「忖度(そんたく)」という言葉がメディアを賑わしている。あらゆるメディアで取り扱われ2017年には流行語大賞にもなった。

しかしながら、その使われ方はあまり喜ばしいものとは言えない。

 「役人の忖度はあったのか」などの言葉が躍り、まるでこの言葉自身が悪者で、あってはならない悪行のように錯覚してしまう。

本当に「忖度」はやってはならない行為なのか。なぜ、このような事態になってしまったのだろうか。少しだけ考えてみた。

 

そもそも「忖度」には「相手の気持ちを推し量って配慮すること」という意味合いがある。簡単に言ってしまうと思いやりの気持ちだ。

別に悪い行動ではなく、むしろ良いことだ。通常の社会生活を営む人間なら当たり前に実施できるであろう行為、それが「忖度」なのだ。

 

(Photo:tomo

古くは中国の古典に「忖度」が登場するという。日本では平安時代あたりの文献に登場するらしいが、いずれの使用例も「相手の気持ちを推測する」程度の意味合いしかなかったようだ。

「配慮する」「行動する」といった意味合いは含まれておらず、単に推測するに留まっていた。

 

90年代後半になると「忖度」は政治的な場面で使われるようになった。それと同時に、立場が上の人間の心情を推測し配慮して行動する、という意味合いで使われるようになった。

例えば、ある望ましくない行動について、直接上司から命令されたわけではないが、上司はおそらく行動して欲しいのだろうと心情を推測し、行動する。下から上への行為として「忖度」が使われることとなった。

 

それは同時に「忖度」に否定的意味合いがもたらされたことになる。この言葉が登場する場面はネガティブな行為を伴うようになった。

こうして「忖度」にネガティブなイメージが植えつけられ、やってはいけない行為のように扱われることになった。

 

何度も言わせてもらうが「忖度」は相手の気持ちを推測し、配慮する行為だ。何も悪行だけではない。

言葉とは時代の変遷と共に意味合いが変わっていくものだが、この「忖度」の扱われ方には少し異を唱えたいのだ。

 

 

僕の通う美容室に、ちょっと僕が女だったら抱かれても良いと思えるほどのイケメン店長がいる。

イケメン店長にカットしてもらえば少しはイケメンのエキスみたいなものがもたらされるのではないか、そんな一縷の望みに賭けて通っているのだ。

 (Photo:Koji Hachisu

僕は対人スキルが異様に低いので、髪を切っている間は基本的に無口だ。

鏡なんて見ようものなら鏡越しに店長と目が合うことになったら困るし、鏡にはイケメンに髪を切ってもらっているマントヒヒみたいなものしか投影されていないので見たくない。結果、常に俯いて切られてしまうことになっている。

 

「いやー、この間ですね、ふらりと川崎までいったんですよ、そこで食べたラーメンうまかったなー」

 店長がそう話しかけてきた。明らかに僕に気を使って無理やり話題を提供してきている。彼は顔だけでなく心もイケメンなのだ。

 

「へえ、そうなんですかー、行くことあったら寄ってみますよ、なんて店ですか?」

 いくら対人スキルが低いといっても提供された話題を無視するほどじゃあない。適当に無難な返事をしておく。

 

「あれ、ご存知ない? おかしいなあ、けっこう有名な店だと思ったんだけどご存知ないですかー」

 あれ? なんかおかしいな。なんか煽られてる? そう思った。

 

そもそも川崎とはここからかなり遠い場所だし、僕には縁もゆかりもない場所だ。なぜそんな他所の土地の有名なラーメン屋を知らないからといって、ちょっと煽られた感じになる必要があるのだろうか。

 不可思議に思いながらもその日はそれで終わった。

 

 数か月して、またイケメン店長を指名して髪を切ってもらっていた。鏡を見てもイケメン店長に切ってもらっているアリゾナ州の州の形みたいな顔しか見えない、いつものように俯いて切ってもらっていると彼が切り出した。

 

「今は多加水麺ってやつが流行ってるんですよね」

 

は?

 

完全に不可解だ。

 

多加水麺とはラーメン用語だ。麺に含まれる水分を加水率というが、その加水率が概ね35%を超えるものをいう。加水率が高いと麺がやわらかくモチモチするが熟成や製麺の過程で熟達した技術が必要となる。

もちろんこの語句、そこまで一般的なものではない。ラーメンフリークの間では当たり前かもしれないが、普通はそこまで一般的な知識ではない。僕だって検索して知ったくらいだ。

なぜそんな専門的な用語を僕に投げつけてくるのか全然理解できない。何でこんなことになっているんだ。

 (Toshimasa TANABE

原因を探るため、エンプティ間近の対人スキルをフル稼働して会話する。いったい彼は何がどうなってこんな対ラーメンフリークみたいな会話をしてくるのか。

散髪も後半になり、いよいよさっぱりしたアリゾナ州になってきた時、ついに決定的な言質を彼から引き出すことに成功した。

 

「いやあ、光栄だな、いつもラーメン王の方に来店していただいて。僕もラーメンが好きなものですからね。感激ですよ」

 

こいつ、僕をラーメン王と勘違いしてやがる!

