最近、頭を悩ませる問題にブチ当たったので、この場を借りて共有させて頂きたい。

 

とある病院の話だ。その病院はとてもその地区では評判のよい病院で、非常に優秀な医者がキビキビと働くことで有名な所だった。

その結果、非常にクオリティーの高いサービスが患者さんにも提供されており、今なお医療従業者間・患者間でとても評判の高い病院である。

 

医者の間では、そこの病院で働ける事は憧れであり、またそこで働いている多くの人も、その施設に所属している事を誇りに思っていた。

受診する患者さんも、そこの評判やブランドを非常に信頼しており、みんながみんな、Win-Winだと誰もが思っていた。

 

こう聞くと、いわゆる良い企業であるように聞こえるだろう。しかしちょっと前にこの病院でとある問題が起きた。

パワハラの告発である。

告発者いわく、この病院はいわゆるハイスペックでない医者にはエラく厳しいのだという。

 

その病院で働く医者は、基本的には選ばれしものが集っている。

厳しい選抜を超え、その病院で働く事につけた人間は、基本的には激務を難なくこなし、また他人のお荷物にならない事などは当然の事とされていた。

 

しかし現実問題、どんなに選抜試験を厳しくしようが、どうしても一定数の劣等生は入ってきてしまう。

さっきもいったけど、この病院は基本的にはハイスペックである事が求められている。人件費抑制の為に、職員数は常に最小限に絞られており、いわゆるお荷物を抱え込む余裕が基本的には全く無い環境であったのである。

 

こういう環境にお荷物としかいいようがない人間が入り込むとどうなるかご存知だろうか?

今回、パワハラを告発した人がいうには、それはもう酷い激詰めが待ち受けているのだそうだ。

 

繰り返すが、その病院は非常に優秀な医者がキビキビと働き、その結果、非常にクオリティーの高いサービスが患者さんにも提供されており、医療従業者間・患者間でとても評判の高い病院であった。

これだけ読むと、サービス提供者・サービス受給者、ともに非常に満足な環境にみえる。

けど冷静に考えてみて欲しい。こんな環境が、なんの犠牲もなく成立するはずがないのである。

 

結果、その犠牲がどこにいったかというと、劣等生職員に全てしわ寄せがいってたのである。

「この病院で働いているんだから、これぐらいできて当然だよね?」

「はぁ・・・こんな事もできないの?」

「ちょっとぉ・・・あなたのせいでみんなが定時で帰れないんだけど」

パワハラにあった人の周りから受けた言葉を要約すると、こんな感じであった。

つまるところ、患者さんに優しい環境を提示する為に、この病院は働く能力が劣った弱者に対して、全てのシワ寄せがいっていたのである。

 

病人という弱者には優しくても無能という弱者には厳しい

繰り返すが、その病院はサービス供給者ならびに受給者からみれば、非常に優秀な組織であった。

受けられる医療のクオリティは高く、またみんなよく働くから、サービスを受ける側も格安で最高の医療を受ける事ができていた。

けど、その理想の実現が、何の犠牲も無しには存在し得ていなかった。残念ながら、しわ寄せは存在しており、それがどこに行ったかというと無能な従業員だったのである。

 

今に至るまで、その病院のモットーは、弱者に優しくあれ、である。

確かに、その病院で働く人達は、患者さんにはとても優しい人が多かった。けど、無能な従業員にはめっぽう厳しかった。この事を言い換えると、病人という弱者には優しくあれても無能という弱者には厳しかったと言えるだろう。

 

実は様々な分野にいえることなのだけど、優秀な人は大抵の場合において無能な同僚対しては、めちゃくちゃ厳しい。

そして、この病院と似た風土のある組織においては、パワハラがかなり発生しがちである事が事情通の間では実によく知られている。残念ながら、これは事実だ。

 

職場内に無能な人間を抱え込むという事は、ある意味では形を変えた弱者に向き合うという事なのだけど、優秀な人に限って、これが本当に出来ない。

「おまえのせいで、苦しい患者がもっと苦しむハメになっている。俺は医者として、それが許せないんだ」

 

