僕はほとんど小説というジャンルに手を出さない人間なのだけど、新刊が出ると唯一買ってしまう作家がいる。村上春樹である。
村上春樹については、それこそ賛否両論いろいろだ。ハルキストと言われる熱心な村上春樹ファンがいるかと思えば、内容が全く無く、いつも作中のどこかでセックスしてるイメージしか無いというタイプの批評をする人もいる。
さて僕はというと、ハルキストと言われてるような人ほどには熱心な布教者ではないけれど、彼の作品が出たら発売日に買ってそのまま一気に読んでしまう位には好きである。
村上春樹についての魅力を正確な言葉で表現する事は難しい。僕は中国行きのスロウ・ボート以外の全てのハルキ作品を読むぐらいに彼にハマった人間のうちの1人だけど、彼の作品が何で面白いのかについて、以前は全くといっていいほど説明ができなかった。
「村上春樹のどこが面白いのか」
この難問を長いことずーっと考えていたのだけど、最近になってようやく納得できる形で説明ができるようになってきた。というわけで今日は村上春樹評である。
僕と村上春樹のはじめての出会い
僕が彼に一番始めにハマったキッカケとなった作品はノルウェイの森である。
かつて講談社が出していた雑誌ファウストの中で、作家の佐藤友哉が「自分の小説の登場人物がモテてると何でこんな奴がモテるんだ!とお叱りを受けるのに、村上春樹の小説に出てくるノルウェイの森の登場人物はスカしてるくせに全く攻撃されてない。ズルい」と述べられていた。
その表現がエラく気に入った僕は次の日にノルウェイの森を買いに行くこととなった。なお佐藤友哉氏の作品は今に至るまで単行本未購入である。大変申し訳ない。
そしてノルウェイの森を読んで僕は大変に衝撃を受ける事となった。次の日に学校があるにも関わらず、夜更かししてあの赤と緑の表紙をした本を読み終え、ページを閉じた瞬間、僕はこう呟いた。
「天才だ」
この当時の僕のボキャブラリーでは、正直、村上春樹に関してこの陳腐の極みとしかいいようがないような表現しか僕にはできなかった。
こうして僕は色んな人にノルウェイの森の素晴らしさを布教し回ったわけなのだけど、しばらくしてから読んだ人の評価が完全に真っ二つに別れる事に奇妙な違和感を覚える事となった。
ある人は僕と同じく「なんだかよくわからんけどメチャクチャ面白れぇ」というのに対して、ある人は「これ、なにがどう面白いの?」というのである。
こうして「なぜノルウェイの森が面白いのか」について喧々諤々の議論を有識者としてみたのだけど、結論は、はっきり言って全くといっていいほど出なかった。
議論が終わった後に帰り道で逆に僕はものすごく感心した。
「こんなに色んな人間が集まって、面白いことはわかるのに、何で面白いのかが全く統一見解がでない」
それまでの読書体験で、こういう経験は一度としてなかった。
極上のミステリーを読めば、トリックの美しさが面白さを語るネタになるし、ドラゴンボールは鳥山明のキャラクターメイキングの良さがだいたい面白さの共通見解として統合された。
もちろん、その他にも色々な面白さに貢献しているであろう要素については様々な声があがったけど、少なくとも根本となる要素については、そこまで大きく外すことはなかった。
それが村上春樹になると、ビックリするぐらい統一見解がでない。やれ雰囲気だとか、ストーリーだとか、そういう声はあがるものの
「じゃあ決め手は何さ?」
という話になると、全くといっていいほどつかみ所がないのである。
村上春樹はジブリと似ている
「面白いことは間違いないのだけど、何で面白いのかがよくわからない」
その後、色々なコンテンツを消耗していく中で、この奇妙な特性を持つコンテンツが日本にのみ、2つだけある事を見つけ出した。それが村上春樹とジブリ映画である。
ジブリ映画もまた、何で面白いのかと問われても、実に掴み所が難しい。
となりのトトロなんて、ストーリーだけ聞いても何が面白いのか全くよくわからないけど、映像になると不思議な事に何度見てもあれは飽きない。
今までにトトロ以上に感心・感動した物語はそれこそ山のようにあるけれど、トトロほど毎年毎年金曜ロードショーでやってるのをみても退屈しない物語は皆無と言っていい。
そう、ジブリもまた「面白いことはわかるのに、何で面白いのかが全く統一見解がでない」作品群の一つなのである。
ここで重要な点として、となりのトトロは全くといっていいほど難解な作品ではないのである。もちろん考察しようと思えばいくらでもできる作品ではあるのだけど、少なくとも普通に眺めていく分においては、まったく目に引っかかることなく、わかりやすいストーリー展開が進んでいく。
ぱっと見では、この作品は”わかりやすい”のだ。けど、不思議な事に何度みても全く飽きない。
世の中には複雑性を増すことで読み返しに耐えうる作品を生み出すことに成功しているタイプの作家もいる。
だが一方でトトロはどうだろうか?少なくとも、子供がみてもあれは面白いし、大人がみてもやっぱりあれは面白い。
”わかりやすい”のに”飽きない”
これは考えれば考えるほどに凄い。
トトロがなんで飽きないのかを徹底的に突き詰めていくと、実はわかった気になっているけど、実は全然わかってないのである。だから何度みても”飽きない”のだ。
となりのトトロは一件、極めてわかりやすく書かれている。けど、実は恐ろしく背景の作画には複雑性が仕込まれており、少なくとも映画が流れる2時間の間で全てを理解するのは、どこのどんな人間にも不可能なのである。だから、私達は何度トトロをみても”飽きない”のだ。
参考:
村上春樹の小説の面白さの秘密
「実は村上春樹は一見わかりやすそうだけど、実はジブリと同じでメチャクチャに複雑なんじゃないか」
村上春樹の面白さの正体に迫っていくにあたって、僕はどうもこれが正解なんじゃないかと思うようになってきた。
その答えを裏付けるような本を昨年になってようやく見つけ出す事に成功した。石原千秋「謎とき村上春樹」である。
この本では市原千秋さんが早稲田大学でやった村上春樹論の講義のまとめなのだけど、これを読むと、一見分かりやすい村上春樹のストーリーの裏には、実はとてつもない量の複雑性が仕込まれている事がわかる。
例えば一作目の”風の歌を聴け”だけど、この本はわずか160ページしかない。ストーリーを追うだけならば、それこそ30分もしないで読み終えられる分量だ。
しかしこの小説、なんと出てから10年以上もの間、誰も全貌を解き明かす事ができていなかったというのだから驚愕である。この小説はサラッと読むのと、キチンと読むのとでは、内容が180度といってもいいほど変わる。
実は村上春樹の長編小説は、風の歌を聴けに限らず、全てこの手法で作成されている。
ジブリは分かりやすいストーリーに乗せて情報量の多い絵コンテを仕込むことでコンテンツの複雑性を増すことに成功しているが、村上春樹の場合は分かりやすいストーリーに乗せて背景に圧倒的な情報量を隠しつつ小説を執筆する事でコンテンツの複雑性を増すことに成功している。
あの有名な「やれやれ」や何度読んでも現れる男女の情事も、実はそのまま読むのは大変に悪手で、あれは一種の記号みたいなものなのである。
村上春樹の小説は一見すると凄くわかりやすい。けど、実は読者が本当に面白かっているのは、あのストーリー展開だけではない。背景に隠して敷き詰められた情報量こそが、読者を圧倒的に魅了する秘密なのだ。
というわけで、今まで村上春樹が好きだった人も、嫌いだった人も、これを期にもう一度読んでみてはいかがでしょうか。
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