昔、「そんなに厳しくなかった校則の運用が、いきなり厳しくなる」という現象を、眼前で見たことがあります。

その原因は

「お前んとこの制服で茶髪の生徒が歩いてたぞ、どういう指導してるんだ!!」

という、近所の住民からのクレームでした。

 

最近、校則についての議論が幾つか盛り上がるのを見て、ふと学生時代の話を思い出しました。以下の話は、二十数年前にあった、ただの一実例です。

今盛り上がっている話とは直接関係ないと思いますので、その点ご了承の上でお読みください。

 

 

当時私は、幾つかの部活に入部するでもなくぶらぶらしていまして、陸上部で卓球やモノポリーをしたり、囲碁将棋部で五目並べをしたりしていました。

部活の運営は相当適当だったようで、入部届も出していないのに、何故かいつの間にか陸上部の合宿に連れていかれたり、囲碁将棋部の副部長にされたりしていました。カオスでした。

 

で、囲碁将棋部の顧問が教務の先生で、当時その先生とは仲が良くって色々話をしてもらっていました。

私、教務っていうのが何の仕事なのかいまいちわかっていないんですが、時間割作ったり授業計画作ったり、なんか色々大変らしいですね。

 

その先生もしょっちゅう愚痴ってましたし、部活にはあんまり顔を出していませんでした。すげー囲碁強い人だったんですが。

 

で。その学校、当初校則は随分緩くって、正直皆あんまり校則のことを覚えていない、という風情でした。

一応髪型規程みたいなものもあるにはあるんですが、内容もそこまで具体的ではないし、特段指導も行われていない。

 

その程度のものだったところ、ある時いきなり校則の運用が厳しくなりました。

規程に色々な詳細を「解説」するプリントが発行されて、茶髪の生徒が次々生徒指導室に呼び出されて、喧々諤々の大騒ぎになりました。

誰なのかも知らなかった生徒指導の先生が、ある時から校門に立って、生徒の服装やら持ち物やらを注意するようになりました。

 

当時、「地毛証明書」みたいなものはありませんでしたが、「地毛です」という生徒はわざわざ親に電話をして確認する、出来れば地毛でも黒く染めるように勧める、ということは行われていたみたいです。

反抗した生徒が停学になった、みたいな話も、真偽は不明ですが聞こえてきました。

 

当時、生徒の大半は、急な変化についていきかねて目を白黒させていたと思います。別に柄が悪い学校でもなかったんですけどね。

 

こうなった経緯というか裏話を、私は上記の囲碁将棋部の顧問から聞きました。

 

きっかけは、近隣に住んでいるお爺さんからのクレームの電話だったそうです。

「お前のところの制服着ていた生徒が茶髪だった!お前らの学校はどんな指導をしてるんだ!」

というような電話が何回か来て、それが職員会議か何かで問題になり、以前から風紀を引き締めたいと考えていた先生が何人か同調して、学校全体で茶髪や服装の乱れを取り締まることになった、という経緯だったらしいんです。

 

きっかけがクレームであったとしても、結果的にそのクレームを受け入れ、厳しい運用に舵を切ったのは学校です。

 

顧問の先生自身は、その流れに対してかなり批判的でした。

「髪の色なんか同じ日本人だって違うんだから、目くじら立てること自体馬鹿らしい」

「クレームっていうと無意味に怖がるのが学校の悪いところ」

「クレームに対して、髪型がどうあれうちの生徒は風紀ちゃんとしてますから心配ありません、って反論出来るくらいじゃないといけない」

というようなことを言っていました。

 

恐らく、教員同士の会議でも、顧問の先生はそういう主張をして、そして受け入れられなかったということなのでしょう。

後から振り返ってみると、顧問の先生は学校批判をしょっちゅうしていましたし、それのせいで割を食っていた側面もあるのかなーと思います。

 

教員会議での愚痴やらなにやらを聞いていると、普段もだいぶ損な役割を強いられているようでしたし、主流・非主流の話で言うと明らかに非主流の勢力だったようなんです。

いい悪いの話ではなく、組織批判が余りに多いと組織内で浮いてしまう、という側面もあるのでしょう。色々と要領の悪い人だったのかも知れません。

 

ただ、それだけに、その先生の

「不寛容と戦うよりも、不寛容を弱い立場に押し付けた方が楽なんだよ」

という言葉は強く印象に残っています。 

つまり、校則というのは結局、寛容に寄せるか不寛容に寄せるかという話だ、と。

 

そのバランスは学校それぞれだけど、外部の不寛容に対して反論することをせず、弱い立場の生徒に不寛容をそのまま押し付けてしまったのは、それはつまり学校が楽をしたということだ、と。

自発的に厳しくするならまだしも、クレーム一つで学校の方針を変えるというのはおかしい、と。

 

もしかするとそれは、同じように「不寛容と戦って、結局勝てなかった」自分も皮肉った言葉だったのかも知れません。

 

それ以来私は、「不寛容の発生と伝播」というものについて時々考えるようになりました。

不寛容というものは、本当にどこからでも発生しますし、そしてどういう訳か周囲に伝播します。誰かが不寛容を大声で叫ぶと、何故かそれが周囲にも広まったり、組織がそれに追従してしまったりするのです。

 

以前、こんな記事を書かせて頂きました。

「理不尽なクレームを、簡単に受け入れてしまう組織」はどんな仕組みで出来上がっているのか

クレームはまず「受け入れて益がある意見かどうか」「受け入れるべき意見かどうか」を評価しなくてはいけないし、その評価の結果受け入れるべきではないとなったら、それはきちんと拒絶しなくてはいけない。

これは多分、BtoC(企業対顧客)で活動しているあらゆる組織に共通のことなんじゃないかなあ、と私は思うのです。場合によっては、BtoBでも同じようなことが言えるかも知れません。

 この記事も、一言で言ってしまえば「不寛容に反論する仕組みがなく、そのまま受け入れてしまう組織」についての話だったと思います。

 

これはある程度一般的に言えると思うんですが、「個人の不寛容を根絶することは基本的に不可能」だと思うんですよ。

考えは人それぞれ、ファールラインも人それぞれであって、いくら啓発しようとしたってそれを統一することは出来ません。

 

となれば、その不寛容が人に、あるいは組織に投下されることを食い止めることはできないし、食い止めるべきなのかどうかというのも難しい問題です。

 

であれば、組織にせよ人にせよ、それがどんな種類のものであるにせよ、受け取った不寛容の扱いには気を付けないといけない、と思うんです。

 

不寛容は、一見不寛容だと見抜きづらいことがあります。

それは、例えば品行、例えば常識、例えばモラル、例えば安全、そういった「思考停止して従いやすいルール」に沿ったものの姿をしています。

クレームだって、大抵の場合、出す方からすればちゃんとしたロジックがある訳です。

 

けれど、それは本当に「妥当な、受け入れるべき不寛容なのか」ということについては、慎重に議論しないといけないし、考えないといけない。

 

特に、組織の上の方にとっては、外部からのクレームに対してきちんと議論や反論をするよりも、そのクレームの内容を下に丸投げする方が楽なんですよね。

楽だからこそ、本来軽々にそっちに流れちゃいけないんじゃないかと思うんですよ。

 

自分自身組織人として、あるいは個人としても、不寛容というものに接する時は慎重なスタンスを取りたいし、出来れば色んな人がそうであった方が、いい感じの社会になるんじゃないかなーと思う次第なのです。

 

大した結論でもないですが、今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

 

(Photo:Emily Poisel