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どうか楽しんでいただければ幸いです。
Books&Apps編集部

私が観測している限り、「チェーンメールが隆盛していた時代の経験者かそうでないか」で反応が大きく分かれているような気がしています。

すいません、全然大した話じゃないんですが。

 

皆さんご存知かと思うんですが、TwitterにはRT(リツイート)という仕組みがあります。

誰か他の人がしたツイートを、自分のフォロワーにも展開する機能ですね。

 

これ、今でこそ存在が当たり前になってますけど、昔はなかったんですよ。

何年か前は、手動で他人のツイートを張り付けて、そこにRTとかの目印をつけてコメントつきで流すやり方、今では「非公式RT」とか言われるやり方しかありませんでした。

コメントがつきまくって元ツイートの面影が殆どなくなった状態で話が展開するのとか、懐かしいですよね。

 

で、ここ最近という訳でもないんですが、Twitterで「〇〇な人はRT」というタグつきでRTが回ってくることがかなり頻繁にあります。

何かの画像について、「これがなんだかわかった人はRT!」とか。

何かの主張について、「これに賛同してくれる人はRT!」とか。

何かの習慣や癖について、「これに当てはまる人はRT!」とか。

 

まあ要は、見てくれる人に積極的にRTをお願いする系のツイートですよね。

なんでしょう、個人的には、この「〇〇な人はRT」という言葉を見た瞬間に、たとえそのツイート自体は面白かったとしても、RTする気が何故かゼロを通り越してマイナスになるんですが、みなさんそんなことないでしょうか?

 

いや、別に私、自己顕示欲を否定する気はないんですよ。

自分のツイートをたくさんの人に見て欲しい、とかたくさんの人の反応が欲しいとか、そういう欲求自体はむしろ自然なものだと思うんです。

だから、「このツイートをみんなに見て欲しい!」という欲求はあっていいし、表明していい。

 

ただ、何故か、「〇〇な人はRT」に対する拒否感だけ物凄いんです。ワードを一般化出来るなら積極的にミュートしたいくらい。微妙に表記ブレがあるんでミュートしにくいんですよ。

私の観測範囲内では、私と同じくらいこの言葉を嫌ってる人、そこそこの数観測出来るんです。

 

 なんでじゃろうな。

 

と思って自己分析してみたんですが、割と最近になって、「あ、これチェーンメールを見た時の感覚と同じだ」ということに気付いたんです。

つまり私は、「〇〇な人はRT」をチェーンメールと同じようにとらえているのではないか、と。だからこんなに「〇〇な人はRT」に拒否感があるのではないか、と。

 

皆さん、チェーンメールとか、もっと遡って不幸の手紙とかって覚えてますか?ないし、ご存知ですか?

最近あんまり話題に上らないですよね。

不幸の手紙っていうのは、「この手紙を、同じ文面で〇人以上の人に出してください。でないとあなたは不幸になります」っていう、自己増殖の為の文面を最後に仕込んだいたずらの手紙です。

幸福の手紙やら色んなバリエーションが出て、昭和の一時期妙に広まっていた気がします。

 

で、チェーンメールっていうのは、上記の不幸の手紙が電子メールの姿に変わって、あの手この手で「私を広めてください」って言ってくるヤツですね。自己増殖するウィルスみたいで、あれ嫌いだったんですよ、私。

 

例えば、不幸の手紙と似たような感じで、「このメールを止めると、あなたは不幸になります/被害を受けます」みたいな脅迫的な内容のメールとか。

逆のバージョンで、「このメールを回すとこんないいことがあります」とか「賞金がもらえる権利を手に入れられます」みたいな欲求喚起型のメールとか。

 あるいは、ちょっと手の込んだバージョンで、「行方不明の〇〇を探しています」「〇〇の犯人を捜しています」みたいな、一見人助けみたいな体裁をとっているメールとか。

 

これ、当たり前ですが99%以上がただのいたずら・でたらめで、賞金の権利も嘘であれば行方不明の〇〇も存在しない、というものが殆どだったんですが、電子メールって展開する手間が少ないんで、一時期爆発的に広まったりしてたんですよ。

