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年収アップの一番簡単な方法は、◯◯◯◯◯。

Evernoteが価格改定をするとのニュースを見た。

Evernote の価格プランの改定について

 

使い込んでいる人にとっては、年額5200円であっても「まあ安いよね」と思うくらいの価格でしかない一方で、今まで無料で利用していた「フリーライダー」ユーザーにとってはかなり不満を感じる内容だろう。

 

私の知人の「有料」Evernoteユーザーは、

「無料で使っているひとがいなくなってくれれば、その分Evernoteが儲かる。彼らが儲けてくれたほうが、サービスも良くなってくれる期待も持てるし、何より彼らのサービスが安定して存続してくれることのほうが嬉しい。」

と言っていたが、「無料」ユーザーの知人は

「OneNoteに乗り換えるか……」

と、真顔で言っていた。

 

有料ユーザーは残留し、無料ユーザーは離れる。それであれば価格改定は成功と言って良いのだろう。

 

 

実は、商売のほんとうの意味でのコツは「値上げ」にこそ、存在する。

例えば、昔在籍していた会社は、あるストックビジネスを行っていた。月額1万円弱で企業に「会員」となってもらい、研修やコンサルティングを提供する、というビジネスだ。

研修の内容が充実していたこともあり、順調に会員を伸ばしたが、困ったことが起きた。最初に会費を安く設定しすぎたため、新しく投資ができないのだ。

もちろん、社内でかなりの議論があったが、結局「値上げ」を断行した。会員数の伸びが止まるかと思われたのだが、実際にはそんなことは起きなかった。

起きたのは

「安っぽいものだと見られなくなった」

「怪しまれなくなった」

「より上手な利用の仕方を編み出す会社が増えた」

のだ。

要するに、値上げは成功した。モノは「安ければ売れる」というものではなかったのだ。

 

ここから私は「安売りはダメなのだ」という結論に至った。

考えてみれば当たり前なのだが、人は、「高いもの」「手に入りにくいもの」に対して価値を感じる。安く、あるいは無料で配布してしまう、ということはお客さんに「あまり良いサービスではないのでは」という誤った印象を与えてしまうことにつながる。

結果、私の上司は「売上アップの一番簡単な方法は値上げだな」と言って憚らなかった。

 

また、あるwebサービス会社の経営者はいつもこう言っていた。。

「商売の本質は、「皆に満足してもらう」ではない。それを目的とすると、途中で間違う。そうではなく「よりお金を払えるお客さんに、より満足してもらう」が最優先だ。お金を持っていない人を対象としたビジネスは、あまりうまくいかないし、収益に貢献しない客の言うことをきいても、大して売上は伸びない。

だから、ある程度ユーザーが増えたら、値上げしたり、有料化したりして、「顧客の選別」をしていかなければならない。そこには、「うちのサービスは優れているから大丈夫」という自信は必要だけどね。」

 

売上アップの一番簡単な方法は、「値上げ」だ。新規開拓でも、広告でも、マーケティング強化でもない。

 

明治乳業が、「おいしい牛乳」を値上げしたというニュースが流れていた。

明治が主力商品「おいしい牛乳」を実質値上げ、業績好調なのになぜ?

健康志向の高まりにあわせて、ヨーグルトなど主力商品の売れ行きが好調なこともあるが、値上げによる収益改善効果も大きい。営業利益ベースで見れば、コア商品の売り上げ増の押し上げ効果が116億円なのに対し、子会社を含む価格改定、いわゆる値上げによる収益改善効果は217億円に上る。

だが、「おいしい牛乳」のファン客は、少しくらいの値上であれば、今までと変わらず買うだろう。

 

 

サラリーマン、あるいはフリーランスの方々が、「安く使われている」という状況をよく見かける。だが「ほんとうに良い仕事をしてくれる人」は極めて少ない。

だから、自分に自信があるならば、堂々と「昇給してくれ」「報酬をアップしてくれ」と言おう。交渉をはじめなければ、相手はそもそも真剣に賃上げ、報酬アップを検討しない。

したがって、年収アップの最も簡単な方法は「賃上げ交渉」だ。

 

企業の商品・サービスに限らず、個人も自分高く売らなければ、ダメなのだ。

そうして初めて「安く使われてしまう労働者」から脱却できる。

 

 

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「論破したい人」は何故何も生み出せないのか

世の中には、「論破したい人」「論破したがる人」「論破してしまう人」というものが存在します。

 

辞書を引くと、論破という項目には、「議論して相手の説を破ること、言い負かすこと」であるとあります。

議論を、勝ち負けで捉える人。何か意見が相違した時、まず「相手の意見が間違いであると認めさせること」「相手を言い負かすこと」を目的にしてしまう人。議論を通して、自分が相手や周りよりも上であることを示したくなる人。

 

webでは非常に頻繁に観測できる光景ではありますが、これらの例は、現実世界でも決して珍しい人たちではありません。あなたの身近に、「論破したい人」はいますか?

いちいち「論破したい人」と記載しているとちょっとタイピングが面倒なので、以下、これらの人たちをスーパー論破人と呼称したいと思います。文字数がむしろ増えてる?気のせいです。

 

スーパー論破人の特徴

私は、これら、スーパー論破人な人たちがちょっと苦手です。

私が今働いている職場には、数人のスーパー論破人がいます。

スーパー論破人に対して「違った意見」を提示すると、まずはその「マウントを取ろうとする意欲」に驚かされます。

単純な事実誤認の指摘であれば問題はないんですが、「そこは単なる意見の相違、考え方の違いではないか」という部分にこだわり、あの手この手で「誤り」を指摘しようとする。そして、「これは誤りだ」という部分をロックオンすると、そこが意見の中核かどうかには関係なく、とにかくその部分の「誤謬」を追及し、自分の「正しい意見」で置き換えようとする。

それがどうも、彼らにとっては「多面的な検討」であり、「有益な議論」であるようなのです。

 

別に統計があるわけではないのですが、webにおいては、こういったマウント合戦が非常に可視化されやすい状況であるように思います。とかく、webにおける「議論」というものは、弱点の指摘、あらさがしに終始しがちです。その際は、本来あるべき「この議論はこういうテーマについて考える為のものだよ」「筆者は本来こういうことが言いたかったんだよ」という部分は置いてけぼりにされるのが専らであり、どちらかというと枝葉、場合によっては末節の部分まで、弱点発掘合戦が繰り広げられる場合が多くあります。

何故枝葉の部分が追及されるかというと、彼らにとってそもそもの目的が「相手より自分の方が正しいということを証明すること」であり、議論の中核の部分はそこまで重要ではないからです。

ただ、私の感覚では、それは単なる言葉のぶつけっこ、あるいは説伏合戦なのではないかなー、と。それをそもそも議論と呼ぶのかなー、と。

 

それは果たして「議論」なのでしょうか

議論とはそもそも「勝ち負け」を競うようなものではなく、何らかのテーマに関して知見を出し合って、その知見を積み上げて、そのテーマに沿った新たな結論・アイディア・あるいは新たな問題提起を導出する為に行うものだと、少なくとも私は考えています。

建物を登る為には、階段が必要です。新たな知見を見出す為には、意見と意見のずれが必要です。「同意」だけで終わってしまっては、そこから先の知見を得ることは出来ません。

なので、意見のずれ、考えの違いは、議論においてとても重要なものです。その「違い」は何故発生するのか。その「違い」が示すものは何なのか。そういったことを突き詰めることが、すなわち「議論」なのであって、間違っても「どちらの意見が勝っているのか」ということを決める為にやるようなものが「議論」ではない。少なくとも私はそう思っています。

 

しかし、どうも世の中には、

「意見には優劣と、「間違った意見」というものがあり」
「「間違った意見」を「正しい意見」で正すことが議論であり」
「「相手の意見が間違っている」ということが認定されれば、議論は勝ち」

と考える人が、それなりの数いるようなのです。

仮に「俺の方が正しい」「相手が間違っている」ということを相手に認めさせることが出来たとして、そこに何か新しいもの、新しい知見は生まれるでしょうか?「自分が相手に対してマウントをとれた」ということ以外に、何かメリットはあったのでしょうか。

 

勿論、もしかすると、「自分が相手に対してマウントをとれた」ということが、貴重なこと、重要なものである場合もあるのかもしれません。

しかし、それは少なくとも、「議論によって生まれた新しい知見」ではない。それによって得られたものは単なる立ち位置のやり取りであって、それによって失われたものは「もしかすると生まれていたかも知れない新しい知見」。そして、場合によっては、その相手との「話し合いたい」という意欲すら失わせてしまうかもしれません。

 

私の職場にいるスーパー論破人たちが現在得ているものは、「彼らと意見調整しようとすると色々面倒だから決定事項だけ伝えよう」という、ある種の諦めの空気です。

それがWebだろうと、現実だろうと。議論で何かを生み出したいなら、「論破」してはいけない。

相手との意見の違いを大切にして、そこから何かを突き詰めようとしないといけない。

私はそんな風に思います。

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき ←名前をクリックすると今までの記事一覧が表示されます

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて
書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

面白い文章を書く方法についての真実

「面白い文章が書きたかったら、まず面白い人生を歩んでください」

 

僕の知り合いのとあるブロガーは「どうしてそんなに面白い文章が書けるんですか?」と聞かれる度にこう答えるという。

これだけ聞くとイマイチ理解し難いかもしれないけど、この言葉にこそ面白い文章を書くためのコツが全て詰まっていると言っても過言ではない。

今日は面白い文章が生まれる仕組みと、なぜ作家がつまらなくなるのかについてを書いてみようと思う。

 

ユニークな人生は、面白い文章の究極のネタ

僕自身、自分の好きな作家やブロガーを思い浮かべると、確かに人生がちょっと一風変わった人がとても多い。

例えば作家の佐藤優さん。この方はソ連が崩壊する正に時代が動く瞬間の時にロシアで外交官をされていた方であり、鈴木宗男氏とタッグを組んで北方領土返還について真剣に取り組んでいたという経歴を持っている。

そのままいけば、歴史に名を残す偉業を成し遂げたかもしれなかったが、時の政府の国策調査により逮捕され、鈴木宗男氏と共に刑務所に収監されてしまった。このことについては、彼の初の著作である”国家の罠”に詳しい。

この経歴を読んでどう思っただろうか?僕はこの人がつまらない文章を書くとはとても思えない。人生は文章の最高のスパイスだ。

 

面白かった作家がつまらなくなるのは何故か

この仮説が正しいとすると、逆説的に何故面白かった作家がつまらなくなってしまうかもよくわかる。

人生が、常に面白くありつづける人というのは限りなく稀だ。初期の頃は自分の中に切り取ることができる「面白い人生」が沢山あった人も、自分自身を切って切って切りまくっているうちに、いつか切り取るべき場所がなくなってしまう。まあ俗言うところのネタ切れというやつである。

 

ときどき仕事をやめてブログ一本で食べていこうとするような人達がいるが、僕はその行為はブロガーとして自殺行為に等しいものだと思っている。仕事をやめて生産する時間を増やしても、切り取るべきネタとしての人生の時間が減ってしまってはどうしようもない。執筆時間がどんなにあろうが、ネタが良質でなければ良質な記事は仕上がらない。

ほとんどの人にとって、仕事は大切な人生の一部だ。それを捨て去ってもいいことなどない。

 

自分の中に切り取るべき人生がなくなってしまったこの手の人達は、本や映画などの様々な創作物に触れる事で新たなネタを必死に探している事が多い。だが元々の資源である「面白い人生」が枯渇しているのだから、面白い記事を書き続けられるはずもなかろう。

だけどごく一部だが、専業の作家として質を落とさずに常に面白い文章を書き続けられる人達がいるのもまた事実である。そういう人は普通の人達と比べて、何が違うのだろう?

 

あなたが面白いモノを作れないのは、自分の人生とキチンと向き合っていないからかもしれない

「面白い人生を送っている人はいいけど、じゃあその辺にいる普通の人間が面白いモノを作るのは無理なのか?」ここまで読んできた人はそう思うかもしれない。

ここで一つ非常に示唆的な文章がある。村上隆の芸術起業論によると、現代アートは「自分のコンプレックスと真正面から向き合って、それを恥ずかしげもなく表出」する事で価値が生まれるのだという。

 

村上隆の弟子である、Mr.(ミスター)という男がいるのだが、村上隆は彼が書く絵を見ても「Mrが本当に書きたいものはこれではない」と感じたのだという。そして事細かにMr.を問い詰めていったところ、村上隆はMr.が重度のロリコンであり、幼女が好きだという事実を突き止めるに至った。

それを恥ずかしげもなく”絵”にさせたところ、Mr.の書いた「よしっ(ち)」という絵になんと1500万円もの値段がついたのだという。

 

ちなみにこの絵、ネットでググれば誰でもみることができるのだが、正直普通の人は到底そんな値段を出してまで買いたいと思えるようなものではない(小学生の女の子がランドセルを背負って足を放り出しているだけの絵だ)

だけど、この絵に価値を見出す人は、この絵から「描き手の人生」を感じ、1500万円ものお金を出す意味を感じ取れるのだという(その後もMr.氏は絵を書き続けているが、いずれの作品もオークションにて恐ろしい金額で落札されている)

 

実は似たような事例は身近にも結構ある。たとえば先日、初の単著である”恋愛障害”を出した時をきらめく大人気ブロガーのトイアンナ氏は、以下の記事で本が産まれるまでに至った経緯を書いている。

 

am-our.com 

200万を貢ぎ、自殺未遂。私がダメ男ばかり掴む恋愛障害から抜け出すまで(AM)

 

これを読めばわかるけど、トイアンナさんはそれまで全ての責任を他人になすりつけて生きていたのを認知行動療法を通じて自分と真摯に向き合い、自分の人生を通じて”自分が何者なのか”を理解している。

そうして「自分のコンプレックスと真正面から向き合って、それを恥ずかしげもなく表出」したのが、今回の”恋愛障害”という作品になるのだろう。

 

あなたは何者なのか、しっかり考えてみよう

誰が何を書いたかは、非常に重要である。例えば変な宗教家がドヤ顔で最先端の医療についての記事を書いていたら胡散臭さが拭い切れないが、現役の最先端機関に努めている医者が最先端の医療についての記事を書いていたら「ちょっと読んでみてもいいかな」と思えてきてしまう。

 

かつてインターネットが登場した時、僕たちは「誰が何を言ったかは重要視されず、匿名の個人であれ何をいったかが重視される社会が到来する」事を期待した。しかし蓋を開けてみれば、誰が何を言ったかが非常に重視されている。この事実を元に「結局、肩書が大切なのか」と悲観する人も多いかもしれない。

けど未だにインターネットでは綺羅星のごとく有名になる人達がいる。これらの人達が普通の人々と比べて何が違うかというと、大体において自分の人生にキチンと向き合っており、自分がどんな役割を演じて何を書けばいいかについて、非常に自覚的であるという事があると思う。そうやって、自分が活躍すべきフィールドについて自覚的な人の書く文章はメチャクチャ面白い。やっぱり「誰が何を書くか」は大切なのだ。

 

あなたが面白いモノを作れないのは、ひょっとしたらあなたが自分の人生にまだキチンと向き合えていないからかもしれない。自分の人生を哲学してみよう。そうすれば今まで見えてこなかった大切な何かが見えてくるはずだ。

 

あなたは何者ですか?

 

 

プロフィール

名称未設定1

高須賀 ←名前をクリックすると今までの記事一覧が表示されます

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

「忙しい人」になってはいけない。

「忙しい人」になっても、あまり良いことはない。それどころか、「忙しい人」は迷惑な存在である可能性すらある。

何故そう言えるのだろうか。

 

昔訪れた、web系の開発を行ってる会社の話だ。

その会社は「プロジェクトマネジャーの表彰制度」を持っていた。半期ごとに最も頑張ったプロジェクトマネジャーを表彰する、といった内容だった。

そして、その賞の多くは「難局を見事乗り切ったプロジェクトマネジャー」や「炎上したプロジェクトを見事に治めたプロジェクトマネジャー」などに与えられた。

 

私は「なるほど、頑張った人が報われる仕組みなのですね」と何気なくコメントしたのだが、その会社のマネジャーの一人は私を軽蔑したように言った。

「いやいや、あの表彰制度は全く機能してないですよ。」

私は驚いた。

「なぜですか?」

「あたりまえじゃないですか。ホントに腕の良いマネジャーは、そもそも難局など迎えないですし、炎上もさせません。淡々と何事も無く、頑張らず、ゆるやかにプロジェクトを成功させます。よって、目立つことはありません。

現場の人は誰もが、本当に優れたマネジャーは誰だかを知っています。それは表彰された彼ではありません。」

 

それ以来、私は考え方を改めた。

 

つい最近、ある編集者の方とお会いした時に、偶然似たような話を耳にした。

「最近面接してて思うんですけど、「激務をこなしました」って履歴書に書いて、面接の時アピールしてくる人って、仕事できない人ですよね。とくに営業とか」

「何故ですか?」

「激務って、会社のダメさと、自己管理の甘さの象徴ですよね。そんなものをアピールしてどうするんですか。

僕は逆に、ゆるく仕事してきました、でも頭使ってる、ってやつを採用します。仕事のやり方を聞けば、すぐわかりますよ。」

 

ある製造業のプロジェクトリーダーは、年がら年中、課題を発見しては「忙しい、忙しい」と、そこらじゅうを駆けずり回っていた。

彼は社内では有名人で、一部の役員からは「頑張っている」と大きな評価を得ていた。

だが、役員に「彼はどういった業績を作ったのですか?」と聞くと、

「問題を見つけて、前向きにいつも取り組んでいる」

「夜遅くまで頑張っている」

と言った以上のことを聞くことはできなかった。

現場の多くの人たちは、「彼、あら捜しだけはがんばるけど、いい加減迷惑なんだよね。」と言った。

実際、頑張っている彼のあだなは、「火災報知機」で、誤報が多すぎるのが欠点だった。

 

————————–

 

実際、「忙しくさせること」は、会社にとって大きなメリットは殆どない。せいぜい、長時間働かせて、残業代を出さないことで人件費を多少ケチることができるくらいである。

もちろん、仕事には波があり、繁忙期が存在するのは仕方がない。だが、それを放置し、あまつさえ「表彰」してしまうことは、マネジメントの欠陥として恥ずべき性質のものだ。

長時間の労働は創造性を失わせ、チャレンジする意欲を削ぎ、会社の活力は失われる。

 

また「忙しくしている人」自身にも問題はある。

問題への対処で忙しい、部下への話で忙しい、会議が忙しい、お客さんへの対応で忙しい

彼らはそう言う。

 

そうすれば、彼の仕事は当分失われる恐れはなく、上司にアピールできる材料は増える。

だが、実のところ彼は何も成果をあげることができていない。

忙しいのは、リソース管理の甘さと、問題の再発防止を怠った結果である。

 

