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クレーム処理の特効薬は「共感」だと言った先輩

家電量販店で働いていたときのこと。

 

クレーム処理が抜群に上手い先輩がいました。

激怒して来店されたお客様も、その先輩が担当すると不思議と落ち着き、最後には笑顔で「また来るよ」と言って帰られる。まるで嘘みたいな、テレビやマンガでしか見ないような展開。

ある日、我慢できずに先輩に聞いてみました。なぜそんなにクレーム処理が上手なのかを。

 

先輩はひと言。

「お客様に共感すればいいんだよ。」

怒っている人に共感する?

 

意味がわからなかったのですが、もう少し詳しく聞くと、少しずつわかってきました。

先輩曰く、個人的なミスが招いたクレームは誠心誠意、一生懸命に謝罪することが大切。しかし、自分が直接の原因ではない、つまり外的要因の場合は別の問題なのだそうです。

例えば、家電量販店で言えば「初期不良」の問題があります。新品の商品でも、ある一定の確率で初期不良が起きてしまいます。家電メーカーも厳しいチェックをしているの思われますが、どうしても起きてしまうもの。

これが起きた場合、買われた人は買ったお店に商品を持込み、交換を申し出るのがよくある流れだと思いますが、正直なところ腹が立ちますよね。私だってそうです。

お金を払って商品を購入し、自宅に戻っていざ使おうと思ったら使えない。ものすごくがっかりします。

その後、

・再度お店に行って
・店員さんに事の顛末を話して
・交換してもらって
・自宅に帰ってようやく使える

という手間がかかるわけですから。激怒する気持ちもわかります。

受付カウンターで待たされたり、遠方から来ている方だと、その怒りもより強くなるわけで、大きな声を出されることも珍しくありません。

「お宅で買った商品が壊れているんだけど!」
「安売りしてるからって不良品を扱ってるんじゃないのか!」

なんて声が店内に響き渡ります。

クレーム処理が苦手な店員だと、謝罪と交換のことしか頭に浮かばないわけですが、それだとお客様の怒りは収まらないわけです。

なぜなら交換してもらっても、別に得をするわけではなく、当たり前のことだから。普通に使えると思っていた物が使えなくて、そのためにわざわざ再度来店している怒りがあるから。

 

そこで、先輩のメソッドです。

お客様に共感する。つまり、自分もあなたと同じ考えです、完全に同意しますと表現することです。

あえてわかりやすく書きますと、

「壊れているよ。ひどいじゃないか!」
「本当だ。ひどいですね!」

ということです。

つまり、なぜ怒っているのかを理解し、それに同意する。お客様も、ある意味では初期不良だから仕方がないと理解している。でも、この怒りをどこにぶつけていいのかわからない。

だから、その怒りを一緒に分かち合う。

・どうしてこんなことが起きるのか
・メーカーのチェックが甘いのではないか
・お客様のお気持ちを必ず上司とメーカーに伝えます

私も一緒になってこの問題を解決したいと思います。あなたの味方です。

これができるかどうか。

 

お客様は、個人で店舗と戦っているわけで、そこに一人でも店員の味方がいると思えれば、確実に気持ちは落ち着くと先輩は言います。

さらに、この店員さんは味方だと思ってもらえれば、次から自分に相談してくれるようになり売上にもつながると、少しだけ悪い笑顔で教えてくれました。

怒っている人に対しては、とにかく謝ることが大事だと教えられることが多いですが、むしろその人と同じ気持ちになってあげて、一緒に怒ることで解決するなんて、考えたこともありませんでした。

おかげさまで家電量販店を退職してからも、様々な仕事やプライベートでこの方法は役に立っています。

みなさんはどう思いますか?

それではまた。
ご存じ、ゆうせいでした。

 

 

【著者プロフィール】

名前: ゆうせい 企画、執筆、編集、モデルを提供する「カンパニオ」代表。

ぱくたそでフリー素材モデルとして不倫素材や、記者風素材を提供している。映画大好きの愛妻家を自負しているが、恋愛映画や恋愛系コラムは苦手。とにかく水曜どうでしょうが大好きでしかたがない。

Twitter:W8HeBCLk_400x400のコピー @wm_yousay

ブログ:http://huniki.hatenablog.com/「雰囲気で話す」

「常識」をめぐって対立する上司と部下の話。

最近、説教をする上司は大変評判が悪い、と感じる。

様々な会社で「常識」を要求する上司と、「上司の常識」を拒否する部下の戦いを見かけた。

 

先日見たのは「香水」についてだった。上司がある部下の香水について注意をしたのだ。

「お客さんの迷惑になるからやめなさい。当たり前だ」と上司は言うのだが、部下は「そんなことお客さんから言われたことはありません」という。

 

別の会社では「服装」だった。

上司が部下のネクタイについて「細すぎるからやめろ。もっと普通のものを」と諭したのだ。部下は「バカバカしい、大体ネクタイなんて、最近ではお客さんも外してるよ」と言い、上司の言うことを聞かなかった。

「アイツは成績はまあまあだけど、勤務態度がね…」と上司は悩んでいた。

 

こう言ったわかりやすい話だけではなく、企業にはよくわからない常識がたくさんある。

例えば少し前だが、金融業界のハンコの押し方について話題になっていた。

上司へのハンコ、斜めに押す? 謎の慣習に「社畜!ゴマすり」批判も

ハンコを押すとき、まっすぐ押す人がほとんどだと思いますが、金融業界では左斜めに傾けて押す慣習が存在するそうです。

最近、テレビや雑誌で取り上げられて話題になっています。そこに込められた意味は「部下が上司にお辞儀するように」。

稟議書(りんぎしょ)などは地位の高い人が押す欄が左にあることが多いため、確かにお辞儀しているように見えます。ハンコメーカーのシヤチハタでは、ユーザーからの要望を受けて「電子印鑑」でも斜めにする機能を追加しています。

果たしてこの印鑑の押し方に意味を感じるだろうか?

香水はどうか?

ネクタイが細いだけでダメなのか?

 

上司に説教されていた部下の一人は、

「頼むから下らないことで説教しないで欲しい、常識を押し付けられても困る」

と言っていた。

 

—————————–

 

この「他者の常識」と「私の常識」は異なるという考え方は、実はとても最近の考え方だ。

 

「絶対的な正しさ」を排して、多元的に世界を見る。これは「構造主義」と言われる。それが普通になったのは、約40年前、1960年代からだと、内田樹は述べる*1

世界の見え方は、視点が違えば違う。だから、ある視点にとどまったままで「私には、他の人よりも正しく世界が見えている」と主張することは論理的には基礎づけられない。私たちは今ではそう考えるようになっています。

このような考え方の批評的な有効性を私たちに教えてくれたのは構造主義であり、それが「常識」に登録されたのは40年ほど前、1960年台のことです。

*1

 

 

また、心理学的にも、私達の「常識」は論理的な思考の産物というよりは、思い込み、直感の産物であることが数多くの実験から指摘されている。

 

例えば、米バージニア大の心理学者、ジョナサン・ハイトは、次のような実験をした。*2

次の文を読んで、「道徳的に間違っているかどうか」を判断してほしい。

ある男は、週に一度スーパーでチキンを買う。それを使って性行為に耽ったあと、料理して食べるのだ。

いかがだろうか?

もしこの話に対して、「道徳的に問題はない」と答えるならば、あなたは全人類の中でも極めて狭い範囲(「欧米の」「啓蒙化され」「産業化され」「裕福で」「民主主義的な」文化の下で暮らしている)特殊な考え方をする人の一員である。

なぜなら、彼が全世界で対象とした12グループのうち「勝手にすればいい。だれにも迷惑はかけてないから、道徳的に間違っているわけではない」と答えたのは、高等教育を受けた中流上層階級に属する人々、ただ1グループだけであったからだ。

 

「問題ない」と答えた人の常識は、それほど世界から「ズレている」。

*2

 

 

結局、ほとんどの「常識」は虚構であり、そのままでは相互理解は望むべくもない。

そして、現在のように多数の人がネットワークで接続され、考え方が可視化される世界では、常識の対立が起きやすい。

上司と部下の対立、ネット上での論戦、ちょっとした不祥事での炎上も、すべて必然なのである。

 

コモンセンス、すなわち「普通の感覚」なるものはもはや存在しない。「常識だ」という言葉は、それを発するだけで「世界を知らない」という無知を露呈してしまう言葉となった。

「常識だ」「普通は」というキーワードは、狭い世界に済む人たちのものであり、オープン、かつグローバルな世界に生きる人々とは、根本的な部分での価値観の相違を生じる。

 

ますます「常識」対「常識」の争いは頻発する。

だが争いは非生産的だ。我々が協調して生産性を高めるのであれば、共感、相互理解のための不断のコミュニケーションが必要とされる。

 

 

 

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Aditya Doshi

「個性的」や「マイペース」と言われたことがある人は、それをすんなりと受けいれているのだろうか。

「個性的だね」

「マイペースだね」

こう言われたことはないだろうか。誰しも一度は言われたことがあると思う。

 

私も個性的だと言われたことがある。そして、言われる度に思う。

「そう言うあなたも、個性的なんじゃないの?」

 

きっとあなたも一度は言われたことがあるはず。

言われたことがないとしても、11人違う人間なのだから、極論すれば個性的でない人なんていない。みんな個性的だ。

 

マイペースについても同様のことが言える。以前、友人がマイペースについて語っていた。

 友人「よくマイペースって言われるんだ」

 私「うん、わかる。マイペースだよね」

 友人「そうやって言うけど、逆にマイペースじゃない人なんているの? みんな自分のペースで生きているでしょ。マイペースは“私のペース”なんだから、マイペースじゃない人なんていないはずだよ。だから私はマイペースという言葉の存在自体に疑問を抱いている。あたり前のことに言葉を当てはめてしまうから、こんな使い方をされているんじゃないかな」

 

たしかに、他人のペースで生きるなんてことはありえないし、自分は自分というあたり前のことを前提にすると(哲学的に考えると、この前提もあたり前ではないのかもしれないが、ここではあたり前ということにしておく)、マイペースという言葉は不要なのかもしれない。

 

☆★☆★☆

 

みんな個性があるはずなのに、個性的だと言われるのはどういうケースなのか。

多くの場合、「自分とは違う」「普通じゃない」「変わっている」という意味で「個性的」という言葉が使われていると感じる。

 マイペースは、「自分とは違うペースで生きている」「周りに合わせない」といったところだろうか。

 

そういえば最近こんな一幕があった。

先輩「マイペースだね」

私「どういう点が、ですか?」

先輩「他人に気を遣わないところが」

 

実際どうなのかはここでは触れないが、「他人に気を遣わない」人も、マイペースと言われがちなのかもしれない。

 共通しているのは、「自分とは違う」あるいは「自分が思う“普通”と違う」場合に「個性的」「マイペース」という言葉が出てくるという点だ。

 

ここで“普通”という言葉の意味を確認してみよう。

「普通」

特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。

【引用】コトバンク

https://kotobank.jp/word/%E6%99%AE%E9%80%9A-618997

 

特に変わっていないこと。

誰にとって?

自分にとって。

 

ごくありふれたものであること。

誰にとって?

自分にとって。

 

それがあたりまえであること。

誰にとって?

自分にとって。

 

そう、全て基準は自分。たぶん、みんな自分を普通だと思っている。私にとっては私が普通であり、一般的であり、標準的だ。

そして、私とは違うあなたは、あなたが普通であり、一般的であり、標準的だと思っている。

 

あなたが海外旅行をしたとしよう。現地の人を外国人だと思うはずだ。だがどう考えても外国人はあなたである。

 

もう1つ。

この記事を読んでいるあなたは、9割前後の確率で異性愛者だ。そうだとしたら、あなたはバイセクシュアルである私を“普通じゃない”と思うだろう。

でも、私にとって「異性しか好きにならない」異性愛者は(あえてこう表現するが)“普通じゃない”。

 

誤解されたくないので補足するが、バイセクシュアルが“普通じゃない”ことを、私も理解はしている。(セクシュアル“マイノリティ”と表現されることからも理解できる。)ただ、私にとって自分がバイセクシュアルであることは普通だということだ。

 結局、「個性」なんて他人から見た自分の特徴にすぎない。

誰一人として同じ人間はいないという意味ではみんな個性的だし、みんな個性的であるということは、みんな無個性だと言っても同じようなものかもしれない。

 

☆★☆★☆

 

あれ?

みんな無個性という結論になってしまった……。

どこでどう間違えたんだろう(いや、間違えてはいないか)。

 

ではまた!

次も読んでね!

 

 [プロフィール]

名前: きゅうり(矢野 友理)←名前をクリックすると記事一覧が表示されます

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

著書「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri

ブログ:「微男微女

組織を統率する人間は、「好き嫌い」「正義と悪」「道徳と不義」などを軽はずみに口にしてはいけない

最近ポケモンやゴジラが一種のブームとなり、話題となっている。

そして、ブームには争いがつきものである。

 

どんな争いか。

それは

「作品を褒める人」

「作品を褒める人けなす人」、すなわち「他者の好みを否定する人」

との争いである。

 

逆のパターン、すなわち皆が「つまらない」といったものに対して、「いや、自分はオモシロイと思ったけど」という人に対して不快感を覚える人はあまりいない。

「変わってるね」で済んでしまう。そこには争いはない。

 

だが、人が「おもしろい」といったものに対して、

「あんなものを褒める人はおかしい」

「皆が褒めるけどオレはつまらないと思った」

「面白いと言われてみたけど、期待はずれだった」

「オレは見てない(あんなものに興味があるやつはおかしい)」

と、否定する人が出て来ると、そこには争いが起きる。

 

この手の争いはいつもブームが起きるたびに発生するので、とても楽しく拝見している。

そして、この争いの中で一番興味があるのは「他者の好みを否定する人」の心理状態だ。彼らはなぜわざわざ「楽しんでいる人」を不快にさせるようなことを言うのだろうか。

おそらく、そこには黙っていられない何かがあるはずである。

 

以前、こんなことがあった。

ある飲み会の場で、同僚が「ワンピース」というマンガを好きであると表明した。すると、周囲の何人かも同調した。

たちまちワンピース談義が盛り上がる。

 

すると傍らの男性が「ワンピースって、話に深みがなくて面白くない」といったのだ。

その男性はつづけて

「ワンピースよりも、◯◯のほうが世界観が良く出来ていて面白いよ(残念ながらタイトルの詳細は忘れてしまった)。ワンピースを面白いという人は、××だよ」

と皮肉めいたことを言った。

まわりの人間はムッとして「いやいや、◯◯の方が面白いとか、ないない。」と言ったが、その男性は頑として「◯◯のほうが上だ」と一歩も引かない。

そして、気の利いただれが話題を変え、その場は収まった。

 

———————-

 

この話を聞いて知人は「「好きではない」を表明するのは自由では?」といった。

もちろん、その通りだ。

面白くもなんともないものを、「面白い」という必要はない。「つまらない」と批評するのも自由である。誰にでも発言の自由はある。

 

しかし、注目すべきはそこではない。

客観的に見れば、集団内で「つまらない」とわざわざ否定して多くの敵を作ることに、社会的なメリットはほとんどない。

場合によってはコミュニティ内で敬遠されるし、上のように仕事仲間では仕事に支障が出る可能性もある。それは一種のコミュニケーション障害とも言える。

したがって問題は「なぜ否定したくなるのか」だ。

 

米バージニア大の心理学者、ジョナサン・ハイトは著書*1の中で、次のような実験結果を提示している。

知能テストの成績が低いと言われた被験者は、IQテストの正当性に疑問を投げかける論文を好んで読む。

カフェイン摂取と乳がんの関係を報告する(架空の)科学論文を読まされると、コーヒーを常に飲んでいる女性は、男性や、それほどコーヒーを飲まない女性より、そこに多くの誤りを発見する。

実験は「直観に反する結果を提示されると、人はそれを否定する証拠を必死に探す」ことを示している。

 

「◯◯が好きだ」という人たちに対して、直感的に反発を憶えた人物は、それを否定する情報を必死になって探す。それは、自分の感想であったり、誰かの批評であったりすることも多々ある。

だから、彼らは必死になって「面白くない」という主張を繰り返すのだ。

 

「好き嫌い」「正義と悪」「道徳と不義」などを伴う発信は、人間の性質上、それを否定したい、という勢力を必ず生み出す。そして、その行き着く先は、不毛な論争である。

 

ちょっとした飲み会の会話程度であればその影響は大きくないだろう。

ただしマネジャーが恒常的に「好き嫌い」「正義と悪」「道徳と不義」を発信することは、上で示したようにそれ相応のリスクを覚悟すべきである。

 

ゼネラル・モーターズのかつての偉大な経営者、アルフレッド・スローンは周りの人間達と親しくすることは殆ど無かったという。

組織を統率する人間は、「好き嫌い」「正義と悪」「道徳と不義」を軽はずみに口にしてはいけないのかもしれない。

 

 

*1

 

 

 

 

 

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Nando Arruda

人工知能に「あるあるネタ」を言わせたい!

こんにちは。株式会社わたしは、社長の竹之内です。

今日は「あるある」ネタについてです。

DSCF2073

あるあるネタ、といえばあるある界の権化であるレイザーラモンRG氏。彼は「万物にあるあるが存在している」といいます。

大ファンの私は、もちろんTシャツも買いました。

 

そして、その中でも至高のあるあるが、「オードリーのオールナイトニッポン」で披露された「OLあるある」です。

OLあるある

はおりがち

(49分47秒から)

あるあるが何故面白いのか?それは、みんなが共感するけど、共感しすぎず、「ああ、そういうのあったな」という感覚を呼び起こすからです。

 

しかし、こういったネタを人工知能に実現させることは至難の業です。

なぜなら、OLが羽織っている、というシーンは、「何となくみんなの心に立ち上がるもの」という、記述しにくいものだからです。

 

例えば、こんなネタはいかがでしょうか。

修学旅行中の避難訓練でハプニング、何が起きた?

大仏様も机の下に隠れてきた。

(大喜利β公式認定調教師(ブリーダー) 寺岩@teraiwaさんの作品)

 

実はこの発想は非常に高度な発想を含んでいます。

 

通常「修学旅行」を辞書的な意味に捉えると

「学校行事の一環で、生徒が宿泊を伴い、団体で遠方に旅行すること」

といえますが、それを「大仏」の一言でまとめてしまうのは、非常に高度な置き換えです。

 

同じように「避難訓練」も

「災害発生時の避難行動を予め訓練すること」

といえますが、それを「机の下に隠れる」と置き換えるのは、「何となくみんなの心に立ち上がってくるもの」が共通しているからです。

 

人間はこれらを簡単に行いますが、人工知能がこれを行うには、人間のような「主観」を実装する必要があるのです。

 

つまり、

ラーメン屋の店長あるある

腕組みがち

 

セミあるある

死にがち

 

ラッパーあるある

帽子かぶりがち

 

は、論理的に導かれるものではなく、論理が破綻しているからこそ、間違っているからこそ、面白いのです。

 

論理の破綻を、意図的に論理の塊であるコンピューターにやらせること。

これが人工知能の開発において、我々が最も他の人工知能との差別化を意識している部分であり、5年をかけて研究開発をしてきた技術です。

 

では、具体的にはどのような技術的実装を行っているのか?