スパムメールの一種としてネットワークに負荷がかかったり、要らんメールがどかどか来たりといった悪影響も勿論ですが、中にはそれが原因で実際の被害が出たことまであったんです。佐賀銀行の取り付け騒ぎの時とか、チェーンメールが発端だったんですよね。

 佐賀銀行:取り付け騒ぎ 

2003年(平成15年)12月25日未明に『佐賀銀行がつぶれるそうです』というチェーンメールが発生し、同日の営業時間より取り付け騒ぎが現実に発生した。

この取り付け騒ぎにより、引き出し・解約されたりした預金は約500億円に上る。事件の数か月前に実際に佐賀商工共済協同組合の破綻があったことも、騒ぎを大きくした一因とされている。

2004年(平成16年)2月に20歳代の女が信用棄損容疑で書類送検されたが、嫌疑不十分として不起訴に終わっている。この事件に際しては、成り立ちが類似している豊川信用金庫事件が報道等で引き合いに出されるなど局地的に注目を浴びた。

ああいうの、メールを出した大本の愉快犯はさぞかし喜んだんだろうなーと思った記憶があります。まあ、佐賀銀行の件については犯人検挙されましたが、結局不起訴になりましたしね。

 

このチェーンメールが広がる仕組みって、共通して

 

・メール自体に「自分を広げて欲しい」という旨の動機づけが含まれている

・その動機づけは、恐怖感なり、不安なり、善意なり、承認欲求なり、なにかしら受け取った人に感情的に付け込む類のものになっている

・展開自体は簡単で手間がかからない

 

上のような要素を持っておりまして、それが原因で爆発的に流布されたんですよね。

個人的には、善意につけこむカテゴリーのが特に嫌いでした。最近はあんまり聞かなくなりましたが、普通の迷惑メールとあまり区別がつかなくなったからですかね?多分なくなったわけじゃないと思うんですが…。

 

webにおいても、ユーザー側の自己防衛として、「チェーンメールは良くないもの」「チェーンメールを回すのはやめよう」という啓蒙活動が一時期行われたことがありました。

いつくらいでしょう、2002年とか2003年とか、それくらいからでしたっけ?地道な啓蒙活動によって、チェーンメールはようやく下火になり、昔程爆発的に広まることはなくなった、という訳なのです。

 

で、私自身は、あの「〇〇な人はRT」というツイートについついチェーンメールの面影を重ねてしまって、条件反射的に当該ツイートを敵視してしまうことになった、という訳ですね。うん、自己分析してすっきりしました。

別に規約で禁止されているわけではない(確か)ので、「〇〇な人はRT」というツイートをやめようなどと呼びかける立場ではございませんが、そういう条件反射を持っている人間もいるということも出来れば知って頂きつつ、インターネットの歴史にふと懐かしさを感じてもらえればなー、と思った次第なのです。

 

あと、出来れば「〇〇な人はRT」ツイートに共通のタグつけてください。「#RT推奨系ツイート」とか。それでミュートするんで。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

 

(Photo:Andreas Eldh

最近驚いたことがある。

ある企画書を見たときのことだ。その企画書は、お世辞にも素晴らしい内容とは言えないものだった。

もっと率直に言うと、「学生が初めて作った資料」のようだった。企画書をあまり見慣れていない私でもわかる素人感。失礼ながら、誰にでも書ける抽象的なワードを並べただけの薄っぺらい内容だった。

 

だが、驚いたのはその企画書に対してではない。その企画書を採用した人に対してである。

この内容でなぜ採用したのか。不思議に思ったが、疑問は一瞬にして解決された。企画書を書いた人の経歴が立派だから採用したのだ。 

彼の経歴を見ると、たしかにわかりやすく立派な肩書きや実績が並べ立てられ、いかにも仕事ができる人間であるかのようなアピールがされていた。肩書きや実績に嘘はないだろうから、実際に仕事ができる方なのかもしれない。その点はすごいと思う。

 

でも、経歴が立派な人が書いた企画書だから内容も素晴らしいかというと必ずしもそうではない。

 

その企画に私自身は直接関与していないので、何か不利益を被ったわけではない。何を採用しようが関係ないと言えば関係ない。

ただ、明らかに薄っぺらい内容の企画書を経歴だけで採用してしまって本当にいいのか、部外者ながら心配になってしまった。

 

