッキー」とか「GABA」といった現在では当たり前となったお菓子。

そんな大ヒット商品を考えた江崎グリコさんは、商品開発の際ある工夫をしているそう。

それは、会議の時。部下からの報告を受けた後、

「なぜこう思ったの?」

「どうして女性にターゲットをあてたの?」

などなど社員にとにかく質問攻撃をするそうです。

どうして、こうしてまで「なぜ」を繰り返すか?

それは商品の魅力を「2秒」で伝わるようになるまで、徹底的に詰めていくからだそう。2秒はお客さんが手に取って買い物かごに入れるまでの時間。

それを徹底的に突き詰めることによってセールスポイントや「特定のターゲットにどうして売れるのか」具体的に考えることが可能になり

確実にヒット商品が実現する!!!とのことです。

 

つ、ま、り

「なぜ」をいかに続けるかで会社の業績をも左右する、ということなのかも。

「なぜ」は会社をよくする魔法!

これから会議で「なぜ」がたくさん聞こえるような会社さんが増えて行っていただけたら嬉しいですね!!!

ぽぽぽぽーん!!!!!!!!

 

【まとめ】

今回たくさんの社会人の方のお話を伺ったことによって普段当たり前にぼりぼり食べている食品も、がしがし使っている日用品も

「誰かの手によって考えて、作られている」

との妄想ができるようになりました。

気持ち悪いですね。

そして、初対面の人に対しての人見知りも解消。

良かったことだらけで後悔はありません。

 

そして社会人の方と十分お話しできたので、これからは「インプット」から「アウトプット」へと移るとき。

いきなりですがOBOG訪問は3年生までやらないことにしようと思っています。

なんだし!!!さっきまで言っていることと矛盾してるじゃん!

ですが、留学とか、インターンとか。これからは「大学生にしかできない」ことを徹底的にやっていきたい。

OBOG訪問によって、この自由な時間がどれだけ大切なものか気づくことが出来ました。

 

私にとってOBOG訪問はずっと大切にしたい宝物の時間です。

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これだけは言っておきまする。

年齢関係せず絶対にOBOG訪問はやるべきです!!!

・・・

・・・

いぇーーーいーーーーーー!!

ご拝読有難うございました!!!

ぱぴぱぴ。

 

 

−筆者−

大塚理子(Otsuka Riko )

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獨協大学に通う大学生。気づいたらBooks&Appsでインターンをすることになっていた。

ブログ:ひょうたん会議

クリスマスが来る、というあのワクワク感には、もう出会えないのだろうか?

クリスマスが近づいてくると、大人になってしまったはずなのに、何故か少しだけワクワクする。

もちろん、一部の例外を除いて大人にはサンタは来ないし、クリスマスだからといって何かがあるわけではない。だが、やはりこのイベントのパワーには圧倒される。

 

思えば、子供の時の3大イベント、と言えば、誕生日、正月、そしてクリスマスだ。

まあ、要するに何かがもらえるから、というだけなのだが、その中でもクリスマスは別格だった。

 

具体的に言うと、12月に入ると、まず家の中にクリスマスツリーが登場する。電飾が出現し「日常とは別の空間」が立ち現れる。街中には更に華やかな装飾と、いたるところに流れるクリスマスソング、そして待ちに待った「冬休み」が到来する。

これだけでも結構ワクワクするが、さらにクリスマス周辺になると、人が集まってきたり、パーティーがあったり、何かと人の集まる機会が増え、トドメにクリスマスイブにサンタが来る……という具合だ。

 

これで子供が喜ばないわけがない。

というわけで、クリスマスは「究極のイベント」としての不動の地位を確立していた。

 

 

しかし、働き始めてからのクリスマスを振り返ると、どうもこの「ワクワク感」がかなり薄れていたと感じる。

もちろん、電飾や冬休み、パーティーなどは大人にも子供にも等しくあるのだが、あの異常な盛り上がり感は、久しく体験していない。

 

子供の頃からの刷り込みなのか、子供時代への憧憬なのかはよくわからないが「ちょっとした盛り上がり」は感じる。

だが、気がつくとクリスマスは終わり、冬休みに入って末年始を滞りなく過ごし、あっという間にまた会社が始まる、というパターンを社会人になってから繰り返している。

そういうわけで、私はクリスマスを迎えるたびに、ちょっとしたワクワク感と、そして「二度とあの子供の頃の心躍る感覚は帰ってこないのかもしれない」という寂しさを感じてきた。

 

 

だがなぜ、クリスマスの魅力があせてしまったように感じるのだろうか。

 

私は今まで、「サンタ」が来ないから、という理由を勝手につけていた。

しかし、例えば大人にもサンタが来ると想像してみても、おそらくそれほど嬉しくない。

 

では「パーティー」をやればあの感覚は戻ってくるのだろうか?

おそらくそうでもない。友人や知人のクリスマスパーティーは、子供の頃のあのクリスマスパーティーとは全く異なる。

 

 

だが、最近になって、「あのワクワク感」の正体が少しずつわかってきた。

あのワクワク感の正体は、本質的には「日常からの脱却」なのだ。

単にプレゼントがったりもらえたり、皆で集まるから楽しい、というわけではないのだ。

 

子供の頃、私たちの世界は圧倒的に狭かった。

殆どの日常は学校と家の往復、使えるお金は少なく、交友関係も学校に縛られており、自分から何かを始める能力はない。

そんな世界において、クリスマスとサンタは「非日常」そのものであり、外部の知らない世界との接続窓口であった。

 

子供の頃の思い出は美しいが、おそらく実際には大人になってからのほうが遥かに自由であり、やりたいことをやれる能力もある。

だが、そうであるからこそ大人は「非日常」を極めて体験しづらくなっている。

 

 

だから、大人になってから、ワクワクすることが少なくなった、と感じるならば、積極的に「非日常」を生活に組み込む必要がある。

ルーティンワークに溺れていては、あのワクワク感は手に入らない。

「変わった趣味」

「新しい仕事」

「イベントの主宰」

「行ったことのない街への旅」

「不思議なことへの探求」

など、行動を変化させることが必要なのだ。

 

今までにやったことのないこと、体験したことのないことなど、子供には大人がたくさん与えてくれたが、大人は自分で飛び込んでいくしかない。

そういうことを、最近やっと気づいた。

 

 

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paul bica

簡単に自炊ができる方法と、そこから導き出される仕事の極意について

我が家は共働きだ。家事分担は料理を僕が、掃除・洗濯を妻が担当しており、そこそこ楽しく結婚生活を送っている。

 

僕はもともと食べるのが好きだという事もあって、自炊は全く苦にならない。よく家で自炊を担当していると言うと「偉いですね。料理作るの大変じゃないですか?」と言われるのだけど、正直言って料理が面倒だと思った事は一度もない。

 

たまたま自分が自炊行為を苦痛に思わない性分だった事もあり、自炊に苦労する人の気持が今までよくわからなかったのだけど、世の中には料理を作る作業が苦痛だという人も結構いるようで、そういう人から「自炊のコツを教えてくれ」とアドバイスを求められる事が結構あった。

初めは彼らが何に苦労しているのかサッパリわからなかったのだけど、最近これはゴールを見据えられているかどうかだという事がよくわかってきた。以下自炊のコツと仕事術を絡めて書いていこうと思う。

 

