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実際に効果のあった、読書を習慣化する方法。

読書を習慣化したいけど、なかなか難しい……と思う方はそれなりにいる。

 

アイデアや知識は組み合わせによって生み出されるので、本を読むことはすべての知的活動の基本ともなる。

 

だが、本を読むことは手間である。時間を要求する。「読まなきゃいけないことはわかっているけど、読めない……」という方も数多くいらっしゃるだろう。

したがって、読書を習慣化し、生活の一部として取り入れるには工夫が必要だ。

 

ではどうすればよいか。

webで調べれば結構な数の「習慣化」のコツが出て来る。大抵は、本を紹介してもらえ、とか、無理するな、とか、目標を決めろ、といった話だ。

だが、実際に習慣化に取り組んでみた知人の一人がこれについて話してくれたことは、もうすこし「カッコ悪い」話だった。

彼は読書の習慣がなく、社会人になるまでほとんど本を読まなかったというが、最近では1週間に1冊は本を読んでいる、という。彼は何をしたのだろうか。

 

 

「どうやって読書を習慣化したのですか?」

「言うのも恥ずかしいんすけど、最近スマホゲーに飽きてきて、次のゲームを探そうかと思ったんです。でも「本よめ」っていろんな人から言われるじゃないですか、なんか見下されるのも嫌だったんで、始めてみようかと思ったんすよ。」

「成功したんですか?」

「週に1冊くらいは読めてますかね、そんなめちゃめちゃ読む人からすれば大したことないでしょうが、比較的習慣化はうまく行ってると思いますけど。」

 

うまく行ったようだ。詳しく聞いてみる。

「どうやったんですか?」

「とりあえず、本好きの人に聞きました。「何面白い?貸してくれない?」って。けど、本好きの人に聞いちゃダメっすね。貸してもらったんですけど、レベルが高すぎて読めませんでした。」

「いきなり失敗じゃないですか。」

「そっすね、こりゃダメだってんで、とりあえず本屋行って、ベストセラーのコーナーに行ってみたんですけど、どうもピンとこなくて……」

「どうしたんですか?」

「そのまま買わないで帰りました。」

「ダメじゃないですか(笑)」

「ダメっすね(笑)」

 

「……で、どうしたんですか?」

「ああすいません、で、いくつか「本を読みたくない理由」を書き出してみたんすよ。一つ一つ読まない理由を潰していけば、なんとかなるんじゃないかって。」

「面白そうですね、見せてもらってもいいですか?」

「スマホのメモに書いてあるんで……ちょっと待ってもらっていいすか?」

 

彼はしばらくスマホをいじっていたが、一つのメモを見せてくれた。

 

本は高い ⇒ 古本、中古本を読む

「本て高いじゃないすか、外れたら結構後悔するんで、できるだけ中古で、100円、200円程度の本しか買わないようにしました。」

 

当たり外れがある ⇒ 売れてる本しか読まない

「あと、当たり外れが結構大きくて、人の勧める本も難しすぎたりで。だから、売れてる本をとりあえず選ぶってことにしました。「夢をかなえるゾウ」とか、読みやすかったっすよ。」

 

読むの面倒 ⇒ 手の届くとこに置いて、いつでも暇な時に手に取れるようにする

「基本、家に帰ったら枕元に置いて、出かける時はかばんの一番取り出しやすいポケットに入れました」

 

読むのがつらい ⇒ つらくなったら、読むのをやめて漫画や他の本を読む

「よく言いますけど、無理しない、ってのは大事です。Amazon便利っす。あ、オレは中古専門ですよ。」

 

ストーリーを追うのが面倒 ⇒ 映画化されていれば映画から、漫画版があれば漫画から読む。

「ダヴィンチコードの映画が面白かったんで、本も読みました。本のほうがいいっすね。登場人物のイメージ知ってるし。あと、漫画の7つの習慣とかもいいんじゃないですかね。原作も読みたくなりましたよ。」

 

読みたくない ⇒ カフェで読む

「勉強している人いるじゃないですか、カフェでなら、結構読めましたよ。スポーツクラブも、金払ってるから行くんですよね。本も、カフェに入ったら読まざるをえない、みたいな。」

 

誰もホメてくれない ⇒ 会社のデスクに飾る

「頑張って読んでも、誰もホメてくれないじゃないですか。正直、読んだら自慢したいじゃないっすか。会社のデスクに飾って自慢。これですよw」

 

読むきっかけがない ⇒ スマホのSNSやニュースを見て、イラッとしたら本を読む

「本って、ストレスたまんないんですよね。SNSとか見てると、自慢とかでイラッと来るじゃないですか。すぐにスマホを閉じて、本を開く。これ、結構効果ありますよ。」

 

電車の中で読むには恥ずかしい本 ⇒ 電子書籍

「自己啓発とかって、電車の中で読むの恥ずかしいじゃないですか。「こいつ、意識高い系だ」って、思われたくないですよね。カバーかけてもらっても、電車の中ではガサガサして邪魔なんですよね。だいたい、ビジネス書って大きすぎて邪魔なんですよ。だから、最近では電子書籍が出ている奴は電子にしました。知ってます?スマホでKindleのアプリって出てるんですよ。これ最高すね。無料で読める本が結構あるしw」

 

頭に入ってこない ⇒ 目次だけ読んで終了

「頭にはいってこない本、あるじゃないですか。我慢するのは良くないんで、目次だけ読んでオシマイ、ってのは何冊かありましたw」

 

 

「なんか、力抜けてていいですね。」

「気張ると続かないっすよ。」

「最後に、おすすめの本ありますか?」

「「進撃の巨人」が面白いっすよ。あと、「HUNTER X HUNTER」」

「結局漫画じゃないですか。」

「漫画でもいいんですよ。面白けりゃなんでも。」

 

まあ、たしかにそうである。

 

 

 

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(Andy Roberts)

グローバル化は、同胞意識の変化をもたらす。

分断、階層化、格差社会の進行、どう呼んでも良いが、日本は既に「一億総中流」の社会とは異なってきている。

収入、教育を受ける機会、趣味嗜好や出かける場所に至るまで、「異なるコミュニティ」に所属している人々が受け取るものが大きく異なり、顔を合わせる機会も少なくなっていると感じる。

 

もちろん、これをどう受け止めるかは各人各様である。物事にはメリットとデメリットが同居しており、一概に良い悪いを決定できるようなことは少ない。

だが、影響は確実に社会の各所に及び、「日本人の同族意識」に少しずつ変化が起きている。

 

例えば先日、ある大きな会合の場で、こんな話をしている人がいた。

 

「この前、実家に帰って中学の時の同級生に会ったんだけど、考えていることが違いすぎて、全く話が噛み合わなかった。」

「わかる。」

「なんか、外国人と話しているような感じがした。」

「いや、それを言うならむしろ職場の外国人のほうが、共有してるものが多いから遥かに分かり合えそうな気がする。」

「本当?」

 

一人がその場にいた外国人に向かって、質問する。

「今の話、どう思う?」

「そう思うよ。私も自国に帰ると、同じようなことを感じる。」

「やっぱり。」

「旅行者みたいな初対面の人でも、職業が同じならかなり話が盛り上がるよね。」

思い当たるフシがある人が、数多くいるようだ。

 

「多分、グローバル化って、そういうことなんじゃないかな。自国への愛着っていうか、国の枠組みへのこだわりってあまりなくなってきて、「別に住む国なんてこだわりないから」って言う感じ。」

「そうかもね。日本は住みやすいとは思うけど、僕なんかも別に条件さえ良ければどこでもいいんだよね。」

 

——————————

 

当たり前の動きとして、外国人の採用を進める製造業、web系企業はますます増えている。

パナソニック、ユニクロは8割……急増する外国人採用数(プレジデント・オンライン)

日本企業の外国人採用数が増えている。外国人を多く採用する企業の狙いはどこにあるのか。

パナソニックは2011年度の新卒採用のうち約8割、1100人程度が外国人だ。10年度の新卒採用の外国人比率は6割と、年々外国人の比率が増えているが、急に増やしたわけではない、という。

「最近、当社の外国人採用数が注目されることが多いですが、昔から採用の過半数は外国人です。ただ今後、新興国への展開にさらに力を入れていくことは間違いない。ですから今後も現地外国人の採用数は増加していくと思います」

もちろん、日本企業が外国人をうまく使えず「日本型」にこだわるあまり、優秀な外国人を採用することができない、というという問題も随所にある。だが、これも時間の問題だろう。

あるweb系のスタートアップ企業の経営者は、「webに国境はありませんから。日本人を特別視して雇う理由は、そこまでないですよ。」と言っていた。

 

 

最近では「民泊」の増加もあり、外国人旅行者は増え続けている一方で、職場にも普通に外国人がいるようになり、海外で働く人も増えている。

そういう状況下で「グローバル化」の前線に居る方々は、「日本人である」という事を意識してはいるが、こだわりは少ない。

 

彼らにとって「同胞」は、別のコミュニティに所属している日本人ではなく、「一緒に職場で働く人々」であり「価値観の似ている人々」である。

そして「彼らとは価値観の異なる日本人」の存在はますます遠くなる。

 

—————–

 

現在我々が考えている「国」の原型はヨーロッパが生み出した「国民国家」と言われるものだ。

17世紀、戦争につかれたヨーロッパの国々が、「ウエストファリア条約」によって、相互の領土を尊重し、内政干渉をやめようと約束したことにより生まれた。

ただ、日本は言語や民族が単一に近いこともあり、ヨーロッパの人々と異なり「条約」などを経ることなく、近代以降は自然に「日本人である」という同胞意識を自然に持てたのではないだろうか。

 

だが、そういった時代ももしかしたら終りを迎えるのかもしれない。

少子化や年金問題、福祉や医療など、国民的な合意を得るのが極めて難しい問題が山積する現在、グローバルに生きることのできる人間たちは、ローカルでしか生きることのできない人間の生活を想像することができるのだろうか。

 

何時の世も、国の崩壊は「税」と「格差」にまつわることから始まる。

すでに「国」という枠組みはかなり弱体化しており、日本に愛着を持たず「自分が感じる同胞」に仲間意識を感じる人物たちは、「日本人である」というだけで、彼らに手を差し伸べよう、とは思わない公算が高い。

 

 

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(marcokalmann)

統合失調症の症状、今昔

昔の統合失調症(Hatena Anonymous Diary)

ちょっと前、「昔の統合失調症はどんな症状だったの?」という書き込みをインターネット上で発見した。短いので全文引用しておく。 

“統合失調症の人は、盗撮・盗聴されているだとか、電磁波攻撃されていると認識する場合がある。昔、電磁波なんて概念がなかった時には、どういうリアクションしていたんだろうか。江戸時代とかに統合失調症になったらどういう自覚症状を持つんだろうか。当時の史料とか残ってないのかね?” 

私は精神科医だが、統合失調症の症候学を専攻しているわけではない。とはいえ、手元に参考になりそうな資料が幾つかあるので、これをもとに「統合失調症の症状は今と昔でどう違うのか」について、なるべくわかりやすく説明してみる。 

 

一精神科医から見た統合失調症の「軽症化」 

症状の話に入る前に、「統合失調症の軽症化」について触れておこう。 

最近、精神医学の世界では「統合失調症は軽症化している」とよく言われる。私は精神科医になって十数年しか経っていない若輩者だが、そんな私ですら、この言葉を実感することは多い。 

 

私が研修医だった頃、統合失調症の初診の患者さんには「重症」と言って差し支えのない人が結構混じっていた。 
 
・とめどもない妄想や幻覚に、激しい興奮を伴った妄想型統合失調症の一例。 

・天を指さすようなポーズを取ったまま微動だにしない、緊張型統合失調症の一例。 

・何年も自宅に引きこもり、人格荒廃が進んだ状態で来院した破瓜型統合失調症の一例。 

こういった症例が在野にはありふれていて、駆け出しだった私に忘れがたいインパクトを残した。 

 

それから十余年が経った2016年現在、そういった症例に出会うことはほとんど無い。絶無ではないけれども、年間に1例あるかどうか。初診*1の統合失調症の患者さんはもっと軽症で、いきなり医療保護入院や措置入院を必要とする重症例は少ない。

激しい幻覚や興奮を伴って入院した症例も、そういった症状が一か月以上続くのは珍しい。症状が長引くのは、何年も前から既に治療を受けていて、にもかかわらず十分な効果が得られなかった、いわゆる“治療抵抗性”の“難治例”がほとんどだ。 

 

こうした感想は私だけのものではない。あちこちの精神科医に訊いても、似たような感想が返ってくる。「初診の重症例に出会う頻度が減った」という意味では、統合失調症は軽症化している、と言って良いのだろう。 

ちなみに、須賀英道『統合失調症は軽症化しているか』(臨床精神医学45(1):5-12,2016)によると、精神科医が言うところの「軽症化」とは、精神病症状の重症度レベルが低いだけでなく、生活状況・コミュニケーション・医療者と患者さんの信頼関係のできやすさ等も含めての「軽症化」であり、家庭環境や地域環境によっても「重症か、軽症か」の印象が左右される、という。

病状そのものの軽重だけでなく、いろいろな要素が加味されていることを忘れてはならない。そのうえで「統合失調症は軽症化している」という言葉を解釈するのが適当なのだろう。 

 

軽症化の背景 

同論文には、こうした軽症化の背景についても書かれている。 

1.統合失調症への病名変更 

病名が変わって抵抗が薄らいだことで、医療介入のハードルが大きく下がった。病名告知もしやすくなり、早期治療や外来治療の継続などもやりやすくなった。 

2.薬物療法の向上 

薬物療法が進歩したことで、厄介な副作用が出現しにくくなった。また、単なる幻覚や妄想の治療から、認知機能の保持に治療の主点が移った。 

3.精神科病院やクリニックの環境改善 

病院環境が劇的に改善し、メンタルクリニックもたくさんできた。これも早期治療を促した面がある。またメンタルクリニックに来院される患者さんはうつ病・不安障害・発達障害などがメインなので、相対的に、初診で重症な統合失調症の患者さんに出くわす割合は少なくなっている。 

4.外来治療の充実 

継続的な外来治療に同意してくれる家族が増えて、病院側も外来治療を重視するようになった。「患者を医師が治療する」から「患者に医療チームが加わる」にスタンスが変化した。 

5.早期の治療介入 

病院の早期受診だけでなく、公的機関窓口・民間相談窓口・教育機関窓口などが整備されるようになった。夜間・休日にも対応の余地が生まれた。 

6.減弱症候群(Attenuated Psychosis Syndrome)という用語 

最近は、統合失調症を本格的に発症する前の状態に注目する精神科医も現れている(減弱症候群)。こうした、発症前に着眼する視点も軽症化に寄与しているかもしれない。 

7.文化基盤の変化 

たとえばブータンでは、都市部の(統合失調症の)緊張病状態が減少しているという。フロイト時代の神経症性ヒステリーが21世紀になって減ったのと同じように、文化状況が変化すると精神症状の表現型は変化し得る。統合失調症とて、その例外ではない。 

 

以上は私なりの要約なので、きちんと確認したい人は本文をご参照いただきたい。いずれにせよ、「社会環境が変化すれば統合失調症の症状は変化する」ということ自体は間違いないのだろう。 

 

なお、私個人は、「社交不安性障害、うつ病、パーソナリティ障害、発達障害など、ほかの精神疾患を精神科医がたくさん診るようになったから」も「初診の統合失調症が軽症化しているようにみえる」理由のひとつではないか……と疑っている。 

こういった精神疾患のために通院する患者さんのなかには、経過の途中で統合失調症の症状が現れて、病名と治療方針が変更になるケースがある程度混じっている。そのような患者さんは、昭和時代だったら統合失調症症状が悪化するまで未治療だった可能性が高い。

だが、とにかくも外来通院さえしていれば、精神科医が病状の変化に気付いて統合失調症を見抜く可能性が生まれる。この場合、精神科医は「軽症の統合失調症を発見したぞ!」という印象を受けるだろう。精神医学が疾患概念を増やしていったことには功罪両面があるだろうが、こと、統合失調症の早期発見という点ではプラスに働いているのではないだろうか。 

 

今と昔の統合失調症の妄想 

重症か軽症かの違いだけでなく、妄想の内容にも変化が認められる。 
冒頭の引用文にもあったように、電磁気学や電子工学が存在しなかった時代に「電磁波攻撃」などという妄想が出現するわけがない。過去の時代の妄想は、違ったかたちで表現されていたはずである。では、昔はどうだったのか? 