経歴や肩書きで判断してしまうことは私もある。

特に、経歴や肩書き以外の情報がない場合は、その限られた情報で相手のことを推測するしかない。

経歴や肩書きは過去の実績そのものでもあるから、時に非常に有益な情報ともなりうる。だがそれ以外の情報が入ってきた場合、それはそれとして受け止めるのが筋だろう。できるだけフラットにその情報を見て判断したいものである。

 

☆★☆★☆

 

そういえば以前、「女性の名前で仕事のメールを送ってみたら......見えない差別に気づいたある男性の話」という記事が話題になった。

ご存知の方も多いだろうが、簡単にまとめると、

 

・男性が誤って女性の名前でクライアントにメールしてしまった。

・クライアントは軽蔑した態度をとり、メールに書いた質問を無視した。

・男性が誤りに気づき、自分の名前(男性の名前)でメールをしたところ、クライアントはアドバイスを受け入れた。

・指導の仕方やアドバイスは何一つ変えていない。変わったのは、名前が男性になったことだけだった。

 

という、性別によってクライアントの態度が変わった話である。 

ここまで露骨な性差別は今時珍しいような気もするが、たしかに性別によって相手に与える印象が変わってくるという現実があることは否定できない。私も仕事をしていて性別を意識せざるを得ない状況になったことがあるので、経験からもある程度納得できる。

 

性別と肩書きを同じだというつもりはないが、表面的な情報で相手を判断し、本質を見極めることができていないという点で、この話は企画書と通じる部分がある。

 

クライアントはアドバイスよりも性別を大事にする人間であり、企画書を採用した人は内容より経歴を大事にする人間だったということだ。

そうではなかったとしても、少なくとも周囲の人にはそう見られてしまう。

 

いずれにしても、肩書きだけで判断してしまう人は「肩書きでしか判断できない」、すなわち「本質を見極める能力がない」人間であると自らを位置づけてしまっていることに気づいたほうがいいだろう。

 

☆★☆★☆

 

ではまた!

次も読んでね!

 

 

【著者プロフィール】

名前: きゅうり(矢野 友理)

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

【著書】

「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

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LGBTBです」(総合科学出版、2017710発売)

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Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri  ブログ:「微男微女

 

(Photo:Fabio Hofnik

こんにちは。

ソリマチサポートセンターの若月と申します。

働いて2年目です。

 

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私は、マクドナルドで4年間ほどマネージャー候補となるまで懸命に働いた時期があります。

「スマイル0円」という有名なメニューをご存知の方も多いと思います。

私が、一番好きなメニューです。

 

「自分が笑顔になることで、笑顔の連鎖ができる、最後は自分にその笑顔が返ってくる。」

そこで働いて最も影響を受けた言葉です。

 

マクドナルドでは、スマイルには並々ならぬこだわりがあって「スマイル」に関する研修があるほどで、

そこまでやるのか?と思いましたが、世界有数の企業が現場で大切にしていることは「笑顔」なのかと妙に納得したのでした。

 

その後、両親が共に体調を崩してしまって、定時で深夜に働くことのできる会社に転職せざるを得なくなり、大好きだったマクドナルドの仕事からは離れてしまいました。

とても残念な気持ちでしたが、人生で変えられない運命もあるなとこの時は思ったものです。

 

 

しばらく後、両親の体調も回復し、今後のことも考えて、地元長岡市(新潟県)で正社員として働くことができる会社を探しました。またこれからはIT企業だと考え、そして見つけた会社がここ「ソリマチ」でした。

長岡ではとても名の知れた企業ということで、両親がとても喜んでくれたのを覚えてます。でも、「会計」の会社とは知りませんでした。

 

 

さて、私は入社してまだ1年程の新人ですが、働き始めてすぐ感動したことがあります。

それは、皆が目をみて挨拶することや、昼休みにお菓子配りあったりすることです。

 

そんなことに感動するなんて変ですか?

