ピノという野球選手をご存じだろうか。

 

ピノとはゲームに登場する架空のキャラクターで、もちろん現実には存在しないものだ。

ただ、一部の人たちの心の中には確実に野球選手として存在し、燦然とした輝きを放っている。そんなスター選手だ。

 

1986年にナムコ社から発売されたファミコン用の野球ゲーム、いわゆる「初代ファミスタ」に彼は登場する。

ゲーム内には実在のプロ野球球団と思わしきチームが存在するのだが、その中に架空の野球チームである「Nチーム(ナムコスターズ)」が用意されている。

そのナムコスターズには、歴代のナムコゲームに登場するキャラが野球選手として登場しており、その中にピノはいた。

 

もともとはトイポップというアクションゲームに登場するキャラクターだったらしく、どうやらモチーフであるピノキオから名前を取りピノらしい。

 

ピノを語るうえで絶対に外せない要素がある。ピノを知る100人に聞いたら100人がそう答えるであろう歴然たる事実だ。

 

異常なほど足が速い。

 

その足の速さは「ちょっと速い」とかそういったレベルではなく、完全に振り切れていた。

はっきり言ってしまうと“頭がおかしい”レベルだった。

いや、正確に言うと“足がおかしい”レベルなのだろうか。

 

1塁ベースまで駆け抜けるのに2.5秒というのだからその異常さが伺える。

だいたいホームから1塁まで90フィートで、27.4メートルだ。

100メートルに換算すると9.1秒。完全にボルトの世界記録を超えている。

 

しかも初速でこれなので実際に100メートル走ると加速が乗るので9秒を切ると思われる。下手したら8秒台前半もありえる。

データで見てもピノの足の速さがいかに異常だったかわかる。

そんなピノだからとんでもないプレイを演出してしまう。

 

ピノが打ち、球が転がる。どんなに上手い内野手がゴロを補給して1塁に送球したところで楽々とセーフになってしまうのだ。

絶対にセーフだ。なにせ世界記録より速い。

それどころか、一塁に送球するとその間に2塁まで行かれてしまうし、うわあと焦っているうちに三塁まで陥れられてしまう。

さらにうわあと焦っているとそのままホームだ。たちまち1点取られてしまう。

 

結果、フライさえ上げずに転がせば確実に1点入る、ということで誰もがピノでバントする。うまくいけばバントでランニングホームランだ、バントホームランだ。

 

そういった事情から多くの子供の間では「ピノ禁止」「ピノでバント禁止」「そもそもナムコスターズ禁止」などのローカルルールが制定されていた。

完全に異常事態である。

 

そういっためちゃくちゃな選手であるピノだが、なぜこんなにも僕らの心に居座っているのか、ふいに考えることがある。

いろいろな特徴的な選手やキャラがいるゲームの世界で、なぜこれほどまでに彼が印象的なのか。

 

それはおそらく彼が突き抜けた存在だったからなのだと思う。

ピノ選手は確かに足が速かった。けれども、裏を返せばそれだけだった。

それ以外の打力や守備力などは平凡か、むしろやや下くらいだったように思う。本当に、ただ足が速いだけ。

その事実が僕たちの心を焦がしてやまないのだと思う。

 

 

ピノを想うとき、必ず思い出すもう一人の男がいる。それが高橋君だ。

 

高橋君は足が速かった。ちょっと小学生のレベルを超えているんじゃないのっていう速さで運動会のヒーローだった。

 

僕の小学校の運動会では、クラス対抗リレーという、クラス全員でリレーを繋いで競い合う、一番盛り上がるが、足が遅い者にとっては地獄みたいな、なんでそんな残酷な競技するんだよ、と言いたくなる競技があった。

もちろん、足が遅かった僕にとっては地獄だった。

 

ただ、その競技においてアンカーを任されていた高橋君は本当にすごかった。

最下位でバトンを受け取るとあっという間にごぼう抜きにしていき、1位でゴールしたのである。

俊足自慢が集まる最終走者でこれだけのパフォーマンスをみせるのだから、やはり異常に速かったのだと思う。

 

高橋君はヒーローだった。輝いていた。

 

