昨年は、釣り・登山・自転車など、アウトドアの活動に花が咲いた。今年も継続する予定だった。

ところが今年はどうだろう。

疫病の蔓延で外に出られず、フラストレーションは貯まる。

 

そんな状況だからだろう、家で楽しめるということで、私に「釣り」を紹介してくれた知人が「フォートナイト」というゲームを教えてくれた。

なんでも、世界で3億アカウントもあるゲームだという。

 

それはすごい、どんなゲームだ、と思ったが、「オンラインゲームかあ」と思い、しばらく放置していた。

食指が動かなかったのだ。

 

というのも、オンラインゲームは人間関係が煩わしいと思い込んでいたし、実際こんな記事のような事例には事欠かない。(オンラインゲームのチームが、お互いをブロックしあう最悪の結末を迎えて崩壊した話。

また、以前オンラインゲームにドハマリしていた知人が言うには、キレられて5chにアカウントを晒された経験もあるという。

怖すぎる。

 

また、フォートナイトは対人戦型のゲームで、操作が難しいとも聞いていた。

知人はすでに300時間以上プレイしていると言うから、レベル差がありすぎて一緒にやるわけにも行かない。

修練を積まないと勝てない事はわかっていたので、勝てないのは嫌だし、練習は面倒だな、思っていた。

 

ところが、また別のコミュニティの知人の1人が、ちょうどそのタイミングで

「飲み会兼ねて、オンラインゲームでもやらないか」といい出したのだ

 

正直、「こっちもオンラインゲームか」と思った。

当時は、zoomでの飲み会が流行っていたが、彼はそれに退屈していたのだと思う。

理由はわかる。要するに、なんとなく手持ち無沙汰なのだ。

リアルだと、なんとなく話さなくても雰囲気で押し切れるが、オンラインの飲み会は誰かが話しをしないと成立しない。

だから、なんとなく疲れてしまう。

 

そう言う事情から、飲み会とオンラインゲームを兼ねる、という提案ならまあ、なんとなくいいかな、とも思った。

ゆるくやれそうだし。

 

彼は最初、ファイナルファンタジー11を推してきた。

なんと2002年発売のゲームを彼はまだやり続けているとのこと。ある意味「極めている」。

 

が、私はゲームが可能なWindowsPCを持っておらず、知人たちもNintendo Switchやプレステ4など、持っているハードがバラバラである。また、月額課金が必須になっており、ハードルが高い。

 

そこで思い出したのが、フォートナイトだ。

フォートナイトはマルチプラットフォームで、月額課金も必要なく、完全に無料。

ゲームを殆どやらない人にも、すぐに辞めてしまうかもしれない人にも優しい。

私は、フォートナイトを提案した。

 

こうして、初心者が雁首をそろえて、フォートナイトをやり始めたのだが、

開始30分でわかった。

 

このゲームは、確かに震えるほどおもしろい

 

広大で美しいオープンワールドの探求。

乗り物や武器のギミック。

シンプルだが奥深い建築とシューティングアクション。

敵を先に発見したときの高揚感と、見えない敵から狙われた時の恐怖。

課金しても有利にならないゲーム性。

技術介入度の高さ。

 

ただ、本当に私が感激したのは、「ゲームそのものの面白さ」ではなかった。

 

負ければ負けるほど面白い

フォートナイトは「全員が初心者」で始めた。

全員が初心者だと、右も左もわからないので、適当に各自が攻略情報をもちよって、あれこれ試しながら少しずつ上達していく時間を共有できる。

 

するとどうだろう、少年だった頃、皆で友達の家に集まってやった、ファミコンの「あの楽しさ」が蘇ったのだ。

(出典:定額制夫の「こづかい万歳」 吉本浩二)

あの頃は、ゲーム自体の数が少なく、全員が初心者からプレイを始めることがほとんどだった。

二度と手に入らないものだと思っていたが、この歳であの興奮がまた味わえるとは……!

私はその時間の素晴らしさに感激した。

 

しかも、負ければ負けるほど面白いのだ。

この話をするとゲームをあまりやらない方々の中には、「難しそう」とか「勝てないと面白くないのでは?」と疑問を持つ方もいるかもしれない。

実は、私もそう思っていた人間の一人だ。

 

実際、少し前に読んだ記事は、「勝てなくなったのでゲームがつまらなくなった」という心情が綴られていた。

負け犬はゲームでも負け犬になる

もうウハウハですよね。海外のフレンドに「君はプロゲーマーだから、コーチングしてくれ!」とせがまれたりとか、やってる人なら誰でも知ってるようなプロ選手にデッキレシピを聞かれたり、ほんとうに気持ちがよかった。

それも長くは続かない。いつしか勝てなくなったし、楽しめなくなった。

しかし、それは間違いだった。

というより、私は「勝てないと楽しめない人間」ではなかった。

 

こうして友達と集まってゲームをやっていると、本質的には「勝ち負け」は一つの味付けに過ぎない。

だから負けても面白い。

いや、「負けしかないから、逆に楽しい」のだ。現実と違って何もプレッシャーがないから。

 

 

今、毎週のようにフォートナイトを楽しんでいるし、休日前には夜の3時までゲームにどっぷり浸ることもある。

そして勝てない。

 

でもほんの僅かに勝てるときもある。

ゲームのマッチングシステムが、レベルに合わせてプレーヤーをマッチさせてくれているためだろう。

とはいえ、フォートナイトの勝率は、わずか2%程度。100回やって、2回しか勝てないのだが。

だがそれがまた、友達とゲーム攻略を工夫するモチベーションとなる。

 

ゲームコミュニティは仕事や地位などから一切、切り離されて「癒やされる」

こうして考えると、FacebookやTwitterのような、SNSとは全く次元の違うコミュニティが、オンラインゲームには存在する。

 

同じ目的に向かって、楽しめる仲間との交流。

失敗を励ましあい、改善に向けて話し合える友達との交流。

 

SNS上での不毛なマウンティングや罵り合いがそこにはなく、ゲームコミュニティ上では「癒される」のである。

逆に、そうでなければゲームである意味もない。

 

「いや、現実だって、そういう話はできるじゃないか」という方もいるだろう。

だが、全く違う。

だが、ゲーム上のコミュニティでは現実の地位や仕事の内容などから一切、切り離された関係が築けるのだ。

しかもこれは、「大人同士でも可能」なのだ。

結構すごいことだと思う。

 

この前、こんなことをつぶやいた。

米国の人類学者、デヴィッド・グレーバーは、全く面白くもなく、本人も無意味だと感じている仕事、「ブルシットジョブ」が増えているとした。

仕事は限りなく「ゲーム」に近い行為だが、クソどうでもいい仕事が増えるにつれ、「別に仕事なんてどーでもいいわ」という人は増えるだろう。

 

そんな人々にとっては、辛辣なSNSではなく、尊厳とやりがい、そして癒しが得られるゲームコミュニティは、不可欠な場所であろう。

事実、国内のオンラインゲーム市場は大きくなる一方だ。

(出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000007188.000007006.html)

 

なるほど、おそらく殺伐としたSNSは没落、あるいは某掲示板のような荒れた場所になり、ゲームコミュニティが世の主役になるだろう。

当たり前だが、コミュニティに所属するなら、絶対に楽しいほうがいいではないか。

 

 

 

◯Twitterアカウント▶安達裕哉

元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。

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