 

最近は、企業と言えばやたらブラック企業の話題ばかりで、若い人って「企業=ブラック」と思い込んでいる人多いんじゃないかなって思います。私もそのひとりでした。

 

ソリマチでは、社員同士の距離がとても近くて、昼休みは皆で同じ場所でご飯を食べたり、年に一度、全国の社員全てがあつまる総会・社内イベントがあったりサポートセンター社員で楽しい旅行があったり、優良企業ってこういうことかと思いました。

仕事にもスタッフにも恵まれて、生き生きと働いていたマクドナルド勤務時代を思い出しました。

再び「仕事が楽しい」と思えることができるようになりました。

(社員旅行中の様子  写真中央が本人)

 

今の仕事は、「会計王」というソフトの電話サポート業務です。

会計王というのは、いわゆる「簿記」をIT化したものです。

 

この製品は、日本全国の中小企業の経理担当の方(多くは自営業の社長さんが兼ねている)が使ってくださっています。

特にソリマチのお客様は、ソリマチの会計ソフトを使うために「パソコンを初めて使う」という方も多く、サポートセンターにはそのような方からもよく連絡を頂きます。

 

例えば、

「インストールって何?」

「パソコンにログインができないです」

「コントロールパネルの場所を教えてください」

など、ある時「インストール」が初めてというお客様と6時間ほどやりとりをしたことがあります。

パソコン初心者の方が多いからこそ、電話でのサポートはとても重要なのだと感じます。

 

 

ここソリマチでも、「スマイル研修」と同様に私にとって忘れられない研修がありました。

「7つの習慣」という本を用いての社内研修です。

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その中でよく覚えている言葉があります。

「他人を変えるには、まず自分を変えること。過去と他人は変えられないけど、未来と自分は変えられる」

私は、この本が有名なことすら知りませんでしたが、その言葉は深く私の心に刻まれています。

 

電話サポートの業務は、お客様から直接お電話を頂きます。もちろんそれは声のみで、お客様の顔やその場の状況などは見えません。

相手の状況をよく理解し、良い方向に持って行くためには、まず自分から心を明るく前向きにすることです。

そのために私が気をつけていることは、常に「笑顔」で対応することです。それは、電話越しであっても変わりません。

 

 

「スマイル」研修、今働かせて頂いているソリマチでの「7つの習慣」研修で、素晴らしい言葉に出会えたと思っています。

自分の仕事は、周りの人の気持ちを前向きにしていくことなのだと思います。

それはマクドナルド店頭での販売であっても、ソリマチでの電話サポート業務でも変わりがありません。

 

幸いにも、ソリマチでは育休など女性に対する職場環境が整っていて先輩も長く働いている方が多いので、私もずっとこの仕事に関わっていければといいなと思っています。

(了)

 

現在、ソリマチサポートセンターでは、女性社員を募集しております。

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人は役割がないと不安になる生き物だ。どこにも所属せず、ふらふら生き続けるという事は表面上からみるほど楽ではなく、誰にでも簡単にできる事ではない。

時々、生活保護やニートの人達が何もせずにフラフラしているのをみて「けしからん」と憤っている人がいるが、実際のところ何もせずにフラフラするのは想像を絶するほど苦しいものだという事をご存知だろうか?

 

休みはたまにあるから休息になるのであり、それ単体ではただの毒だ。

人はあまりに長期間”何もしない”で時間を無為に過ごし続けさせられると、頭に様々な不安がよぎっていき、発狂してしまいかねない程の極地に立たされる事になるのである。

<参考>

20年間引きこもりしている友人に会って思わず絶句した。

 

何もしないのは何故辛いのか

”何もしない”のが辛いのは、恐らく原始時代の頃にあった風習が元になっている。

太古の昔、人は群れを形成し、他の集団と対抗しながら生活をしていた。今では隣に住んでいる地区の人達といきなり争いが始まるだなんて事はありえないけど、昔は仲間以外は全部敵という非常に殺伐とした空間が形成されていた。

 

生き物にとって安心というのは、死の恐怖にさいなまれないという事とほぼ同義だ。死の恐怖というのは根源的には餓死する事と他から襲われて殺されるという2つの恐怖がメインとなっている。

 

仲間の形成は、食べ物の確保と武力向上という2つの面で非常にメリットが大きい。お互いの利益向上の為に、人は信用できる隣人を信用し、集団を形成するという方式を採用していった。

