仕事における最も重要な利害関係者が誰なのかと問われれば、顧客と、経営者、そして上司だろう。

そして、その中で最も一緒に過ごす時間が長いのが上司である。

 

上司は自分に指示を出し、仕事のやり方を教え、目標を与える。

結果として、仕事の面白さを大きく左右する存在だ。

だから会社の人間関係の悩みの多くは、上司との関係にまつわるものである。上司との関係がまずくなれば仕事の楽しさは大きく減り、関係が良くなれば多少の困難は苦にならない。

 

そんな重要な上司との関係であるが、会社はこの領域へあまり思い切った態度を取らない。

例えば「上司を選べない」という事実がある。

 

どういうことか。

例えば勤め先は転職によって自由に選べる。「嫌な会社ならやめたらいい」と多くの人が普通に言う。

さらに顧客の選別ももちろん重要だ。「嫌な客とは付き合わなければいい」と多くのマーケティングコンサルタントは言う。

 

だが、上司を選ぶのは難しい。部署移動、上司の変更依頼は、多くの会社ではなかなかできない。

「上司が嫌なら、上司を変えればいいじゃない」

とは、誰もアドバイスしない。

もちろん、異動希望を出せる会社もあるが、それはあくまでも例外である。ほとんどの職場では「勤め人なんだから、上司を選べないのは当たり前だろう」と言われる。

 

 

むかし「なぜ上司を選べないのは当たり前なのですか」と、何人かの管理職に聞いたことがある。

だがそれに対してすぐに答えられる人は極めて少なかった。

答えられても「我慢するのが当たり前」「会社とはそういうもの」「部下は視野が狭いから」など、とても理由とは呼べないようなことばかりを言われた。

 

だが、調べていくと上司を選べない真の理由は非常に単純だった。それは「職能別」に組織が作られているからだ。

例えば、

営業の仕事は、営業部長のもとでしかできない。

設計の仕事は、設計部長のもとでしか不可能だ。

だから、「異動」は多くの場合、職種転換となってしまい、会社にとっても個人にとってもあまり望ましいことではなくなる。だから、上司は変えにくい。

 

職能別組織の中では、「新しいやり方で」「革新的に」「常識を外れて」「自由に」やろうとする人物は、迷惑がられる。それが組織にとっては効率の低下を招くからである。

だからそんな人物は、上司と反目し、考え方が合わず、仕事の退屈さに絶望する。

 

 

ピーター・ドラッカーは著書「マネジメント」*1の中で、職能別組織について次のように述べる。

職能別組織は、明快さにおいて優れている。組織のなかの者すべてによるべき家がある。誰もが自らに与えられた課題を理解する。安定性の点でも優れている。

しかし、明快さや安定性こそあれ、それは組織全体の目的を理解し、各人の仕事をそれに結びつけることが難しい。硬直的であって適応性に欠ける。組織の明日を担うものを育て、訓練し、テストするにも適していない。組織全体として新しいアイデアや新しい方法を進んで受け入れる気風に欠けやすい。現在行っていることを少しだけよくすることに力を注ぐ。

このような長所と限界の故に、職能別組織の経済性は特殊である。うまくいっているときには高度の経済性を発揮する。組織を動かすための仕事、すなわち組織化、コミュニケーション、調整、斡旋に時間を割く必要のあるトップの数はごくわずかで済む。

だがそれは、うまくいかない時非常な不経済をもたらす。ある程度の規模や複雑さに達するや、摩擦が随所に見られるようになる。急速に誤解と半目を生み、やがて幾つかの帝国と化す。

(中略)

イノベーションの仕事については、更に無力である。イノベーションとは、いまだかつてだれもやったことのない事を行うことである。だれも知らないことをすることである。イノベーションの仕事も各種の専門能力を必要とする。だが、その専門能力をいつ、どこで必要とし、それをいかなる程度に必要とする家は誰も知らない。イノベーションの為の仕事を職能別に組織することは不可能である。イノベーションと職能別組織は相容れない。

*1

 

 

では、職能別組織を壊して、会社を「小さいチーム」に分割し、そこで各人が自分の役割を果たせるようになれば良い、という話なのだろうか。

もちろんこういった組織運営をする企業もないわけではない。

 

例えばトップの稲盛和夫氏が「アメーバ経営」を提唱する京セラは、職能別組織の限界に気づいている。

アメーバ経営とは、組織を小集団に分け、市場に直結した独立採算制により運営し、経営者意識を持ったリーダーを社内に育成すると同時に、全従業員が経営に参画する「全員参加経営」を実現する経営手法なのである。*2

京セラの「アメーバ経営」が有効であることは京セラのここ10年ほどの業績、稲盛和夫氏のJALの立て直しなどの手腕を見れば一目瞭然である。

だが「アメーバ経営」には極めて高度なマネジメント手法、例えば一種宗教じみた「思想統制」が必要であり、それを採用している会社の少なさを見れば、安易に真似ができないことがわかる。

*2

 

実際、自分の在籍している会社をみて「小規模なチームを前提とした運営」を採用できるかといわれれば、そうではない会社が圧倒的に多いだろう。

また、もともと人数の少ない会社では、上司足り得る人物自体が数人しかいないので「上司を変えること」は物理的に不可能だ。

 

 

したがって、「上司と合わない」と感じ、かつ上司を変えることが難しければ、残された選択肢は会社の「職能別」の上司に仕えつつ、他に「小規模なチーム」としての、活躍の場をもつほかはない。

具体的に言えば副業をしても良いし、会社の新しいプロジェクトに参加し、別の上司を持つ機会を得ることも良いだろう。

 

小学生の子供を持つご両親の中には、「子供が学校嫌いで悩んでいる」という人も多い。彼らは学校の人間関係がうまく行っていないのだと言う。

私の知るある学校の先生はそんな時、

「塾や習い事、学校とは関係のない集まりなどに行かせたらどうですか」とアドバイスするそうだ。

「一つの世界だけに凝り固まっていると、その場の人間関係が全てになり、絶望しやすくなる。別の人間関係とネットワークがあれば、その場がうまく行かなくなっても、全く問題ない、と思えるようになり、結果的に余裕が生まれ、悪かった人間関係も改善しやすくなる。」

と彼はいう。

 

会社の人間関係も同じ、合わない上司も、転職した後外に出て振り返ってみると、

「ああ、あの人は悪いところだけではなかったな」

と思えるようにもなる。視野を広く保つことは重要なのだ。

 

「上司が選べない」という状況はおそらく当分は変わらない。ならば、自分から「仕えるべき別の上司」を選ぶ活動を意図的に容れていってもよいのではないだろうか。

 

 

 

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