ヒントは郡司ペギオ幸夫さんの著した「原生計算と存在論的観測」にありました。

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(次回に続く)

 

 

 

【大喜利PickUp】


 

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「考えよ」が重要であるワケ。

webで変な質問を見た。

「植物はなぜ、緑色光を利用しないのだろうか。」

すべての光を吸収するならば、葉は黒に見えるはずだ。できるだけ多くの光を吸収したほうが植物にとって有利なはずだ、なぜ緑を利用せず、外に反射しているのだろうか。

手元でGoogle検索する。

どうして植物は緑色光を使わないのか?(日本植物生理学会)

葉が緑色に見えるのは、「葉が緑色光を吸収しないからである」、あるいは、「緑色光は吸収されないのだから光合成には使われない」、とよく言われます。

これらは実は正しくありません。 確かに光合成色素のクロロフィルは青色光や赤色光に比べて緑色光を吸収しにくいのですが、吸収がゼロというわけではありません。 逆説的に思えるかもしれませんが、実は、「緑色光を吸収しにくいこと」が、緑色光の効率的な利用に役立っているのです。

なるほど。

この研究によれば、「葉の裏側」の葉緑体まで光を届かせるため、あえて葉の表面での緑色の光の吸収を抑えて、内部で緑色光を反射させ、葉の隅々まで緑色光を届けることで光合成の効率を上げているらしい。

 

学問は素晴らしい。

なぜ「葉が緑色に見えるのか」という、一見どうでもよいような疑問にも的確に答えを出し、そして自然が実によく出来ていることを我々に再認識させてくれる。

webは素晴らしい。

一昔前まではそれを知るために大きな労力が必要だった情報も、それを手元の端末で調べるだけで簡単に入手することができる。我々は「望む情報」をほぼ自由に入手できる時代に生きている。

 

だが殆どの人にとって上の情報は「単なるウンチク」であって、それ以上でもそれ以下でもない。

単なる「情報」を「知識」に変換できないのだ。

例えば「人工の葉」を作っている開発者であれば、上の情報はうまく利用できるかもしれない。

葉の厚さはどの程度にすればよいのか、利用環境によって赤色光と青色光をどの程度吸収させるべきか、上の情報を元に現実的な解を導くための「知識」に変換できるだろう。

 

 

仕事においても、同じ情報を入手しても、それを知識として活用できる人とできない人がいる。

例えば以前、2人のリーダーがいた。

一人は「よく考えない」タイプ。

一人は「一を聞いて十を知る」タイプ。

 

ある日、彼らの上司である役員は彼らに言った。

「マネジメントの本質は権限委譲にある。」

 

それを聞き、前者のリーダーは自分の仕事をすべて、丸投げした。

彼は「自分の権限を単純に渡すこと」という理解をした。だから、彼は1週間に1回のミーティングで、下の人間に「成果はどうだ。」しか聞かなかった。

「権限を渡したのだから、オレは成果を見るだけでいい」と、彼は思っていた。

だが、半年もたたずに、彼のチームは崩壊した。部下たちは「単なる丸投げだ」「何も指導しない」「無用のリーダー」と彼を非難した。

 

だが、もう一方のリーダーは役員の言葉を受け、考えた。

「なぜ役員は権限委譲などといったのだろうか」

「権限委譲とは何を指すのか」

「権限委譲が本当にチームのパフォーマンスを高めるのか」

彼は権限委譲の様々な事例を調べ、現場に適用した成功と失敗の例を学び、良い適用の方法を考えた。

その結果、彼は「権限委譲」を彼らの能力と責任の範囲に限定した。詳しく言えば、彼らの「やれる範囲」「やれそうな範囲」で権限を渡し、目標も彼ら自身に設定させた。

逆に、彼らの能力を超える部分については、一旦リーダーが引き受け、下の人が育つにつれ、徐々に権限委譲した。結果として、彼らのチームは全員が育ち、次世代のリーダーとなる人物も出た。

 

二人のリーダーにおける違いの本質は、情報を知識にうまく変換できたかどうかにある。

 

今後、政治、経済、エンタテインメントなど、あらゆる分野でますます「情報を知識として利用する技術」が人々に要求され、知識をうまく利用する人物は有利に事を運べるようになる。

それとは対照的に、考えない人物、すなわち情報を知識に変えることのできない人間は、望ましい結果を手にすることが難しくなる。

 

IBMの創業者であるトーマス・ワトソン・シニアの「THINK(考えよ)」という標語は、知識社会の本質を捉えている。

 

 

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Sam Cox

お客さんの要望に、「できません」と言わなかったら、こうなった。

こんにちは。出張靴磨きサービスを行っているニイナナ株式会社「ミガクル」広報部です。

この場をお借りして広報活動をさせてもらってます。社長の堀江です。

今日は、渋谷にある「くるくる」というコワーキングスペースに来ています。

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ここに来ている理由は、現在ミガクルでインターンをしてくれている伊藤くんが、ここで出張靴磨きをするからです。

「独自に新規開拓してみなよ」と言ったら、ここでの仕事とってきました。

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さて、成果は…

 

0名でした。

そりゃそうか。革靴で来る人いないもんな。でも、これが我らの営業スタイルです。まず動くことが大事です。伊藤くんこれからも一緒にがんばろう。

 

 

さて、今日お話ししたいのは、ベンチャー企業は「できません」は禁句と、まことしやかに語られていて、それをいざ実践してみたら…って話です。

前回の広報(儲からなさそうな事業だからこその強みを活かす方法)でネットからの問合わせが増えているというお話しをさせて頂きました。その中の一つに、IT系企業を志す者なら誰もが憧れるとても有名な企業さんからの問合わせがありました。

その企業さんは、最近は社内の福利厚生を充実させる方針があるそうで、担当の方がネットで「出張靴磨き」を探したところ、偶然にもミガクルを見つけてくれたとのことでした。

それで直接声をかけて頂き、一度トライアルとして靴磨きをさせてもらう機会を得ることができました。1ヶ月程前の話です。その結果、先日ついに継続して利用して頂けることが決まったのです。

「やったー」

というのもつかの間、本当の勝負はここからでした。

継続が決まった時に、幸運にもその企業の社長とお会いする機会を得ることができました。こちらとしては、何か他にも営業で売り込めないかなくらいの気持ちで行ったのですが、そこで一言

これ予約の仕組みもっと改善できるんじゃない?いまより楽に予約できるようにならないの?

とまさかの改善提案をされたのです。

はい、できます」。

考えるよりも先に、そう答えた自分がいました。

そうしてできたのが「契約企業様向け予約ページ」です。企業別の専用ページをつくり、社員の方が1時間ごとに簡単に予約できる仕組みをつくりました。↓

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この仕組みがようやく完成し、クライアントに確認をしたところ、

ウチさ、外国人の従業員がけっこういるんだよね。英語対応できない?

またもや

はい、できます」。

と即座に答える自分がいました。

結果、すべてに英語訳をつけることになりました。気合いです↓

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さらに、こう聞かれました。

靴磨いた後どうやって決済するの?クレジットカードとか使えるの?

今回も迷うことなく、

はい、できます。クレジットカードの時はスクエアを使っており…」

「アハハ…ウチではそれは厳しいかな」

「あっ(やっちゃったわ)」

「ウチはこれがあるんだよ。これ導入できる?」

はい、できます」。

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楽天スマートペイ

楽天スマートペイを導入することになりました。(こちらの方がスクエアより基本的には手数料が低く、また暗証番号で確定でき使い易いということも併せてご報告させて頂きます)

というわけで、クライアント側から提案された

もっと便利になる方法ないの?」に「はい、できます」と答えたことから、

・契約企業様専用ページ

英語対応

より便利で手数料の低い決済方法

を手に入れることになったのです。結果的にサービスの大幅改善に繋がったというわけです。

独立してひとりでやっていると、他人がわざわざアドバイスをしてくれる機会は少ないわけですが、こうやって時に絶妙な要望に出くわします。自分でこういうのを先回りして解決できてればいいんですが、今の自分にはその力がないと認めざるを得ません。

「はい、できます」

若さ故の無謀とも言われるかもしれませんが、自分の浅はかな思考の枠を超えて思わず成長できることもあるんだなと思った次第です。

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「出張靴磨きミガクル」サイト

【過去の週報】

ニイナナ週報006号 儲からなさそうな事業だからこその強みを活かす方法

ニイナナ週報005号 人脈作りには、交流会に行くよりも、交流会を開けばいいんだと気づいた。

ニイナナ週報004号 スニーカーやパンプスを磨けるようになったら単価が上がった、という話

ニイナナ週報003号 キャビンアテンダントはできる男かどうかを靴を見て判断してるらしい。私はその説を信じます

ニイナナ週報002号 DMよりもWEB広告よりもビジネス交流会よりも、結局知り合いからの紹介クチコミが100倍効率よかった

ニイナナ週報001号【公式】出張靴磨きサービスのニイナナ株式会社が広報活動を行います。

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誰も教えてくれない、人はどうやって死ぬのかについて【日本人は何が原因で、どうやって死ぬのか】

人が長生きできるようになったのはつい最近の事だ。昔は得られる食物の数に限りがあり、天候の悪化に伴って凶作になればすぐに飢饉が生じていた。

 

ところが人類はテクノロジーによりこの限界をやすやすと突破してしまった。

今では痩せた土地だろうが空気中から窒素を取り出して肥料としてまけば、すぐに肥沃な大地へと変えることができる。その事により人類は飢饉をほぼ克服し、現在では先進国では餓死する人は殆どいなくなった

(なお化学肥料の開発は高校の化学で習う無機化化学のハーバーボッシュ法の応用である。無機化学は高校の授業ではサラッと流されてしまうが、実はこのように人類史上でも極めて重要な発見の1つだ)

 

その他にも病気などといった生き続ける事を困難にする障害も多数あったのだが日々の科学技術の進歩の度合いはすざまじく、キリストが生まれて2000年たった今、人類はかつてと比較して非常に長生きできるようになり滅多なことでは死ななくなった。

 

 

かつてはそもそも生き抜く事自体が非常に難しかった。それ故に人は「いかによく生きるべきか」のみに目を向けていればよく「いかによく死ぬべきか」についてほとんど頭を巡らせる必要がなかった(普通に生活していれば些細な事で簡単に死ぬんだから当たり前だ)

昔は普通だった餓死も現代では異常現象の1つだし、かつては死に至るような病も結構普通に克服できるようになってきている。

 

こうして生き抜くことが比較的容易になると、以前のような「よりよく生きる事」だけ考えてればいいような社会ではなくなってくる。現時点でこの文章を読んでいる健康な日本人のあなた。あなたは自分がどういう風に死ぬのかについて、どれだけ知識があるだろうか?

古来より死について語る事がタブーとされてきたからか、この手の知識を持っている人はほとんどいない。健康で文化的な生活を営むことができる私達だが、いつまでも若くてピチピチな体で健康で文化的な生活をおくられるわけではない。残念ながら老いはまだ克服できていないからだ。

 

当たり前だけど現状では命は有限だ。いつまでたっても若い体は保てないし、残念ながらあなたも、あなたの大切な人もいつか死ぬ。人の死亡率は100%である。

こうしてみれば、死についての知識は極めて大切なもののはずである。だけど実際問題、人は何が原因で、どういう経緯を辿って死ぬのかについてキチンと説明してくれるものは殆どない。

と、いうわけで死についての記事を以下数回にわけて書いていくことにする。

 

日本人は何が原因で、どうやって死ぬのか

統計によれば日本人の平均寿命は女性が約86歳。男性は約80歳だ。ほとんどの人はこの年齢までは生きる。平均寿命はなんとなく知っている人も多いと思う。けど実際問題、何が原因で死ぬのかを知っている人はあまり多くないだろう。

 

実は死因については厚生労働省が毎年キチンと統計をとっており、これはググれば誰にでも簡単にみることができる。ちなみに厚生労働省の平成 26 年 人口動態統計月報年計によると、日本人の死亡原因の割合は以下のとおりである。

名称未設定

以下死因を箇条書きにすると

 

1位はがん。これが約30%。

2位が心臓の病。これが15%。

3位が肺炎。これが10%

4位が脳卒中。これが10%。

5位が老衰。これは6%。

 

つまりあなたは、およそ70%の確率でこれらのどれかで死ぬ。あなたがどういう風に死ぬのかは、高い確率で上の5つに集約される(このデータからわかる驚くべき事実の1つが、老衰が6%しかないという事である。ほとんどの人が老衰にて眠るように死にたいと思っているかもしれないが、残念ながら日本人の90%近くは何らかの病で死ぬ)

 

このように誰でも簡単に「何が原因で死ぬのか」についての知識は知ることができる。けど残念ながらどういう風に死ぬのかについてはデータは語ってはくれない。

 

がんってかかったらどれだけ生きられるのか?長い間苦しむのか?

 

心筋梗塞って痛いんだろうか?

 

このようなクオリティに関する事については、データは何も語ってくれない。

死を議論する上で本当に大切なのはどういう経緯を辿ってどれぐらいの期間で死ぬのかについての知識だろう。これらの知識をしっかりと抑えた後ならば、自分がどういう風に生きたいかについての見地も深くなるはずである。

今回は原因について書いた。 次回より幾つかに分けて、そもそも人が死ぬという事はどういう事なのかについてと疾患別の死に方について書いていこうと思う。

 

 

プロフィール

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高須賀 ←名前をクリックすると今までの記事一覧が表示されます

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

 

三匹の子豚の長男と次男は、どんな災害が来たら三男に勝てたのか

しんざきとしんざき奥様は、夕食の席などでしばしばよく分からない議論をするのですが、今日のテーマはタイトルのようなものでした。

つまり、「三匹の子豚の長男と次男救済計画」

皆さんよくご存知の通り、「三匹の子豚」はヨーロッパに古くから伝わる民間伝承で、その筋は大きく下記のようになります。

1.母豚の元から送り出された三匹の子豚が、それぞれ自活する為に家を建てる。

2.一匹目の子豚は藁で家を建てるが、狼に吹き飛ばされて食べられてしまう。

3.二匹目の子豚は木の枝(シダ)で家を建てるが、同じく狼に吹き飛ばされて食べられてしまう。

4.三匹目の子豚は煉瓦で家を建てる。狼は、煉瓦の家は吹き飛ばすことが出来ない

5.狼は、あの手この手で三匹目の子豚を誘い出して食べようとするが、毎回裏をかかれてしまう。

6.煙突から家に潜入しようとした狼は、子豚の罠で釜茹でにされてしまう。

近年の版では、5番のパートが省略されたり、一番目二番目の豚(以後、便宜的に「長男豚」「次男豚」と呼称します)が狼に食べられず逃げてくるだけで、結局誰も死ななかったりと、基本的にはマイルドな方向にアレンジされている傾向があるようです。

19世紀に出版された、当時のフルバージョンに近いと考えられる版は、以下から参照できます。ご興味あればどうぞ。

The Story of the Three Little Pigs

で。このお話が、それ自体「ヨーロッパにおける、石造建築の優越」を表している、というのはよく知られているお話だと思います。つまり、当時のヨーロッパ、特にこの童話が出版されたイギリスでは、「狼の吐息」で表されているように、強風・暴風こそが最大の脅威だった。特に4月から5月、イギリスで非常に強い局地風が吹く(現地ではgowk stormと呼ばれるそうです)ことは著名です。藁や木を建材にすることは、そもそも検討に値しないわけです。

そのような事情から、童話では長男豚と次男豚が一方的に割を食ってしまっている、というか食われてしまっておりますが、よく考えれば家の脅威は狼(=強風)だけではありません。最高気温が低く地震が少ないイギリスであればともかく、日本や他の国であれば、自ずから豚さんにとっての最適解は違っていた筈なのです。

早い話、狼が「強風・暴風」を擬したものだったのが問題なのであって、それ以外を擬したものだったら話はどうだったろうか、ということになるわけです。

この記事では、食べられ役になってしまっている長男豚・次男豚を救済することを目標に、彼らの選択のメリット・デメリットを検討してみます。

まずは、藁の家、木の家のそれぞれのメリットをみていってみましょう。

 

○藁の家のメリット

・コストが安く、建て替えが容易

・建材が軽く、地震時に危険が少ない

・風通しが良い

・建材に豊富な空気が含まれ、断熱性、遮音性が高い

→地震、猛暑、多湿気候などに強い!!

 

○木の家のメリット

・調湿効果が高い(湿度が高いと湿気を吸い、湿度が低いと湿気を吐き出す)

・藁ほどではないが地震時に押しつぶされる危険が少ない

・風通しが良い

・防虫・防ダニ効果がある

・いいにおい・手触りの良さなどでリラックス出来る

→同じく地震、猛暑、虫が多い地域、精神的にストレスが多い職業などに強い!!

