企業における「教育の在り方」を議論していると、

「会社は学校じゃない。上司に教えてもらおうなんて甘い」

と言う人がいる。

 

私はこうした主張を聞くたびに、この人は何か勘違いしているのではないかと思ってしまう。

彼らは「教えること」=「手取り足取り面倒を見ること」だと思っている。しかしそれは間違いだ。

少なくとも自分が新人の頃は、手取り足取り教えてもらいたいなんて思っていなかった。むしろ早く一人前のビジネスパートナーとして扱ってもらいたかった。

教えてもらいたかったのは、細かいマニュアルなんかじゃない。まして時代錯誤な先輩の武勇伝ではもっとない。

目指すべき仕事の成果は何か、そしてそれをなぜ目指すのか。つまりはゴール目的だった。

最終的なアウトプットがイメージできなければ、それに向かって思考も行動することもできない。ただ闇雲に手足を動かすだけになる。「いいからやれ」という言葉ほど、学ぶ意欲を削ぐものはない。

 

教育は個人の意思ではなく、会社の制度

学校では勉強を頑張ろうがサボろうが、個人の自由である。その責任は全て本人が負う。一方会社ではそうはいかない。

 

「会社は学校じゃない。」

 

おっしゃる通りである。

だからこそ成長を個人の意思に任せるのではなく、会社として取り組む必要がある。学校じゃないからこそ、上司(教師)が一方的に部下(生徒)に手取り足取り教えるのではなく、お互いから学び合う姿勢が大切だ。

 

ベテランが新人にきちんと教える会社と、そうでない会社のちがい

ベテランたちが若手にきちんと教える会社は、何が違うのだろうか。それは、一点だけである。

会社が若手の教育を

「個人に任せるべきものではなく、会社が制度として設計しているかどうか」

だ。これにより、成果が大きく変わる。

ベテランたちが熱心に若手に教える会社は、教育を個人の意志ではなく、制度として設計されている。良い会社は、「個人の意志の有無」に、重要な事を任せたりはしない。

 

 

教育とは上司の思考を部下に伝達すること

繰り返しになるが、部下は全てを丁寧に教えてもらいたいとは思っていない。知りたいのはちょっとしたコツである。

新人が仕事につまづく理由はすごくシンプルで、一つは優先順位がつけられないから。もう一つは仕事を分解できないから。

したがって教えることは、優先順位のつけ方と、細分化の仕方だけで良い。

 

仕事の細分化は、手順+成果で行う。

能率を上げる事に最も重要なことは、無駄な仕事をおこなわないことであり、重要なことを先に片付けることである。つまり、成果につながる仕事をやれ、という誠にシンプルな話だ。

したがって、仕事をどのようにやるか(How)よりも、何をやるか(What)が、何よりも能率のためには重要である。では、そのために我々は何をすべきだろうか。それは明白である。重要な事から取り掛かるためには、

「すべての仕事が成果につながる目的を持ち」

「すべての仕事の手続きを明確にし」

「すべての仕事の順番を決める」

ことが必要だ。そして、この3つを過不足なくできるようにするためのテクニックが、仕事の細分化である。

したがって、仕事においてもっとも重要なテクニックであり、社会人が最初に憶えなければならないのは、仕事の細分化である。

成果が何かを教わることは、上司の目線の高さを学ぶこと、手順を教わることは、上司の思考のプロセスを学ぶことだ。

 

上司が仕事に取り組む姿勢から最も学ぶ

どんなに完璧な教育制度を作っても、どんなに熱意を込めて教えても、理想通りに人が育つということはない。何をどう学び取るかは、結局教わる側がどう受け取るかに依存する。

例えばマネジメントについて、私はある上司からこんな風に学んだ。

 

その人は「リーダーは嫌われることを覚悟しなさい」といつも繰り返していた。

言葉通り、彼女は部下から嫌われることを恐れず厳しく接した。自分の思い通りにならない部下がいれば、社員の前で大声で叱り、仕事ができない奴と判断すれば容赦なく退職に追い込んだ。

 

私が学んだことは何か。

それは「リーダーは嫌われることを覚悟すべき」ではなく、「社員を道具のように扱う人の元には誰も残らない」ということだった。

教育のありがたみは、とてもわかりにくい。

教育は知識の伝達が目的であると思われがちだ。もちろんそれもある。

だが、もっと肝心なのは教育を行う立場の人間が見せる、知識や人間の叡智に対する態度なのだと思う。それは、知識そのものよりも重要な何かを教えてくれる。

 

(文:大島里絵 https://www.facebook.com/rie.oshima.520