ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)「ローマ人の物語」という本がある。著者は塩野七生という小説家で、イタリア人と結婚しイタリアに住んでいる。

文字通り、「ローマ」という国について書かれた、歴史をベースとした物語本であるが、この本が非常に「ビジネス本」としても秀逸である。

 

実は、ローマ人は特に優れた民族だったわけではない。

塩野七生曰く、「知力ではギリシャ人に劣り、体力ではケルト人やゲルマンの人々に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣る」という。ローマは極めて凡庸な民族だった。

だが、その国は偉大である。ローマの建国は紀元前753年、最終的に「ローマ」という名前を冠する国が無くなったのは1453年。2000年以上に渡って存在した世界帝国である。

また、彼らの領土はヨーロッパ全土から、アフリカ北部、中東まで地中海の沿岸部全てを含んでおり、国の端から端まで旅するのに当時では何年もかかっている。現代に置き換えてみると、ローマの中心を「地球」とすると、ローマの辺境は現在の「火星」くらいのイメージだったのかもしれない。

 

 

しかし「ローマは一日にして成らず」というように、ローマも建国当時はイタリア半島の小さな「村」程度のものであった。

なぜ彼らは世界帝国を築くことが出来たのだろうか?その過程この本には克明に記されている。それはあたかもベンチャー企業が大企業になるまでの過程のようである。

 

 

塩野七生の分析によれば、ローマの成功の主たる要因は次のようなものである。

1.敗者を同化する

ローマ人は、多民族を征服すると、その支配者階級をローマの「元老院」という支配者階層へ議員として取り込んだ。敗者を差別せず、「ローマ人」とすることで多様性と結束力を両立した。

ちなみにローマは「敗者に重税だった」と言われているが、塩野七生によれば、これは事実ではなく、合理的な税率であったとのこと。ただし、寛大な処置にもかかわらず信頼を裏切った場合は厳しい罰が課された。

2.「法の支配」を重視する

ローマは「皇帝」という君主を持っていたが、その権力は絶対的なものではなかった。ローマは「法」を重視しており、それは極めて体系化されていた。「ローマ法」は、近代国家の法体系にも大きな影響を与えており、日本の憲法ですら、源流はローマ法である。

3.民主的な政治

ローマは伝統的に民衆の意見が強く、君主や権力者といえども市民を無視して政治を行うことは許されなかった。民衆と対立した君主はしばしばクーデターや暗殺により殺されており、ローマ皇帝の殉職率は50%を超えるという。ローマ皇帝はまさに命がけの職業であった。

4.福祉の充実

「パンとサーカス」という言葉で揶揄されたりするが、ローマは「最低限の生活保障」は市民に与えていた。

5.軍隊の組織化

「無敵」と言われたローマ軍だったが、実は「英雄」と呼ばれた人物は極めて少ない。ローマ軍は豪傑の力で戦争に勝つのではなく、組織力によって戦争に勝つことを重視していた。

これは、ポエニ戦争において敵国であるカルタゴの天才指揮官「ハンニバル」とまともに戦って誰一人として戦闘で勝てなかったにもかかわらず、最終的にはイタリアからハンニバルを追い出すことに成功している戦略を見ても明らかである。

 

 

軍の運用からインフラの整備、そして法体系の整備など、現代の企業においても原則として採用できそうなマネジメントの事例が極めて数多く紹介されている。

ご興味ある方は、ぜひご一読いただきたい。