この記事で書きたいことは、

 

・東大をはじめとする高学歴エリートの中には、「周囲からの評価・期待」と「自己評価・プライド」と「実際の自分の能力」それぞれのギャップに苦しんで、自意識をこじらせてしまう人がそれなりの数いる

・高学歴の人にも当然得意分野と苦手分野というものはあり、苦手分野については人並みかそれ以下の能力しかない

・けれど、「高学歴」というラベルが能力全般について勘違いさせてしまう効能は割と強い

・高学歴による精神的バフで苦手分野に思い切り突っ込むのはこじらせ道への第一歩

・学歴なんてただのツールなんだから、使える場面では使うし使えない場面では忘れる、くらいのスタンスでいた方が楽だよね

 

大体上記のような内容になります。よろしくお願いします。

 

ということで、言いたいことは最初に全部書いてしまったので、後はざっくばらんにいきましょう。

先日、こんな記事を拝読しました。

東大・京大・早慶→一流企業のエリートが「日本ヤバイ」と言う理由

そして、聞けば皆、日本ではいわゆる“エリート”と呼ばれる経歴を持つ者ばかり。

一流大学(東大、京大、慶応、早稲田)を卒業後、大手企業の最前線で戦ってきており、順風満帆のキャリアの中で満を持してのMBA留学といっても決して過言ではなかった。

少なからず “日本を代表している”という気概を持ってこの留学に臨んでいたことは間違いがない。

私はこれを読んで、端的に「あ、ちょっとこじらせちゃった人たちかな…」と感じました。

 

上記記事は、結論での論旨が明確でない部分もあるんですが、基本的には

・自分はエリートとしてもてはやされてきた

・ただ、海外を見てみると意識やスタンス、実践上の英語力などで圧倒的な差を目の当たりにした

・出世や承認欲求を目的としてしまう自分の視野が狭かった

・自分のような人材をもてはやしている日本は大丈夫なのか

というような内容が文章の骨子になっているかと思います。

 

この記事はどうも、複数の高学歴の方の連名で書かれているようなので、この記事の発信者を「彼ら」と呼称しますが、彼らの文章を読んで私が最初に思ったのは、「学歴エリートだからといって、そこまで「日本を代表している」とか気負わないでいいと思いますよ…」ということです。

 

彼らが直面しているのは、実際には個人レベルでの意識の差、個人レベルでの苦手分野との衝突に過ぎないのであって、別段それが即日本の危機に結びつくわけでも、更には彼ら自身の価値の毀損に結びつくわけでもないのですが、上の文章では何故かそれが「日本ヤバイ」という話になってしまう。これが、私の考える「こじらせている」症例の一つです。

 

まず、「こじらせる」の具体的な症例と言いますか、傾向を明確にしておきたいと思うんです。

 

***

 

こじらせ高学歴とはどういう人か

幾つか類型があると思いますが、私が割と頻繁に観測しているのは大体下記のような人たちです。

・エリート学歴であることを即社会全体における自分の重要性と結びつけてしまう人

・「〇〇大の癖にこの程度か」といった言葉を真に受け過ぎて「逆学歴差別」とか言ってしまう人

・学歴があまり関係ない場面でも盛んに学歴を自己主張してしまう人、学歴でマウントを取ろうとしてしまう人

 

どうでしょうか。webでもそこそこの頻度で見かけるなーと思って頂けるのではないでしょうか。

私自身は東大卒の人と接触する機会が比較的多く、上記いずれかに当てはまる東大卒の人もそこそこの頻度で見かけます。勿論、全く当てはまらない自然体の人の方が実際にはずっと多いんですけどね。

 

そういったケースを観測していて、これら「こじらせ」には、一つ共通の因子があるなーと思うようになってきました。

それは、一言で言ってしまうと

「周囲からの評価・期待」「自己評価・プライド」と「実際の自分の能力」とのギャップの発生です。

 

私の観測範囲の問題から、ちょっと話題のスコープを絞らせて頂きたいんですが、今から「東大生の能力」の話をします。

 

***

 