 

何がどうなってどうなったらそんなことになるのか理解不能だが、どうやら彼は僕のことをメディアなどで大活躍するラーメン王と勘違いしているようだった。

見た目が似ているのか、それとも僕の言動のどこかにラーメン王を匂わせるものがったのか、それとも体からラーメン王特有のラードっぽいオーラみたいなものが出ていたのか、とにかく彼は僕のことを本気でラーメン王だと思っていた。

 

名前は知らないけど、確かこの人ラーメン王だよな的な認識だったのだと思う。

そして彼は彼なりに「忖度」し、ラーメンをの話題を提供してきたのだ。あまりに喜んでいる店長に、僕は「違うよ」と言うことができなかった。それも僕からの「忖度」だったのかもしれない。

 

それから僕と店長の奇妙な関係が始まった。

僕は店長の期待を裏切ってはいけないと思い、髪を切りに行くたびにラーメンうんちくを予習していくようになった。

「熟成麺が~」「化調が~」とネットに書いてあったもっともらしいラーメン理論を延々と語っていた。店長はとても嬉しそうだった。

 

しかし、どんどんと心苦しくなっている自分がいた。美容室に置かれている雑誌も最初は「Daytona」などオシャレな男のマストアイテム!みたいな見出しが躍る雑誌だったが、行くたびに僕に忖度してラーメンの雑誌が増えていった。

東京ラーメン読本みたいなものが溢れていった。彼の忖度は留まることを知らない。僕は彼の期待を裏切ってはいけないと読みたくもないラーメンの本を読みながら髪を切られた。もう引き返せない、そう思った。

僕はここで髪を切ってもらっている間、ラーメン王になるしかない。

そう、ラーメン王に俺はなる!

 

 

そんな僕と店長の蜜月の関係も唐突に終わりを告げる。

 

ある日、予約して髪を切りに行くと店長の横に一人の男が立っていた。

格闘ゲームでは攻撃力は低いけど素早く手数で勝負するタイプのキャラを選びそうな男だった。男は爬虫類のような視線を僕に投げつけた。

 

「だれこいつ?」

 爬虫類のような男は、僕が言いたいセリフを先に言った。人生においてTOP3くらいに入る「こっちのセリフだ」と言いたい場面だ。男の発言を受けて店長は困った顔をした。

 

なんでも、爬虫類のような男もこの店の常連で、爬虫類のような男はラーメン雑誌が増えていることを店長に指摘した。

店長はここだけの話と前置きしたうえで、有名なラーメン王が髪を切りに来るんですよ、といった。

 

悪いことに、爬虫類みたいな男はラーメン王フリークであった。ラーメンフリークではなく、ラーメン王フリークだった。

群雄割拠のラーメン評論家界にとても詳しいという異色の経歴を持っていた。例えるなら芸能人に詳しいのではなく、芸能人に詳しい芸能リポーターに詳しい、みたいな人だ。そういう人いるんだな。

 

ラーメン王フリークは店長の話を聞いて考えた。はてさて、この近くに住んでいるラーメン王なんていたかな、もしかしたらSさんかな、と少しウキウキし、ちょうど僕の予約が入っていたので一言挨拶でもしようと僕の来店を待つことにしたらしい。

店長も自分の店で王と王フリークが対面することにワクワクしながら待ったようだ。

 

そこに意気揚々とやってきたのはラーメン王ではなく、顔の形がアリゾナ州みたいな男だった。爬虫類のような男は激怒した。

 「こいつは偽のラーメン王だ!」

 

僕が80歳まで生きて、転生してさらに80歳までいきて、さらに転生して80歳まで生きたとしても、二度と言われることはないであろう「偽ラーメン王」という不名誉な称号を叩きつけられることとなった。

 

爬虫類のような男は「何が狙いだ! おおかたラーメン屋で特別扱いとかしてもらいたいんだろうよ!」とプンプン怒りながら帰っていった。

否定しなかった僕が悪いのは間違いないけど、決して誰かを騙してどうこういうという気持ちではなかった。けれども結果的には同じことだ。偽ラーメン王はとにかく落ち込んだ。

 

「すいません。勘違いされているって気づいていたんですけど、期待を裏切りたくなくて」

偽ラーメン王の弁明だ。

 

「わたしのほうこそすいません。勘違いしていたみたいで。でもむちゃくちゃラーメンに詳しかったじゃないですか。 

イケメンは笑顔もイケメンだ。そう言うしかないレベルで屈託なく笑った。

 

「いや、今だから言いますけど期待を裏切らないように毎回予習してました」 

偽ラーメン王がそう言うと、店長はさらに笑った。

 

「わたくしも会話についていけるよう、毎回予習していました」

なんてことはない。二人とも予習してきた内容を話しているだけだった。結局、二人とも「忖度」し、存在しないラーメン王の幻影を追いかけて予習に余念がなかったのだ。すべては相手の気持ちをはかった上での配慮なのだ。

 

「もう私の中では本当のラーメン王ですよ、今度一緒に食べに行きましょう」

 

「いいですね、この近くにいい店ありまして、そこは多加水麺で……」

 

「お、予習してきましたか」

 

僕たちはいつまでも笑っていた。

 

 

「忖度」とは「忖」も「度」もどちらも「おしはかる」という意味の言葉だ。これは「おしはかり」はあくまで二つ必要で、お互いに「おしはかる」ことが大切という意味の表れなのかもしれない。

 

そう考えると、立場が低いものが上役の気持ちを“忖度”することは本来の意味ではない。

一方的であるのにまるでお互いの合意があったかのような言葉をつくところに、一連の騒動の最大の気持ち悪さがあるのだ。

 

言葉一つに対しても思いやりをもって「忖度」して欲しい、そう思うのだった。

ちなみに偽ラーメン王という立場から言うと、今は暴力的な量、破壊的な脂のラーメンが流行であるが、次は体に配慮したヘルシーラーメンがくるのではないかと思う。きっとラーメンも「忖度」の時代なのだ。

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

著者名:pato

テキストサイト管理人。WinMXで流行った「お礼は三行以上」という文化と稲村亜美さんが好きなオッサン。

Numeri/多目的トイレ 

Twitter pato_numeri

 

(Photo:鐵男