集団は、個人より多くの場合において強い。群れを作るのがいまいち上手でなかった個人は、群れを作るのが得意な個体と比較して、あまり上手く生き残れなかった事は想像に難くない。

 

これが固着していくと今度は人の脳の中にひとりぼっちでいる事がだんだんと無意識レベルで避けたいものへとプログラムされていく事になる。

 

「1人でいるな、群れろ」

 

これが私達の無意識にインストールされたプログラムのうちの1つである。

今も昔も仲間はずれにされる事は私達の心を強く蝕むが、これは太古の昔にインストールされた脳機能の一部に、1人でいる事の恐怖が刷り込まれているからに他ならない。

よく人は1人では生きられないという風にいる人がいるが、正確には人は1人だと生きられないと思うように脳に恐怖がインストールされているといった方が正しいといえる。

 

人は徒党を組まないと、安心できないようにプログラムされている。いくら素敵なホテルであろうが一人で寝る夜が寂しくて辛いのは、1人でいると集団に襲われたらひとたまりもなく死んでしまうという古代からの恐怖が元になっているのである。

このようにかつて人は個でなく、群れで生活する事に強いメリットを有していた。

 

じゃあその群れは、どういう個人で構成されていたのだろう?そこに仕事の原型を私たちは見出す事ができる。

群れというのは、たんなる人の集まりで作られるものではない。群れは基本的に各自の得意な能力の補い合いにより形成されるものである。

 

ルフィ海賊団を思い浮かべえもられば、まあなんとなくわかりやすいかもしれない。リーダー、コック、航海士などなど。そこには各自の不得意を補い合って助け合う原始の存在が見てとれる。

これが職業の原始であり、仕事の元となったものだ。人は役職につく事で、初めてその集団の一構成員である事に納得を覚える。

 

ルフィはサンジの調理の腕を信頼して認める事で、サンジは仲間としての充足感を補填する事ができる。

ルフィはルフィで、サンジから船長として認められる事で仲間としての充足感を補填する事ができる。

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このように仕事を通じて、彼らは自分の役職を再認識し、そしてお互いに仲間としての認知を深めていく事ができる。

こうして働くという行動を通じて、人は無意識レベルで役職を確認試合、仲間集団に所属しているという充足感を精神に補填しているのである。

 

現代に生きる私達も、脳の基本的な構図は昔の頃とさして変わりがない。普通の人なら定職についているとやっぱり安心するし、無職はやっぱり不安だ。何故か?それは上記の通り、仕事をすることが仲間集団に所属できているという風に脳が認識するからに他ならない。

このように人は、働かないと社会に所属しているという充足感が味わえないようにプログラムされてしまっているのである。ルフィ海賊団にごく潰しがいないのは、働かない海賊はフィクションの中ですら仲間として描けないからに他ならない。

 

ニートになるのに才能がいる、の本当のところ

このように”何の役職にもつかない”という状態は、本質的には仲間はずれにされているという事と無意識上ではほぼ同義であり、それはすなわち生存の危機にさらされていると脳が認識してしまう事に他ならない。

これは最も避けるべき危機として、人間の脳に組み込まれたプログラムの一部になっている。

 

あなたもよく子供の頃、夏休みが終わり頃になると早く学校に行きたくなってきたりしなかっただろうか?

あるいは今でも長期休暇の終盤頃になると、そろそろ仕事がしたくてウズウズなってくるタイプの人もいるんじゃないだろうか?

 

これらも無意識からの警告に他ならない。この警告を長期間放置し続けていくと、だんだんとアラームが強くなっていき、そのうち無意識から「はやく働いて役職につけ!じゃないと死ぬぞ」という警告がガンガンなるようになる。

 

これが無職の人々の苦しみである。彼らは生きている間、無意識からけたたましい死の恐怖というアラートが鳴り響く日々を過ごしているのである。まさに生き地獄といえるだろう。

 

何もしないでゴロゴロし続けているのも楽ではない。まあ京大卒で日本一有名なニートであるphaさん(http://pha.hateblo.jp/)のように働かない事が苦でないタイプの人も時々いるけども、あれは本当に例外中の例外だ。普通の人は働いている方が働かないよりもよっぽど楽だ。