小学校時代というのはとかく足の速い男の子がモテるようにできている。

クラスの女子の多くも高橋君のことが好きだったように思う。

それどころか、よそのクラスにもファンが多数おり、上の学年のお姉さまたちにもチェックされている感じだった。

 

ただ、今考えてみると、高橋君はたしかにすさまじい俊足だったけど、それ以外の部分は平凡だったように思う。

とくにかっこいいいというわけでもなく、勉強も普通だった。いや、むしろ平均よりやや下くらいだったと思う。

そう言った意味では彼もピノと同じく、足の速さだけに特化した人だったのだろうと思う。

 

 

こんな事件が起こった。

隣の小学校から赴任してきた先生が我々の担任になった。

その先生は前の学校で我々と同じ学年の子を受け持っていたようで、事あるごとに「前の学校の児童たちは」と、比較し仰々しく前のクラス列伝を語った。

 

彼曰く、前のクラスの児童は素晴らしく自慢の教え子だが、僕らはクズでどうしようもない、といった感じだった。

いつの時代も何かの比較でしか物事を評価できない人がいるものなのだ。

 

ある時、市の陸上競技場を借りて隣の小学校と合同でスポーツ大会をすることとなった。

そこで担任の提案で、昨年担任が受け持っていたクラスと僕たちのクラスで、リレー勝負をすることになった。

 

「俺の教え子たちは強いぞ、覚悟しろ」

みたいなことを言われたが、何を覚悟するのかわからないし、一応、俺たちもお前の教え子なんだが、と強烈に感じたのを覚えている。

 

僕は足が遅かったのであまり乗り気はしなかった。

やはりクラス抵抗リレーなんてのは、皆が協力してバトンを繋ぐ、感動する、なんて思っているのは大人だけで、子供にとっては残酷な側面も持ち合わせているのだ。

 

ただ、今回ばかりは違った。

クラスの連中は事あるごとに前のクラスと比較され、かなりヘイトが溜まっている感じだった。

絶対に負けたくない、という強い意志みたいなものがあった。

 

いよいよリレーが始まり、対戦相手の面々を見る。

クラスの連中が「あいつ速そう」「強そう」と品定めする中、僕は一人のデブに狙いを定めていた。

 

「あいつとの一騎打ちになる」

そう確信していた。

おそらく向こうのデブと、こちらの僕、どちらがより足を引っ張らないかの戦いになるはずだ。それが勝負を決する。

 

勝負が始まると、案の定、相手のチームは強かった。速かった。

さすが担任が絶賛するだけはある。こちらの走者はグングンと離されていった。

 

しかしながら、問題のデブに差し掛かかると状況が一変した。

いくらなんでもこれくらいの遅さだろう、と感じるレベルを遥かに超えて遅かった。

 

けっこう引き離されていた我がチームはあっという間に追いついた。それどころか追い抜いてグングン差を広げていく。

いくら僕でもあそこまでは遅くない。完全に勝ったと思った。

 

ついに僕の順番がやってきた。

我がチームは圧倒的リード。これならさすがの僕も追いつかれないだろう。もしかしたらここで意外な頑張りを見せればヒーローにだってなれるかもしれない。

走る前はいつも「自分のせいで負けるかも」と憂鬱だったが、初めての感情が芽生えつつあった。

 

「ヒーローになれる」

 

徐々に迫ってくる走者。

緊張が高まった。まるで心臓の音が周囲に聞こえるんじゃないかと思うほどにうるさく、激しく鼓動を重ねていた。

 

焦った。気が動転した。

パニックになった僕はバトンも貰わずに走り出していた。とんでもないことですよ、これは。

 

足が遅いだけならまだ救いがあるのに、さすがにこれはいただけない。

しかも、懸命に走るあまり、半分くらい走るまで気づかなかった。

 

周囲の怒号だとかにやっと気づいて取りに戻った時にはすでに遅く、あれだけあったリードを詰められ、それどころか逆に圧倒的リードをつけられていた。もう絶望的な差だ。

 

淡々とリレーが消化されていく。圧倒的な差に盛り上がりすらない。

「あーあ」

みたいなクラスメイトの言葉が僕を苦しめた。

 