自炊の極意は自分が何を食べたいかが思いつくか否か

僕の自炊術は、まず初めに食材ありきである。まず近所のスーパーで安い食材を買う。それを自宅の冷蔵庫につめる。家に帰った後、食材をみて自分の胃袋にグッと来る料理を思い浮かべる事で調理を開始する。

 

例えば今ならば魚類が脂がのってて美味しい時期である。脂ののった魚類の調理方法としては、ネギみそ焼き、塩焼き+大根おろし、醤油とみりんで照り焼き、バターでムニエル、パン粉+バジルで香草焼きといった調理が一通り思いつく。その中から自分が最も食べたいものを作ればいい。

 

他にも今だときのこ類も結構美味しい。醤油とみりんと日本酒で牛肉と共に煮込んですき焼きにするのもいいし、バターソテーも美味しいし、シンプルに塩できのこ汁もいい。天ぷらも最高に美味しい。

 

このように僕は食材を見た後に、どう食べれば自分が美味しいと思うかが簡単に思い浮かぶ。元々食べるのが好きだという事もあいまって、食材から料理(≒ゴール)への想像が非常に思い浮かびやすいのだ。ゴールさえ見据えられていれば、あとはネットなり本なりで調理方法を簡単に調べるだけで簡単に料理を作ることができる。

 

なので僕は自炊が苦だという人には「まずは食材から料理をどれだけ思い浮かべられるかどうかを鍛えよう」とアドバイスすることにしている。例えばほうれん草ならバターソテー、シンプルに湯がいてかつお節と醤油で味付けする、カツオ出汁と油揚げで作るお浸し等々。このように料理(≒ゴール)が簡単に思いつけるようになれば、後は答えは自分の胃袋の中にある。

こうして食材から料理を逆算できるようになれば、自分の好きなものが作れる料理は非常に楽しい趣味のうちの1つになる。昔ならいざしらず、現代では調理方法なんてネットにいくらでも転がっているのだから、なにも難しい事は無い。食材からゴールがみすえられるようになれば、自炊なんてチョチョイのチョイである。

 

仕事も自炊と全く同じ

自炊についてアドバイスを要求される度に、上記のような事を繰り返しのべていたのだけど、考えてみれば仕事もこれと全く同じだという事にある日気がついた。

 

例えば医療なら、病気がきちんと診断されれば、ゴールは大体同じである。風邪だとわかれば処置も治療期間もほとんど同じだし、終末期医療も何十人もの患者をみていれば、大体たどる経過は同じだという事がわかっているのでやることなすことは殆ど同一だ。

 

僕は食事が好きだったので、様々な料理を食べるという行為を通して経験していた。だから食材をみれば、料理(≒ゴール)が簡単に思いつく。最終目的地が決まっていれば、後はネット等でやり方を調べれば大体自分でなんとかなる(もちろん上手くいかないときもあり、そういう時は識者にアドバイスを求める。具体的に何がどうわからないのかがハッキリしていると、識者も喜んでアドバイスをしてくれる)

 

仕事もこれと全く同じである。とある案件がふってきた時、以前に似たような案件を経験していればゴールはある程度予測可能なはずだ。仕事案件と、最終的な落とし所がわかっていれば、上司や同僚に何がどう必要かがプレゼンできるので、協力も頼みやすいはずである(何が、どれぐらいの期間必要かを具体的にプレゼンしてくれると、管理職としても非常にやりやすい)

 

なので今現在、仕事に苦労している人は、上に書いたような事を中心に仕事を整理してみて欲しいなと思う。料理も仕事も成すべきことは全く同じだ。案件と落とし所がどこになるかさえみえてれば、物事はスパッとはこぶ。というか人間の行う活動は、これら2点さえキチンと踏襲されていれば殆ど問題なくなんとかなるものばかりだ。

 

終わりよければすべて良しとはよく言われるけども、終わりさえみえていれば物事はちゃんとうまくいく。自分が苦手だと思うものも、上記に書いたことを踏襲して是非苦手意識を払拭して欲しい。

 

 

プロフィール

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高須賀 

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

話のわかりやすい人と、わかりにくい人のちがいは何?

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漫画:眞蔵修平

website:http://www.matthewroom.com/
Twitter:https://twitter.com/makurashuhei
Facebook:https://www.facebook.com/makurashuhei

 

出典:「話のわかりやすい人」と「わかりにくい人」のちがい

 

前職の時から、私は「話のわかりやすさ」にはかなり個人差があると感じていた。

何故話のわかりやすい人と、わかりにくい人がいるのか?最初はよくわからなかった。「生まれつき」なのか?「訓練」なのか?しかし、いろいろな人と話すと、要は「サービス精神」のちがいなのではと思うようになった。

したがって、以下の8項目が重要となる。

 

1. 「結論」から話すか、「過程」から話すか

2. 「具体的」に話すか、「抽象的」に話すか

3. 「聞かれたこと」を話すか、「自分が話したいこと」を話すか

4.「相手の反応を見て言葉を変える」か、「一律の表現を使う」か

5. 「全体から入る」か、「詳細から入る」か

6.「相手の理解のスピードにあわせる」か、「自分のペースで」か

7. 「こそあど言葉」を避けるか、「こそあど言葉」を多用するか

8. 「脱線」するか、しないか

 

話のわかりやすさは、細かいテクニックよりも、結局のところ「相手の立場から自分の話を見ることができるか」ということに尽きるのだ。

 

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仕事における「価値観」を語るとき、必ず意見が別れる10のこと

会社はビジョンや理念のような、芯となる価値観を持つべき、とする方は多い。、コミュニケーションや意思決定のためのツールとして便利だからだ。

だがその一方で、その芯となる考え方が形骸化している会社もまた多い。

社員に理念を訪ねても、ぽかんとした顔をされることがどれほど多いか、想像するに難くはない。

 

なぜ社員は価値観を重要だと感じつつ、一方でそれを無視するのか。

 

それは「会社が提示する価値観」が彼らの琴線に触れていないからである。

例えば、理念が「誰でも賛成するでしょ」といった、議論の余地がないようなものになっているからである。

 

例えば「お客様のために誠心誠意仕事をする」という理念があったとしよう。

賭けてもいいが、この理念は誰も見ないし、覚えてもいないだろう。

なぜなら「当たり前」という感覚を皆が持つからだ。

誰もが納得するような、すなわち当たり障りのない理念は、存在しないのと何ら変わりはないからだ。

 

人の琴線に触れる理念や価値観というものは、もっとギリギリのものである。

だれもが「まあ、そうだよね」という程度のものでは、人の心に訴えかけない。

 

人によっては「絶対無理」とか「いやいや、ありえないでしょ」、「そこまでやっちゃいますか」というものである。そこまで言ってはじめて、価値観は力を持ち、判断基準となりえるのである。

だから必然的にそれらは物議を醸す。

そして、面白いことに物議を醸す「価値観」は、どの会社でも似ている。

 

従業員が「こんな考え方の合う組織にいるなんて幸せ!」と思ったり、「あれ……わたし、会社と価値観が合わない」と戸惑うのは、以下の項目だ。

 

1.会社は金儲けをする場か、楽しく仕事をする場か。

「会社は金儲けをする場だから、仕事が楽しいかどうかは二の次だ!」という方々と、「仕事は楽しくあるべきで、お金はその必要条件に過ぎない」と考えている方々は、しばしば衝突する。

 