ピーター・ドラッカーは著書*1で「かえって、いかなる成果もあげられない人のほうがよく働いている」と述べた。

「忙しい人」になってはいけない。

簡単なことを楽に継続し、着実に、危なげなく、簡単にこなしている人こそ、真に仕事のできる人物であり、見習うべきやりかたである。

 

 

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*1

(Z S)

セクシュアル・マイノリティの私が、企業のダイバーシティへの取り組みについて思うこと

最近よく聞くワードの1つに「ダイバーシティ(多様性)」がある。私は自分自身がある種のマイノリティ(バイセクシュアル)であるため、このワードにはとても興味を持っている。今回は、企業のダイバーシティへの取り組みについて思うことを書いていく。

 

☆★☆★☆

 

そもそもダイバーシティとは何なのか。わかりやすい説明を見つけたので、以下で引用する。

 

ダイバーシティとは、多様な人材を積極的に活用しようという考え方のこと。 もとは、社会的マイノリティの就業機会拡大を意図して使われることが多かったが、現在は性別や人種の違いに限らず、年齢、性格、学歴、価値観などの多様性を受け入れ、広く人材を活用することで生産性を高めようとするマネジメントについていう。

企業がダイバーシティを重視する背景には、有能な人材の発掘、斬新なアイデアの喚起、社会の多様なニーズへの対応といったねらいがある。

(引用:コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3-179274

 

私が気になっているのは、ダイバーシティ/多様性と言いつつも、結局は“女性の活躍”しか視野にないと感じられるケースが多々あることだ。

これまでは主に男性が企業でリーダーシップをとってきた。『性別』という視点は、たしかにダイバーシティを推進する上で必要な視点のうちの1つだ。だが、それだけでダイバーシティと言われてしまうと、あまりに多くの要素を排除していると思わざるを得ない。

 

人の属性には、年齢や学歴、国籍、宗教等、性別の他にも様々な要素がある。私は、自分自身がバイセクシュアルであることから、セクシュアルマイノリティへの企業の取り組みに最も関心を持っている。

セクシュアルマイノリティとは、性的指向や性自認のあり方が、マジョリティではない人たちを指す言葉だ。最近メディアでLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの略)という言葉が取り上げられているため、聞いたことがある人も多いかもしれない。

※セクシュアルマイノリティには、LGBTに当てはまらないセクシュアリティの人もいる。

 

私は就職活動中に、日本企業のダイバーシティへの取り組みが遅れていることを痛感した。もっとも、セクシュアルマイノリティへの取り組みの有無・程度にしか着目していなかったため、私自身も多角的な視点が完全に欠けていたのだが……。

セクシュアルマイノリティサークルに所属していたことや、卒業論文を「同性愛者のカミングアウト」というテーマで執筆したことから、エントリーシートや面接では必然的にLGBTについて触れることになった。その時の相手の反応に、残念だと思うことが多かったのだ。

 

たとえば、ある面接ではこんなやり取りをした。

「この、エントリーシートに書かれているサークルのことなんだけど」

「はい」

「変わったサークルに入っていたんだね」

「セクシュアルマイノリティサークルに所属していました。あまり聞かないサークルかもしれないですね」

「どういうサークルなのか、オブラートに包んで話してくれる?」

 

ヘラヘラした態度で言われたことと、『オブラートに包んで』と言われたことが悲しかった。結局、オブラートに包まずに話し、面接は当然のように通過できなかった。

 

また、面接ではエントリーシートに書いたことを中心に質問されたが、LGBTに関する部分だけは全く触れられず、質問されないまま終わることもあった。私から口に出さない限り、触れようとしないのだ。

“タブー視”されている気がして、何とも言えない気持ちになったことを覚えている。もちろん、センシティブな話題であることは理解しているが、本人がエントリーシートにアピールすることとして書いているのだから、全く触れないことには少し違和感がある。

 

一方、「人権」という視点から、積極的に話題にしてくれる企業もあった。

「従業員にトランスジェンダーの人がいて、人権の問題でもあるから、人事としてどういう取り組みができるか考えているところだよ」

こう言ってくれた企業もあったのだ。

 

人権問題でもあるけれど、同時に経営戦略の問題でもあると思う。画一的な人材より、多様な人材を採用した方が、企業としても多角的な視点で世の中を見られるようになるし、ダイバーシティを推進している企業の方がイメージも良く、消費者に支援されやすいのではないだろうか。

 

 

 [プロフィール]

名前: きゅうり(矢野 友理)←名前をクリックすると記事一覧が表示されます

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

著書「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri

ブログ:「微男微女

「新しい働き方」が一般的になると、どうなるのか?5つの課題と展望について。

「新しい働き方」をする人が徐々に増えていると言われる。

だが「新しい働き方」の定義と実態とはどのようなものか。メリットが強調されるが、デメリットはないのか。そういったことについてはあまり情報はない。

時に「リモートワーク」や「時間が自由」など、制度面だけが強調されるが、本質的には「社会と人に対する考え方の変革」につながっている、重要なテーマだ。

 

そこで、つい先日「新しい働き方」について、グループで議論をする機会があったので、その議論についてまとめ、展望と課題について見てみる。

 

 

1.「時間」ではなく「成果」を中心に働くようになる

「新しい働き方の特徴の一つは、報酬が「労働時間に応じて支払われるのではなく、成果に応じて支払われる」という点ですかね。」

皆が頷く。

「「作ればその分売れる」って言う時代じゃなくなりましたからね。「働けばその分もらえる」がなくなるのも無理ありません。実際、大企業が率先して人件費を抑制しようとしていますからね。今の高齢の正社員がいなくなる頃には、働いている人の8割が「業務委託」とか「契約社員」とか普通にありえると思います。」

 

一人が異を唱える

「でも、成果って水物じゃないですか?短期志向になりそう。」

「……。長期的に見れば、実力通りになると思うよ。そう考えると、実力と運を持っている稼げる一部の人と、稼げない大部分の人、という構図にならないかな。」

「なると思う。「実力にかかわらず全員が稼げる時代」なんて、歴史上殆ど無かったからね。ここ4、50年の日本が異常だったんじゃない?」

「そうだね、社会保障を企業が担っていた時代は、もうオシマイかな。ただ、政府に何とかできるかどうか……。」

 

だが、楽観的な人もいた。

「世の中、できる人ばかりじゃないからね。でも、たった100年前は、肉体労働者の人が世の中の殆どだったんでしょ?今は考えられないけど。だから、少しずつ皆、状況に適応していくんじゃないかな。」

「そうあってほしいよね。」

 

 

2.複数の組織に所属して働くようになる

「複数の組織に所属して働く人も、最近かなり増えた。ウチも今、3分の1くらいの人はフリーランスだね。できる人は稼いでるみたい。」

「ウチも副業解禁したよ。大学の先生もパラレルワークを推奨している人がかなり出てきているね。新卒の学生さんが影響受けてて、面接で「副業OKか?と聞かれた」って言ってた。」

皆、自分が学生だった頃は考えられない、と言っている。

 

「あと、副業すると、めちゃくちゃ勉強になるよね。実際に自分がやってみて、企業のあるべき姿とか、価値あると思っていた知識も「単なる思い込みだった」ってことがたくさんわかった。」

概ね、複業には好意的な人が多い。また、最近の会社では結構皆、副業を認められているようだ。

 

だが、そうでない人もいる。

「私はどちらかと言えば、複業反対かな。」

「何で?」

「私、それほど仕事好きじゃないから、一つの仕事で安定して稼げるなら、できるだけその他の時間は趣味に充てたい。」

 

また、副業禁止の会社もまだ多い。

「ウチの社長は副業反対なんだよね……。」

「何でですか?」

「他の会社のために働く時間があったら、ウチのために使え。フルコミットしてくれってさ。なら給料上げろっての。」

「そうだねー、本当に給料って上がらないよね。」

「ウチの社長は、表向き、物分かり良さそうに複業解禁してる。でも、裏では「副業する人は評価を下げる」って言ってる。これってどうなの。」

「独占欲とか、支配欲の強い社長や管理職もいるからね。でもまあ、そういう会社って徐々に衰退するんじゃないかな。」

「なんで?」

「いい人が来ないからだよ。だって「知識」って色んな所で使えば使うほど更新されて良くなるし、社内にしか使えない知識とかって、魅力を感じないでしょ?知識は汎用的だから使いでがあるのに。そんなこと言う経営者は、アタマが悪いと思う。」

「会社への帰属意識は?」

「なくなってくると思うよ。だって、社会保障を担っていた会社が先にその役割を放棄してるんだよ。社員だって自衛するよ。」

「会社への帰属意識がなくなると、ギスギスした雰囲気になりそう。あと「自分の領域以外の仕事はしない」って言う感じになるんじゃないかと思う。」

 

 

3.キャリアは自分で作り、能力開発も自分で行う。

「長く勤める人が減ると、会社はキャリアづくりや能力開発への投資をしにくくなるよね。」

「そうだろうね、「キャリア開発は自己責任」になると思う。」

 

だが、否定的な人もいる。

「自分でキャリアを決めるのは、結構難しいと思うんだけど。キャリアカウンセラーを名乗る人が増えたのは、そういう背景じゃないかな。でも、紹介会社のキャリアカウンセラーを信用していいのかどうか、なんとも言えないよね。明らかに「先に自分のキャリアをなんとかしなさい」って人もいて。」

またある人は言った。

「できる人はそれで良いんだけどね。できない人は完全放置されて、ますますできなくなる、みたいなことが起きないかと。」

皆頷いている。心当たりのある人がいるようだ。

 

「でも、会社がいくら与えても、自分で勉強する気のない人はダメだよね。

「あー、わかる。会社の研修とか寝てる人いるし。信じられないよね。」

「そういう人には不要かもね。」

「うちの会社は、契約社員とかにも研修受けさせてるよ。すごい感謝される。中にはむしろ社員よりも熱心に活用している人もいる。」

「へえ、ヤル気あるね。」

「最近、友達で「大学に入り直した」って人がちらほら出てきてるけど、一人は会社には頼らないし、頼れない、って言ってたよ。未だに座学ばかりの研修しか用意してないから、行くだけ時間の無駄ってさ。」

実は「もともと自己責任」だったものが、よりはっきりしただけじゃないのかな。

 

 

4.会社が社員を管理するのではなく、社員の自己管理に委ねる。

「管理職って、どんどん要らなくなるよね。リモートワークも、フレックスタイムも上司の管理じゃなくて、自己管理に期待しているわけでしょ?」

「そうかな、そんな単純じゃないと思う。逆に管理職に求められる技能は上がるんじゃないかな。でも、「時間じゃなく成果」「複数組織で働く」「キャリア開発と能力開発は自分で」も、すべて「自己管理」の方向だね。だから多分、管理職の役割は「全員がうまく自己管理ができるようにサポートする」になると思う。」

「そういう意味では、学校教育も変わらなくちゃだね。先生の言うことを聞きなさい、いわれたとおりにやりなさい、ではダメだよね。

ある程度見解の一致があるようだ。

 

「でも、どうしても自己管理できない人はどうなるんだろうね。」

「時代に適応できないと、仕事していけないだろうね。それか、単純な、取り換えのきく、時間で働く労働者になるか。」

「厳しい道だなあ……。」

仕方ないよ。お客さんの要求がどんどん厳しくなってる。元はといえば、自分たちが悪いんだよ。みんな、一番のものしか買わないから。自分が作ったものを買いたいって思うかい?僕の知ってるスマホの開発者は、「自分の作ったもの」じゃなくてiPhone買ってるよ。それが悪いんだよ。」

「確かにそうだけどさ。」

「あなた達だって、近所のマズいラーメン屋行かないでしょ?高くて今ひとつな商店街の八百屋で買い物しないでしょう?みんなチェーン店に行って、イオンで買い物するんだよ。「地元の零細企業でしか買い物をしてはいけません」っていう法律を作ればいいけど、皆嫌がるでしょ?

「まあ、たしかに企業じゃなくて国が解決すべき問題だな。」

 

 

5.情報発信を求められる

「新しい働き方に必須なのって、実は「情報発信」だよね。要するに「発信して、仕事を自分で取ってくる」ってことができないと、結構マズいんじゃないかと思う。」

「なんで?」

「だって、会社が勝手に仕事を与えてくれるわけじゃないし、副業しようと思ってもクラウドソーシングなんて、web上に転がっている情報では搾取されることも多いでしょう。」

「……それって、結構難しくない?」

「でも今はSNSにしろ、ブログにしろ、メッセンジャーにしろ、あらゆる人が自分の情報を少なからず発信してる。だから、特に難しいことではないと思う。要は意識してやるかどうかじゃないかな。」

「なるほどね。」

 

だが、一人の人が投げかける。

「でもさ、それってコミュニケーション能力の低い人には辛い世界だよね。だって、SNSでも「イタイ人」ってよく見かけるし、情報発信が上手い人ばかりじゃない。」

「そうだね。情報発信の作法って、憶える必要があるし、訓練が必要かもね……それって、どうやって学べばいいんだろうね。「失敗しろ」って言うけど、SNSの失敗って、致命的になったりするじゃない。」

 

————————————————-

 

しばらく考え込んでいた一人の方が言った。

「……うーん、今までの話を聴いてると、やっぱりこれができる人はごく少数のような気がする。」

「そう?僕はそう思わない。あと30年もすれば、これがすっかり当たり前になって、今の人達が家父長制とか、封建制に持つ疑問と同じ疑問を、「サラリーマン」に持つと思うよ。」

「そんなもんかな。」

「そんなもんだって。人間の適応力って、思ったより凄いと思う。」

 

 

個人的には

「変化が必然なら、率先してそれを受け入れよう」

と誰かがいったことが、妙に心に残った。

 

 

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(Jason Kuffer)

楽しい学校とは、生徒中心の学校。教師の都合で逃げてはいけない。

言葉だけを聞くと誤解されるかもしれませんが、学校は「楽しいところ」でなければいけないと思っています。

生徒が「いきいきと活動する」姿が見られないなんて、学校じゃありません。いきいきとした活動があるからこそ、そこに学校の魅力が生まれ、学校が生徒にとって存在価値のあるものになっていく。私は、そう考えています。

 

4月、新入生が希望を胸に入学してきます。中には、意に反してその学校に通うことになった生徒もいるかもしれませんが、そういった入学生も含め、大多数の生徒はいきいきとした表情をしています。

上級生とは明らかに違う、期待感に満ちた顔です。

 

それが、どうでしょう。日が経つにつれて、毎日、ただ何となく学校に来て、言われたことだけを適当に済ませ、楽しみや満足感は学校の外に求める・・・という生徒が多くなってきます。

どうして、こうなってしまうのでしょう。

 

もちろん、すべての学校がそうだとは言いませんし、その学校に通っている生徒が、みんな最初からそんなふうになるような生徒だというわけではありません。なのに、そうなってしまう。その理由の一つに、その学校で働く教師の意識があるのではないかと思います。

学校の体制、生徒への対応、授業や課外活動、学校行事・・・その他諸々のことが、総じて「教師の都合」で進められ、「生徒中心になっていない」。

 

生徒には「主体性を持て」と言いながら、生徒が自分の意に添わないことをしたなら、とたんに「それはダメだ」と否定する先生。生徒が一生懸命に考えた結果だとしても、そういうことは一切お構いなしで、とにかく自分の考えや指導に合わなかったらダメ。

そこういった対応を、「教師の都合」と言わずして、何と言えばいいのでしょう。

 

結局、それは自分の予想を超えるようなこと、自分の処理できる範疇以外のことには対応する自信がないので「関わりたくない」という、教師の自分勝手な逃げの姿勢に他なりません。

ふだん生徒に「物事に真正面からぶつかれ」「自立せよ」と言っておきながら、現実は自分が真っ先にそれを破っている教師。面倒なことは嫌、とにかく平穏無事に過ごせればいい・・・。敏感な生徒が、そんな教師の姿勢を見破らないはずがありません。

 

誰が考えても、生徒がすべて教師の都合のいいように動いてくれないことは、わかりきっています。予想もしないようなことが起こるのは当たり前です。

生徒の成長は、そういったさまざまな活動の中で生じる出来事に対して、教師と一緒に取り組み、真剣にその対処を考え抜くからこそ、初めて実現されることです。

それを受け止めようともせず、教師が一番に逃げて、いったいどうなるというのでしょう。

 

タイトルの「楽しい学校とは、生徒中心の学校」というのは、言葉を変えれば、「ロマンを求めて人間らしく生きたいという生徒の要求に応える学校」ということです。

生徒は、誰もが「いいものに出会いたい」「頑張って、よくなろう」とする気持ちを持っています。それをいかに引きだし、受けとめ、具体化して返してやるかが教師の努めであり、学校の役割です。

 

生徒を自分の操り人形のようにとらえ、上段に構えて「してやっているんだ」というような接し方では、いくら口先だけで「心」を説いても愚の骨頂。まったく無意味です。

そんな学校なんて、荒んだ心を生徒に植え付け、自分の都合だけで世渡りをするような、偽りの生き方を教える場にしかなっていません。

生徒に寄り添い、同じ方向を見つめ、「先生と一緒によくなろうね」という気持ちを生徒に感じさせるような接し方こそ、教師が最も心がければならないことです。

私自身、今まで、どちらかといえば教科の内容より、むしろ心を教えるべきだという観点に立って授業をしてきました。

 

教科の授業を通して、人生を語る。一生涯、そんな教師でありたいと思っています。

 

 

 

<プロフィール>

安居長敏(Nagatoshi Yasui)←名前をクリックすると今までの記事一覧が表示されます
 
私立中高校長。
高校教師として20年勤めた後、転身。コミュニティFMを2局運営、PCオンサイトサポート起業。
再び教育現場に戻り、学校改革を推進。4年前から現職。
 
・Facebook →12799032_966933036675803_8989260437419551489_n facebook.com/yasuis
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・校長Blog → YASUI’s web diary

転職を悩んでいる30代が40歳になる前に一度考えておくといいこと

「35歳が転職できる限界だよ」と、私は新卒で就職をした当時、先輩から教えられた。

もう今から10数年も前の話だ。

ところが今、そんな話をしていたらおそらく「何もわかっていないね」と、笑われてしまうかもしれない。

転職の限界が35歳だったのはまさに10年以上前のことであり、現在は40歳、50歳になっても十分に良い仕事を見つけることができる。

「安定した職についた人たち」の価値が、暴落しつつある。より

 

10代の頃、20代の自分(→仕事バリバリやってる)や30代の自分(→結婚して子供いる)というようなステレオタイプな想像はしていたけれど、40代の自分を想像することはほとんどなかったような気がする。

いやできなかった。30代の次はもう60代の仕事引退後(老人)の想像をしていた。

いざ40歳になっているみると、結婚、離婚(再婚)、子供、出世、夢、成功、金持ち、達成、諦観、死、40代それぞれの経験は多種多様になっていることに気づく、40代を一言で言い表すのはとても難しいことだったんだ、と実際になってみて気付いた。

