3年前の冬。20歳のとき、わたしはクラウドファンディングをした。

「日本一周をするので援助して欲しい」

なんとも厚かましさ極まりない企画であった。

 

当時(今もだが)、そんな厚かましい援助依頼を発信する度胸は持ち合わせていなかった。つまりやりたくなかった。どうしてもやりたくなかったのだ。もう、なんとしてでも避けたかった。

しかし、仕事だったのでやるしかなかった。仕事といっても、インターンの企画である。

 

LIGという会社でインターンをしていた学生(当時)のわたしは、日本一周しながら温泉取材をすることになったのだった。クラウドファンディングは、企画自体のPRにつながる。ファンも増える。援助もしてもらえる。

やらない理由はなかった。わたしにはお金も人気もなく、会社もそんな学生のわたしに投資するほど暇でないのだ。

結論を言えば、わたしはクラウドファンディングに成功し、多大な援助と愛に背中を押してもらいながら、日本一周を遂行した。

 

それから別の会社で旅の経験を生かした雑誌の編集者となり、結婚し、いまは六本木の大きなビルで働いている。

いま思えばすべてが良い方向へ転がった。クラウドファンディングを見たと、旅の途中や帰ってきてからたくさん声をかけてもらった。

しかしそんなクラウドファンディングが公開される直前まで、わたしの考えていたことはただひとつである。

「整形したい」それだけだった。

 

* * *

 

女性なら誰しも、一度は整形したいと考えた経験があるだろう。

恋をしたとき、スクールカーストに直面したとき、面接で落ちたとき、誰かに選ばれなかったとき。

「可愛くないからうまくいかなかった」

とまくらを濡らした夜が、わたしには数え切れないほどある。

 

女性であるからには永遠につきまとう、自分の容姿レベルと目の前に広がる現実。相互関係はゼロだと言い切れないのが世の中の悲しい原理である。

しかし女性は大人になるに連れて、整形以外で作れる「可愛い」を覚えていく。

母親の目から離れられれば無理なダイエットをしやすくなるし、自立してお金を稼げば流行りの服もぷっくりしたネイルもつやつやの髪も手に入る。

芸能人のように整っていなくても「可愛い」と言われる女がいることを、じんわりと知っていく。彼女たちの戦略を学び、仕草をまねて、笑顔と愛嬌の良さで押し切れば、なんとか可愛いステージに立てるものだ。

20歳のわたしは、整形以外で作られる「可愛い」に当然気づいていたが、付け焼き刃でどうにかなるものでないことも知っていた。

 

だから、武装も厚化粧もしていない生身のわたしが商品であって、世の中に「選んで!」と叫ぶクラウドファンディングは、恐ろしく怖かった。

しかも企画は日本一周である。地元のお土産が送られてくる程度の見返りと、援助する人のメリットも著しく少なかった。

クラウドファンディングはまさに、「可愛いひとだけが成功するもの」だと、自分自身に刃を突きつける企画だと感じ取っていたのだ。

「女子大生が温泉取材で日本一周する企画なんて、可愛くて応援したい以外に援助する理由があるだろうか」

「クラウドファンディングに出て誰かから『可愛くないから応援する理由が見つからない』とか言われたら、この先生きていけるだろうか」

そうして行き着いたのが整形である。

 

とにかく目を整形したかった。わたしは笑うと目がなくなる、おそろしく細い一重まぶたをしている。ブスの象徴とも言える、一重まぶた。

せめてこのまぶたがどうにかなれば。どうにかなれば、どうにかなるかもしれない。クラウドファンディングが失敗しても、わたしが可愛くないせいではなく企画のせいにできるかもしれない。

企画を進めていくなか、わたしはこっそりと両親を説得した。そのあとクリニックの予約まで済ませた。アルバイトで貯めたお金を使うときがきた。わたしは腹をくくっていた。整形するぞ、と。

 

LINEで親友に告げる。親友は、いつだってわたしの背中を押してくれるからだ。

「クラウドファンディングをするので整形しようと思う」

帰ってきた答えはこうだ。

「爆笑した」

わたしは至って本気である。むしろ、完璧な作戦だと褒めて欲しかった。

「どこ整形するの?」

「目」

「一重?」

「そう、二重にしようと思って」

親友は、わたしにこう言った。

「それは惜しいな、わたしその目けっこう好きだったから」

今までこの目を褒められたことがなかったので、わたしは心底驚いて、そしてたっぷりと涙した。

つけまつげを2枚重ねたりアイプチをしたりして幾度となく誤魔化してきた、一重まぶた。

そもそもこの目を、世の中の審判にかけたことがなかった。アリかナシかなんて、考えたことがなかったのだ。ナシ中のナシである。

 

しかしわたしはその親友の一言で、いとも簡単に、「ええっそんな意見あったの?」と決意をひっくり返してしまった。

ほんとうは生身で選ばれたいのだ。おこがましいが、コンプレックスさえも応援してもらいたいのだ。親友は別の角度からわたしの背中を押してきた。

 

結局、整形をしないままにクラウドファンディング公開へと至った。

そして、一重まぶたの女子大生であるわたしの厚かましい企画に、慈悲の援助が降ってきたのだった。

 

それから3年経ち、ネット上でわたしを見かけた人が、たまに「可愛くない」「ブス」などのコメントを残している。

そのたび、奈落の底に突き落とされるぐらい落ち込む。そんなことわざわざ言わないでほしい、と思う。なぜなら「わたし可愛いでしょ」と発信をしているわけではないからだ。

本筋と外れているし、それは発信側と受信側のコミュニケーションではない。ただの悪意だ。

 

そこまで考えられるようになったのは、すこしだけ大人になったからだと思う。クラウドファンディングをしたあのとき、整形していたら人生はどうなっていただろう。

うまくいかないときは、整形外科医を恨んでいただろうか。眉より細い一重まぶたで、きょうも人に会うし、仕事をして生きている。

 

 

著者:ながち

とあるWEBニュースの編集者。

過去に全国をめぐる温泉ライター、受注型オウンドメディア運営、旅行情報誌の編集など。

ウイスキーと温泉と大河ドラマをこよなく愛する、23歳の既婚者。

@1001log https://twitter.com/1001log