「圧縮された近代」の実例が観たくて台湾に行ってきた。
「圧縮された近代」という言葉はほとんどの人に耳馴染みのないものだと思う。
この言葉は、韓国の人口社会学者チャン・キョンスプが提唱した、韓国や台湾のような東アジア新興国の社会状況を語るための言葉である。
圧縮された近代とは、次のような社会状況である。
そこでは経済的、政治的、社会的、あるいは文化的な変化が、時間と空間の両方に関して極端に凝縮されたかたちで起こる。
そして互いに共通点のない歴史的・社会的諸要素がダイナミックに共存されることにより、きわめて複雑で流動的な社会システムが構成かつ再構成される。
(中略)
韓国は一方で、前例のないほど短い期間のうちに、資本主義的産業化と経済成長、都市化、プロレタリア化(すなわち小作農が産業労働者へと変容すること)、民主化の大幅な進展を経験してきた。
また他方で韓国の個人的・社会的・政治的生活の多くの側面には、いまだ明らかに伝統的かつ/または土着的な特徴が見受けられる。
落合恵美子編『親密圏と公共圏の再編成 アジア近代からの問い』
韓国のような、ものすごいスピードで近代化が進んだ国は、資本主義や都市化はすみやかに欧米先進国に追いついていくけれども、人々の習慣やライフスタイルやモノの考え方はそれほど急激には変化しきれない。
だからゆっくり近代化し、人々の習慣やライフスタイルやモノの考え方もゆっくり変わっていったフランスやイギリスとは違った社会状況が生じる。
チャン・キョンスプは人口社会学者だから、そうした東アジアにありがちな社会状況を、おもに家族問題や少子化問題と関連づけて論じている。
で、韓国の少子化問題を確かめてみると、
※出典:世界各国の出生率、内閣府
その合計特殊出生率は2016年の段階で1.17と、国が亡ぶような水準にある。
しかし上のグラフをみればわかるように、実のところ、東アジアの新興国は大同小異だ。
日本の少子化もたいがいだが、東アジアの新興国はもっと深刻な少子化に突入している。
街のあちこちに「おっとさん」や「おふくろ」が沢山いた
では、チャン・キョンスプが語るところの「圧縮された近代」は、一旅行者の私にも感じられるものなのか?
その一端が感じられればと思い、韓国と同じぐらい合計特殊出生率の下がっている台湾にちょっと出かけてみることにした。
台北とその周辺の新興住宅地をうろつきまわって、街並みや人の動きを観察してみるのだ。
台北の地下鉄は近代的で、日本でいうSuicaやICOCAのようなカードを使って簡単に乗り降りできる。
電車が到着するまでの時間が秒単位で電光掲示板に表示されているのがちょっと面白い。
それにしても、電光掲示板の漢字フォントが、やたら力強くみえる。
台湾にいる間じゅう、力のこもった漢字フォントに包囲されているような感覚を覚えた。
その一方で、やたらとバイクが多いことに驚いた。
朝の通勤時間帯には、ものすごい数のバイクが道を行き交って、ちょっと途上国っぽさがある。
ラッシュアワーになっても地下鉄はそれほど混雑しないのに、道路にはバイクの集団、ときには二人乗りのバイクも混じっている。
日本ではここ三十年のうちにバイクの数が激減したけれども、台湾ではバイクがまだ現役だ。
飲食店や市場、小さな工場には、南国風に日焼けした、たくさんの中年男女が働いている。
みな大きな声で喋り、やたらエネルギーがある。
日本でも、そういった大きな声で喋り、やたらエネルギーのある中年男女は、たとえば青果市場などでは目に入るわけだが、台北とその周辺の新興住宅地ではそこらじゅうにいる。
地下鉄のなかで出会う台湾の中年男女もよく喋る。
たぶん彼らは「電車のなかではしゃべらない」という、日本の大都市圏には定着している習慣をまだ身に付けていない。
そんな様子だから、台湾の地下鉄では飲食が禁じられたりもするのだろう。
子どもに対する態度も昔風だ。
地下鉄のなかをはじめ、よその子どもに中年女性が語りかける・微笑みかける場面がとても多い。