2.職場の人間関係は親密であるべきか、ドライであるべきか。

飲み会や、家族を含んだイベント、社員旅行などを必要とする人々と、会社の人とは仕事以外ではかかわりを持ちたくない、という人々は、あまり相いれない。

前者はしばしば成果よりも人間関係を重視する傾向にあるし、後者は人間を「成果を上げるためのパーツの一つ」と思う傾向にある。

 

3.スキルアップに責任を負うのは、会社か、個人か。

「積極的に会社が教育してくれるんでしょ?という人々と、「結局、頼りになるのは自分だけでしょ」という人々は話が合わない。

 

4.同質性の高い集団にすべきか、多様性を追求すべきか。

同じような能力と考え方を持つ人々で組織を構成したいか、それとも能力も考え方もバラバラな人々を組織化することを選択するか。

前者の集団は同調圧力が高い一方で、目的が明確ならば強い力を発揮する。

 

5.経営者はワンマンであるべきか、チームで運営されるべきか。

言い換えれば、トップダウンが好みか、ボトムアップが好みかという話だ。いつの時代にもカリスマが好きな人は数多くいるし、権威が嫌いな人もそれと同じくらい数多くいる。

 

6.最大を志向するか、最適を志向するか。

組織はできるだけ早いスピードで大きくしなければならない、という人々と、マネジメントが困難なサイズまではむやみに大きくしない、という人々とでは会社の運営に対する考え方が全く異なる。

前者はしばしば、恐ろしく挑戦的な目標を掲げるが、成功すればリターンは大きい。後者は慎重に組織を運営するので崩壊しにくいが、大きな成功を一夜にして成し遂げる、という訳にはいかない。

 

7.感覚主導か、論理・データ主導か

会議において最も価値観の違いが顕著に現れるのが、感覚主導か、論理・データ主導か、という話だ。

前者の人々は、「データでは見えないものが大事なんだ」と主張するが、後者の人々は「人間はバイアスに支配されており、感覚などアテにならない」と主張する。

 

8.職人志向か、標準化志向か

前者は「会社の競争力は本質的に個人に属するもの」と考えており、後者は「会社に属するもの」と考えている。クリエイティブ(と当人たちが考えている)仕事ほど、前者を志向する。

 

9.成果志向か、プロセス志向か。

成果のみで評価する、という会社と、成果よりもむしろプロセスに評価の力点を置きます、という会社では成果に対する考え方が全く異なると言ってもよい。

多くの場合前者は短期的成果を重視し、後者は長期的成果を重視する。

 

10.全体志向か、個人志向か。

組織のために個人があるのだ、という考え方、いわゆる全体主義と、組織は個人の活動のためにあるのだ、という個人主義は相容れない。

 

もちろん、聡明な読者諸兄は、ほとんどの会社はこれらの価値観に対してはっきりと白黒をつけているわけではなく、多くの場合はその中間に存在していると知っているだろう。

だが、自分の属している組織が「どちらよりなのか」を知っておくだけでも、価値観の違いによるストレスや摩擦は軽減されるのではないだろうか。

 

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Stories of Change Stories of Change

「問題文を読んでもそこに何が書かれているのかわからない」子を教えていた時のお話

この記事を読んで、昔塾講師やら家庭教師やらを掛け持ちしていた頃のことを思い出しました。

AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?

これまでのところ、テストを受験した公立中学校生340人のうち、
約5割が、教科書の内容を読み取れておらず、
約2割は、基礎的な読解もできていない
ことが明らかになってしまった。

 以前Books&Appsさんに寄稿させて頂いた記事でも触れたんですが、塾講師を「出来る子をもっと伸ばす」人と「出来ない子をなるべく救い上げる」人に分けたとしたら、私はもっぱら後者でした。

 

で、私が塾講師をやっていた頃も、「問題文を読解する」という段階で苦戦する子は何人もいました。

手前みそですが、上記記事からの引用です。

塾講師時代、子どもの「勉強わからない」に対処するうちに学んだこと

国語で印象に残っているのは、「そもそも数行以上の文章を、意味をもって読み解くことが出来ない」というくらい読解の経験がない子、でした。

とにかく、読めるとか読めないではなく、根本的に文章を頭に入れることが出来ない。「長い文章を読む」という経験が根本的に欠如しているのです。

これ、書いてあること極端に見えますけど、全然誇張じゃありませんからね。

明確に「分からない」とは言いませんし、一応文章を読むことも、音読することすらできるんですけれど、本人の頭の中には全く「その内容」がイメージ出来ていない。その問題について、前提として一つ二つ簡単な質問をしても、全然答えられない。これ、まっっったく珍しくありませんでした。

 

例えば、ある問題文中に「Aさん、Bさん、Cさん」が登場したとする。

文中で「Aさんは〇〇をしていて、ある時××に気が付いた。ちょうどそのころ、□□で△△に出会っていたのが、他でもないBさんとCさんだった」みたいな文章があったとして。「□□にいたのは誰?」ということを聞いた時、しばらく悩んだ後「Aさん」という答えが返ってきたりする。

「文字として読めてはいる」けれど、「読解は全く出来ていない」んです。

 

これ、「ちゃんと読めている」人には、感覚が分かりにくいと思います。私も、最初「え?何でそうなるんだ?」と随分戸惑いました。

私が見ていた子ですら、「学校で落ちこぼれた子どもの為に、塾に通わせてあげるという程度に教育の意識がある家庭」の子ども達だったわけで、恐らく実際にはもっとずっと「読めない人たち」「読んでも頭に入らない人たち」の範囲は広範なのでしょう。

恐らくそれは子どもに限らないのではないか、とも思います。多分、大人でも「長い文章が全く読解出来ない人」はたくさんいる。

 

こういう話を、例えば職場ですると「えー?そんな子いるかー?」とか言われるんですが、そういう「周囲に読めない人を観測することすらできない」というのが、経済的な格差以上に重大な格差、断絶なんじゃないかと思ったりもします。

 

これは断言していいんですが、あらゆる「勉強に関わる能力」の中で、最重要なのは読解力です

国語だけじゃない、数学でも英語でも社会でも理科でも、他のあらゆる分野でも、「そもそも書いてあることが頭に入ってこない」というのは致命的なハードルです。一方、スコープを学校の試験に絞ったとしても、「問題文に何が書いてあるのか」「出題者の意図はどこにあるのか」ということが分かれば、その問題は半分解けたも同然です。

「読解出来る」というのは、凄く大きな強みであり、スキルなのです。

読解力を育むのに一番効果的な方法が、「楽しんで本を読む」ということであるのは間違いありません。楽しくない読書を強制しても意味はありません。

 

だからこそ、子どもには出来る限り「読む」ことの楽しさを知って欲しいし、だから私は「どんな本であれ、漫画であれ、出来る限り「読みたい」を邪魔しない」ということをひとつの方針としています。

 

漫画だろうが絵本だろうが制限しないで、本を読みやすい環境さえ整えておけば、子どもは勝手に本好きになるような気がします

本読むの超大事ですよね。勉強するより本(漫画でも可)読む方が大事、だとすら思います。「勉強するくらいなら漫画読め」とまでは流石に言いませんけど、気分的にはそれに近いです。

 

とはいえ、本を読むことに意欲を持てなかった子に、今更大量の本を読ませることも出来ません。じゃあどうするか。

 