いったい40代とはどういうものなのだろうか。今30代のあなたにこそ読んで欲しい40歳になる前に人生のヒントとなるコラム5選。

 

40歳にならないと見えてこないものがある

40歳前後の人に話を聴くと「40歳は人生の転機なのだな」とつくづく思う。つまり「ようやく自分のことがわかる歳」が40歳だ。

20歳の時に考えていたこと、30歳の時に考えていたことを思い出して欲しい。その時の自分と今の自分ではずいぶん考え方が変わってないだろうか。もちろん変わってない部分もあるだろうが、「考えが古くなる」と思われがちだが、歳を重ねることによって洗練されてくる部分もある。

40歳になってようやくわかる8つのこと。

 

34歳から6年でやるのは、「自分の再発見」

「仕事には、幾つかの節目がある。その節目は、おおまかに言うと28歳、34歳、そして40歳と50歳だ」

仕事の要諦も会社という仕組みもある程度わかってくる30歳過ぎ、まわりも見え始め落ち着いてくる、落ち着いてくると今度は自分の人生についてじっくり考える時間ができる。そこで多くは悩む。

「キャリアの作り方」を教わった時の話。

 

40歳前後は就職活動当時と同じくらい重要な時期

出世もできない、仕事も飽きてきた。それが多くの40歳が抱える現実的な悩みである。

だが、家庭においては子供がおり、家のローンも残されている人も多い。「これからまだまだお金がかかる」のが、40歳という年齢だ。これで不安になるな、という方が無理な話であることはだれにでもわかるだろう。

したがって、40歳前後においては就職活動当時と同じく、人生について深く考えなければならない。

理想や願望はさておき、出世の道は厳しく仕事にも飽きてきた、と実際に感じはじめたらどうするべきか?もちろん仕事だけが人生ではない。だからこそ自分の人生でできることは他にもたくさんあるはず。

40歳からのキャリア、3つの考えなければならないこと

 

 

40歳ごろから「老人になる準備」はしておいたほうが良い

だが、様々な方の話を聞くと、彼らの本質的な悩みは金よりも「余った時間をどう過ごすか」と「人間関係」にあることがよく分かる。

連帯は貧乏を癒やすが、孤独は金では癒やされない。孤独のが遥かに問題なのだ。

本当に豊かな人生を過ごすには?それが「お金さえあれば達成できる」というような代物ではないことを、現代人の多くは知っている。

40歳になり「尊敬もされず、友達もない孤独な老人」に思いを馳せる。

 

40歳の「もうここからは人生は変えられない」は短絡的な考え

社長 「人生を変えたい、という人だけを採用しています」

私 「50歳以上で、かつ人生を変えたい人、ということですよね…?変わっていますね…!」

社長 「そうでしょう。普通は「人生を変えたいなら、若いうちにやらないといけない」って言われてますからね。でも、人生を変えるなんて、誰でも、いつでもできるんです。」

30代であろうが、40代であろうが「人生を変えたい」という意思は誰もが持てるものである。そしてそれは本当に年齢は関係ない。ではどのようにして変えていくのか。

50歳以上しか採用しない会社の社長が言った、「人生の変え方」

 

まとめ

30代で転職に悩む人は多いと思う。それは真剣に考えるべきものだし、家族を持てば自分の都合だけで決められない部分もあり20代の転職とまた違って、難しい判断があると思う。結果、転職しないことになったとしても、一旦立ち止まって自分の人生について考えることは決して悪くないことだと思う。

 

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「任せた仕事をやらない人」に確実に仕事をしてもらう方法。

仕事は、多数の人間の協力関係によって成り立つ。

そこには、「任せる」「任せられる」のやり取りが相互に存在し、それを確実に遂行することによって、お互いの信頼関係が成り立ち、さらに成果が出ることにつながる。

 

ところが中には「任せたことを確実に遂行しない」、すなわち約束を反故にする人々が存在する。

彼らが約束を反故にする理由は様々だが、これを放置するわけにはいかない。したがって、「約束を遂行しない者」へ対する処置は、「正直者が馬鹿を見ない」ためには非常に重要である。

 

だが、コンサルタント時代に様々な企業に訪れた時、残念ながら「約束を守らない人」は実は非常に多かった。

「なぜ約束を守らないのか?」と聞くと、彼らは大抵の場合、以下の4種類の釈明を行う。

 

1.やらなければならないことに不明な点があり、進まなかった

2.そもそもやる意味があるのか?を疑問に思っていた

3.忙しかった。他の仕事が入ってしまった。

4.忘れていた

 

私は当初、途方に暮れることも多かったのだが、上司から対処する手順を教わった。すると、仕事の進め方が大きく変化し、驚くほど成果があがるようになった。

その手順は以下のようなものである。

 

 

前提:怒らず、まずは相手の現状を把握する

約束を守らなかった人物を怒鳴りつけることは、あまり賢い選択とはいえない。なぜなら怒ってしまうと余計に約束の遂行率が下がるからだ。

大抵の場合、怒鳴ったり叱ったりすることは感情的なしこりを残し、「怒られないように仕事しよう」という間違った動機付けにつながる。

約束を守らない人物についてはまず、相手の状況を把握すべきであり、上記の1〜4のいずれの理由で約束を遂行しなかったのかを聞き出す。

 

1.やらなければならないことに不明な点があり、進まなかった、という人物への対処

「スイマセン、途中でわからなくなって、止まってました」という人に「なぜもっと早く質問しなかった」「なぜ自分で調べなかった」ということはあまり意味が無い。仕組みや手続き、ツールでカバーする必要がある。

したがって、私が上司から教わったやり方は以下となる。

◯締め切りを短く区切る

任せた相手が能力の低い人物であればあるほど、長い期限を設定してはいけない。1週間単位など、もってのほかである。せいぜい1日、2日の単位を締め切りとして設定し、最悪でも遅れを1日程度に留める。

◯質問されたらすぐに対処する

こちらが質問に対してレスポンスが遅いと、彼は怠ける。したがって、質問には最優先で対処する。緊急に対処できず、自分が不在にしているときは、別の人物に質問をするように予め設定しておく。

◯メールではなく「電話せよ」と言う

言葉で不明な点を伝えることは結構難しい。「止まってました」というような人物に、メールでの質問をさせることは非常に困難であるため、基本的に質問は電話でせよ、と言うのがセオリーだ。

 

 

2.そもそもやる意味があるのか?を疑問に思っていた、という人物への対処

彼は反抗的である。こちらの指示や内容はわかっているのだが「納得をしていないのでできない」という人物はどんな組織やプロジェクトにも存在する。

また、このような人物は「自分の思うやり方」へのこだわりも非常に強く、あまりアドバイスを聞き入れない。

このような厄介なタイプの人物の取り扱いは以下のとおりだ。

◯「やる意味」を議論するのは、皆の前でやるようにお願いする。

やる意味について議論をするのは、皆の前でのみ受け付ける、と厳正に注意する。

「上司」や「リーダー」から直接説得を試みるよりも、その場の他のメンバーから説得を試みたほうがうまくいくケースが多いため、「皆の前でやる」ことのメリットは大きい。

だが、相手の態度が頑なな場合、これを続けるようであれば仕事の放棄とみなし、ペナルティを適用する、と言う時もある。映画や小説では、「ついに彼らは分かり合った」というハッピーエンドもあるが、現実には、大抵の場合は分かり合えない。

◯その人物が重要人物である場合は、上に頼んで、プロジェクトや仕事の存続を問い直す

その人物が重要人物である場合は、仕事が頓挫する可能性が非常に高い。また、途上で足を引っ張られ、こちらが責任を取らされるケースもある。

したがってまず最初に上に掛け合うのが正解である。この状態で仕事を進めてはならない。

◯その人とのやり取りをメールにし、上司をCCに入れるなどして、証拠を残す

「そもそも論」を持ち出す方への対処は、上司を利用することの他にもう一つ大事なことがある。それは「やり取りの証拠を残すこと」だ。

こちらがきちんと依頼の手順を踏んでいることを相手だけではなく、第三者に知らせるようにし、いざというときに調停できるように確保しておくことが非常に重要である。

また、この手の人物は「聞いていなかった」と言い逃れをするケースも多いので、注意深く証拠が残るようにする。

 

3.忙しかった。他の仕事が入ってしまった、という人物への対処

この発言は「リソース管理」ができない人物の発言だ。つまり、物事の優先度をつける技術が未熟であり、セルフマネジメント能力に欠けるとみなすことが基本である。

したがって、こちらがリソース管理の手伝いをする必要がある。

◯先に作業時間を確保させる

「この仕事をやる時間を確保せよ」と、先に依頼し、彼の予定表に入れてもらう。よほどのことがない限り、時間を確保させれば仕事はある程度遂行される。

仕事を頼んだ時、「これの作業予定はいつ?」と予め聞いてしまうことも有効だ。

◯他の仕事を入れた人と直接交渉する

「他の仕事が入ってしまった」と言われたら、彼に「誰から依頼された?」と聞く。

その人物を特定し、彼に直接優先度の交渉を行うためだ。これをしないかぎり、再発する可能性が高いので、できるだけ上の人物に動いてもらいリソースを保証してもらう。

◯一緒に依頼した作業を分割し、タスク管理を手伝う

この人物は「タスク管理」が未熟である可能性が高い。したがって、タスク管理をこちらで手助けする必要がある。依頼した作業をおおまかに分割し、それぞれに締め切りを設定する。

また、締め切りを守れなかった場合にはすぐに報告を上げさせる。

 

4.忘れていた、という人物への対処

よほどのことがない限り「忘れていた」という返答は失礼に当たるので、いう人は少ないのだが、親しくなってくると正直にいう人もいる。

悪気はないが、仕事を忘れる、ということは簡単に言うと「その人の中の優先度が低い」もしくは「自己管理が甘い」ことの証左なので、この2つについて確認を行う必要がある。

◯仕事の重要性を再認識させる

「いいですか、この仕事はとても重要なのです。きちんとお願いします」と、依頼をするだけでもそれなりの効果はある。真剣に言えば、ある程度は向こうもその真剣さを汲みとってくれるものなのだ。

また、これは1度ではなく、2度、3度と繰り返し伝えることで、約束の遂行率は飛躍的に向上する。

◯「あなたが今後、忘れないようにするには、どうしたら良いですか?」と聞く

自己管理が甘い人には、自己管理を手伝ってあげる必要がある。そして、自己管理の技術は、その人が自分で編み出さなければ、確実におこなわれることはない。

したがって、一番有効なのは「忘れないようにするには、どうしたら良いですか?」と聞くことだ。

「リマインドします」

「アラートを設定します」

「予定表に書きます」

などの返答があるだろう。それを遂行してもらうだけである。なお、これも2度、3度繰り返すことが多いので、その都度、自己管理のヘルプに入る必要がある。

◯「次に忘れたら、他の人に依頼します」と、信用を失ったことを伝える

仕事上、一番致命的なのは「信頼を失うこと」だと、多くの人は認識しているため、「信用を失いましたよ」という警告は効果が高いケースが多い。

事実、「忘れていました」は信用を失っている。そのとおり「二度目はないです」という言葉は伝える必要がある。「忘れていました」に対しては静かに、厳しく接することで怒るよりも相手に凄みが伝わるものなのだ。

 

 

実は「人に仕事をやってもらうこと」は仕事の中でも最も難しく、経験を要求する仕事だ。

したがって怒鳴りつけるだけではなく、テクニカルに何とかする、ということも選択肢として持っておくと良いかと思う。

 

 

 

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(Send me adrift.)

【公式】大喜利ができる人工知能の開発元がBooks&Appsで広報活動を行います。

大喜利できる人工知能の開発元「株式会社わたしは」は、Books&Appsにおいて、公式に【週報】という形での広報活動を行います。

 

弊社の大喜利AI(大喜利β)に関する他メディアの参考記事:

【世界初】大喜利ができる人工知能の開発者に会ってきた

大喜利のできる人工知能!慎悟くん(大喜利β)にお題を出してみた!

オオギリダイバーという大喜利イベントに人工知能を持ちこんで参戦した話

 

この広報活動の意図は3つです。

 

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1.人工知能のテクノロジーに関する情報を発信する

例えば「機械学習」と「ディープラーニング」の違いとは何か、どのように人工知能は学習を行うのかなど、人工知能に用いられているテクノロジーに関する情報を定期的に発信し、世の中に広く伝えていくことを目的とします。

 

2.「株式会社わたしは」に関する情報を発信する

「株式会社わたしは」はまだ2名のスタートアップです。スタートアップには様々な困難がつきものです。

例えばリソース不足、資金繰り、マネタイズ、技術的障害など、数え上げればキリがありません。ですが、そう言ったスタートアップの「生の情報」を発信することにより、弊社に興味を持っていただける会社が増えれば嬉しいと考えています。

また、「人工知能」は本来、人間の役に立つべきものであり「機械が仕事を奪う」「機械が人間を支配する」といったネガティブなイメージを払拭したいと思っています。

弊社は現在「大喜利AI」を開発していますが、さらにその先にある人工知能と人間が楽しく共存できる世界のイメージをお伝えしたいと思います。

 

3.新しいサービスやイベントなどの情報を発信する

良い物を作っても、ユーザーに知っていただき、使っていただかなければ意味がありません。また、現在は大喜利の性能向上のため、様々なイベントに挑戦中です。

たとえば現在、小学生向けの大喜利を行う【大喜利βキッズedition】の開発を行っており、イベントに出場予定です。

「AIを育ててみたい!」という方は、こちらの大喜利βキッズの詳細なまとめをご覧ください。

http://togetter.com/li/990534

ユーザーの皆様に、人工知能を楽しくお使いいただけるよう、正確な情報発信を定期的に行っていきたいと思います。

 


 

さて、今週は2013年にアメリカで公開された、人工知能をテーマにした映画「her/世界で一つの彼女」という映画についてです。

 

様々な所で高く評価されているようですが、この映画に我々も大きな影響を受けました。

本作は高く評価されている。映画批評サイトRotten Tomatoesには、229件のレビューがあり批評家支持率は94%、平均点は10満点中8.5点となっている。また、Metacriticには、45件のレビューがあり、加重平均値は91/100となっている。(Wikipedia)

なぜならそれまでの我々の「人工知能」のイメージを一新するような新しい世界がそこにはあったからです。

 

映画の中の主人公が住む世界では、「パーソナライズされたAI」を所持でき、AIとデートをしたり、旅をしたりすることもできます。そして主人公の所持する「サマンサ」という名前のAIは非常にチャーミングで、彼は生活に満足していました。

ところがサマンサは知識欲が旺盛で、主人公の想像を超える学習を行い、ついには主人公の理解を超えるに至ります。

「AIが思考していることを言語化できない、すなわち、人間の想像の枠外の思考が存在する」ことを主人公は見せつけられるわけです。

 

この「枠外の思考」こそ、我々が目指す人工知能の本質であり、「意識」というものを捉えるカギになると思います。

人間が「これにはは意識がある。自律的である」と感じるには、「何故このように動くのか、説明ができない」という感覚が必要だからです。

 

我々が「大喜利」をテーマとした人工知能を開発する理由は、

「こんな解釈があったのかw」

「一本取られたw」

「そう来るかw」

といったように、笑いが「人の予想外の答えを出すこと」に基づいているからです。

 

 

【大喜利PickUp】



 

 

【お知らせ】

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実際に効果のあった、読書を習慣化する方法。

読書を習慣化したいけど、なかなか難しい……と思う方はそれなりにいる。

 

アイデアや知識は組み合わせによって生み出されるので、本を読むことはすべての知的活動の基本ともなる。

 

だが、本を読むことは手間である。時間を要求する。「読まなきゃいけないことはわかっているけど、読めない……」という方も数多くいらっしゃるだろう。

したがって、読書を習慣化し、生活の一部として取り入れるには工夫が必要だ。

 

ではどうすればよいか。

webで調べれば結構な数の「習慣化」のコツが出て来る。大抵は、本を紹介してもらえ、とか、無理するな、とか、目標を決めろ、といった話だ。

だが、実際に習慣化に取り組んでみた知人の一人がこれについて話してくれたことは、もうすこし「カッコ悪い」話だった。

彼は読書の習慣がなく、社会人になるまでほとんど本を読まなかったというが、最近では1週間に1冊は本を読んでいる、という。彼は何をしたのだろうか。

 

 

「どうやって読書を習慣化したのですか?」

「言うのも恥ずかしいんすけど、最近スマホゲーに飽きてきて、次のゲームを探そうかと思ったんです。でも「本よめ」っていろんな人から言われるじゃないですか、なんか見下されるのも嫌だったんで、始めてみようかと思ったんすよ。」

「成功したんですか?」

「週に1冊くらいは読めてますかね、そんなめちゃめちゃ読む人からすれば大したことないでしょうが、比較的習慣化はうまく行ってると思いますけど。」

 

うまく行ったようだ。詳しく聞いてみる。

「どうやったんですか?」

「とりあえず、本好きの人に聞きました。「何面白い?貸してくれない?」って。けど、本好きの人に聞いちゃダメっすね。貸してもらったんですけど、レベルが高すぎて読めませんでした。」

「いきなり失敗じゃないですか。」

「そっすね、こりゃダメだってんで、とりあえず本屋行って、ベストセラーのコーナーに行ってみたんですけど、どうもピンとこなくて……」

「どうしたんですか?」

「そのまま買わないで帰りました。」

「ダメじゃないですか(笑)」

「ダメっすね(笑)」

 

「……で、どうしたんですか?」

「ああすいません、で、いくつか「本を読みたくない理由」を書き出してみたんすよ。一つ一つ読まない理由を潰していけば、なんとかなるんじゃないかって。」

「面白そうですね、見せてもらってもいいですか?」

「スマホのメモに書いてあるんで……ちょっと待ってもらっていいすか?」

 

彼はしばらくスマホをいじっていたが、一つのメモを見せてくれた。

 

本は高い ⇒ 古本、中古本を読む

「本て高いじゃないすか、外れたら結構後悔するんで、できるだけ中古で、100円、200円程度の本しか買わないようにしました。」

 

当たり外れがある ⇒ 売れてる本しか読まない

「あと、当たり外れが結構大きくて、人の勧める本も難しすぎたりで。だから、売れてる本をとりあえず選ぶってことにしました。「夢をかなえるゾウ」とか、読みやすかったっすよ。」

 

読むの面倒 ⇒ 手の届くとこに置いて、いつでも暇な時に手に取れるようにする

「基本、家に帰ったら枕元に置いて、出かける時はかばんの一番取り出しやすいポケットに入れました」

 

読むのがつらい ⇒ つらくなったら、読むのをやめて漫画や他の本を読む

「よく言いますけど、無理しない、ってのは大事です。Amazon便利っす。あ、オレは中古専門ですよ。」

 