そしてついにアンカー勝負となった。高橋の出番だ。

ただ、こちらのチームに蔓延する空気は重苦しいものだった。

いくら高橋が韋駄天でもこの差は無理だろう。いくらなんでも無理だろう。そんな絶望的な状況だった。

 

けれども、奇跡が起こった。

 

どうやら敵チームは、序盤に速いやつを固めて先行逃げ切り、みたいな作戦だったらしく、アンカーはそう速いやつではなかった。

それが功を奏したかもしれないが、それ以上に高橋が速かった。

それはもう、悪魔に魂を売りとばしたかと思うほどに速かった。

 

「ピノだ……!」

 

それはもう、本当にピノだった。

グングンと差が縮まっていく。そして、ついに、ゴール前で追い抜いた。ギリギリのところで追い抜いた。

 

歓喜に酔いしれるクラスメイトたち。鳴りやまぬ高橋コール。熱狂の渦が彼を包んだ。

あのとき、確かに高橋はヒーローだった。そして、ピノだった。

 

ふと思い出すことがある。

あの時、もし高橋が追い抜いてくれなかったら、僕は確実に戦犯だった。クラスメイトたちの熱意や威厳を賭けたレースの戦犯だった。

それはきっとその後の学校生活にも暗い影を落としたに違いない。下手したら虐められていたかもしれない。

それだけに高橋には本当に感謝しかないのだ。

 

ただ、同時に一つの疑問が生じる。

「なぜ高橋の思い出は小学校の時だけなのだろうか」

ということだ。

 

彼のことを思い出すといつも小学校のシーンだ。

運動会かあのリレーか、僕が好きだった女の子が高橋のことを好きと教室で言っていたシーン、それのどれかだ。

 

あれだけのヒーロー、あれだけの速さを誇った男なのに、その後のことが全く記憶にないのだ。

同じ中学に進み、高校は別だったが、狭い街だ、あれだけのヒーローの名前が轟いてこないはずがない。

なのに、思い出の中の高橋はいつも小学生なのだ。

 

少しだけ気になって調べてみた。どうして小学校以降の高橋の記憶がないのか調べてみた。

 

中学校の卒業アルバムを見ると、クラスこそ違うがしっかりと高橋の姿があった。

しかもクラブ別に撮影した写真のところにもしっかりと「陸上部」として写っていた。

ちなみに僕はボランティア部という意味不明な場所に写っていた。なにやってんだ。

 

さらには、卒業アルバムの巻末には表彰の記録が載っていたのだけど、やはり中学でも高橋は足が速かったらしく、数々の陸上大会で優勝し、表彰されていた。

ただ、記録はそこで終わっている。

 

ちょっとした事情があり、彼が進んだ高校の同級生と連絡を取ったが、高橋が陸上で偉大な記録を残したとかそういったことはなかったらしい。

それどころか、どうやら陸上部ですらなかったようだ。高校生になった高橋は完全に陸上と決別したようなのだ。

あれだけのヒーローに何が起こったのか。

 

昨今では、便利な世の中になった。SNSを駆使して現在の高橋を探してみた。

彼は本名と出身地を明らかにしてやっていたようで、すぐに見つかった。

どうやら元気で平和で幸せそうに暮らしているらしい。たぶん結婚もしているんじゃないだろうか。

 

彼の書き込みをくまなく調べてみるとどうやら最近ではダーツに夢中のようだ。

著名な陸上選手になっていて、年齢的にどこかのコーチになっているのかも、と思ったが足の速さとは全く関係ないダーツだ。

ダーツが悪いわけではないがやはり足の速さは関係ない。

矢の回収をするときに人よりちょっと早い、くらいじゃないだろうか。

 

あんなにも速かったヒーローが、ピノが、記憶から薄れ、足の速さとは無縁の生活をしているのか。

 

 

ついにSNSを通じて彼と連絡を取った。

 

彼は僕のことを覚えていた。

「ああ、あのリレーで遅かった人か」

とロクな印象ではなかったようだが、お互いに昔話に花が咲いた。

好きだった女の子の話とかもした。SNSとはこういった点が便利なのだ。

 