私は塾講師時代、そういう子相手にはもっぱら「とにかく問題文の内容を絵に描く練習をさせる」ということをやっていました。「図にする」ではなく「絵に描く」です。図示という程ちゃんと整理が出来る子は稀でした。

色々試したんですが、これが一番効果的、というか効果が出るケースが多かったのです。よくある指導方針なのかは分かりません。あんまり横のつながりがない職場だったので。

 

「問題は解かなくていいから、とにかく問題文に書いてあることを絵に描いてみて」ということを、ただひたすら反復する。これを、算数だろうが国語だろうが社会だろうが理科だろうが関係なくやっていました。算数であれば「問題文の内容を図にする」というのはごくごく一般的ですが、それが国語でも社会でも理科でも、とにかく「問題文を絵で描く」ということにだけ集中してもらうのです。で、問題文をちゃんと表現出来ているところは褒めてあげる。出来ていないところは指摘してあげる。

なんで「絵を描かせていた」かというと、私の中に「読解力は絵本の読み聞かせを起点に育つ」という認識があったからなんですね。文章と絵を同時に摂取することで、だんだん「文章→イメージ→文脈理解」という回路が出来る。あと、全然文章になじめない子でも、絵なら結構素直に描いてくれたから、という事情もあります。

 

これも多分パターン学習の一種なんだと思いますが、繰り返すうちに少しずつ問題文が理解できるようになって、成績が上向いていった子も結構いました。

この方法の唯一の問題点は、「先生お手本見せて」と言われた時、否応なく私が絵を描いてみせなくてはいけなくなる、ということでした。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私は絵がそこまで達者ではないので、

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こういう感じの絵を描いて「織田信長」と言った時は流石にだいぶ生徒に馬鹿にされました。我ながら、戦国武将の記号的な特徴を捉えている、なかなか明快な絵だと思ったんですが…。

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

流行りの「オープンイノベーション」というキーワード。理想と現実を語ります。

こんにちは。Relicの北嶋です。今回は弊社の事業テーマの1つ「イノベーション」について書きたいと思います。 

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(写真は弊社マーケティング責任者の江城) 

 

オープンイノベーションとは何か

「オープンイノベーション」という言葉をご存知でしょうか。

 2016年7月に刊行された、独立行政法人NEDOによる「オープンイノベーション白書」が引用する米国研究者ヘンリー・チェスブロウの定義によれば、オープンイノベーションとは以下のような意味となります。 

オープンイノベーションとは、組織内部のイノベーションを促進するために、意図的かつ積極的 に内部と外部の技術やアイデアなどの資源の流出入を活用し、その結果組織内で創出したイノベ ーションを組織外に展開する市場機会を増やすことである

(出典:NEDO『オープンイノベーション白書』http://www.nedo.go.jp/content/100790965.pdf)

1980年代から1990年台にかけて、世界を席巻したイノベーションの先進事例は、ほとんどすべて自社内の経営資源、研究開発を、用いた「自前主義」から生まれたものでした。

彼らはいわば「ブラックボックス化戦略」と呼ばれる知的財産管理を優先し、ヘンリー・チェスブロウの言うところの閉じたイノベーション、すなわち「クローズドイノベーション」を推進しました。

 

しかし、1990年台から、クローズドイノベーションの代表格であるルーセント・テクノロジーやIBMは、自社内で研究開発機能を持たないシスコシステムズやインテル・マイクロソフトに後塵を拝することになります。

 

なぜこのようなことが起きたのでしょうか。

実は、シスコシステムズはスタートアップへの出資、M&A、アライアンスなど、外部資源を積極的に活用し、新技術の開発と市場化を成し遂げたのです。

 

近年では市場の不確実性が増すだけでなく、さらに雇用流動性の高まり、インターネットの普及・発達による優秀な人材やアイデアの外部流出等の影響により、大企業ですら「自社で全てを賄うこと」の限界を認識していると言えるでしょう。 

したがって現代において「オープンイノベーション」というキーワードは、単なるバズワードではありません。 

「アイデアは既存の要素の新しい組み合わせ」といいますが、外部組織と自社が保有する知識を組み合わせ、市場に投入してイノベーションを果たすことは、どのような企業であっても一つのテーマとなりえるのではないかと思います。

 

現実的に、オープンイノベーションはうまく行っているのか?

さて、ここまでは「キレイな話」です。ここからはリアルな現場の話をしましょう。

 

実は今現在、世の中で「オープンイノベーション」は活用されているのか、と問われると、まだまだこれからというのが現実かと思います。

 なぜならば「オープンイノベーション」を推進し、本当に上手く行っている事例や、新しい事業が立ち上がり、順調に成長しているケースは極めて少数だからです。

 

例えば、複数の企業がアイデアを集め企業間や個人とのマッチングを行うプラットフォームを運営しています。 一見アイデアがたくさん集まり、盛り上がっているようにも見えます。

 

しかし、また関係企業の方にインタビューさせていただくと懸念や課題が浮き彫りになります。 

これらのアプローチに共通する考え方としては、「量は質に転化する」、もしくはもっと大胆な表現をすると、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」です。

そのため、こういった活動の多くは、KPIとして「集まったアイデアやプランの数」や「マッチングした件数」等の定量的な部分にのみ重点が置かれてしまっているケースが多くみられ、数は集まったものの、その企業にとって親和性が低い、優位性を作り出せない、企画・設計が不十分であるなど、課題が山積しているケースが多いのも実情です。

そのため、アイデアやプランとしては人目を引きますが、実際に手を動かして事業化するフェーズになると様々な課題や障害が見えてきて、止まってしまうことも多いのです。

 

したがって、マッチングを主体とした「プラットフォーム型」のアプローチは「量」を集めるという観点では有効ですが、一方で「質の高いものを集める」、「集まったものを正確に見極め、判断する」「精度を高めて実行や実現/成功という出口まで推進する」という部分では不十分であるという課題を抱えています。

 

逆に「量」を追うのではなく、アイデアを一定のボリュームで絞り込み、集中してプランを磨き上げて精度を高めたり、外部の専門家やコンサルタントをアサインして強力に推進することでオープンイノベーションを促進しようとする企業やプログラムなどもあります。

こういった「コンサル型」とでも言うべきタイプも、一つの重要なアプローチであることは間違いありません。

 

 しかし、アイデア、イノベーションの本質は多産多死。生まれるアイデアやプランの数が絶対的に少なければ、そこから良質な事業が生まれる可能性も自ずと限定されてしまう側面があります。

 

「量」と「質」の両者を追いかけるオープンイノベーションは可能か

このような状況を鑑みて、我々は1つの問題提起をしました。

すなわち、オープンイノベーションを推進する過程において必要となる重要な機能を網羅するプログラムの実現は可能なのか?という問いです。

そして、この問いに対する私の回答は「おそらく可能」です。ただし、これを可能にするには3つほど条件があります。 

 

1.最適な領域・テーマ設定や、アイデア・プランの「量」につながるデータベース

2.アイデアを定量的な分析も含めて絞り込み、「質」を高めること

3.テストマーケティング、人材や資金の獲得、アライアンス構築や知財設計などの実行

 

つまり、さきほどご紹介した「プラットフォーム型」と「コンサル型」の両タイプの特徴やメリットを合わせたオープンイノベーションの推進が必要だということです。

ですが、現状の我々の体制やリソースだけでは、上記の条件を満たすことができません。

特に、1.のデータベースに関しては、我々だけで実現することは非常に困難で、それを自前で構築しようとすることは非現実的だったのです。

 