 

精神分裂病と妄想―精神科臨床と病床日誌から

江戸時代の妄想については、私は資料を持っていない。しかし明治期以降の妄想については、藤森英之『精神分裂病と妄想』*2が参考になる。同書所収の調査は明治34年~昭和40年の都立松沢病院(とその前身の巣鴨病院)のカルテを調べまくったもので、統合失調症の妄想内容を集計したものだ。これもダイジェスト的に紹介すると、 
  
・憑依妄想 

キツネ・犬神・蛇・猫などが憑依するタイプの妄想は、昭和以降にはっきりと減少した。 
  
・誇大妄想 

「自分は神である」「自分は天皇である」といった妄想も減っている。明治期には誇大妄想の対象として「官軍大将」「大侯爵」「陸軍大佐」などが選ばれやすかったが、戦後には「代議士」「中小企業の社長」など、一般的で不特定多数な意味の「偉い人」が選ばれやすくなっている。 
  
・物理的被害妄想 

ここでいう物理的被害妄想とは、さきほどの「電磁波攻撃」といったたぐいの被害妄想である。これは数の上で増大しているだけでなく、バリエーションの面でも拡大している。明治時代には「電気」「エレキ」がほとんどだったが、昭和以降は、電波・隠しマイク・録音テープ・電子頭脳・超音波・X線・テレビ・放射能などが加わっている。 
  
・心気妄想 

癌・結核・梅毒などといった特定の疾患に罹っている妄想は増減していないが、異常体感を伴う奇異で頑固な妄想――身体幻覚やセネストパチー等を含む――は増大している。 
  
・血統妄想 

意外と減っていない。しかし過去の血統妄想は皇室だけでなく華族や大名の血筋を確信することもあったが、昭和時代からは専ら皇室が対象となっている。また、戦後には「自分はアメリカ人である」「外国籍である」といった国籍否認の症例もみられ、これも血統妄想と関連しているかもしれない。 

 

……といった具合に、減っている妄想もあれば増えている妄想もある。いずれも社会状況を反映している側面が否めず、特に、物理的被害妄想にはテクノロジーの普及が大きな影響を与えていることがみてとれる。 

 

だとすれば、おそらく江戸期以前の妄想もまた、当時の社会状況やが反映されていたはずで、おそらく、名門武家に関連した誇大妄想や血統妄想はたくさんあったのだろう、と想像される。もちろん憑依妄想も盛んだったはずで、妄想を「病気の症状」として取り扱う現在のあり方とは違ったかたちで、社会のなかに顕れ、取り扱われていたのだろう。 

また、さきに引用した須賀先生の論文には「妄想が単純化している」という指摘もある。壮大な妄想体系を構築した妄想はみられなくなって、当事者の置かれた状況から了解可能な被害妄想や関係妄想が増大した、というものだ。 

 

私自身、壮大で緻密な妄想体系を持った患者さんに出くわす頻度は下がったと感じる。多く遭遇するのは、体系的な要素を含まない、「監視されている」「盗聴されている」「集団ストーカー被害に遭っている」といった単純な妄想だ。そうした妄想のうちに、インターネットやSNSやスマホといった語彙がしばしば含まれるあたりはいかにも21世紀風だが、だからといって妄想が複雑・壮大になるわけでもなく、全体としては、断片的でシンプルな妄想が増えていると感じる。 

そうした妄想の断片化・非-体系化について論じている時には、私はいつも『UFOとポストモダン』という本のことを思い出してしまう。 
  
 UFOとポストモダン (平凡社新書)

この小さな本は、UFOが時代とともにどんな風に変化していったのかを解説したものだ。UFOというオカルトにおいても断片化・非-体系化は認められていて、オカルトと妄想という違いはあるにしても、共通点が見出せる気がして興味をそそる。 
  
  

それでも苦しみの中核は変わっていないのだろう。 

統合失調症の症状の過去と現在の違いについてまとめたが、最後に、忘れてはならないことを付け加えておきたい。 

症状のかたち、あるいは症状の語られかたは変化し、「軽症化」が指摘される統合失調症だが、患者さんの体験や苦しみの根っこの部分は、たぶんそれほど変化していない。なぜなら、統合失調症は生物学的基盤に根差した精神疾患だからだ。 

分裂病の少女の手記―心理療法による分裂病の回復過程

例えば、この『分裂病の少女の手記』は非常に古いものだが、統合失調症の苦しみを理解する参考資料としての価値は衰えていない。旧い時代の精神医学の教科書も同様だ。

有効な薬物療法が存在しなかった頃の統合失調症は悲劇的な疾患だったが、現在でも、治療抵抗性の患者さんを中心に、同じような苦しみに苛まれている患者さんは存在する。治療技術も妄想の表現もだいぶ変化したのは事実だが、依然としてこの病気は克服されたとは言えないのも事実である。 

 

 

いつか、統合失調症の治療が飛躍的に進歩する日が来るのかもしれないが、今はまだその時ではない。文中、「統合失調症の軽症化」に触れたけれども、けして楽観しないでいただきたい。この病気は、まだまだ手ごわい。 

 

 

*1注:ここでいう初診とは、その病院・その医者にとっての初診という意味ではなく、初めて精神科を受診するという意味の初診 

*2注:精神分裂病とは、統合失調症の昔の呼び名。分裂病とも。

 

【プロフィール】

著者:熊代亨 ←名前をクリックすると記事一覧が見れます

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)など。 
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』

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時代が変われば、マネジメントの考え方も変わる。

「部下はほめて伸ばすべきか?叱って伸ばすべきか?」という議論が、つい先日あった。

 

もちろん様々な意見がある。

50歳以上のベテラン管理職は「叱って伸ばすべき。甘やかすな」と述べた。

逆に、40代の比較的若手の管理職は「褒めて伸ばすべき」という方が多かった。

 

では、30代の比較的若手の管理職は……というと、彼らは皆、口をそろえて言った。

「褒めてもだめでしょ。」

「叱って伸ばす、が正しいんですか?」

「それもちがう気がします」

「……なんで?」

「褒めるとか、叱るとかは、「なんとなく偉そう」だからです。偉そうな管理職なんて、チームとしてうまく行きませんよ。」

 

結局、その場では折り合いがつかず、40代以上と、30代は物別れに終わった。

 

————————-

 

どう思っただろうか。そして、「どちらが正しい」はあるのだろうか。前提から考えてみる。

 

40代、50代の管理職の方々に

「なぜ、褒める/叱るが大事だと思うのですか?」と聞くと、

彼らはこう答える。

「「褒める/叱る」ことで、人間のやる気を引き出すことができるから」

「良い行いには褒め、悪い行いは叱ることで、行動を正すことができるから」

なるほど、教科書通りの回答だ。

 

 

しかし、30代の管理職の一人が、こう述べた。

「今の時代は、自律的に動く人が求められていますよね。命令に忠実に従うことではないとおもいます。

褒める、叱るという行為は「命令に忠実に従った報酬、または懲罰」として与えられるものであり、人を操作しようとしている意志の表れではないか。もっと言えば、相手が大人であれば「子供扱いするな」という反発を生むのではないか。

もう、上意下達じゃいい仕事できないですよ。」

 

40代、50代の管理職は

「操作しようという意図はない」

というが、

「褒めるなら、お金をちゃんとあげてください。上の働かない人たちよりも。」

と、30代の管理職は疑っている。

 

最後に、30代の一人が、

「仕事は責任感に訴えるのが本筋であって、人から褒められる、叱られるが原動力なっている人は、仕事ができない人だと思います。」

と言った。

 

 

時代が変われば、少しずつマネジメントの思想も変わる。

少しずつ「管理職とはこうあるべき」という姿も、変化してきているのだろう。

 

 

 

 

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(Sandra Heska King)

成長せず、「現状維持」を目指すことは悪いことなのだろうか。

成長せよ、と声高に叫ぶ方を見るにつけ、「本当に成長は重要なのだろうか」と疑問に思う。

逆説的ではあるが、成長を目指すのは楽で、むしろ現状維持を意図的に目指すほうが、遥かに難しいのではないだろうか。

 

太平洋の南西部に、ティコピア島という、絶海の孤島がある。

Tikopia_ISS002

(撮影:NASA)

島の総面積はたったの五平方キロというから、正方形にしてみると、タテヨコ二キロちょっとしか無いという、恐ろしく小さな島だ。

この島の人口は約1000人、

 

人類学者のレイモンド・ファースは、この島に1年間滞在し、研究活動を行ったが、彼はこの島を評して次のように言っている。

「この島に実際住んだものでなければ、ここが他の場所からどれほど隔絶しているかを理解するのは難しい。この島はあまりに小さいので、海の眺めや響きが遮られることはめったにない。(中略)島民にとって、本当に大きな陸塊を想像することはほとんど不可能なのだ」

 

しかし、驚くべきことに、この小さな島には三千年にわたって、人か途絶えることなく、生活している。よく耳にする「サステナブル」という言葉は、この島にこそ相応しいのだ。

だが、一体どうやって1000人以上の住民をこの島は養っているのだろうか。そして、もっと大きな問題、どうすれば人口を維持可能な水準にとどめて置いているのだろうか。

 

一つ目の疑問、食糧問題に関しては、この島に住む住人は、多くの「生き延びるため」の知恵を持っている。島は効率よく農地にし、豚は農地を荒らすので飼わない。海産物は乱獲を防ぐため、漁をするためには首長の許可を必要とする。

また、長期保存できる保存食料を自然災害に備え、常に備蓄している。これらは昔ながらの知恵として、この島に伝承されているものだ。

 

ただし、それだけでは三千年もの永きにわたって、彼らは生き延びられなかったはずだ。

なぜなら、十分な食料があれば、人口はゆるやかに増加するからだ。例えば最初の入植者を25人と仮定する。わずか年間1.4%の人口の伸びでさえ、300年足らずで人口は1200名を超える。

人口爆発が起きた土地は、多くの歴史が示すように、資源の奪い合いから戦争へ発展、崩壊に至ることもある。

 

だが、彼らは意図的に人口を一定に保ち、三千年以上、破滅を免れてきた。

彼らにとって最も肝心なのは、人口を安定させ、増やさないことだった。自分たちの身の丈を知り、成長を止めることで生き延びてきたのだ。

 

彼らの人口制限の施策は徹底している。

ティコピア島の首長たちは、毎年儀式を行い、島のための「人口ゼロ成長」の理念を説く。

さらに、ティコピア島で親になる人々は、自分たちの長男が婚期に達した後に子供をもうけ続けたり、「人数枠」を超えて子供を持ったりすることを悪い行いだと感じている。その他、避妊、堕胎や、現在では行われていないが新生児を殺害したりすることもあった。

 

さらに、貧しい家庭の次男や三男、あるいは余剰となる適齢期の女性たちは子供を持たないことを自主的に選択した。

「自殺」も珍しくない。首吊りや入水などの他にも、危険を承知で海に航海に出る「事実上の自殺」が多数あり、この種の航海が未婚男性の死因の3分の1以上を占めていた。

彼らは共同体の危機を回避するために、「人口減」という成長回避を敢えて行った、ということになる。

 

現在でもティコピア島の首長たちは、島民の数を厳しく制限し、1015人までとしている。

 

——————-

 

現代の日本人たる我々は、常に成長を指向するように向けられてきた。

「成長せよ」

「人口を増やせ」

「売上を伸ばさなくては」

しかし、現実には永遠の成長など存在しない。会社も社会も、いずれ成熟を迎え、成長を止める。そんな時、それを受けれることは実は「大人の態度」である。

皆に聞いてみるといい。「早く大きくなりたい」と言うのは、子供だけだ。

 

経済学者のトマス・ロバート・マルサスは次のような「人口論」を展開した。

人口は幾何級数的に増加するが生活資源を始めとする食料は算術級数的にしか増加しないので、貧困や食糧不足は必ず存在する。

化学肥料や資源発掘の技術の発達により、現在の地球は現在の人口を支えることができている。が、もちろん限界はある。資源は無限ではない。

 

日本の人口が減っているという。我々は本能的に悟っているのかもしれない。「別にもう、成長なんかする必要はないんじゃないの?」と。

少子化は「現役世代が老人の面倒を見ることができなくなるから問題」という人がいるが、それは現在の年金制度に問題があるのであって、少子化そのものは問題ではない。

増えすぎた人口を抱える文明の末路は悲惨だ。残るは戦争と、共食いだけなのに。

 

 

参考文献:

 

 

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平均と比べても、あまり意味はないですよね。

朝6時37分に起き、7時10分から朝食。

午後7時6分から夕食をとり、午後11時15分に寝る。

 

総務省が、全国約8万3千世帯の10歳以上の世帯員約20万人に時間の使い方を聞いた「社会生活基本調査」(2023年)によると、これが日本人の平均的な平日の生活サイクルだそうです。

第5回(平成8年)調査と比べ、起床と朝食が2分早く、夕食が3分早く、就寝1分早くなっていますが、15年間で大きな変化はありません。この調査は、昭和51年以来5年ごとに行われており、平成23年調査はその8回目。今年、平成28年10月に9回目の調査が行われます。

 

さて、この数字。みなさんは、どこまで自分に当てはまりますか?

私はというと、平日は朝5時30分に起き、6時20分から朝食をとり、7時30分に家を出て職場へ。帰宅時間が日によって違うので夕食をとる時間は2時間以上開きがあり、平均すると午後8時30分ぐらいからで、寝るのはだいたい午前0時です。

本校を例にとれば、土曜日は中学校で「土曜塾」が開講され、先生・生徒ともに平日同様です。高校では授業こそありませんが、部活動で終日多くの先生や生徒が学校に来ています。

 

販売・サービス業にとっては土日こそ仕事のピークで、サラリーマンでいう「休み」ではなく、むしろ「今日は忙しいぞ、頑張らなくっちゃ!」です。

「土日は休みですか? それとも学校や仕事がありますか?」

昔であれば、多くの人が「半ドン」もしくは「休み」と答えられたでしょうが、いまやそうではありません。

 

昔、私がラジオ(コミュニティ・エフエム)局を運営していた頃にも、どう考えても一般的ではない状況がありました。

毎日、朝4時に起床。身支度をして5時までに局入りし、ディレクター兼ミキサーとして7時からの生放送に備えて情報収集、原稿や音楽の準備、DJさんへの指示・・・などを経て、本番に突入。

10時に朝の番組が終了すると、その後は取材や営業、地域イベントの打ち合わせなど、夕方の生放送に向けて、再び朝同様の作業が待っています。帰宅時間は午前0時を回ることもしばしば。

今の生活と比べると、もう3時間、起床時間が早いサイクル、そしてほぼ365日それが続きます。

 

 

ですが、そんな生活が意外に充実していて、ツラいと思ったことはほとんどありませんでした。

もちろん、ラジオ局以外にも24時間、それこそ休む間なく動いているところはたくさんあります。当然、そこで働いている人は、一般的なリズムからはほど遠い生活を送っています。

だからといって、そういった人たちが我が身の置かれた環境をマイナスに受け止めているかと言えば、必ずしもそうではないと感じます。

 

生活サイクル、学歴、仕事、子供を産む産まない、同居別居、ファッション、人生・・・。

人それぞれの生き方に「平均」や「標準」って考え方を当てはめにくくなったいま、少なくとも、自分のココロ(信念)に照らし、それが妥当であれば、正しいと思えれば、満足すれば・・・、それこそが自分にとってイチバンなのではないでしょうか。

 

隣の芝生に目を奪われぬよう、自信を持って自己を貫き、迷わず、惑わされずに生きていく。

それでいいのだと思います!

 

☆☆☆

 

<プロフィール>

安居長敏(Nagatoshi Yasui)←名前をクリックすると今までの記事一覧が表示されます
 
私立中高校長。
高校教師として20年勤めた後、転身。コミュニティFMを2局運営、PCオンサイトサポート起業。
再び教育現場に戻り、学校改革を推進。4年前から現職。
 
・Facebook →12799032_966933036675803_8989260437419551489_n facebook.com/yasuis
・Twitter →1YB44m9q_400x400 twitter.com/yasuis
・校長Blog → YASUI’s web diary

「読書すると、仕事ができるようになる」は本当なのか?

知人のT氏が、「部下が本を読まない」という悩みを吐露していた。

「いくら言っても、全く本を読まない。発表させたりすると、しぶしぶ目を通してくるんだけど、ほとんど頭に入ってないみたいだ。どうしたらいいのか……。部下の一人は「本で読むより、実際にやってみたほうが良くないですか?」と言うんだよね。」

T氏は溜息をついた。

 

友人のY氏が、それに応える。

「絶対に本を読まなきゃダメなんですか?」

「うーん、そう言われると絶対、ってわけじゃないけど、仕事できる人はかなりの割合で本を読んでるよね。」

「……多分、それ逆だと思います。」

「どういうこと?」

 

Y氏は少し間を置いてからT氏に言った。

「教育学の先生から聞いたんですけど、「本を読むから知識がついてできるようになる」のではなくて、実は「ある程度できるようなったから、本を読むようになる」らしいですよ。」

「……どういうこと?」

「要するに「本」って、新しい知識を入れるためではなくて、自分が断片的に知っていることを整理するために読む、という効果が大きいという話を聞きました。まっさらな状態で読ませても、単なる暗記になって、全く読書が面白くないと。」

 

T氏は考え込んでいる。

「なるほど……。たしかにそう言われると、そうかもしれない。」

Y氏は言った。

「その先生、こんなことも言ってました。「資格取得」っていうのも、ある程度実務経験を積んだ人がやるといい効果があるらしいです。」

「なんで?」

「経験の中で断片的に学んだことが、体系的につなぎ合わされて、応用の範囲が更に広がるって言ってました。」

「そういうことか。ふーむ。」

 

T氏はしばらく考えてから言った。

「すると、部下に「本を読め」と言うのは、ある程度できるようになってきてからのほうがいい、ってこと?」

「そう考えるのもありだと思いますが。」

「むー。」

「実はこれ私も憶えがあって、新人の時、友だちに勧められてドラッカーの本を読んだんですけど、全く頭に入ってこなかったんですよね。10ページ位読んで、きつくて読むのを辞めたんです。」

「まあ、読みづらいよね。」

「でも、働き初めてしばらくして、成果を要求されて、部下を持たされて、その時また、ドラッカーを読んでみたら、「こんなすごい本だったのか」と思いました。全然印象が違ったんです。「自分のために書いてくれたんじゃないか」って思いました。」

「つまり?」

「単に憶えるだけなら、本を見て暗記すればいいだけです。試験とかはこういう勉強方法が一般的ですよね。」

「そうだな。」

「でも、実践を目的とすると、自分で体験したことしか、本から学ぶことはできない。タスク管理の本って、自分でタスク管理を実際にやってみたことのある人にしか、ピンと来ないんじゃないかと思ってます。」

 

T氏は言った。

「……言われれみれば、自分にも覚えがある。新人の時先輩からもらった法律書がどうしても頭に入ってこなかった。先輩は「この本最高にわかりやすいよ」と言ってたけど、自分にはどうしてもそう思えなかった。でも、1,2年たってそれを開いてみたら、「この本すごい」って思ったよ。今までなんとなくやってたことが、きちんとまとまってた。」

「そうです、多分それと同じです。」

「なるほどね、少し部下に読ませるには早かったってことか……。」

「みんな、「暗記」を目的とした勉強に慣れてしまってますからね。読書を習慣化するには「経験したことをうまくまとめている本」を入り口にしたほうが良いかと思います。経験していないことを本から学べる人は、かなり読書のレベルが高い人じゃないですかね。」

 

 

しばしば、起業の相談に来る方の中に、「参考になる本、ありますか?」と聞いてくる方がいる。

しかし、上の話を鑑みると、まずは起業してみないことには、起業の本を読んでもピンと来ないかもしれない。プロジェクトマネジメントも、英語も、仕事術も、「やってみた後」でしかわからないことはたくさんある。

無闇に自分が良いと思ったものを薦めてもダメなのだ。

 

多分「良い本」とは、その人の今までの経験を、新しい領域にどう適用すればよいかの指針となる、架け橋のようなものなのだろう。

 

 

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Pedro Jesus

就活において『志望動機』は本当に必要なのか

 就職活動で必ずといって良いほど聞かれるのが、『志望動機』と『自己PR』だ。

自己PRが求められるのは、理解できる。何もPRすることがない人を採用したいとは思わないだろう。では、志望動機は?