これは何も普通の人に限った話ではなく、障害者にも同様の傾向がみてとられることからも明らかである。以下に有名なエピソードを紹介しよう。

 

人間の幸せは働く事でもたらされる

日本理化学工業という会社がある。学校で使うチョーク製造を主とした会社なのだけど、ここは全従業員81人中60人が知的障害者(うち27人が重度の障害者)で占められているという少し変わった会社だ。

 

この会社、もともとはあまり障害者の採用に積極的な会社ではなかったのだというけども、養護学校の教師から何度も何度も障害者の雇用を願われ、挙げ句の果てには

「もし今回こちらで働かせてもらえなかったら、この子たちは卒業後、そのまま養護施設に入ることになります。そうなれば一生“働く”ということを知らずに人生を終えることになるのです。だから雇用してやってくれとまでは言わないから、せめて働く体験だけでもさせてもらえないでしょうか」

と頼まれ、最終的に根負けして2名の女性障害者の就労体験をひきうけたのだという。

 

結局、2週間たった後、あまりに障害者の方が真面目に熱心に働き、また彼女らが強くその後も働く事を希望したので、その後も彼女らを引き取って従業員として採用する事になったのだという。

採用はしたものの、日本理化学工業の社長である大山泰弘さんは、なぜ障害者の方々がそこまで働く事にこだわるのかが全くわからず、あるとき知り合いの住職さんに

「うちの工場では知的障害者が一生懸命に仕事に取り組んでいます。養護施設に入って面倒を見てもらえば、今よりずっと楽に暮らせるのに、なぜ彼女たちは毎日工場へ働きに来るのでしょうか」と聞いたのだという。

すると住職さんはこう答えたのだそうだ。

 

「人間の究極の幸せは4つある」

 

「1つ目は、人に愛されること」

「2つ目は、人に褒められること」

「3つ目は、人の役に立つこと」

「4つ目は、人に必要とされること」

 

「幸せの中の(愛以外の)3つは働いてこそ得られる。だから障害者の方たちは、施設で大事に保護されるより、企業で働きたいと考えるのです」

この答えに深く感銘をうけた大山泰弘さんは、経営者として「人に幸せを提供できるのは、福祉施設ではなく企業なのだ」という信念を持つようになり、知的障害者の雇用を本格化させたのだという。

 

実に含蓄深いエピソードではないだろうか。

実はこのエピソードは障害者のみならず、私達の誰もが経験する可能性を有してもいる話でもあるといったら驚くだろうか?

全国の老人ホームで起きている事は、ほぼこの障害者のエピソードの相似と言っても過言ではない。

 

人は若かりし頃は自分ひとりで好きに生きる事ができる。しかし加齢と共に1人で生きることが難しくなると、人は老人福祉施設へと入所せざるをえなくなってしまう。

福祉施設に入所させられた人は、転倒などの事故を起こさない為に行動が著しく制限される。この手の施設では、事故死しない事が最も大切な事とされるので、事故なく安心して生活してもらうという目標の為に、それまでの生活と比較してかなりの部分に行動制限がかけられてしまう。

 

この手の”他人に生かされる”施設は、経験してみればわかるけど物凄く辛い。そこにあるのは退屈と孤独、そして絶望だ。

あまり知られていないけど、実は老人ホームに住む人の精神疾患率は物凄く高い。人は自由が制限された環境下に置かれると、すぐに心を病む。

自由もなく、何もしないで他人に生かされる空間は、常人にはとても耐えられるようなものではないのである。

 

生活保護やニート、福祉施設に入所している知的障害者は、確かに楽に生きるという面では、ある意味厚遇されているのかもしれない。けど彼らは、その恩赦と引き換えに、不自由という苦しみが常にぶつけられている。

彼らは見方によっては働きもせずに喜楽に生きているようにもみえるかもしれないが、実際はその真逆で、まさに生き地獄にも等しい環境で日々を過ごしているといっても過言ではないのだ。

 

人は仕事なしには、幸せになれない

人は働く事で初めて心の自由を手にする事ができる。

仕事は私達を縛り付けているようにもみえる事があるが、実際は私達を退屈というくびきから解き放ち、同僚という仲間の形成を通じて所属の安心を与え、結果として希望を私達にもたらしてくれる素晴らしい性質を有したものなのである。

