コロナ禍で子どもの「あれがしたい」「これがしたい」に「その内ね」と言わざるを得ないケースが激増した現状、子どもの願望、欲望をどうやってメンテナンスし続けるか、ということを、ここしばらく考え続けています。
この記事で書きたいことは、大体以下のような内容になります。
・「経験」「体験」の質と量は、人生における非常に重要な武器になる
・その為には、「願望」「欲望」を適度にもち、それを表現出来る、ということがとても重要
・けれど、願望-経験サイクルは「望んでもかなわない」ということが続くと機能不全に陥りがち
・コロナ禍で特にそれが進行しているような気がする
・「願望-経験」サイクルを止めない為に、色んな工夫をすることが重要かも知れないですよね
以上です。よろしくお願いします。
さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、あとはざっくばらんにいきましょう。
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一時期、子どもたちが「どこどこ行きたい」ってあんまり言わなくなってしまいまして、ちょっとこれまずいなあ、と思ったんです。
当たり前のことなんですが、それがどんなものであれ、「経験」というものは武器です。
「〇〇をしたことがある」という目録の行数が多い程、その人の引き出しは深く広くなるし、人生が色んなところで好転する可能性も高まる。
これ、「〇〇をしたことがある」の「〇〇」の中身って、実はそこまで重要じゃないんじゃねえか、とか最近思っていたりします。
いやそりゃまあ、例えば旅行なり読書なりスポーツなり、いわゆる人生の糧になる「貴重な経験」というものは大変素晴らしいんですが、たとえば「公衆便所の屋根に登って落ちたことがある」とか「ドブに転落して頭を切って12針縫ったことがある」とかそういうアホな経験でも、案外後々役だったりすることはある。
少なくとも話のネタになるし、それでブログ書いたら記事が一つ出来たり、それが読まれて色んな人と繋がったりと、まあ「どんな経験がどう生きるか」というのは予測不能だよなあと。
そこから考えると、「なんでもいいから深く考えずやってみる」ってことは、本当の本当に重要だよなあ、と。
とにかく、「どんな経験でも、してないよりはしてる方がよっぽど良い」というのは、一つ前提として言えるんじゃないかなあと思うんです。
そして、これも当たり前のことですが、人生において、「経験」というものは「願望」「欲望」が強い人程たくさん入手出来る構造になっています。
「あれしたい」「これしたい」という思いが強く、かつそういう想いをたくさん持っている人程、実際に色んな「経験」を積むことが出来る。
そもそも「高いところに登りたい」という欲求をもっていない人は、公衆便所に登ろうとも当然思わないですし、そこから落ちるという経験も出来ないわけです。
いやまあ公衆便所に登るというのは飽くまでただの例なんで、実際に登ってどうするんだというのは一旦置いておくんですが、とにかく「これがしたい!!」という思いが強ければ強い程、色んな「経験」をゲットできる可能性は高まる。
そして、子どもの実行力というものには限界があるので、当然「あれやりたい!!」というのは親に言ってもらわないと実行出来ない場合が多々あります。
「遊園地いきたい!」とか「プール行きたい!」とかそういう願望は、取り敢えず言葉にして表明しましょう、という話ですよね。
だから、育児をしている親としては、子どもに色んな「願望」をもってもらいたいですし、それをどんどん出力して欲しいですし、それを健全な範囲で「経験」に変えてもらいたいわけです。
とはいえ当然、ほっとけば子どもの「やりたい」なんて際限がないわけで、そんなのいちいち叶えてあげてたらお金も時間もいくらあっても足りませんし、場合によっては法律に触れる可能性もあればデカい怪我をする可能性だってあります。
そこを上手く交通整理するのは、親としての重大なミッションでもあります。
お金も時間もやりくりして、健康も道徳もまあ適正な範囲に収めつつ、出来るだけ「あれやりたい!」「これやりたい!」というのを出力してもらって、それらを消化して人生を謳歌して欲しいと。
まずは一つ、そういう話なわけです。
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ところで皆さんご存知の通り、コロナ禍です。
「コロナがどれだけヤバいものなのか」というものは、当然子どもたちにも広まっており、今では「コロナ禍での生活」というものがすっかり浸透したような感覚があります。
その中で一つ、あまりよくないなーと思ったのは、親としてはあまりに簡単に
「今はコロナだから〇〇出来ないね」
「コロナがおさまったらいこうね」
と言えるようになってしまった、ということなんですよ。
例えば子どもが「遊園地に行きたい!」と言います。
具体的に言うと、千葉は浦安にある某大人気リゾートに行きたい、と言ったとします。
もちろんつれて行きたいのは山々なのですが、金銭的負荷も時間的負荷もかかるものですので、「いつ連れていくか」というのは色んな条件を鑑みて検討する必要があります。
場合によっては、一旦なだめすかして保留にして、といった親としての工夫も必要になるでしょう。
ただ、例えば緊急時代宣言下で一日4桁人数の感染者が出ていて、県をまたいでの移動も非推奨になっている、といった状況だと、あまりにも安易に
「今はコロナだから、おさまったら行こうね」
と言ってしまえるわけです。
これは決してただの「口実」ではなく、感染対策の面では実際に行かない方が望ましい。
新型コロナに感染した時何が起きるか、というのは子どもたちも承知なわけで、「コロナにかかっちゃうかも」というのは子どもとしても実質性のある不安なわけです。なまはげみたいなものです。
つまり、錦の御旗としてあまりに強力過ぎて、子どもに反論の余地がなくなってしまうわけですね。
子どもとしても納得せざるを得ないというか、「無理だ」ということを理解してしまえる。