まあ、元の童話ではシダの枝を使っているので、ちょっと上の話とは異なりますが、細かいことを気にしてはいけません。ここでは一般的な木材建築と考えることにします。

こうして考えると、藁の家にも木の家にも、それぞれ大きなメリットがあることがわかります。特に、日本は地震が多く湿度が高い気候ですので、両者のメリットが際立ちます。

例えば狼が「地震」を擬したものであったらどうか。

狼「おらーーぐらぐら揺らして押しつぶしちゃうぞーー。ぐらぐらーー」

長男豚「超軽い。無駄な努力乙」

次男豚「木材の自然な耐震構造最高」

三男豚「ぐええーーー(スプラッタ表現の為詳細を省略致します)」

こんな感じで、あからさまに長男次男だけ生き残ること請け合いです。

例えば狼が「多湿」を擬したものであったらどうか。

狼「おらーー湿気・結露などでじわじわいやがらせしちゃうぞーー。じめじめーー」

長男豚「藁の吸放湿性なめんなコラ」

次男豚「湿潤性気候に強すぎる木の家最高」

三男豚「ぐええーーー結露結露!!」

こんな感じで、あからさまに長男次男だけ生き残ること請け合いです。三男も死んではいないような気もしますが。

あるいは、狼が「都会の仕事上のストレス」を擬したものであったらどうか。

狼「おらーー長時間労働と残業・人間関係等のストレスで精神的に押しつぶしちゃうぞーー。ぱわはらー」

長男豚「建て替え容易過ぎ。ノマド(笑)」

次男豚「木の香りのリラックス効果で優雅な週末を実現」

三男豚「ぐええーーーー労働局!労働局!!」

こんな感じであからさまに長男次男だけ…あれ、三男も生き残ってますかね?まあいいや別に。

ということで、迫り来る脅威が「強風」でさえなければ、長男と次男にもワンチャン生き残りがあったという話です。地域によって自然に増えていくバリエーション。童話の柔軟性は素晴らしいですね。ああ、ジェイムズ・オーチャード・ハリウェル=フィリップスは讃うべきかな。

ただし木も藁も火事には弱い。建材ごと燃えていい感じに焼豚になること請け合いです。まあしょうがないね。あとシロアリだけは勘弁な。

 

ということで、どうでもいい結論でしたが、今日書きたいことはこれくらいです。

 

【プロフィール】

著者名:しんざき ←名前をクリックすると記事一覧が表示されます

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて
書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

To Do listを、木っ端微塵に粉砕した日

数年前の話。当時の僕はサラリーマンの化身。粉骨砕身という概念を具現化したかのような怒濤の働きっぷりを見せていた。連日連夜の終電も厭わない、ガムシャラ仕事モンスター。

 

やらないといけない仕事が余りにも多かったのでto do listをつくった。最初は忘れそうな業務を備忘録的にメモる程度だったto do listは、次第に進化していき、服を買う・本を読むと言った、仕事とは関係の無いプライベートな活動まで扱うようになった。 

 

マーケットレポートを作成する、同期の飲み会のアレンジ、メーカーと6月積み商品の価格交渉、facebookに投稿、AVの返却、与信の申請、スーツを新調、父親に連絡、ランニング、為替の予約、デート、本を読む、AVのレンタル、小学校の友達に連絡、経営の勉強、AVの…

 

 

乱立するto do事項の全てを、一覧にした。優先順位をつけて、日にちで割って、毎朝、確認する。

朝起きると、「今日一日で自分が何をするのか」が一目瞭然! 逼迫した短期的な活動の優先度を無意識に高く評価してしまうという人間の特性に気をつけ、「勉強」「人に会う」といった長期で意味を持つ活動も上手にto do listに盛り込み、こなしていく。

 

優先順位は日々変化するので何度も見返す。全てのto doに対しての意義やメモ書きも添える。達成度は毎晩細かく評価する… 「to do list」は驚異的な進化を遂げ、巨大なエクセルファイルとなった。ありとあらゆる方面から、公私問わず全てのto do事項を洗い出して網羅的に書き出して整理する。すんごい。すんごいファイルだこれは。

 

やらないといけない・やった方が良いかな、と少しでも感じたことは、自動的に全てto do listにぶちこまれる。それらの優先順位をつけ、順番に、完璧にこなしていく。判断のプロセスは一元化され、それは効率化され、完璧で単調で楽チンな生活は完成した。to do listは主導権を握った。

 

もう悩むことは何もない。ただ、to do listに従って日々を送るのみ。自分は人間ではない。“to do”という神の啓示を受けただそれをこなす、炭素で構成された人型のエイジェントなのだ!

 

予定は、吟味され整理され順番に敷き詰められたto do事項で埋め尽くされた。

 

 

 

仕事から遊びまで、「自分が何をすべきか」が可視化されたパーフェクトな日々が続く。自分が今日何をし、明日何をするのか、余りにも明確だった。計画的に仕事を進め計画的に遊び計画的に勉強する。効率的な自分が効率的な毎日を送り、全てが順調。

 

完全無欠なエイジェント生活も板についてきたある日、突然恐怖に襲われて、「to do list(完全版)」という名前の巨大なエクセルファイルを削除した。発狂した。自分はこれを漫然と繰り返して死ぬ時を迎える、それが突然恐ろしくなった。

 

デイリーのto do事項は毎朝紙に書き出していたが、それらの紙も全てビリビリに破いて捨てた。自分の “気付き” や “成長” を書いた、ワケの分からないメモ達も、立ちどころに全て削除。「やらないといけないこと」を彷彿させる、全ての存在を徹底的に抹消した。

 

 

 

その日から、発想を180°変えた。「to do事項」などと言ってメモしていないと忘れてしまうことなんて、所詮、自分の人生にとって「その程度のこと」だったのだ。そんなものはむしろ、さっさと忘れた方が良い。

 

「サッカー選手になる為に、毎日サッカーの練習をする」そんな、サッカー選手に憧れてやまないサッカー少年は、“サッカーの練習”をto do listに入れないといけないのか?恐らくその必要はない。だって忘れない。学校の宿題は忘れるかもしれないけど、きっとサッカーは忘れない。自分にとって1番大切なことは、to doなんて言って管理しなくても、勝手にやるじゃないか。その優先度なんて、本能が分かってるじゃないか。だいたい、人生において本当に大切な「やらないといけない」ことが、いくつもあるわけがない…

 

じゃあ、自分がせっせと作っていたto do listというのは一体、何だったのか。それは突き詰めると、「本当に大切なわけではないけど、なんかやっといた方が良いような気がすること」を自分の人生の中に目一杯しき詰めてくるという、そういうものだ。“大切さ”において二位以降の、数多の活動達を、限りある人生に鬼のように詰め込んでくる。

そんなものはそもそも不必要、混乱を招くだけだ。

 

 

 

to do listが存在しない生活は素晴らしかった。「あ、これ放っておいたら忘れるだろうな」という程度の依頼であればそもそも受けない。もしくはその場で強引に解決する。to doに入れておかないと読まない程度の本は、読まない。to doにしとかないと会うのを忘れるような人とは、会わない。「どっちでも良いけど、やった方が良いかも」程度の活動は全てカット。浮いた時間で、一番大切なことだけをする。

人生において一番大切なこと、それが何なのかを、常に考える。

 

 

「よく分からないけどやっといた方が良さそう」がなくなると、思考は恐ろしく加速した。目の前のこれは、自分の人生において “最も大切なこと” なのか否か、それを日常のあらゆる瞬間に考えるようになった。

 

今夜その飲み会に行くべきか?その勉強をするべきか?その相談にのるべきか? 実は、日常にはタフな判断がゴロゴロと転がっていることに気付いた。考えも無しに全てをこなしてはいけない。“それが、一番大切なことかどうか考える”という難しい判断から逃げてはいけない。色々とこなしているうちに、老人になって死んでしまう。

 

それから自然と、何かを“断る”回数が増えた。残業をやめた。会社をやめた。「付き合い」や「常識」だけでやってきた活動を次々とやめた。それは清々しい断捨離だった。

 

 

 

な〜〜んだ。メモしておかないと忘れてしまう程度のことを、「忘れてしまう」ことが出来るのは、案外、素晴らしいことじゃないか。信じるべきは、人生に余計なものを詰め込んでくるto do listじゃない。人類が進化の末に手に入れた、「忘却」という名のリーサルウェポンの方だ!

 

このイカした考え方を勝手に「本質思考」と呼び、陶酔した。元来、自由の星の元に生まれた自分の人生には「to do事項」なんてものはない。「want to doリスト」なら、つくってやらんでもないぞ。hahaha…

 

 

 

 

 

 

そしてto do listの全く存在しない自由で本能的な生活も板についてきた最近、この「本質思考」という名の乱暴で稚拙な考えが、弊害を生んでいるかもしれないと感じる。to do listをつくらないと、色々なことを忘れてしまう。原稿の〆切を忘れ、ミーティングを忘れ、返信を忘れ、色んな人に会うのを忘れてしまう。ああ、忘れてしまう忘れてしまう

 

これらは本当に全て、自分の人生にとって「大切ではないこと」だったと整理してしまっていいのか?どうも信頼や尊厳や関係性を失っているみたいなんだが、これも本質的には不必要ということで無視して良いのか?よく分からない。自分の本能や忘却は、常に100%の信頼に値するのか。というか、自分の人生にとって一番大切なことなんて、考えても考えても明確には分からないんですが…

 

長い人生で自分にとって何が大切なのか、今の自分が100%正確に判断出来るんだろうか。いま大切さに気付けなくても、振り返ってみて大切だったと思えることだってあるかもしれない。そして、人生で大切なことは、1つじゃないかもしれない。

 

行き過ぎた「本質思考」はどうなんだろうか 

 

 

 

 

 

 

to do listを、つくらないといけない。忘れてしまうから。自分が忘れてしまう些細なことの中にも、人生にとって大切なことが実は含まれている、そんな気がするから。人類が進化の末に手に入れた「忘却」という名のリーサルウェポンが、どうも信用ならんから。

 

でも、余りにも完璧なto do listは、もうこりごりだ。to do listに人生の手綱を握らせたくない。限られた人生をオートマチックに“タスク”で埋めつくして、楽をしてはいけない。自分とto do listの、完全なる主従関係。

 

自分にとって最も大切なことを毎日熱心に考え、日常のタフな判断から逃げず、その上で、極めて影響力の小さいto do listをつくる。不完全なto do listをつくる。

 

それが今夜のto do事項。

 

 

 

 

ライター名:熊谷

ブログ:もはや日記とかそういう次元ではない

Twitter:https://twitter.com/kumagaimanato

Facebook:https://www.facebook.com/profile.php?id=100004087882164

紹介:エリート街道から大きく逸脱しまして、バッチり道を見失いました。ブログを中心に色々なところで変な文章を書いています。

(darwin Bell)

Googleで調べればいいや、ではダメな理由について。

 先日、ある会合で「知識」についての話になった。 知識経済の社会においては、あらゆる組織が知識を使いこなすことを要求される。

 

だが、知識をつかいこなす、と言われても

「具体的な行動としては何なのか?」

には迷っているのが、多くの組織での現状なのではないだろうか。

 

その時思い出したのが、ちょっと時期外れだが、あるシステム開発会社の入社式で、管理職の方が新人へした話だ。

「知識を会社で取り扱うこと」について簡潔に説明していた。「Googleで調べればいいや」ではダメなのだ。

 

 ————-

 

  本日は入社おめでとうございます。 せっかくですから私は知識についての話をしたいと思います。

  先日、某所で 「すぐ役に立つ知識は、すぐに役立たなくなる」という言葉を聞きました。 なんとなく、イメージが湧くでしょうか? わたしは、仕事を思い出して「ああ、なるほどな」と思いました。

 

  例えば、システム開発をしていると、わからないことがたくさん出てきます。

ま、もちろんわからないことがあってもwebなどで調べながら、とりあえず入れた知識を切り貼りしていけば、なんとか動くものは作れます。

「なんとか動いたし、まあ仕事は終わったからいいじゃないか。」

そう思う人もいるでしょう。

 

けれど、そういったGoogleで検索できるような「すぐに役立つ知識」ばかりを使って仕事を流していると、環境が変わった時に、対応できません。

皆がよく調べるようなことには対処できますが、例えば言語が変わった、環境が変わった、設計が変わった、トラブルが起きた。そういう時には今まで活躍していた「すぐに役立つ知識」が役に立たないことに気づき、あなたは困るでしょう。  

 

皆さんは、知識を扱う職業に就くのですから、そのようなことにならないよう、知識についての扱いに長けていなければなりません。

 

では、具体的にどういった行動があなた方に求められているのでしょう。

  意識していただきたいのは、 「知識の一般化」と「メタ認知」、そして「検証」 です。この3つについては常に心に留めておいていただきたい。     詳しく話しましょう。

 

  「知識の一般化」は法則を見つけ出して、応用することです。 例えば設計の標準化をしたり、プログラム生成ツールを作ることなどがこれに当たります。

そうすることで、バグを少なくし、コーディングの量を減らすことができます。 あるデバッグの手法が他にも使えないか、とためしてみるのも、一般化の1つです。

このように、一つの知識の適用範囲をどんどん広げてみてください。自分以外の人にも使えるように、知識を拡張してください。

 

一方で「メタ認知」は、自分がどこまで知っているのかを知ることです。

ある関数を使ってみた。プログラムがうまく動いた。そこまでは良いでしょう。 ですが「なぜうまく動いたのか」を知らなければ、知識には決定的な欠落があります。応用も効きません。  

「自分は知らない」ということを知っている人と、「まあいいか」とスルーしてしまう人では、一〇年後に大きな差ができるのです。

最初は知らないことが多すぎて、途方に暮れるでしょう。 それで良いのです。あなたはその時、「自分が知らない」ということを知ったのですから。 根気よく取り組んで下さい。

 

さて、最後の「検証」です。

検証とは人の言っていること、そして自分の知っていると思われることに対しても、常に猜疑を投げかけることです。

例えば先輩が「ウォーターフォール型の開発はもうダメだ」と言っていたとします。まあそれはいいでしょう。ですが、あなたがたはそれをそのまま信じてはいけません。

その知識はあくまでも「先輩は」ウォーターフォール型に対して否定的だ、という程度のものです。真の知識は検証の上に成り立つのですから、自分で試して、触って、それを確かめるまでは知識ではありません。

 

また、あなた方は1つのプロジェクトで成功した手法を、別のプロジェクトに使おうとするときもあるでしょう。

そんな時に後輩から「本当に大丈夫ですか?」と聞かれた時、何も考えずに「大丈夫だ」と言ってはいけません。それはまだ未検証の知識です。

「うまくいくかわからないけど、試してみて、検証しよう」と言わなくてはいけません。

よく、過去の成功例に囚われた経営者がおかしなことをいいますが、あれと同じです。過去は過去、今は今と切り離して考えてください。

結局のところ知識は「知ったかぶって」も、良いことは何一つ、ないのです。

 

これからあなた方は多くの知識に触れ、それを活用しなければならないでしょう。

そんな時、この3つはきっとあなた方の力になるはずです。

健闘を祈ります。

 

 

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Hernán Piñera

良いマネジャーは部下に説教せず、ツールを与える。

私が出会ってきた良いマネジャーは、殆どの人が

「もっとヤル気出せよ」

「成長しないとダメだぞ」

といった「説教」をしなかった人ばかりだ。

 

説教自体が悪いのではない。

だが、おそらく皆、説教にほとんど意味がないことを知っていたのではないかと思う。

 

例えばあるwebサービス運営会社のマネジャーは、「説教したって、人は変わらないですよ。」と言った。

またある商社のマネジャーは「こちらが言っただけで考え方を変える人なんて、見たことないです」と言った。

コンサルティング会社の30歳そこそこのマネジャーは「説教でなんとかしようっていうのは、要するに手抜きか頭が悪いだけですよ。」と言った。

 

彼ら有能なマネジャーは説教をしない。

ではどうやって人に対して影響を与えるのか。行動と考え方を示すのか。

 

実は彼らは皆、部下に「ツール」を与えていた。しかも単に与えるだけではない。部下が進んで使いたくなるように工夫をこらしていた。

 

 

例えば上記の商社のマネジャーは、「チャットサービスを使った営業日報」をうまく導入していた。

普通であれば日報など、ダルくて書いてられない、とするひとが多いだろうが、そのマネジャーは違っていた。

「どうせやるなら、役に立つように」というのが彼の口癖だ。

 

彼は部下にチャットサービスのアカウントを与え、

「その日1日、どんな仕事をしたのか、箇条書きで提出するように。」と言った。具体的には、・A社訪問し◯◯の商談 と言った具合だ。

部下たちは、「何でこんなことを……」と思ったが、とりあえずスマホやメールから日報提出ができるので、5分もかからない。それならば、ということで彼らはひとまずそれを遂行した。

それを続けた結果、部下たちは、1日の終りに、今日やったことを細かに思い出すようになった。

 

 

1ヶ月が過ぎ、皆がそれに慣れてきたころ、マネジャーは

「やったことに加えて、それにかけた時間を記入すること」という指示をした。例えば ・A社訪問し◯◯の商談、1時間 と言った具合だ。

こちらも特に反対はなく、箇条書きに+α程度だということで、皆も受け入れた。

すると部下たちは、時間を計算することで、どの仕事にどれくらいの時間を欠けているかを知り、徐々に仕事の時間配分を気にするようになった。

 

更に1ヶ月が過ぎ、皆が「当たり前のこと」として、今日の仕事の一覧と時間配分を気にするようになった時、マネジャーは次の指示を出した。

「その行動一つ一つに期待する成果を具体的に書け」

例えば、A社訪問し◯◯の商談、1時間 に対して、期待する成果は、来月までの受注を目指す、と言った具合だ。

すると、一人の部下から質問が出た。

「日報記入という仕事に対しての、期待する成果って、何ですか?」

マネジャーは「何だと思う?」と聞く。

部下は「……マネジャーが我々の管理をするためですか?」

だがマネジャーは首をふる。「違うよ。」

「自分で仕事の振り返りをするためですか?」

「当たり。もともと日報ってそういうものでしょう。」

 

すると部下たちは、自ら、自分の仕事の成果を気にするようになった。

 

 

 

また1ヶ月が過ぎた。徐々に皆がセルフマネジメントによってできるようになってきた時、マネジャーは次の指示を出した。

「書きだした仕事が、期待通りいっているかどうかを書け」

例えば、A社訪問し◯◯の商談、1時間、来月までの受注を目指す、今までの所期待通りに進んでいるが、リスクは**…だ、

と言った具合である。

 

これらは人によっては結構なボリュームを書かなくてはならないので、抵抗があるかとマネジャーも想像したが、実際にはほとんど抵抗はなく、皆「まあ、当たり前ですよね」と言い、ほとんどの人物がほぼ完璧に予実対比をするようになった。

これにより、全員が過去の活動の振り返りをするようになった。

 

 

まとめると、彼のチームは全員が

・1日に何をしたかを把握している

・仕事の時間配分を気にする

・自分の出すべき成果を知り、それに向かって進む

・過去の施策の振り返りを全員が行う。

をすべて遂行するようになった。しかもマネジャーたる彼は1回も説教することなく。

 

———————–

 

著名な建築家であり、デザイナーであり、「宇宙船地球号」という言葉を発明したことでもよく知られるバックミンスター・フラーは、

「人の考えを変えることはできないが、それを使うことでこれまでとは違う考え方に導くツールを与えることはできる」と述べたという。*1

 

印刷物、鉄道、テレビ、PC、スマートフォンなどがすべて「偉大な発明」と呼ばれるのは、思想を押し付けること無く、もちろん説教などを一切すること無く、人の行動を大きく変えたからである。

 

マネジャーは説教など不要である。

ツールと、適切な指針さえ与えれば、自ずと部下は行動を変えるのだ。

 

 

*1

 

 

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どの人物を最も高評価にすべきか?価値観のわかるテスト。

人事評価は、つきつめて単純化すれば成果と労働時間、生産性のどれを評価すべきか、に帰着する。スキル、能力や経験その他に関しては、あくまで補助的なものにすぎない。

だが、そこにはかなりの考え方の差異がある。

 

例えば、皆様は、以下の6名にどのように評価の差をつけるだろうか?