Relicとして「オープンイノベーション」を体現する

 そこで我々自身も「オープンイノベーション」を体現することにしました。

すなわち世界中のスタートアップやベンチャー企業、製品情報や研究情報、投資情報などのデータベースを持つアスタミューゼ社と共同で、オープンイノベーションの促進を促すことにしたのです。

 

現在、アスタミューゼ社は最新の研究テーマや成長市場、サービス/製品データと、それらに関連するベンチャー企業・スタートアップ企業や大学・研究機関等を国内だけで1万2千、グローバルでは700万に及ぶデータベースを所持しています。 

また一方で、我々は前回もご紹介させていただいたとおり、「新規事業やイノベーションの共創パートナー」として、強力に実行・推進することを得意としているのに加え、オープンイノベーションの推進に最適化されたシステムやプラットフォームを開発・運営しています。

 

この両社の強みを掛け合わせたオープンイノベーション支援を通じた新規事業創出プログラム「〜asta*ENjiNE(アスタエンジン)」は、オープンイノベーションに関するソリューションをワンストップで提供できるプログラムとして、現在私自身が非常に可能性と価値を感じているものであり、実際に多くの企業様からご好評・ご相談いただいています。

最新の研究テーマやサービス/製品データと、それらに関連するベンチャー企業・スタートアップ企業や大学・研究機関、起業家個人のデータを保有するアスタミューゼと、新規事業創出・オープンイノベーション支援サービス「ignition」やクラウドファンディングプラットフォーム「ENjiNE」を提供するRelic社、両社の強みを融合した新規事業創出プログラム「asta*ENjiNE」(アスタエンジン)を企業向けに提供致します。

(プレスリリース http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000016318.html

 

我々自身が「オープンイノベーション」を通じて様々な新規事業や新商品開発に積極的に取り組むことにより、その生の知見や経験・ノウハウなども含めさらなる多くの企業の「オープンイノベーション」を通じた新規事業開発を促進する。これが今まさに我々が挑戦していることの一つです。

 

 

 

WEBサイト:株式会社Relic

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変わらない人と、変わる人。

メールが着信した。スマートフォンの通知欄に、見慣れない名前を見つける。

憶えがある名前だが、誰だか正確に思い出せない。

 

メールを開くと、ようやく誰だかわかった。

先輩だ。前の職場で新人の頃教わった、あの先輩だ。

久しぶり、ネットの記事でたまたま見かけたので、連絡してみました。

今度飲もうよ。

彼は連絡をもらったことは嬉しかったが、この誘いを受けるどうかについては、判断を留保した。

「なんとなく会わないほうが良いのでは」

そう思った。

 

———-

 

彼が、初めて仕事を教わったのがその先輩だった。

といっても、そこには何か特別な話があるわけではない。配属された営業部で、たまたま隣りに座っていた先輩が、そのまま教育担当になった、というだけだ。

「よろしく、わからないことがあったら、俺に聞いてよ。」

と、先輩は言ってくれた。

入社した会社は、それなりに厳しい営業ノルマがあることで有名な会社だったが、何しろ給料が良かった。

「入社年次とか、地位とか関係なく、頑張ったら、頑張っただけ報われる会社だから。」

と、先輩は彼に教えてくれた。

 

その1週間後、先輩から声がかかる。

「営業行くからついてきなよ」

はじめての営業同行で心が躍る。

「会話は全部メモを取って、後で反省会するから。」と、先輩は言った。

 

結果から言うと、先輩の営業はとても素晴らしかった。

初対面のお客さんにも関わらず、話は大いに盛りあがり、営業が終わる頃にはまるで旧知の間柄のように、親しくお客さんと話していた。

「すごいですね。あんなに盛り上がって……」と先輩に言うと、

「すぐにできるようになるよ。じゃ、飯でも食いに行こう。今日の反省会をやろう。」と先輩は彼に言ってくれた。

 

反省会では、先輩はノウハウを余さず教えてくれた。

まずアイスブレイクをする。きちんと相手の商品やホームページをみて予習すること。

ヒアリングは聞きに徹すること、相手のプライドをくすぐるような質問をすること、担当が一番気にするのが「上司への説明に使う資料」だから、おみやげを渡してあげると喜ぶ……

 

先輩について回れば、とにかく学ぶことだらけで、毎日がとても楽しい、と彼は感じていた。

先輩から本を「これ読んどけ」とたくさん渡されたこともあった。彼は必死に休日に時間を作って読んだ。

思えば、あの頃が一番成長したかもしれない。

 

 

 

そして3年がたち、先輩はチームのリーダーに、彼はそのチームのエースになっていた。

 

これまでの頑張りで会社は成長期にあり、高い予算をなんとか達成しようと皆、躍起になっていたが、そのため、先輩は上から厳しい予算を割り当てられていた。

毎日23時、0時まで残って仕事をしてもやりきれるかどうかわからない予算を前に、チームメンバーはギリギリまで頑張っていたが、中には体を壊して退職してしまう人物もいた。

その頃は、月の残業時間が200時間に達することも珍しくなかった。

 

当然、エースである彼はしっかりしなければならない。

だが、新人にも過酷なノルマが割り当てられた状態に彼は次第に疑問を抱くようになっていた。

「先輩、流石にこの数字はおかしくないですか?こんな遅くまで働かないと達成できないような予算をくむこと自体が。」

「ああ、でも会社の理念の実現のためには仕方ないよ。「世界中の人に素晴らしい製品を届ける」だろう?」

「そうですが……」

「まだ、世界中の人に届けていないよ。大丈夫、このつらい世界を超えたところに見える風景があるよ。」

 

しかし、そのちょうど1年後、彼は会社を去ることにした。

友人の紹介で良いキャリアアップになりそうな仕事が見つかったのと、経営陣と先輩の唱える「会社の理念」にどうしてもついていけなくなったためだ。

 

———-

 

迷ったが、結局彼は先輩と会うことにした。

会社をやめて以来だから、6,7年ぶりの再会だ。彼はかつて先輩とよく飲みに行った街、新橋の居酒屋で落ち合うことにした。

 

「よお」

「あ、ご無沙汰してます。」

先輩は相変わらずだ。

「あ、ビールください」店員に頼む。「同じのを一つ。」

 

「最近どうですか?」

「ああ、相変わらず頑張って営業してるよ。」

「そうなんですね。元気そうでよかったです。」

聞けば、会社は順調に伸びているらしい。

 

「相変わらずきつい目標なんですか?」

「うん、実は……あのあと過労が問題になって、残業も夜10時以降は禁止。休日も原則出勤禁止になったんだよ。」

「随分と改善されましたね。」

「お陰で、仕事はやりやすくなったけどな。そっちはどう?」

「別の業界に転職をしたので、ゼロから学び直して、ようやく一人前になったって感じです。」

「そうか。思うに仕事ってのは…………」

先輩が語り、あの頃の感覚が蘇ってくる。

 

6年ぶりの先輩の仕事についての話。

彼は素直に、久しぶりの先輩の話が楽しかった。そう思ったのは事実だった。

だが、聞いていて一つの事実に気がついた。

 

先輩の言っていることも、やっていることも、お薦めの本も、昔と一緒だった。

 

「お前はどんなことしているの?」

「それは……webサービスを運営する会社にいます。」

詳しく答えても、先輩は不思議そうな顔をしている。

「いや、おれはwebのことはよくわからないんだけど、そういうのが売れるんだ?」

「まあ、そこそこ売れます。」

 

