年齢差別

年齢差別とは、労働関係の場面においては、一般に年齢を理由として採用、賃金その他の労働条件につき差別することをいう。特に、法の下の平等を定めた憲法14条1項等との関連で問題となってくる。

(労働政策研究・研修機構)

 

私は、複数の会社で、新卒採用を手伝っていた。

 

大量の履歴書を見ると、多くの応募者は、22歳から25歳位の間で、これと言った特徴はない。

何十枚、何百枚という履歴書を精査するのには、恐ろしく時間がかかる上、そこに書かれている情報の真偽は不明で、要するに、「履歴書だけを見ても、よくわからない」。

確かに、書かれている「志望動機」や「自己アピール」は似たようなものが多い。

これだけでは誰を採用すべきかの判断は難しい。

 

強いて言えば、その人を特徴づけるのは学歴くらいだ。

なるほど、「書類選考」の名のもとに、学歴でフィルタリングする企業が減らないわけだ、と思う。

 

そして、もう1つフィルタリングによく使われていたのが、「年齢」である。

20代前半の学生たちに混じって、ちらほら20代後半、30代の応募者がいる。

しかし、彼らにチャンスが与えられることはあまりない。

 

ある会社では、問答無用で「28歳以上」の応募者は落としていた。

ある会社では「2浪以上」の応募者は「規定の人数に達しない場合」の人数合わせのために使われていた。

ある会社では社長が「留年したやつは信用できない」と言っていた。

 

リクルートは、30歳までを「新卒」として扱うと言っている。

「30歳以下は誰でも新卒です」 リクルートが始めた新しい新卒採用の仕組みとは? 人事担当・夏目和樹氏が狙いを語る

リクルートが自社の新卒採用において新しい取り組みを始めました。新卒の幅を「30歳以下」にまで大きく広げたことで話題となっています。

さらに、すでに卒業していたり、他の会社で働いていたりしても2016年4月に入社可能なら応募可能とのこと。

一見柔軟に見えるが、依然として「年齢差別」は存在する。

そもそも「30歳まで新卒扱い」というだけでニュースになるのであるから、いかに年齢を企業が重視しているかがわかる。

 

日本において「新卒枠」は、未経験かつ知識無しで職を得られる唯一のチャンスだ。

逆に言えばその枠を逃してしまうと、その遅れを取り戻すことは難しくなる。

 

この現状に対して、

「年齢差別はおかしい」

「新卒一括採用は悪しき慣習であり、やめるべき」

「レールに乗れなかった時点で人生はおしまい。」

と言った批判が集まる。

大学生を“自殺”にまで追い詰める「就活威嚇社会」の異常

せめて、「新卒一括採用」だけはやめたらどうだろう。

「新卒」という制限を取り払らって、一括採用する。大学1年で受けてもいいし、無職を経験してから受けてもいい。アルバイトや家事手伝いをやっていた人が受けたっていい。一括採用をやめるのは難しいとする企業も、これだったらできるんじゃないだろうか。

18歳の新卒と30歳の新卒のいる会社。そんな会社があたっていい。既成の概念を取っ払ったやり方を試してみないことには、異常な威嚇就活は終わらないと思う。

上の話は、感情的な「理想論」としては理解できるし、学生を追い詰めても国益に利することはあまりない。

だが、企業に出入りしている私の肌感覚としては、上の話はまず実現しないだろうな、と思う。

 

なぜなら、殆どの企業は新卒採用時「極めていい人を採用する」よりも「無能な「地雷」学生を採用しない」ことに重きをおいているからだ。

現場では、新卒採用は「無難が最高の選択」なのである。

 

あるIT業の経営者は

「高齢の新卒に、よい人が含まれているのはわかる。が、とんでもない地雷も「普通の新卒」に比べて多く含まれているのではないか。だから、ウチはまずは「無難な母集団」から選ぶ。」

という。

あるサービス業の経営者は

「変わり者が活躍、なんてそんな話はドラマとか小説だけ。実際は、平凡な人と、働くのに適してない人の2種類しかいない。おそらく高齢の新卒には、「働くのに適してない人」が多いのではないか。」

という。

 

上の意見は、多分に偏見が含まれているとは思う。

だが、彼ら経営者の気持ちも理解できなくはない。

なぜなら、新卒採用で「失敗していない」経営者はほとんどいないからだ。

殆どの経営者は、新卒採用で、「期待はずれだった……」という感覚を持っている。

 

実は、心理学的には「通常とは異なる選択肢」を選んで失敗したときの後悔は、「通常の選択肢」を選んで失敗したときの後悔よりも大きい。*1

したがって、「30歳の新卒を採用する」という、少し変わった選択をして失敗したときには、「普通の新卒」を採用して失敗したときよりも、大きな苦痛を味わうことになる。

だから、彼らは「新卒採用は無難に」を金科玉条とするようになるのだ。

 

このような話をすると、「企業が面接できちんと応募者の能力を把握できないのが悪いのだ」という方がいる。

応募者の能力を正確に把握できないから、年齢や学歴と言った外形的な情報に頼ってしまうのだ、という批判だ。

 

批判はもっともである。

だが、限られた時間の中で、「面接」でその人の能力把握するのは本質的に難しい。

本質的には、その人の本当の能力は、働いてもらうまでわからない。

 

また、「インターンをすれば」と軽く言う人もいるが、インターンを計画し、学生を受け入れるのためには、かなりのリソースを現場が割かなくてはならない。

「そんなことにコストを掛けるくらいなら、無難な経歴の母集団から採用するほうが良い」と思う人が多いのは、無理からぬ事だ。

 

したがって、企業が新卒採用において「無難ではない選択肢」を積極的に選択できるようにするには、

「高齢の新卒」を雇い入れるメリットが「普通の新卒」を雇い入れるメリットを大きく上回らなくてはならない。

 

それが補助金のような形なのか、それとも「働き始めて1年は自由に解雇できる」といった解雇規制緩和のような形なのかはわからないが、いずれにせよ今は「レールから外れた新卒」を雇うメリットは殆ど無い。

だからこそ、倫理的によいかどうかは別として、企業は「年齢差別」に合理性を感じているのである。

 

 

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(Photo:Hamza Butt)

 

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