陸上部で長距離走をやっていた時期があります。

元々はそんなに真剣にやっていたわけではなく、というか当初は入部届すら出しておらず、何故か部室においてあった卓球台やらモノポリーやらで遊んでいただけだったのですが、ちょこちょこ練習に混ざっている間になんかいつの間にか合宿に連れていかれ、なんか大会に出ることになっていたという、なし崩し系陸上部員でした。

一応専門は10000メートルで、嫌いな練習は30分間走です。矛盾していると思った人はそこには触れないでそっとしておいてください。

 

その陸上部の顧問の先生が、ちょっと面白い先生でして。一言で言ってしまうと、口癖のように「言語化」という言葉を使う人だったのです。

今でも覚えているのですが、メドレーリレー走の大会で私一人が大失敗をしてしまったことがありまして。詳細は省きますが、ペース配分はミスるわバトン渡しは失敗するわ接触転倒はするわさせるわでチームに大迷惑をかけ、本当に散々だったのですが。

 

顧問の先生に呼ばれて平謝りしたところ、その先生、「いや、謝罪とかはいいから」って言うんです。

「なにが駄目だったのか、落ち着いて理由を言語化してみよう」

つまり、失敗した場合は、何が原因で、それを防ぐ為には何をすれば良かったのか、どんな練習が足りなかったのかを自分で考えて、言葉にする。

成功した場合は、どんな活動、どんな工夫が良かったのか、続けて何をすれば良いのかを自分で考えて、言葉にする。

改善の入り口は言語化で、謝ることなんかよりも言語化する方がずっと大事だ、と。

ははあ、と思いまして。

 

これはしんざきの個人的な観測ではあるのですが、それまで教わった体育会系の先生って、大部分が「言い訳するな」っていうスタンスの人たちだったんですよ。

剣道部の先生も、サッカー部の先生も、授業で体育を習っていた先生も、まあ程度の差はありますが大体そうでした。

ぐだぐだ口で敗因を説明するのは、見苦しい言い訳。とにかく謝罪と反省、後はひたすら練習に打ち込め、と。

 

だから、当時しんざきにとっては、「ちゃんと説明しろ、言語化しろ」というその先生の言葉は、まるで「言い訳しろ、言い訳は大事だ」と言われているようで、えらく新鮮だったし印象的だったのです。

この先生と相性が合ったからそのまま陸上部に居続けたようなもので、といってもある時私練習中に気胸(肺に穴があく病気)になって陸上はやめちゃったんですけれど。

 

社会人になってからも、私はその先生の言い回しを忠実にパクりまして、部下や後輩には

「言語化しよう、言語化は大事」

「謝罪なんかより言語化」

「適切な言い訳は再発防止の一歩目」

と言い続けています。私は部下に「言い訳」をして欲しいですし、「言い訳」を真剣に聞きます。そしてそこから改善の糸口を見つけ出そうとしています。

 

その一方で、社会人になってからも、「失敗の原因説明」に対して「言い訳するな!!」と言う人は結構いるもんなんだなあ、ということを知りました。

ぐだぐだした言い訳よりも端的な謝罪の方が潔い、と考える文化圏の人がたくさんいるんだ、ということを知りました。

 

私は、失敗に必要なものは要因分析と再発防止だと思っています。

「失敗した」ということは貴重な経験であって、その経験をノウハウとして定着させられないのは重大な損失だと思っています。で、ノウハウとして定着させる為には言語化が必要で、だから失敗の言語化を「言い訳」などという言い方で切り捨てるのは愚の骨頂だと思っています。

割とシンプルなロジックですよね?