実は会社は破竹の勢いだった。従業員にはストックオプションも振る舞われ、大きな成功を収めようとしていた。

webで先輩は私を見た、と言っていたが、それは我々のPR戦略の一環だった。

しかしそんなことは、とても先輩には言えなかった。得意そうに仕事について語る先輩に何を言っても、先輩に失礼に当たるような気がした。

 

ああ、相変わらずなんだな……。

目の前には6年前、いや、新人の頃私に指導をしてくれた、先輩の変わらぬ姿があった。

 

彼は帰途についた。

「別に、変わらなくてもいいんだよな。」

そう呟いた。

 

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Aurimas

起業家に残された唯一の道は、会社を続けることだと思う。

みなさんお疲れ様です。Sakaseru広報部の小尾です。3ヶ月にわたりSakaseruの活動をお伝えしてきましたが、今回が最終回になります。最後に伝えたいことはただ一つ。感謝の気持ちだけです。

どうやって感謝を伝えようか迷ったのですが、最後なので、僕がSakaseruを起業するに至った経緯と今後の話を聞いてもらえたらと思います。

 

1.ムゲンラボ合格まで

「仲間の気持ちもわからないやつは経営なんかするな」という回で、フラワーキッチンという店が上手くいかなくなった話をしました。「もう辞めたい」と共同経営者の西山さんが言った時、正直僕も、もうダメだと思いました。

でもそのまま終わるのが悔しくて、どうせなら最後の挑戦をしようと、KDDIが主催する起業支援プログラム『KDDIムゲンラボ』に応募することにしました。

選考結果の代わりに届いたのは懇親会への招待状。僕、こんな感じなので、立食パーティのような華やかな場所はものすごく苦手なんです……。とは言え、そんなことを言っている場合ではありません。

人生で初めて、起業家の集まりなるものに参加することにしました。周りは東大出身や学生起業家で、意識高いキラキラした人ばかり。ヤバイ。温度感がわからない。来て2〜3分で後悔しました。

僕はとにかくSakaseruを誰かに売り込もうと、KDDIのTシャツを着ている人を探しました。すると、自分と同じくらいおどおどした感じの優しそうな女性が。Sakaseru の話をしたところ、「マーケット規模ってどれくらいあるの? コンペティターは?」と。

まーけっときぼ……こんぺてぃた……?

僕の顔には「ああ、そーゆーの必要なんですね」って書いてあったと思います。女性はそんな僕を見かねて、「あなたの事業はロジスティクスが肝になるから、絶対あの人と話したほうが良い」と言って、大手文房具メーカー、プラス株式会社の秘書の方を紹介してくれました。

僕みたいな人間は場違いだった。どうせダメだろう。

そんな風に思いながら、家路につきました。

ところが翌日。プラスの役員に会ってほしいと連絡が来たのです。西山さんと早速本社に出向きました。名言やら経営者の写真やらが飾られている異様な空間で、しがない花屋がちょこんと二人待っていると、その方は現れて開口一番こう言いました。

「で、君たち何しに来たんだっけ」

おおう……呆気にとられながらも必死で説明すると、

「つまりは花業界の構造改革したいんだね。じゃあ、来週ムゲンラボのプレゼンがあるから、ちゃんと来てね」

と言われました。

え? プレゼン行けるの? 

ということで、どうやら一次選考を通過。後日正式に合格通知が来て、僕らはプレゼン会場の渋谷ヒカリヘ34階に向かうことになりました。

会場には、業界の重鎮みたいな人がズラーっと座っていて、途端に目の前がまっ白に。懇親会では優しかったあの女性も、ピリッとした雰囲気で「それではお願いします」だって。

僕はとにかく足が震えてしまい、プレゼンどころか、足の震えを止めるのに精一杯でした。案の定プレゼンはボロボロ。部屋を出た瞬間「これで終わった」と思ったけれど、悔いはありませんでした。六本木の1階からヒカリヘの34階まで行けたんだから、それで良かったじゃないか。これで心置きなく解散だな、と。

 

2.ムゲンラボ合格からデモデーまで

予想に反して、受け取った通知には「合格」の文字。

数百チームの中から最後の5チームに選ばれ、僕らはムゲンラボ第7期生になりました。多くの報道陣を前に写真を撮られ、まるでオーディションに受かって突然売れたアイドルのよう。

第7期KDDIムゲンラボのゴールは、3ヶ月間でサービスのベータ版をリリースすることでした。毎週プレゼンがあって、誰もが知る経営者など名だたるメンバーからフィードバックをもらいます。

これがまあ、辛い。圧倒的な成功体験でぶち壊してくる。雲の上のような存在の彼らに言われるから、全部真に受けちゃう。その度に右往左往して、自分の信じていることが段々わからなくなってくる。

極限のプレッシャーに晒される中、僕と西山さんの仲も段々険悪になっていきました。僕らのあまりの疲弊っぷりに、「そんなに無理してやらなくていいよ」と声をかけてくれる人もいました。

でも、僕たちには後がない。ここで諦めたら、挑戦した意味がない。

やめるか。続けるか。

僕は西山さんと話すことにしました。

空気が澄んだ冬の朝。時計の針は8時を回ったところ。遠く富士山が綺麗に見えるビルの一室に、西山さんは少し緊張した様子で現れました。

「俺はパソコンもろくに使えない。小尾くんに沢山負担をかけているのはわかっている。でも貢献したい気持ちは本当なんだ。ただ、努力の仕方がわからなくて……」

そう言って、30代半ばの大人が男泣きしました。

「沢山喧嘩もしたけど、小尾くんのことはいっこも嫌いじゃない。僕は最後まで小尾くんとやりたいんだ。」

全く同じ気持ちでした。僕がプログラミングをしている裏で、西山さんはお花屋さんを駆けずり回ってくれていた。そうやって集まったお花屋さんの顔を見たとき、僕はすごく感動した。プログラミングしたものに、命が吹き込まれた気がしたんです。

僕たちは続けることを選び、プレゼン当日を迎えました。

他のチームが一人でプレゼンするところ、僕たちは二人でやることに。いつもは堂々としている西山さんの手が震えている。彼からマイクを渡された時、僕はバトンを受け取った気がしました。

結果、優勝したのは他のチーム。

経営者としては「結果が全て」と言わなければいけないのかもしれないですが、正直、僕の感想は違います。名もなき花屋が、色んな人のおかげで大舞台に立つことが出来た。もう、それだけで良かった。

0から1を生み出す工程が終わり、本来ならここがスタートですよね。1を10にして、10を100にして。どう事業を成長させるかを本気で考えなければいけなかったのですが、パワーがしばらく湧いてきませんでした。

熱狂した3ヶ月が終わり日常生活に戻ってみれば、なんてことはない。Sakaseruでもフラワーキッチンでも稼げない、現実が待っていました。西山さんを見ても、もう限界なのは気づいていました。

頭に浮かぶ「やめる」の文字。

いや、Sakaseruに関わってくれた沢山の人がいる。みんなで作ったSakaseruを、僕個人の理由で手放してはダメだ。一人でもやりきろう。

そうして生まれたのが、株式会社Sakaseruでした。

 