 

☆★☆★☆

 

個人的に興味があるため、私はよく「なぜその会社に就職したんですか」という質問をする。

だが、様々な回答が返ってきても『この会社でなければならない』という志望動機は聞いたことがない。

先日、証券会社でディーラーをしていた人とこんな会話をした。

 

「リスクが高いお仕事ですね」

「そう、不安定だね」

「なぜそのお仕事をしようと思ったんですか?」

「カッコイイから」

「イメージですか?」

「そうだね。『ディーラーってカッコイイ!』と思ったからなりたかったし、実際に面接でもそう伝えたよ」

 

そんな志望動機で採用されるものなのだろうか。私の疑念を払拭するかのように、彼は説明を追加した。どうやら面接で次のように伝えたらしい。

「ディーラーはカッコイイと思うので、なりたいです。『こういう仕事がしたいです』という人だと、その仕事ができないと不満を抱くと思いますが、僕の場合はそうではないので、どんな仕事でも満足してやります!」

 

物は言いようだよね、という言葉で、この話は締め括られた。

偽りのない動機を伝えた上で、相手が納得する説明も付け加えている。これはとても素敵だと思うけれど、皆が皆、明確な動機を持っているわけではない。

「『これ!』という明確な理由なんてないよ。恋愛と一緒で“縁”だから」という人もいるのだ。

 

昨今の就活生の話を聞くと、志望動機は『存在していて伝えるもの』ではなく、『存在しないから作るもの』になっているように感じる。

他人事のように書いているが、私自身もそうだった。存在しない志望動機を無理やり作る作業はとても大変で、疲れるものだった。無理やり作られた志望動機を聞いて、企業は何を判断しているのだろう。こんな志望動機を、本当に求めているのだろうか。

 

☆★☆★☆

 

志望動機を聞く意味が心底理解できないケースもある。

たとえば、会社側から「うちの会社の説明を聞きませんか」とアプローチしてきたようなケース。説明を聞くと、悪くない会社だと思える。面接も受けてみるか、という気持ちも芽生えた。そこで、面接に行くと「志望動機は?」と聞かれる。

 

いや、動機もなにも、アプローチしてきたのはそちらでしょう、と感じても不思議ではない。

ここで形式的な回答をしたところで、それは本当に求めていた回答ではないだろう。もしかしたら、形式的にでも、当たり障りのない回答ができる“社会人”になれるかどうかを見極めているのかもしれないが……。

 

私が現在勤めている会社では、志望動機は聞かれなかった。私だけでなく、他の人も同様に、志望動機を聞かれずに採用されている。志望動機ではなく、過去のことや、将来のなりたい姿について詳しく聞いているようだ。

『将来こうなりたい』という思いがしっかりある人は、その思いが叶えられたり、その思いに近づけたりする会社で働けば良いし、『将来のなりたい姿はまだよくわからない』という人は、方向性の合う会社で働きながら見つければ良い。そして会社がほしいと思った人材であれば、めでたくマッチングする。形式的な志望動機なんて、採用には不要なのだ。

 

☆★☆★☆

 

志望動機を無理やり作っていた時期の自分に伝えたい、という思いで書いた。就職活動の本音と建て前に疑義を呈する記事は以前にも書いたので、今回は第2弾となる。もっとオープンな就活になってほしいと思っている。

 

ではまた!

次も読んでね!

 

名前: きゅうり(矢野 友理)←名前をクリックすると記事一覧が表示されます

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

著書「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri

ブログ:「微男微女

「会社への忠誠」は過去のもの。

「いやね、オレに命令するな、って思うわけですよ。」

彼は一流のエンジニアだが、こちらの言うことを聞いてもらうためには非常に大変だ。なにせ彼は「自分が面白い」と思うことしかやらないのだ。

「もちろん最低限の事はしますよ。でも命令されたことは最低限しかやりたくないですね。従うくらいならさっさと帰って、家で知人から紹介された面白い仕事をしますよ。」

 

なかなか激しい方だ。

「会社員として、出世はどうお考えですか」と聞くと

「出世なんて、もともと興味はないですね。お金が欲しかったら他で稼げるし。」

「なんで今の会社にいるんですか?」

「たまたま。まあ、やりたいことできそうだったからね。」

彼はそう言って、コーヒーを啜った。

 

「会社への忠誠心みたいなものは無いんですか?」

「無いね。」と彼はあっさり答える。

「自分で会社をやればいいんじゃないですか?」

「おいおい、オレは経営者としての手腕はゼロだよ。自信があるのは開発だけ。その代わり開発だったら結構無茶な要求でも「できない」って言わない自信はある。」

「……なるほど」

「所詮、会社と社員の関係なんて契約だから。「一緒にやろう」っていう約束は絶対守るけどね。」

 

————————-

 

「会社への忠誠?いつの時代の話ですか?」とそのwebマーケターの方は言った。

「忠誠を誓ったら成果が出るんですか?そんなわけないですよw、今の会社も頼まれたから今いるだけです。居心地わるくなったら、すぐに辞めますよ。」

周りの方々も頷いている。webサービス界隈の人たちは、皆こんな考え方なのだろうか。

 

「もちろん、会社の業績が悪くなったら、我々も切られますからね、必死にやりますよ。でも、会社に尽くせっていう命令をされたら、そりゃ一瞬で冷めますわ。」

そうだ、という声が周りからも聞こえる。

「いいですか、経営者が「雇ってやってる」って考えている会社には、絶対に行きません。何だそれ、って感じです。あくまでも経営者と我々は対等。人としての礼儀がなってない経営者の会社に、今時の優秀な人は絶対に行かないですよ。」

 

私は聞いてみた。

「逆に、どんな会社だったら働きたい、って思うんですか?」

「好きにやらせてくれる会社、成果が出たら、きちんと分配される会社。その代わり成果が出なかったらクビにしてくれて全然いいですよ。」

「会社員じゃなくて、フリーランスではないですか?」

「わかってないですね。フリーランスだったら、仲間や会社の資源が使えないじゃないですか。できることは限られちゃいますよ。資源が使えるから、我々も成果が出せるんです。」

 

————————-

 

そういえば、かつてのコンサルタントの仲間も言っていた。

「コンサルタントとして一人で独立する人がいますが、ありゃダメですね。多分すぐに行き詰まりますよ。新しいことができなくなるし、過去の貯金を使い果たしたらオシマイですね。」

「何故ですか?」

「知識ってのは、相乗効果があるんで、いろんな人と一緒にいたほうが成果が出るんですよ。」

「一人でやらないほうが良いと?」

「そう、専門家はできるならば一人では働かないほうが良い。会社ってのは、専門家がうまく利用できるような設計が必要なんだよね。」

「どういう意味ですか?」

「古い会社は、経営者の命令によって動いたけど、これからの時代の会社は、命令じゃダメだね。有能な人が好きに資源を利用できるようにできてなくちゃいけない。」

「……そうすると、経営者ばかりがリスクを取らなくちゃいけない気がしますが」

「だから、そういう人たちは「雇用契約」じゃなくて「業務委託」とか、そんな形になるかもだね。実際、オレが見る限りではそんな会社増えていきそうな気がするね。」

「そんなもんですかね……。会社がバラバラになりませんか?」

 

彼は笑って言った。

「それの何が悪いの?ダメな奴がいくら群れたって、ダメな集団が出来るだけ。逆にバラバラでも個人の職責を果たしている限り、会社はうまくいく。」

「……。」

「プロジェクトが魅力的であるかぎりは、バラバラになんかならないよ。」

 

————————-

 

早大教授の野口悠紀雄氏は、著書*1の中で現在の日本企業の制度を批判し、

「特に問題なのは、労働者が一つの企業に閉じ込められているということである。」

と述べ「現在の日本企業の制度は、実は戦時経済が今なお、残っているだけだ」という趣旨の研究結果を残している。

*1

「会社への忠誠」とは、巧妙に我々に刷り込まれた、戦時経済の残滓にすぎないのかもしれない。

 

 

知人は言った。「「会社への忠誠」の概念が変わってきてるんだよ。」

「どういうふうに?」

「単純に言えば、今の「忠誠」は、戦国時代の武将が主君に誓う忠誠のこと。平和な世の中の「忠誠」じゃない。」

「……。」

「だって、戦国時代は主君が本当に優秀で、自分の命を託せないかぎり、簡単に裏切ったり、見限ったりするわけでしょ。それだけ真剣、ってことじゃない。」

 

なるほど、戦国時代の忠誠とは、言い得て妙だ。江戸時代「サラリーマン武士」とはちがういうことか。

 

 

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Alan Light

Airbnbに「心の鎖国」を解いてもらったらブルーオーシャンが広がっていた

現在、私の自宅に滞在しているのは日本人の男性です。

旅人でもなく、学生でもなく、社会人です。六本木にある有名な美容室で1ヶ月研修をしている美容師です。

なるほど。

たしかに六本木で1ヶ月間程度の滞在場所って探すのに困ります。

ホテルだと30万円以上はかかるだろうし、賃貸借りるのに敷金礼金払うのもったいないし、ゲストハウスやシェアハウスは好き嫌いある。せいぜいマンスリーマンションでしょうか。

と思って、そう言えばマンスリーマンションのこと全く知らないなと思い調べてみたら、「あ、だからAirbnbひとり勝ちだったんだ」ということに気付きました。

今日はその話をします。ちょっと長くなりますが、とても大事なことを書いてるような気がするので、ぜひ読んでください。

 

まず「ウィークリーマンション 麻布十番」で検索してみたのですが、するとウィークリーマンションドットコムというサイトがトップにヒットしました。そこにはなんと麻布十番周辺だけで110件も登録されているじゃありませんか。

Airbnbで「麻布十番」だと70件ちょっとで、ウィークリマンションの方がはるかに多いのです。

そして価格は下記の通り、大体1日あたり5000円〜7000円が相場のようでした。

スクリーンショット 2016-06-18 3.00.26

あ、こういうところと競合していたのかと、はじめは思ったのですが、いえいえ全く競合してないとすぐ気付きました。

 

私、サイト見て一発でわかりました。理由は超簡単です。

英語に対応してないのです。

 

Airbnbが日本でなぜうまくいっているか?

海外で流行っていたから?自宅の余っている部屋に旅人を泊めるというアイデアが素晴らしいから?安く泊まれるから?

それらは間違ってないとは思いますが、Airbnbの本質を表すには不十分です。

この日本においてAirbnbがうまくいったのは、日本人が外国人なんか来るはすがないと思っていた場所を、全世界の見込み客相手に解放したことです。

英語ができないとか、外国人は慣習が違うとか、ガイジンは何するかわからないとか、多くの日本人がそう思い込んでます。(その思い込みを巧みに利用して「民泊」=「危ない」と情報操作しようとしている人たちがいるんですがここでは多くは語りません)

そういったいわば心理的障害の前に外国人を本気で招こうとしている人が日本にどれだけいたのかってことです。

もちろんアパホテルとか、ビックカメラなど爆買い中国人を中心に時流を掴み大儲けしているところもあるようですが、Airbnbはそういうことを意図的にやっていたのではなく、もともとグローバルにサービスをつくっているので、はじめからそうなのです。

 

AirbnbのWebサービスとしての根幹は、泊まりたい人と泊めてもいい人をマッチングすることです。

「誰かと誰かを繋げる」ことで素晴らしいことが起こりそうなことは、世界中の誰だって理解できます。ただし問題なのは、その価値観を共有できる人は世界中にいるはずなのに、他言語同士だとコミュケーションが取り辛くなることです。

でも今はインターネットがあるおかげで、他言語同士でも簡単に翻訳ができるようになりました。

さらに言うと、今時のイケてるWEBサービスは、ユーザーに翻訳すらさせないくらい言語の壁を超えたサービスを提供しています。

例えば世界中で使われているOS(iOSやWindowsなど)やWEBサービス(GmailやFacebookなど)はマルチリンガル対応になっていて、あらゆる言語が選べ、母国語さえできれば不自由なく利用できるようになっていますよね。

スクリーンショット 2016-06-18 3.25.59

もちろんAirbnbのサイトもマルチリンガル対応になっていて、例えばフィンランド語でAirbnbのサイトを利用している人が、日本の私の部屋を見ている時はもちろんフィンランド語で見ることができます。

唯一、ユーザー同士のメッセージやホストが入力している部屋の説明文などは翻訳はされてませんが、だからこそそういう部分は世界中のほとんどのユーザーは英語で入力します。

別に英語が決まりってわけじゃないです。でも、一番確実に伝わる言語が何かと言われれば英語です。歴史上そうなりました。そこに文句言っても仕方ありません。我々は日本人に生まれたのが運が悪かっただけです。

 

翻って、ウィークリーマンションのサイトをあらためて見ると、Airbnbより物件数は多いし、利用料だって安い場所も多い。

でも、肝心の英語対応してないじゃないですか。マルチリンガル対応なんてもってのほか。(もしかしたら他のサイトに掲載してるかもしれないですが、どちらにしろ外国人旅行者には届いていないことは明白なわけで)

ついでに、ウィークリマンションだけでなく、じゃらんとか楽天トラベルも見てみましたけど、英語、中国語、韓国語、タイ語は対応しているけどマルチリンガルになってないじゃないですか。

やってない理由は、もちろんコストパフォーマンス(費用対効果)の問題だと思いますが、でも要するに全世界の外国人相手にしようなんて思ってなかったわけですよね、せいぜい中国、韓国くらいで、それはそこは確実に来ることがわかってるからやってるわけですよね。

それにそもそも外国人を日本人が受け入れるののは、英語ができるある意味特別な日本人にしか無理だろって心の底で思ってたんじゃないですか?

エアログのるってぃが「心の鎖国」(テレビで民泊の現状を伝えました。日本はかなりヤバいと思いますより)

ってブログで叫んでましたが、そういうの頭のてっぺんから足の先まで意識的にも無意識的にも日本人にしみこんでんじゃないですか?

 

はじめからグローバルに客を集めようとしているAirbnbとグローバルに及び腰の国内のサービスと、そりゃ勝負にならないです。「空いてる部屋に旅人を泊める」という突拍子もないアイデアであっても、本気で70億人を相手に商売しようとしてるわけですから。

 

Airbnbが、日本でこんなにもうまくいった理由って、日本人の「心の鎖国」のせいと逆説的にも言えるわけで、多くの日本人が外国人に先入観を持っている隙をついて、Airbnbが入り込んできたんですよ。

証拠?私の「心の鎖国」はAirbnbに完全にぶち壊されましたよ。

言語や国境の違いなんて、人間が古から持っている「善意」とか「思いやり」というコモンセンス(良識)に比べたらハナクソみたいなもんだってわかりました。

日本人の多くの人が、外国人に先入観を持っている間に、私は「心の鎖国」を解放し、多くの外国人を自然に受け入れるようになりました。心の鎖国を解いたらブルーオーシャンが広がってました。(※ブルーオーシャン→競争が少ない良質な未開拓マーケットのこと)

 

マンスリーマンションのこと調べてたらこんなことに気づいちゃいました。別にマンスリーマンションにケチつけたかったわけではないのです。

むしろ、マンスリーマンションだって、「民泊」という言葉に惑わされないで、法律の許す範囲内で外国人旅行者にどんどん解放してあげればいいわけです。さっさとAirbnbに登録して、Airbnbから客を供給してもらえばいいと思います。ゲストだって選択肢増えて喜びますよ。

一応知らない人いるかもしれないので言っときますけど、Airbnbって登録手数料0円で手数料3%です。こんなノーリスクで低コストな集客方法ってありますか。

Airbnbが好きな人たちって、Airbnbをうまく使いこなしているのであって、決してAirbnbに使われている人たちではないです。なのでAirbnbを叩く理由なんて、既得権益がおびやかされている以外に思いつかないです。

 

“Airbnbに「心の鎖国」を解いてもらったらブルーオーシャンが広がっていた Airbnb日記 vol.191”

 おわり(Vol.191へつづく)過去のAirbnb日記一覧

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知らず知らず上から目線になっている人の特徴。

様々な企業を訪問すると、「上から目線」の方に出会う。

上から目線は嫌われがちではあるが、個人的には特に悪いことか、といえばあまりそうは思っていない。

目的があり「上から目線」を使っている人は、少なからず存在する。

 

例えば、多くの独裁的な経営者は上から目線の方が多い、

これは自然なことで、認知心理学的には、人は「自信にあふれた人」を信用する傾向にある。したがって、尊大に振る舞うことにより、「社員が経営者に疑いを持たない」ということを彼らは経験的に知っているのだ。

 

また、LINEの執行役員であり、メディアの専門家である田端信太郎氏は著書*1の中で「上から目線」についてこのように述べる。

ネット上では、新聞や雑誌といった旧マスメディアに関わる大手企業の社員を指して「上から目線」の「勘違いマスゴミ」などと揶揄し、罵倒するムードがあります。
私も、その気持自体はよくわかりますが、プロとしてメディアの世界で満足な報酬を得ようとするならば、「ナメられてしまえば、商売はあがったり」であり、一定の「上から目線」はある意味では、当然の前提なのです

「権威」を必要とするマスコミの方々、あるいは専門家、管理職たちが、「上から目線」を使うのは意図的であり、特に批判されるべきことでもない。世の中には「上から目線の専門家」「上から目線の上司」を好ましいと考える方も数多くいる。

*1

 

ただし、不幸なのは「本人が自覚していない状態で、知らず知らず上から目線になっている人」である。なぜなら、殆どの人にとってその人は「単なるコミュニケーションの取りづらい人」になってしまうからだ。

友達や家族に疎まれるばかりか、仕事でかなりの損をしているだろう。本人に明確な悪気がないのに、意図せず嫌われてしまうのであれば、それは気の毒なことでもある。

では、「知らず知らず上から目線になる人」はどのような特徴を持っているのだろう。

 

 

1.「評価」し、賞賛しない

「上から目線」と思われがちな行動で最も目立つのは、賞賛すれば良い所を、知らず知らずのうちに「評価」してしまうことである。具体的には

・よくやってるんじゃないかな。でも…

・悪くないよ。でも…

といった発言である。「素晴らしい」の一言で済むところを、どうしても「素晴らしいけど、◯◯の部分はまだまだだよ」と言いたくなってしまうのだ。特に中途半端に知識があると、素人が「素晴らしい」と賞賛することを素直に認められない方が多い。

嫉妬はとても強い感情であり、それが一種の「上から目線」を生み出す。

 

2.「勝ち負け」「序列」にこだわる

私、◯◯が好きなんだけど……と言うと、「いや、どう考えても◯◯のほうが上でしょ」という発言が多いと、上から目線という印象を持たれる。

つい先日、ある女性がパートナーからプレゼントしてもらったアクセサリーを周りの方に見せた所、「アクセサリーブランドの序列」について語り始めた方がいた。当然、女性はいい気持ちはしなかっただろう。

「勝ち負け」「序列」「格差」といったキーワードに敏感な方は、「上から目線」を生み出しやすい。

 

