2023年の夏、ある小さな記事がアイロニー好きなイタリア人たちを愉しませた。
ニュースは、ヴェネツィアのゴンドラの定員数を巡る事件を扱ったものだ。
世界的な社会問題となっている「肥満」が、観光業に少なからぬ影響を与えていることを示唆する記事だったのだが、本題のほかにもイタリア的な問題を内包したニュースであった。
さまざまな意味でイタリア人を苦笑させたニュースを紹介する。
ゴンドラ乗船定員数は6人から5人へ!体重問題か、あるいは値上げの口実か
2020年、コロナ禍の真っただ中にあったヴェネツィアは観光客の激減し、その影響で海水の透明度が増したことが大きなニュースになっていた。
一方で2020年7月、ある規則が改正されていたのである。それは、ヴェネツィア市がゴンドラに乗船できる人数を、6人から5人へと減らすという内容だった。
表向きの理由は観光客の「肥満化」である。
ゴンドラの漕ぎ手は「ゴンドリエーレ」と呼ばれ、気風のよさがウリの職業だ。彼らに言わせると、「ここ数年の観光客は太り過ぎだ。ま、パスタやハンバーガーが美味しすぎるからしょうがないな」ということになる。
観光客の肥満化があまりに顕著で、安全性を考慮すれば、笑ってばかりいられる状況ではなくなったということらしい。
ヴェネツィア市はゴンドラの定員を6人から5人に減らしただけではなく、「ダ・パラダ」と呼ばれるタクシー代わりの船の定員も、14人から12人に変更されたのである。
具体的な例を挙げるとこうなる。
36人のグループがヴェネツィアを旅行中にゴンドラに乗ろうと思ったら、以前は6艘のゴンドラで足りていたものが、現在は8艘必要なのだ。ゴンドラ1艘のレンタルは80ユーロであるから、36人グループの負担は160ユーロ増えるという計算になる。
一部のジャーナリストは、これは「肥満」を口実にした実質的な「大幅値上げ」ではないかと皮肉っている。というのも、ヴェネツィアのゴンドリエーレの多くは世襲制なのだ。
ゴンドリエーレの息子ならば理論的なペーパーテストもなく、ゴンドラに乗って漕ぐだけの簡易的な実施試験でパスできるといわれている。
代々ゴンドリエーレを務める家族にとってはそれだけでもメリットがあるのに、定員数が減らされたことで、棚からぼたもち式に収入が増えることになったのだ。
とはいえ、この問題は長らく話題にもならなかった。脚光を浴びたのは、ある事件が発端となった。
子供が4人いる家族は一家で一艘のゴンドラには乗れない?
事件の全容はこうである。
一組の夫婦が、学齢期の4人の子どもを連れ一家6人で1艘のゴンドラに乗ろうとしたところ、定員数超過を理由に乗船を拒否された。
夫婦は、子どもの1人に障害があること、また4人の子どもはまだ幼く、家族6人で乗船しても大人5人の平均体重の合計には満たないことを主張した。
ジャーナリストによれば、ここで実にイタリア的な問題が発生する。
ゴンドリエーレは規則を盾に、あくまで5人以上の乗船は認められないと言い張った。一方、一家に雇われていたツアーガイドは、子どもの年齢と家族の合計体重、また障害を持つ子の存在を配慮して特例を認めろと迫る。
そこで、警察が呼ばれた。イタリアの警察はいつものごとくである。「我々にはわからないし興味もない。水上警察に言ったらどうだ」というわけだ。
呼ばれた水上警察は事情を聴き、「この場合は6人乗船でかまわない」と許可を出した。
おさまらないのはゴンドリエーレたちだ。「特例」がこうも簡単に認められるのならば、規則を変えた意味がないというわけである。
実際、水上警察から口頭で伝えられるだけの「許可」なのだから、航行中に別の警察に規則違反を示唆されたら、ゴンドリエーレは罰金を払わなくてはならなくなる。
というわけで、水上警察の介入も役には立たず、ゴンドリエーレの主張によってこの家族は1艘のゴンドラに乗船することを諦めざるを得なくなった。
ヴェネツィア市の先導でこうした特例のための公式な書類等が用意されないかぎり、今後も同様の問題が起こる可能性はある。
2023年4月現在、ヴェネツィアのゴンドラに関する規則(REGOLAMENTO COMUNALE PER IL SERVIZIO PUBBLICO DI GONDOLA)には、それに触れた項目は加筆されていない。
このニュースはまず、肥満した観光客の近況が笑いを誘った。イタリアの肥満率も、決して低くはないからである。それと同時に、さまざまな問題の対処が後手後手に回り、かつ責任の所在をたらいまわしにするという、変わらぬイタリアの姿を浮き彫りにしたのだった。
イタリア人が自嘲したという意味での、苦い笑いも誘ったのである。
観光客の肥満化が規則を変えた前例はある
ところで「実質的な値上げの口実」とされた観光客の肥満化は、なにもヴェネツィアだけの問題ではない。肥満が規則を変えた前例があるのである。
それが、ギリシアのサントリーニ島のロバ観光だ。ロバの背に揺られて520段の石畳の階段をのぼり、エーゲ海を望むパノラマを眺める。これは長年にわたり、サントリーニ島で人気の観光スタイルだった。
ところが2019年、ニコス・ゾスゾス市長は「自分の足で頂上まで登ろう」というキャンペーンを実施した。その理由が、観光客の肥満化によるロバの疲弊と健康被害であったのだ。
夏ならば気温が30度を超えるサントリーに島で、観光客を乗せるロバは1日4~5往復するのが常である。ところが観光客が太り過ぎた結果、ロバの疲労度が増大しただけではなく、脊椎等に問題が発生するケースまで増えたのだ。
ギリシア地域開発・食糧省は、ロバに乗ることができるのは体重が100キロ未満、あるいはロバの全体重の5分の1未満の人のみと規則を定めたのである。
どうしても坂道を歩きたくない人はケーブルカーの仕様を推奨するなど、観光客の肥満化によるロバへの弊害を阻止するべくさまざまな試みが行われている。
地中海世界は食事が美味しく、ついつい食べ過ぎてしまうことは否めない。ロバに乗って観光をしたいのならば健全な体重を保持し、食べ過ぎない用心も必要というわけだ。
日本人はまだまだ大丈夫?肥満度の世界比較
日本肥満学会のデータを参考にすると、人口1億人当たりの肥満率が男女とも60%を越えているアメリカやメキシコに比べれば、日本は40%にも満たない。(※1)
観光地で肥満を理由に楽しめないという状況は生まれにくいといえる。
とはいえ、肥満の要因の最たるものは「食生活」にあることでは変わりはない。(※1)旅行先のおいしい食事も節度を持って食べ、よく歩き、見聞し、心身共によき刺激を得ることがよき旅行の基本ではないだろうか。
【著者プロフィール】
cucciola
ライター。
歴史と美術のオタク。
通常は書籍をお供にイタリアの山に引きこもり中。
<引用元>
※1.日本肥満学会「肥満・肥満症の疫学」
http://www.jasso.or.jp/data/magazine/pdf/medicareguide2022_08.pdf