願望をひっこめる為に十分過ぎる材料なわけです。
これ、もしかするとあんまり良くない状況かもな、とは薄々思っていたのですが、今年の春先頃、ふっと
「そういえば最近、あんまり「〇〇行きたい」という言葉を聞かなくなったなあ」
と気付いたんです。
で、それとなく長女や次女に聞いてみたら、ちょっと考えた後、
「だってどうせコロナで行けないから、最近はあんまり考えないようにしてた」
という答えが返ってくるんですよ。
つまり、ただ単に「どうせ行けないと言われるから言わない」というだけでなく、願望を持つサイクル自体が毀損しかけていた。
行きたいと思っても行けない、というストレスがかかるのを避けて、行きたいということを考えないようにすらしていた。
正直これ、私自身にとっても結構同じような状況だったんですよね。
例えば私、ゲーム音楽演奏のサークルやアナログゲームのゲーム会を主催したりしているんですけど、昨年から何度か
「感染がおさまったように見えた頃企画したら、また感染が拡大して中止せざるを得なくなる」
ということが繰り返されて、今、企画自体やめちゃってるんです。
一年も「やれない」という状況が続いてくると、その内「やりたい」と真剣に思えなくなってくる。
この状況が続くと、そもそも「やりたい」という思い自体が段々持てなくなってくるんじゃないか、と。
実際最近、以前程「アナログゲームやりたい!!!」という欲求が湧いてこなくなってきてるんですよね。
話としては学習性無力感に近いものなのかも知れません。
努力が無駄に終わる、ということが繰り返されていると、努力自体をしようと思えなくなる。
それと同じようなことが、「願望-経験」サイクルにも起きかねないんじゃないか。そんな危機感を抱きました。
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で、ここ数か月はどんなことをしているかというと、取り敢えず「やりたい」と思えば、「やりたい」と言えば何かが起きる、というシステムを構築してみました。
例えば今すぐ遊園地に行けないのはまあ仕方がない。
けれど、「遊園地に行きたい」と思ったことで、例えば遊園地は無理にせよ、ちょっと遠目の公園とか、あるいは近所の空いているプールとか、代わりの楽しい場所に行けないか。
あるいは、遊園地に行けなかった分浮いたお金で、何か別の楽しいことは出来ないか。
コロナ禍が収まった時の楽しい予定を、今の内からメンテナンスすることは出来ないか。
それくらい考えまして、
・「行く予定」までは立ててみて、そのプランBとして「行きたい場所程ではないけれど楽しい、かつ今の状況でも実現可能なこと」を別に考える(サイクリングに行くとか、家でアナログゲーム大会をするとか)
・「行く予定」が潰れた場合、その為の予算の何分の一かをプールしておいて、それを外食デリバリーやゲーム購入に使う
・「コロナがおさまったらやりたいことリスト」を作って見える場所に貼っておく。「行きたい」が増えたら都度追記する
これくらいのことをやってみました。
結果、実現性があるかはともかく「〇〇いきたい!!」「××したい!!」という声は再び盛んに響き始めまして、まず何はともあれ「願望を持てば何か楽しいことが起きる」というところまでは復活させられたかなあ、と。
デリバリーで釜飯食べるのも楽しそうですし、リストを書き換えたりするのも楽しそうにやっているので、一旦は良かったかも知れないなあ、と。
まあ、やっていることとしては、子どもの「〇〇行きたい」を誤魔化す為に、ずっと前から親たちがやってきたことの繰り返しなのかも知れません。
とはいえ状況は普段よりも遥かに切実ですし、コロナ禍での閉塞した状況下での育児としては、これくらいの工夫をしてみてもいいのかなあ、と思った次第なんです。
コロナが収まったら巨大遊園地だろうが水族館だろうがたくさん連れて行ってあげたいなあ、と思いつつ、適度に出来る範囲で生活を楽しんでいると。
そういう話でした。
今日書きたいことはそれくらいです。
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。

<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>
第6回 地方創生×事業再生
再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。
【今回のトーク概要】
- 0. オープニング(5分)
自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」 - 1. 事業再生の現場から(20分)
保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例 - 2. 地方創生と事業再生(10分)
再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む - 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説 - 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論 - 5. 経営企画の三原則(5分)
数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する - 6. まとめ(5分)
経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”
【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。
【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)
【著者プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
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