最近の子どもは忙しい。
うちの長男(小学校高学年)も、毎日、学校の宿題に塾に習い事にと、スケジュールが詰まっているのです。
余裕がなくなっている、ということで、定期的に、あまり興味が持てないものを止めてはいるのですが、それでも、本人が、やってみたい(あるいは、やめたくない)と思っているものだけでも、かなりのハードスケジュールにみえます。
自分が子どもの頃と比べると、これで良いのだろうか、と疑問にはなるんですよ。
僕はずっと
「やりすぎじゃないか」
「もっとのんびり、ほんやりする時間があったほうが良いのではないか」
って言っていたのですが(でも、僕の意見はなかなか反映されない)いくつかの本を読んでいて、子どもの習い事や環境にも、いろんな考え方があることを知りました。
自分基準で、「詰め込みすぎ」「もっとのんびり」みたいなのも、単なる「思い込み」なのかな、とも思えてきたのです。
『不合理だらけの日本スポーツ界』(河田剛著/ディズカヴァー・トゥエンティワン)という本のなかで、こんなエピソードが紹介されています。
著者は、アメリカのスポーツ環境の体験から、日本でも「マルチスポーツ(複数の競技を掛け持ち、あるいはシーズン別に違う競技をやること)を勧めています。
それでは、中途半端になってしまうのではないか、という批判に対して、著者はスタンフォード大学での子供たちと学生アスリートとのパネル・ディスカッションの様子を紹介しながら、答えています。
パネリストは、アメリカンフットボール選手2名、フェンシングのオリンピックメダリスト、そして、ロンドン、リオと金メダルを獲得した水泳のケイティ・レデッキー選手である。
ある子供が、ケイティに質問を投げかけた。
子供:オリンピックでメダルをとるには、どうしたらいいの?
ケイティ:一つだけじゃなく、いろいろなスポーツを経験することだよ。私の場合は水泳と、もう一つだけだったけど、若いときにもう二つくらいできたら、もっとメダルがとれていたかもしれないと思うわ。
子供:どうしたら、スタンフォードに入れるの?
ケイティ:同じ答えになっちゃうかもしれないけど、勉強もスポーツも含め、いろんなことに一生懸命、そして同時に取り組むことかな、そうすると時間をマネージメントしなきゃいけないから、そのスキルが身につくよ。
今、ちょうどテストと練習を両立しなきゃいけない時期なんだけど、若いときにそれを経験していて良かったと思っているよ。
子供:どうしたら、ケイティみたいになれるの?
ケイティ:とにかく、お父さんとお母さんの言うことを、よく聞くことね。あなたたちを愛している両親や家族は、いつも世界で一番良いアドバイスをくれるはずだから。
社会人としての日本での生活経験、(日米両国で)アスリートを見てきた指導者としての経験、どちらを通しても、アメリカ人が日本人よりはるかに優っていることの一つは、優先順位のつけ方と、そのこなし方である。
小さい頃から、習い事や、シーズンごとのスポーツ、つまり、マルチスポーツなど、多くのことを並行してやっていくことに慣れているアメリカ人のアスリートは、複数のことに優先順位をつけて取り組んでいくことに、非常にたけている。
ともすると、その姿は「いい加減である」と、(特に、日本人には)見えてしまうが、彼らがしていることの何かがいい加減に見えた場合には、それは、彼らにとって優先順位の低いことだったということがほとんどだ。
特に、小さなときからそれを高いレベルでこなしてきたであろうスタンフォードの学生は、学業とスポーツ、それ以外の活動も、完璧にこなしている印象がある。
子供の頃にさまざまなことを並行してやっていく習慣が、物事に優先順位をつけたり、効率的に進めていったりするためのトレーニングになっているのではないか、と著者は指摘しているのです。
なるほどなあ。
2018年の夏の甲子園で優勝した、大阪桐蔭の根尾選手は、中学までスポーツのシーズン制に取り組んでいます。
春から秋まで野球をやって中学生の日本代表として世界大会に出場し、冬場は雪上で全国中学校アルペンスキー大会で優勝し、こちらでも世界大会に出場しているのです(高校時代からは「野球専任」になったそうです)。
根尾選手は学業も極めて優秀で、まあなんというか「天は根尾選手に贔屓しすぎだろう」なんて言いたくもなりますが。
日本では、「一つのことに集中する」のが正しいとされがちなのですが、もしそれが向いていなかったり、嫌いになった場合に「つぶしがきかない」というデメリットもありますよね。
大人になって痛感しているのは「仕事の優先順位をつける」「限られた時間のなかで、自分がやることをマネージメントする」ことの大切さなんですよ。
あまりにも肉体的・精神的に負荷が大きすぎる「あれもこれも」は論外としても、「いろんなことを並行してやっていくこと」「子どもの頃から、時間の使い方を意識すること、させること」の練習は、これからの時代、より大事になっていくと思います。