うちの子どもも、随分と語りかけられたものである。
東京では、子どもに対して儀礼的無関心が適用されるが、台湾の中年女性や高齢女性はそうではない。
また、日本の中年男女とは違って、台湾の中年男女は“若作り”をしていない。
日焼けした肌に刻み込まれた皺、折れ曲がった背筋は、たとえばフィットネスクラブに通って健康的な生活を過ごしている、いまどきのシニアの姿とはまったく異なっている。
むしろ私が昭和時代の郷里で見かけた、ひたすらに働いて、ひたすらに歳を取って、そして死んでいった高齢者に近いのではないか。
だから台湾にいる間じゅう、私は昭和五十年代を思い出さずにはいられなかった。
昭和の大人たちは40代にもなれば皺が目立つようになり、60代で老人然とした姿になる。
よく働き、大きな声で喋る彼らは、いわば「おっちゃん」や「おばちゃん」であり、「おやじ」や「おふくろ」だった。
かつては日本の大都市圏でも、そういう大きな声で喋る、垢抜けない振る舞いの中年男女が珍しくなかった。
たとえば80年代にいわれた「オバタリアン」などは、田舎者じみた垢抜けない振る舞いと、新しいアーバンライフの化合物だったと言える。
だが台湾の下町には、そういった「おやじ」や「おふくろ」に相当するような中年男女がまだたくさんいて、街の喧騒をかたちづくっている。彼らは歩きたばこも躊躇わない。
台湾で見かける現役の「おやじ」「おふくろ」のエネルギー、垢抜けているとは言えないハビトゥスは、現在の東京のホワイトカラー層には絶対にみられないものだ。
むしろ勤勉な肉体労働者のハビトゥス、あるいは前ホワイトカラー的・前ブルジョワ的なハビトゥスにのっとって働いている。
こうした人々は、上昇志向とかキャリア志向とか、そういったストラテジーの働かせられない環境で働き続けるのに適した意識と習慣を身に付けている、とも言えるし、肉体労働者的な意識と習慣を身に付けていなければやっていられない環境で働くことを強いられている、とも言える。
台湾の街並みや制度は、間違いなく急激に近代化している。
けれども近代化する前から暮らしている世代は、前-近代的なハビトゥスを引きずり、またそうでなければ働けそうにもない働き方で働いてもいる。
日本でも、田舎にはそうした前-近代的なハビトゥスの名残りを見かけなくもないが、台湾の場合、台北やその周辺の新興住宅地でさえ「おやじ」「おふくろ」が現役で、汗水たらして働いている姿を私は見た。
彼らにはまだ、近代がしっかりとは根付いていない。
青白い顔をして塾に通う若者たちと遊び場の無い街
では、若い世代はどうなのか。
今回の台湾遠征で用いたホテルは、たまたま台北の補習班(日本でいう学習塾)が集中しているエリアに建っていたので、朝に夕に、たくさんの学生をみることができた。
「おやじ」「おふくろ」たちとは比較にならないほど現代的で垢抜けた服装をした学生たちが、朝から塾の前に長蛇の列をつくっている。
手にはスマホを持ち、耳にはbluetoothのイヤホンをつけた彼らのルックスは、きわめて現代的だ。
現代の日本の学生のいで立ちと、ほとんど変わらないのではないか。
そして彼らの色白いこと!眼鏡率の高いこと!
日差しの強烈な台湾だというのに、学生さんの色白率の高さに驚いた。眼鏡率も高い。
夜市や西門付近で見かける若者も、年上世代に比べて色白だとは思っていたけれども、補習班に列をなす学生さん達の色白率はそれを大幅に上回っているようにみえる。
そんな彼らが、平日の夕方や休日の朝に補習班に行列を作っていて、その補習班が台北じゅう、いや台湾じゅうに点在しているのだ。
台湾の大学進学率は日本より高く、現在は90%をこえている。
他方で、2019年7月13日の日本経済新聞の報道では、台湾の失業率は20代において突出して高い。急激に増加した若い大卒者たちは、就職難と低賃金に悩まされている。
※出典:日本経済新聞
どうしてこんなことが起こるのか?
