入院患者向けの治療食を製造する会社で、仕事をしていた時の話。

 

病院給食といえば、味は薄い、献立も魅力がない、まずい、という先入観が定着している。

が、中身はしっかりしていて、国家資格である管理栄養士が献立を立て、また患者に対し栄養指導を行うことが法律で義務づけられている。

 

病状に応じて制限されるミネラルや栄養などを計算し、また必要なカロリーや栄養を充足させ、その上で1食あたりのコストを経営的な要求に収める必要もある。

その上でもちろん、患者さんを食事として楽しませる技術も要求される。

それはとても、高度な仕事だ。

 

だが、どれだけ栄養的に基準を満たし、コストの範囲内に収めても、パンに味噌汁を添えて出したら患者さんはやはり怒り出す。

そこには患者さんを楽しませる、「ノウハウ」が不可欠だ。

 

だから、どんな国家資格にも言えることだが、資格を取り立ての新卒がすぐに通用するような現場ではない。

多くの臨床経験を通してやっとモノになる、複雑な仕事。それが、管理栄養士だ。

 

ノウハウを囲い込むベテランの職人社員

ところで、こんな職場では、どんな問題や軋轢が起きるか。

まず前提として、この資格を取り現場で仕事をしている人は、圧倒的に女性が多い。

私が仕事をしていた会社も、栄養士の現場は95%が女性だ。

 

現在では少なくなったが、当時は若い女性がこの仕事に就いても、結婚で退職することが多かった。

そして栄養士としてのスキルが「職人レベル」か「若手」に二極化していくことになる。

したがって、このような職場でもっとも仕事ができて、もっともノウハウを蓄積しているのは「お局様」と呼ばれるベテランの女性であった。

 

このような状態の職場は、運用がかなり難しい。

「お局様」が、部下の育成に興味を持たないからだ。

 

お局様となった職人は既に、勤続年数やスキルからも役職についていることが多いのだが、新たに入ってくる部下に気前よく、自らのノウハウをシェアすることはほとんどない。

長年の経験で身につけた知識を無償で教える理由がない上に、何よりも自分の価値を決定しているのは、自分にしかできない仕事があるから、という自覚もある。

そしてそのノウハウを気前よく人に教えることは、自分の価値を毀損することになることを本能で理解しているので、部下の育成に興味を持たないのもあたり前と言うことだ。

 

「部長、ベテラン社員に頼らない仕組みを作りましょう」→「無茶言うな」

そんなある日、経営会議でそのセクションの人手不足が課題になった。

お局様である課長と、他2名の社員のうち2名が休むと献立づくりのレベルからルーティンが回らないので、もっと経験者を採用して欲しいという部長からのリクエストであった。

 

だが、私は経験者採用の前にやることがある、と感じた。

 

目先の問題解決は確かにそのとおりだろう。

しかしながら、絶対女王として君臨している課長がいる組織に優秀な中途採用を補充したところで、上手く回ることがあるだろうか。

きっと、また別の問題を抱える可能性が高いはずだ。

 

そこで私はこの提案に対して、部長に対し以下のように質問と提案をした。

 

「部長、なぜ課長のノウハウを標準化し、ある程度の経験がある栄養士であれば、70点のものがつくれるような仕組みを作らないのですか?」

「むちゃ言うな。あいつがそんな仕組みづくりに協力するわけないわ。あんたもあいつの性格はよく知ってるやろ。」

「彼女の性格はともかく、そりゃあ誰だって自分のノウハウを無償で組織に差し出せって言われたら渋りますよ。大事なことは彼女の仕事は職人的に素晴らしい献立を立てることではなく、劣化コピーでもいいから自分の分身を育てることだと理解させることです。それを評価する仕組みと規定を作ることを考えるべきでは。」

「実は似たような話は既にしたことがある。部門会議でも議題に取り上げたことがあるけど、上手くいかなかった。」

「経営会議で会社の決まりごとに落とさなかったのですから、あたり前じゃないですか。大事なことは、自分のノウハウを組織に提供して人を育てることが、彼女にとって脅威にならないことを感情的に理解させてあげることですよ。むしろ自分の立ち位置がますます快適になることを約束してあげないと、ノウハウを手放すわけがないじゃないですか。」

「言っていることはわかるが、ルーティンワークも忙しい。今は目先の人手不足に対応する方が先だ。あんたの言ってることは非現実的だ。」

 

結局この後も、言葉を変えて業務の標準化を進める必要性を説いたが、部長はできない理由を挙げ続け、そのまま経営会議は終了した。

そして課長の下には部長のリクエスト通り、数名の経験豊富な中途採用社員が入ってきたが、程なくして皆離職。

いつもの光景が繰り返されることになった。

 

