おれはビジネスパーソンを励ましたい
おれとビジネスパーソン、ビジネスパーソンとおれ。おれはいつもビジネスパーソンを励ましたいと思っている。
といったところで、おれが「がんばれ」といっても効果がない。ビジネスパーソンの役に立たない。しかし、励まされるかもしれないなにかを示すことができるかもしれない。
なのでおれは山から降りてきておまえたちに告げる。「ギャルに罵倒されると、励まされるかもしれない」と。
「なにを言っているのか、こいつは」、「もとからおかしいと思っていたが、ほんとうに狂ってしまったのか」などという声が聞こえてきそうだ。ああ、べつに罵ってくれてかまわない。だが、おまえたちはギャルではない。ギャルでないものに罵られてもうれしくはない。
それはそうと、ひとつ断りをいれておきたい。ビジネスパーソンとは言ってみたものの、この記事の対象は「おっさん」になってしまうということだ。
きわめて常識的な男性心理を知りたいという女性でもなければ、今すぐ近くの公園に行って好きな歌を歌ったり、楽しい踊りを踊ったりしたほうがいい。そのほうが有意義だ。あるいは水彩画でも描いたほうがいい。水彩画は心を豊かにする。知らないが。
ギャル罵倒のほのかな目覚め
おれに「ギャルの罵倒」が降ってきたのはいつだったか。ひょっとすると、アニメ『イジらないで、長瀞さん』ということになるかもしれない。アニメでその存在を知ったおれは、すっかり夢中になって漫画も買い求めた。紙の漫画単行本である。おれは宝石のように思う作品でなければ、紙の本を買わない。
「後輩の女子に泣かされた……!!」ある日の放課後、たまに立ち寄る図書室で、スーパー“ドS”な後輩に目をつけられた! 先輩を、イジって、ナジって、、はしゃぐ彼女の名前は――『長瀞さん』! 憎たらしいけど愛おしい。苦しいのに傍にいたい。あなたの中の何かが目覚める、“Sデレ少女”の物語。
ひとり、美術部で絵を描いている「センパイ」。女子に対しては奥手で、陰キャのタイプ。一昔前の言い方をすれば草食系男子ということになる。ここに、ギャルが襲いかかる。襲いかかるわけではないが、いじってくる。罵倒してくる。もう心はセンパイの気分になる。なにかが目覚める。
しかし、おれはこのときギャルの罵倒というものに目覚めたとは言えなかった。長瀞さんというキャラクターに惹かれていたのだ、と思っていた。そしておれはもとから自分のマゾ的な資質を知っていた。
本当のギャルの罵倒との出会い
ところでおれはあまりYouTubeを見ない。見る習慣がない。たまに思い出したように好きなミュージシャンのミュージック・ビデオを見るくらいだ。あと、大食い動画。
が、ある日、ネットで大喜利得意なアイドルが発掘された、というような記事を見かけた。おれは大喜利を見るのが好きだ。ものはためしに見てみた。
『【緊急企画】タレント福留光帆が大喜利の逸材なのかドッキリ検証したら、爆笑回答連発・フリートークもゲキ強で、仕掛け人トンツカタン森本が震え上がる!』、これである。
たしかにおもしろい。おれは福留さんのファンになった。大喜利はもちろん、競艇へのガチ具合が、同じ公営ギャンブル好きとして深く感じ入るところがあった。愚かものの道。
そこから、だ。そこからこの『佐久間宣行のNOBROCK TV』を見始めたのだ。佐久間宣行という名前は知っていたが、彼のテレビ番組を見たことはなかった。そしてYouTubeのバラエティというものとも無縁だった。
みりちゃむ様
おれはすっかり『NOBROCK TV』にはまってしまった。「100ボケ100ツッコミ」(これは令和ロマンがすばらしい)、「ドーピングドッキリ」、インパルス板倉の操りによる「ぶっこみアイドル越え選手権」……。次から次に動画を見ていった。そこで見つけてしまったのだ。
みりちゃむ様である。ここで後にみりちゃむ様と数々の名場面を繰り広げる錦鯉の渡辺隆も「完璧な企画」、「性癖に刺さりまくる」、「ドMです」と言っている。完璧とはなにか。その答えがここにはある。
「罵倒キャバクラ」シリーズなどにも発展した。ちなみにこの動画の前半、普通のキャバクラ客としての渡辺さんは神客のように見える。キャバクラで神になりたければ参考にすればいい。おれは女の人が接待してくれる店で酒を飲んだことはない。たぶんこれからもない。それは罵倒とは関係ない。
ずいぶんとわざとらしいが(そう言ってしまえばすべてはわざとらしいのだが)、罵倒できな子が罵倒にチャレンジすると、Mから説教されるということもある。それほどまでにみりちゃむ様の罵倒には回転数とキレがある。
ギャルの美学
おれはこの記事を書くのにずいぶんと時間がかかっている。動画を見てしまうからだ。
それはそうと、さっきからおれは「ギャル」という言葉を使っているが、「ギャル」とはなんなのだろう?