なお、単純化するため残業代を除いた給与は全員同じとする。また、全員の目標値も10であり同じとする。

 

 

Aさん 成果8 働いた時間10(うち、残業0)生産性0.8

Aさんは定時内で絶対に帰る。が、目標達成できていない。「目標達成にこだわらないよ」という人物。働くのが嫌い。

 

Bさん 成果10 働いた時間10(うち、残業0)生産性1

Bさんは定時内で絶対に帰る人物だが、きちんと目標達成もする。が、求められる数値以上は絶対に働かない。「ワークライフバランス重要ですよ」という人物。

 

Cさん 成果12 働いた時間10(うち、残業0)生産性1.2

Cさんは定時内で絶対に帰る人物。有能で生産性が高く、残業せずとも目標オーバーできる。「どうすれば仕事が早く片付くか、真剣に考えてます。」とのこと。

 

Dさん 成果10 働いた時間15(うち、残業5)生産性0.7

Dさんは遅くまでよく働く。目標以上によくはたらくのだが、若干生産性は低い。「まずは量をこなすことで、仕事の質が上がるんですよ」と言っていた。

 

Eさん 成果12 働いた時間15(うち、残業5)生産性0.8

Eさんは出世欲が強く、遅くまで働くことを厭わない。長時間労働の割には生産性が高め。上司から「残業して」と言われたら断らないし、仕事が大好き。

「人より働かないと、出世できないし、面白い仕事出来ないですから。あと、無駄な努力は悪。」という。

 

Fさん 成果15 働いた時間25(うち、残業15)生産性0.6

Fさんはひとことで言うと、モーレツ社員。誰よりも長くはたらき、普通の人の1.5倍の成果を出すが、長時間労働の悪影響で生産性はかなり低め。

「仕事が生きがいです」とのこと。

 

 

さて、自分なりにどの人を評価すべきか、判断してみてほしい。

以下は、回答の傾向である。

 

—————————

 

ブラック企業っぽい会社における評価

Fが高評価。働いた時間と成果の絶対量が問題にされる。生産性は度外視。

残業代を払わないから、当たり前といえば当たり前。

また、EとDはそこまで評価が変わらない。AとBは評価が低いのはお約束として、Cも評価が低い。なぜなら「もっとやれるのに手抜きしている」とみなされるからだ。

結果:F>>>E、D>>>C>A、B

 

 

若手が多く伸び盛りの会社、スタートアップなどにおける評価

傾向としてEとF、そしてCが高評価を獲得する。成果の絶対量が重視され、長労働時間が苦にならない人たちの集団だからだ。逆にそれほど生産性は重視されない。

ただし、労働時間が長いのに成果がイマイチなDは出世できない。「無能」とみなされている。もちろんA、Bも出世できない。「たくさん働いて、たくさん稼ごうぜ!」が合言葉だからだ。

ただ、場合によってはFが「生産性低すぎ」とバカにされているケースもある。

結果: F>E、C>>>B>D>A

 

それなりに儲かっている中小企業や外資系における評価

F、E、Dは評価が低い。残業代がかかりすぎているからだ。特にFは最悪。「残業を減らせ」との圧力がかかる。

それなりにビジネスモデルが出来上がっている中小企業では、コストダウンをして、利益を出そうとするからだ。逆に評価が良いのはC、ついでB。コストを掛けず、それなりの成果を出せ、が優先される。また、Aはこの会社でも評価が低い。

結果:C>B>>E、D>>F、A

 

同調圧力の強い大企業における評価

Fのように目立つ人物は排除される。かといって、Aのように成果が出せないのもダメである。

E、Dのように「長時間労働」が評価されるか、B、Cのように「定時できっちり」が評価されるかは管理職が何を重視するかによる。

結果:

長時間労働バンザイ E、D>>>B、C>>>F、A

定時帰宅バンザイ B、C>>>E、D>>>F、A

 

知識労働者中心の企業における評価

F、Aは無能。Cがもっともよい。Bが次いで良いが、D、Eは今ひとつの評価しか受けられない。キーワードは「生産性」だからだ。生産性が高くなければ何事も認められず、無能の烙印を押される。

「おまえ、頭の悪い働き方してるな」と言っている人が大勢いる。

結果:C>B>>>D、E>F、A

 

 

労働時間、成果、生産性のバランスは組織の価値観と自分の価値観があってないとつらい。

 

ちなみに

・Aはどの会社でも評価が低い

・FとBは評価が上と下で分かれる

・ブラック企業でなければCがもっともよい

・Dは「可もなく不可もなく」の人。

・Eは「人よりちょっと成果を出している」ので、得なポジション。出世しやすい働き方。

といった特徴が見られる。

 

自分にあった会社で働こう。

 

 

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Joselito Tagarao

「夢」は成長とともに変わる、という先生の話。

むかし、私が師事した先生に一人、記憶に残る一言を言ってくださった方がいた。

 

その先生は、大学ではめずらしく授業がとても面白かった。

何が面白い、という具体的なところは挙げにくいのだが、強いて言えば「何が興味深い点なのか」を丁寧に説明してくれることころが、私は好きだった。

 

例えばこうだ。

ある現象について解説をする時、現象や事実だけを知っても、学問は面白くない。だがその先生は

「◯◯という現象を研究した人は、おそらく◯◯に興味を持って研究を始めたのではないかと、私は思うんですよ、勝手な推測ですがね」

と、必ず自分なりの解釈を付け加える。その解釈が、教科書的な観点とはちょっと違った切り口になっていることが、とてもおもしろかったのだ。

 

 

そして、学年の最後の授業でのことだ。先生は最後のしめくくりとして、自分の話をはじめた。

「私、じつは昔は哲学を志していたんですよ」という話だった。

私は驚いた、地球科学の先生が、哲学とは、あまり想像がつかなかったのだ。

 

「なぜ、哲学ではなく、地球科学の道に入ったのですか?」

と誰かが質問した。すると先生は

「現実的には、哲学では食えなくてね……。でも考えているうちに哲学よりも地球科学のほうが魅力的になった。」と言った。

「では、哲学の夢を諦めて、地球科学の道を志したのですか?」とまた誰かが聞いた。

 

先生は言った。

「そういうことじゃない、地球科学が私の夢になったんだよ。」

 

しばらく皆、黙っていた。

先生は私達が訝しげな顔をしているのを見て、言葉を継いだ。

「夢というものは、生きていくうちに変わらなければ、成長していないということなんだよ。」

私達はまだ黙っていた。

 

「例えば、君らが子供の時は何が夢だったか憶えているかね? 

野球選手?それともケーキ屋さん?でも皆成長とともに、そう言った夢は忘れてしまう。いや、忘れるというよりは、上書き、アップグレードといったほうが適切かもしれない。」

私たちは頷いた。

「では、高校生の時は何が夢だったかね?では今は?おそらく君たちは、働き始めてからもどんどん夢は変わっていくだろう。

それでいいのだ。成長は古い世界観をこわし、新しい世界観を手に入れた時にやってくる。単純な世界観を捨て、複雑なものを見ることができるようになる、ということがオトナになるということだ。

電車がカッコいいから電車の運転手になる、ケーキが好きだからケーキ屋さんになろう、ゲームが好きだからゲームを作りたい……。そういった単純な世界観ではなく、世界の広がった君らは、電車に変わるものを作ろう、電車の原理を応用しよう、電車をもっと安全にしよう、といった概念を持つことができる。」

 

先生は最後に言った。

「私にとって哲学は一種の装飾品だったのだよ。それは子供っぽい憧れで、自分のためだけの夢だった。いや、よく考えもせず「夢だ」と思いこんでいた。だが、私は地球科学の世界に触れて「責任を引き受けよう」と思ったんだよ。私がやらなくて、だれがやるのかってね。」

 

それから人の「夢」を聞く時には

「この人はどんな責任を引き受けようとしているのだろうか」

という観点で聞くようになった。

多分、それが大人ってものだ。

 

 

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maria

子どもが読書嫌いにならないように、わが家で採用している幾つかの方針

嫌いにならない為の方針というか、「こんなやり方をしてたら結果的に子どもが本好きになってきました」って話です。人によって向き不向きもあると思うので、一般化するつもりはないです。こういうやり方もあるのかー、という程度で。

 

私が大事だと思っているのは、「親が子どもの好奇心の方向を制御しようとしない」「「読んで欲しい」を押し付けない」ことだと思います。本当にそれだけじゃないかなー、と。

 

長男、9歳。小学三年生。長女と次女は4歳の双子で、いずれも幼稚園の年中です。

私は本好きでして、昔から色々なジャンルの本を読みます。一番好きなジャンルは海外SFで、好きな作家はレイ・ブラッドベリとオースン・スコット・カードとジェイムズ・P・ホーガンです。ケストナーとかミヒャエル・エンデとか佐藤さとるとか、児童小説も今でも頻繁に読みます。

自分が本好きなことで損をした経験があまりないので、出来れば子どもにも、いろんな本を読むように育って欲しいなーとは思っていました。

とはいえ、親に言われて本を読んで「面白い」と感じるかというと、自分の経験に照らしても難しいと思いましたので、親から「読んで欲しい本」を押し付けるのはやめようとも思っていました。

 

で、夫婦そろってどんな方針で自宅の読書環境を作ってるかというと、大体こんな感じです。

・寝る前に一冊、絵本の読み聞かせをしてあげる

・図書館に頻繁につれていく

・借りた本を読んでも読まなくても一切文句を言わない

・漫画だろうがゲーム本だろうが、読みたがるなら自由に読ませる

・自分たちも本を読む

それぞれについて、簡単に書いてみます。

 

 

寝る前に一冊、絵本の読み聞かせをしてあげる

まず基本はこれなのかなあ、と。まず、「本ってものがあって、こんなに面白いんだよ」というのを教えてあげないと始まらない。寝る前に限らず、読み聞かせをねだられたらなるべく応じてあげるようにはしています。 

小さなうちから周囲に絵本があると、自然に本に興味を持つようになっていくなーとは思っていまして、長男が一歳くらいの頃、一番興味をもって読みたがったのはこの本でした。

 

BABY TOUCH いろ

まだ声を出し始めたばかりで、「ぴゃー」とか「ちゃー」とかなんだかよくわからない言語で読み聞かせを要求しながら、よくこの本の角でがつんがつん叩かれてました。痛かったです。

 

まあこの本については、カラフルというだけでなく「さわってごらん」というページで手触りまで楽しめるということで、長男的にも刺激があって面白かったんだと思います。「はらぺこあおむし」とか「ぐりとぐら」「しろくまちゃんのほっとけーき」なんかの定番本も勿論大好きでした。

 

あまり関係ないんですが、大体2歳くらいまでの間は、幼児や人間が出てくる絵本よりも動物メインの絵本の方をより楽しむという印象。まだ感情移入出来る段階になってないからでしょうか。

長男は、6歳くらいの頃「ぼくもさいきんやっとこの本のよさがわかってきた」みたいなことを、「はじめてのおつかい」について言ってました。おっさんか。

 

図書館に頻繁につれていく 借りた本を読んでも読まなくても一切文句を言わない

図書館最強。図書館なしに読書生活が考えられません。 

勿論、本好きにとって一番大事なのが、「本が周囲にたくさんある環境」であることは間違いありません。

子どもが欲しがった本はなるべく買ってあげたいところではありますが、流石に全部が全部買う訳にもいかないので、図書館連れてって「好きな本選んでおいでー」方式をとっております。私が住んでいる区では20冊まで借りれたりするんで大変助かってます。

 

で、これはしんざき奥様が上手いなーと思うんですが、借りてきた本についても、「せっかく借りてきたんだから読みなさい」とは奥様言わないんですよね。「そろそろ返す日だけど、これ返していいの?」と確認するだけ。だから、子どもは読みたい時に、読みたい本だけ読む。

「読まなきゃいけない」という義務感も発生しないんだから、これはもう読書を嫌いになりようがないんじゃないかなーと。

 

図書館は本当に、公的機関の中でも最も生活を助けてくれる施設ではないかと思うので、ばりばり利用してよろしいんじゃないかと思います。

 

漫画だろうがゲーム本だろうが、読みたがるなら自由に読ませる

これは私の意見なんですが、「漫画だって立派な読書体験」だと思うんですよ。知人の親御さんの中には、子どもが漫画読んでるの喜ばない人も多いんですが、全然問題ないんじゃないかなーと。漫画からでもちゃんと読解力はつきますよ、と。

 

我が家には勿論漫画も何冊もありまして、字が読めるようになった長男は、実は本よりも先に漫画を自分から読むようになりました。まずコミック版の「ドラえもん」。暫く「ドラえもん」ばっかり読んでいて、少し前からは自宅にあった「テルマエ・ロマエ」とか、よつばととか、聖おにいさんとか、その辺の漫画も喜んで読むようになりました。特に「よつばと」は、登場人物の年齢層が自分に近いということもあって、大変面白がっていたように思います。

で、特に何の制限もしないでいたら、「かいけつゾロリ」とかトムとジェリーの迷路絵本なんかを経て、「はれときどきぶた」や「トム・ソーヤーの冒険」や「長くつ下のピッピ」「十五少年漂流記」なんか読み始めるようにもなりました。

 

なんというんでしょう。私はそもそも、「漫画よりも字がたくさんの本を読んで欲しい」とすら思っていないんですが、手の届くところに本さえあれば、子どもは勝手に色んな本に手を出し始めるもんなんだなあ、と。漫画ばっかならそれはそれで別にいいと思ってたんですが、そうでもないもんだなあ、と。

まあ、子ども時代は私自身、ファミリーコンピュータマガジンとかゲーメストばっかり読んでいて、それでもなんだかんだ読書好きになったんで、漫画やゲームの本ばっかり読んでるように見えても別に心配しなくていいんじゃないかなあ、と。そんな風に思います。

 

自分たちも本を読む

子どもは親の姿を見て真似しようとするものですので、やっぱ自分たちでも本を楽しむのが一番なのかなーと。たまに、「自分たちは全然本を読まないけど、子どもには本を読ませようとする」親御さんがいらっしゃったりして、それあんまり意味ないんじゃないかなーと思ったりします。

 

児童書とか読んでると、子どもともその本の話出来て面白いです。「ルドルフとイッパイアッテナでどのエピソードが一番好きか」みたいな話、長男とよくします。

 

 

と、長々と書いて参りました。

何はともあれ、「本を楽しめる」というのは人生においても大事なことだと思いますので、今後も押しつけにはならないようにしつつ、子どもたちが喜んで本を読める環境を作っていきたいなーと、そんな風に思うのです。

 

 

今日書きたいことはこれくらいです。

 

【プロフィール】

著者名:しんざき ←名前をクリックすると記事一覧が表示されます

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて
書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

 

(Emily Carlin)

「だれでもできる仕事」が無くなりつつある時代、専門性のない人はどう身を守ればよいのか。

ご存じの方も多いだろうが現在、雇用者数においてトップ3である職種、

「工場労働者」、「営業」、そして「事務職」は消えつつある。

(参考:平成22年国勢調査 http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/kihon3/pdf/gaiyou.pdf)

現在、製造現場はもはや主役ではない。さらに、webの発達によりセールスの役割も大幅に縮小した。飛び込み、テレアポ、ルートセールスが是とされた時代は過去のものとなった。

 

「そんなことはない、事務職員の数は変わらないのでは」という方もいようが、昔は大半が正規雇用者だったが、現在は非正規雇用者の方も多い。

中身を見れば徐々に事務職は会社から消え、派遣会社が台頭したことがわかる。

単なる頭数だけ見れば、変化がないように見えるが、実際には経理ソフトやウェブサービスが経理部員と営業事務員を大幅に減らしたのだ。

 

かわりに増えているのは、コンサルタントなどの「専門性の高い職業」と、エンジニアなどの「技術的職業」であり、ますますブルーカラー、ホワイトカラーが減少し、知識を持つ労働者の割合が増えていることがうかがえる。

ピーター・ドラッカーが言うところの「知識労働者の台頭」は、統計的に明らかである。

 

——————–

 

こう言った状況で、現在「雇用のミスマッチ」が叫ばれている。

「雇用のミスマッチ」とは換言すれば「だれでもできる仕事」が、無くなったことによる、現場の需要と労働者のスキル供給能力のアンバランスである。

 

だから現在の若年労働者による「良い仕事が無い」との怨嗟の声は正しい。

なぜなら専門性も技術もない「若いだけ」の人間を雇う動機が、企業には存在しないからだ。必然的に、残る「だれでもできる」仕事は労働条件が過酷で、給与も安く、そしてつまらない仕事である。

畢竟、今の20代の若者が「こうすればだれでも稼げる」というネット上の文言に容易く騙されてしまうのは、「だれでも稼げる仕事」が労働市場から消えてしまったからである。

 

彼らの親世代、また現在の企業幹部などの年長者からみれば「仕事を選り好みするな、何を贅沢なことを言っているのだ」と思うかもしれない。

だが、年長者が就職活動をした時代は「だれでもできる仕事」が大量にあった時代なのだ。彼らの的はずれな職業観で、若者を責めることはできない。

 

——————–

 

では、専門性のない人はこれからの時代、どう身を守ればよいのか。

これについては、現在30歳弱の、ある有名コンサルティング会社のマネジャーの話が参考となるかもしれない。

 

彼は私立文系の学部を卒業したが、いわゆるブラック企業に入社した。

「ブラック企業は想像以上に過酷で、そして希望がない」と彼はいう。

「ここで成功できる感覚も、人生がうまくいく感じも全く持てなかった。だから、なんとか正気でいられるうちに、脱出する方策を探った」

「具体的に何をしたのですか?」

「まず、何が何でも社外に人脈を増やさないとダメだ、と思った。ブラック企業の周りにはブラック企業しかないから、全く別のルートを探った。社外の交流会に顔を出してみたり、イベントに行ったりした。」

「それから?」

自分は信用できる人間だ、ということをひたすらアピールした。絶対約束を守る、とか会合とかで面倒な役回りを引き受ける、とか。結構、約束守らない人が多いから、約束をきちんと守るだけで信用されるよ。」

「なるほど。」

「あとは情報発信が命かな。自分から人と人を繋いだり、これは、という人に会いに行ったら、ツイッターやフェイスブックで情報共有したり。とにかく人の役に立つことを発信するように心がけた。」

「精力的だね。」

「絶対に脱出してやる、と思ったから。でも、その活動のおかげで、自分に何かあると声をかけてくれる人がちらほら出てきた。でもオレ、何の専門性もないから、「何かの技術ないしスキルが身につく」って言えそうなところに注意深く転職した。最初はECサイトのマーケティング、そこは数年でやめて、次にwebサービスの運営。」

「何か意図はあったの?」

伸びてる会社に行く、っていうのが鉄則かな。そこに在籍したっていうだけで、高く買ってもらえる経歴になるんだよ。」

「なるほど。」

「で、3回転職して、ようやく今のポジション。暫くはここで頑張ってみようかと思ってる。」

 