3.Sakaseru設立から今日までと今後

色んなことがありましたが、無事1周年を迎えることが出来ました。周りの皆さまのおかげしかありません。

この一年は、皆さんに恩返しをするつもりでやってきました。でも、事業は経営者の個人的な恩返しのためにあるものではありません。僕を応援する気持ちで買ってくださるお客様も、そんなことは全然関係ないお客様にも、等しく素敵なお花を届けたいと思っています。

先日改めて事業計画書を作成し、真剣にビジョンを考えてみました。

なぜSakaseruをやりたいんだろう。

それはやはり、多くの人に想いのこもったお花を届け喜んでもらいたいからだ、と思いました。Sakaseruのお花を受け取った時のお客様の喜び方は、ハンパじゃない。お客様の喜ぶ姿を見れば見るほど、自分に残された道はSakaseruを続けることしかないと思います。

一年経って、山を登る基礎体力がやっとついたという感じです。このまま麓にいることもできるけれど、やっぱり山を登りたい。どうせ登るなら、一人じゃなくて、仲間と一緒に最高の景色を見てみたい。ということで、現在Sakaseruの仲間を絶賛募集中です(最後に宣伝になっちゃった、すいません)。

もし興味ある方がいらっしゃいましたら、個人のFacebookアカウントでいいので、連絡ください。とにかく多くの人と会っていきたいと思っています。

 

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株式会社Sakaseru (英名 Sakaseru,inc.)

所在地:〒101-0052 東京都千代田区神田小川町3-2 #1307

設立:2015 10 14

https://www.sakaseru.jp/

 


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若さの価値ってどれくらい?

「あなたはまだ若いんだから」とよく言われる。

人は若さについて言及するとき、自分の年齢と比較している。一般論として語る場合を除き、人間関係において若さは自分と比べて年上・年下のどちらであるのかを表しているにすぎない相対的なものなのだ。

とはいっても24歳という年齢は社会人からしてみれば若い部類に入るのだろう。

 

この「あなたはまだ若いんだから」はポジティブな言葉として言われているように感じる。

そしてその裏返しとして、発言者自身をネガティブなものにしているようにも感じる。つまり、「あなたはまだ若いんだから可能性がたくさんあっていいね」と「それに比べ私はもう若くないから……」を同時に伝えているのである。謙遜しつつ「頑張ってね」というメッセージを届けてくれているのだろうと思う。

 

だが、若さには本当に価値があるのだろうか。

ふと疑問が湧いてくる。いや、もちろん私も若いからこそ発揮できるパワーがある点には納得しているし、時に若さが武器になることがあるのも知っている。

ただ、若さに絶対的な価値があり、逆に年齢を重ねていることが「謙遜」になってしまうような風潮があるとすれば、それには少し違和感を覚える。「若くていいね」が「若い人は可能性がたくさんあっていいね」という意味で使われている場合、むしろ「年を重ねていていいね」の方がしっくりくるのだ。

 

身体的な衰えと、寿命が同じなら残された時間が短いこと、この2点は年を重ねていることのデメリットといえばデメリットだ。だが逆に言うと、この2点以外にデメリットらしいデメリットは思い浮かばない。

 

「可能性がたくさんある」のは若い人なのか、年を重ねた人なのか。若い人に可能性がたくさんあるとするなら、それは残された時間がたくさんあることと、若さゆえに発揮できるパワーがあること、社会が「まだ若いから」と寛容になってくれること、この3点くらいだろうか。私には、これらが大きいものだとはあまり思えない。

 

また、若さに可能性を見出すことができる理由としてもう1点、次のことが考えられる。

年を重ねた人にとって、自分より若い人の年齢は経験済であり、その頃の自分を評価することができる。過去に可能性はないが、だからこそ事実として客観的に評価することができる。

逆に未来は全て「可能性」の話になってくるから、評価することができない。“若い”人が今どんなにダメ人間だとしても、将来はどうなっているかわからない。ノーベル賞をとっているかもしれない。つまり、相手が自分と同じ年齢になったとき、その相手がどのような人物になっていてどのような成果を出している人なのかは誰にもわからないということであり、それが「いいね」に集約されているのではないかと思う。

一方、年を重ねた人に可能性がたくさんあるのは、経験が豊富であること、というとてつもなく大きな要素が挙がってくる。経験を積み、視野も広がり、結果として可能性も広がっている。年を重ねるとは、そういうことではないのだろうか。

 

私は24歳で、今後のことはわからないけれど、少なくとも今までは年を重ねれば重ねるほど視野が広がって選択肢も増えたと思っている。過去の積み重ねから未来が生まれるのだから、経験を積めば積むほど可能性も広がっていく。

 

社会人の先輩に会うと、その人の経験と自分の経験の差があまりに大きくて「この経験の差はなかなか埋められないな」と思うことがある。年月を重ねることが全てではないけれど、重ねなければ埋まらない溝もあるのだと痛感する。

 

どの程度本気で「若くていいね」と言っているのかはわからないが、一方で“若い”人は相手の経験にかなわないと思っていたり、埋められない差を感じていたりするものである。

 

時間の流れは不可逆的なものであり、若い人は今後年を重ねることができるが、年を重ねた人が若い時に戻ることはできない。だから若さは貴重だ。こういう意見も聞いたことがある。だが、若い人は今すぐ経験を積むことはできない。1日の間に24時間分の経験を積むことはできても、10年間分の経験を積むことはできない。当たり前のことだが、若さを手に入れることができない年上の人がいるのと同様に、経験を手に入れることができない年下の人もいるのである。

 

24歳の人間は24年間分の経験から未来が始まり、40歳の人間は40年間分の経験から未来が始まるわけで、24歳の自分からすると、年を重ねた分の「可能性」に「いいね」と言いたくなる時がある。

 

 

こんな愚痴みたいな記事を書いている時間があるなら、もっと「経験」を積めば? と言われてしまいそうなので、これくらいで。

ではまた!

次も読んでね!

 

 

 [著者プロフィール]

名前: きゅうり(矢野 友理)

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

著書「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri

ブログ:「微男微女

 

Bernardo Chang

仕事に対して悩みすぎてしまう人へ。

最近初めてお会いした方から、「すごく怖い人なのではと想像していました」と言われた。

私が「仕事を頑張らないといけない」とか「仕事ができるようにならなければならない」と、皆に呼びかけているように見えるから、と言う。

 

その方は「仕事がどうしても好きになれないんです。」と悩んでいたので、「好きになる方法を教えてほしい」という。

 

とんでもない勘違いである。

前も書いたかもしれないが、何度も繰り返し言いたい。

仕事は楽しく、は一般化できるような話ではない。これは一種のゲームなので、向いていない人に好きになれ、というのは無理なのだ。

むしろ、仕事が好きになれない方は、もっと重要なことに時間を使うことを勧める。

 

大体、年収400万だろうが、一億だろうが、本質的には生活の質も大して変わりばえはしない。

人が住める空間は限られているのだし、一度に必要な服も1着だけだ。

腹いっぱい食べれば、もうどんな贅沢な食べ物を見ても、食べたいとは思わないだろう。

 

要するに、それ以上を求める人は殆どの場合、仕事を趣味と捉えているか、名誉とか地位などの虚構を競うのが好きなのである。

仕事が嫌いなのは珍しくもなんともない。

悩むくらいなら、山でも登ってきれいな景色を見て「今、生きているこの瞬間」をどう楽しむかを考えるほうに時間を使おう。

 