「どのくらいやるのが適切なのか」というのが、いちばん大きな問題だし、ケイティ選手や根尾選手クラスの天才と同じことを自分の子供に求めるのは無謀なのだとしても。
田舎の自然のなかで、のんびり、おおらかに子どもを育てたい、というのも、「親の自己満足」になる可能性があるのです。
『下り坂をそろそろと下る』 (平田オリザ著/講談社現代新書)のなかで、平田さんは、今後の日本の「教育改革」においては、ペーパーテストではなく、「受験準備ができない設問」(たとえは、グループディスカッションや、社会問題に対する提言力を問うような問題)が重視されていくはずだと述べています。
そうなると、有名進学塾に通えない、田舎の子どもにも「平等」になるのではないか?と僕などは考えていたのですが、実際は、そうはならないのです。
要するに、いまの流行り言葉で言えば「地頭」を問うような試験に変わっていくということだ。
これは、短期間の、知識詰め込み型の受験勉強では対応できない。小さな頃から、文科省も掲げるところの思考力、判断力、表現力、主体性、多様性理解、恊働性、そういったものを少しずつ養っていかない限り太刀打ちできない試験になる。
こういった能力の総体を、社会学では「文化資本」と呼ぶ。平易な言葉で言い換えれば「人と共に生きるためのセンス」である。
(中略)
この身体的文化資本を育てていくには、本物に多く触れさせる以外に方法はないと考えられている。
それはそうだろう。子どもに美味しいものと不味いものを交互に食べさせて、「どうだ、こっちが美味しいだろう」と教える躾はない。美味しいものを食べさせ続けることによって、不味いもの、身体に害になるものが口に入ってきたときに、瞬時に吐き出せる能力が育つのだ。
骨董品の目利きを育てる際も、同じことが言えるようだ。理屈ではなく、いいもの、本物を見続けることによって、偽物を直感的に見分ける能力が育つ。
しかし、そうだとしたら、現在の日本においては、東京の子どもたちは圧倒的に有利ではないか。東京、首都圏の子どもたちは、本物の(世界水準の)芸術・文化に触れる機会が圧倒的に多い。
もう一点、この文化資本の格差は、当然、貧困の問題とも密接に結びついている。
たとえば、いま全国の小中学校で「朝の読書運動」が広がっている。教員は生徒たちに、「何でもいいから本を持って来なさい。どうしても本が難しければ、はじめは漫画でもいいよ」とやさしく声をかける。
しかし現実には、家に一冊も本がないという家が、多く存在するのだ。これなどは端的に分かりやすい文化資本の格差である。
(中略)
文化の地域間格差はどうだろう。「地方の子どもは芸術に触れる代わりに、豊かな自然に触れている」というのは、やはり詭弁に過ぎないのではないか。
自然に触れて、のびのび育つことができる、とは言うけれど、田舎の子どもたちは、学校の統廃合で通学に時間がかかるためにバス通学になって、自然に触れる時間が増えているわけではないそうです。
いくら自然に触れていても、それを「表現する能力」がないと、いまの社会では評価されないのではないか、と平田さんは仰っています。
冷徹なようだけれど、僕も、そのとおりだな、と思うのです。
結局のところ、「自然のなかで、のびのび育つ」ことを美化する人は多いけれど、それが「長所」として役立つ場面というのは、少ないんですよね。
自然と触れ合うことは不要、というわけではないけれど、「文化資本」のことを棚上げにして、田舎=心が豊か、というのは、あまりにも短絡的な考え方です。
「田舎のよさ」を世間にアピールしているのは、「それを語る言葉を持った都会人たち」なわけですし。
こうして書いてみると、「詰め込み教育」とか「田舎バッシング」を推奨しているみたいな感じなのですが、そういう意図はありません。
子どもにとって、何が幸せで、何が正解か、という万人向けの解答はいまだに存在しないので、こうしてみんなが悩み続けているのです。
「子どもの正しい育て方」だと長年宣伝され、思い込まれてきた多くのことが、現在、かなり揺らいできています。
親や大人は、結局のところ「自分の経験や思い込み」に縛られて、いまの子どもたちや教育の現場を知らないまま、自分は正解がわかっていると考えてしまいがちなんですよ。僕もそうでした。
みんな学校に行ったことがあって、教育も受けたことがあるから、一言もの申したくなってしまうのです。
それが、30年前の時代遅れの知識や経験でしかないことを忘れて。
(2024/12/6更新)
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【著者プロフィール】
著者:fujipon
読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。
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