ストーリーを追うのが面倒 ⇒ 映画化されていれば映画から、漫画版があれば漫画から読む。

「ダヴィンチコードの映画が面白かったんで、本も読みました。本のほうがいいっすね。登場人物のイメージ知ってるし。あと、漫画の7つの習慣とかもいいんじゃないですかね。原作も読みたくなりましたよ。」

 

読みたくない ⇒ カフェで読む

「勉強している人いるじゃないですか、カフェでなら、結構読めましたよ。スポーツクラブも、金払ってるから行くんですよね。本も、カフェに入ったら読まざるをえない、みたいな。」

 

誰もホメてくれない ⇒ 会社のデスクに飾る

「頑張って読んでも、誰もホメてくれないじゃないですか。正直、読んだら自慢したいじゃないっすか。会社のデスクに飾って自慢。これですよw」

 

読むきっかけがない ⇒ スマホのSNSやニュースを見て、イラッとしたら本を読む

「本って、ストレスたまんないんですよね。SNSとか見てると、自慢とかでイラッと来るじゃないですか。すぐにスマホを閉じて、本を開く。これ、結構効果ありますよ。」

 

電車の中で読むには恥ずかしい本 ⇒ 電子書籍

「自己啓発とかって、電車の中で読むの恥ずかしいじゃないですか。「こいつ、意識高い系だ」って、思われたくないですよね。カバーかけてもらっても、電車の中ではガサガサして邪魔なんですよね。だいたい、ビジネス書って大きすぎて邪魔なんですよ。だから、最近では電子書籍が出ている奴は電子にしました。知ってます?スマホでKindleのアプリって出てるんですよ。これ最高すね。無料で読める本が結構あるしw」

 

頭に入ってこない ⇒ 目次だけ読んで終了

「頭にはいってこない本、あるじゃないですか。我慢するのは良くないんで、目次だけ読んでオシマイ、ってのは何冊かありましたw」

 

 

「なんか、力抜けてていいですね。」

「気張ると続かないっすよ。」

「最後に、おすすめの本ありますか?」

「「進撃の巨人」が面白いっすよ。あと、「HUNTER X HUNTER」」

「結局漫画じゃないですか。」

「漫画でもいいんですよ。面白けりゃなんでも。」

 

まあ、たしかにそうである。

 

 

 

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(Andy Roberts)

グローバル化は、同胞意識の変化をもたらす。

分断、階層化、格差社会の進行、どう呼んでも良いが、日本は既に「一億総中流」の社会とは異なってきている。

収入、教育を受ける機会、趣味嗜好や出かける場所に至るまで、「異なるコミュニティ」に所属している人々が受け取るものが大きく異なり、顔を合わせる機会も少なくなっていると感じる。

 

もちろん、これをどう受け止めるかは各人各様である。物事にはメリットとデメリットが同居しており、一概に良い悪いを決定できるようなことは少ない。

だが、影響は確実に社会の各所に及び、「日本人の同族意識」に少しずつ変化が起きている。

 

例えば先日、ある大きな会合の場で、こんな話をしている人がいた。

 

「この前、実家に帰って中学の時の同級生に会ったんだけど、考えていることが違いすぎて、全く話が噛み合わなかった。」

「わかる。」

「なんか、外国人と話しているような感じがした。」

「いや、それを言うならむしろ職場の外国人のほうが、共有してるものが多いから遥かに分かり合えそうな気がする。」

「本当?」

 

一人がその場にいた外国人に向かって、質問する。

「今の話、どう思う?」

「そう思うよ。私も自国に帰ると、同じようなことを感じる。」

「やっぱり。」

「旅行者みたいな初対面の人でも、職業が同じならかなり話が盛り上がるよね。」

思い当たるフシがある人が、数多くいるようだ。

 

「多分、グローバル化って、そういうことなんじゃないかな。自国への愛着っていうか、国の枠組みへのこだわりってあまりなくなってきて、「別に住む国なんてこだわりないから」って言う感じ。」

「そうかもね。日本は住みやすいとは思うけど、僕なんかも別に条件さえ良ければどこでもいいんだよね。」

 

——————————

 

当たり前の動きとして、外国人の採用を進める製造業、web系企業はますます増えている。

パナソニック、ユニクロは8割……急増する外国人採用数(プレジデント・オンライン)

日本企業の外国人採用数が増えている。外国人を多く採用する企業の狙いはどこにあるのか。

パナソニックは2011年度の新卒採用のうち約8割、1100人程度が外国人だ。10年度の新卒採用の外国人比率は6割と、年々外国人の比率が増えているが、急に増やしたわけではない、という。

「最近、当社の外国人採用数が注目されることが多いですが、昔から採用の過半数は外国人です。ただ今後、新興国への展開にさらに力を入れていくことは間違いない。ですから今後も現地外国人の採用数は増加していくと思います」

もちろん、日本企業が外国人をうまく使えず「日本型」にこだわるあまり、優秀な外国人を採用することができない、というという問題も随所にある。だが、これも時間の問題だろう。

あるweb系のスタートアップ企業の経営者は、「webに国境はありませんから。日本人を特別視して雇う理由は、そこまでないですよ。」と言っていた。

 

 

最近では「民泊」の増加もあり、外国人旅行者は増え続けている一方で、職場にも普通に外国人がいるようになり、海外で働く人も増えている。

そういう状況下で「グローバル化」の前線に居る方々は、「日本人である」という事を意識してはいるが、こだわりは少ない。

 

彼らにとって「同胞」は、別のコミュニティに所属している日本人ではなく、「一緒に職場で働く人々」であり「価値観の似ている人々」である。

そして「彼らとは価値観の異なる日本人」の存在はますます遠くなる。

 

—————–

 

現在我々が考えている「国」の原型はヨーロッパが生み出した「国民国家」と言われるものだ。

17世紀、戦争につかれたヨーロッパの国々が、「ウエストファリア条約」によって、相互の領土を尊重し、内政干渉をやめようと約束したことにより生まれた。

ただ、日本は言語や民族が単一に近いこともあり、ヨーロッパの人々と異なり「条約」などを経ることなく、近代以降は自然に「日本人である」という同胞意識を自然に持てたのではないだろうか。

 

だが、そういった時代ももしかしたら終りを迎えるのかもしれない。

少子化や年金問題、福祉や医療など、国民的な合意を得るのが極めて難しい問題が山積する現在、グローバルに生きることのできる人間たちは、ローカルでしか生きることのできない人間の生活を想像することができるのだろうか。

 

何時の世も、国の崩壊は「税」と「格差」にまつわることから始まる。

すでに「国」という枠組みはかなり弱体化しており、日本に愛着を持たず「自分が感じる同胞」に仲間意識を感じる人物たちは、「日本人である」というだけで、彼らに手を差し伸べよう、とは思わない公算が高い。

 

 

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(marcokalmann)

統合失調症の症状、今昔

昔の統合失調症(Hatena Anonymous Diary)

ちょっと前、「昔の統合失調症はどんな症状だったの?」という書き込みをインターネット上で発見した。短いので全文引用しておく。 

“統合失調症の人は、盗撮・盗聴されているだとか、電磁波攻撃されていると認識する場合がある。昔、電磁波なんて概念がなかった時には、どういうリアクションしていたんだろうか。江戸時代とかに統合失調症になったらどういう自覚症状を持つんだろうか。当時の史料とか残ってないのかね?” 

私は精神科医だが、統合失調症の症候学を専攻しているわけではない。とはいえ、手元に参考になりそうな資料が幾つかあるので、これをもとに「統合失調症の症状は今と昔でどう違うのか」について、なるべくわかりやすく説明してみる。 

 

一精神科医から見た統合失調症の「軽症化」 

症状の話に入る前に、「統合失調症の軽症化」について触れておこう。 

最近、精神医学の世界では「統合失調症は軽症化している」とよく言われる。私は精神科医になって十数年しか経っていない若輩者だが、そんな私ですら、この言葉を実感することは多い。 

 

私が研修医だった頃、統合失調症の初診の患者さんには「重症」と言って差し支えのない人が結構混じっていた。 
 
・とめどもない妄想や幻覚に、激しい興奮を伴った妄想型統合失調症の一例。 

・天を指さすようなポーズを取ったまま微動だにしない、緊張型統合失調症の一例。 

・何年も自宅に引きこもり、人格荒廃が進んだ状態で来院した破瓜型統合失調症の一例。 

こういった症例が在野にはありふれていて、駆け出しだった私に忘れがたいインパクトを残した。 

 

それから十余年が経った2016年現在、そういった症例に出会うことはほとんど無い。絶無ではないけれども、年間に1例あるかどうか。初診*1の統合失調症の患者さんはもっと軽症で、いきなり医療保護入院や措置入院を必要とする重症例は少ない。

激しい幻覚や興奮を伴って入院した症例も、そういった症状が一か月以上続くのは珍しい。症状が長引くのは、何年も前から既に治療を受けていて、にもかかわらず十分な効果が得られなかった、いわゆる“治療抵抗性”の“難治例”がほとんどだ。 

 

こうした感想は私だけのものではない。あちこちの精神科医に訊いても、似たような感想が返ってくる。「初診の重症例に出会う頻度が減った」という意味では、統合失調症は軽症化している、と言って良いのだろう。 

ちなみに、須賀英道『統合失調症は軽症化しているか』(臨床精神医学45(1):5-12,2016)によると、精神科医が言うところの「軽症化」とは、精神病症状の重症度レベルが低いだけでなく、生活状況・コミュニケーション・医療者と患者さんの信頼関係のできやすさ等も含めての「軽症化」であり、家庭環境や地域環境によっても「重症か、軽症か」の印象が左右される、という。

病状そのものの軽重だけでなく、いろいろな要素が加味されていることを忘れてはならない。そのうえで「統合失調症は軽症化している」という言葉を解釈するのが適当なのだろう。 

 

軽症化の背景 

同論文には、こうした軽症化の背景についても書かれている。 

1.統合失調症への病名変更 

病名が変わって抵抗が薄らいだことで、医療介入のハードルが大きく下がった。病名告知もしやすくなり、早期治療や外来治療の継続などもやりやすくなった。 

2.薬物療法の向上 

薬物療法が進歩したことで、厄介な副作用が出現しにくくなった。また、単なる幻覚や妄想の治療から、認知機能の保持に治療の主点が移った。 

3.精神科病院やクリニックの環境改善 

病院環境が劇的に改善し、メンタルクリニックもたくさんできた。これも早期治療を促した面がある。またメンタルクリニックに来院される患者さんはうつ病・不安障害・発達障害などがメインなので、相対的に、初診で重症な統合失調症の患者さんに出くわす割合は少なくなっている。 

4.外来治療の充実 

継続的な外来治療に同意してくれる家族が増えて、病院側も外来治療を重視するようになった。「患者を医師が治療する」から「患者に医療チームが加わる」にスタンスが変化した。 

5.早期の治療介入 

病院の早期受診だけでなく、公的機関窓口・民間相談窓口・教育機関窓口などが整備されるようになった。夜間・休日にも対応の余地が生まれた。 

6.減弱症候群(Attenuated Psychosis Syndrome)という用語 

最近は、統合失調症を本格的に発症する前の状態に注目する精神科医も現れている(減弱症候群)。こうした、発症前に着眼する視点も軽症化に寄与しているかもしれない。 

7.文化基盤の変化 

たとえばブータンでは、都市部の(統合失調症の)緊張病状態が減少しているという。フロイト時代の神経症性ヒステリーが21世紀になって減ったのと同じように、文化状況が変化すると精神症状の表現型は変化し得る。統合失調症とて、その例外ではない。 

 

以上は私なりの要約なので、きちんと確認したい人は本文をご参照いただきたい。いずれにせよ、「社会環境が変化すれば統合失調症の症状は変化する」ということ自体は間違いないのだろう。 

 

なお、私個人は、「社交不安性障害、うつ病、パーソナリティ障害、発達障害など、ほかの精神疾患を精神科医がたくさん診るようになったから」も「初診の統合失調症が軽症化しているようにみえる」理由のひとつではないか……と疑っている。 

こういった精神疾患のために通院する患者さんのなかには、経過の途中で統合失調症の症状が現れて、病名と治療方針が変更になるケースがある程度混じっている。そのような患者さんは、昭和時代だったら統合失調症症状が悪化するまで未治療だった可能性が高い。

だが、とにかくも外来通院さえしていれば、精神科医が病状の変化に気付いて統合失調症を見抜く可能性が生まれる。この場合、精神科医は「軽症の統合失調症を発見したぞ!」という印象を受けるだろう。精神医学が疾患概念を増やしていったことには功罪両面があるだろうが、こと、統合失調症の早期発見という点ではプラスに働いているのではないだろうか。 

 

今と昔の統合失調症の妄想 

重症か軽症かの違いだけでなく、妄想の内容にも変化が認められる。 
冒頭の引用文にもあったように、電磁気学や電子工学が存在しなかった時代に「電磁波攻撃」などという妄想が出現するわけがない。過去の時代の妄想は、違ったかたちで表現されていたはずである。では、昔はどうだったのか? 

 

精神分裂病と妄想―精神科臨床と病床日誌から

江戸時代の妄想については、私は資料を持っていない。しかし明治期以降の妄想については、藤森英之『精神分裂病と妄想』*2が参考になる。同書所収の調査は明治34年~昭和40年の都立松沢病院(とその前身の巣鴨病院)のカルテを調べまくったもので、統合失調症の妄想内容を集計したものだ。これもダイジェスト的に紹介すると、 
  
・憑依妄想 

キツネ・犬神・蛇・猫などが憑依するタイプの妄想は、昭和以降にはっきりと減少した。 
  
・誇大妄想 

「自分は神である」「自分は天皇である」といった妄想も減っている。明治期には誇大妄想の対象として「官軍大将」「大侯爵」「陸軍大佐」などが選ばれやすかったが、戦後には「代議士」「中小企業の社長」など、一般的で不特定多数な意味の「偉い人」が選ばれやすくなっている。 
  
・物理的被害妄想 

ここでいう物理的被害妄想とは、さきほどの「電磁波攻撃」といったたぐいの被害妄想である。これは数の上で増大しているだけでなく、バリエーションの面でも拡大している。明治時代には「電気」「エレキ」がほとんどだったが、昭和以降は、電波・隠しマイク・録音テープ・電子頭脳・超音波・X線・テレビ・放射能などが加わっている。 
  
・心気妄想 

癌・結核・梅毒などといった特定の疾患に罹っている妄想は増減していないが、異常体感を伴う奇異で頑固な妄想――身体幻覚やセネストパチー等を含む――は増大している。 
  
・血統妄想 

意外と減っていない。しかし過去の血統妄想は皇室だけでなく華族や大名の血筋を確信することもあったが、昭和時代からは専ら皇室が対象となっている。また、戦後には「自分はアメリカ人である」「外国籍である」といった国籍否認の症例もみられ、これも血統妄想と関連しているかもしれない。 

 

……といった具合に、減っている妄想もあれば増えている妄想もある。いずれも社会状況を反映している側面が否めず、特に、物理的被害妄想にはテクノロジーの普及が大きな影響を与えていることがみてとれる。 

 

だとすれば、おそらく江戸期以前の妄想もまた、当時の社会状況やが反映されていたはずで、おそらく、名門武家に関連した誇大妄想や血統妄想はたくさんあったのだろう、と想像される。もちろん憑依妄想も盛んだったはずで、妄想を「病気の症状」として取り扱う現在のあり方とは違ったかたちで、社会のなかに顕れ、取り扱われていたのだろう。 

また、さきに引用した須賀先生の論文には「妄想が単純化している」という指摘もある。壮大な妄想体系を構築した妄想はみられなくなって、当事者の置かれた状況から了解可能な被害妄想や関係妄想が増大した、というものだ。 

 

私自身、壮大で緻密な妄想体系を持った患者さんに出くわす頻度は下がったと感じる。多く遭遇するのは、体系的な要素を含まない、「監視されている」「盗聴されている」「集団ストーカー被害に遭っている」といった単純な妄想だ。そうした妄想のうちに、インターネットやSNSやスマホといった語彙がしばしば含まれるあたりはいかにも21世紀風だが、だからといって妄想が複雑・壮大になるわけでもなく、全体としては、断片的でシンプルな妄想が増えていると感じる。 

そうした妄想の断片化・非-体系化について論じている時には、私はいつも『UFOとポストモダン』という本のことを思い出してしまう。 
  
 UFOとポストモダン (平凡社新書)

この小さな本は、UFOが時代とともにどんな風に変化していったのかを解説したものだ。UFOというオカルトにおいても断片化・非-体系化は認められていて、オカルトと妄想という違いはあるにしても、共通点が見出せる気がして興味をそそる。 
  
  

それでも苦しみの中核は変わっていないのだろう。 

統合失調症の症状の過去と現在の違いについてまとめたが、最後に、忘れてはならないことを付け加えておきたい。 

症状のかたち、あるいは症状の語られかたは変化し、「軽症化」が指摘される統合失調症だが、患者さんの体験や苦しみの根っこの部分は、たぶんそれほど変化していない。なぜなら、統合失調症は生物学的基盤に根差した精神疾患だからだ。 

分裂病の少女の手記―心理療法による分裂病の回復過程

例えば、この『分裂病の少女の手記』は非常に古いものだが、統合失調症の苦しみを理解する参考資料としての価値は衰えていない。旧い時代の精神医学の教科書も同様だ。

有効な薬物療法が存在しなかった頃の統合失調症は悲劇的な疾患だったが、現在でも、治療抵抗性の患者さんを中心に、同じような苦しみに苛まれている患者さんは存在する。治療技術も妄想の表現もだいぶ変化したのは事実だが、依然としてこの病気は克服されたとは言えないのも事実である。 

 

 

いつか、統合失調症の治療が飛躍的に進歩する日が来るのかもしれないが、今はまだその時ではない。文中、「統合失調症の軽症化」に触れたけれども、けして楽観しないでいただきたい。この病気は、まだまだ手ごわい。 

 

 

*1注:ここでいう初診とは、その病院・その医者にとっての初診という意味ではなく、初めて精神科を受診するという意味の初診 

*2注:精神分裂病とは、統合失調症の昔の呼び名。分裂病とも。

 

【プロフィール】

著者:熊代亨 ←名前をクリックすると記事一覧が見れます

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)など。 
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』

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時代が変われば、マネジメントの考え方も変わる。

「部下はほめて伸ばすべきか?叱って伸ばすべきか?」という議論が、つい先日あった。

 

もちろん様々な意見がある。

50歳以上のベテラン管理職は「叱って伸ばすべき。甘やかすな」と述べた。

逆に、40代の比較的若手の管理職は「褒めて伸ばすべき」という方が多かった。

 

では、30代の比較的若手の管理職は……というと、彼らは皆、口をそろえて言った。

「褒めてもだめでしょ。」

「叱って伸ばす、が正しいんですか?」

「それもちがう気がします」

「……なんで?」

「褒めるとか、叱るとかは、「なんとなく偉そう」だからです。偉そうな管理職なんて、チームとしてうまく行きませんよ。」

 