3.「主張したい」けど相手の理解はしたくない

ある「意識高い系」と言われている男子学生がいた。彼は真面目でよく勉強し、就職活動もそれなりにうまく行っていたので、後輩から就職活動のアドバイスを求められた。

だが、アドバイスを求める後輩は日に日に減っていった。なぜなら「あの人上から目線でムカつく」という噂が立ってしまったからだ。

実際、彼は意識が高過ぎる余り、後輩の「相談にのる」という役割を忘れ、ひたすら自分の主張を後輩に押し付けていた。

・とりあえず、この時期にエントリーシート◯社出してないなんて、ありえないでしょ。

・◯◯の説明会行ってないの?ヤバイよそれ。

・この時期には◯社くらいの内定を持っておかないと、失敗だよ。

だが後輩が求めているのは、彼の主張を話してもらうことではなく、悩みを聞いてもらい、対応策を一緒に考えてもらうことだった。

主張が強すぎると、「上から目線」を生み出しやすい。

 

4.「教えたい」が強い

「教えること」は「上から目線」と紙一重であり、勘違いされやすい。学びは「自分が無知である」と仮定しなければ得られないものだからだ。

したがって「教えすぎる人」は、相手に「自分が無知である」と考えることを強制するので、「上から目線」と捉えられやすい。

・◯◯について教えてやろう

・◯◯は私の言う通りにやれば大丈夫

・オレにアドバイスを求めないなんて、間違っている。

こう言った発言は「親切」であることも多いのだが、相手によっては「上から目線」と見られることもある。

「教えたからって、学ぶわけではない」のだから、教えたがりの方は注意しなければならない。それは「上から目線」を生み出しやすい。

 

5.「人を試す」ことが好き

質問に質問で返すことや、「◯◯って知っている?」といった人を試すような質問が多いと、「上から目線」という評価を受ける。

例えば聖書には「神を試してはいけない」という訓戒が述べられているが、それは「試す」という行為自体が人間を神の上位に置く行為であるからだ。

もちろんちょっとした投げかけや、コミュニケーションのための質問は悪くないが、「この人がどこまで知っているのか」「どの程度の事ができるのか」などを試す行為を頻繁に用いると、もれなく「上から目線だ」という評価をもらうことができる。

 

 

繰り返すが「上から目線」は時と場合によって使い分けが重要だ。

意図せざる評価を貰わないために「ちょっと気を遣う」だけでも、かなり印象が変わる。

 

 

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tommerton2010

頑張ればいいのか、頑張らない方がいいのか。

最近、本屋の自己啓発本コーナーに行くと、二つの相反するメッセージを全身で感じるようになった。

 

頑張れ、という本。頑張るな、という本。

一つは、よりスマートなビジネスパーソンになるための自己啓発本の類である。タイトルを見ると「あれしろ、これしろ」のオンパレードだ。

 成長するために努力を惜しむな。

 自分の課題に向き合い、改善せよ。

 成長しなければ、社会では生き残れないぞ。

そんなメッセージを全身で感じる。

 

もう一方は、「ありのままの自分を受け入れよう」という、新たな種類の(?)自己啓発本である。これらの本は、

 頑張らなくてもいいんだよ、出来ないのも自分なんだ。

 嫌われたって良いじゃないか、他人の目は気にするな。

 今の自分でいいじゃない、好きなことで生きていこう。

成長至上主義の自己啓発本とは対照的なメッセージを発している。

 

少し前までは、前者のタイプの本が圧倒的に多かった。 

 

・・いや、違う。

少し前まで、私は前者の自己啓発本にしか興味がなかった。後者の本は、前からきっと存在した。でもそれらの本が発するメッセージは、私に届いていなかった。成長するための本以外は、本じゃなかった。

頑張った方がいいのか。それとも頑張らない方がいいのか。私にはわからなかった。

 

 

頭オカシクなっちゃった。

こんな風になったきっかけは、おそらくあの出来事だろう。

「あれ?文章が読めない。」

ある朝、いつも通りお客さんから送られてきたメールを読もうとしたが、全く理解することができなかった。

一つ一つの文字を指で追い、声に出して読んでみる。私の声は、確かに音声として耳に入ってくる。だけど、なぜか頭に入ってこない。

 

「あ、頭オカシクなっちゃった。」

そう思った瞬間、激しい動機と吐き気と腹痛に襲われた。オフィスには私一人しかいなかった。なぜならその3ヶ月前、会社の方針についていけず、私以外の社員が全員辞めてしまっていたからだ。

「これは早退した方が…いいよね。でも、今日アルバイトさんが午後来るしな…早退しても大丈夫かな」

そんな状況になってまで、休むことへの躊躇いが頭をよぎった。

私は完全に心を病んでいた。

 

 

成長という脅迫観念からどう抜け出すか

この話をすると、半分くらいの人が驚き、哀れみ、そして元気づけようとしてくれる。そしてもう半分くらいは「実は私も…」と、身の上話を話し出す。

結構な割合で「実は…」と話されるので、似たような状況で追い込まれている人は案外多いんだな、と少し安心する。

 

私たちは小さな頃から、頑張ること、成長することがずっと正しいと教えられてきた。そして、その期待に応えるために必死で頑張ってきた。

 

例えば、以前勤務していたコンサルティング業界なんかは、特にそういう人たちの集まりだった。成長意欲の塊。周囲の期待に応え続けてきた人たち。経営コンサルタントという職業柄、ロールモデルとして振る舞うことが常に求められた。

会社には、とにかく社員はこうあるべきという行動指針が、具体的な言葉で表現されていた。

守るべきルールは100個以上あった。それらが詰まったタウンページみたいな冊子を、社員は毎日読み合せた。行動指針を体現できる人は優等生として評価され、できない人は努力が足りないと責められた。

 

行動指針を全て体現できる鉄人なんかいないことは、冷静に考えればわかるはず。なのに、頑張ること、成長することが絶対的な価値観の世界で生きていると、いつの間にかそうした冷静な判断ができなくなってしまう。

できない理由は全て「自分の努力不足」というロジックに支配され、自分を責め続ける。

 

こうなってしまう人に共通するのは、みんな努力家で、真面目で、人一倍責任感が強いということだ。つまりは、会社から高く評価されるような人材ばかり。彼らは優秀なゆえに仕事が集まってしまう。断ることを許されないから、いや、自分に許さないから、どんどん仕事が回ってくる。

若いうちは、苦手なことでも頑張れば、その努力と忍耐自体が評価される。しかし無理や忍耐はずっとは続かない。いつか爆発してしまうものだ。

そうやってある日プツンと糸が切れ、一人、また一人と心を壊していく。

 

 

頑張り屋さんは、頑張ることをやめてみる

頑張り屋さんは「頑張りすぎがダメだ」と言われると、「じゃあどうやって頑張らないようにすべきか」の方法を頑張って探そうとする。頑張らなくていい系の本を必死に読んだり、ヨガに通ってみたり。

成長至上主義の自己啓発本の代わりに、今度は頑張らなくていいよ系の本を読み漁る。自分で自分に「頑張らなくていいんだよ」と声をかけてあげることができないから、本に、自らを古い価値観から解き放ってもらいたいのだ。

 

何かにしがみついていないと不安でたまらない。しかしそうやって忙しなく動き続けることを繰り返すと、それは癖となってしまう。動くことで本質的課題に向き合わないという、悪い癖だ。

 

「新しい働き方なら、うまくいくかも! 」

「新しい職場なら、うまくいくかも!」

「好きなことだったら頑張れるかも!」

 

自分と対話しないうちに早々に出したこれらの結論は、すべてまやかしだ。

そもそも頑張ること自体をやめないと、一瞬の快楽を得るだけで終わってしまう。職場を変えてみても、働き方を変えてみても、成長と努力信仰から抜け出さない限り、また同じ状況に陥ってしまう

 

「私たちは頑張った方がいいのか。頑張らない方がいいのか。」

ここ最近ずっと考えているけど、やっぱりよくわからない。頑張りたい時もあるし、フーッと一息つきたい時もある。嘘いつわりない、正真正銘の気持ちだ。

 

ただ色々思考して、一つだけわかったことがある。それは、自分の課題は、絶対に自分でしか解決することができない、ということだ。本も、ヨガも、ましてや転職も、会社も、親も、恋人も、代わりに解決はしてくれない。

一人静かに座って、自分自身と対話することでしか解決できない。少なくとも「この課題を解決したい」と決意できるまでは。

 

 

−筆者−

大島里絵(Rie Oshima):経営コンサルティング会社へ新卒で入社。その後シンガポールに渡星し、現地で採用業務に携わる。日本人の海外就職斡旋や、アジアの若者の日本就職支援に携わったのち独立。現在は「日本と世界の若者をつなげる」ことを目標に、フリーランスとして活動中。

筆者Facebookアカウント http://www.facebook.com/rie.oshima.520

個人ブログ:U to GO

仕事は、「必須、一番困難なこと」から手を付けよ。

いま、目の前に仕事がある。どこから手を付けるか?と問われて、どう答えるだろうか。

「簡単なことから?」

「見栄えの良いことから?」

「できそうなことから?」

それとも?

 

だが、実際には正解はひとつしかない。「成果を出すために必須で、一番困難なことから手を付けよ」となる。

 

例えば、ある会社において。経営者が「社員の仕事に対する満足度を高めたい」と思い、

「従業員が、会社に対してどう思っているか?」

を調査したことがあった。

そして案の定、調査の結果「給料が安い」がトップ。調査をする前から結果はわかっていたが、経営者は困っていた。

経営者は従業員を思いやる「いい人」ではあったのだが、残念ながら経営の手腕は今一つで、非常に利益率の低い商売をしていたからだ。

 

その経営者は仕方なく、「とりあえず従業員の不満をそらそう」と、会社の飲み会を増やしたり、従業員の話をよく聞いたりと精力的に不満を解消しようとした。

そして1年後、その経営者は追加で調査をした。だが残念ながら「従業員の不満が解消されていると良いけど」という経営者の期待は見事に裏切られた。調査結果は、前年度よりも悪化していた。

「社長の努力は認めますが、何の解決にもなっていません」

「ごまかそうとしている」

それが、率直な従業員の感想だった。

それは、彼が一番困難で、解決が必須の問題である「利益率の高い商売を生み出す」ことから逃げたからだった。

 

 

ある会社で「オウンドメディアの立ち上げプロジェクト」の実施が決まった。

私が見る限り、メンバーの選定には問題がなかったが、リーダーの考え方には若干問題があった。つまり彼は「一番困難なことを後回しにする」というクセがあったのだ。

果たしてプロジェクトは始まり、彼らは「サイトの制作」と「サイトへの集客」という課題に直面した。

 

もちろんメディアなので、もっとも重要なのは「記事」である。記事を書いて、集客ができなければサイトも何もない。だから、サイトの制作に時間とお金をかける前に、とにかく「記事」を作って読んでもらうことが重要なはずだった。

だが、リーダーは困難で重要な「良い記事を作ること」から逃げ、サイトのデザインや制作のコストなど瑣末な問題ばかりに取り組んでいた。その結果として多額の資金を使って綺麗なサイトは出来上がったが、読者は誰もいない、というメディアが完成した。

リーダーは責任を取らされ、異動となった。

 

 

ある会社の若手の話だ。彼は営業目標と、社内の間接業務の効率化の2つのミッションをを課されていた。

もちろん彼は「営業目標の達成」が重要であることは理解していた。彼が属しているのは営業部であり、営業目標の達成なしには、他の業務など付帯的なものに過ぎない。

だが、彼は営業が苦手だった。新人の時に大きなクレームをもらって、「担当者を変えろ」と言われた記憶が残っており、それを克服できていなかったのだ。

彼は「苦手意識を克服せねば」と思っていたが、ついつい間接業務に逃げていた。そして悪いことに、上司も「他の人がやってくれないことをやってくれるので」と、彼を重宝していた。

 

だがもちろん彼の期末の評価は最悪だった。営業目標は大幅に未達。彼は間接業務への貢献を主張し、上司もそれを頼ったことを認めたが「評価は別」とあっさりはねつけられてしまった。

彼は「逃げてもいいことはない」と私に言った。

 

 

誤解しないでいただきたいのは、「人生は、逃げてはいけない」と言っているわけではない。自分ではどうしようもないこと、戦ったら自分も傷ついて倒れてしまう等の場合は、逃げなければいけない時もある。

だが「仕事で成果を出さなくてはならない」という制約を自らに課しているのであれば、「必須で、困難なこと」から絶対に逃げてはいけない。必ず最初に手を付けるべきだ。

成果が出ないだけではなく、逃げたツケは必ず支払わされることになる。

 

 

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whologwhy

そもそも「マネジメント」の意味、わかってる?

部下に対する愚痴をこぼす管理職は多い。

「部下が言うことを聞いてくれない」

「部下が思い通りに動かない」

「部下が育たない」

思わずため息をついてしまいたくなる気持ちは、わからないでもない。ただこの類の愚痴をこぼす上司はたいてい他責な人が多く、自分のマネジメント力の低さを露呈しているに他ならない。

「部下が仕事ができない」と悩む前に、あなたはそもそも「マネジメント」の本当の意味を、正しく理解しているだろうか。

 

 

そもそも部下を人間として尊重している?

「部下が言うことを聞かない、思い通りに動かない、育たない」と思い悩むのは、すべて「部下は言うことを聞き、思い通りに動くもので、俺の理想通りに育つものだ」という前提に立つからだ。

P.F.ドラッカーは『マネジメント』(ダイヤモンド社)にて、こんなことを言っている。

組織のために働く者はすべて、その組織において誰かの部下であるとの前提である。しかも彼らのほとんどが、とりたてて能力もなく、言われたことをするだけの存在であるとの前提である。たしかにこれらの前提は、第一次大戦の頃は現実に即し、意味を持っていた。だが今日ではいずれも無効である

部下は所有物ではなく、人間かつ知識労働者である。目の前の人間を一人の尊厳ある人間としてみることができず、マネジメントで悩むことなどできるはずはない。

 

「マネジメント」という言葉のほんとうの意味

http://blog.tinect.jp/?p=3888

 

あなたは部下に興味ある?

恐怖や権力を使って部下を思い通りに動かそうとするのは論外。

とはいえ、向かうべき方向へと「部下を動かす」のは管理職の仕事である。

相手を操作するのではなく、正しい方向へ「結果的に」部下が動く。そんなマネジメントは、一体どうしたら可能なのだろう。

 

高いレベルのマネジメントをする管理職と、レベルの低い管理職。一体なにがちがうのか?

http://blog.tinect.jp/?p=20588

 

部下に関心を持つってどういうこと?

「自分では部下に関心を持っているつもりだ。厳しい指導だって、いつもアイツのためを思ってだ。なのに、アイツは俺の気持ちを全然わかってくれない。」

あなたの部下への関心は、本当に部下自身への関心だろうか。それとも部下に関心を払うという見せかけ行為による、自己保身だろうか。

どんなに仕事ができない部下であっても、上司が真摯さを持ち合わせているかどうかは、一瞬で見抜くことができる。

 

「人間力」が高い上司とはどういうことか。

http://blog.tinect.jp/?p=20367

 

部下に愛情を持って接するとは?

社会人1年目のある若手社員が、自分の上司をこんな風に評価していた。

「ーさんは、仕事に厳しいけど、愛情を感じる人です。とても尊敬しています。」

「そっか、それは良かったね。逆に尊敬できない上司はどんな人なの?」

「うーん、そうですね・・・。尊敬できない上司は、仕事には甘いけど、怖い人です。ただただ怖さで威嚇するんです。」

ドラッカーは同書にて、「マネジャーとして失格とすべき真摯さの欠如」の定義にこんなことを挙げている。

・部下に脅威を感じるものを昇進させてはならない。そのような者は人間として弱い。

・自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネジャーに任命してはならない。そのような者をマネジャーにすることは、やがてマネジメントと仕事に対するあなどりを生む。

 

上司は嫌われることを恐れてはならない。が嫌われてはいけない。

http://blog.tinect.jp/?p=16169

 

部下からの最高の賛辞とは?

部下に対して愛情や関心を持てと言われる。

しかし、稀に愛情表現が下手であっても、とにかく人を育て、尊敬を集めるマネジャーがいる。彼らは仕事に対する要求が高く、人ではなく仕事自体を評価する。

 

部下のことを顧みない管理職の話

http://blog.tinect.jp/?p=24644

 

 

まとめ

今回はマネジメントに悩む管理職むけに、記事を集めてみた。

日々経営者やマネジャー陣の悩みを聞いていると、彼らの苦労がひしひしと伝わってくる。こんなに苦労が多いのに、彼らはマネジメントという仕事を手放さない。それは地位や肩書きにしがみつきたいという低次元の話ではなく、苦労を乗り越えた先に大きな喜びが待っているのを知っているからだ。

 

(Chris Harrison)

「仕事やめよう、と決めたら、逆に仕事が面白くなった」という友人の話

昔からの友人と話していた時、彼がしてくれた話だ。

 

「笑っちゃうんだけどさ、仕事やめよう、と決めたら逆にそれまでの仕事がとても面白くなったんだよね。」

「……?普通逆じゃない?」

「いや逆じゃない、やる気が出て、で、成果もかなりでちゃったんだよね。」

「へえ、何でそうなったのかね。」

「いくつか理由はあると思うんだけど、一番大きいのは「上司を向いて仕事しなくて良くなった」ってことかな。」

「具体的には?」

「例えば目標報告も今までは「これくらい言えば、上司が納得するかな」っていう基準で申告してた。けど、辞めることが決まったらそういうことどうでも良いじゃない。だから、自分で出せると思う目標を素直に出すようにした。」

「……なるほど」

「やっぱり、自分で決めた目標だと頑張れるし、多分明るく振る舞えるようになって、部下から「凄い楽しそうに働いてますね」って言われるようになったし。」

「最初からやればいいのに」

「そんなわけに行かないよ、上司が納得しないと詰められるんだから。お客さんじゃなくて、まずは上司を納得させるのが仕事だったんだよね。それが嫌で嫌でさ。」

「……ま、わからなくはない。」

 

「あとは、休暇を取りたいときに取るようにしたから、集中できるようになった。大好きだったスキーにも勝手に行けるし。リフレッシュすると、仕事にも身が入るよね。」

「まさに、上司のために仕事をしていたっていう典型みたいだね。」

「だろう?」

「ミュージシャンが「この曲売れなかったら田舎に帰ります」って言って作った曲が大ヒットした、みたいな感覚があるよ。ほら、ビギンの「恋しくて」とか。うまくやろうと思わなくなったら、かえってうまくいくって、結構世の中にあるじゃない?多分、評価を気にしすぎると、良い物が作れないんだよね。」

「上司との仲は悪化したんじゃないの?」

「と思うでしょう、ちがうんだなこれが。」

「どうなったの?」

「まず、成果が出たから上司もこっちに何も言えない。あと、気に入られる必要が全くなくなったから、上司を単なる「会社の機能」と思うようになった。そしたら感情抜きにうまく上司を使えるようになった。多分向こうも、こっちをコントロールしようと思わなくなったんじゃないかな。」

「それで余計な確執が無くなって、仕事がうまく行って、面白くなったと。」

「そういうことだな。」

「……辞める決断をしなくても、そうなればいいのにな。」

「どうなんだろうね。でも会社員として働く時に「上司の顔色をうかがわずに済む」なんて場所、あるのかね」

「確かに。」

 

友人の話を聞きながら、一つのフレーズを思い出した。

優れたエグゼクティブは、部下が上司たる自分を喜ばせるためなどではなく、仕事をするために給料を払われていることを認識している。

まったくもって、そのとおりであるが、逆にそういう上司が少ないからこそ、ドラッカーはわざわざこのようなことを言った*1のだろう。

「辞めることが決まった部下が、急にいきいきと働き出した」は、おそらくマネジメントの失敗を示しているのだ。

 

 

*1

 

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david__jones

Airbnbラジオを勝手にはじめました。

突然ですがエアログのるいくんとラジオを勝手にはじめました。

(第1回目のの内容)
最初は特にグダグダしてるので下記の時間のおもしろそうなトピックからどうぞ↓
3:30 スタート
4:30 ブログ書くきっかけ
10:00 香港人の主婦の話
16:00 質問コーナー 
17:30 エジプト人とカレー
21:00 ゲストの初対面の時に何をするか
30:00 おもてなしにについて
30:30 シェアリングエコノミーについて
34:30  ゲストからもらうお土産について
36:20  流行語大賞は誰がもらう?