——————–

 

「知識労働者は、自らをマーケティングしなければならない」とピーター・ドラッカーは語った。

彼は単純に、それを実践しただけなのだ。

 

 

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Angie Garrett

女性らしさがないと「オス化した」と言われ、女性らしさが出ると「女性を売りにしている」と批判される。

男性ばかりのベンチャー企業で育ってきた私は、いわゆる「男勝りな性格」らしい。

入社して2週間後には、採用責任者として仕事を任せてもらい、1年後には役員に就任した。私以外の周りは全て男性社員だった。

 

お察しの方もいるかと思うが、その頃はというと、ファッションにもあまり興味を持てなかった。持てなかったというよりは、そんな余裕はなかったのだ。

アパレル出身の私は、元々洋服は大好きだった。しかし、そんなことより当日は仕事に夢中で、洗濯機からのローテーション状態に陥っていた。まあ、ただの怠惰と言えば怠惰だろう。

 

そんな時、とある年下の社員に言われた。

 

A君「KOEHIROさんって恋してますか?」

私「え?恋!?何言ってんのー笑。しかも私既婚者だけど笑」

A君「笑い事じゃないですよ。旦那さんでも良いですけど、ちゃんとときめいてますか?」

私「ときめきなんて今の生活の中ではないよね。仕事にときめくくらいかな。」

A君「ダメですよー!女性はいつもでも女性なんだから。【あーこの人ステキ】とか、そういうのがあったら、きっと毎日がもっともっと楽しくなりますよ。何なら僕らの中からでも良いんで、ときめきを忘れちゃダメですよ。」

私「いや・・残念ながら、みんなの中でときめく人なんていないよね。笑」

 

 仕事をバリバリする一方、世間一般的にいう「女性らしさ」というものに欠けていたのかもしれない。まあ、今思えば何とも失礼な話だが、もう過ぎた話なので良しとしよう。

 ちなみにその当時、会社でもらった誕生日プレゼントは、某有名ブランドの手鏡と香水。自分では選ばないような女性グッズは実に嬉しかった。

 しかし、それと同時に女性は女性であることから逃げられないのだとも私は悟った。

 

仕事では男性と同じような働き方や実績を期待され、男性と同じような基準で評価される。しかし、結局はオス化することもこの世の中は認めてさえくれていないというのが現状だ。

 

 

また、とある日の会食事にはこんなことがあった。

 

Bさん「KOEHIROさんは、女性を武器にしたことって実際あるんですか?」

私「いやいや、そんなこと人生で一度もないですよ。むしろそんなことあるんですかねー。少なくても私とは無縁ですね。」

Bさん「でも、KOEHIROさんは普通の私生活の話もざっくばらんに話てくれますし、勘違いする人もいるんじゃないですかね。」

私「はあ…。私は女性を武器にした覚えもないですし、ましてや男女の関係をもって仕事に繋げるなんてしたことありませんけどね。」

 

なんとも難しい世の中だと思わないだろうか。私はオス化することすら許されない上に、女性として少しでも見られたら、何か怪しい眼差しで疑わられるのだ。

そもそも当時は、会食に行くだけで「気を付けて下さいね」と社内では言われていた。

私は「女性だから」とか「男性だから」とか、そういうレベルの話をしたいわけではなかったので、このような経験は非常に勉強になったと同時に、世間一般的に見られる働く女性の生きづらささえ感じた。

 

よく有名になった女性社長が、それこそ有名な男性社長のおかげで成り上がったみたいな話をよく聞く。「あの人たちって特別な関係があって、そのおかげらしいよ」みたいなそんな話。

それは本当の話かもしれないし、どこかから出てきた嘘かもしれない。何なら、気に入られていたというだけのことがどこかで誇張されて広まってしまっている可能性だってある。

だから、私はほとんどそのような話は信用していないし、興味がないのだ。

もし仮にそうだったとしても、その事業にひとかけらも可能性がなかったら、日の目を見ることなんてそもそもない。それに、その事業のビジョンを語ることで人を惹きつけたということは、間違いない事実であると思うからだ。

 

***************

 

ただ、最近になって女性が「女性だから」という理由で、時に優遇されてしまうのも仕方がないことではないかと感じている。

私は仕事をすればするほど、男女の違いを精神的にも肉体的にも感じるようになった。見た目でもわかるように体の作りだって違うし、内面で言っても、女性のホルモンバランスは激しく上下し、男性は一定であるという大きな違いがある。

人間という一括りにすると同じだが、既に生物学的には別の生き物であるからだ。

 

それに、例えば「ありがとうございます。」「今日は楽しかったです。」のような当たり前の感情を当たり前えに表に出したとしても、受け取られ方はそれぞれであって、もはや受け手の感情までは自分にはコントロール出来ないことなのだ。

 

ただし、チヤホヤされることで自分の実力以上を兼ね備えていると勘違いすることはしては決してならない。また、一線を越えて仕事を取ってくることは、全くこの話とは異なる問題である。

男女関係なく言えることだが、女性としても好かれ、【LOVE】ではなく【LIKE】で仕事を一緒に出来れば、それでいいではないか。 

 

女性として扱われることは、女性にとって一つの評価だ。だって、女性なのだから。

結局、ヤジを飛ばすのは大体同性か、実はその人に興味がある男性、もしくは噂好きの野次馬なのではないかと最近思う。

 女性が女性として見られて何が悪いんだろうか。

それもあなたの魅力の一つだ。

 

 

【プロフィール】
名前:KOEHIRO 
23歳でベンチャー企業の役員に就任。それと同時期に結婚するという怒涛の20代前半を過ごし、現在はフリーランスとして様々な事業に挑戦中。

知性を敵視する経営者とマネジャーたちの話。

「ウチの社長、データを使って説明すると怒るんですよ。」と、彼は教えてくれた。

次のような状況だという。

 

例えば、次年度の目標を決定する会議がある。

彼は部門長なので、部下の報告や顧客の直接訪問を通じてマーケットの状況を把握しており

「今年はたまたまうまく行って、売上を20%伸ばすことができたが、来年はマーケットの飽和もあり、伸ばせる売上は10%程度だと思います。」と経営者と役員に申告した。

 

ところが経営者と役員は渋い顔をする。

経営者は言った。

「昨年は売上を20%伸ばせたのに、なぜ今年は20%伸ばすことを目指さないのかね」

「ですから、マーケットの状況が……」

役員は彼が話そうとするのを制止し、

「ヤル気が足りないのではないかね。もしくは社員を甘やかしているのでは?」

という。

 

そこで彼は顧客から集めたアンケートの結果を取り出し、

「社長、専務、顧客から集めたアンケートは、弊社のサービス品質に問題あり、という声が多数です。営業に力を入れるよりもサービス品質を上げたほうが良いと思います。」

と言った。

すると経営者は

「勝手にアンケートをやったのか。そんなことをだれが許可した。」

という。そして脇の専務は

「そんな低い目標で満足するなど、君のヤル気に疑問を持ったよ。」と言い捨てた。

彼は「ヤル気の問題ではありまえん、マーケット分析の結果です。来期はサービスの改善に力を尽くすべきです。」

と言ったが、経営者と専務は取り合わなかった。

 

彼は話し終わってから言った。

「ウチの経営陣は、数字やロジックを持ち出す社員を敵視しているんですよ。客観性を重視すると彼らはすぐに「ヤル気が無いのか」といって圧力をかけてくるんです。もううんざりですよ。」

 

—————————–

 

統計的に考えれば、このような状況では平均への回帰が起きる。したがって、

「好調だった部門」がそのまま引き続き好調である可能性は低い。逆に「調子の悪かった部門」が盛り返す可能性は高い

これは、ゴルフトーナメントで初日にいい結果を出した選手が、二日目には大抵スコアを崩す傾向がデータ上認められるのと同じだ。要するに「ラッキーだった」と言うだけの話である。*1

我々が想像する以上に「実力」は結果に対して僅かな影響しかなく、「運」は結果に対して大きな影響がある。

 

おそらく、上の事例の会社の部門長の彼は、来期売上20%アップを約束させられ、そして失敗するだろう。そしてさらに次の年は「目標をやや低めに設定」したおかげで目標達成するかもしれない。

このような「1年おきに目標達成する会社」はめずらしくない。

 

それは自らの直観への過信が生み出した態度であり、「そんなデータやあてにならない推論よりも、オレの直観のほうがあたっている」という思いが見え隠れする。

その結果、従業員は毎年「全力疾走」せざるを得ず、徐々に疲弊していく。

 

こういった一種の「知性への敵視」とも言える状況は、今に始まったことではない。

古くは古代ギリシャにおいて、随一の智者であるソクラテスが「人々の無知を指摘した」ために、処刑された。また、観察と論理によって地動説を支持したガリレオ・ガリレイは異端審問にかけられ、迫害された。

人の無知を知性を持って指摘をすることが危険な行為であるのは今も昔も変わらないのだ。

 

例えば「リスク」についてもそうだ。リスクを正確に把握できる人間はほとんどいない。

例えば「ひろく使われている食品添加物に発がん性がある」という扇情的なニュースがパニックを引き起こすことがしばしばある。他にも

“◯◯◯という施設では放射線が利用されているらしい”

“◯◯という技術は戦争に使われるリスクがある”

こう言った文言に、人は過剰に反応してしまう。それは、大衆社会、民主主義社会が支払わなければならない代償である。

 

しかし、企業はそうではない。経営者やマネジャーがこれでは困る。彼らは多くの人の生活を預かる身であり、かつ成果を出す責任がある。あてにならない直観に頼られた結果、迷惑を被るのは現場である。

 

—————————–

 

「これからどうするの?」と私は彼に聞いた。

「いやー、残念だけど人は自分の頭の程度について知ることができないからね。彼らは皆「自分は人並み以上の知性を持っている」と思ってる。上の人間がそっくり変わらないかぎりウチの会社はこんなだろうね。」

「そうか。」

「ま、そろそろ転職を考える時だったから。ちょうどいいかもだよ。」

 

こうして、会社はまた一人、有能なマネジャーを失った。

 

*1

 

 

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Dave Miller

仕事のできる人が実践する「成果をあげる習慣」とは

 どうも、Books&Apps編集部の大島です。

 

突然ですが、「仕事ができるやつは週末カフェで、ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を片手に必ず一人で静かに振り返りを行っている」という都市伝説を聞いたことはありませんか。 

私はあります。というより、実際にそのような人材に遭遇したことがあります。

 

その人は新人賞や年間MVPなどのあらゆる賞を総なめにし、最年少でマネージャーへと昇格していきました。 

まさにミスター自己啓発とも呼ぶにふさわしい人材です。彼の口癖は「成長」。たまに成長すること自体が目的化してしまった成長オタクみたいな人を見かけますが、彼は違いました。自分の成長を、ちゃんと組織の成長に還元しているような人でした。

 

そんなミスター自己啓発が成長するために実行していること。それが毎週の振り返りミーティングでした。 

具体的には、まず毎週の目標を立て、それを実行するためのTo Doリストを書き出します。平日はTo Doリストの内容を実行することに集中します。

土曜日には目標を書いた手帳とTo Doリストを見比べて、何が出来たか、何が出来なかったのかを洗い出します。出来なかった項目については、なぜ出来なかったのか、改善するために何をすべきかなどを考え、翌週に備えます。 

 

「目標を持たないヤツは休めないぞ」と言っていた先輩の話。

 「いいか、仕事ってのは、漫然とやったらかえって長引いてつらいんだよ。どこまでやったらいいかわからないからな。だから「皆が休んでないから」って、休まないんだよ。

逆に自分はここまでやったら勝てる、っていうラインを自分で引けるから、休めるんだ。

「目標があるから休める?」

「そう。考えてみれば、当たり前だ。「50件やったら休もう」っていう人は、うまく休める人。「皆が帰りだしたら帰ろう」って言う人は、休めない人。後者は要するに、自信がないんだな。」

「そんなにちがうもんですか?」

「ちがうね。」

「正直、俺は仕事が対して好きじゃない。でも、成果にはこだわっている。休みたいからな。」

 

偉大な経営学者であり、Books&Apps編集部メンバー全員がリスペクトするP.F.ドラッカー大先生は、成果をあげるためには「行動や意思決定がもたらすべきものについての期待を、あらかじめ記録し、後日、実際の結果と比較」することが必須だと言っています。

 

成果をあげる人に共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結びつける上で必要とされる習慣的な力である。(中略)私の知るかぎり、知能や勤勉さ、想像力や知識がいかに優れ用と、そのような習慣的な力に欠ける人は成果をあげることができなかった。

 

つまり、元々生まれ持った素質や能力だけでなく、“成果をあげる習慣”を身につけることによって成果をあげることができるというのです。

 

習慣を設計しよう。そのための6つの施策。

1.「習慣化したいこと」を強い制約に従属させる

2.「習慣化したいこと」は具体的でカンタンな形にする。できれば詳細に記述する。

3.習慣に関連するものが、自然に眼に入るようにする

4.入学、転職、引っ越し、入会、参加などの転機を利用する

5.実行可能なレベルまで目標を下げ続ける

 

仕事ができる人たちは、この成果をあげる習慣が何よりも大事だということをわかっています。そして、習慣にするための努力を惜しみません。最初は大変でも、一度習慣になってしまえば負担にはなりません。朝起きたら歯を磨くくらい自然にできるようになるはずです。だって習慣ってそういうことですからね。

 

 「コツコツ努力できる人」は前向きでも、モチベーションが高いわけでもない。自動的に動いているだけ。

なぜなら、一つの習慣を長く続けているひとに

「すごいですね、よく続けられますね」と聞くと、大抵の場合

「いや……やらないと気持ち悪いので」

という答えが返ってくるからだ。

かれらは実は、前向きでもモチベーションを高く保っているわけでもない。たんに「気持ち悪いから」という感情によって自動的に動いているだけなのだ。だから続けられる。

 

普段は忙しくてなかなか振り返りの時間を取れないという人もいると思います。そんなあなたも、この夏休みは上のコラムを参考に、どこかでゆっくり自分を振り返ってみてはいかがでしょうか。

 

 

(photo byAndrea Addante)

儲からなさそうな事業だからこその強みを活かす方法

こんにちは。出張靴磨きサービスを行っているニイナナ株式会社「ミガクル」広報部です。

この場をお借りして広報活動をさせてもらってます。社長の堀江です。

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ここ最近、ようやくネットから問合わせが入るようになりました。

自分では今流行りのIT起業として会社を立ち上げたつもりだったので、一応インターネットで集客を行う「出張靴磨きサービス」として運営しているのですが、このブログでもお伝えした通り、このサービスをはじめて1年間、主要なお客さんは知り合いからの口コミによる紹介がほとんどです。

それは、以前のブログでお伝えした通りです。

DMよりもWEB広告よりもビジネス交流会よりも、結局知り合いからの紹介クチコミが100倍効率よかった

 

しかし、だからと言ってもちろんインターネットからの問合わせを諦めているわけではもちろんありません。

1年過ぎ、ようやくネットから問合わせが入るようになりました。今日はそれがどのような経緯で増えたかをお伝えしたいと思います。

 

出張靴磨きサービスの商売としての利点

私が行っている「出張靴磨きサービス」の利点を挙げるならば、それを商売としてやっている人が少ないことです。それは、儲からないから少ないという可能性もあるのですが、だからこその強みがあります。

それは、Googleで「出張 靴磨き」で検索してもらえれば、お分かり頂けると思います。

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検索すると、ライバルが少ないので検索上位に出やすいのです。インターネット社会でとても重要なことだと思います。

とは言うものの、やはり「出張 靴磨き」と検索する人自体が多くないので、問合わせ自体は少なかったです。それは、正直自分の中でも大幅に予想を下回りました。

ただし最も効果が大きかったことは、メディアからの問合わせがあったことです。

 

実は、今まで何度もメディアに取り上げて頂いております。

男性必見!オフィスへ出張、仕事中に靴磨きサービス(Work style BOX 2016/03/29)

なぜ『ミガクル』は、一足1500円で宅配&出張「靴磨き」ができるのか?(マイナビニュース2016/04/13)

安い靴ほど「靴磨き」をサボってはいけない (東洋経済オンライン 2016/08/02)

他にも、日経MJ、読売新聞などにも取り上げられました。

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メディアに取り上げられる理由

商売めちゃくうまくいって、飛ぶ鳥を落とす勢いの凄い会社として取り上げらればいいんですが、もちろんそういうことで取材に来られるわけでなく、ちょっと変わったことしてるなということで記者の方に興味を持ってもらえているようでした。

自分なりに分析すると

・大手企業を辞めて、若者が起業

・靴磨きというアナログとITの組み合わせ

という意外性が受けているのかなと思います。

 

メディアに取り上げられることの本当の効果

もちろん、メディアに露出するだけでは問合わせは増えません。それらを自分のFacebookなどのSNSで発信することで、自分の見てもらいたい人に閲覧してもらうことができるので、それが後々効いてきてる気がします。

また、「メディアがメディアを呼ぶ」というのも、超現実的な話で、掲載記事のマイナビさんと東洋経済さんのライターは同じ方です。一度メディアに載るとそのライターさんのツテで芋づる式に出れる可能性も大いにあると思います。

スクリーンショット 2016-08-10 19.39.13(ミガクル Facebookページ)

 

というわけで、開業から1年経ちようやくネットからの問合わせが増えてきました。先週は1週間で5件の問い合わせがありました。しかも、そのうち1件はインターン希望の方でした。そうなんです。現在、一緒に靴を磨いているくれる方も募集中です。

1年経って、予算の限られている私のような小さな会社はインターネット広告などのいわゆる飛び道具を活用してもさほど効果はなかったですが、SNSでの情報発信などは地味に効いてきています。

ようやくネットからの集客も視野に入るようになりました。

 

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「出張靴磨きミガクル」サイト

 

【過去の週報】

ニイナナ週報005号 人脈作りには、交流会に行くよりも、交流会を開けばいいんだと気づいた。

ニイナナ週報004号 スニーカーやパンプスを磨けるようになったら単価が上がった、という話

ニイナナ週報003号 キャビンアテンダントはできる男かどうかを靴を見て判断してるらしい。私はその説を信じます

ニイナナ週報002号 DMよりもWEB広告よりもビジネス交流会よりも、結局知り合いからの紹介クチコミが100倍効率よかった

ニイナナ週報001号【公式】出張靴磨きサービスのニイナナ株式会社が広報活動を行います。

【お知らせ】

Books&Appsでは、企業の広報活動を支援するサービスを行っています。ご興味のある方はこちらのお問い合わせフォームからご連絡ください。

 

 

 

 

 

 