大東文化大学の国府俊一郎氏のレポートによれば、台湾では大卒者、とりわけ文系大卒者が急増している一方で、高い給与が期待できる専門職の需要は伸び悩んでいるという。
リーマンショックが起こった2009年以降、雇用そのものは回復したものの、台湾では低賃金なサービス業の需要ばかり増えている。
そして台湾の物価は着実に高まり、大卒の初任給は伸び悩んでいる。
このため「大卒にふさわしい仕事」が見つけられない若者が増大しているのではないか、というのが国府氏の見解だ。
確かに、台北で見かけたサービス業の多くは低賃金然としていて、街で見かける正社員を応募する看板に記されていた金額も、だいたい月25000元前後(日本円で90000円弱)だった。
苦労して補習班に通いつめ、大学まで卒業した若者たち(とその親たち)が、このぐらいの月収に甘んじることができるだろうか。
国府氏は触れていないが、習慣やハビトゥスという意味でも、おそらく台湾の若者は就職先が限られてしまうのではないか、と私は思う。
なぜなら補習班に通う若者たちの外観は、皺だらけになって働く「おやじ」「おふくろ」よりも、現代日本の若者のソレに近いからだ。
あの、青白い肌をして眼鏡をかけた彼らが、親世代が勤めるような肉体労働者然とした仕事を汗臭くこなせるとは、まったく考えられない。
子どもの勉強にリソースを投下し、高学歴・高収入を狙う風潮自体は、労働者的なハビトゥスからホワイトカラー的・ブルジョワ的・現代社会的なハビトゥスへの転換を物語っている。
高学歴化が急速に進んだ台湾では、それが短期間に進行したのだろう。
だが、それゆえに台湾の若者は「大卒にふさわしい仕事」しか出来ないよう育てられているとも言えるし、それは台湾の産業の現状と噛み合っていない。
肉体労働者的な低賃金労働がこなせないハビトゥスと自意識をインストールさせられたホワイトカラーの卵たちが、大卒にふさわしい仕事と給与を求めて、激しい椅子取りゲームを繰り広げていることは想像するに余りある。
だとしたら、親たちはますます受験戦争にリソースを集中させなければならないし、子どもたちはますます勉強しなければならないプレッシャーのもとで育つことになる。
台湾は共働きの親が多く、子どもは小さい頃から保育所に預けられ、朝から晩まで保育されるという。
受験勉強が熾烈だから、幼い頃から教育熱心だとも聞く。
そのような子育ては多額の教育費を投資せざるを得ず、そうした投資がペイするためには子どもが受験戦争を勝ち抜き、「大卒にふさわしい仕事」を獲得しなければならない。
補習班に通い、勉学に触れる子ども世代は肉体労働者的なハビトゥスからは遠ざかり、ホワイトカラー的なハビトゥスに近づくから、受験戦争に敗れたからといって、「おやじ」や「おふくろ」と同じように働くのは簡単ではない。
日本でも、就職氷河期世代の高学歴者には、親世代との意識やハビトゥスの断絶を感じる人が多くいたように思う。
だが、台湾の風景と統計を重ね合わせてみると、そうした世代間断絶は日本以上に烈しいのではないか、と想像したくなる。
一生懸命に働く中年男女の汗臭い姿と、補習班に行列をなす現代風の学生さんの姿を見比べ、また日本のユースカルチャーがタイムリーに受容されている風景のなかに、私は台湾の「圧縮された近代」をみたような気がした。
少なくとも欧米の進んだ国々に比べると、台湾社会は、ホワイトカラー的なハビトゥスを大急ぎで呑み込み、ちょっと咳き込んでいるようにみえる。
清潔で蚊に刺されることもなく、地元料理がたいへんおいしい台湾は、一見暮らしやすそうにもみえる。
だが、ここで子をなし、家庭を築くのはとんでもなく難しいような気がして、私はちょっと怖くなった。
近代化の針は、欧米を模倣すれば早く進めることはできる。
だが、近代化の針を欧米のようにゆっくり進めることは決してできないし、あまりに急いで進めた時、その社会に何が起こるのかを欧米は教えてくれない。
そのことは、台湾や韓国の人々はもちろん、日本に住んでいる私たちもよく心得ておかなければならないし、覚悟し、見極めなければならないのだろう。
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著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)など。
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ブログ:『シロクマの屑籠』
(Photo:Mark Ivan)