最近、テトリスが我が家ではブームになっています。

というのも、ニンテンドースイッチのオンラインサービスとして、『テトリス99』なる対戦テトリスゲームが遊べるようになったからです。

この対戦テトリスは合計99人で争われるバトルロワイヤル形式で、一見、とても難しそうにみえますが、最初はブロックの落下速度がゆっくりなので初心者でもそれなり遊べます。

上手な人同士が勝手に潰しあってくれたり、途中で嫌になってやめてくれる人もいるので、10位ぐらいまでならちょっと頑張れば入れるのではないかと思います。

ただ、残り10人ぐらいになるとさすがに難しいというか、ブロックの落下速度も速くなり、慣れやテクニックが求められてくるのですが。

 

でもって、子どもが「テトリスの良い動画が観たい」といってパソコンで動画検索をはじめていました。

さすがに今時の子どもというか、わからないことは文章で検索する前に動画検索で調べるのですね。

 

さあ、それなら父としてちょっと面白い動画を紹介してみようじゃないか。

私は子どもに「『テトリス グランドマスター3 認定』で検索してごらん」と伝えました。そうすると、以下の動画が出てきます。

この恐ろしいテトリスは00年代のパズルゲームファンを大いに喜ばせ、マニア系のゲームセンターでは練習を繰り返す修行者の姿をしばしば見かけました。

が、ゲームセンターにこのようなテトリスが存在し、一生懸命に挑んでいたファンがいたことを知らない子どもには、インパクトのある動画体験になったようです。

 

せっかくの機会なので、T-spinなどのテトリスのテクニックについても動画で調べてもらいました。一連の動画体験で、子どものテトリス世界観がグッと広がったようでなによりです。

 

ネット検索は知っていることしか教えてくれない

以前私は、ネット検索について以下のようなことを書いたことがあります。

「知識を手に入れるための知識」がない人にとって、Google検索はあまりにも難しい。

現状のGoogle検索の正体は、「知識の無い人に知識を授ける」ツールではなく、「知識の豊かな人だけが知識を引き出せて」「知識の乏しい人には質の良くない知識しか与えない」ツールと言っても過言ではありません。

あるいは、知識の豊かな者と乏しい者、リテラシーの豊かな者と乏しい者の格差を拡大再生産するツールになってしまっている、とも言い換えられるかもしれません。

「いまどきのネット検索は、知識の豊かな人だけが豊かな情報を引き出せる」という認識は、現在のネット検索にも通用するものだと私は思っています。

 

子育てに関して、このことを考えてみましょう。

まだ知識やリテラシーの乏しい子どものネット検索では、どうしても検索範囲が狭くならざるを得ません。

うちの子どもを観ていても、年齢相応には頑張っているものの、調べたい対象の、調べたい情報を引っ張り出せない場面もまま見受けられ、私が検索を手伝わなければならない場面がしばしばあります。

 

とりわけ、検索の鍵になるワードを知らないがために検索の範囲が制限されることが多いようです。

子どもを観ていて気付いたのですが、検索の鍵になるワードを知らず、検索の視界が制限されていても、そのことを自覚するのは難しいのですね。

 

たとえば「(ゲームの名称) ラスボス 攻略」という検索ワードでもそれなり面白い動画が出てきますが、これに「低レベル」とか「縛り」という鍵ワードを入れるともっと刺激的な動画に出会うことができます。

そのことを知らなかった頃の子どもは、当然ながら、自分が鍵ワードを知らないという自覚が無かったのでした。

 

これは、大人でもありがちな問題で。たとえば京都のおみやげについて調べたい時・南イタリアの現地情報を調べたい時、検索の鍵となるワードを自分が入力できているかどうかは、自分だけではわかりません。

論文や書籍の検索にしてもそうです。検索の鍵となるワードを知らないがゆえに遠回りしていても、そのことを自覚し、自分一人でどうにかするのは案外難しいように思われます。

 

「子どもとたくさんお喋りして」「語彙力を授けよう」

子どもとネット検索の話に戻ります。

子どもが大人並みの検索ワードを使いこなすまでには、それなり時間がかかるでしょう。それまでの間、親としてどんなお手伝いができるでしょうか。

 

第一に、一緒にネット検索すること、そして体験を共有すること。

子どもが検索しきれていない時に親が代わりに検索する……というのも勿論良いでしょうし、それが必要な場面もあるでしょう。

ただ、これを頻繁にやると「親に検索してもらう」という変な習慣ができてしまうかもしれませんし、割り込んでやるようだと鬱陶しがられてしまうのが関の山のようにも思えます。

 

それでも、複数台のPCやスマホを使って一緒にネット検索をやって、面白い情報や感動的なショットを一緒に見つけ出した時などは、良い体験が残るのではないでしょうか。

 

我が家では去年、学校の自由研究のことで、家族全員でトンボの生涯についてネット検索したことがありました。

で、うちの奥さんが見つけてくれて、家族全員でエキサイトしたのが以下のウェブサイトです。

 

ヤゴペディア/ヤゴの総合ページ

 

このウェブサイトは、たくさんの種類のトンボの卵~成虫まで、ありとあらゆる情報が網羅していて、古き良きインターネットの宝物庫、といった趣があります(ちなみにこのウェブサイトに辿り着くための最良の検索ワードは「ヤゴ サイズ」のようです)。

「検索ってスゴい! 面白い!」という体験を家族で共有できた時には、検索の良さや可能性について何かが伝わっているんじゃないかなと私は思っています。

 

それともうひとつ、「できるだけ子どもと話をすること」。

そもそも、ネット検索の土台となるのは知識であり、語彙力です。

語彙力は、ある程度は学校で教わって身に付けるものですが、周囲との会話をとおしていつの間にか身に付けていくものでもあります。

 

である以上、子どもとたくさんの言葉を交わすこと・子どもの話を聞いてそれに応じることが、遠回りのようにみえて一番大切なのではないでしょうか。

 

教育熱心な親御さんのなかには、勉強の足しになるような会話を心がけたほうが良い、と考える方もいらっしゃるかもしれませんし、実際、そうなのかもしれません。

ですがさしあたり、親のほうが子どもよりも語彙力がある以上、どんなジャンルのどんな会話であっても語彙力習得の足しになるのではないか、と私は考えています。

 

個人的には、勉強の足しになるかどうかといった下心を持って会話するより、興味や関心をとにかく共有して、色んなことを楽しく会話することのほうが重要のように思っています。

そのほうが記憶にも残りやすいでしょうし、親子の関係づくりにもプラスになりそうですし。

 

その点では、ネット検索や動画についての会話はうってつけといいますか、興味や関心を共有しながら語彙力を増やす良いチャンスだと思います。

親として、良きネット検索案内人であることと、良き語彙力のインストーラーであることは、相反するものではないはずです。

お子さんのいらっしゃる方は、お子さんとご一緒にネット検索を楽しまれてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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