会議をうまく進めるコツ、それは論点を明らかにすることである

ある友人が上司の会議の進め方についてこんな愚痴をこぼしていました。

 

「うちの上司さ、とにかく会議が好きなんだよね。「ミーティングしたいんだけど、ちょっといい?すぐ終わるから」とか言ってチームのメンバー集めるんだけど、ちょっとで終わった試しがない。」

 

私は会社員時代を振り返りながら、”上司の気まぐれミーティング”に巻き込まれ、よく業務が中断されたなぁと懐かしく思い出していました。

 

「いきなり「今月沢山起きてるクレームについて、どう思う?」とか聞かれてさ。別に考えてないわけじゃないけど、突然そんなこと聞かれても急に答えられないよね。

とりあえずみんなその場で思いつくことを言うんだけど、なんか、途中でよくわかんなくなっちゃうんだよね。で、みんながワーワー喋るから話がとっちらかっちゃって、最後は上司が強引に自分の結論に持っていく。」

 

確かに、そんな感じの会議に何度か出くわしたことがあります。

というよりファシリテーションが下手な上司の会議は、いつもそんな感じでした。一応こちらの意見を求めてくるのですが、基本的には受け入れない。本人の中ですでに結論は出ており、最後はそれをみんなで黙って聞く。メンバーは「ハイ、わかりました」と渋々頷き、無理やり会議が終了する…。

こういった会議の後は、いつもどこか腑に落ちず、モヤモヤした気分になっていました。半分は上司の強引な進め方に対する不満で、もう半分は「なぜ話がかみ合わずに、議論がとっちらかっちゃったんだろう」という疑問からくるモヤモヤです。

 

会議をうまく進めるコツは論点を見つけること

会議を回すのが下手なひとがいる一方で、ファシリテートが上手いどころか、会議を使って部下を育成までしちゃうすごい上司もいます。

私がコンサル会社に勤めていた時のAさんも、そんな一人です。

他の上司のミーティングは、たいてい成績の悪い営業パーソンを数字とロジックで激づめし、「お前らもこうなりたくなければちゃんとやれよ」という公開処刑スタイルでした。会議後に残るのはとてつもない疲労感とモチベーションの低下です。

 

しかしAさんが開くミーティングの後は、なぜか爽快感が残ります。

「しっかり議論したぞ。あの人の意見は目から鱗だったな。チームの課題がわかったぞ。次にやることが見えてきた!」みたいな感じで、ヤル気もみなぎり、少しパワーアップした感覚になります。

あまりに実のある会議なので、ある時会議のコツは何かと聞いてみました。すると彼は「論点を明らかにすることだ」と言いました。

確かにAさんは、定例会議の冒頭で必ず論点を明確にしていました。途中で話がごちゃごちゃしてくると、いつも誰か(たいてい傍観している新人)を名指しして「この会議の論点はなんだ?」と突然質問するのです。

口頭だけで共有できない場合は、ホワイトボードに論点を書き出させます。そうやってその場にいる全員が、常に論点に沿った議論ができるように軌道修正をかけていました。

 

「論点がずれているから話がまとまらないんだよ。」

確かにおっしゃる通りだけれど、この論点を見つけて明らかにするという行為は、誰もが簡単に出来ることなのでしょうか。

 

論点とテーマをごちゃごちゃにしない

そもそも論点とは一体何なのでしょう。

 

経営コンサルタントで『論点思考』の著者である内田和成氏は、論点を「解くべき問題」と定義しています。解くべき問題は一体何か。言い換えれば、我々がどのような問題意識を持っているか、ということです。

例えば会議のテーマが”売り上げアップ”だったとします。売り上げアップはあくまでテーマであって、この時点ではまだ論点ではありません。このテーマに問題意識が加わることで、論点となります。

営業会議の場で、ある人が「売り上げを上げるためには、他社との差別化を図った新たな商品を開発すべきだと思います」と発言したとします。そしてもう一人が「いや、新規顧客を開拓するためには、顧客に響くような広告を打つべきだと思います」と発言します。

 

さて、二人の論点は合っているでしょうか、それともずれているのでしょうか。

 

この二つの意見は、大枠で言えば売上アップという同じテーマで議論をしているのですが、発言者の問題意識は異なっています。

前者は「今の商品では競合に勝てないので、そのためにどうすれば良いのか」という問いから始まっているのに対して、後者は「商品自体に問題はないが、今の広告の打ち方では商品の魅力を十分に伝えられていない」という問題意識を抱えています。

このように「〜について」という曖昧なテーマの中で議論を始めてしまうと、論点がずれているのに気づかないまま、議論を進めてしまうことがあります。

解決すべき問題、つまり論点が正しく設定されていないうちに、正しい答えは出てきません。論点の設定の仕方こそ、議長の力量が問われるところです。

 

どうすれば問題意識を持って会議に臨めるか

さて、そんな風に話すと「上司(議長)のプレッシャー半端ないな」と感じて、誰も会議をファシリテートしたくなくなっちゃうかもしれません。

しかし、会議は参加者全員の共同作業。問いの設定を議長に丸投げするのではなく、参加者自身も「解くべき問題は何なのか」を意識することが重要だなーと、自省も込めて感じます。

って言われたって、論点なんか見えてこないよという人は、日頃の問題意識が低いか足りないかのどちらかなんじゃないかと思います。

問題意識が低いというのは、目線が低いということ。

営業パーソンはせいぜい目の前の売り上げをどうしようとか、凡ミスをどうリカバリーしようとか、自分の身の回りの問題だけに焦点が絞られてしまいます。こんなアリさん目線では、いつまでたっても上司との間に論点のズレが生じてしまいます。

私も新人の頃は、冒頭の上司に「で、結局論点は何なの」と毎回鋭く突っ込まれていました。その度に(間違った答えを言ったら自分の考えの浅はかさが露呈してしまう…)と冷や汗をかきながら答えていました。

でも、そうやって答え合わせをすることで、自分よりも上のポジションの人がどんな視点で物事を考えているのか、少しだけ想像できるようになりました。今となってはこのトレーニングのおかげで、論点を考える癖がちょっとはついたと感謝しています。

また問題意識が足りないという場合は、普段からその仕事に対して真剣に向き合えていない裏返しなのかもしれません。

何かに夢中になって本気で取り組むからこそ課題もたくさん見えてくる。なんだか精神論になっちゃいますが、結局目の前の仕事を自分ごととして捉えて真剣にやることが、論点思考を磨く大前提なのかもしれません。

 

もしあなたが会議に参加中「この議論はどこに向かうのだろう…」と感じることがあったなら、ぜひ論点を見極める練習をしてみてはいかがでしょうか。受け身の態度で嫌々参加するよりも、得るものは結構あると思いますよ。

 

 

−筆者−

大島里絵(Rie Oshima):経営コンサルティング会社へ新卒で入社。その後シンガポールに渡星し、現地で採用業務に携わる。日本人の海外就職斡旋や、アジアの若者の日本就職支援に携わったのち独立。現在はフリーランスとして活動しながら、Books&Appsの編集にも携わる。

筆者Facebookアカウント http://www.facebook.com/rie.oshima.520

 

(photo by christina burbank

仕事の範囲を決めることについて。

社会人になりたての頃、先輩とこんな会話をしたことがある。

 

「社内の人たちの名前はもう覚えた?」

「顔と名前はだいたい一致するようになってきました」

「名前を覚えたほうが仕事もしやすいよね。いろんな人がいるでしょ?」

「そうですね。でも、関わったことがない人も多くて、仕事の進め方や性格まではわからない先輩も多いです」

「だんだんわかってくるようになるよ。『自分の仕事はこれ』と決めて、それ以外のことは一切やらない人もいたり……」

「それは、仕事へのスタンスとか、どういう働き方をしたいかという価値観の問題ですよね」

「そうだね。ただ、やっぱり好ましく思わない人もいるよね」

 

“好ましく思わない人もいる”という事実を聞かされ、自分の中で2つの思いがぶつかり合った。

それは、「仕事へのスタンスは人それぞれでしょ」という思いと「とはいっても、範囲外の仕事は全くやらないという人とは仕事はしづらいだろうな」という思いだ。

 

先輩はあの会話で、「そんな人にならないでね」と伝えているような気がした。

 

☆★☆★☆

 

先輩の言っていたことをきっかけに、“仕事の範囲”について考えるようになった。そもそも、あなたが思っている“仕事の範囲”は誰が決めたものなのか。上司? あなた自身? 

「あなたの仕事の範囲はここからここまでです」と明言されたことがある人は、実は少ないのではないだろうか。

そうだとすると、“仕事の範囲”は自分が思い込んでいる範囲にすぎず、周囲の人が期待する範囲と一致しない可能性もある。

 

だからといって

「仕事の範囲は広ければ広いほど良い」

「範囲なんて決めずに何でも積極的にやるべきだ」

と言うつもりはない。幅広くはなくても、専門性を身に付けて極めていくことにも価値はあるし、時間は有限なのだから優先順位をつける必要があり、何でもやれば良いというものでもない。

 

☆★☆★☆

 

「電話がワンコール以上鳴らないようにするにはどうするべきか」についての議論に参加した時のことだ。ある人はこう言っていた。

 「これは、責任の所在が明確になっていないからこそ起こる問題だと思う。電話をとるのは誰の仕事なのかが決まっていないと、結局『とれる人がとろう』という話になってしまい、忙しくなると誰も電話をとらなくなってしまう。『新入社員の仕事』とか『一般職の仕事』というように、誰の仕事なのかを決めることで責任の所在が明確になり、誰もとらないということはなくなるのではないだろうか」

 

なるほど。その通りだと思い、私は頷いた。しかしこの直後、別の人がこう発言した。

「『誰の仕事か決めていない』のではなく『全員の仕事だと決めている』という考え方はできないだろうか」

 

これにはハッとした。たしかに、『電話をとるのは●●の仕事』と限定して決めてしまえば、“電話に出ない問題”は解決するだろう。

決めるだけだから、簡単と言えば簡単だ。一方、『全員の仕事と決める』のは、考え方は違うものの、実質的には『誰の仕事かは決めない』のと同じであり、“電話に出ない問題”が解決するかどうかは社員11人の意識の高さに左右されてしまう。

容易に解決するものではないが、後者の方がより仕事の本質に迫っているように感じた。

 

☆★☆★☆

 

仕事の範囲を決めることの賛否を論じるつもりはないが、仕事の範囲を決めると、責任の所在が明確になるという点には、多くの人が納得するだろう。

そのため、ある程度範囲を決めることは必要だ。「これは私がやる!」という気持ちが責任感にも繋がると思う。ただ、決めた範囲を固定化してしまうと、周囲の人にとって仕事がしづらい人になってしまったり、新しいことへの道が閉ざされてしまったりして、もったいないのではないかとも思う。

仕事の範囲は常に更新していきたいものだ。

 

☆★☆★☆

 

ではまた!

次も読んでね!

 

 [プロフィール]

名前: きゅうり(矢野 友理)←名前をクリックすると記事一覧が表示されます

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

著書「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri

ブログ:「微男微女

 

組織は「苦労」や「一生懸命努力すること」を美化してはいけない。

仕事柄、「自己責任」を強調する組織によく遭遇した。そう言った組織のマネジャーは大抵、

「伸びる奴は他人のせいにしない」

「仕事は量をこなせば、質に転換する」

「考える前に動け」

といった教条的なことを呪文のように繰り返していたものだ。

 

しかし、ほとんどの場合そう言った組織の労働条件は極めて悪く、また「皆が頑張れば頑張るほど仕事が辛くなっていく」という負のスパイラルに落ち込んでいた。

私はそう言った会社の社員からいつも、

「私が頑張れないのが悪いんですよね」

「成果を出せていないので、とてもマネジャーに申し訳ないです」

「もっともっと頑張れば、別の世界が見えますよね」

といった話を聞いていた。

 

そして、私にとってはそれがいつも疑問だった。

 

——————–

 

努力すること、苦労することは紛れもなく大事なことである。

が、それは個人の内面的な話にとどめておいたほうが良い。むしろ、人に強要してはならないし、賞賛するにしても、個人として賞賛するに留めるべきだ。

 

逆に、組織が「苦労」や「一生懸命努力すること」を美化しているのであれば、それは「危険な組織」と言っても良いくらいである。

 

「1984年」などの著作で世界的有名な作家であり、ジャーナリストであるジョージ・オーウェルは「動物農場」という寓話小説を残している。

人間の農場主が動物たちの利益を搾取していることに気づいた「荘園牧場」の動物たちが、偶発的に起こった革命で人間を追い出し、「豚」の指導の下で「動物主義」に基づく「動物農場」をつくりあげる。

動物たちの仲間社会で安定を得た彼らであったが、不和や争いが絶えず、最後は理解できない混乱と恐怖に陥っていく。結果的に支配者が入れ替わっただけで、人間が支配していた時以上に抑圧的で過酷な農場となる。(動物農場:Wikipedia)

 

この小説は恐怖政治を批判した作品であるが、私が最も興味深いと感じたのは、組織の中で、自己責任で誠実な努力を行う人物が、逆に皆を苦しめる結果になっている点である。

 

登場人物の一人に「ボクサー」という馬がいる。

彼は、朝、他の連中より三十分早く起こしてもらうように、若いおんどりの誰かと打ち合わせをしておき、いつも、正規の仕事がまだ始まらないうちから、何かによらず一番困っている仕事に、進んで力を貸してやるのだった。

どんな難問題にぶつかった時でも、どんな障害に出くわした時でも、「わしがもっと働けばよいのだ!」というのが、彼の口癖だった。

 

これが美談に見えたら危険だ。

単純に言えば、彼がよく働くことで、独裁者のマネジメントの稚拙さがカバーされてしまい、組織の構成員はますます過酷な努力をしなければならない状況に追い込まれていくからだ。

これは、独裁的なマネジメントの存在する企業においてよく見られる。

 

そう言った企業ではサービスの質や、ビジネスモデルなどの組織の根源的な問題が放置され、「意欲」や「理念」というものを盾に、経営者が従業員を鞭打つのみ、というマネジメントに堕落しがちだ。

 

 

MITスローン経営大学院のピーター・M・センゲは著書「学習する組織」においてこの現象を「相殺フィードバック」と呼ぶ。

多くの企業が、自社製品が突然に市場での魅力を失い始めるとき、相殺フィードバックを経験する。企業はより積極的な売り込みを推し進める―それが今までいつもうまく言っていたやり方だ。宣伝費を増やし、価格を下げるのである。

こう言った方法によって、一時的には顧客が戻ってくるかもしれないが、同時に会社からお金が流れ出ていくので、会社はそれを補うために経費を切り詰め、サービスの質(例えば、納期の早さや検査の丁寧さ)が低下し始める。

長期的には、会社が熱心に売り込めば売り込むほど、より多くの顧客を失うことになるのだ。

私が見た現象は、サービスの質を改善せず、全員を「テレアポ」と「飛び込み」などの労働集約的な仕事に邁進させる、というやり方だったが、上と全く結果は同じであった。顧客は流出し、人材は会社を辞め、競合にシェアを奪われたのだ。

 

 

悪いのは「私」と決めつけてはいけない。悪いのは「経営者だ」と決めつけるのもダメだ。

うまく行っていない本当の原因を徹底的に、客観的に直視し全体を俯瞰すること。つまり「頭を使え」ということである。

頭を使わない組織に堕ちた時、会社は崩壊を始める。

 

 

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Josep Ramis

「やりがい」も「お金」もない仕事。私はどうすればいいの。転職の3STEP

やりがいもお金もない仕事。

仕事の「やりがい」を取るか「お金」を取るか?まるで2者択一のように言われる時があるが、どちらもない私はどうすればいいんですか?

Books&Apps過去の記事を参考にした「転職の3STEP」。

 

STEP.1 まずは自ら「やりがい」をつくれ

まずは今「やりがい」を持つ努力をしよう。「やりがい」は人それぞれである以上、人から与えられるよりも、自らそれを生み出した方が容易い。その「やりがい」は会社内からだけとは限らない。

1-1 仕事を楽しくする方法 

一介の技術者だった彼が、どうやって仕事を楽しいことにしたか。より

Hさんは自分のできる範囲で、次々に新しいことを始めた。「単純な作業が、もっと効率化できることに気づいた」と彼は言う。設計の標準化、テストの省力化など、彼は思いつく範囲でお客さんに交渉することを覚えた。

そして、彼はふと気づいた。「仕事をたのしくするってのは、こういうことなんだな」

1-2 仕事のウデを上げる方法

「会社の仕事ばかりやっていると、ウデが上がらないので、他の会社の手伝いをしていますよ。」の本質より

あるエンジニアは、「会社の仕事ばかりやっていると、ウデが上がらないので、他の会社の手伝いをしていますよ」という。

あるwebマーケターは、「いろんな会社の仕事をしたほうが事情に明るくなりますから。」と、副業に精を出す。

「やりがい」を見つけても、今の会社に決して満足できないならば、STEP.2へ

 

STEP.2 従業員を大切にしている会社を探せ

「お金」や「やりがい」のことは一旦忘れて、「従業員を大切にしている会社」を探そう。例えばこんな会社。

2-1 従業員を大切にしている会社(社長が謙虚な会社)

結局、経営者が「やりがい」を強調する会社ほど、本当はあまりやりがいのない仕事なのかもしれないな。より

「成長」とか「夢」とか「やりがい」とか、うちはそんな派手なものはないけど、誠実に仕事をする人が報われるように社長が頑張っている。

仕事って本来、やりがいとかを強調するようなものではないんじゃないかな。ウチの社長はいつも言ってる。

「いいお客さんと、いい仕事を用意すれば、社員は勝手に仕事を楽しんでくれる」

2-1 従業員を大切にしている会社(社長がギラギラしている会社

仕事は「お金」も「やりがい」も欲しくて当たり前。より

「金もやりがいも欲しい人しか、採用したくないですよ。」

と、その経営者は言った。

「お金なんかいらない、なんて嘘じゃないですか。私は嘘は嫌いです。あるいは、やりがいなんていらない。お金だけください、なんて、そんな面白くない人物と仕事はしたくないです。だから、私は「お金もやりがいも欲しい」っていう人しか、採用しません。」

「従業員を大切にしている会社」が見つけることができたならば、STEP.3へ

 

STEP.3 素直に「お金」をくださいと話せ

「従業員を大切にする会社」は、従業員の声に耳を傾けてくれる会社である可能性が高い。自ら「やりがい」を持って仕事することができれば、その会社に自ら素直に「お金」の話をすることができる。

中途採用面接で、志望動機を聞かれて「もっと給料が欲しかったからです」と回答した人がいた。より

「なぜ、転職を考えたのですか?」

通常であれば、ここで返ってくる回答は、「上流工程をやりたかったので…」であったり、「お客さんと直接話せる仕事がしたかった…」など、当り障りのない回答がほとんどだ。