私は自宅の一室を間貸しのような形(間貸の許可はオーナーに得ている)でAirbnbを利用して主に外国人旅行者に利用してもらっています。

以前だったらルームメイト募集かホームステイの受け入れ先になったりするくらいしかその部屋を間借りとして利用してもらう方法はなかったわけですが、Airbnbを利用してみて、不動産賃貸でもなく宿泊業でもなく、まさにシェアリングエコノミーという言葉がぴったりだなと思います。

 

例えば自宅に遊びに来た友人を自分の部屋に泊めてあげても大体はタダですよね。友人からお金をもらおうとする人はそんなにいないと思います。

逆に友人に泊まらせてもらった側の気持ちになってみると、例えば九州から東京に来て友達の家に1ヶ月泊めてもらったとすると、フツーの感覚の持ち主だったら家主にお礼をしたいと思いますね。

学生同士だったら食事奢るとかでお礼するだろうし、社会人だったら家賃の半分くらい払おうか?って思いますね。ホテルに泊まること考えると全然安いわけですし。

でも、それでもやっぱり家主側は、実際はどっちでもよくて、なぜならば友達がいてもいなくてどのみち自分はそこに住んでいて家賃は払わなければいけないからです。もちろんお金をもらえればうれしいけれど、あくまでも空いているところちょっと貸してあげただけとしか思わないですよね。

 

家主側はお金もらわなくてもいいと思っているところに、泊った側はむしろ払いたいと思っている。そこにAirbnbの入る込む隙間があったんじゃないかと思います。それを発見したところが、Airbnbの凄いところではないかと思います。

シェアリングエコノミーとは、遊休資産の再活用だなんて言われていますが、それを見つけたからってうまくいくわけでもないし、それらをインターネットを活用することで、効率良く行う方法をはじめからグローバルで行うから素晴らしいのであって、結局うまく言っているのが、AirbnbはじめUBERやLyftなどしかないのは、それを本気でできるところが結局はシリコンバレーの企業だけなんじゃないかなと思います。

 

6/14に第2回も収録しました。

「Airbnbラジオvol.2 早くもスタジオ観覧者あらわる」

 

毎週火曜日19:00からWe love Airbnb Facebookページよりライブ中継していますので、よろしくお願いします。

“Airbnbラジオを勝手にはじめました。 Airbnb日記 vol.190”

 おわり(Vol.191へつづく)過去のAirbnb日記一覧

 

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雑談するだけで営業成績トップになった時の話。

とあるメーカーで営業をしていたときの話。

当時の会社では出張営業も多く、訪問時に注文を取ることが美談とされていました。しかし私は、それをすることなく営業成績はトップでした。

 

営業という仕事は、上手く商談して注文を取るイメージがあるかもしれませんが、必ずしもそれが一番とは言えません。

確かに先方への訪問時に商談をまとめ、商品や製品の受注を得ることはすばらしいことです。しかし、その方法だけでは、常に訪問営業をしなくてはなりませんし、次々と新規開拓する必要が出てきます。

これではただの消耗戦で、長く続けることは難しくなります。

 

私も営業という仕事に就いた当初は、上記のようなスタイルだけで仕事をしていましたが、ある時からそれを変えました。

 

 彼が来ると商品を売り込まれると思われたら終わり

まず、訪問時に必至になって商談をまとめ、注文を取ろうとするとどうなるか。先方から売り込みの強い営業と思われます。そうなると、次のアポイントメントが取りにくくなります。彼と会うと商品を売り込まれると思うからです。

なので、商談では無理に受注を狙うことを辞めました。

 

それよりも雑談をして、今日はあの人と話をして面白かったなと思ってもらえるようにしました。商品の話は2割くらいで、あとは雑談。

これによって2つの効果が見込めます。

1.連絡リストの上位に食い込める

2.買ってあげたいという気持ちにさせる

この2つです。

 

まず、連絡リストですが、私はこれを「思い出し連絡帳」と呼んでいました。例えば、先方が何かを注文するときに、1番最初に連絡をするのは「いつものメーカー」です。ようするに、担当者が懇意にしているメーカーですね。

この時、そのメーカーが対応できないことがあります。納期の問題だったり、価格の問題だったり、たまたま電話に出られなかったり。そうなると、担当者は別のメーカーに連絡するしかなくなります。

 

で、ここに食い込めるかどうか。2番手でも3番手でも、思い出して連絡をもらえる位置に自分が入っていないといけません。そのための雑談、面白い話です。

次に、「買ってあげたいという思い」が関係してきます。思い出しただけではスルーされてしまうかもしれませんが、ここで雑談だけに留めた効果が出てきます。

「あの人、いつも商談で売り込んでこないけど成績大丈夫なのか?」

こう思ってもらったら成功です。もう連絡するしかなくなりますので、あとはチャンスをモノにするだけでいいのです。とは言え、これだけで十分な注文が得られるわけでもありませんので、もうひとつやることがあります。

 

 急ぎじゃない仕事を急ぎで対応すること

はい、普段の何気ない仕事を大至急でやることです。

「急ぎじゃないけど見積もりください」

みたいな連絡があったら、その電話を切った瞬間に見積もりを作って送ることが重要です。別に見積もり価格を安くする必要はありません。普通の金額の見積もりだけど、すぐに出すことが重要なのです。

これによって、

「あの人は仕事が早い」

という印象をつけることができます。

 

そして、これが活きてくるのが、先方に緊急な事案が発生したときです。今すぐにでも商品が欲しいってときにどこに連絡するか。思い出し連絡帳の中で、仕事が早い人に連絡しますよね。

相手は困っていますから、あとは誠実に対応するだけでOKです。急ぎの仕事なので多少は高い価格でも取引できますし、その問題が解決してからも感謝されます。

「あのときは本当に助かりました。」

これによって、今度は通常の連絡帳の上位に食い込むことができるわけです。

 

 さいごに

もちろんすべての取引先で通用することではありませんし、日頃から安定した受注を得ることも踏まえて営業活動をする必要はありますが、商談が上手くいかずに悩んでいる営業さんの参考になれば幸いです。

それではまた。
ご存知、ゆうせいでした。

 

 

【著者プロフィール】

名前: ゆうせい 企画、執筆、編集、モデルを提供する「カンパニオ」代表。

ぱくたそでフリー素材モデルとして不倫素材や、記者風素材を提供している。映画大好きの愛妻家を自負しているが、恋愛映画や恋愛系コラムは苦手。とにかく水曜どうでしょうが大好きでしかたがない。

Twitter:W8HeBCLk_400x400のコピー @wm_yousay

ブログ:http://huniki.hatenablog.com/「雰囲気で話す」

「怒らないから話して?」よりも、「話してくれたらこういう風に解決出来るから話して?」の方が、子どもは話してくれる

「怒らないから話してごらん?」って意味ないよなー、と昔から思っていました。

 

先に自分の立ち位置を明示しておきますと、しんざきは三児の父です。長男が8歳、小学三年生。長女と次女は4歳の双子、12月には5歳になります。早いものです。

子どもが何か失敗をしてしまったり、いたずらをしてしまった時に、ちゃんと親に対して話して欲しい・謝って欲しいのに情報開示してくれない、という状況は、勿論子育てをされているみなさんであれば数々遭遇する事態だと思います。

 

こういう時、慣用句のようによく使われる言葉として、「怒らないから話してごらん」というものがあります。実際、私も似たようなことを言われた記憶ありますし、他の親御さんが言っているのを聞いた記憶もありますので、頻度の差こそあれある程度一般的に使う言葉なのでしょう。

「怒らないから、と言っておきながら、正直に話すと結局怒る」という、民話のようなネタがよく「子どもの親に対する信頼棄損」のありがちネタとして口にされたりしますが、かなり前から、「それ以前にこのフレーズ、あんまり筋が良くないんじゃないかなー?」と私は思っていたのです。

 

まず、この言葉が使われる状況というのは、子どもが「何か」を隠している状況なわけです。その「何か」は、実際にはどんなに明々白々な事実であろうと、子どもにとって「認めたくない」「開示したくない」何かなのだろう、と推測できます。

それに対して、「怒らないから」という言葉を交換条件に提示するというのは、イコール「子どもは、怒られたくないからそれを話したくないんだ」と親が判断している、ということを示しています。

 

これ、本当にそうでしょうか。我々は、自分自身子どもの頃、「親に怒られることを恐れて」隠し事をしていたでしょうか?

勿論、そういう場合もあったと思います。ただ、私自身についていえば、多くの場合、「話したくない」には色々と他の理由がありました。

 

色々と状況によりますが、

・何故話さないといけないのか納得出来ないから話さない
・自分だけでその状況を何とかできると考えているから話さない
・話すのが恥ずかしい/ばつが悪いから話さない
・話すと、自分が悪いということを認めたような気がするから話さない

こういった理由が多かった気がします。

 

つまるところ、「怒られたくない」というのは、私にとって主要な「話したくない」要因ではありませんでした。むしろ、自分が怒られることを恐れているようにとられるのは、子どもごころに不本意なことですらありました。

勿論、特に小さい子どもは、上のような理由を言語化出来る程頭が整理されていません。それに勿論「怒られるのがイヤ」という理由もあるでしょうし、いろんな理由が絡んで感情的にぐるぐるしてしまって、結果的に言葉が口から出てこない、というケースが一番多いような気がします。

 

私は、感情的にぐるぐるしている子どもを前に一番大事なことは、「待ってあげる」ことと「筋道を示してあげる」ことだと考えています。

この場合の筋道というのは、つまり「ちゃんと話をした方が、結果的には全てうまくいく」ということを伝えてあげること、だと思います。つまり、「怒らないから」などという交換条件ではなく、「話した方がメリットがあるんだよ」ということをちゃんと伝えてあげる。

 

例えば、長女が次女のおもちゃを取り上げて泣かせてしまった時、多くの場合長女は、自分が次女を泣かせたということを認めようとしません。逆もまた然りですし、長男にもまだ似たようなことはあります。

ある程度落ち着かせてからのことですが、そういう時には「怒らないから話してごらん」ではなく、私はこんな風に話します。

 

・長女ちゃんは、おもちゃを取っちゃったかも知れない。取ってないかも知れない。
・おもちゃを取っちゃったとしたら、それは良くないこと。けれど、おもちゃ欲しいっていう気持ちをまだ抑えられないのは、仕方ないこと。抑えられるようにするのは練習すればいい。
・取ってなかったとしても、今は長女ちゃんと次女ちゃんの行き違いで喧嘩になってしまっている。これを仲良しに戻さないといけない。
・長女ちゃんは次女ちゃん好きだよね?仲良くしたいよね?
・何があったかちゃんと話してくれれば、パパは、長女ちゃんと次女ちゃんがちゃんと仲良しに戻れるお手伝いをしてあげられる。だからちゃんと話して欲しい。

 

こんな風に、ゆっくり落ち着いて説明してあげたら、大体の場合「自分がおもちゃを取ってしまった」ということは情報開示してくれます。

その後、謝れる時もあればそうでない時もありますが、いずれにせよ、少なくともしんざき家においては、「怒らないから話してごらん」よりも、「こういう風に解決できるから話して?」とちゃんと伝えた方が打率は良い、ということは言えそうです。

 

勿論、上のような話が上手くいくケース、上手くいく子どももいれば、そうでない場合もあるとは思うんです。そもそもある程度時間に余裕がないと取れない手でもあります。ただ、それでもなるべく、きちんと子どもにいろんなことを説明していきたいなあ、と。少なくとも私はそう思うのです。

昔、こんな記事を書いたことがあります。

上司に相談しても何もメリットがないのであれば、誰も相談なんてしない(不倒城)

この記事は、「部下から報告・連絡・相談を求めるのであれば、上司はそれに応じたメリットを提供しなくてはいけない」という意図で書きました。振り返ってみると、子どもと接する時もそれは同じなんじゃないかなあ、と思い至ったので、こんな記事を書いた次第です。

 

今後どうなるかはわかりませんが、今のところ、長男長女次女は素直に育ってくれているように思います。引き続き、彼らとの信頼関係をいい感じに築いていきたいなあ、と考えております。

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて
書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

「会社員は稼げないよ」と言った経営者の話。

「会社員は稼げないよ」と私はコンサルタント時代、出会う多くの中小企業経営者に言われ続けた。

 

「そう言われても……」と思いつつ、彼らの稼いでいる金額を聞かされるたびに、私は驚きを禁じ得なかった。

せいぜい30人程度の中小企業であっても、それなりの割合で経営者は3千万円以上の報酬を手にしている。100人を超えている企業で、長く続いている企業であれば、億単位で報酬を手にしている経営者も珍しくない。

「上場企業の社長の報酬が数億円」で驚いている場合ではない。儲かっている中小企業の経営者の報酬は、それこそ青天井である。

だが、多くの経営者はそれを黙っている。「従業員には言えないよ」と私はなんども聞かされた。

 

もちろん彼らはリスクと隣り合わせである。何かの拍子で会社が傾けば手元に残るのは借金であるし、従業員の不始末を自らの責任にしなければならない時もある。

だが「リスクを取っても経営者になりたい」という方が後を絶たない理由は、はっきりと分かった。

私が駆け出しのコンサルタントだった頃想像していた「稼ぐ」とは、年収が1千万、2千万、よく言って数千万円の話であったが、そこには全く異なる世界があったのだ。

 

 

確かに「お金が全てではない」といった話や「お金のために生活を犠牲にしたくない」と言う方もいるだろう。

そのとおりである。全くもって正しい。

だが、多くの報酬を手にしている経営者の多くは「カネが全て」や「生活を犠牲にしている」という人は殆どいない。むしろ「カネではない」「人生を楽しんでいる」人がほとんどだ。

だから、様々な経営者とあった結果、カネを手に入れようとすることは、その他のこととトレード・オフの関係とは私にはどうしても思えなくなった。

そして、必然的に私は「なぜ会社員は稼げず、経営者は稼げるのか」を不思議に思うようになった。

 

 

では経営者と会社員の稼ぎの違いの本質はなんだろうか?

冒頭の経営者は、こう教えてくれた。

「なぜ会社員が稼げないか、教えてあげよう。それは勝負しているマーケットが小さいからだよ。」

「どういうことですか?」

「つまり、会社員が稼ごうとすると選択肢は「給料を上げる」しかない。」

「そりゃそうです。」

「でも、給料を上げようとする時、君が勝負しているマーケットは、「社内」だろう?要するに、「他の社員より仕えるやつ」であれば、給料を上げてもらえる。」

「否定はしません」

「ま、そうすると小さい世界での競争ってわけだ。でも、そんな小さな世界で勝ったところで、得られるものはわずか。わかるでしょ?」

「会社同士の競争で勝てば、給料が上る可能性があります」

「ちがうね、会社同士の競争に晒されているのは、経営者だけだ。だって、会社員の給料は業績連動じゃないだろう?せいぜいボーナスに色がつくかどうか、って言う程度じゃないかな。」

「そうですね。」

「多く欲しければ、大きなマーケットで勝負するしかない。結局のところ、会社も、経営者も、会社員も、稼げる額はマーケットサイズに依存するんだよ。大きいマーケットに出なさい。給料で満足せずに。」

「それは、転職しろということでしょうか?」

「そうじゃない。それは自分自身を「転職市場」に売ってるだけだ。競争が激しいから、社内と同じでたいして稼げないよ。」

「どうすれば……」

「売るのは、自分ではなく「商品」だよ。そうすればマーケットのサイズは飛躍的に大きくなる。自分を売るためにスキルや能力を磨くのでは、さほど稼げない。稼ぎたければ商品をつくって売るしかない。」

「商品なんて、持ってないですよ。起業しろということですか?」

「それも間違っている。起業は目的じゃないだろう?」

「……」

「なぜ、起業しないとダメだと思うんだい?会社員を続けながらでも商品は売れる。ソフトを売る人、小物を売る人、本を売る人、音楽を売る人、情報を売る人、実際には「売る」にチャレンジしている人は想像するよりも遥かにたくさんいる。皆言わないだけだよ。売ってみて、うまく行ったら起業でもすれば良い。」

「……」

「会社員もやりながら、売って稼いでいる人、それほど少なくはないよ。私も最初、そうだった。自分以外のモノを売っているどうか、それが「経営者」と「会社員」の稼ぎの違いの根本なんだよ。」

「…すると、商品って、どうやって作るんでしょうか?」

「それを考えているのが経営者。それを考えないのが会社員。」

 

なるほど。そういうことか。

 

 

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Nikola Bagarov

副業したいあなたを応援します。【コラム7選】

某大企業に勤める20代のサラリーマンが「会社とは別に自らお金を生み出したいのです。」と言っていた。

「とにかくお金持ちになりたいんです。」というようなギラギラしたものではなく、むしろそうしなければ「将来が危ないんです」とでも言いたげだった。

日本でサラリーマンという職業が認識されはじめた大正から昭和初期の時代。当時はごく少数の大卒がなれる、いわゆるエリートの職業だった。

サラリーマンとは、毎月ほぼ確実にまとまったお金が入ってくるわけで、国に仕える官僚以外でそれは当時画期的な職業だった。

でも、どうやら最近は違うらしい。

 

日本はもう「普通の国」だから、安定した職場に居続けると、本当にマズいかも。

実際、20年前と比べて日本は確実に貧しくなっている。今の世界はGDPベースでは既に「アメリカ」「中国」「その他」だ。

日本は1億人以上の人口でかろうじて世界3位のGDPを保っているが、一人あたりのGDPは世界20位。すでにシンガポールや香港には負け、イタリアやスペイン、韓国と同列だ。「日本がすごい」時代は、もう遠い過去の話となった。

サラリーマンが安定した職業でなければ、サラリーマンである必要性はどこにある?