東大生の能力について

当たり前の話なんですが、一言で「東大生」と言っても、性格的にも能力的にも色々な人がいます。

そして、そのグラデーションは、恐らく外部の人が想像するよりも遥かに濃淡に富んでいます。同じ東大の中でも出来るヤツとそれ程でもないヤツがいますし、一方得意分野もあれば苦手分野もあります。

 

勿論東大というのは、日本の入試の中では最高峰の難易度を誇っている訳でして、そこを潜り抜けてきたというのが能力的な保証になる部分もあるのですが、「能力」というのも当然様々な分野に分かれるものでして、保証される能力とされない能力があります。

 

「受験勉強で高難度の入試を制した」という条件は、どんな能力を保証するでしょうか?

私の観測範囲では、

・高い集中力

・ある程度以上の(勉強に対する)忍耐力

・ある程度以上の記憶力

・ある程度のスパンでの目標設定能力

 

この辺については、「東大生」というラベルが保証してくれる範囲だろうと思います。

大筋、上の能力について一定以上の水準を持っていない東大生、ないし東大卒業生に、私は会ったことがありません。逆に言うと、東大生だからといって、上の能力以外については一概に保証されません。

 

これ以外の能力に関して言えば、応用力がある人もいればない人もおり、創造力がある人もいればない人もおり、豊富にアイディアを思いつく人も、一方非定型の作業にはてんで向いていない人もいます。

一概に無能と言えないのは当然ですが、分野によっては一概に有能ともいえない、というのが実際のところだと思います。

 

東大生の中には、絵に描いたような万能のスーパーエリートもいれば、基礎をきちんと取り逃さないことは得意だけど応用はあんまりという人もいるし、スキル極振り、ある分野は突き抜けているけれど他はさっぱり、という人もいます。

恐らく、世間一般の人が考える「エリート東大生」というようなイメージ通りの人たちは、東大全体を見ればほんの一握りです。

 

当然のことながら、意識が高い人もいれば低い人もいるし、コミュ力がある人もいればない人もいます。

この辺、上記で書いたようなある程度の能力ラインを除くと、千差万別っぷりは普通の集団とそれ程変わらないのではないか、と私は考えています。

 

一方で、「その能力についての自己評価」というテーマだと、自ずと別の話が出てきます。

 

***

 

学歴ラベルの勘違い誘因パワーについて

「同じ東大生でも色んなヤツがいる」というと当たり前の話に聞こえるじゃないですか?ところがこれ、シーンによっては当たり前じゃなくなるんです。

「東大」というラベルが「万能の出来るヤツ」みたいに思わせてしまう力が、他人にも、あるいは自分にも働くんです。

 

「東大生なのにこんなもんか」というワードは、この「勘違い誘因パワー」の当然の表出の一つです。

実際のところ、例えば「基礎を全て取りこぼさずに受験をクリアしてきた人」が、応用問題に対して咄嗟の対応が出来るかというとそうとは限らない訳ですが、その点ちょっとでも学習能力が発揮出来ない分野にあってしまうと、元々の期待値が高い分評価の落差を生み出してしまう。

正直なところ、これ自体は仕方がないことです。

 

問題なのは、この勘違い誘因パワーが「自分に働いてしまう」ケースでして。

つまり、「自分は東大に受かったのだから出来るヤツなんだ」とか、「東大に入ったからには価値がある仕事をしなくては」とか、「自分は創造的な仕事が出来る筈だ」みたいな、そういう一種の強迫観念を持ってしまうことが、往々にしてあるんですね。

 

ここで、「自分の得意分野とは全然違うところ」に対して高い自己評価をもって突っ込んでしまった時、一つの悲劇が起こります。

 

例えばの話、定型の作業についての処理速度であればずば抜けて高い能力を持っているような人が、例えば経営企画とかコンサルタント職に携わろうとして(この逆もある)、人並み以下の成果しか出せない、なんてことがぽろぽろ発生する訳です。

「自分の向き不向きを見定め損なう」なんてことは誰にでも起こり得ることですが、特にその発生頻度を高めてしまうのが、この「学歴勘違いパワー」なのです。

 