結局、その場では折り合いがつかず、40代以上と、30代は物別れに終わった。

 

————————-

 

どう思っただろうか。そして、「どちらが正しい」はあるのだろうか。前提から考えてみる。

 

40代、50代の管理職の方々に

「なぜ、褒める/叱るが大事だと思うのですか?」と聞くと、

彼らはこう答える。

「「褒める/叱る」ことで、人間のやる気を引き出すことができるから」

「良い行いには褒め、悪い行いは叱ることで、行動を正すことができるから」

なるほど、教科書通りの回答だ。

 

 

しかし、30代の管理職の一人が、こう述べた。

「今の時代は、自律的に動く人が求められていますよね。命令に忠実に従うことではないとおもいます。

褒める、叱るという行為は「命令に忠実に従った報酬、または懲罰」として与えられるものであり、人を操作しようとしている意志の表れではないか。もっと言えば、相手が大人であれば「子供扱いするな」という反発を生むのではないか。

もう、上意下達じゃいい仕事できないですよ。」

 

40代、50代の管理職は

「操作しようという意図はない」

というが、

「褒めるなら、お金をちゃんとあげてください。上の働かない人たちよりも。」

と、30代の管理職は疑っている。

 

最後に、30代の一人が、

「仕事は責任感に訴えるのが本筋であって、人から褒められる、叱られるが原動力なっている人は、仕事ができない人だと思います。」

と言った。

 

 

時代が変われば、少しずつマネジメントの思想も変わる。

少しずつ「管理職とはこうあるべき」という姿も、変化してきているのだろう。

 

 

 

 

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(Sandra Heska King)

成長せず、「現状維持」を目指すことは悪いことなのだろうか。

成長せよ、と声高に叫ぶ方を見るにつけ、「本当に成長は重要なのだろうか」と疑問に思う。

逆説的ではあるが、成長を目指すのは楽で、むしろ現状維持を意図的に目指すほうが、遥かに難しいのではないだろうか。

 

太平洋の南西部に、ティコピア島という、絶海の孤島がある。

Tikopia_ISS002

(撮影:NASA)

島の総面積はたったの五平方キロというから、正方形にしてみると、タテヨコ二キロちょっとしか無いという、恐ろしく小さな島だ。

この島の人口は約1000人、

 

人類学者のレイモンド・ファースは、この島に1年間滞在し、研究活動を行ったが、彼はこの島を評して次のように言っている。

「この島に実際住んだものでなければ、ここが他の場所からどれほど隔絶しているかを理解するのは難しい。この島はあまりに小さいので、海の眺めや響きが遮られることはめったにない。(中略)島民にとって、本当に大きな陸塊を想像することはほとんど不可能なのだ」

 

しかし、驚くべきことに、この小さな島には三千年にわたって、人か途絶えることなく、生活している。よく耳にする「サステナブル」という言葉は、この島にこそ相応しいのだ。

だが、一体どうやって1000人以上の住民をこの島は養っているのだろうか。そして、もっと大きな問題、どうすれば人口を維持可能な水準にとどめて置いているのだろうか。

 

一つ目の疑問、食糧問題に関しては、この島に住む住人は、多くの「生き延びるため」の知恵を持っている。島は効率よく農地にし、豚は農地を荒らすので飼わない。海産物は乱獲を防ぐため、漁をするためには首長の許可を必要とする。

また、長期保存できる保存食料を自然災害に備え、常に備蓄している。これらは昔ながらの知恵として、この島に伝承されているものだ。

 

ただし、それだけでは三千年もの永きにわたって、彼らは生き延びられなかったはずだ。

なぜなら、十分な食料があれば、人口はゆるやかに増加するからだ。例えば最初の入植者を25人と仮定する。わずか年間1.4%の人口の伸びでさえ、300年足らずで人口は1200名を超える。

人口爆発が起きた土地は、多くの歴史が示すように、資源の奪い合いから戦争へ発展、崩壊に至ることもある。

 

だが、彼らは意図的に人口を一定に保ち、三千年以上、破滅を免れてきた。

彼らにとって最も肝心なのは、人口を安定させ、増やさないことだった。自分たちの身の丈を知り、成長を止めることで生き延びてきたのだ。

 

彼らの人口制限の施策は徹底している。

ティコピア島の首長たちは、毎年儀式を行い、島のための「人口ゼロ成長」の理念を説く。

さらに、ティコピア島で親になる人々は、自分たちの長男が婚期に達した後に子供をもうけ続けたり、「人数枠」を超えて子供を持ったりすることを悪い行いだと感じている。その他、避妊、堕胎や、現在では行われていないが新生児を殺害したりすることもあった。

 

さらに、貧しい家庭の次男や三男、あるいは余剰となる適齢期の女性たちは子供を持たないことを自主的に選択した。

「自殺」も珍しくない。首吊りや入水などの他にも、危険を承知で海に航海に出る「事実上の自殺」が多数あり、この種の航海が未婚男性の死因の3分の1以上を占めていた。

彼らは共同体の危機を回避するために、「人口減」という成長回避を敢えて行った、ということになる。

 

現在でもティコピア島の首長たちは、島民の数を厳しく制限し、1015人までとしている。

 

——————-

 

現代の日本人たる我々は、常に成長を指向するように向けられてきた。

「成長せよ」

「人口を増やせ」

「売上を伸ばさなくては」

しかし、現実には永遠の成長など存在しない。会社も社会も、いずれ成熟を迎え、成長を止める。そんな時、それを受けれることは実は「大人の態度」である。

皆に聞いてみるといい。「早く大きくなりたい」と言うのは、子供だけだ。

 

経済学者のトマス・ロバート・マルサスは次のような「人口論」を展開した。

人口は幾何級数的に増加するが生活資源を始めとする食料は算術級数的にしか増加しないので、貧困や食糧不足は必ず存在する。

化学肥料や資源発掘の技術の発達により、現在の地球は現在の人口を支えることができている。が、もちろん限界はある。資源は無限ではない。

 

日本の人口が減っているという。我々は本能的に悟っているのかもしれない。「別にもう、成長なんかする必要はないんじゃないの?」と。

少子化は「現役世代が老人の面倒を見ることができなくなるから問題」という人がいるが、それは現在の年金制度に問題があるのであって、少子化そのものは問題ではない。

増えすぎた人口を抱える文明の末路は悲惨だ。残るは戦争と、共食いだけなのに。

 

 

参考文献:

 

 

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平均と比べても、あまり意味はないですよね。

朝6時37分に起き、7時10分から朝食。

午後7時6分から夕食をとり、午後11時15分に寝る。

 

総務省が、全国約8万3千世帯の10歳以上の世帯員約20万人に時間の使い方を聞いた「社会生活基本調査」(2023年)によると、これが日本人の平均的な平日の生活サイクルだそうです。

第5回(平成8年)調査と比べ、起床と朝食が2分早く、夕食が3分早く、就寝1分早くなっていますが、15年間で大きな変化はありません。この調査は、昭和51年以来5年ごとに行われており、平成23年調査はその8回目。今年、平成28年10月に9回目の調査が行われます。

 

さて、この数字。みなさんは、どこまで自分に当てはまりますか?

私はというと、平日は朝5時30分に起き、6時20分から朝食をとり、7時30分に家を出て職場へ。帰宅時間が日によって違うので夕食をとる時間は2時間以上開きがあり、平均すると午後8時30分ぐらいからで、寝るのはだいたい午前0時です。

本校を例にとれば、土曜日は中学校で「土曜塾」が開講され、先生・生徒ともに平日同様です。高校では授業こそありませんが、部活動で終日多くの先生や生徒が学校に来ています。

 

販売・サービス業にとっては土日こそ仕事のピークで、サラリーマンでいう「休み」ではなく、むしろ「今日は忙しいぞ、頑張らなくっちゃ!」です。

「土日は休みですか? それとも学校や仕事がありますか?」

昔であれば、多くの人が「半ドン」もしくは「休み」と答えられたでしょうが、いまやそうではありません。

 

昔、私がラジオ(コミュニティ・エフエム)局を運営していた頃にも、どう考えても一般的ではない状況がありました。

毎日、朝4時に起床。身支度をして5時までに局入りし、ディレクター兼ミキサーとして7時からの生放送に備えて情報収集、原稿や音楽の準備、DJさんへの指示・・・などを経て、本番に突入。

10時に朝の番組が終了すると、その後は取材や営業、地域イベントの打ち合わせなど、夕方の生放送に向けて、再び朝同様の作業が待っています。帰宅時間は午前0時を回ることもしばしば。

今の生活と比べると、もう3時間、起床時間が早いサイクル、そしてほぼ365日それが続きます。

 

 

ですが、そんな生活が意外に充実していて、ツラいと思ったことはほとんどありませんでした。

もちろん、ラジオ局以外にも24時間、それこそ休む間なく動いているところはたくさんあります。当然、そこで働いている人は、一般的なリズムからはほど遠い生活を送っています。

だからといって、そういった人たちが我が身の置かれた環境をマイナスに受け止めているかと言えば、必ずしもそうではないと感じます。

 

生活サイクル、学歴、仕事、子供を産む産まない、同居別居、ファッション、人生・・・。

人それぞれの生き方に「平均」や「標準」って考え方を当てはめにくくなったいま、少なくとも、自分のココロ(信念)に照らし、それが妥当であれば、正しいと思えれば、満足すれば・・・、それこそが自分にとってイチバンなのではないでしょうか。

 

隣の芝生に目を奪われぬよう、自信を持って自己を貫き、迷わず、惑わされずに生きていく。

それでいいのだと思います!

 

☆☆☆

 

<プロフィール>

安居長敏(Nagatoshi Yasui)←名前をクリックすると今までの記事一覧が表示されます
 
私立中高校長。
高校教師として20年勤めた後、転身。コミュニティFMを2局運営、PCオンサイトサポート起業。
再び教育現場に戻り、学校改革を推進。4年前から現職。
 
・Facebook →12799032_966933036675803_8989260437419551489_n facebook.com/yasuis
・Twitter →1YB44m9q_400x400 twitter.com/yasuis
・校長Blog → YASUI’s web diary

「読書すると、仕事ができるようになる」は本当なのか?

知人のT氏が、「部下が本を読まない」という悩みを吐露していた。

「いくら言っても、全く本を読まない。発表させたりすると、しぶしぶ目を通してくるんだけど、ほとんど頭に入ってないみたいだ。どうしたらいいのか……。部下の一人は「本で読むより、実際にやってみたほうが良くないですか?」と言うんだよね。」

T氏は溜息をついた。

 

友人のY氏が、それに応える。

「絶対に本を読まなきゃダメなんですか?」

「うーん、そう言われると絶対、ってわけじゃないけど、仕事できる人はかなりの割合で本を読んでるよね。」

「……多分、それ逆だと思います。」

「どういうこと?」

 

Y氏は少し間を置いてからT氏に言った。

「教育学の先生から聞いたんですけど、「本を読むから知識がついてできるようになる」のではなくて、実は「ある程度できるようなったから、本を読むようになる」らしいですよ。」

「……どういうこと?」

「要するに「本」って、新しい知識を入れるためではなくて、自分が断片的に知っていることを整理するために読む、という効果が大きいという話を聞きました。まっさらな状態で読ませても、単なる暗記になって、全く読書が面白くないと。」

 

T氏は考え込んでいる。

「なるほど……。たしかにそう言われると、そうかもしれない。」

Y氏は言った。

「その先生、こんなことも言ってました。「資格取得」っていうのも、ある程度実務経験を積んだ人がやるといい効果があるらしいです。」

「なんで?」

「経験の中で断片的に学んだことが、体系的につなぎ合わされて、応用の範囲が更に広がるって言ってました。」

「そういうことか。ふーむ。」

 

T氏はしばらく考えてから言った。

「すると、部下に「本を読め」と言うのは、ある程度できるようになってきてからのほうがいい、ってこと?」

「そう考えるのもありだと思いますが。」

「むー。」

「実はこれ私も憶えがあって、新人の時、友だちに勧められてドラッカーの本を読んだんですけど、全く頭に入ってこなかったんですよね。10ページ位読んで、きつくて読むのを辞めたんです。」

「まあ、読みづらいよね。」

「でも、働き初めてしばらくして、成果を要求されて、部下を持たされて、その時また、ドラッカーを読んでみたら、「こんなすごい本だったのか」と思いました。全然印象が違ったんです。「自分のために書いてくれたんじゃないか」って思いました。」

「つまり?」

「単に憶えるだけなら、本を見て暗記すればいいだけです。試験とかはこういう勉強方法が一般的ですよね。」

「そうだな。」

「でも、実践を目的とすると、自分で体験したことしか、本から学ぶことはできない。タスク管理の本って、自分でタスク管理を実際にやってみたことのある人にしか、ピンと来ないんじゃないかと思ってます。」

 

T氏は言った。

「……言われれみれば、自分にも覚えがある。新人の時先輩からもらった法律書がどうしても頭に入ってこなかった。先輩は「この本最高にわかりやすいよ」と言ってたけど、自分にはどうしてもそう思えなかった。でも、1,2年たってそれを開いてみたら、「この本すごい」って思ったよ。今までなんとなくやってたことが、きちんとまとまってた。」

「そうです、多分それと同じです。」

「なるほどね、少し部下に読ませるには早かったってことか……。」

「みんな、「暗記」を目的とした勉強に慣れてしまってますからね。読書を習慣化するには「経験したことをうまくまとめている本」を入り口にしたほうが良いかと思います。経験していないことを本から学べる人は、かなり読書のレベルが高い人じゃないですかね。」

 

 

しばしば、起業の相談に来る方の中に、「参考になる本、ありますか?」と聞いてくる方がいる。

しかし、上の話を鑑みると、まずは起業してみないことには、起業の本を読んでもピンと来ないかもしれない。プロジェクトマネジメントも、英語も、仕事術も、「やってみた後」でしかわからないことはたくさんある。

無闇に自分が良いと思ったものを薦めてもダメなのだ。

 

多分「良い本」とは、その人の今までの経験を、新しい領域にどう適用すればよいかの指針となる、架け橋のようなものなのだろう。

 

 

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Pedro Jesus

就活において『志望動機』は本当に必要なのか

 就職活動で必ずといって良いほど聞かれるのが、『志望動機』と『自己PR』だ。

自己PRが求められるのは、理解できる。何もPRすることがない人を採用したいとは思わないだろう。では、志望動機は?

 

☆★☆★☆

 

個人的に興味があるため、私はよく「なぜその会社に就職したんですか」という質問をする。

だが、様々な回答が返ってきても『この会社でなければならない』という志望動機は聞いたことがない。

先日、証券会社でディーラーをしていた人とこんな会話をした。

 

「リスクが高いお仕事ですね」

「そう、不安定だね」

「なぜそのお仕事をしようと思ったんですか?」

「カッコイイから」

「イメージですか?」

「そうだね。『ディーラーってカッコイイ!』と思ったからなりたかったし、実際に面接でもそう伝えたよ」

 

そんな志望動機で採用されるものなのだろうか。私の疑念を払拭するかのように、彼は説明を追加した。どうやら面接で次のように伝えたらしい。

「ディーラーはカッコイイと思うので、なりたいです。『こういう仕事がしたいです』という人だと、その仕事ができないと不満を抱くと思いますが、僕の場合はそうではないので、どんな仕事でも満足してやります!」

 

物は言いようだよね、という言葉で、この話は締め括られた。

偽りのない動機を伝えた上で、相手が納得する説明も付け加えている。これはとても素敵だと思うけれど、皆が皆、明確な動機を持っているわけではない。

「『これ!』という明確な理由なんてないよ。恋愛と一緒で“縁”だから」という人もいるのだ。

 

昨今の就活生の話を聞くと、志望動機は『存在していて伝えるもの』ではなく、『存在しないから作るもの』になっているように感じる。

他人事のように書いているが、私自身もそうだった。存在しない志望動機を無理やり作る作業はとても大変で、疲れるものだった。無理やり作られた志望動機を聞いて、企業は何を判断しているのだろう。こんな志望動機を、本当に求めているのだろうか。

 

☆★☆★☆

 

志望動機を聞く意味が心底理解できないケースもある。

たとえば、会社側から「うちの会社の説明を聞きませんか」とアプローチしてきたようなケース。説明を聞くと、悪くない会社だと思える。面接も受けてみるか、という気持ちも芽生えた。そこで、面接に行くと「志望動機は?」と聞かれる。

 

いや、動機もなにも、アプローチしてきたのはそちらでしょう、と感じても不思議ではない。

ここで形式的な回答をしたところで、それは本当に求めていた回答ではないだろう。もしかしたら、形式的にでも、当たり障りのない回答ができる“社会人”になれるかどうかを見極めているのかもしれないが……。

 

私が現在勤めている会社では、志望動機は聞かれなかった。私だけでなく、他の人も同様に、志望動機を聞かれずに採用されている。志望動機ではなく、過去のことや、将来のなりたい姿について詳しく聞いているようだ。

『将来こうなりたい』という思いがしっかりある人は、その思いが叶えられたり、その思いに近づけたりする会社で働けば良いし、『将来のなりたい姿はまだよくわからない』という人は、方向性の合う会社で働きながら見つければ良い。そして会社がほしいと思った人材であれば、めでたくマッチングする。形式的な志望動機なんて、採用には不要なのだ。

 

☆★☆★☆

 

志望動機を無理やり作っていた時期の自分に伝えたい、という思いで書いた。就職活動の本音と建て前に疑義を呈する記事は以前にも書いたので、今回は第2弾となる。もっとオープンな就活になってほしいと思っている。

 

ではまた!

次も読んでね!