 

ただ、私が今、ごくシンプルにこうやって考えていられるのは、元をたどれば陸上部の頃の顧問の先生との会話があるからであって、「言い訳するな」っていう文化圏で過ごした人にとってみれば、「説明をするよりも潔く罪を認めて謝罪した方が印象はいい」ということを学習してしまう可能性はあるなあ、と思ったんですよ。

そういうところで、もしかすると色々ずれちゃうのかもなあ、と。

 

ところで、最近の時事ネタの一つとして、日大アメフトの件がありますよね。

反則プレー「注意はしていません」日大・内田監督が説明(朝日新聞)

一連のこの問題はすべて、私の責任でございます。関西学院大学のみなさまにもお伝えしましたが、日本大学アメリカンフットボール部の監督を辞任いたします。そして、弁解もいたしません。

すべてこの一連の問題は私の責任でございます。誠に申し訳ございません。以上です。

この件自体、初手の遅さが重大な炎上を招いた案件としてモデルケースに近いなーとは思っておりまして、ほっとけば鎮火するだろうと思っていたならちょっとリスク評価が甘すぎるんじゃないかって話なんですが。

ただ、実は私、このインタビューを観た時、最初「なんでこんなにずれてるんだろう」と思ったんですよ。

 

色んな推測はおいておくとしても、これだけ時間をかけた後に記者会見をするということは、少なくとも「これで追及を収めてもらおう、問題を鎮火させよう」という目的と準備でこの場に臨んでいる筈なんですよ。

つまり、その内容を追えば、「この人はこういう言い方をすれば問題が鎮火するんだと考えているんだ」ということはわかる筈なんです。

 

で、この内容です。

謝罪だ辞任だって話もそりゃ取沙汰はされているけれど、今求められているのはきちんとした説明と状況の明確化だろう、と。

基本的に答えにくい質問には一切答えないで、ただひたすら「自分の責任」として謝罪してれば収まると考えられているように見えるなあ、と。この認識のずれってどこから来るんだろうと。

 

で、もしかするとこの人の中では、この「細かい説明はしないで、ただひたすら自分の責任と言う」というのが、「言い訳をしない潔い態度」ということになっているんじゃないのか、と思い当たったんです。

つまりこの人は、他人に対しても自分に対しても、「説明を「言い訳」と断じる文化圏」の人だったんじゃないかなあ、と。

 

だから、説明をしなくても自分の罪を「潔く」認めれば、世間に対する印象はいい筈だと考えているんじゃないか、と。

まあ今回の場合、正直に話すと本当にエラいことになる案件がまだ残存しているんだって可能性もありますけど、「もう弁解もいたしません」なんて言葉はそういう風に読み取れますよね。

 

残念ながら今現在、世間の潮流はどちらかというと「きちんとした説明」「それに基づく再発防止策」が重要だ、という認識に傾きつつあるように思えます。

失敗に伴って言葉を尽くす方が、そうしないことよりも誠実である、と認識している人が増えているように思います。少なくとも、報道各社の論調は今完全にそっちですよね。

 

そういう意味では、今現在でも「言い訳するな」という文化圏にとどまっている人は、結構危険な立ち位置にいるんじゃないかなあ、と思うんですよ。

言ってみれば炎上予備軍というか。あるいは、失敗ノウハウを活かすスタンスに欠ける残念な人というか。

 

最近、特にスポーツ団体について、「なんじゃこの案件」と思う機会が増えました。直近だと相撲のアレとか、サッカーのそれとか、色々ありましたよね。

勿論、それぞれの案件にはそれぞれの要因、理由があると思うのですが、幾つかは共通するファクターがあるかも知れないと思いまして。

 

そういうファクターの一つに、「細かい説明は言い訳である」という認識、そこから発生するディスコミュニケーションがあったりはしないか、と今の私は考えているわけなのです。

 

「失敗の説明」は決して「言い訳」として切り捨てられるべきものではない。むしろきちんと言語化した方が誠実であり、有益でもある。

そういう認識が広がった方が、世の中効率的に回るんじゃないかなー、と。むしろ「言い訳するな文化圏」にいた人たちにこそ、そういうことを認識してもらいたいと。

そう思った次第なのです。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

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(2024/3/26更新)

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

 

(Photo:Daniele Margaroli