冒頭の引用記事に、「MBAプログラムの年下同級生に打ちのめされる」というシーンがあります。

これは実際のところ、日本社会の病理を示している訳でも、筆者の意識不足、能力不足を示している訳でもありません。単に「筆者の得意フィールドはそこじゃなかったよ」というだけです。本当にそれだけです。

 

恐らく、守備範囲、分野を変えれば、筆者の方がこの同級生に逆にショックを与えられる部分もあるでしょう。

ただ、筆者は現時点で、そこで戦うことを選んでいない。 “日本を代表している”という気概を持って、MBAというおそらくあまり向いていない分野に突っ込んでいるという、単純にそれだけの話なんです。

 

これと同じようなことはどこでも発生し得ます。「東大を出た」という自信を胸に、守備範囲ではないフィールドに突っ込んで、けちょんけちょんに「東大生のくせに使えない」という言葉に打ちのめされてしまう人。

結果、「東大」というラベルにしがみつくしかなくなってしまった人。それ程珍しい話ではありません。

 

勿論、逆に、自分の能力を十全に生かして世界で戦っている東大卒もいるわけでして、これは能力というよりは「学歴ラベルに惑わされず、自分の守備範囲を適切に見極められたかどうか」ということに起因する差です。

 

***

 

「学歴ラベル」から自由である為には

ぶっちゃけた話、「学歴」というものは単なるツールであって、それ以上のものではありません。ツールである以上、使える場面ではベネフィットに応じて使用するべきですが、使えない場面では利用価値はありません。

 

使える場面で適切に利用した時、今でも学歴というものはかなりのパワーを発揮します。

学歴だけで就活が有利になることも、学歴だけで相手に一目置いてもらうことも、フィールドを適切に選べば可能でしょう。

学歴というツールを縦横無尽に使って、いい感じに世の中を渡っている人も全く珍しくありません。

 

一方。自分の能力に自信を持つのは良いことなのですが、その能力の方向性を見定めずに、単純に「能力勝負」のフィールドに突っ込んだ場合、往々にしてそこでは「学歴」というツールが何の役にも立たない傾向にあります。

勿論のこと、能力一本で勝負出来る人なら十分そこで勝ち抜いていけるわけなのですが、自分に合わないフィールドで上手くいかなかったからといって「逆学歴差別」などと言い始めるのは、聊か喜劇的であると言わざるを得ません。

 

大事なことは、

「学歴は自分を規定するものではない」という認識なのではないかなあ、と思います。

東大に入ったからといって、慶応早稲田に入ったからといって、それで自分がどう変わるわけでもない。

重要なのは「そこで何を学ぶか」ということと、「そこに入学、ないしそこを卒業できたという事実をどう利用するか」ということであって、それ以外の意味は特段ない。

 

そういう認識をもって、学歴とは無関係に適切に自己評価をすることが出来れば、「こじらせ」からある程度自由でいられるのではないかなあ、と。

私はそんな風に思うのです。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

【お知らせ】
弊社ティネクト(Books&Apps運営会社)が2024年3月18日に実施したウェビナー動画を配信中です
<ティネクトウェビナー>

【アーカイブ動画】ChatGPTを経営課題解決に活用した最新実践例をご紹介します

2024年3月18日実施したウェビナーのアーカイブ動画です(配信期限:2024年4月30日まで)

<セミナー内容>
1.ChatGPTって何に使えるの?
2.経営者から見たChatGPTの活用方法
3.CharGPTが変えたマーケティング現場の生々しい実例
4.ティネクトからのプレゼント
5.Q&A

【講師紹介】
楢原一雅(ティネクト取締役)
安達裕哉(同代表取締役)
倉増京平(同取締役)



ご希望の方は下記ページ内ウェビナーお申込みフォーム内で「YouTube動画視聴」をお選び頂きお申込みください。お申込み者にウェビナーを収録したYoutube限定動画URLをお送りいたします。
お申込み・詳細 こちらティネクウェビナーお申込みページをご覧ください

(2024/3/26更新)

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

(Photo:Murray Barnes)