しかし、彼は違った。開口一番、

「はい。もっと給料が欲しかったからです」

と言ったのだ。

 

「やりがい」を自分で見つけ、「従業員を大切にしている会社」を探し、「お金」の話もできれば、自分なりに納得できる「やりがい」と自分なりに納得できる「お金」を手に入れることができる。

 

おまけ

「仕事は所詮、壮大な暇つぶし」と言う話。より

「だから、ウチはみんな定時には帰ってもらうし、子育てもきちんとやってもらう。」

「仕事は大丈夫なんですか?」

「成長成長、っていうから、大変なんだよ。困らない程度に程々を狙えば、さほど仕事は難しくない。大体、なぜ会社を大きくしなければならない?殆どの場合は、経営者の野心に社員をつきあわせてるだけだよ。」

しかし、当然ながら、仕事だけしていても幸せになれるとは限らない。

以上

 

過去の振り返り記事一覧

こうやって人は、変われなくなっていく。

一人の新卒がいた。

彼は自分の能力に自信を持っており、100%ではないものの、自分の希望した会社に入れたことに満足していた。同じ新卒の仲間と新人研修では切磋琢磨しあい、時にはチームが高い評価を受けることもあり、彼は希望に燃えていた。

 

そして、新人研修が終わり、配属が決定した。驚いたことに、彼は希望の部署に行くことができなかった。あれだけ研修で頑張ったのに何故……。疑問だった。

人事に理由を聞いても、「理由は言えないが、適性を考慮したため」という返事が返ってくるだけ。

 

彼は、「世の中というのは、希望通りに行かないこともあるのだ」と、自分を納得させるしかなかった。

 

 

彼が配属されたのは営業だった。

会社の営業部は厳しいことで有名で、新人といえど、それなりの目標を達成することが求められる。彼が求められたのはこれから1ヶ月間の間に、次の2つの目標を達成することだった。

「テレアポで1週間の間に3件のペースでアポイントを獲得すること。」

「ある展示会に顔を出し、そこで名刺を100枚集めること」

彼は「嫌な仕事だな」と思ったが、先輩から「全員これをやって、営業の基本を学ぶんだ」といわれ、覚悟を決めて取り組んだ。

 

結果、展示会の方はなんとか目標を達成することができたが、テレアポはどうにも苦手で、彼は結局、一回も目標を達成できなかった。

もちろん自分のプライドに掛けて、彼は努力した。先輩にスクリプトをもらい、練習をし、自分で声を録音してチェックをした。だが、彼は目標を達成できなかった。

 

表彰される同僚を見ながら、彼は「努力って、報われない時もあるのだな」と実感した。

 

 

新人時代が終わり、彼は営業として正式に顧客を担当することになった。

彼の担当は10社、加えて新規開拓についても数者の目標値が与えられ、活動することになった。しかし、担当顧客のうちの1社は難しいことで有名な顧客だった。

取引額が大きく、大事にしなければならない顧客なのだが、どうにも理不尽な要求が多いことで有名だったのだ。

「休日にもクレームで呼び出される」

「顧客の担当者が細かい人物で、些細なミスであっても強烈な叱責を受ける。」

「値引き要求に対しては、担当者を個人的に接待することで、条件を緩和してもらう」

など、彼は「商売の現実」をつきつけられた。

 

彼は取引先の要求をひたすらこなしながら、「とにかく、波風立てないように振る舞うにはどうすればよいか」を学んでいった。

 

 

4年が経過し、彼は初の異動となった。

新しく配属された部署は、新規事業の立ち上げを担当する部署。彼は既存の仕事に嫌気がさしていたので、「一度別のことをしたい」と希望を出した結果、それが通ったのだ。

「この会社も捨てたものではない」と彼はまた、希望に燃えて仕事をすることになった。

だが、その期待は1ヶ月で裏切られた。

新規事業の立ち上げは困難を極めていたのだ。会社の都合で作られた、ニーズのない新商品は、顧客に全く活用してもらうことができなかった。

ニュースリリースこそ華々しく、目立っていたもののその後の受注は殆ど無く、「抜本的な商品の改良が必要」という現場の声も、担当役員から「別の部署とお客さんの食い合いになってしまうので、商品のスペックを変えることができない」と、無視された。

 

当然、彼の評価も最低レベルであり、ボーナスも大幅に減額されてしまった。彼は「会社というものは、新しいことを始めると損をするのだな」と学んだ。

彼は元の部署に戻してもらい、新規事業のチームは解散した。

 

 

7年が経過し、彼は月間で最高の成績を残すなど、徐々に成果を出せるようになっていった。やはり、地道にコツコツやるのが一番だ、と彼は実感していた。

現在担当している顧客で面倒な客はいない。上司からの信頼もそれなりにある。

彼は入社して初めて、「自分は仕事ができるようになってきた」と実感していた。そして、最近ではちらほら、同僚の昇進の噂も聴く。

彼はそれを聞くたびに、昇進したくてたまらなかった。この働きを認めてほしい、報われたいと切に願うようになっていた。

 

上司からも「今年は狙えそうだな」という言葉をもらい、満を持して迎えた評価の時期。

だが彼に昇進はなかった。その代わり、同期の別の人間が数名、評価されて昇進していた。だが彼は納得がいかなかった。「奴らよりオレのほうが数字が上だし、仕事ができるのに……。」

上司に理由を聞いても「来年頑張れ」と言われるだけで埒があかない。

 

そんな時、一つの噂を聞いた。

噂によると、うちの部門長よりも、同期の所属している部門長のほうが社長の信頼が厚いらしい。それで、うちの部門では昇進は1名だったのに、彼らのところは3名も昇進できたのか、彼は思った。

彼は「会社というのは、自分の力だけではどうにもならないことが多すぎる」と学んだ。

 

 

9年目のある日、彼は突然「転職」を考えるようになった。

知人が転職で某有名スタートアップに入社した、というのだ。彼はそれが羨ましく、妬ましかった。

「そういえば、自分の市場価値はどのくらいなのだろう」

彼は大手の転職サービスをwebで探し、紹介会社のキャリアカウンセラーに自分の市場価値を聞いた。

「営業として活躍されてますが、そうですね……こんなものです……。」

と示された転職先と年収の予測は、彼のイメージするものとはかけ離れていた。実際、彼は紹介会社から「高く売れる人材」として見られてはいなかった。

彼はがっかりして、転職する元気も失った。

「仕事、つまんないな……。」

彼は学んだ。「仕事とは、大して面白くもないものを、絶えて行う苦行なのだ」と。

 

 

そして12年目、今年も新人が配属されてきた。

その新人はいつも配属されてくる、従順な新人とは違っていた。上司や先輩に対しても歯に衣着せぬ物言いをしてくる。

「こんなやり方、非効率です」

「もっといろいろ、やれることがあるはずです」

その新人は精力的働いたが、度々会社のルールを逸脱することもあった。

例えば、一人ひとりに割り当てられたテレアポと名刺集めのノルマを、同期で勝手にチームを編成し「テレアポチーム」と「名刺集めチーム」に分けて、効率よくやろうとした。

そして、それはとてもうまく行った。特化することで時間の無駄、ノウハウの共有などがスムーズに行われるようになったのだ。

 

しかし、それは会社にとって見れば伝統と異なる「ルール違反」であった。

当然彼も「ルール違反はやめろ」と新人に言った。

すると新人は「何言ってるんですか、成果が大事なんでしょう?やり方は変えてもいいはずです」という。

しかし、彼は納得がいかなかった。「会社の決めたとおりにやることが、大事なんだ」

新人は彼を見下したように、「わかりましたよ」と吐き捨てるように言った。

 

数カ月後、その新人は会社を辞めた。

知り合いのつてで、先日上場した伸び盛りの会社に誘われたそうだ。

しかし彼は羨ましい、とすら思えなくなっていた。彼はもはや、ひたすら変化に抵抗した。自分のやり方が批判されることにも我慢がならなかった。

 

 

彼が学んできたことの全ては、「変わることはできない、彼に大したことはできない」であったのだ。

 

 

 

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Ed Dunens

 

思考を止めないことの重要性に気づいた時のこと。

ある日、私は都内で商談のため、とあるオフィスビルに訪れた。皆さんも一度は乗ったことはあるだろう。スケルトンのエレベーター。

なんともお洒落で私は好きだ。この日も、そんなエレベーターに乗った私は、ふっと「そう言えば何でスケルトン何だろうか」と考えた。

 「最先端的なお洒落感を醸し出すことが出来るから?いや、エレベーター内での痴漢などの犯罪防止という理由もあるかもしれない」

 そんなことを考えた。

 

疑問を持ったことすら忘れた

数か月後。 

某テレビ番組で手話の通訳士として活躍している難聴の方(ここではAさんとする)とお話することがあった。

その日は、音の聞こえる世界と聞こえない世界についてや、私達健聴者が普段当たり前と思っていることが、実は当たり前ではないというお話など、様々なことをお話して下さった。 

その中で、下記の内容はAさんが全て手話で私に伝えてくれた内容の一部である。

 

Aさん「シャンプーボトルにギザギザがあるのって知っていますか?」

私「確かにそういえばそうですね!でも何故でしょう…。そうか!!シャンプーとリンスを間違えないようにするためですね!?」

Aさん「そうです。これは、シャワーを浴びて目が開けられない状態の時や、盲目の方が、シャンプーとリンスを間違えないようにしているんですよ。普段何気なく気になっていても答えを知らないことって案外沢山ありますよね。」

私「なるほど。」 

Aさん「このビルのエレベーターってどんなだったか覚えていますか?」

私「どんなだった?そういえば、スケルトンだったのが印象的でした。」

Aさん「そうですね。では、それは何故だと思いますか?」

私「え?おしゃれ…とか…デザイン的な要素が大きいのかなと…?あと犯罪防止!」

Aさん「それもあるかもしれませんね。でも、中から外を見えるこのスケルトンのエレベーターは私達のような聴覚障がいのある者にとっては、とても大切なことだと言えるのですよ。」

 

つまり、エレベーターに乗っている時に、地震や災害など何らかの事情で閉じ込められた場合、健聴者の場合は、電話のマークの非常ボタンを押して外部に助けを求める。しかし聴覚障がい者は、このボタンを押しても音声でのやり取りが出来ない。

しかし、外から中が見えると、駆けつけてくれた外部の人に筆談や身振り手振りで伝えることが出来ると言うのだ。

また、健聴者にとっても外が見えることで、自分の置かれている状況がわかり安心感を与えるという効果もあるという。

 

なお、現在ではエレベーターの中にも耳のマークの「聴覚ボタン」を設置しているものもある。

非常時に「聴覚ボタン」が押されると、聴覚障がい者の存在を係員に知らせることができ、エレベーター内のモニターに「係員が向かっています」など対応状況が文字表示されるのだ。

それと同時に係員が筆談の準備や手話の出来るスタッフと共に駆けつけるようになっている。そんなエレベーターも存在する。

 

その時、以前何となく考えた時のことを思い出した。そう言えば、私はこの事柄について確かに気になったことがあったではないか。でも、実際に調べたり、誰かに聞いたりはしなかったし、そうしたうちにスッカリそのことを忘れていた。

 いつ忘れたのか忘れたくらいである。人って忘れる生き物というのは本当だったのだ。

 現代の忙しい日々を送る私達は、気になったことをどれだけ覚えているのだろうか。いや、よく考えたらちょっとした気になる事柄を含めると、私の平均だと、たった数分、いや数秒でも忘れてしまっている気がする。

 

思考を止めない実験

 では、実際に1日の生活の中で気になったことをピックアップしてみたら実際どのくらいあるのだろうか。

 そう思って、朝起きて家を出るまででメモを取ってみることにした。

 

・汗をかくとかゆくなる(あせも)になるのはなんでだろう。

・赤みそと白みそって何が違うんだろう。

・朝食って本当に必要なのだろうか。

・硬水と軟水って何が違うんだろう。

・逆立ちして水って飲めるのだろうか。

・天気予報でよく使う「一時」と「ときどき」はどう違うんだろうか。

・この洋服の原価っていくらなんだろうか。

・金属アレルギーの人とそうでない人の違いはどこにあるのだろうか…

 

結果的に朝起きて家を出るまでの1時間程度で上記に書いている10倍以上の数になった。

 

これはキリがない・・・。

  

まだ、太陽の光に当たっていない状態でこの気になる数とは、どういうことなんだろうか。一歩外に出ることを考えると恐ろし過ぎる。

外に出れば人や物や植物・動物など、物理的なもの以外にも、ありとあらゆることが興味の対象になってしまう。そうなると、きっと24時間で相当数の気になることや知らないことが出てくるのが容易に想定することが出来てしまうのだ。

 そう考えるといかに私達は頭を使わずに生きようとしているかがわかる。

 

「思考を止めるな」と昔の上司からよく言われた。

当時はとにかくビジネスにおいて戦略・戦術・マネジメントなどをとにかく毎日考えて、トライアンドエラーをする日々を送っていたが、確かに、「思考を止めない」という発想のおかげで常に新しい考えに出会うことが出来たと思う。 

いわゆる「●●オタク」と言われる人達が、ある事柄に関して深い知識を持っているのは、どんな小さな「気になる」も、日々に忙殺されることなく、きちんと自分の中に蓄積させ、知識として取り入れているということを怠らないからだろう。

 

私達の生活の中で普段何気なく気になっていても、答えを知らないことは山ほどある。

「思考を止めない。」そうすれば毎日本当に色々な情報が入ってくるのだということに今更気づく事が出来た。

毎日全ての「気になる」を、正しくインプット出来たら、「ウザイほどのうんちく王」か「歩く辞書」。言い方を良くすれば「圧倒的な知識人」になれる。

興味が湧いたことを11つでもきちんと書き留めて、自分の知識として吸収出来たら、きっと何かがかわる気がする。 

「思考を止めない。」実に重要なことである。

 

 

【プロフィール】
名前:KOEHIRO 
23歳でベンチャー企業の役員に就任。それと同時期に結婚するという怒涛の20代前半を過ごし、現在はフリーランスとして様々な事業に挑戦中。
 

コミュニケーションが苦手な人こそ、マナーや礼儀作法を身に付けてほしい

マナーや礼儀作法って必要だと思いますか?

 

「上司世代が実は不要だと思う『飲み会マナー』」についてさまざまな声が集まるTL

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(画像:http://togetter.com/li/1008175)

リンク先は、「上司世代が実は不要だと思っている礼儀作法」についてのtwitterユーザーの声です。

「ビールの注ぎ方」や「上座下座」に賛否の声が集まっていますが、20世紀に比べると、宴席のマナーの縛りはゆるくなっていると言えるでしょう。

 

私も、若い頃はこうしたマナーや礼儀作法に悩まされました。堅苦しい感じがするし、理不尽な感じもするし、面倒くさいし。ただでさえ出たくないフォーマルな飲み会を、一層しんどくしているのがマナーや礼儀作法だ、と思ったものです。

でも、ある程度年を取り、いくらか冷静にコミュニケーションについて考えられるようになってからは、マナーや礼儀作法にも役割があって、なるべく身に付けて、なるべく実行したほうが良い、と思うようになってきました。

 

マナーや礼儀作法は失点を減らし得点を増やしてくれる

宴席に限らず、マナーや礼儀作法は慣れないうちは面倒くさいので、敬遠したがる人も多いでしょう。でも、マナーや礼儀作法を身に付けていれば、職場でも、職場以外でも、コミュニケーション上のメリットは色々あります。

メリットというより、デメリットの回避、のほうが大きいかもしれません。マナーや礼儀作法を守っていたからといって、コミュニケーション上の得点はあまり稼げません。

しかし、マナーや礼儀作法を守っていないとコミュニケーション上の失点になってしまう場面はよくあります。

 

最近の三十代~四十代の上司なら、マナーや礼儀作法にうるさくないかもしれませんが、たとえば、もっと年配の偉い人とコミュニケーションする際には、マナーや礼儀作法を守れていたほうが「失礼な奴だ」と思われにくいでしょう。

上司のお供として、社外の偉い人との会合に出席した時に、上座下座もわからないようでは、その偉い人に「失礼な奴だ」「部下の躾のなっていない会社だ」と内心で思われるかもしれませんし、そうでなくても、上司はばつの悪いを思いをするでしょう。

 

あなたの上司がマナーや礼儀作法にうるさくなくても、ほかの上司やほかの偉い人まで同じとは限らないのです。

ということは、マナーも礼儀作法もできていない人は、あちこちで「失礼な奴だ」と思われるリスクを抱えているってことですし、「上司にとって、偉い人のところに連れていきたくない部下」という印象が拭えないってことです。要らぬところで不興を買いやすく、出世もしにくいでしょう。

 

逆に、20代のうちからマナーや礼儀作法がキッチリ身に付いている人なら、上司としてはどこでも連れていきやすいし、年配の偉い人も「近頃の若いモンにしては、しっかりしているな」と思ってくれるかもしれません。

仕事以外の会合でも、初対面の相手とコミュニケーションをとる際には、マナーや礼儀作法は身に付いていたほうが良いと思います。

なにせ、「マナーや礼儀作法にうるさい」人がどこに潜んでいるかわかりませんからね。

と同時に、「おっ!こいつマナーや礼儀作法が結構できてるじゃないか」って評価してくれる人もどこに潜んでいるかわかりません。

そうでなくても、たとえば婚約相手のご両親に会いに行く時なども、マナーや礼儀作法をしっかり守れるほうが、守れないより心証が良いんじゃないでしょうか。ご両親がマナーや礼儀作法にフランクな人だったとしても、初対面でマナーや礼儀作法をとりあえず示せる人のほうが、心証が良くなると思います。

 

コミュニケーションが苦手な人こそ、マナーや礼儀作法を身に付けてほしい

世間を眺めていると、「自分はコミュニケーションが苦手だ」と思っている人のほうが、マナーや礼儀作法を嫌っているように見受けられます。

ですが、コミュニケーションが苦手な人こそ、それらをしっかりマスターすべきではないでしょうか。

 

口の巧さやルックスの良し悪しに比べると、マナーや礼儀作法はプロトコルが決まっていて、その気になれば大抵の人が身に付けられます。知識と経験とトレーニングだけで、コミュニケーション上の失点を必ずカバーしてくれるって、すごくありがたいことではないでしょうか。

最近は、マナーや礼儀作法を気にする人がだんだん減っているぶん、マナーや礼儀作法の効果が昔よりも弱まっているかもしれません。それでも、マナーや礼儀作法が完全に死んだわけではないし、これからもコミュニケーションのプロトコルとして残り続けるでしょう。

とりあえずマナーや礼儀さえ守っていれば、相手に敬意を払っていることが示せますし、自分自身の社会的な身のこなしの証明にもなるわけですから、これほど便利なプロトコルが廃れるとは思えません。

 

マナーや礼儀作法の奴隷になる必要はありませんが、必要な時に必要な身のこなしができるようにしておいたほうが、世渡りは絶対に楽になるはずです。

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨 ←名前をクリックすると記事一覧が見れます

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)など。 
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』

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【大学探訪記vol.28】遺伝子の起源を「高エネルギー加速器研究機構」で研究している先生がいた。

今回の「大学探訪記」は生物の遺伝子に関する研究の話を取り上げます。

 

まず、遺伝子とは、一体何なのでしょう。殆どの生物の体は小さな「細胞」と呼ばれるものの集合です。

この細胞の中には「核」と呼ばれる物があり、「核」の中には染色体と呼ばれる物質が存在します。この辺りまでは高校の生物学で習った方も多いと思います。

 

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(画像出典:国立スポーツ科学センター http://www.jpnsport.go.jp/jiss/column/saizensen/saizensen_07/tabid/449/Default.aspx)

 

そして、この染色体に含まれているものがDNAです。(詳しい構造が知りたいかたは、上の図を御覧ください)

 

さて、この「DNA」という存在。お聞きになったことのある方がほとんどだと思いますが、一体何なのでしょう。

DNAはひとことで言うと「記録メディア」です。様々な生命に関する情報を分子の配列という形で保管しているメディアなのです。ちょっと乱暴ですが、CDや磁気テープと同じようなものと考えて良いでしょう。

 

ここで疑問なのが、DNAに記録されている情報とは一体何なのか、という話です。

CDには映像の情報や音楽の情報などが書かれていますが、DNAには一体何が書かれているのか。

 

実は、メインとなる情報は「タンパク質の設計図」です。DNAには何の事はない、タンパク質の情報が書かれているのです。

「タンパク質」と言うと、卵や肉などの食料品を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、実はタンパク質は生体内でもっと重要な役割を担っています。

それは、生命活動の制御です。

 

例えば、筋肉を動かすのも、お肌をツヤツヤにするのも、病気を治すのも、食べ物をエネルギーに変えるのも、全てからだの中でタンパク質が作用しているからです。

 

あるものは酵素として、あるものは抗体として、あるものはホルモンとして。我々のからだは、タンパク質に制御されており、その設計図を、DNAは記録しているのです。

 

そして、DNAの中で「タンパク質の設計図」を記録している部分を特に「遺伝子(Gene)」と呼びます。ここでようやく「遺伝子」にたどり着くことができました。

遺伝子は、細胞の中の染色体の中のDNAの一部、タンパク質の設計図の部分のことです。

 

 

 

これについて研究をしているのが、高エネルギー加速器研究機構の安達成彦先生です。

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−今、どのような研究をしているのですか?