 

名前: きゅうり(矢野 友理)←名前をクリックすると記事一覧が表示されます

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

著書「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri

ブログ:「微男微女

「会社への忠誠」は過去のもの。

「いやね、オレに命令するな、って思うわけですよ。」

彼は一流のエンジニアだが、こちらの言うことを聞いてもらうためには非常に大変だ。なにせ彼は「自分が面白い」と思うことしかやらないのだ。

「もちろん最低限の事はしますよ。でも命令されたことは最低限しかやりたくないですね。従うくらいならさっさと帰って、家で知人から紹介された面白い仕事をしますよ。」

 

なかなか激しい方だ。

「会社員として、出世はどうお考えですか」と聞くと

「出世なんて、もともと興味はないですね。お金が欲しかったら他で稼げるし。」

「なんで今の会社にいるんですか?」

「たまたま。まあ、やりたいことできそうだったからね。」

彼はそう言って、コーヒーを啜った。

 

「会社への忠誠心みたいなものは無いんですか?」

「無いね。」と彼はあっさり答える。

「自分で会社をやればいいんじゃないですか?」

「おいおい、オレは経営者としての手腕はゼロだよ。自信があるのは開発だけ。その代わり開発だったら結構無茶な要求でも「できない」って言わない自信はある。」

「……なるほど」

「所詮、会社と社員の関係なんて契約だから。「一緒にやろう」っていう約束は絶対守るけどね。」

 

————————-

 

「会社への忠誠?いつの時代の話ですか?」とそのwebマーケターの方は言った。

「忠誠を誓ったら成果が出るんですか?そんなわけないですよw、今の会社も頼まれたから今いるだけです。居心地わるくなったら、すぐに辞めますよ。」

周りの方々も頷いている。webサービス界隈の人たちは、皆こんな考え方なのだろうか。

 

「もちろん、会社の業績が悪くなったら、我々も切られますからね、必死にやりますよ。でも、会社に尽くせっていう命令をされたら、そりゃ一瞬で冷めますわ。」

そうだ、という声が周りからも聞こえる。

「いいですか、経営者が「雇ってやってる」って考えている会社には、絶対に行きません。何だそれ、って感じです。あくまでも経営者と我々は対等。人としての礼儀がなってない経営者の会社に、今時の優秀な人は絶対に行かないですよ。」

 

私は聞いてみた。

「逆に、どんな会社だったら働きたい、って思うんですか?」

「好きにやらせてくれる会社、成果が出たら、きちんと分配される会社。その代わり成果が出なかったらクビにしてくれて全然いいですよ。」

「会社員じゃなくて、フリーランスではないですか?」

「わかってないですね。フリーランスだったら、仲間や会社の資源が使えないじゃないですか。できることは限られちゃいますよ。資源が使えるから、我々も成果が出せるんです。」

 

————————-

 

そういえば、かつてのコンサルタントの仲間も言っていた。

「コンサルタントとして一人で独立する人がいますが、ありゃダメですね。多分すぐに行き詰まりますよ。新しいことができなくなるし、過去の貯金を使い果たしたらオシマイですね。」

「何故ですか?」

「知識ってのは、相乗効果があるんで、いろんな人と一緒にいたほうが成果が出るんですよ。」

「一人でやらないほうが良いと?」

「そう、専門家はできるならば一人では働かないほうが良い。会社ってのは、専門家がうまく利用できるような設計が必要なんだよね。」

「どういう意味ですか?」

「古い会社は、経営者の命令によって動いたけど、これからの時代の会社は、命令じゃダメだね。有能な人が好きに資源を利用できるようにできてなくちゃいけない。」

「……そうすると、経営者ばかりがリスクを取らなくちゃいけない気がしますが」

「だから、そういう人たちは「雇用契約」じゃなくて「業務委託」とか、そんな形になるかもだね。実際、オレが見る限りではそんな会社増えていきそうな気がするね。」

「そんなもんですかね……。会社がバラバラになりませんか?」

 

彼は笑って言った。

「それの何が悪いの?ダメな奴がいくら群れたって、ダメな集団が出来るだけ。逆にバラバラでも個人の職責を果たしている限り、会社はうまくいく。」

「……。」

「プロジェクトが魅力的であるかぎりは、バラバラになんかならないよ。」

 

————————-

 

早大教授の野口悠紀雄氏は、著書*1の中で現在の日本企業の制度を批判し、

「特に問題なのは、労働者が一つの企業に閉じ込められているということである。」

と述べ「現在の日本企業の制度は、実は戦時経済が今なお、残っているだけだ」という趣旨の研究結果を残している。

*1

「会社への忠誠」とは、巧妙に我々に刷り込まれた、戦時経済の残滓にすぎないのかもしれない。

 

 

知人は言った。「「会社への忠誠」の概念が変わってきてるんだよ。」

「どういうふうに?」

「単純に言えば、今の「忠誠」は、戦国時代の武将が主君に誓う忠誠のこと。平和な世の中の「忠誠」じゃない。」

「……。」

「だって、戦国時代は主君が本当に優秀で、自分の命を託せないかぎり、簡単に裏切ったり、見限ったりするわけでしょ。それだけ真剣、ってことじゃない。」

 

なるほど、戦国時代の忠誠とは、言い得て妙だ。江戸時代「サラリーマン武士」とはちがういうことか。

 

 

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Alan Light

Airbnbに「心の鎖国」を解いてもらったらブルーオーシャンが広がっていた

現在、私の自宅に滞在しているのは日本人の男性です。

旅人でもなく、学生でもなく、社会人です。六本木にある有名な美容室で1ヶ月研修をしている美容師です。

なるほど。

たしかに六本木で1ヶ月間程度の滞在場所って探すのに困ります。

ホテルだと30万円以上はかかるだろうし、賃貸借りるのに敷金礼金払うのもったいないし、ゲストハウスやシェアハウスは好き嫌いある。せいぜいマンスリーマンションでしょうか。

と思って、そう言えばマンスリーマンションのこと全く知らないなと思い調べてみたら、「あ、だからAirbnbひとり勝ちだったんだ」ということに気付きました。

今日はその話をします。ちょっと長くなりますが、とても大事なことを書いてるような気がするので、ぜひ読んでください。

 

まず「ウィークリーマンション 麻布十番」で検索してみたのですが、するとウィークリーマンションドットコムというサイトがトップにヒットしました。そこにはなんと麻布十番周辺だけで110件も登録されているじゃありませんか。

Airbnbで「麻布十番」だと70件ちょっとで、ウィークリマンションの方がはるかに多いのです。

そして価格は下記の通り、大体1日あたり5000円〜7000円が相場のようでした。

スクリーンショット 2016-06-18 3.00.26

あ、こういうところと競合していたのかと、はじめは思ったのですが、いえいえ全く競合してないとすぐ気付きました。

 

私、サイト見て一発でわかりました。理由は超簡単です。

英語に対応してないのです。

 

Airbnbが日本でなぜうまくいっているか?

海外で流行っていたから?自宅の余っている部屋に旅人を泊めるというアイデアが素晴らしいから?安く泊まれるから?

それらは間違ってないとは思いますが、Airbnbの本質を表すには不十分です。

この日本においてAirbnbがうまくいったのは、日本人が外国人なんか来るはすがないと思っていた場所を、全世界の見込み客相手に解放したことです。

英語ができないとか、外国人は慣習が違うとか、ガイジンは何するかわからないとか、多くの日本人がそう思い込んでます。(その思い込みを巧みに利用して「民泊」=「危ない」と情報操作しようとしている人たちがいるんですがここでは多くは語りません)

そういったいわば心理的障害の前に外国人を本気で招こうとしている人が日本にどれだけいたのかってことです。

もちろんアパホテルとか、ビックカメラなど爆買い中国人を中心に時流を掴み大儲けしているところもあるようですが、Airbnbはそういうことを意図的にやっていたのではなく、もともとグローバルにサービスをつくっているので、はじめからそうなのです。

 

AirbnbのWebサービスとしての根幹は、泊まりたい人と泊めてもいい人をマッチングすることです。

「誰かと誰かを繋げる」ことで素晴らしいことが起こりそうなことは、世界中の誰だって理解できます。ただし問題なのは、その価値観を共有できる人は世界中にいるはずなのに、他言語同士だとコミュケーションが取り辛くなることです。

でも今はインターネットがあるおかげで、他言語同士でも簡単に翻訳ができるようになりました。

さらに言うと、今時のイケてるWEBサービスは、ユーザーに翻訳すらさせないくらい言語の壁を超えたサービスを提供しています。

例えば世界中で使われているOS(iOSやWindowsなど)やWEBサービス(GmailやFacebookなど)はマルチリンガル対応になっていて、あらゆる言語が選べ、母国語さえできれば不自由なく利用できるようになっていますよね。

スクリーンショット 2016-06-18 3.25.59

もちろんAirbnbのサイトもマルチリンガル対応になっていて、例えばフィンランド語でAirbnbのサイトを利用している人が、日本の私の部屋を見ている時はもちろんフィンランド語で見ることができます。

唯一、ユーザー同士のメッセージやホストが入力している部屋の説明文などは翻訳はされてませんが、だからこそそういう部分は世界中のほとんどのユーザーは英語で入力します。

別に英語が決まりってわけじゃないです。でも、一番確実に伝わる言語が何かと言われれば英語です。歴史上そうなりました。そこに文句言っても仕方ありません。我々は日本人に生まれたのが運が悪かっただけです。

 

翻って、ウィークリーマンションのサイトをあらためて見ると、Airbnbより物件数は多いし、利用料だって安い場所も多い。

でも、肝心の英語対応してないじゃないですか。マルチリンガル対応なんてもってのほか。(もしかしたら他のサイトに掲載してるかもしれないですが、どちらにしろ外国人旅行者には届いていないことは明白なわけで)

ついでに、ウィークリマンションだけでなく、じゃらんとか楽天トラベルも見てみましたけど、英語、中国語、韓国語、タイ語は対応しているけどマルチリンガルになってないじゃないですか。

やってない理由は、もちろんコストパフォーマンス(費用対効果)の問題だと思いますが、でも要するに全世界の外国人相手にしようなんて思ってなかったわけですよね、せいぜい中国、韓国くらいで、それはそこは確実に来ることがわかってるからやってるわけですよね。

それにそもそも外国人を日本人が受け入れるののは、英語ができるある意味特別な日本人にしか無理だろって心の底で思ってたんじゃないですか?

エアログのるってぃが「心の鎖国」(テレビで民泊の現状を伝えました。日本はかなりヤバいと思いますより)

ってブログで叫んでましたが、そういうの頭のてっぺんから足の先まで意識的にも無意識的にも日本人にしみこんでんじゃないですか?

 

はじめからグローバルに客を集めようとしているAirbnbとグローバルに及び腰の国内のサービスと、そりゃ勝負にならないです。「空いてる部屋に旅人を泊める」という突拍子もないアイデアであっても、本気で70億人を相手に商売しようとしてるわけですから。

 

Airbnbが、日本でこんなにもうまくいった理由って、日本人の「心の鎖国」のせいと逆説的にも言えるわけで、多くの日本人が外国人に先入観を持っている隙をついて、Airbnbが入り込んできたんですよ。

証拠?私の「心の鎖国」はAirbnbに完全にぶち壊されましたよ。

言語や国境の違いなんて、人間が古から持っている「善意」とか「思いやり」というコモンセンス(良識)に比べたらハナクソみたいなもんだってわかりました。

日本人の多くの人が、外国人に先入観を持っている間に、私は「心の鎖国」を解放し、多くの外国人を自然に受け入れるようになりました。心の鎖国を解いたらブルーオーシャンが広がってました。(※ブルーオーシャン→競争が少ない良質な未開拓マーケットのこと)

 

マンスリーマンションのこと調べてたらこんなことに気づいちゃいました。別にマンスリーマンションにケチつけたかったわけではないのです。

むしろ、マンスリーマンションだって、「民泊」という言葉に惑わされないで、法律の許す範囲内で外国人旅行者にどんどん解放してあげればいいわけです。さっさとAirbnbに登録して、Airbnbから客を供給してもらえばいいと思います。ゲストだって選択肢増えて喜びますよ。

一応知らない人いるかもしれないので言っときますけど、Airbnbって登録手数料0円で手数料3%です。こんなノーリスクで低コストな集客方法ってありますか。

Airbnbが好きな人たちって、Airbnbをうまく使いこなしているのであって、決してAirbnbに使われている人たちではないです。なのでAirbnbを叩く理由なんて、既得権益がおびやかされている以外に思いつかないです。

 

“Airbnbに「心の鎖国」を解いてもらったらブルーオーシャンが広がっていた Airbnb日記 vol.191”

 おわり(Vol.191へつづく)過去のAirbnb日記一覧

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知らず知らず上から目線になっている人の特徴。

様々な企業を訪問すると、「上から目線」の方に出会う。

上から目線は嫌われがちではあるが、個人的には特に悪いことか、といえばあまりそうは思っていない。

目的があり「上から目線」を使っている人は、少なからず存在する。

 

例えば、多くの独裁的な経営者は上から目線の方が多い、

これは自然なことで、認知心理学的には、人は「自信にあふれた人」を信用する傾向にある。したがって、尊大に振る舞うことにより、「社員が経営者に疑いを持たない」ということを彼らは経験的に知っているのだ。

 

また、LINEの執行役員であり、メディアの専門家である田端信太郎氏は著書*1の中で「上から目線」についてこのように述べる。

ネット上では、新聞や雑誌といった旧マスメディアに関わる大手企業の社員を指して「上から目線」の「勘違いマスゴミ」などと揶揄し、罵倒するムードがあります。
私も、その気持自体はよくわかりますが、プロとしてメディアの世界で満足な報酬を得ようとするならば、「ナメられてしまえば、商売はあがったり」であり、一定の「上から目線」はある意味では、当然の前提なのです

「権威」を必要とするマスコミの方々、あるいは専門家、管理職たちが、「上から目線」を使うのは意図的であり、特に批判されるべきことでもない。世の中には「上から目線の専門家」「上から目線の上司」を好ましいと考える方も数多くいる。

*1

 

ただし、不幸なのは「本人が自覚していない状態で、知らず知らず上から目線になっている人」である。なぜなら、殆どの人にとってその人は「単なるコミュニケーションの取りづらい人」になってしまうからだ。

友達や家族に疎まれるばかりか、仕事でかなりの損をしているだろう。本人に明確な悪気がないのに、意図せず嫌われてしまうのであれば、それは気の毒なことでもある。

では、「知らず知らず上から目線になる人」はどのような特徴を持っているのだろう。

 

 

1.「評価」し、賞賛しない

「上から目線」と思われがちな行動で最も目立つのは、賞賛すれば良い所を、知らず知らずのうちに「評価」してしまうことである。具体的には

・よくやってるんじゃないかな。でも…

・悪くないよ。でも…

といった発言である。「素晴らしい」の一言で済むところを、どうしても「素晴らしいけど、◯◯の部分はまだまだだよ」と言いたくなってしまうのだ。特に中途半端に知識があると、素人が「素晴らしい」と賞賛することを素直に認められない方が多い。

嫉妬はとても強い感情であり、それが一種の「上から目線」を生み出す。

 

2.「勝ち負け」「序列」にこだわる

私、◯◯が好きなんだけど……と言うと、「いや、どう考えても◯◯のほうが上でしょ」という発言が多いと、上から目線という印象を持たれる。

つい先日、ある女性がパートナーからプレゼントしてもらったアクセサリーを周りの方に見せた所、「アクセサリーブランドの序列」について語り始めた方がいた。当然、女性はいい気持ちはしなかっただろう。

「勝ち負け」「序列」「格差」といったキーワードに敏感な方は、「上から目線」を生み出しやすい。

 

3.「主張したい」けど相手の理解はしたくない

ある「意識高い系」と言われている男子学生がいた。彼は真面目でよく勉強し、就職活動もそれなりにうまく行っていたので、後輩から就職活動のアドバイスを求められた。

だが、アドバイスを求める後輩は日に日に減っていった。なぜなら「あの人上から目線でムカつく」という噂が立ってしまったからだ。

実際、彼は意識が高過ぎる余り、後輩の「相談にのる」という役割を忘れ、ひたすら自分の主張を後輩に押し付けていた。

・とりあえず、この時期にエントリーシート◯社出してないなんて、ありえないでしょ。

・◯◯の説明会行ってないの?ヤバイよそれ。

・この時期には◯社くらいの内定を持っておかないと、失敗だよ。

だが後輩が求めているのは、彼の主張を話してもらうことではなく、悩みを聞いてもらい、対応策を一緒に考えてもらうことだった。

主張が強すぎると、「上から目線」を生み出しやすい。

 

4.「教えたい」が強い

「教えること」は「上から目線」と紙一重であり、勘違いされやすい。学びは「自分が無知である」と仮定しなければ得られないものだからだ。

したがって「教えすぎる人」は、相手に「自分が無知である」と考えることを強制するので、「上から目線」と捉えられやすい。

・◯◯について教えてやろう

・◯◯は私の言う通りにやれば大丈夫

・オレにアドバイスを求めないなんて、間違っている。

こう言った発言は「親切」であることも多いのだが、相手によっては「上から目線」と見られることもある。

「教えたからって、学ぶわけではない」のだから、教えたがりの方は注意しなければならない。それは「上から目線」を生み出しやすい。

 

5.「人を試す」ことが好き

質問に質問で返すことや、「◯◯って知っている?」といった人を試すような質問が多いと、「上から目線」という評価を受ける。

例えば聖書には「神を試してはいけない」という訓戒が述べられているが、それは「試す」という行為自体が人間を神の上位に置く行為であるからだ。

もちろんちょっとした投げかけや、コミュニケーションのための質問は悪くないが、「この人がどこまで知っているのか」「どの程度の事ができるのか」などを試す行為を頻繁に用いると、もれなく「上から目線だ」という評価をもらうことができる。

 

 

繰り返すが「上から目線」は時と場合によって使い分けが重要だ。

意図せざる評価を貰わないために「ちょっと気を遣う」だけでも、かなり印象が変わる。

 

 

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tommerton2010

頑張ればいいのか、頑張らない方がいいのか。

最近、本屋の自己啓発本コーナーに行くと、二つの相反するメッセージを全身で感じるようになった。

 

頑張れ、という本。頑張るな、という本。

一つは、よりスマートなビジネスパーソンになるための自己啓発本の類である。タイトルを見ると「あれしろ、これしろ」のオンパレードだ。

 成長するために努力を惜しむな。

 自分の課題に向き合い、改善せよ。

 成長しなければ、社会では生き残れないぞ。

そんなメッセージを全身で感じる。

 

もう一方は、「ありのままの自分を受け入れよう」という、新たな種類の(?)自己啓発本である。これらの本は、

 頑張らなくてもいいんだよ、出来ないのも自分なんだ。

 嫌われたって良いじゃないか、他人の目は気にするな。

 今の自分でいいじゃない、好きなことで生きていこう。

成長至上主義の自己啓発本とは対照的なメッセージを発している。

 

少し前までは、前者のタイプの本が圧倒的に多かった。 

 

・・いや、違う。

少し前まで、私は前者の自己啓発本にしか興味がなかった。後者の本は、前からきっと存在した。でもそれらの本が発するメッセージは、私に届いていなかった。成長するための本以外は、本じゃなかった。

頑張った方がいいのか。それとも頑張らない方がいいのか。私にはわからなかった。

 

 

頭オカシクなっちゃった。

こんな風になったきっかけは、おそらくあの出来事だろう。

「あれ?文章が読めない。」

ある朝、いつも通りお客さんから送られてきたメールを読もうとしたが、全く理解することができなかった。

一つ一つの文字を指で追い、声に出して読んでみる。私の声は、確かに音声として耳に入ってくる。だけど、なぜか頭に入ってこない。

 

「あ、頭オカシクなっちゃった。」

そう思った瞬間、激しい動機と吐き気と腹痛に襲われた。オフィスには私一人しかいなかった。なぜならその3ヶ月前、会社の方針についていけず、私以外の社員が全員辞めてしまっていたからだ。