 

社員の「副業」に不満な社長の話。

「最近、社員から「副業を認めて下さい」という話がたくさん上がってくるんですよ。」とその経営者はいう。

それを聞いた一人の役員が、

「認めるんですか?」と聞くと

「認めたくないね。なんとかならないかね」と経営者が言う。

法律では、副業禁止は原則的にはできないことになっている。

 

「副業すると、本業の成績も上がる」と語る経営者の話

また、ある経営者は「副業させると、本業の成績も上がる」と言う。彼は理由を次のように述べた。

「まずですね、会社の外部の人脈を持っていない人間は、今ひとつ使えないですよ。社員にしたくないです。」

副業をして「自ら稼ぐ」ということを行ってみると、社長や経営者の気持ちが理解できるようになる。いや身に沁みてわかってくるという方が正しいかもしれない。経営とは、知識ではなく実践であるから。

 

副業禁止の会社って、ブラックですよね」と言う若手たち。

「だって、管理職のポストはどんどん減っていて、もっと言えば正社員も減っていて、で給料は上がらなくなっているわけでしょう。それで副業禁止、ってあり得なく無いですか。なんですか、滅私奉公しろってことですかね。」

若者はもうとっくに気付いている。

 

世界はノートPC片手に「ちょっとTOKYOのカフェで仕事してくる」時代に突入した

オーストラリアのエンジニア、スペインのカップルに共通するのは、特にビジネスのために来日したというわけではないということ。普段の仕事をリモートでやっているだけである。ただそのリモートの距離が遠いというか、国境は超えてしまっている。

これは本当に本当に起こっていることで、ごくわずかな人の話だとか、特別な能力を持っている人の話だとか思ってはいけない。現実にすぐ目の前で起こっている。ただし、その働き方を選択させてくるのはの「自らの意思」でしかない。なぜならば極めて新しいやり方だから、誰もアドバイスしてくれない。

 

会社はすぐに滅びるもの、という前提で働く。

何事も永遠ではない。人は死ぬし建物はいつか壊れる。国も、いわんや企業をや、である。企業の寿命は30年と言われるが、ほとんどの企業の寿命は人間よりはるかに短い。

100年、200年と生きながらえる企業も中には存在するが、企業は想像よりもずっと早く滅びることを前提として考えるのが自然であろう。

その時代に適応した会社がそこに存在しているだけであって、会社の目的は永く続くことではもちろんない。会社に拘らなくても、あなた自身が社会に役に立つ方法はいくらでもあり、それを探そう。それは「会社」で生き抜くよりももっと重要な能力となる。

 

サラリーマンは少額でもいいから、「副業」をしたほうが良い。そのたった一つの理由。

一見、「スマート・クリエイティブ」は敷居が高いが、実は「副業で稼ぐ人」とやっていることはあまり変わらない。作り、告知し、売る。それはとてもクリエイティブな活動だ。

Googleの提唱する「スマート・クリエイティブ」は、現在の働き方の矛盾点を解決する一つの「解」になっている。もしあなたが、「働くこと」で自らの人生を切り開こうとしているのならば、この新しい「働き方」に挑戦してみてもいいのではないだろうか。

 

最後に、ここでの話は「副」業なのである。「副」であるが故にそれは「本」業よりも、さらにあなたの意思次第であなたの目的にあったものを選べぶことができる。それは現在では本当に本当に自由なのである。

 

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ソシャゲーのガチャをベースに考える、最善の婚活戦略

少し前にTwitterで「毎回毎回、婚活パーティに高い参加費を払って参加しても40代のハズレのオッサンしかいなくて辛い」みたいな投稿をみかけた。

この投稿者が何でハズレクジみたいなのしか引けないのかは、ソシャゲーのガチャをベースに考えると非常に理解しやすい。今日はそのことについて書いていこうと思う。

 

課金したからってレアカードが引けるだなんて限らない

ちょっと前にソシャゲーのガチャが問題になった。

www.4gamer.net

まあこの記事の簡単に論点をいえば、運営側がレアカードの引ける確率を著しく低く設定しており、数十万円課金してガチャを何度繰り返そうが殆どの人はレアカードが引けない。そういう消費者サイドを課金地獄に炊きつけるような商法が、合法的にまかり通っていいのか?という事だ。

 

当たり前だけど、くじ引きはくじ引きだ。100本中に当たりを何本入れるかという事は運営側が決める。極端な話だけど、当たりくじは100本でもいいし0本でもいい。

消費者サイドは課金という行為を通してガチャを引く権利は手に入れる事ができるけど、レアカードを絶対に手に入れられる権利は手にすることができない。これは確率をベースにしている事から考えれば非常に当たり前のことなんだけど、これをキチンと理解しないでガチャに課金しまくると非常に不幸になる。

 

ほとんどの結婚相談所はソシャゲーのガチャと同じ構図

当たり前だけど、ソシャゲーも結婚相談所もレアカードを消費者にバンバン初めから渡したら全くお金が稼げない。目的となるレアカードは、あくまでレアだからこそ価値がある(高額な入会金を取る業者もあるだろうけど、ここではそういう団体は除いて話をすすめる)

結婚相談所なら電車の吊革広告などに「こちらに登録したことで素晴らしい伴侶に出会えました!」のような美男美女カップルを見せつけることで客をおびき寄せている。

当たり前だけど、そんな理想のカップルなんてそうそう生まれない。自由恋愛をベースにしたってそうそう生まれないだろう。だけど一例でも生まれれば、それは既成事実として広告に載せることができる。そういうカップルの成立する確率が例え1%未満だとしても、だ。

そうした広告を見て夢を持ってやってきた人からどれだけお金を取れるかが大体の結婚相談所のビジネスモデルだろう。営利団体なら当然の事だ。

もちろん真面目にやってる所が多いとは思うけど。まあビジネスモデルとして、婚活パーティという課金ガチャを何度も利用者にひかせないとお金が稼げない構図をしているのだから、レアカードを手に入れる為に課金ガチャを何度も何度も引かせようとする業者が一定数生まれるのは、仕組み上仕方がないことだろう。

 

なお筆者はこの手のサービスを批判するつもりは全くない。良質な業者もいるとは思うし、この手のサービスを通じていい伴侶と巡り会えた人もいるだろう。

ただあくまでくじ引きBOXの中身を考えた時に、当たりクジを引ける確率は高くはないだろうな、という事が予測されるという事を述べているだけだ。

そもそも婚活サービスにレアカードが多く散らばっているなら自由恋愛は廃れるはずだが、そんな傾向は全くみられない。どこの業界でもそうだが、残念ながら活きが良い商品から早々に売れてしまう。

 

キチンとしたくじびきボックスを選べ。それか自分でくじ引きボックスを作れ。

出会いがないと嘆く人は多い。そういう人は、このまま同じような生活を続けても結婚できそうな人と出会える確率は、ほぼゼロだろう。ここで役に立つのがネットワーク理論についての知識だ。

ネットワーク理論に6次の隔たりという概念がある。これはどんな人間でも6人隔てれば、全世界の人間と繋がれるという概念だ。これによれば、一般人でも安倍首相だろうがオバマ大統領だろうが誰にでもつながれる可能性がある。

この概念をベースに考えれば、結婚に適した相手と自分がつながらないだなんていうのは理論上ありえない。

 

だけど多くの人が、よき伴侶に出会えずに困っている。

何故か?それはあなたがネットワークの片隅にいるからである。ネットワーク理論も6次の隔たりも理論的には正しい。だが、あくまでその恩恵を預かれるのはネットワークの中心となる存在と強固な関わりを持つものだけである。

 

例えば日本の空港を考えてみよう。羽田空港は日本のほぼ全ての空港とつながっているが、田舎の空港は羽田+周辺の空港としか繋がっていない。

同じ空港でも、羽田は日本全国への道が直接開かれているのに対して、田舎の空港は羽田という地を踏まえなければ全国には繋がる事ができない。何をお前は当たり前の事を言ってるんだと思うかもしれないが、この事実をキチンと理解する事がネットワーク理論を利用するに当たって非常に重要である。

 

繰り返しになるが、ネットワークの隅にいる存在は羽田のような中心地を経由しないと、全国とはつながれない。理論上は羽田も田舎の空港も、全てとつながっているのだけど、繋がりやすさは天と地ほども差がある。6次の隔たりの恩恵を受け取るには、中心地となる存在と関わりを持つことができるかが大切だ。

これはあなたの婚活における状況と全くおんなじだ。つまり出会いを求めるのなら、羽田のような中心地としてのキーマンとまずはつながる事を目的とすべきである。

 

逆に、そういう人間と知り合うことさえできれば、あなたは簡単に婚活で勝利する事ができる。

具体的にいえば羽田空港みたいな存在がいる、趣味のサークルみたいのに入って、そういう人と仲良くなり、いい人を紹介してもらう。これが凡人が一番手軽にできる婚活最適戦略だろう。そういう中心人物たる存在は、あなたに良質な当たりくじが多く入ったくじびきBOXを与えてくれるはずだ。

更に言えばあなた自身がキーマンになれるのならば、それが最もいい戦略に他ならない。何人か集めてクラウドファンディングでリアル脱出ゲームを作ったり、人狼みたいなゲームを主催するようにしたり。そういう様々な場所から人を集めることができる中心人物になれるのならば、あなたは6次の隔たりを利用して恐ろしいスピードでいい人を自分で惹きつける事ができる。

もちろん楽ではない。けどやる価値はある。

 

これはくじびきのボックスの中身を、自分で作るようなもんだ。どんなくじ引きも、中身をみながら引くのが最もよいアイテムを引く方法に決まっている。そもそも確率でガチャを引くという消費者の形態を撮り続ける限り、絶対に胴元には勝てない。ならば初めから自分が胴元になってしまえばいいのだ。発想の逆転である。

婚活も一つのゲームみたいなものだ。初めから戦略が間違ってたら、勝てる戦も勝てなくなる。ほんの少しの面倒くさい一手間が、後々大きな差になって結果としてあわられる。冷静に、着実に行動していこう。

 

そして最後に非常に大切な事を強調しておくが、あなた自身が人に紹介されても恥ずかしくない立派な存在になる事が最も大切だ。どんなに素晴らしい人脈があなたにあろうが、あなた自身が悪質な商品なら商売は成立しない。

結局どんな業界であれ、自分の頭で戦略をキチンと練って真面目に行動し続けるものが最後に勝つのだ。

 

 

プロフィール

名称未設定1

高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

「自己管理できる人」ってどんな人?

いわゆる「新しい働き方」にまつわる問題、具体的には複数の会社の仕事をしたり、リモートワークを行ったりといった仕事の形に必ずついてまわる問題として、「自己管理」がある。

当たり前だが、自己管理ができない人に、新しい働き方はできない。リモートワークやパラレルワークは、人の監視がなければ仕事ができない人には、向いていない働き方なのだ。

 

先日お会いした経営者は、「社員にリモートワークを認めてあげたいけど、ウチの社員に自己管理ができるかなぁ……上司が見てないと仕事しないんじゃないかなぁ…」と言っていた。

リモートワークやパラレルワークが多くの会社で認められていない理由は、表向き「直接会うことが重要」と標榜してはいるが、実のところ「社員が自己管理ができるかどうか」に対し、まだNOだと考える経営者が多いからではないだろうか。

 

しかし、有能な人々はもはや、会社の中にとどめておくことはできない。会社としてもむしろ、有能な人にほど新しい働き方を認めてあげたい。

でも一部の人だけそれを認めるのは不公平だ……そんなジレンマがあるように見受けられる。多くの経営者は「もっと多くの人に自己管理できるようになってほしい」と願っているのだ。

 

だが、改めて考えてみると「自己管理」とはなんだろうか。何ができれば、「自己管理」できたといえるのだろうか。

 

 

これについては、かつて一緒に仕事をした、あるコンサルタントの知見がわかりやすいだろう。

かつて「自己管理せよ」という上司の下で、何をすべきかわからず、迷っていたとき、「自己管理が上手である」と言われる彼に相談したのだった。

 

「自己管理について教えてくれって?」

「そうです。」

「ふーむ。それは、自己管理、という言葉の今のイメージから聞こうか。」

「えー、遅刻をしない、とか約束を守る、とか。そんなイメージです。」

「おいおい、ここは小学校か。そんなこと、当たり前じゃないか。」

「え…。ちがうんですか?」

「ちがうね。少なくとも会社における「自己管理」は全くちがう意味だね。たぶん今のことは「規則を守る」とか「きちんとする」とか、そんなレベルの話だろう?本当の自己管理は、もっとレベルが上だね。」

「で、では……。「人格者になる」とか、そう言ったレベルですか?」

「全くちがう。」

「……ギブアップです。」

「おいおい、そんなことも知らないでコンサルタントやってるのか。そりゃマズいよ。」

「意地悪しないで、教えて下さい。」

「いいよ。「自己管理」ってのは、中身は3つ。考え方、データ、そして業務設計から成る。

「3つ。」

「まず考え方。自己管理は「目標指向」だ。」

「目標指向とは……」

「管理は何のためにする?目標を達成するため、成果をあげるためだ。言い換えれば、管理は前提として必ず目標を持つ。そこに「自己」と付くのだから、この意味は明らかだ。つまり、「自己管理」は「自ら設定した目標を達成するためにやるもの」なんだ。」

「自分で目標を立てろということでしょうか?」

「そう!他人の立てた目標ではダメだ。自分で立てた目標、自分で決めた目標を守るのが、自己管理だ。」

「なるほど、与えられたものではない目標……。」

「そう。」

「次は?」

「次はデータ。成果についてのデータを見て、自分で行動を修正できなくてはダメだ。」

「どういうことでしょう?」

「ドラッカーの言葉を知ってるかい?「自己管理には、自らの成果についての情報が不可欠である」と言ってるんだよ。彼はまた、こうも言ってる。「理想は「結果はもう本人が知ってるから、わざわざほめたり叱ったりする必要ないよね」という状態だって。」

「つまり、自分でどの程度成果が出ているか、自分で見えなくちゃダメ、ってことですか?」

「そう。上司が教えたり、尻を叩いたりするのはダメ。」

「言われてみれば当たり前ですね……でも、肝心な情報を上司しか持っていない、という状態はダメってことですね。」

「そうそう。」

「最後は?」

「基本的に「自己管理」は自分の仕事の進め方を自分で作らないといけない。非定型業務なら当たり前だよね。ボスがやり方を逐一指示してくれるわけじゃない。」

「確かにそうですね。」

「だから、仕事を細分化して、順番を定め、トライアル・アンド・エラーを繰り返して自分で仕事を作っていく。つまり業務設計が自分でできる人しか、自己管理はできない。

「うーむ、難しいですね。」

「そう、だって今までボスがやってくれたことを、自分でやらなくちゃいけないんだよ。大変だよ。」

「まあ……そりゃそうですね。そういえば、「モチベーションの管理」とかは要らないんですか?」

「要らないよ。」

「何故ですか?」

「全部自分で決めてるからさ。自分で決めてる感覚なら、モチベーションも何もない。もし「モチベーション」が気になるようなら、それは自己管理できているとはいえない。モチベーションの減退は、疲れか、やらされ感だから。」

「なるほど」

「疲れは、自分で管理できるだろう。やらされ感を持っているなら、それは自分で決めた目標じゃないからだ。」

「なるほど、ありがとうございます!」

 

——————–

 

以上の話から、「自己管理」ができる人の条件は、

1.目標を自分で作ることができる

2.成果に関するデータを見て、自分の行動を修正できる

3.業務設計ができる

の3点となる。

 

 

 

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(Chapendra)

讲话浮于表面到底是怎么回事呢?

話が浅い」とはどういうことか。 の中国翻訳版です

——

和人交谈时,估计谁都经历过被浮于表面的话吓着的。

这与讲的内容无关。

聊动漫时有深意的时候也有,谈哲学时只是说话浮于表面说说的人也有。聊偶像能很有深意的人有,政治上令人吃惊的只能浮于表面说说而已的人也有。

请不要误会我的意思,是不是说理所当然的说话浮于表面就不好呢,也不能这么说。
很愉悦休闲的地方讲太深刻的话也不好。必须讨论的时候,只是泛泛而谈的话也很头疼。这是个平衡的问题。

但是,在公司如果被认为[这家伙很浅薄,只能泛泛而谈]的话,工作就会有困难。那样的话就很麻烦了。
因此,理解“泛泛而谈”为什么听起来觉得肤浅就不是一件坏事。

 

1.我们是不假思索的在使用词语

面试中,有这样一件事。

“你的应聘动机是什么?” 应聘者回答说

“看了贵公司的经营战略,我认为可以发挥我在◯◯的专长。”

公司董事苦笑着说。

[是啊,感谢你看了公司网页,但是我们公司肯定没用战略这个词。你用[战略]这个词基于什么意思呢?]

应聘者无法回答,正意外暴露了“没有想就用词语”的问题。

此外,最近很频繁的使用外语单词,往往没有对应的日语单词。

– イシュー是“问题”?

リスク是“危险”还是“可能”的意思?

コミット是“承诺”?