パワハラを受けた人が、上司に何度も何度も言われたセリフなのだそうだけど、その時、この人は

「あなたのせいで自分も患者になりそうな勢いだけど。。。結局、この人は、患者という弱者を使って、自分という弱者を攻撃したいだけなのでは?」

と思ったのだという。

 

僕はこれを聞いて酷く心が痛んだ。

私達は、わかりやすい弱者には優しくなれる。

例えば、電車でつらそうな人が目の前にいたら、席を譲るのはそう難しいことではない。

 

けどその一方で、ニートだったり薄給でコキ使われている人にはこんな事を言ってのけたりする。

「努力しなかったのが悪いんでしょ?自業自得だよね」

僕もこの歳になってようやく気がついたのだけど、実のところ電車でつらそうな顔をしている人と、ニートだったり薄給でコキ使われている人はどちらも等しく”弱者”なのである。

 

けど、私達はそれに同じようには優しさを振りまけない。

病人は「困った時はお互い様」

ニートや足手まといには「今まで何やってたの?そんなの自己責任でしょ」

こう言ってのける人が実に多いのである。

 

これらの言葉は、本当にその通りなのだろうか?

僕はどっちも

「運が悪かったですね」という感じがしてしまうのだけど。

 

まあ人間は置かれた環境に作用されてしまう存在だから、仕方がないのかもしれない。

 

お金は人より偉いのだろうか?

この話を先日、とある人にいった所、その人はこういう趣旨の事を述べられた。

「別に普通じゃないですか?だって患者さんはお金を払っている人なわけで、従業員はお金を貰う人なんですから。同じ弱者の枠でくくるのは、そもそもおかしいと思うのですが」

あなたはこれを聞いてどう思うだろうか?

僕は、これを聞いて、人は時と場合によっては、お金よりも下位存在になるのだと思い、軽く、絶望してしまった。

 

その人は根が商売人だから、こういう発想が出てくる事は仕方がないとは思った。

けどさ、そもそもの前提として、人というのは、同じ人なのだから、かかるコストで一律に評価されるのは、キッツイなーと思ったのだ。

世の中には頭のいい人もいれば、力が強い人もいる。人それぞれ、得意な事と不得意な事がある。

そういう人をひっくるめた上で、人間というのは本来平等であるべきなのだ。少なくとも人権は、僕とこれを読んでいるあなたの間で、人権には差があってはいけないはずなのだ。

 

けれど、商売人であるこの人の中では、サービス受給者と、サービス供給者の間では、人権は非対称なのだ。

お金という、正義の指標で全てが左右されてしまうのである。どちらもある意味では社会的弱者なのだけど、どちらにも等しくは優しさはいかないのである。

 

こう書くと、僕が先の発言をした商売人を糾弾しているようにみえるかもしれないけど、僕は個人的には、その人の発言はその人個人のものというより、どちらかというと今の社会の規範をそのまま反映しているような気がする。

あなたは、別け隔てなく、弱い人に優しく荒れるだろうか?人を差別することなく、弱い人に、平等に寄り添えるだろうか?

 

もしこれに、どんな理由であれNO!と突きつける存在であなたがあるのなら、あなたは差別される存在になった時、それを甘んじて受け入れなくてはならない。

だって他ならぬ、あなたが差別を受け入れたのだから。差別される側になったとしたら、それを喜んで受け入れなくては、道理が合わないだろう。

 

いつ何時たりとも、人にフラットに接するという事は、本当に難しい。

いつからお金は、人を超えて偉い存在になってしまったのだろう?いつから人権というのは、そんなに軽いものになってしまったのだろう?

 

僕は今でも、この問題について頭を悩ませているのだけど、一向によい解決方法が見つからない。

人権って、本当になんなんでしょうね。ムズカシイ・・・

 

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高須賀

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(Photo:Jake Bellucci