さすがに、「あんなに足速かったのにその後どうしたの?」なんて失礼なことをきくわけにはいかないので、遠回しに、遠回しに、その後の高橋を探っていった。

 

その上で分かったことがある。

はっきりとは言わなかったが、足の速いピノとして生きる上で、高橋自身が感じていた苦悩のようなものがあったらしい。

 

つまり、高橋自身が「足が速いだけ」の自分に疑問を持ち始めたのだ。

小学生の頃、足の速い男はヒーローだった。けれども成長するにつれ、それだけであることに疑問を持つようになったのだ。

「足の速い人」と称されることを不快に感じるようになったそうだ。

はっきり言わせてもらうと「リレーで遅かった人」と称されるのもけっこう不快だ。

 

それが中学になると顕著になった。

「足が速い」ことがあまり重要ではなくなったようなのだ。

確かに、大会や体育祭では脚光を浴びるが、それだけだ。

むしろ、勉強ができる、イケメンである、その辺が重要視されるようになり、自分でもあまり足が速いことに重さを見出せなくなったらしい。

 

決定的だったのは高校だ。入学してすぐに気づいたそうなのだ。

「自分より速いやつがいる」

これは本当に衝撃だったらしい。

 

新入生の中に、完全に自分より速いやつがいた。

そいつには絶対に勝てない、そう思ったらしく。気が付けば陸上をやめ、テニス部に入ったそうだ。

その後、ずっと陸上とは無縁の人生を送り、今に至るようだ。

 

それでも彼はずいぶんと幸せそうだった。

彼とやり取りしていて理解できた。

彼のことを思い出すとき、小学生のあの時だけだったのか理解できた。

それと同時に「ピノとして生きる」ことの難しさを見たような気がするのだ。

 

昨今では、あらゆるシーンで、特化した能力が持て囃されるように思う。

平凡で平均的で卒がないことより、ある部分だけが突出している、そんな能力が称賛されがちだ。

得意分野を見つけて一点突破、これはピノとして生きることなのである。

そして、おそらくそれは生きていく方法として正しいのだろうと思う。

 

ただ、高橋が辿ったように、ピノとして生きることはそう簡単ではない。

その能力がずっと称賛されるわけではないかもしれない。

そして、その能力を上回る能力が現れたとき、心が折れてしまうかもしれない。

 

そう考えると、軽々しく“自分の得意分野を見つけてリスクをとれ”なんて言えないはずだ。

なぜならそれが一番難しいことだからだ。

 

この世の中には、あらゆる分野で突出したピノのような人が存在する。

僕らはその成功に目を奪われ、人生の指針にしがちだ。

けれども、その何倍も存在するピノに至らなかった人たちの存在もまた重要で、むしろそちらの方が指針としては重要な気がするのだ。

 

 

さて、ゲーム内のピノもまた、挫折があった。

登場キャラ中、最速の走力を持つキャラであったが、これまた架空のチームである「アニメスターズ」に「はやみ」というピノ以上の走力を持つキャラが登場したのだ。

 

それでも彼は心折れなかった。

最速ではない、けれどもピノとしてピノを全うし続けている。

彼は足が速いだけなんてとんでもない。心が強いのだ。

こうして大人になると彼の心の強さが理解できる。

 

ピノの公式設定は1974年6月12日生まれ、現在44歳、奇しくも僕や高橋とそう変わらない年齢で、まだまだ現役、きっとファミスタにも登場し続けるだろう。

ピノも高橋も自分の道で頑張っている。そう考えると自分も自分なりに頑張らないとならない。

そう言った意味では、やはりピノも高橋も僕にとってのヒーローなのだ。

 

「ピノ禁止」

 

こんな老いぼれ、いつまで禁止されるのかねえ、そう飄々と言ってのけるピノ選手が本当に存在するかのようで、妙に勇気づけられるのだ。

 

 

 

著者名:pato

テキストサイト管理人。WinMXで流行った「お礼は三行以上」という文化と稲村亜美さんが好きなオッサン。

Numeri/多目的トイレ 

Twitter pato_numeri

(Photo:Frank Starmer)