持って生まれた行動ポイント

人間には、どうも持って生まれた行動ポイントというようなものがあるように思える。

「行動力」とすると、ちょっと意味が広がりすぎてしまうので、あくまでゲーム的な「ポイント」だ。

1ターンの間に1回行動できます、あるいは2回行動できます、それとも、10回?

 

自分は、かなり少ない行動ポイントしか持たずに生まれてきた人間のように思える。

なにかにつけ、だるい、面倒くさい、やる気がしない……。

1ターンのうちに1回なにかできればましな方だ。子供の頃から、そうだった。

 

これがもう、年を取り、さらに精神に障害を抱えてからは、さらに極まってきた。

いや、そこまで極まる前からそうだった。

ニートをしていたら、実家が失われ、一家離散という目に遭って、極貧の一人暮らしをしはじめたときからそうだった。

 

貧しさと選択肢

貧しいと、なにかをする選択肢が減る。

「貧乏だって、いろいろな楽しみがある」というのは事実だろうが、金があったら選択肢はもっと増える。それも事実だ。

金がなければ、金がないなかでなにかするか、なにもしないかだ。

おれはどちらかというと、なにもしない方に流れていく人間だった。

 

それから幾年月……おれが貧しいのは変わらない。

いくらかは最貧のころに比べればましになったかもしれないが、「高級グルメを楽しむ」、「旅行に行く」などという行動とは無縁だ。

 

20年前の自分とたいして変わらないといえば変わらない。

せいぜい、「地上波のアニメを見る」、「図書館に通う」という貧しさのなかの楽しみを発見したくらいだろうか。

満足しているわけではない。

 

たしか、漫画家の西原理恵子は「金がないのは首がないのと一緒」と言っていたと思うが、そういうものである。

金こそがおおよそ全てである。

選択肢がある上で、あえて金のかからない楽しみも得られるというものだ。

 

そういう意味で、まずおれ一人で生きる人生の選択肢というものは限られていたし、今でも限られているといえる。

 

活力先生

貧しさとともに、持って生まれたとしか言いようのない行動ポイントというものがある。

おれはそう言いたい。そう言いたいのだった。

 

世の中には、貧しい家庭に生まれながら、弁護士や医師などになって、さらに趣味のスポーツ活動に打ち込み、その上なにかボランティア活動をしてしまうようなすごい人もいる。

そのうえ政治家になったりする。そういう人、たしかにいる。

もう、そういう人は、持って生まれた行動ポイントが違うのだな、としか思えない。

 

能力、才能、努力できる才能……なんとでも言い換えられるだろうが、おれから見ると、「持って生まれた行動ポイント」なのだ。

おれがなにか一つするうちに、三つできてしまう人がいる。そのバイタリティ。

 

昔、香港にミスターバイタリティという強い競走馬がいたが、その漢字名は「活力先生」といった。

まさに、活力先生のような人もいる。そしておれは、活力先生ではない。

 

活力のない人間はパージする

では、行動ポイントのない人間、活力のない人間が生きていくにはどうするのか。

パージである。

生活の中から、人生の中から、行動力が必要とするものをパージして、最低限の生存を確保する。これである。

 

たとえばなんだろうか。

いや、たとえでなく、おれの場合はなんであろうか。

 

そう思って頭を回してみれば、目に入るのは散らかった部屋だ。

おれは部屋の片付けという行為をパージしている。

不潔なのは嫌だ。

しかし、散らかっているのは気にならない。いや、気にしないようにしている。

 

ユニットバス。これはわりときれいにしている。

トイレがきたないのはいやだし、それにつながったシャワーがきたないのは我慢できない。

 

とはいえ、部屋はどうか。

食べ残し、飲み残しを放置するのはやはり我慢できない。不潔は、いやだ。

とはいえ、読みかけの本、いつか買った漫画、なかなか捨てられない衣服、乗らなくなったフルカーボンのロードバイクとその整備用品がカオスを極めているのは、まあべつにいいかと思う。思うようにしている。

 

おれの行動ポイントから、それを片付けるのは無理だからだ。

そこは、パージだ。

そこに行動ポイントを使ってしまっては、ユニットバスが保たれない。そういうことだ。

 

強いられる選択

なにを優先して、何を切り離すか、排除するか。

長い一人暮らしで、だんだんと選択できるようになった。

洗濯は優先する。清潔な衣服は優先する。

外に出るときは、できるだけまともな人間でいたいと思う。

清潔で、自分なりにかっこいいと思える服を着ることは保ちたいと思う。

 

もちろん、我が身が清潔であることは必須だ。

これはちょっと強迫的かもしれないが、10分歩いた先のコンビニに行くにしても、ちゃんとシャワーを浴びて、髪を整えたい。

髭も整えたい。ピアスもちゃんとしたい。そう思う。

それはおれが費やす行動ポイントとして、おれのなかで理にかなっている。

 

一方で、真夏に冬物の「着る毛布」が部屋の片隅にべろんと横たわっていても、まあそれはいいかと思う。

べつに誰が訪れる部屋でもない。

 

食の偏り

生きるうえで大切な、食についてもおれはパージをしている。

毎日、いろいろな献立を考え、料理を楽しむということをパージしている。

 