「これは早退した方が…いいよね。でも、今日アルバイトさんが午後来るしな…早退しても大丈夫かな」

そんな状況になってまで、休むことへの躊躇いが頭をよぎった。

私は完全に心を病んでいた。

 

 

成長という脅迫観念からどう抜け出すか

この話をすると、半分くらいの人が驚き、哀れみ、そして元気づけようとしてくれる。そしてもう半分くらいは「実は私も…」と、身の上話を話し出す。

結構な割合で「実は…」と話されるので、似たような状況で追い込まれている人は案外多いんだな、と少し安心する。

 

私たちは小さな頃から、頑張ること、成長することがずっと正しいと教えられてきた。そして、その期待に応えるために必死で頑張ってきた。

 

例えば、以前勤務していたコンサルティング業界なんかは、特にそういう人たちの集まりだった。成長意欲の塊。周囲の期待に応え続けてきた人たち。経営コンサルタントという職業柄、ロールモデルとして振る舞うことが常に求められた。

会社には、とにかく社員はこうあるべきという行動指針が、具体的な言葉で表現されていた。

守るべきルールは100個以上あった。それらが詰まったタウンページみたいな冊子を、社員は毎日読み合せた。行動指針を体現できる人は優等生として評価され、できない人は努力が足りないと責められた。

 

行動指針を全て体現できる鉄人なんかいないことは、冷静に考えればわかるはず。なのに、頑張ること、成長することが絶対的な価値観の世界で生きていると、いつの間にかそうした冷静な判断ができなくなってしまう。

できない理由は全て「自分の努力不足」というロジックに支配され、自分を責め続ける。

 

こうなってしまう人に共通するのは、みんな努力家で、真面目で、人一倍責任感が強いということだ。つまりは、会社から高く評価されるような人材ばかり。彼らは優秀なゆえに仕事が集まってしまう。断ることを許されないから、いや、自分に許さないから、どんどん仕事が回ってくる。

若いうちは、苦手なことでも頑張れば、その努力と忍耐自体が評価される。しかし無理や忍耐はずっとは続かない。いつか爆発してしまうものだ。

そうやってある日プツンと糸が切れ、一人、また一人と心を壊していく。

 

 

頑張り屋さんは、頑張ることをやめてみる

頑張り屋さんは「頑張りすぎがダメだ」と言われると、「じゃあどうやって頑張らないようにすべきか」の方法を頑張って探そうとする。頑張らなくていい系の本を必死に読んだり、ヨガに通ってみたり。

成長至上主義の自己啓発本の代わりに、今度は頑張らなくていいよ系の本を読み漁る。自分で自分に「頑張らなくていいんだよ」と声をかけてあげることができないから、本に、自らを古い価値観から解き放ってもらいたいのだ。

 

何かにしがみついていないと不安でたまらない。しかしそうやって忙しなく動き続けることを繰り返すと、それは癖となってしまう。動くことで本質的課題に向き合わないという、悪い癖だ。

 

「新しい働き方なら、うまくいくかも! 」

「新しい職場なら、うまくいくかも!」

「好きなことだったら頑張れるかも!」

 

自分と対話しないうちに早々に出したこれらの結論は、すべてまやかしだ。

そもそも頑張ること自体をやめないと、一瞬の快楽を得るだけで終わってしまう。職場を変えてみても、働き方を変えてみても、成長と努力信仰から抜け出さない限り、また同じ状況に陥ってしまう

 

「私たちは頑張った方がいいのか。頑張らない方がいいのか。」

ここ最近ずっと考えているけど、やっぱりよくわからない。頑張りたい時もあるし、フーッと一息つきたい時もある。嘘いつわりない、正真正銘の気持ちだ。

 

ただ色々思考して、一つだけわかったことがある。それは、自分の課題は、絶対に自分でしか解決することができない、ということだ。本も、ヨガも、ましてや転職も、会社も、親も、恋人も、代わりに解決はしてくれない。

一人静かに座って、自分自身と対話することでしか解決できない。少なくとも「この課題を解決したい」と決意できるまでは。

 

 

−筆者−

大島里絵(Rie Oshima):経営コンサルティング会社へ新卒で入社。その後シンガポールに渡星し、現地で採用業務に携わる。日本人の海外就職斡旋や、アジアの若者の日本就職支援に携わったのち独立。現在は「日本と世界の若者をつなげる」ことを目標に、フリーランスとして活動中。

筆者Facebookアカウント http://www.facebook.com/rie.oshima.520

個人ブログ:U to GO

仕事は、「必須、一番困難なこと」から手を付けよ。

いま、目の前に仕事がある。どこから手を付けるか?と問われて、どう答えるだろうか。

「簡単なことから?」

「見栄えの良いことから?」

「できそうなことから?」

それとも?

 

だが、実際には正解はひとつしかない。「成果を出すために必須で、一番困難なことから手を付けよ」となる。

 

例えば、ある会社において。経営者が「社員の仕事に対する満足度を高めたい」と思い、

「従業員が、会社に対してどう思っているか?」

を調査したことがあった。

そして案の定、調査の結果「給料が安い」がトップ。調査をする前から結果はわかっていたが、経営者は困っていた。

経営者は従業員を思いやる「いい人」ではあったのだが、残念ながら経営の手腕は今一つで、非常に利益率の低い商売をしていたからだ。

 

その経営者は仕方なく、「とりあえず従業員の不満をそらそう」と、会社の飲み会を増やしたり、従業員の話をよく聞いたりと精力的に不満を解消しようとした。

そして1年後、その経営者は追加で調査をした。だが残念ながら「従業員の不満が解消されていると良いけど」という経営者の期待は見事に裏切られた。調査結果は、前年度よりも悪化していた。

「社長の努力は認めますが、何の解決にもなっていません」

「ごまかそうとしている」

それが、率直な従業員の感想だった。

それは、彼が一番困難で、解決が必須の問題である「利益率の高い商売を生み出す」ことから逃げたからだった。

 

 

ある会社で「オウンドメディアの立ち上げプロジェクト」の実施が決まった。

私が見る限り、メンバーの選定には問題がなかったが、リーダーの考え方には若干問題があった。つまり彼は「一番困難なことを後回しにする」というクセがあったのだ。

果たしてプロジェクトは始まり、彼らは「サイトの制作」と「サイトへの集客」という課題に直面した。

 

もちろんメディアなので、もっとも重要なのは「記事」である。記事を書いて、集客ができなければサイトも何もない。だから、サイトの制作に時間とお金をかける前に、とにかく「記事」を作って読んでもらうことが重要なはずだった。

だが、リーダーは困難で重要な「良い記事を作ること」から逃げ、サイトのデザインや制作のコストなど瑣末な問題ばかりに取り組んでいた。その結果として多額の資金を使って綺麗なサイトは出来上がったが、読者は誰もいない、というメディアが完成した。

リーダーは責任を取らされ、異動となった。

 

 

ある会社の若手の話だ。彼は営業目標と、社内の間接業務の効率化の2つのミッションをを課されていた。

もちろん彼は「営業目標の達成」が重要であることは理解していた。彼が属しているのは営業部であり、営業目標の達成なしには、他の業務など付帯的なものに過ぎない。

だが、彼は営業が苦手だった。新人の時に大きなクレームをもらって、「担当者を変えろ」と言われた記憶が残っており、それを克服できていなかったのだ。

彼は「苦手意識を克服せねば」と思っていたが、ついつい間接業務に逃げていた。そして悪いことに、上司も「他の人がやってくれないことをやってくれるので」と、彼を重宝していた。

 

だがもちろん彼の期末の評価は最悪だった。営業目標は大幅に未達。彼は間接業務への貢献を主張し、上司もそれを頼ったことを認めたが「評価は別」とあっさりはねつけられてしまった。

彼は「逃げてもいいことはない」と私に言った。

 

 

誤解しないでいただきたいのは、「人生は、逃げてはいけない」と言っているわけではない。自分ではどうしようもないこと、戦ったら自分も傷ついて倒れてしまう等の場合は、逃げなければいけない時もある。

だが「仕事で成果を出さなくてはならない」という制約を自らに課しているのであれば、「必須で、困難なこと」から絶対に逃げてはいけない。必ず最初に手を付けるべきだ。

成果が出ないだけではなく、逃げたツケは必ず支払わされることになる。

 

 

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whologwhy

そもそも「マネジメント」の意味、わかってる?

部下に対する愚痴をこぼす管理職は多い。

「部下が言うことを聞いてくれない」

「部下が思い通りに動かない」

「部下が育たない」

思わずため息をついてしまいたくなる気持ちは、わからないでもない。ただこの類の愚痴をこぼす上司はたいてい他責な人が多く、自分のマネジメント力の低さを露呈しているに他ならない。

「部下が仕事ができない」と悩む前に、あなたはそもそも「マネジメント」の本当の意味を、正しく理解しているだろうか。

 

 

そもそも部下を人間として尊重している?

「部下が言うことを聞かない、思い通りに動かない、育たない」と思い悩むのは、すべて「部下は言うことを聞き、思い通りに動くもので、俺の理想通りに育つものだ」という前提に立つからだ。

P.F.ドラッカーは『マネジメント』(ダイヤモンド社)にて、こんなことを言っている。

組織のために働く者はすべて、その組織において誰かの部下であるとの前提である。しかも彼らのほとんどが、とりたてて能力もなく、言われたことをするだけの存在であるとの前提である。たしかにこれらの前提は、第一次大戦の頃は現実に即し、意味を持っていた。だが今日ではいずれも無効である

部下は所有物ではなく、人間かつ知識労働者である。目の前の人間を一人の尊厳ある人間としてみることができず、マネジメントで悩むことなどできるはずはない。

 

「マネジメント」という言葉のほんとうの意味

http://blog.tinect.jp/?p=3888

 

あなたは部下に興味ある?

恐怖や権力を使って部下を思い通りに動かそうとするのは論外。

とはいえ、向かうべき方向へと「部下を動かす」のは管理職の仕事である。

相手を操作するのではなく、正しい方向へ「結果的に」部下が動く。そんなマネジメントは、一体どうしたら可能なのだろう。

 

高いレベルのマネジメントをする管理職と、レベルの低い管理職。一体なにがちがうのか?

http://blog.tinect.jp/?p=20588

 

部下に関心を持つってどういうこと?

「自分では部下に関心を持っているつもりだ。厳しい指導だって、いつもアイツのためを思ってだ。なのに、アイツは俺の気持ちを全然わかってくれない。」

あなたの部下への関心は、本当に部下自身への関心だろうか。それとも部下に関心を払うという見せかけ行為による、自己保身だろうか。

どんなに仕事ができない部下であっても、上司が真摯さを持ち合わせているかどうかは、一瞬で見抜くことができる。

 

「人間力」が高い上司とはどういうことか。

http://blog.tinect.jp/?p=20367

 

部下に愛情を持って接するとは?

社会人1年目のある若手社員が、自分の上司をこんな風に評価していた。

「ーさんは、仕事に厳しいけど、愛情を感じる人です。とても尊敬しています。」

「そっか、それは良かったね。逆に尊敬できない上司はどんな人なの?」

「うーん、そうですね・・・。尊敬できない上司は、仕事には甘いけど、怖い人です。ただただ怖さで威嚇するんです。」

ドラッカーは同書にて、「マネジャーとして失格とすべき真摯さの欠如」の定義にこんなことを挙げている。

・部下に脅威を感じるものを昇進させてはならない。そのような者は人間として弱い。

・自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネジャーに任命してはならない。そのような者をマネジャーにすることは、やがてマネジメントと仕事に対するあなどりを生む。

 

上司は嫌われることを恐れてはならない。が嫌われてはいけない。

http://blog.tinect.jp/?p=16169

 

部下からの最高の賛辞とは?

部下に対して愛情や関心を持てと言われる。

しかし、稀に愛情表現が下手であっても、とにかく人を育て、尊敬を集めるマネジャーがいる。彼らは仕事に対する要求が高く、人ではなく仕事自体を評価する。

 

部下のことを顧みない管理職の話

http://blog.tinect.jp/?p=24644

 

 

まとめ

今回はマネジメントに悩む管理職むけに、記事を集めてみた。

日々経営者やマネジャー陣の悩みを聞いていると、彼らの苦労がひしひしと伝わってくる。こんなに苦労が多いのに、彼らはマネジメントという仕事を手放さない。それは地位や肩書きにしがみつきたいという低次元の話ではなく、苦労を乗り越えた先に大きな喜びが待っているのを知っているからだ。

 

(Chris Harrison)

「仕事やめよう、と決めたら、逆に仕事が面白くなった」という友人の話

昔からの友人と話していた時、彼がしてくれた話だ。

 

「笑っちゃうんだけどさ、仕事やめよう、と決めたら逆にそれまでの仕事がとても面白くなったんだよね。」

「……?普通逆じゃない?」

「いや逆じゃない、やる気が出て、で、成果もかなりでちゃったんだよね。」

「へえ、何でそうなったのかね。」

「いくつか理由はあると思うんだけど、一番大きいのは「上司を向いて仕事しなくて良くなった」ってことかな。」

「具体的には?」

「例えば目標報告も今までは「これくらい言えば、上司が納得するかな」っていう基準で申告してた。けど、辞めることが決まったらそういうことどうでも良いじゃない。だから、自分で出せると思う目標を素直に出すようにした。」

「……なるほど」

「やっぱり、自分で決めた目標だと頑張れるし、多分明るく振る舞えるようになって、部下から「凄い楽しそうに働いてますね」って言われるようになったし。」

「最初からやればいいのに」

「そんなわけに行かないよ、上司が納得しないと詰められるんだから。お客さんじゃなくて、まずは上司を納得させるのが仕事だったんだよね。それが嫌で嫌でさ。」

「……ま、わからなくはない。」

 

「あとは、休暇を取りたいときに取るようにしたから、集中できるようになった。大好きだったスキーにも勝手に行けるし。リフレッシュすると、仕事にも身が入るよね。」

「まさに、上司のために仕事をしていたっていう典型みたいだね。」

「だろう?」

「ミュージシャンが「この曲売れなかったら田舎に帰ります」って言って作った曲が大ヒットした、みたいな感覚があるよ。ほら、ビギンの「恋しくて」とか。うまくやろうと思わなくなったら、かえってうまくいくって、結構世の中にあるじゃない?多分、評価を気にしすぎると、良い物が作れないんだよね。」

「上司との仲は悪化したんじゃないの?」

「と思うでしょう、ちがうんだなこれが。」

「どうなったの?」

「まず、成果が出たから上司もこっちに何も言えない。あと、気に入られる必要が全くなくなったから、上司を単なる「会社の機能」と思うようになった。そしたら感情抜きにうまく上司を使えるようになった。多分向こうも、こっちをコントロールしようと思わなくなったんじゃないかな。」

「それで余計な確執が無くなって、仕事がうまく行って、面白くなったと。」

「そういうことだな。」

「……辞める決断をしなくても、そうなればいいのにな。」

「どうなんだろうね。でも会社員として働く時に「上司の顔色をうかがわずに済む」なんて場所、あるのかね」

「確かに。」

 

友人の話を聞きながら、一つのフレーズを思い出した。

優れたエグゼクティブは、部下が上司たる自分を喜ばせるためなどではなく、仕事をするために給料を払われていることを認識している。

まったくもって、そのとおりであるが、逆にそういう上司が少ないからこそ、ドラッカーはわざわざこのようなことを言った*1のだろう。

「辞めることが決まった部下が、急にいきいきと働き出した」は、おそらくマネジメントの失敗を示しているのだ。

 

 

*1

 

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david__jones

Airbnbラジオを勝手にはじめました。

突然ですがエアログのるいくんとラジオを勝手にはじめました。

(第1回目のの内容)
最初は特にグダグダしてるので下記の時間のおもしろそうなトピックからどうぞ↓
3:30 スタート
4:30 ブログ書くきっかけ
10:00 香港人の主婦の話
16:00 質問コーナー 
17:30 エジプト人とカレー
21:00 ゲストの初対面の時に何をするか
30:00 おもてなしにについて
30:30 シェアリングエコノミーについて
34:30  ゲストからもらうお土産について
36:20  流行語大賞は誰がもらう?