だから、

「成果を出す◯◯のコツ」

「上司の評価を高める◯つのポイント」

などの記事タイトルを見るだけで辟易する人の気持ちはわかるし、中には「バカジャネーノ」と思う人もいると思うが、それは完全に正しい。

 

本来、仕事について書かれた記事は、パズドラやポケモンの攻略記事となんら代わりはない。

「ミッションはこのように攻略しろ!」

とか

「ラスボス(上司)はここが弱点だ!」

とか

「こんなアビリティ(スキル)を身につけて、最終ダンジョン(デスマーチプロジェクト)を攻略しようぜ」

と言っているのである。

だから仕事が嫌いな方は、ゲーム攻略サイトやニコニコ動画を見ていたほうが、精神的にもよろしいのではないだろうか。オススメは、ネットなんぞ見ないことである。

 

だから、

「仕事が嫌い」

「仕事をしたくない」

という人へは、「いいと思います。他に楽しいことを見つけてください。」の一言で済ませたいと思う。

 

 

では、私はなぜここまで熱心に「仕事」について毎日記事を書いているのか。

 

それは、なによりも「仕事が面白い」と感じる人のために、攻略情報を綴っているのだ。

攻略情報、読むだけでも面白いでしょ?

多分そう言う人は、多いはずだ。

 

先日、このメディアに寄稿していただいているしんざきさんが、こんな記事を挙げていた。

俺たちはかつて、ゲームを遊べない時、説明書や攻略本だけ舐めるように読んで遊んだ気になっていたんだ

私たちは、「本を読んでる分には親から怒られない」という最強のシールドを得て、ひたすら説明書や攻略本を読み込んで、ゲームを遊んだ気になっていたのです。

攻略本を読むのは、面白かった。説明書を読むのは、楽しかった。

攻略本の最後の方には、最終面の手前くらいで大体「この先は君の目で確かめてくれ!」とかいう短いテキストだけが載っていました。お前それのどこが完全攻略本だよ、とか思わないでもないですが、そんなことは全然なんの問題もなく、私たちはただ「ゲームのことが載っている本」を読んだだけで、十分ゲームの世界に旅立つことが出来ていたのです。

(不倒城)

 

知恵を絞って、

「どうせなら仕事をもっと楽しめるようにハッキングしてしまおう」

と考えるのは、なかなか楽しい。

 

というわけで、このメディアはあいも変わらず、スーパー真面目に、仕事という趣味を攻略する記事にあふれているのだ。

 

 

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chris riebschlager

成長には、スランプが必須という話。

人はだれでも、スランプに陥る。

売れない、書けない、話せない……
今まで悩むこと無くスラスラできていたことが、急にできなくなる。

それがスランプだ。

できればスランプは避けたい、好調を維持したい、と思う方も多いだろう。

しかし、本当にそれで良いのだろうか。

 

*****

 

少し前、スランプ中のイチローに対するインタビューを見た。クールだが快活なイチローの表情は暗く、噛みしめるようにぽつりぽつりと話す、イチローらしからぬその姿に驚いた。

インタビューアーは、「今の感触は?」と聴く。

イチローは答える。

「感触は……かなり行けるだろうな、と思ってます。結果と感触は全くちがう。ただ、紙一重の所でずっと、結果が出ない。」

インタビューアーは聴く。

「どういうことでしょう?」

 

すると、イチローは、去年は逆に打てないはずなのに、打てているのがおかしい、と思っていた、と答える。

「逆に今は、あと少し、という感覚。もちろん打てていないので、少しずれているはず。そこに何かがあるはず。それが何なのか、見つけづらい……。」

 

*****

 

禅問答のようだが、イチローの言うことは本質を突いている。

 

スランプとは何なのか。個人的には

「なんとなく感覚でできていたことを、理詰めで捉えて再現可能にしようとする過程で発生する、停滞の状態」

と定義している。

 

わかりにくいと思うので、「ブログを書くこと」で例えてみる。

 

Mさんは「発信が大事だ」という知人からのアドバイスに従い、ブログを書き始めた。

当初彼は「とにかく毎日書けば良い」というアドバイスのもとにどんどん突き進み、1ヶ月ほど連続して更新することができた。

 

周りでもたまに

「読んだよ」

というコメントをもらい、Mさんは「ああ、ブログって面白いな」と思っている。

 

そしてついに、Mさんの記事が大きく読まれることになった。インフルエンサーの一人がMさんの記事を取り上げ、ブログへのアクセスが急増したのだ。

それまで1日のアクセスはせいぜい数百だったものが、突如として1万、2万というアクセスになった。

彼は有頂天だ。

「ついに自分もブロガーとして認知されるようになった」

と少なからず自負も生まれた。

 

ところが、ブログへのコメントを見ると肯定的な意見だけではない。

「つまんね」

「こいつ何いってんの?」

「ゴミ記事」

など、傷つくコメントもついている。知人に相談すると「あー、よくあることだから気にしなきゃいいよ」と言われるが、気にするな、というのも難しい。

Mさんは「もっと面白いものを書かなきゃダメだ」と、意気込む。

そこで彼は勉強を始めた。「ブログの書き方」に関する本やサイトを読み漁り、ブログの勉強会にも足を運び、あるべき姿を模索する。

 

ところがその後すぐ……

突如としてMさんは記事が書けなくなる。

書きたいテーマはある。だが、言葉にならない。どうしても書けない。何を書いても、平凡でつまらないものに見える。

1ヶ月連続更新できた頃の自分が、どうやって記事を書いていたのか、もう思い出せない。

 

*****

 

ジブリの名作アニメ「魔女の宅急便」では、主人公であるキキの「飛べなくなる」というスランプが描かれている。

飛べなくなったキキは友達の画家に、「飛べなくなった」と悩みを打ち明ける。そんなキキに、画家は言う。

「魔法も絵も似てるんだね。私も よく描けなくなるよ」

「ほんと? そういう時 どうするの?私、前は何も考えなくても飛べたの。でも 今は分からなくなっちゃった。」

「そういう時はジタバタするしかないよ、描いて 描いて 描きまくる」

「でも やっぱり飛べなかったら?」

「描くのをやめる」

「散歩したり、景色を見たり、昼寝したり……何もしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ」

「なるかしら……」

「なるさ、さあホラ、横むいて!——私 キキくらいの時に、絵描きになろうって決めたの。絵描くの楽しくてさ、寝るのが惜しいくらいだったんだよ。それがね、全然 描けなくなっちゃった。描いても気に入らないの。それまでがマネだって分かった。どこかで見たことがあるって、自分の絵を描かなきゃって……。」

「苦しかった?」

「それは今も同じ。でも絵を描くってこと、分かったみたい。」

 

新しい技能、コンセプトにふれ、自分の目が肥えてくると、今まで作っていたものよりも一段上のものが見えるようになる。

だが、技術は追いついていないので、それを現実に手を動かして作ろうとすると、ギャップが生まれ、手が止まる。

これがスランプの正体だ。

 

イチローも、Mさんも、画家も同様である。

そんな時は、彼らのように「ジタバタする」しかない。ひたすらアウトプットを繰り返し、自分のイメージと、自分の技術とを少しずつすりあわせていく。

そう言う意味では、スランプこそ、新しいステージへの関門なのだ。新しい世界が見えたからこそ、スランプになっているのだから。

 

一流になるために、

「努力」

「根性」

「継続」

が必要とされる所以が、ここにある。

 

 

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