極貧の一人暮らしをはじめたころ、おれは毎日毎日、お好み焼きだけ作って食っていた。

ひょっとしたら、「節約自炊生活」ができるようになっても、それは変わらなかった。

お好み焼きは美味しいし、炭水化物も野菜も肉も摂れる。完璧だ。そう思った。

 

とはいえ、だんだんとお好み焼きの小麦粉が厳しくなってきた。

正直、飽きることもある。

そうしたら、おれは冬にキムチ鍋、夏に冷しゃぶサラダという選択をした。

一度その軌道に乗ると、それ以外は食べない。

 

スーパーで食材を選ぶのも……選ぶのではない、補充だ。

それに必要な野菜や肉を、補充するのだ。頭を使わなくて済む。

せいぜい、その時々に安いものを買い、割高なものを避けるくらいだ。

もちろん、毎日の献立を考える必要からも解放される。

 

……あれ、解放? これって自由?

制限されることによる自由。そのようなものもあるのではないか。

選択からの自由。自由からの逃亡。自由からの逃亡を選択する。

とはいえ、その背景には、経済的事情と持って生まれた行動ポイントがある。どう捉えるかは、難しい。

 

世界有数の金持ちと、地を這う貧乏人と

さて、このような話から、スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグを思い浮かべる人はいるだろうか。

おれはちょっとだけ思い浮かべる。

ジョブズは同じ眼鏡、同じ服を着つづけたし(同じといっても、同じものの新品をたくさん蓄えていたわけだが)、ザッカーバーグは朝食などについて、小さな決断で時間を無駄にしたくないといったという。

 

あいにくおれは、ビジネス書など読まないから、ネットで得た伝聞、知識にすぎないのだけれど。

 

これは、へんな話だ。

世界有数の大金持ちと、地を這ってせいぜい生活を保つのに精一杯の貧乏人が、同じようなことをしている。

これは、なんなのだろう。

 

たぶん、ジョブズやザッカーバーグは行動ポイントのない人ではない。

人類のほとんどよりたくさんの行動ポイントを持ち、さらにそれを一極に集中させたことによって、世界有数の人物になったのだ。

 

そしてそれはたぶん、そうしようと考えたのではなく、自然とそのようなったのだろうと思う。

だから、真似しても無駄だぜ、とは、人生の敗北者のおれが言うつもりはないけれど。

 

というかおれは、ビジネス書などを読んで成長することも望まないし、なにか資格を取るために勉強するなどということもパージしている。

そのような人間の言うことである。

 

選択と集中

というわけで、選択と集中、人間そう生きるしかない。……わけでもないか。

世界有数の大金持ちでもなければ、おれのようにぎりぎり生活している人間ばかりではない。

というか、大抵の人間は、世界有数の金持ちでもなければ、おれのような人間でもない。

 

まあ、おれが「ぎりぎり」と言っても、それは日本というかなり恵まれた国で、最低限文化的ななんちゃらな生活を送っている人間の戯言だと言われれれば否定できないのだけれど。

衣食住、今のところ足りているといえば足りている。

 

でも、もっとまともな生活を送っている人が多い。

世界有数の金持ちではないけれど、自動車を所有し、家庭を築き、家を買うような人生を送るような人たち。

今どき中流といっていいか、上流といっていいかわからない人たち。そのような人たち。

 

そのような人たちは、やはりおれよりは行動ポイントが絶対的に多いのだと確信する。

そして、その使い方も上手い人たちである。

おれのような行動ポイントの低い無能とは別次元である。

おれはおれ一人生かすのにぎりぎり精一杯だが、他人や子供などというものにまで責任を持ち、行動できる。すごすぎる。

 

タラントンのたとえ

さて、おれは「行動ポイント」を持って生まれたものと言ってきたが、違うかもしれない。

そこで思い出すのが、聖書の「タラントンのたとえ」だ。知らない人は、検索すれば出てくるので読んでみてほしい。

持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまで奪われる。これである。

 

「行動ポイント」を多く持って生まれた人間は、行動することによりさらにその上限が増し、行動の選択肢も増え、さらに豊かな人生を送ることができる。

一方で、おれのように持って生まれなかったものは、精神疾患になったりして、さらに行動ができなくなり、選択肢も狭まれ、より貧しい人生に陥っていく。

 

なにか、納得できる話ではないか。

これが、聖書の時代から言われていたのである。

べつにおれはキリスト者ではないが、人間というものの一つの真理かもしれないと思う。

 

パージの行く末

して、おれのように人生や生活から、最低限のものをパージした行く末はなんであろうか。

おそらくは、セルフ・ネグレクトと呼ばれる状態になるのであろう。

自身の健康状態や病気も放置し、家はゴミ屋敷になり、野垂れ死ぬ。

 

そして、そこに至るにべつの道を選ぶという行動は起こせない。

ポイントが足りていないからだ。

タラントンが足りていないからだ。

 

おれが考えるに、おれのような人間は、いかにそれを受容するかという話である。

反発して、世間に害をなすようなことがあってはならない。

静かに、世間の片隅で消え去る、そのことの受容である。間違ってはいけない。

少しずつ、パージしていく。身を軽くしていく。無為自然、無為無作、これである。

 

 

無為無作とは、ダダイストでありアナーキストの辻潤が常に夢見ていた境地である。

辻潤はそれにしたがって、餓死した。

おれも、そのようにありたいものである。そのように願う。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

 

Photo by Erik Mclean