そうですね…、例えばヒトのゲノムDNAにはどのくらいの情報量が含まれていると思いますか?

 

−ちょっと想像もつかないのですが……膨大な量なのでしょうか。

いえ、実はヒトですらたった750MB、大体CD1枚分くらいしか情報がないんです。

 

−そんなに少ないんですか。

そうです。そんな少ない情報量しかゲノムDNAは保持していないのに、会議とかスポーツとか、経済活動とか芸術活動とか社会活動とかいったいなんでこんなにいろいろと凄いことができるのか?

おそらくここには、 少ない情報量を活かす、何かすごい仕組みがあるはず、と思い、その研究をしています。

 

−具体的には、どんな研究なのですか?

具体的に言うと、DNAから遺伝情報を読み出す仕組み、転写反応の研究をしています。

「セントラルドグマ」はご存じですか?

 

−いえ。物々しい名前ですね。

セントラルドグマは生物学では、ゲノムDNAから遺伝情報が読み取られ、RNAが作られる「転写」反応。そして、RNAからタンパク質が作られる「翻訳」と言われる反応。この一連の流れのことを指します。

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(画像出典:研究.net http://www.kenq.net/dic/64.html)

 

例えばアルコールを飲むと、それをからだが検知し、アルコール分解酵素(=タンパク質)がDNA上の遺伝子から「転写」と「翻訳」を経て生み出されます。そして、その酵素がアルコールを分解します。

 

−DNAは、容姿や能力を決めるだけではないのですか?

そうです。生きれていれば今この瞬間にもDNAから何かのタンパク質が生まれ、からだの中で働いています。DNAは生命を制御していると言っても良いでしょう。

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−なるほど。DNAは生まれる時だけ使われるわけではないのですね

そうです。そして、私がやっているのは、DNAからRNAが作られる最初の反応である「転写反応」です。

そして、転写反応に必須なのが、RNAを合成する転写酵素です。しかしここで不思議な事が一つあります。DNAの中で特定のタンパク質の情報が書かれている部分、つまり遺伝子は、ほんの一部です。

どうやって転写酵素がDNAから必要な情報だけを読み取っているのか、不思議ではないですか?

 

−うーむ……

実は、TBP(TATAボックス結合タンパク質)というタンパク質が、転写の開始位置を転写酵素に教えています。ですから、このTBP、生物にはとてもとても重要です。

 

−これがないと、タンパク質が作られない、ということですね。

そうなんです。ですが、実は進化的な起源は不明なんです。

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−進化的な起源とは?

単純に言うと、TBPというタンパク質を記録している遺伝子が、いつ生まれたのかわからない、ということです。

TBPは古細菌と真核細胞にはありますが、真正細菌にはないので、約35億年前から約20億年前のどこかの段階で TBPが誕生したことが予想されていますが、はっきりとしたことはわかりません。

 

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TBPは重要なタンパク質ですから、どのように現在の姿になってきたのか、これを突き止めることは生物進化を解き明かす上で重要なテーマの一つです。

もちろん古い遺伝子は現代に残っていません。ですから現在の生物種の中で、祖先に近い遺伝子を持つものがどれなのかを知りたいのです。

 

−下等生物が、祖先に近い遺伝子を持っているのではないのですか?

そこなんです。

一見すると下等生物が「古い遺伝子を持つ」と考えがちですが、人も下等生物も、共通の祖先からは同じ時間が経過しているわけですから、実は人のほうが共通祖先に近い、という可能性もあったわけです。

 

−とても意外です。

そうですね、今回は数学的な手法を用いた新しい手法を開発し、どの生物種が共通祖先に近い遺伝子を持っているのかを突き止めました。

 

−どちらのほうが古い遺伝子なのかわかるということは、かなり価値がありますね。

そうです。

この方法を使うと、 時代とともに遺伝子がどのように変化したかがわかります。さらに応用すると、祖先型の遺伝子も予想できてしまう。これはとても応用範囲の広い研究なんです。

 

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−ところで、先生は何故この道に進まれたのですか?

実は、高校の頃はパイロットになりたかったのですが、視力が悪くてなれなかったんです(涙)。

当時は途方にくれて、寺田寅彦とか小林秀雄とか志賀直哉とかを読んでいたんですが、結局、寺田寅彦に惹かれて物理に進みました。

ただ、物理学の方は当時けっこう完成されてるように見えたので、まだ理論が出てない生物学に進むことにしました。中でも、物理学の視点で生物学に取り組む生物物理に進みました。

生物学に来てみて、生物が人類の開発した機械より優れている点は何かと、考えたんです。

 

−生物は機械に比べて何が優れているんでしょう?

パワーとかスピードとか繰り返し動作の正確性とか耐熱性とかは、生物が機械にかなうはずがないので、研究しても仕方ないと思いました。

ですが、生物が機械よりも決定的に優れていることが3つあります。

 1. 部品の小ささ
 2. エネルギー変換効率
 3. 情報処理の巧みさ

1.2.は、当時教わっていた先生(早大・石渡先生)がすでに取り組んでいたので、3.をやりたいと考えて、TBPを発見した東大・堀越先生のところへ行きました。

そこでいろいろ研究してるうちに、こんなに複雑な反応は、形を明らかにしながらやらないと不可能と思い、KEK(高エネルギー加速器研究機構)の千田先生のところへ行ったという経緯です。

 

−高エネルギー加速器研究機構で行われているのは物理学の実験で、生物学は全く異なる分野のように見えますが……。

実は、かなり関連があります。施設内をご案内しましょう。

DSCF1832

−かなり広いですね。

東京ドーム33個分の広さがあります。自転車に乗ったり、ランニングしている人もいますよ。

そして、ここが実験で使っている放射光施設、フォトンファクトリーです。

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−ここに来た時から思っていたのですが、そもそも、なぜ生物学の実験に粒子加速器が必要なのですか?

詳しくは資料を見ていただくとわかると思いますが、端的に言うと「強いX線を取り出すため」です。加速された電子を曲げると、接線方向に強力なX線が出るので、そのX線を使って、タンパク質の構造解析などをしているのです。

実験室で作った0.01-0.1mmくらいの大きさのタンパク質の結晶を、このピンの先に載せて、X線を当てます。

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すると、下のような回折像が得られるので、逆算するとタンパク質の構造がわかる、という仕組みです。

DSCF1853

−こんな小さなものを見るのに、こんな大きな施設が必要だ、というのも、なにかおもしろい感じがしますね。

タンパク質の大きさは、1mの1000分の1の、1000分の1の、1000分の1くらいなので、普通の光学顕微鏡では見えません。

結晶を作ってX線を使って見ることになります。施設が大きいので、一つの大学だけでは所持できず、国や国民の皆さまのサポートを受けて、複数の大学や企業で共有しているんですよ。

34年前に作られた施設なんですが、まだ現役で活躍できています。設計や建設に携わった方は、相当、先を見越して作ったのだと思います。

 

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−安達先生、今日はご案内いただき、ありがとうございました。研究にご興味のある方は、こちらのページからお問い合わせください。

 

 

 

【人工知能開発の仲間を探しています】「短気、怖がり、根暗」な人が欲しい理由。

こんにちは。株式会社わたしは、社長の竹之内です。

今、我々は「人工知能の開発を一緒にやってくれる仲間探し」をしております。

 

会社の現状をお知らせしますと、我々は「大喜利する人工知能」の開発、サービスを目的とする会社であり、2人でやっている会社です。

会社のルールは特に厳しくなく、唯一あるルールといえば、「制服着用」というくらいです。

そういえば最近、我々の制服である「作業着」について、「どうやって手に入れたの?」という質問をいただく事が増えました。

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この作業着は、自重堂のトモエサクラという由緒ある作業着で、鉄道、市役所、工場などでシェアNo1、デザイン性、機能性ともにトップクラスの逸品で、そのブランド力は「作業着界のルイ・ヴィトン」と言われるほどです。

キャッチフレーズは

「忙しく動きまわることが多いオンタイムをバックアップ。シンプルなデザインとマテリアルから機能美を感じる。夏もタフに闘え!」

スクリーンショット 2016-08-06 19.14.26

(画像:http://www.e-fukuyoshi.com/yuniform/yunim/jichodo/)

 

ですが、我々はオンラインショップでは購入しません。

試着するために取締役の小橋が入社してからすぐに、二人で近くの作業着の聖地とよばれる西新宿の万年屋(まんねんや)に向かいました。

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お店のホームページにも、様々なバリエーションが紹介されており、どのようなコーディネートをするかとても迷いました。

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どの作業着もとても魅力的だったのですが、お店の方にシェアNo1の作業着を聞いた所、「トモエサクラ」の導入実績をお聞きし、我々もそれを購入しました。

会社は私の自宅なのですが、もちろん仕事を始める前は必ず作業着に着替えます。

 

すみません、つい盛り上がってしまいました。

話を元に戻します。

さて我々は「業務提携パートナー」「開発パートナー」「社員」「アルバイト」など、人工知能の開発、サービス提供に協力していただける方を募集しています。

 

一緒に働くにあたっては、我々との相性が重要だと考えておりますが、できれば次の3条件を満たす方が人工知能の開発に向いていると思います。

 

・短気

ひとことで言うと「いらち」、すなわち、すぐに興味を持ち、すぐにのめり込む、という方が理想です。

・怖がり

「人がどう思うのだろう、何を面白いと思うのだろう」ということを神経質なくらい、常に考えている方が理想です。

・根暗

「ただひたすら、あることについて執着し、孤独に考え続けることができる」という方が理想です。

 

快活に振る舞う必要は全くありません。というのも「人工知能の開発」は、人間の本性や根源に迫る作業であり「快活でない自分」も含めて、自己を省みる作業の連続だからです。

むしろ「脆弱さ」や「ゆらぎ」が知性に含まれていることを知っており、故に「孤独を知っている方」が、人工知能の開発には向いているのではないかと思います。

 

興味のある方、団体、組織は info@watashiha.co.jp まで、お問い合わせを、お待ちしております。

 

 

 

【大喜利PickUp】


 

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読書の上手い人と下手な人の6つのちがい

「読書」は知識を手にする非常に効率のよい方法の一つではあるが、あらゆるスポーツに上手な人と下手な人がいるように、あるいは仕事のできる人とできない人がいるように、「読書」という行為にも巧拙がある。

 

読書が下手だと、よい本を勧められても

「読む気にならない」

「面倒くさい」

と、読書を先送りしてしまったり、結局読まなかったりすることが多いだろう。

 

逆に読書が上手な人は、

「とりあえず読んでみる」

「良い本を薦めてくれてありがとう」

と、本からうまく知識を吸収し、豊かな知見を手にすることができる。

 

誤解のないように言っておくが「読書しなければならない」と言いたいのではない。知識を得る方法は読書だけではないし、そもそも読書を「苦行」だと思っている人にとっては、得るものはないだろう。

だが「読書したい」と思っているにもかかわらず、本が苦手な人は、幾つか改めるべき部分があるかもしれない。そして、その本質は「読解力」「読むスキル」と言うよりは、どちらかと言えば「読書」に対する態度にある事が多い。

 

習慣的な行為は「スキル」よりも「考え方」に大きく影響を受ける。だから、読書がうまくなりたいのであれば、以下のことに気を配ると良いだろう。

 

1.「楽しむため」に読む。「勉強するため」ではない。

本来「この本面白いよ」と言われるのは「ポケモンGo面白いよ」と言われるのとあまり変わりがない。「シン・ゴジラ面白かったよ」とも同じだ。読書が上手な人はそう考える。

だが、「この本おもしろいよ」を「勉強しなよ」と同じに感じてしまう人もいる。その人は読書が下手な人だ。

だが、読書は勉強ではない。それは本質的に娯楽であり、趣味である。憶えようとしなくていい、現実に活かそうとしなくていい、仕事に役立てなくていい。活かそうとすればするほど、読書はつらい行為になる。

本は、ただ楽しむために読めばいいのだ。

 

2.「簡単な本」を読む。「難しい本」を読まない。

例えば「レ・ミゼラブル」は傑作ではあるが、読書を普段あまりしない人にこれを薦めるのは「読書嫌い」を作るだけだろう。スキーの初心者をいきなり超上級者コースに連れて行き、骨折させてしまうようなものだ。

一般的にはあまり言われないが、読書というのはできるだけ「簡単な本」を読むことが非常に重要だ。難しい本を読むことはストレスが溜まるだけで、時間の無駄である。

そして読書の上手な人は、自分のレベルに合った本を選択するのが上手である。逆に下手な人は背伸びしすぎてしまったり、「難しい本のほうが良いことが書いてある」と思い込んだりしている。

読書の初心者へは「児童書」や「中学高校生向け」の本は読みやすい上、非常に面白いものも多いので、超おすすめである。もし子供がいれば一緒に読書してしまうのも手だ。

 

3.「興味があること」を読む。「興味が無いこと」は読めない。

読書の根本として、「興味が無いこと」は読めないと知るべきだ。上司から言われた本が読めないのは、自分がそれに興味がないからである。読書が下手な人は、興味のないものを無理やり読むからつらいのだ。

例えば「経営戦略」にあまり興味のない人が、上司から「読め」と言われてしぶしぶ本を読まなければいけない時、戦略に関する本を読めば興味が湧くか、といえばそんなことは滅多に起きない。

そんな時は「自分の興味があること」とオーバーラップさせながら、興味ゾーンを広げていくことが読書の基本的な戦略だ。読書が上手い人は、これを実践している。

例えば「推理小説」が好きな人は、「推理小説」と「経営戦略」が重なった本を試しに読むと良い、例えば以下のリンクのように。

推理小説を読んでいるかのようなビジネス書(ハーバード・ビジネス・レビュー)

 

4.「何か1つでも得たものがあればラッキー」で良い。「読了」にこだわらない。

本を読了することそのものには、あまり価値が無い。

実際、本を書いている人自身も「全部読む必要はない」と思っている事が多い。だから、拾い読み、飛ばし読みを前提として読んでも全く問題はない。

読書が上手い人はほぼ例外なくそれを知っている。彼らは「何か1つでも得たものがあればラッキー」ぐらいに思っている。逆に読書が下手な人は、無理をして読み終えようとする。結果、読書が嫌いになる。

「せっかく買ったのだから」とすべて読む気持ちもわかるのだが、一番貴重なものは時間である。読了にこだわるのはやめよう。そうすることで読書が上手くなり、そして読書が上手くなればなるほど、読書が好きになるだろう。

 

5.「無理に本なんか読まなくていい」と思う。「本を読め」に惑わされない。

読め、と言われるとますます読みたくなくなるのが本だ。

「本なんか、読む必要はない」と思っているくらいがちょうどよい。実際、読書が上手い人は、本を情報のチャネルの1つくらい、と思っている人も多い。逆に読書が下手な人ほど「本の情報が最高」と思っている。だから、取捨選択がうまくいかない。

だが、多くのコンテンツと同様に、実際には本当に良い本は一握りであり、時間をムダにすることも多いのだ。

「いい本は少ない、だから無理に本なんか読まなくていい」と認識しよう。「本を読め」という人ほど、逆にあまり本を読まない人だ、ということも充分ある。

 

6.「速読」なんて無意味。「遅読」する。

ビジネス書を読む時に「速読する」と言う方がいる。ただ、私は読書が下手な人にはそれをおすすめしない。

理由は簡単だ。

・速読の技術を身につけることがつらくて、本を読めない人が多く、本末転倒

・本を読むこと自体が目的化する

・面白い本ほど、ゆっくり楽しめるのに、速読したらコスパが悪い

と、正直に思う。「早く読める」は、読書が上手な人が、慣れの結果として得られるスキルであり、それ自体は目的とならない。

また、こんな研究結果もある。

速読は実は不可能だと科学が実証

「現存する科学的根拠によれば、速度と正確さには反比例の関係があり、読み手が読むべき文書にかける時間が短いと、その分だけどうしても理解が劣ってしまいます」とカリフォルニア大学の心理学者であり、その研究論文の著者でもあるElizabeth Schotter氏は述べています。

(ライフハッカー)

 

読書は趣味、読書は娯楽、そう考えるのが最も読書が上手な人であるのは、間違いない。

 

 

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