私は自宅の一室を間貸しのような形(間貸の許可はオーナーに得ている)でAirbnbを利用して主に外国人旅行者に利用してもらっています。

以前だったらルームメイト募集かホームステイの受け入れ先になったりするくらいしかその部屋を間借りとして利用してもらう方法はなかったわけですが、Airbnbを利用してみて、不動産賃貸でもなく宿泊業でもなく、まさにシェアリングエコノミーという言葉がぴったりだなと思います。

 

例えば自宅に遊びに来た友人を自分の部屋に泊めてあげても大体はタダですよね。友人からお金をもらおうとする人はそんなにいないと思います。

逆に友人に泊まらせてもらった側の気持ちになってみると、例えば九州から東京に来て友達の家に1ヶ月泊めてもらったとすると、フツーの感覚の持ち主だったら家主にお礼をしたいと思いますね。

学生同士だったら食事奢るとかでお礼するだろうし、社会人だったら家賃の半分くらい払おうか?って思いますね。ホテルに泊まること考えると全然安いわけですし。

でも、それでもやっぱり家主側は、実際はどっちでもよくて、なぜならば友達がいてもいなくてどのみち自分はそこに住んでいて家賃は払わなければいけないからです。もちろんお金をもらえればうれしいけれど、あくまでも空いているところちょっと貸してあげただけとしか思わないですよね。

 

家主側はお金もらわなくてもいいと思っているところに、泊った側はむしろ払いたいと思っている。そこにAirbnbの入る込む隙間があったんじゃないかと思います。それを発見したところが、Airbnbの凄いところではないかと思います。

シェアリングエコノミーとは、遊休資産の再活用だなんて言われていますが、それを見つけたからってうまくいくわけでもないし、それらをインターネットを活用することで、効率良く行う方法をはじめからグローバルで行うから素晴らしいのであって、結局うまく言っているのが、AirbnbはじめUBERやLyftなどしかないのは、それを本気でできるところが結局はシリコンバレーの企業だけなんじゃないかなと思います。

 

6/14に第2回も収録しました。

「Airbnbラジオvol.2 早くもスタジオ観覧者あらわる」

 

毎週火曜日19:00からWe love Airbnb Facebookページよりライブ中継していますので、よろしくお願いします。

“Airbnbラジオを勝手にはじめました。 Airbnb日記 vol.190”

 おわり(Vol.191へつづく)過去のAirbnb日記一覧

 

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雑談するだけで営業成績トップになった時の話。

とあるメーカーで営業をしていたときの話。

当時の会社では出張営業も多く、訪問時に注文を取ることが美談とされていました。しかし私は、それをすることなく営業成績はトップでした。

 

営業という仕事は、上手く商談して注文を取るイメージがあるかもしれませんが、必ずしもそれが一番とは言えません。

確かに先方への訪問時に商談をまとめ、商品や製品の受注を得ることはすばらしいことです。しかし、その方法だけでは、常に訪問営業をしなくてはなりませんし、次々と新規開拓する必要が出てきます。

これではただの消耗戦で、長く続けることは難しくなります。

 

私も営業という仕事に就いた当初は、上記のようなスタイルだけで仕事をしていましたが、ある時からそれを変えました。

 

 彼が来ると商品を売り込まれると思われたら終わり

まず、訪問時に必至になって商談をまとめ、注文を取ろうとするとどうなるか。先方から売り込みの強い営業と思われます。そうなると、次のアポイントメントが取りにくくなります。彼と会うと商品を売り込まれると思うからです。

なので、商談では無理に受注を狙うことを辞めました。

 

それよりも雑談をして、今日はあの人と話をして面白かったなと思ってもらえるようにしました。商品の話は2割くらいで、あとは雑談。

これによって2つの効果が見込めます。

1.連絡リストの上位に食い込める

2.買ってあげたいという気持ちにさせる

この2つです。

 

まず、連絡リストですが、私はこれを「思い出し連絡帳」と呼んでいました。例えば、先方が何かを注文するときに、1番最初に連絡をするのは「いつものメーカー」です。ようするに、担当者が懇意にしているメーカーですね。

この時、そのメーカーが対応できないことがあります。納期の問題だったり、価格の問題だったり、たまたま電話に出られなかったり。そうなると、担当者は別のメーカーに連絡するしかなくなります。

 

で、ここに食い込めるかどうか。2番手でも3番手でも、思い出して連絡をもらえる位置に自分が入っていないといけません。そのための雑談、面白い話です。

次に、「買ってあげたいという思い」が関係してきます。思い出しただけではスルーされてしまうかもしれませんが、ここで雑談だけに留めた効果が出てきます。

「あの人、いつも商談で売り込んでこないけど成績大丈夫なのか?」

こう思ってもらったら成功です。もう連絡するしかなくなりますので、あとはチャンスをモノにするだけでいいのです。とは言え、これだけで十分な注文が得られるわけでもありませんので、もうひとつやることがあります。

 

 急ぎじゃない仕事を急ぎで対応すること

はい、普段の何気ない仕事を大至急でやることです。

「急ぎじゃないけど見積もりください」

みたいな連絡があったら、その電話を切った瞬間に見積もりを作って送ることが重要です。別に見積もり価格を安くする必要はありません。普通の金額の見積もりだけど、すぐに出すことが重要なのです。

これによって、

「あの人は仕事が早い」

という印象をつけることができます。

 

そして、これが活きてくるのが、先方に緊急な事案が発生したときです。今すぐにでも商品が欲しいってときにどこに連絡するか。思い出し連絡帳の中で、仕事が早い人に連絡しますよね。

相手は困っていますから、あとは誠実に対応するだけでOKです。急ぎの仕事なので多少は高い価格でも取引できますし、その問題が解決してからも感謝されます。

「あのときは本当に助かりました。」

これによって、今度は通常の連絡帳の上位に食い込むことができるわけです。

 

 さいごに

もちろんすべての取引先で通用することではありませんし、日頃から安定した受注を得ることも踏まえて営業活動をする必要はありますが、商談が上手くいかずに悩んでいる営業さんの参考になれば幸いです。

それではまた。
ご存知、ゆうせいでした。

 

 

【著者プロフィール】

名前: ゆうせい 企画、執筆、編集、モデルを提供する「カンパニオ」代表。

ぱくたそでフリー素材モデルとして不倫素材や、記者風素材を提供している。映画大好きの愛妻家を自負しているが、恋愛映画や恋愛系コラムは苦手。とにかく水曜どうでしょうが大好きでしかたがない。

Twitter:W8HeBCLk_400x400のコピー @wm_yousay

ブログ:http://huniki.hatenablog.com/「雰囲気で話す」

「怒らないから話して?」よりも、「話してくれたらこういう風に解決出来るから話して?」の方が、子どもは話してくれる

「怒らないから話してごらん?」って意味ないよなー、と昔から思っていました。

 

先に自分の立ち位置を明示しておきますと、しんざきは三児の父です。長男が8歳、小学三年生。長女と次女は4歳の双子、12月には5歳になります。早いものです。

子どもが何か失敗をしてしまったり、いたずらをしてしまった時に、ちゃんと親に対して話して欲しい・謝って欲しいのに情報開示してくれない、という状況は、勿論子育てをされているみなさんであれば数々遭遇する事態だと思います。

 

こういう時、慣用句のようによく使われる言葉として、「怒らないから話してごらん」というものがあります。実際、私も似たようなことを言われた記憶ありますし、他の親御さんが言っているのを聞いた記憶もありますので、頻度の差こそあれある程度一般的に使う言葉なのでしょう。

「怒らないから、と言っておきながら、正直に話すと結局怒る」という、民話のようなネタがよく「子どもの親に対する信頼棄損」のありがちネタとして口にされたりしますが、かなり前から、「それ以前にこのフレーズ、あんまり筋が良くないんじゃないかなー?」と私は思っていたのです。

 

まず、この言葉が使われる状況というのは、子どもが「何か」を隠している状況なわけです。その「何か」は、実際にはどんなに明々白々な事実であろうと、子どもにとって「認めたくない」「開示したくない」何かなのだろう、と推測できます。

それに対して、「怒らないから」という言葉を交換条件に提示するというのは、イコール「子どもは、怒られたくないからそれを話したくないんだ」と親が判断している、ということを示しています。

 

これ、本当にそうでしょうか。我々は、自分自身子どもの頃、「親に怒られることを恐れて」隠し事をしていたでしょうか?

勿論、そういう場合もあったと思います。ただ、私自身についていえば、多くの場合、「話したくない」には色々と他の理由がありました。

 

色々と状況によりますが、

・何故話さないといけないのか納得出来ないから話さない
・自分だけでその状況を何とかできると考えているから話さない
・話すのが恥ずかしい/ばつが悪いから話さない
・話すと、自分が悪いということを認めたような気がするから話さない

こういった理由が多かった気がします。

 

つまるところ、「怒られたくない」というのは、私にとって主要な「話したくない」要因ではありませんでした。むしろ、自分が怒られることを恐れているようにとられるのは、子どもごころに不本意なことですらありました。

勿論、特に小さい子どもは、上のような理由を言語化出来る程頭が整理されていません。それに勿論「怒られるのがイヤ」という理由もあるでしょうし、いろんな理由が絡んで感情的にぐるぐるしてしまって、結果的に言葉が口から出てこない、というケースが一番多いような気がします。

 

私は、感情的にぐるぐるしている子どもを前に一番大事なことは、「待ってあげる」ことと「筋道を示してあげる」ことだと考えています。

この場合の筋道というのは、つまり「ちゃんと話をした方が、結果的には全てうまくいく」ということを伝えてあげること、だと思います。つまり、「怒らないから」などという交換条件ではなく、「話した方がメリットがあるんだよ」ということをちゃんと伝えてあげる。

 

例えば、長女が次女のおもちゃを取り上げて泣かせてしまった時、多くの場合長女は、自分が次女を泣かせたということを認めようとしません。逆もまた然りですし、長男にもまだ似たようなことはあります。

ある程度落ち着かせてからのことですが、そういう時には「怒らないから話してごらん」ではなく、私はこんな風に話します。

 

・長女ちゃんは、おもちゃを取っちゃったかも知れない。取ってないかも知れない。
・おもちゃを取っちゃったとしたら、それは良くないこと。けれど、おもちゃ欲しいっていう気持ちをまだ抑えられないのは、仕方ないこと。抑えられるようにするのは練習すればいい。
・取ってなかったとしても、今は長女ちゃんと次女ちゃんの行き違いで喧嘩になってしまっている。これを仲良しに戻さないといけない。
・長女ちゃんは次女ちゃん好きだよね?仲良くしたいよね?
・何があったかちゃんと話してくれれば、パパは、長女ちゃんと次女ちゃんがちゃんと仲良しに戻れるお手伝いをしてあげられる。だからちゃんと話して欲しい。

 

こんな風に、ゆっくり落ち着いて説明してあげたら、大体の場合「自分がおもちゃを取ってしまった」ということは情報開示してくれます。

その後、謝れる時もあればそうでない時もありますが、いずれにせよ、少なくともしんざき家においては、「怒らないから話してごらん」よりも、「こういう風に解決できるから話して?」とちゃんと伝えた方が打率は良い、ということは言えそうです。

 

勿論、上のような話が上手くいくケース、上手くいく子どももいれば、そうでない場合もあるとは思うんです。そもそもある程度時間に余裕がないと取れない手でもあります。ただ、それでもなるべく、きちんと子どもにいろんなことを説明していきたいなあ、と。少なくとも私はそう思うのです。

昔、こんな記事を書いたことがあります。

上司に相談しても何もメリットがないのであれば、誰も相談なんてしない(不倒城)

この記事は、「部下から報告・連絡・相談を求めるのであれば、上司はそれに応じたメリットを提供しなくてはいけない」という意図で書きました。振り返ってみると、子どもと接する時もそれは同じなんじゃないかなあ、と思い至ったので、こんな記事を書いた次第です。

 

今後どうなるかはわかりませんが、今のところ、長男長女次女は素直に育ってくれているように思います。引き続き、彼らとの信頼関係をいい感じに築いていきたいなあ、と考えております。

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて
書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

「会社員は稼げないよ」と言った経営者の話。

「会社員は稼げないよ」と私はコンサルタント時代、出会う多くの中小企業経営者に言われ続けた。

 

「そう言われても……」と思いつつ、彼らの稼いでいる金額を聞かされるたびに、私は驚きを禁じ得なかった。

せいぜい30人程度の中小企業であっても、それなりの割合で経営者は3千万円以上の報酬を手にしている。100人を超えている企業で、長く続いている企業であれば、億単位で報酬を手にしている経営者も珍しくない。

「上場企業の社長の報酬が数億円」で驚いている場合ではない。儲かっている中小企業の経営者の報酬は、それこそ青天井である。

だが、多くの経営者はそれを黙っている。「従業員には言えないよ」と私はなんども聞かされた。

 

もちろん彼らはリスクと隣り合わせである。何かの拍子で会社が傾けば手元に残るのは借金であるし、従業員の不始末を自らの責任にしなければならない時もある。

だが「リスクを取っても経営者になりたい」という方が後を絶たない理由は、はっきりと分かった。

私が駆け出しのコンサルタントだった頃想像していた「稼ぐ」とは、年収が1千万、2千万、よく言って数千万円の話であったが、そこには全く異なる世界があったのだ。

 

 

確かに「お金が全てではない」といった話や「お金のために生活を犠牲にしたくない」と言う方もいるだろう。

そのとおりである。全くもって正しい。

だが、多くの報酬を手にしている経営者の多くは「カネが全て」や「生活を犠牲にしている」という人は殆どいない。むしろ「カネではない」「人生を楽しんでいる」人がほとんどだ。

だから、様々な経営者とあった結果、カネを手に入れようとすることは、その他のこととトレード・オフの関係とは私にはどうしても思えなくなった。

そして、必然的に私は「なぜ会社員は稼げず、経営者は稼げるのか」を不思議に思うようになった。

 

 

では経営者と会社員の稼ぎの違いの本質はなんだろうか?

冒頭の経営者は、こう教えてくれた。

「なぜ会社員が稼げないか、教えてあげよう。それは勝負しているマーケットが小さいからだよ。」

「どういうことですか?」

「つまり、会社員が稼ごうとすると選択肢は「給料を上げる」しかない。」

「そりゃそうです。」

「でも、給料を上げようとする時、君が勝負しているマーケットは、「社内」だろう?要するに、「他の社員より仕えるやつ」であれば、給料を上げてもらえる。」

「否定はしません」

「ま、そうすると小さい世界での競争ってわけだ。でも、そんな小さな世界で勝ったところで、得られるものはわずか。わかるでしょ?」

「会社同士の競争で勝てば、給料が上る可能性があります」

「ちがうね、会社同士の競争に晒されているのは、経営者だけだ。だって、会社員の給料は業績連動じゃないだろう?せいぜいボーナスに色がつくかどうか、って言う程度じゃないかな。」

「そうですね。」

「多く欲しければ、大きなマーケットで勝負するしかない。結局のところ、会社も、経営者も、会社員も、稼げる額はマーケットサイズに依存するんだよ。大きいマーケットに出なさい。給料で満足せずに。」

「それは、転職しろということでしょうか?」

「そうじゃない。それは自分自身を「転職市場」に売ってるだけだ。競争が激しいから、社内と同じでたいして稼げないよ。」

「どうすれば……」

「売るのは、自分ではなく「商品」だよ。そうすればマーケットのサイズは飛躍的に大きくなる。自分を売るためにスキルや能力を磨くのでは、さほど稼げない。稼ぎたければ商品をつくって売るしかない。」

「商品なんて、持ってないですよ。起業しろということですか?」

「それも間違っている。起業は目的じゃないだろう?」

「……」

「なぜ、起業しないとダメだと思うんだい?会社員を続けながらでも商品は売れる。ソフトを売る人、小物を売る人、本を売る人、音楽を売る人、情報を売る人、実際には「売る」にチャレンジしている人は想像するよりも遥かにたくさんいる。皆言わないだけだよ。売ってみて、うまく行ったら起業でもすれば良い。」

「……」

「会社員もやりながら、売って稼いでいる人、それほど少なくはないよ。私も最初、そうだった。自分以外のモノを売っているどうか、それが「経営者」と「会社員」の稼ぎの違いの根本なんだよ。」

「…すると、商品って、どうやって作るんでしょうか?」

「それを考えているのが経営者。それを考えないのが会社員。」

 

なるほど。そういうことか。

 

 

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Nikola Bagarov

現代のサラリーマンが副業をしない理由なんてない【コラム7選】

某大企業に勤める20代のサラリーマンが「会社とは別に自らお金を生み出したいのです。」と言っていた。

「とにかくお金持ちになりたいんです。」というようなギラギラしたものではなく、むしろそうしなければ「将来が危ないんです」とでも言いたげだった。

日本でサラリーマンという職業が認識されはじめた大正から昭和初期の時代。当時はごく少数の大卒がなれる、いわゆるエリートの職業だった。

サラリーマンとは、毎月ほぼ確実にまとまったお金が入ってくるわけで、国に仕える官僚以外でそれは当時画期的な職業だった。

でも、どうやら最近は違うらしい。

 

日本はもう「普通の国」だから、安定した職場に居続けると、本当にマズいかも。

実際、20年前と比べて日本は確実に貧しくなっている。今の世界はGDPベースでは既に「アメリカ」「中国」「その他」だ。

日本は1億人以上の人口でかろうじて世界3位のGDPを保っているが、一人あたりのGDPは世界20位。すでにシンガポールや香港には負け、イタリアやスペイン、韓国と同列だ。「日本がすごい」時代は、もう遠い過去の話となった。

サラリーマンが安定した職業でなければ、サラリーマンである必要性はどこにある?

 

社員の「副業」に不満な社長の話。

「最近、社員から「副業を認めて下さい」という話がたくさん上がってくるんですよ。」とその経営者はいう。

それを聞いた一人の役員が、

「認めるんですか?」と聞くと

「認めたくないね。なんとかならないかね」と経営者が言う。

法律では、副業禁止は原則的にはできないことになっている。

 

「副業すると、本業の成績も上がる」と語る経営者の話

また、ある経営者は「副業させると、本業の成績も上がる」と言う。彼は理由を次のように述べた。

「まずですね、会社の外部の人脈を持っていない人間は、今ひとつ使えないですよ。社員にしたくないです。」

副業をして「自ら稼ぐ」ということを行ってみると、社長や経営者の気持ちが理解できるようになる。いや身に沁みてわかってくるという方が正しいかもしれない。経営とは、知識ではなく実践であるから。

 

副業禁止の会社って、ブラックですよね」と言う若手たち。

「だって、管理職のポストはどんどん減っていて、もっと言えば正社員も減っていて、で給料は上がらなくなっているわけでしょう。それで副業禁止、ってあり得なく無いですか。なんですか、滅私奉公しろってことですかね。」

若者はもうとっくに気付いている。

 

世界はノートPC片手に「ちょっとTOKYOのカフェで仕事してくる」時代に突入した

オーストラリアのエンジニア、スペインのカップルに共通するのは、特にビジネスのために来日したというわけではないということ。普段の仕事をリモートでやっているだけである。ただそのリモートの距離が遠いというか、国境は超えてしまっている。

これは本当に本当に起こっていることで、ごくわずかな人の話だとか、特別な能力を持っている人の話だとか思ってはいけない。現実にすぐ目の前で起こっている。ただし、その働き方を選択させてくるのはの「自らの意思」でしかない。なぜならば極めて新しいやり方だから、誰もアドバイスしてくれない。

 

会社はすぐに滅びるもの、という前提で働く。

何事も永遠ではない。人は死ぬし建物はいつか壊れる。国も、いわんや企業をや、である。企業の寿命は30年と言われるが、ほとんどの企業の寿命は人間よりはるかに短い。

100年、200年と生きながらえる企業も中には存在するが、企業は想像よりもずっと早く滅びることを前提として考えるのが自然であろう。

その時代に適応した会社がそこに存在しているだけであって、会社の目的は永く続くことではもちろんない。会社に拘らなくても、あなた自身が社会に役に立つ方法はいくらでもあり、それを探そう。それは「会社」で生き抜くよりももっと重要な能力となる。

 

サラリーマンは少額でもいいから、「副業」をしたほうが良い。そのたった一つの理由。

一見、「スマート・クリエイティブ」は敷居が高いが、実は「副業で稼ぐ人」とやっていることはあまり変わらない。作り、告知し、売る。それはとてもクリエイティブな活動だ。

Googleの提唱する「スマート・クリエイティブ」は、現在の働き方の矛盾点を解決する一つの「解」になっている。もしあなたが、「働くこと」で自らの人生を切り開こうとしているのならば、この新しい「働き方」に挑戦してみてもいいのではないだろうか。

 

最後に、ここでの話は「副」業なのである。「副」であるが故にそれは「本」業よりも、さらにあなたの意思次第であなたの目的にあったものを選べぶことができる。それは現在では本当に本当に自由なのである。

 

今までのまとめ記事

「起業をしたいんです」と多くの若者から聞くようになった理由と「起業」に関する良コラム5選

なぜ私たちは「努力が報われる」を信じ続けるのであろうか?【記事5選】

「あの人はダメな上司なのかな?」と思った時に一度読んで確認してください【記事5選】

「仕事できないやつかもしれない」と自分を疑った時に読んでみてください。コラム5選

はじめて出世して、背伸びしたいと思った時に読むべき7つのコラム

「あ、ヤバイ。入る会社間違えたかも」ってなった時に役立つかもしれない記事5選

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