こういう言葉は辞書には不向きだ。なにごとにも向きと不向きがある。というわけでWikipediaを読んでみたが、ファッションについて多くが割かれている。なるほど、「ギャル」はさまざまな派生形をもつファッションだ。
だが、どうもおれがみりちゃむ様を「ギャル」というとき、そこにファッションを強く意識しているわけではない。むしろ、その精神性にある。見た目はちゃらちゃらしているかもしれないが、内面で筋が通っている。ゆずれない美学がある。そういうものがあるように、感じる。
それは少し、「美化されたヤンキー」に近いかもしれない。たとえば「オタクにやさしいギャル」という言い回しもあるが、そのときのギャル像も筋の通った人間として描かれるはずだ。『長瀞さん』の長瀞さんも、その友達のギャルもそう描かれている。
「オタクにやさしいギャル」が実在するかどうかは知らない。実在してくれればいいと思う。おれのために? いや、この歳でギャルにやさしくされてもしかたない。世界のためにだ。世界にはやさしさが足りない。違うか?
この「ギャル像」については、東京大学ギャル学部教授などが新書を書くべきだ。論考に値する問題に違いない。
おっさんはギャルに罵倒されるために生きている
まあ、なんであれ、おっさんはギャルに罵倒されるために生きているといってよい。主語が大きいといってよい。しかし、みりちゃむ様の鮮やかな罵倒、おっさんをばっさり斬り捨てていくさまを見ていると、そのような気持ちになる。もちろんおれはドMである。しかし、それを置いておくにしても、だ。
おっさんがギャルに罵倒されるのにはすがすがしさがあるといってよい。ビジネスパーソン……ビジネスおっさんも日々のストレスを解消されるためにギャルの罵倒を接種するのがいいんじゃないかといいたいのだ。
本当に?