外资企业的人,因[没有对应的日语]像ルー大柴(艺能人)用日语是可以理解的。认真的人来看,那些不假思索的用的人就很浮于表面了。

不知道,就说我不知道的话,他还是不错的。 被认为[学习不够]要比浮于表面要好。

 

2. 不知来龙去脉

例如,有一个观点“终身雇佣制是不行的”,为了深入探讨,有必要知道“引入终身雇佣的背景”,“终身雇佣制推广的理由”。
即使现在不能很好发挥作用了,当初开始时因有效而被大家认可。

现在从人道上被否定的“奴隶制”,在古罗马时积极地使用。而到近代为止美国还有很多奴隶,考虑到这一点,奴隶制=恶是一个相对现代的观点想法。

因此,他们为什么用“奴隶”,他们为什么认为有可取之处,不知道当时的情况就没法讨论奴隶制。

感情用事的“奴隶制不好所以不行”就没法讨论了。

此外欧洲人为什么能够征服其他大陆。为什么不是相反。想一想,即使美国原住民征服欧洲应该是可以的。

浮于表面的解释,“因为西方人优秀”。继续“深”入的话,地理因素,可用性高的生物物种,气候变化的存在,可以明白有复杂的交织着的各种因素。

观点和事实总有两个方面,只看一面是“肤浅”的开始。我们必须始终设法积极去理解“来龙去脉”。
看似不合理的制度,它通过的时候,在特定状况下是合理的。

 

3.讲话的根据不足

有那种讲话根据薄弱不充分的人。
例如营销会议上,针对“为什么面向家庭主妇?”的提问。”电视上说家庭主妇的客户很多” “除此以外呢?”回答就只是“没有了”。

当然,我不是说电视的信息是无用的。
相反,暴露出的问题是没有多个信息源。你可以上网搜索,也可以查阅文献。也可以咨询专家。 泛泛而谈的人反正是”太相信信息“了。
怀疑别人虽然不是一种美德,但是电视会有错误的,网络并不总是写得很正确。专家常常对自己有利的来解释。
查阅各种文件资料,形成自己的见解,才能结束泛泛而谈。

在一家餐馆,店主人向顾客宣传“因为是国产的所以是安全的。”
但是“国产就是安全”的根据在哪儿呢?哪儿是可以安心?重要的部分根本看不到。只是凭印象的说的话就很肤浅。

 

4.依赖权威的说法

肤浅的交谈有个特点就是,“权威”是经常出现。
使用“权威”本身并不是不好。问题是“不知道权威为什么这样说的原因”,而引用权威的话。

“成功的社长◯◯,他一直在说这不好”

“哦,为什么呢?”

“不太清楚,◯◯都这么说了,毫无疑问的。你不相信? “

“(浮于表面……)你自己的想法呢?”

“因为那个人取得很大的成功了。”

“(没用的家伙…)话是这么说。你自己这么想的话还可以理解? “

“不不,◯◯先生是这么说的。”

“不知道原因,那就没办法相信了。”

“你真的不开窍!”

“别跑题。”

我们对容易盲目相信成功人士所说的,但在认知心理学上属于偏见的一种即“后见之明的偏见”。

应该明白“成功人士说的”,“权威人士说的”,并不都是基于准确的记忆。

再次说明,并不是说“肤浅的话”就一定不好。每次批评泛泛而谈的话,只是一个爱找“麻烦的家伙。”

但是,讨论,考察的时候,就比较糟糕了。要有智慧的区别对待才行。

 

J.G. Park

仕事が楽しければ、会社から評価されなくても平気だろうか?

「『何のために働くのか』考えている」と言うと、「そんなの、生きるために決まっている」「そんなこと考える暇もなく働いている」といった答えが返ってくる。

 

「生きるため」は目的の1つだ。でも、それだけではない。

最近は「評価されること」は働く目的になるのか、について考えている。

 

☆★☆★☆

 

最近仕事が1つ増え、今までとは違う種類の仕事も手伝うようになった。

私は、評価されるために働いているわけではないと思っていた。そんな私に対して先輩が言った。

 

「評価の軸が増えてよかったね」

「評価のために働いているわけではないですけどね」と私は答えた。 

「もちろん、それはわかっている。でも、評価されないと仕事の意味を見失う」

 

聞いてすぐ、そんなことはない、と思った。

楽しければ、評価されなくても仕事のモチベーションは維持できると思っていたのだ。

 

だが、先輩のこの言葉を聞いて、改めて評価について考えてみることにした。

どれだけ一生懸命仕事をしても、それを全く評価されなかったら……その仕事が楽しいものだったとしても、働くモチベーションを維持することはできるだろうか。

 

改めて考えて私が出した結論は、評価されないと「『割に合わない』感を抱く」だった。

仕事を楽しいと思っている時は、評価に関係なく幸せを感じていられる。今は楽しんでいるから、評価に関係なく満足している。でも、全てが楽しい仕事というわけではない。

仕事をしていて幸せを感じない時、評価されていないと「割に合わない」感が心を支配してしまうと思うのだ。

 

評価されると、承認欲求が満たされたり、満足感が高まったりする。評価されないと、必要とされていないのではないかと思ってしまう。このような気持ちへの影響は確かにある。

だが、気持ちより、給与への影響が大きい。年功序列の評価制度でなければ、評価は給与に反映される。

実際、上司に「うちは評価が給与にダイレクトに反映される。逆に言うと、給与こそが評価であり、それ以外に評価の反映先はないということだ」と言われたことがある。

給与が上がるということは単価が上がるということであり、同じ時間働くのなら、高い方がありがたい。

 

☆★☆★☆

 

ここで気を付けたいのが、評価は何に対してなされるものなのか、ということだ。

大抵の場合、成果に対して評価がされる。つまり、未来ではなく、過去に対して点数を付けるということだ。結果が先、評価が後。今評価が低いのであれば、これから頑張って、それに対して高評価を得る必要がある。

 

では、過去の評価に納得しておらず、割に合わないと感じている場合、どうなるのか。「私は100の成果を出したのだから、100の評価をしてもらえるはずだ。でも、50の評価しかしないのであれば、私は50の働きしかしない」とペースダウンしてしまう人もいる。

 

先日こんな話を聞いた。

「基本的に、人は自己評価が高い。みんな自分に150点を付けている。でもその場合、大抵他者からの評価は75点くらい。だから、自分の客観的な評価は自己採点した結果を2で割った方が良い」

つまり自己評価が100点で、50点の評価しかしてもらえず、「それなら50点分の仕事しかしない」とペースダウンすると、次は25点の評価になってしまう可能性が高いということだ。

 

会社が期待値に給与を支払うことは期待しない方が良いと思う。人件費に対して「投資」という考えを持ち、未来の成果に期待して給与を支払ってくれる会社なら別だ。だがそのような会社でも、期待値は過去の成果をもとに割り出されるのではないだろうか。

 

☆★☆★☆

 

今後も私は評価されることを目的に働くことはないだろう。でも、“割に合わない”評価だと感じてしまったら、果たしてモチベーションを維持できるか疑問である。

「楽しさ」「やりがい」「達成感」といった気持ちに関する支えがない時、働くモチベーションは給与によって維持されると思う。楽しさを感じなくなった時の保険として、評価を意識して働くのもアリなのかな、と思い直した1日だった。

 

ではまた!

次も読んでね!

 

 

【著者プロフィール】

名前: きゅうり(矢野 友理)

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

著書「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri

ブログ:http://kyuuchan.hatenablog.com/「微男微女」

 

レスポンスの遅い営業担当者にモヤモヤしてしまいました。

今は中学校・高校の校長をやっていますが、かつて個人で起業し、パソコンのオンサイトサポートをやっていた時期があります。 

主に個人宅を訪問して、パソコンやプリンタの設定、インターネットの接続設定、ウィルス除去、ソフトウェアの操作指導などを行う仕事です。

 

目の前で、視線を浴びつつ、お客さんのパソコンを操作する緊張感。もちろん「できません」「わかりません」とは口が裂けても言えません。

「こんなことぐらい簡単さ~」というノリで、笑顔でササッと手際よく作業をこなし、ついでにプラスアルファの操作説明なんかできたら、相手は大感激!「ぜひ、また今度もアナタに・・・」ということで、好感度アップ……といけば最高です。

 

とにもかくにも、その道のプロとして、お客さんの前で仕事を完結し、その対価として報酬をもらう。仕事を回してくれた会社、そこと契約している企業が常について回り、両方に気に入ってもらわなければ、たちまち仕事がなくなってしまいます。

また、挨拶、身なり、言葉遣い、笑顔、スキル・・・など、アポ取りの電話から始まり、報告書を会社に送るまで、見かけ以上に気を遣う仕事でした。

 

もちろん、その場でお客さんの表情・反応がダイレクトにわかるから、自分の仕事がうまくいっているか、気に入られているか・・・などがリアルに伝わってくる、まさに「真剣勝負」の現場です。

そこから私は、どんな仕事にも通じる「対人関係の基本」を数多く学びました。

 

 

ところが最近、どう考えても「あらら〜?」と思ってしまう出来事がありました。

 

 

少し前、突然、某大手企業の法人担当営業さんが学校にお見えになりました。 

基本、アポなしのお客さんでも、こちらの身動きがとれる範囲で「積極的」に会うようにしています。そして、私自身の思いや考え、今後学校をどうしていきたいかなどを「可能な限り」話をします。

それが私の基本スタイルで、「開かれた学校」の一つです。

 

で、この日の営業さんにも同様の対応をしました。なかなか興味の湧く内容で、学校としても少なからずメリットを感じ、けっこう深いところまでフレンドリーな話ができました。

もちろん、だからといって何かが決まるわけでもなく(強いて言えば「また会おうね」という約束程度で)、その場は最初の顔つなぎということで終わりました。

 

ふつうの営業感覚なら、相手(学校)が受け入れていることを十分感じてもらえただろうし、すぐにとはいかないまでも、自分から連絡することで、次のステップへと話を進めようとする流れだったと思います。

なのに、その後、何の連絡もなし。電話はおろか、メールもありません。

そんな状態のまま2か月が経ち、学校の対応をある程度まとめることができたので、続きの話をしようと思い、こちらから担当営業さんの所属する支店に電話を入れました。

あいにく午前中は会議があるとかで、午後、電話をするように伝えるとの返事をいただき、向こうから電話番号まで確認していただきました。

 

そこまでは、ごく一般的な対応でしょう。

ところが、午後になって、いくら待てども電話がなく、結局夕方5時になっても連絡ひとつなし。こちらからは学校の代表番号を伝えておいたので、たまたま席を外していても通じるはず。う〜ん、なんだかなぁ・・・って感じです。

 

先方で、誰が、どう伝えたのかわかりません。もしかすると、連絡がうまく伝わっていなかったのかもしれません。ただ、それが社内でキチンと伝わっていたとして、私がこの営業さんの上司なら「アホか、早く電話しろ」です。

確かに、前回出会ったとき、その営業さんは大企業がゆえのフットワークの重さ、話の進みにくさを嘆いていました。ですが、それをも理解したうえで、一緒にやっていけるかな・・・って、前向きな話までしていたのに、この対応です。

 

さすがに、私としては「気持ちが伝わらなかったのかなぁ」と、なんだか情けなくなりました。あんなに共感しながら話していて、結果がこれか・・・みたいな。

モヤモヤしたまま、就職希望者への激励があったので、そちらに向かいました。

 

そして、戻ってきたところで、事務室から「今しがた、お電話がありました」。かけ直す旨、先方に伝えたとのことだったので、こちらから電話を入れました。

営業さんがすぐに出たのはよかったのですが、一切、経緯の説明はなく、相変わらず淡々とした口調で、こちらの要望を聞きつつ、次回のアポを決めて「はい、おしまい」。

一件落着といえばそうなんですが、モヤモヤが残ります。果たしてこれでよいのでしょうか。

 

 

さて・・・、皆さんはどう思われますか?

 

 

<プロフィール>

安居長敏(Nagatoshi Yasui)←名前をクリックすると記事一覧が表示されます
 
私立中高校長。
高校教師として20年勤めた後、転身。コミュニティFMを2局運営、PCオンサイトサポート起業。
再び教育現場に戻り、学校改革を推進。4年前から現職。
 
・Facebook →12799032_966933036675803_8989260437419551489_n facebook.com/yasuis
・Twitter →1YB44m9q_400x400 twitter.com/yasuis
・校長Blog → YASUI’s web diary
 

 

「たりない」ことに目を向けず「手持ちで勝負せよ」という経営者の話。

昔、ある経営者に「手持ちで勝負せよ」と教えられた。どういうことか。

 

その方は言った。

「手持ちというのはもちろん比喩表現だよ。要するに「足りない」ということに目を向けず「今あるもの」でなんとかしようという考え方。」

「あるものとは?」

「君はまだ若いから、あまり意識しないかもしれないが、世の中には「足りない」ということだけしか見えない人がたくさんいるんだよ。」

「例えば、どんなことでしょう?」

「そうだね、友達と集まって遊ぶとする。」

「はい」

「なにかして遊ぼう、という話になるけど、皆お金がない。」

「ありがちですね。」

「そこでの反応は二通り、「ま、お金がなくても楽しめるさ、考えよう!」という人と、「お金がないと、遊べないじゃないか。あー、落ち込む。」という人。」

「前者の人のほうが幸せそうですね。」

「そう!そこが肝心なとこだ。「足りない」ことに目を向けても、大抵はいいことがない。」

「うーん……」

「他にもあるよ。仕事なんて特にそうだ。」

「例えば?」

「あるプロジェクトを任されたとする。予算も期間も、人もいない。君はどう反応するか?」

「そりゃ「無茶です」って言うかもしれません。」

「まあ、普通はそうだな。私もそうだった。」

「でも私の同僚にすごいやつがいてね。「私がやります」って言って、引き受けちゃったんだよ。」

「プロジェクトはどうなったんですか?」

「そこが彼の凄いところでね「予算も、期間も人もいないなら、やれることは限られている」って言って、知り合いをあたってインターン希望の大学生を集めてね、後は他のプロジェクトの成果品を流用したりして、なんとか期間内に形にしちゃったんだよね。」

「……」

「凄いよね、僕もほんとうに驚いた。「こんなやり方があったんだ」ってね。でも、言われてみれば僕にもやりようはあった。でも「足りない」ということに気を取られて、頭を使わなかったんだ。」

「確かに。」

「まだある。世の中には「時間があればいろいろできるのに」って言う人がたくさんいる。」

「何をですか?」

「休暇とか、英語とか資格の勉強もそうだし、副業やイベント、それこそありとあらゆることだよ。」

「時間があれば休めるのに、っていうのは、私も同感です。」

「そういう人は、「足りない」ことに文句をいうことしかできない人だよ。」

「……。」

「時間が無くてもできることはたくさんある。というより、何かをやり遂げようとしている人に時間の余っている人なんていないよ。何もかもが足りないという前提でやり方を考えるのが、「手持ちのカードで勝負せよ」ということだよ。」

「理想的にはそうですけど……。」

「「足りない」ことは、言い訳にならない。交渉したり、協力を仰いだり、人に聞いたりして、頭を使えばたいていの事は解決するものだよ。」

「あのー。」

「何?」

「「才能が足りない」って言う人もいるじゃないですか。その場合はどうすればいいんですか?」

「「才能が足りないのでできない」って言う人?」

「そうです。」

「ほっとけば?「才能がないから」って言う人は、結局なにもしないよ。本当にやりたい人は「才能がないから」なんて考えない。「才能がなくても、やれることからやろう」って考える。」

「本当ですか?」

「本当だよ。僕の知り合いに小説家志望の人がいる。もういい年だ。あれだけ長くやっても芽が出ないのだから、才能はないのかもしれないけど、彼に会うといつもこう言うんだよ。「才能がないのはわかってるけど、だからって小説をやめる理由にはならない。」」

「……なるほど。」

「彼は良い人生を送ってるよ。小説はまだまだ売れそうにないけどね。でも、何がきっかけで認められるかわからないし、彼はこのままでも幸せなんだろう。「足りない」ことを気にしないやつだから。」

「もう若くないから、とかお金がないから、とか、人脈がないから、機会がないから、そういったことも全部「ないもの」から考えていますね。」

「そう!そうなんだ。「ないもの」から生み出されることはなにもない。何かを生み出せるのは「自分の持っているもの」だけだよ。」

「……。」

「最近、若い人が起業したいって来たんだ。「やればいいじゃない」って言うと、「お金がないから……」っていうんだ。なんで起業をお金前提で考えるのかね。お金が無くてもできる起業をすればいいのにって、思うんだよね。実際、お金がなくても起業している人は周りに沢山いるから、紹介してあげたよ。後は彼次第だね。」

「……。」

「必要なのはお金でもなく、時間でもない。ましてや才能なんてとんでもない。必要なのは「手持ちのカードでやりくりする」ためにきちんと考える事と……」

「ことと?」

「あとは勇気だよね。」

「……。」

「だってみんな「足りない」んだから、そんな不安の中でも動く人が、成果を手にするんだよ。」

 

「足りない」ことを言い訳にしない。彼はそれを強調した。

もちろんそれは厳しい選択でもあるのだが。

 

 

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「起業をしたいんです」と多くの若者から聞くようになった理由と「起業」に関する良コラム5選

「起業をしたいんです」と多くの若者から聞くようになった。

私が学生時代だった90年代後半から2000年始め頃に「起業したい」なんて言ってる人がどれくらいいただろうか?