指揮官が無能だと、組織が劣化するだけでなくそこで働く社員も本当に不幸

指揮官が無能だと、組織が劣化するだけでなくそこで働く社員も本当に不幸になる。

 

このケースでは、経営会議で経営トップ自らも部門長の意見を支持し、業務を標準化する努力をするべきだという私の提案が採用されることはなかった。

こうなるともう、組織のためにできることはほとんどない。

 

こんな風景を筆者は、大学を卒業してすぐ、最初に就職した大手証券会社でも経験していた。

 

筆者は基本的に怠け者だ。

仕事のできる同期や先輩のやり方を盗み見て、劣化コピーでもいいからそのノウハウを吸収して、なるべく楽をして成果を挙げたいという横着な性格をしている。会社経営者となった今も、その本質は変わらない。

 

できる人間のできるノウハウを組織で共有すれば、皆が楽をして結果を出し利益を上げることができて、皆がたくさんの給与を稼ぐことができる。

結果として顧客も喜び、全員が幸せになれる。

そのためには、個人プレイで成果を上げること以上に、組織のために有用なノウハウを提供すること、そして何よりもそれを評価する仕組みを会社は作らなければならない。

 

にも関わらず、サラリーマンとして人の会社で働いている時に、このことの重要性を理解している上司に出会ったことがない。

それどころか、人の会社で役員をしている時でも、その重要性を理解しようとする経営トップにも出会ったことがなかった。

 

管理職の役割は知恵を組織にシェアし、全員のパフォーマンスを底上げすること

特に思い出されるのは、社会人1年生の時のことだ。

証券会社では、1年生からテレアポやDMの大量送付などで法人や個人客の獲得を指示されるが、直属の上司から電話の掛け方、話し方、DMの書き方といった指示までは教えてもらった事はなかった。

ただ、「200件電話したら10件は話してもらえて、うち1件はなにかの契約が貰える。だからひたすら電話をしろ」といった、根拠のない確率論だけがその仕事の拠り所であった。

そして毎月、支店に配属された新人チームごとの成約経過が発表され、成績が悪いと上司から分厚いドンコ(顧客台帳)で頭を殴られる無意味な仕事が続いた。

 

そんなある日、私はぶん殴られた勢いでややキレ気味に上司に対し、こんな事を言ったことがある。

「香川支店の同期チームは、全国でも指折りの成果をあげています。これは地域の富裕層の人数を考えると凄い成果だと思いますが、上司の能力の差じゃないんですか?」

「いい度胸やなお前。どういう意味で言ってるのか説明してみろ。」

「高額納税者リストを元に電話しているだけなら、ウチと香川でそんなに差がつくわけもないでしょう。確率論だけなら、電話する件数が多いウチのほうが成果を挙げているはずです。しかしウチは、チームでの成績が香川に惨敗しているどころか全国でも下位クラスです。このまま確率論で押し通すのが正解なのですか?」

「やかましい!自分の能力のなさを棚に上げるな!!」

 

そして私はさらに、ドンコで頭をボコボコに叩かれたわけだが、その態度が新人として生意気かどうかはともかく、考え方として正しいことは間違いなく今も確信している。

 

管理職のもっとも重要な仕事は、自らの知識と経験を組織にシェアして自分の能力と同等以上の部下を育成することだ。

もしくは組織の中で、部分的にであっても優れた何かを持っている社員の仕事ぶりを組織でシェアし、全員のパフォーマンスを底上げすることが、もっとも大事な仕事だと言ってよいだろう。

 

にも関わらず、大手証券会社のイチ社員から中小企業の役員まで務めてきた経験で、このような共通認識を持つことができた管理職や役員、経営トップはほとんど存在しなかった。

なぜだろうか。

 

これは、日本人に組織マネジメントの考え方が浸透していないことが、大きな原因ではないか。

2015年11月に堀江貴文が、「寿司職人になるのに8年もかかるってバカか」とブログで発言し叩かれ炎上したことがあったが、これなどはまさに、作業の標準化と組織としてのパフォーマンスの最大化を理解しない人が多いことの証左だ。

 

教育だけでは100点や95点の人材を育てることはできないが、少なくとも65点の、プロとして最低限通用する人材を速やかに育てることはできる。
彼が言っていることは、まさにこのことだ。

 

指揮官がこの重要性を理解していない組織で働くことは、キャリアパスでも報酬の上でも、従業員にとって本当に不幸でしか無い。

即刻、転職をオススメする。

 

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(2024/3/26更新)

 

【著者】

げんたろう

 零細企業を経営するありふれたオッサンです。

おかずクラブのオカリナに似てるってよく言われます。

(Photo:shibainu