しかし、おれがそういうだけではなにかが足りない。足りないので、おれはこんな本を読んだ。
この本のなかに、こんな一節があった。べつにこの本の主な部分でもない。
マゾヒズムを生物学的基盤をもつ状態とみなす考え方は、実践的マゾヒストたちの神話のなかにも生き続けている。六十四歳の異性愛者のマゾヒスト、「ニコラウス」はトーマス・ヴェツシュタインのインタヴューに答えてそれを次のように述べた。
人間は群れをつくる動物だ。最も強いオスが集団を統率し、すべてのメスはそのオスに所属している。子孫は強くならなければならない。生き残り競争に適応していかなければいけないからだ。
他のオスはボスの権利を巡って挑戦し、メスを得るために戦う。彼らは何度も挑戦しては敗れ、メスから軽んじられる。メスの眼にはボスはますます賞賛と崇拝の対象となる。ボスに対する―そしてボスだけに対する―尊敬から、メスには依存と被保護、服従と従属の恍惚が生じる。奴隷のメス、と言ってもいいかもしれない。
ある時点でボスは最も強い存在でなくなる。するとボスは打ち負かされ、追い払われ、いまや元ボスが知るのはメスや他の者からの軽蔑である。敗北者はこの軽蔑を背負って生きてゆかなければならない。彼らはセックスをまったくしない。自然は彼らにその能力を十分に与えているのに……。
その結果、若い女は唯一の主の奴隷となる傾向がある。その主がお役御免になれば、女の服従も終わる。彼は、軽蔑され荒野へと放逐される……。だからこそ、本能に従うなら、男は年をとればとるほどますますマゾ的になってゆくのだ。
しかし、男は、教育に従うなら、「女のボス」であり続けたくなり、馬鹿を晒し、いろいろ問題を起こす。その結果、若い女たちと年老いた男たちは(潜在的に)マゾヒストとなり、他方、若い男たちと年老いた女たちは支配的になりがちで、マゾ的パートナーがいれば、サディズムへと至ることがある。サディズムそのものは生まれながらもっているようなものではない。サディズムはマゾ的パートナーの願望によって生まれる―敗北者の軽蔑というね。
むろん、これは根拠のない「神話」の一部だ。実践的マゾヒストの「ニコラウス」さんの一意見にすぎない。
して、なにやら(若い)女性に対する意見についてはわからぬ。今回はそれには言及しない。というか、おれの考えていることと逆だ。女性に対する見方について、時代が違うのかもしれない。
ただ、おれが共感するのは「本能に従うなら、男は年をとればとるほどますますマゾ的になってゆくのだ」というところだ。争いに負けた、ボスにもなれないような男たちは、マゾになっていく。そして、「ニコラウス」さんとはべつに、若くて強い女性に「マゾ的パートナーの願望」を抱いてしまうのだと。
これが、おれの考える「ギャルに罵倒されたいおっさん」のルンバである。「自分は負け組のマゾおっさんなんかではない」と思うそこのあなた、本当にそうだろうか。みりちゃむ様に罵倒されたくはないか?
……とはいえ、じっさいに罵倒されたらどうなんだろうな
とはいえ、だ。おれはあくまでエンターテインメントの「ギャル罵倒」を見ているだけだ。じっさいに罵倒されたことがあるわけではない。そういうパートナーはいなかったし、そういうお店に行ったこともない。そういうお店があるのかどうかも知らないが。
ここまで変態ぶりをさらしておいてなんだが、男女であれなんであれ、人間同士の関係に大切なのは、互いの尊重ではないだろうか。おれはそのようなつもりで生きてきた。
……というと、嘘になるが、すくなくともパートナーと呼ばれるような女性に対してはそう接してきたつもりだ。もちろん、相手も自分のことをわかってくれる。ときにわかりあえないこともあるだろうが、それでも、どこか信じられる人でなくてはいけない。自分もそうでなくてはいけない。そう思いたい。
で、罵倒ってなんだろうか。もしも、街を歩いていて、見知らぬギャルに、「キモイんだよ、くそジジイ!」とか言われたら、どうなるだろう。即座に「ありがとうございます」とは言えないかもしれない。ショックを受けて泣いてしまうかもしれないし、あるいは怒り出してしまうかもしれない。それは自分にも予想がつかない。
だからなんだろう、「ギャルに罵倒されたいだけの人生だった」といえるのかどうか。回り回って、その疑問に行き着いてしまう。あくまで、優れたエンターテイナーとしてのギャル、エンターテイナーとしてのドMおっさん、それが紡ぎ出す見事な作り物を見て、それに憧れるのがいいのかもしれない。それでひとときのすがすがしさが得られるならば、それでいいだろう。
だが、もし、進んで罵倒される世界に、マゾヒストの世界に進もうという人がいるなら、おれはそれを止めはしない。止める理由もない。おれはそれを励ましたい。励ますだけだ。励ますだけで、近寄りたいとは思わない。
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【著者プロフィール】
著者名:黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
Twitter:黄金頭
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