当時、目も眩むようなお金持ちになる(言い換えるとビッグになる)と言えば、まずはスポーツ選手だった。あとはミュージシャン、テレビタレントくらいだったような気がする。いや、本当は他にもあったと思うけれど、私の学生時代までの狭い視野ではそれくらいしか若くして大金持ちになれるイメージはなかった。

今では、それに「IT起業」が加わろうしている。グーグルやフェイスブックのような若くして成功した起業家を目指して。

そう、我々が当時メジャースポーツに憧れたように、今の若者はシリコンバレーに憧れている。

スポーツ選手とIT起業家に共通するもの、それは資本を持たざるものが己の能力、知識やスキル、そして若さ故の無限大な努力のみで成功できているように見えること

いや、違う。そんなに甘くない。それらを考えさてくれるコラム5選。

 

起業は「注文をもらってから」しなさい。

ある起業家がいた。彼は勤め人であったが、独立を考えていた。

ただ、彼には企業のノウハウがなかった。そこで彼は「ビジネススクールに通わなければ」と考えた。「経営について、知識がない状態で独立をするのは危険だ」と思ったからだ。

二人の起業家を例に、起業家の持つべきマインドセットが描かれている。

 

起業の厳しい現実と「意識高い系」の乖離について。

意識高い系と、本物のちがいはどこにあるのだろうか。「覚悟」なのか。「思い」なのか。しかしそういった言葉で表すのも何か陳腐だ。

実際「起業」というは非常に泥臭い活動で、それがかっこいい言葉で言われると、本当に伝えたい事が、伝わらない。

「起業」に対してのシビアな見方。起業を考えている人はぜひ一度読んで欲しい。これが本当に本当に現実なんで。

 

起業家に向いている人と、向いていない人のただ1つのちがい。

では、もっと大きな「起業家への向き不向き」は何によって規定されるのだろうか。

私の観察では、成果の大小に対して最も大きな影響を与え、かつその組織に集まる人々の行動に大きな影響を与えるのは、起業家の性格でもなく、行動特性でもなく、「行動原理」にあると考える

この「行動原理」は、実は会社の中でも適用されている。あなたは今どのような「行動原理」で仕事をしているだろうか。

 

40代のおばさんがスタートアップにチャレンジする極めて個人的な理由

これまでも自分は、35歳を過ぎた頃から「一生子供を持たない可能性が高い」とは思っていたし、そのような人生設計に沿って生きていた。ただ、「そうなるかもしれないと思う」ことと「物理的に可能性が断たれること」は相当な違いがある

「女子」から「おばさん」という生き物に生態を進化することで、何かから解放された。あ、起業しよう。

 

あきらめない人のヤバさ。

諦めない人は、色々とヤバい。

何がヤバいのか。

とりあえず読んで欲しい。ヤバイから。

 

起業とはあらゆる職業選択の中の一つに過ぎなくて、それぞれが自分にあった形態で働くことを選択すれば良い。国に仕える公務員だったり、会社勤めのサラリーマンだったり。起業は、自分に仕えるしかないのだが、直接市場と向き合わないといけないという意味において、マーケットに仕えると言えばいいかもしれない。

唯一言えることは、その選択の自由がある世界(少なくともここ日本では)に生きていることは間違いない。先人の努力に感謝したい。

 

今までのまとめ記事

なぜ私たちは「努力が報われる」を信じ続けるのであろうか?【記事5選】

「あの人はダメな上司なのかな?」と思った時に一度読んで確認してください【記事5選】

「仕事できないやつかもしれない」と自分を疑った時に読んでみてください。コラム5選

はじめて出世して、背伸びしたいと思った時に読むべき7つのコラム

「あ、ヤバイ。入る会社間違えたかも」ってなった時に役立つかもしれない記事5選

40代で老後を考えると。

リニア新幹線が京都を通らないというニュースを見た。どうやら奈良を通るらしい。

京都の政財界がルート変更を求めたが突っぱねた、というJRの決定がどのような影響をもたらすのか、京都にとってはありがたくないかもしれないが、経済圏に変化があるのかどうか、非常に楽しみなところではある。

 

だが、正直いうとルートの話より遥かにショックを受けたのが、「名古屋〜大阪間の開業が2045年予定」というところだった。

 

2045年といえば、今から約30年後である。30年後には私は約70歳、余命は平均的に10年あるかどうか、というところだろう。いや、祖父のように運悪く70歳に届かず死んでいる可能性も十分ある。

リニア新幹線が大阪に届くことを、生きている間に見届けることができないかもしれない、とふと思ったのだ。

 

すると突然、「私はそれほど遠くない将来、死ぬのだ」というリアルな感覚が襲ってきた。これが世代交代、ということなのだ。

おそらく30年後の世界は今とは大きく異なったものになっているのだろう。我々が30年前に今の世の中を想像することができなかったように。

 

また、生きていたとしても見たくない問題は山積みだ。下は、政府統計による2045年の人口推計だ。2045年に私の年齢は70、超ボリュームゾーンである。

2045

 画像出典:国立社会保障・人口問題研究所ホームページ (http://www.ipss.go.jp/)

 

そして、それとは逆に青い部分である生産人口(15歳〜65歳)は、全人口の半分程度でしかない。

我々の子どもたち、孫たちの事を思えば、これを見た本音は「社会の荷物になりたくない」だ。

 

70歳から年金?ありえない。75歳ですら怪しい。おそらく我々の世代は70歳、いや80歳になっても働くことになるだろう。

既に年金は破綻の兆しもある。

年金:2037年に積立金は枯渇、40代で1000万円の払い損に

社会保障論が専門の学習院大学・鈴木亘教授が「現実的な条件」で試算したところ、厚生年金の積立金が33年、国民年金の積立金が37年に枯渇するという結果に

(プレジデント)

したがって、65、70を過ぎて会社からお払い箱になっても、自分で自分の食い扶持を稼げるようになることは、現在40代前後の我々の世代にとって、危急の課題なのだ。

 

だが、そう悪いことばかりではない。ピーター・ドラッカーは、人口構造の変化は、企業家にとって実りあるイノベーションの機会となる*1と述べた。

すでに変化は起こっている。誰もそれを機会とするどころか単なる事実としてさえ受け入れようとしない。

したがって通年を捨てて現実を受け入れる者、さらには新しい現実を自らすすんで探そうとする者は、長期にわたり競争にわずらわされることなく事業を行うことができる

未来は常に現在行ったことの結果である。準備は早ければ早いほど良い。会社の外でも稼ごう、様々な人と共に老後まで働くことを楽しもう。それが現実を受け入れる、ということである。

 

 

 

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(whity)

廃人を生み出す究極のシミュレーションゲーム「Civilization4」に学ぶ生存戦略

「Civilization4」通称civ4というゲームがあります。

ご存知ない方であっても、昔からシミュレーションゲームに興味をお持ちの方であれば、「シヴィライゼーション」というタイトルを聞いたことはあるのではないかと思います。

 

「太古の時代から現代にいたるまで、様々な文明と切磋琢磨しながら自分の文明を育てる」というのがテーマのゲームで、特にその「4」は名作中の名作。

2006年の発売以来、全世界で150万人以上のゲーマーの睡眠時間を削りに削りまくっており、2016年の今に至っても、多くのファンが自分の文明に時間リソースを注ぎ続けています。(私とか)

 

civ4において、プレイヤーは「カルタゴのハンニバル」や「イギリスのエリザベス」「日本の徳川家康」といった、数々の文明・指導者の中から一人を選びます。そして、自分の文明を育てつつ、時には他の文明と取引をしたり、他の文明に戦いをしかけたり、あるいは他の文明から突如殴り掛かられたりします。

webには「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」ということわざがありますが、このゲームだと割と普通に観測できる状況です。

 

 

最近、この「civ4」を遊んだ記録をプレイレポート形式で2本程書いてみましたので、興味がある方は以下を読んでみてください。難易度天帝(一番難しい難易度)で32回負けた後ようやく1回勝てました。

 

civ4プレイレポート「ハンニバル先生と目指す皇帝卒業」まとめページ

【civ4 プレイレポ】オラニエ先生と目指す天帝初勝利 まとめページ

 

このciv4、システムの懐が非常に広く、かつ高難易度では極めてシビアなプレイを要求される為、様々な面でプレイヤーに示唆的な教訓を与えてくれます。そのリアリティは、実生活、実際の生存戦略にも有用なのではないか、と思わず記事を書いてしまいそうな程です。

 

本エントリーでは、その「civ4」から学べる教訓を、幾つかピックアップして紹介してみる振りをしつつ、みなさんをciv4沼に引きずりこみたいと思います。

 

・技術は積み重ねだが、積み重ねのルートは一つではなく、「適したルート」を選ぶことは非常に重要である
・往々にして重要なのは「選択」と「リソースの集中」であり、しかもただ集中するだけではなく、「その後」まで考えないといけない
・外交で一番重要なのは、「一番の友人になること」ではなく「一番の敵にならないこと」である

 

順番に行きます。

 

技術は積み重ねだが、積み重ねのルートは一つではなく、「適したルート」を選ぶことは非常に重要である

0-1

civ4で一番重要なのは「技術の研究・発明」です。

civ4には、例えば「車輪」の技術であるとか、「筆記」「鉄器」「法律」といった古代のものから、「自由主義」「民主主義」といった比較的最近の思想、「飛行機」「ロケット工学」といった近現代のものまで、様々な技術があります。各文明は、こういった技術を研究していくことによって、徐々に文明としての力をつけていくことになります。

それぞれの技術には「前提となる技術」というものがあり、前提となる技術無しに新しい技術を研究することは出来ません。

「封建制」を研究するには筆記と君主政治が必要だし、銀行制度を研究する為にはギルド制と通貨の技術が必要、といった具合です。非常にリアルなシステムだと思います。

civ4の面白いところは、この「前提となる技術」にも様々なルート、様々な解釈があり、複数のルートを選ぶことが出来る、ということです。

 

例えば、「音楽」を研究する時「数学」は必須の技術なのですが、その上で「文学」から研究するルートと「演劇」から研究するルートがあります。

「ロケット工学」を研究する時、物理学は必須なのですが、その上で「長距離砲」と「飛行機」二つの前提のどちらからでも研究することが出来ます。「火薬」の技術は、「教育」「ギルド」どちらの技術からも開発することが出来ます。

その時々に持っている技術、自分が取ろうとしている戦略によって、「目的の技術を手に入れる最適なルート」は変わってきます。この「ルート選び」というのがciv4のコアの一つであり、「いかに効率的に目的を達成するか?」という思考法も身につけさせてくれる、という訳なのです。

 

個人的には、「長距離砲」「飛行機」どちらからでもロケット工学に分岐し得る、というのが、史実も踏まえた中で非常に面白い解釈だと思っており、私がcivの思想に感服する一つの理由になっています。

 

往々にして重要なのは「選択」と「リソースの集中」であり、しかもただ集中するだけではなく、「その後」まで考えないといけない

特に「皇帝」「不死」「天帝」といった高難易度において、civ4のCPUは血も涙も情け容赦もない恐ろしいパフォーマンスを発揮します。

特にその技術研究速度には恐ろしいものがあり、プレイヤーが「青銅器」「畜産」といったごくごく初期の技術を研究している間に、既に「法律」「哲学」といった一段階上の技術を研究している、などということは日常茶飯事。

場合によっては、プレイヤー文明がまだ火薬の研究をしているのに、CPUは既にロケット工学の研究を始めていました、などという恐ろしいことも起こり得ます。

 

現実と同じく、civ4における他文明との争いは、技術優位を持った方が圧倒的に優位になります。鉄器を使用したヒッタイトがペルシャを征服したように、文明の力は身に着けている技術で決まるのです。

では、高難度のCPUに対し、プレイヤーは抗する術がないのでしょうか?そんなことはありません。CPUは、多くの場合、様々な技術をまんべんなく研究していく傾向があります。それに対してプレイヤーは、文明のリソースを徹底的に集中し、とがった技術ルートに突っ込むことによって、一時的にでもCPUの圧倒的な研究速度を凌ぐことが出来、その一時的な優位によってCPUの牙城に風穴を開けることが出来ます。

 

重要なのは、この「一時的な優位が出来た瞬間」をどう生かすか、ということ。例えば、他の全てを捨てて「鋼鉄」という技術をまっしぐらに目指した場合、プレイヤーは素早く「カノン」という兵器を大量生産して、cpuを飲み込むことによって、以降の研究力をCPUと伍するものにすることが出来る。つまり、「リソースの集中によってできた優位」だけではなく、「その後の利益」を確保することが求められるわけです。

どうリソースを集中して、それによってできた優位をどう「その後」に生かすか。そういった部分を考えるのも、civ4をプレイする上での重要なポイントになっています。

 

外交で一番重要なのは、「一番の友人になること」ではなく「一番の敵にならないこと」である

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これは結構示唆的だと思うのですが。

civ4では、特に高難易度プレイにおいて「外交」が非常に重要になります。CPUは非常に強く、こちらの準備が出来ていない状態で喧嘩を吹っ掛けられてしまうと、かなりの確率で文明は壊滅的な被害を受けてしまいますし、そうでなくても技術競争に落伍してしまう可能性が非常に高くなります。

その為プレイヤーは、CPUに喧嘩を吹っ掛けられないよう腐心する必要があるのです。

 

CPUのご機嫌をとる方法は、例えばまだ知られていない技術を提供するとか、CPUと同じ宗教を国教にするとか、資源の交易を長い期間行うとか色々ある訳なのですが。

実は、戦争を回避する為に一番効率的なのは、「そいつと仲良くなる」ことよりも、「そいつに、自分以上に嫌いな他の相手を作らせる」ことだったりします。

 

CPUが宣戦する条件は幾つかあるのですが、一番の基準は「自分が一番キライな相手と戦いにいく」ことです。そして、CPUも一度に二人以上の相手に喧嘩を売ったりはしません。

CPUと仲良くする為には結構コストがかかりして、どちらかというと「CPUの悪感情を自分以外の相手に向ける」ことの方が手間やコストがかかりませんし、戦争回避にも有用だったりするわけなんです。

一番の友人になる必要はない。だが、一番の敵になってはいけない。

生き残る為に、結構示唆的な教訓だったりするかも知れません。

 

ということで、長々と書いて参りましたが、私が言いたいことは

 

civ4は超面白いゲームなので、まだやったことがない人はすぐSteamあたりで購入して私と一緒に睡眠不足になりましょう面白さは保証しますマジで

 

ということだけであり、他に言いたいことは特にない、ということを最後に申し添えておきます。

今日書きたいことはこれくらい。

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて
書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

働くという言葉の意味をキチンと考えてみよう

働く。この言葉はよく使われているのだけど、その意味をキチンと考えたことがあるだろうか。

 

満員電車に揺られて、朝から晩まで会社に束縛される。こういうのが働く事だと思っている人もいるかもしれないけど、そんなのは働くことの本質を一ミリも表していない。

 

今日は働くことについてキチンと正面から向き合ってみようと思う。

 

あなたの給料はあなたが経済的な価値を生み出したからからこそ支払われる

当たり前だけど朝から晩まで会社の椅子に座っているだけではお金は発生しない。アイドルならいざしらず、普通の人は行動した結果にこそ価値が伴う。

 

経済用語では働いて何らかのお金を生み出す人を生産人口といい、赤ん坊や老人などの働いく事で価値を生み出すことのない人を非生産人口と定義付けしている。

 

あなたが会社にいって給料をもらっているのは、あなたの会社における活動が何らかの貢献をもたらして、それが会社に利益を生んでいるからに他ならない。その生まれた利益の一部が、あなたに給料という形で支払われているのである。

 

ここまでは当たり前の話でしかない。では今度はあなたの活動のうち何が最も利益に結びついているのかについて考えてみよう。事務作業をしたからだろうか?何かを開発したからだろうか?それとも、書類を整理したからだろうか?

 

このようにして、自分のどういった生産的活動が会社に利益をもたらしたのかを突き詰めて考えていくと、自分に何ができるのかが実によくわかるようになる。あなたは会社にいる時間の中で、生産的活動をしたからこそ給料が支払われているのであり、朝から晩まで会社にいる事≒労働では断じてないのだ。

 

転職のタイミング

日本は新卒制度があるので、大学を卒業してすぐには即戦力かどうかは問われない。

 

だけど数年たって、30代にもなったら話は別だ。今度は面接官は「あなたに何ができるのか?」を冷徹に問い立てるだろう。この時、あなたが自分の労働でどういった価値が生み出されていたかを意識していた事は非常に役に立つ。

 

そして逆説的だが、今働いている会社で「利益に結びつく行動」が数ヶ月会社に所属していて全くないというのなら、それは労働市場において非常にリスキーな行為でもある。だってあなたは社会に何の価値も生み出していないのだから。

 

もちろん会社も馬鹿ではないから、あまりに意味のない労働配置は行わない。一見無駄に見える部署にも、ひょっとしたら何らかの価値がある可能性はある。

 

大切なのは自分の行為に価値を見いだせるかどうかに他ならない。それが数ヶ月いて全く見いだせないのなら、あなたが馬鹿か会社が馬鹿かのどっちかだ。

 

もし今の労働行為が経済的に何の価値も見出していないと思ったのなら、躊躇せず価値を生み出せるスキルを習得できる場所にむけて動き出そう。はじめにもいったが、労働≒生産だ。若くして非生産者になってしまったら、誰もあなたを助けてはくれない。

 

あくまで筆者の経験上ではあるが、二、三年程度もあれば生産的なスキルはある程度は手に入れられる。その時に、自分の労働が会社にどういった価値を生み出しており、またそれがどれぐらいの経済的規模なのかをちょっとでも計算できれば、そこからのキャリアプランは随分と簡単に組み立て可能だ。

 

もしそこに成長の余地がないのならば、その手に入れられたスキルを元に転職すればいいし、もしまだまだ会社の規模に比べて自分の生産している価値が低いようならば、こんどはどこに学ぶべきことがあるかを見出し、それを学習すればいい。

 

なんだってそうだけど、自分のやっている事にどういう意味があるのかを意識するだけで、随分と行動も変わってくるのだ。

 

副業のススメ

このようにして、本業としてのスキルをキチンと身につける事に成功したら、この次に是非取り組んで欲しいのが副業である。

 

人は2つの本業は基本的には持つことができない。医者をやりながら会計士をやることは普通の人にはできないように、本業は普通は一つしかもてない。

 

テクノロジーの進化とともに、人の生産性は格段に向上した。例えばお笑い芸人の又吉さんは、お笑い芸人として働きつつ芥川賞を受賞するといった事も成し遂げた。もちろん並外れた努力と才能がそれを成し遂げるための礎となったのだけど、一昔前まではこんな事は絶対に不可能だった。

 

かつては作家は本業でしかできなかったかもしれないけど、現代では何か別に本業を持ちつつ本を出している人は決して珍しいことではない。そんな事が何でできるようになったかというと、キーボードという文字を疲れずにメチャクチャ簡単に打ち込める機械が登場したからに他ならない。テクノロジーの進化によって、私たちはかつては2つ持つことがかなわなかった仕事を、複数所有できるようになったのだ。

 

副業の本質は、並列可能な稼げる手段を2つ持つことに他ならない。コンビニで週末にバイトをするといった、時間を金に変換するような行為だけは絶対にしてはいけない。本業と平行して行える経済的生産行為が副業の本質なのである。

 

労働市場は栄枯盛衰。どの分野が将来勝つのかは誰にもわからない

シャープやソニーといった、かつて栄華を誇った日系メーカーが現在憂き目をみているように、労働市場においては10年後にどこの分野に所属していたかが決定打になるのかは誰にもわからない。あなたが価値があると思って習得した生産スキルは、10年後にひょっとしたら市場からは過小評価されてしまうかもしれない。

 

そうした時の保険になるのが副業としてのスキルだ。なんでもいいから何かを生み出すようにしよう。はじめは誰にも見向きもされないようなしょうもないものも、ひたすら継続することで、ある日突然価値ある何かに変化する事がある。

 

もちろんというか本業が疎かになってしまったら本末転倒だ。基本的に副業は失敗したらいい暇つぶしになったと思い、成功したら儲けものぐらいのスタンスがちょうどいい。

 

ここまで書いたように、本業で自分の行為の何が富を生み出しているかについて真剣になっているあなたならば副業の何が新たな富に結びつきそうかを考えるのはそんなに難しいことではないだろう。

 

はじめはかなり真面目に取り組まなくちゃいけなかった本業も、2,3年もすれば片手間である程度はこなせるようになるはずだ。その片手間に本業をこなしている最中に、副業の構想を練り、帰宅後にそれを形にするればいい。それに経済的な価値をつけてやることさえできれば、本業をこなしながらにして複数の収入源を手にすることができる。

 

このような存在になれれば、会社に通いながらにして他の人と圧倒的に収入格差を生み出せるようになる。こうして複数の収入源を意識して開拓することが出来た時に初めて、あなたは労働市場で圧倒的勝者になる事ができるのである。

 

こうしてみれば、働くって言葉、結構意味が深いと思いませんか?

 

プロフィール

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

 

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