 

もちろん奴隷のように長時間労働を課せられるような働き方には幸せなんて存在しない。休みも過度になれば毒となるよう、労働も過度になると毒になる。

 

適切な就労と適切な休息。この2つがあって人は初めて幸せになれる。働ける事に感謝しよう。人は仕事なしには幸せになれない生き物なのである。ゆめゆめそのことを忘れてはならない。

 

 

 

 

【プロフィール】

名称未設定1

高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

(Photo:youn-sik kim)

前回『「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。』という記事を書いたのだが、その記事を納品したちょうどその日、中島義道氏の『<対話>のない社会』という本の存在を知った。

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自分としてはタイムリーな本だったので、さっそく読んでみた。

 

そこで興味深かったのは、「他人を傷つけず自分も傷つかないこと」が日本の「公理」であるという意見だ。

 

たしかに、日本人は「思いやり」という言葉が大好きだ。街角にある標語や駅のポスターには「思いやり」という文字が躍っているし、小学校の道徳では「思いやりが大切」だと教え込まれる。

だが、だからこそ、対立を避けることを優先し、当事者意識を持たない人が多いのではないだろうか。

 

わたしだけ、30分前出勤を免除された

わたしが以前フルタイムでバイトしていた家具店では、毎週月曜日にミーティングがあった。ミーティングしている間は売り場の掃除ができないので、30分前出勤を指示された。

時給で働いているわたしは、当然納得がいかなかった。「時給を払わないのなら出勤しない」と言い、わたしだけは30分前出勤を免除された。もちろん、上司は嫌な顔をしていたが。

わたし以外の人たちは、だれとも対立せず、平和的に無賃労働に従事していた。

 

「なんとも思わないのか」と聞いたところ、「そういうものでしょ」と、他人事のような答えが返ってきた。その家具屋では定時後のサービス残業が通例となっていたのだが、それも受け入れているようだった。

わたしのように当事者として自覚して意思表示をしたら、面倒な対立が起こる。だから正面から向かい合わず、多少の我慢の方がマシだと考える人が多いのだろう。

「対立を好まない」というのは、「当事者として本気で考えること」の放棄でもあるのだ。

 

過労死問題だってそうだ。電通の過労死報道をきっかけに、多くの人が「日本の労働環境はおかしい」と声を上げた。それでも、「大変だ」と騒ぐだけでうやむやになってしまった。

つい先日だって、新国立競技場の工事現場で働いていた当時23歳の男性が自殺し、両親によって労災申請された。一ヶ月前にいとこが過労死したという方が書いた漫画は、ツイッターで13万回近くリツイートされている。

 

そんな状況でも、労働者が大規模ストライキをした話は聞かないし、残業を大幅に減らした企業だってほとんど報じられていない。

「労働環境は改善された方がいい」と多くの人が考えてるはずなのに、長時間労働をしている人がたくさんいるのに、なぜか「自分には関係ない」悠長に構えている人ばかり。

当事者意識を持って対立を生むより、他人事として平和に過ごすことを選ぶ人がほとんどだから、なにも変わらないのだ。

 

当事者意識を捨て、抵抗をあきらめる日本人

「和を以って貴しとなす」という言葉に代表されるように、日本人は調和した集団を作ることに長けていて、「みんな」が心地いい環境を作ることに重きを置いている。

自分の意思を示すということは、常に対立が生まれる可能性を孕んでいる。逆に意思表示をせず沈黙すれば、対立は生まれない。だから、対立を避けて意思表示をしない日本人が多いのだろう。

そして、意思表示をしないということは、「自分のこととして考えない」ということだ。

 

自分が月200時間残業をしていても、過労死する人はあくまで不運な人であり、自分にそれが起こるとは思わない。自社の労働環境が悪くとも、自分のまわりで過労死が起こるはずがないと考える。意識のなかでは、「過労死なんてない」のだ。

他人事として知らんぷりを決め込めば、だれも責任を取る必要はなく、責めることも責められることもなく、対立も生まれない。「平和」に済むのである。

そして「当事者意識を捨てる」とは、同時に問題提起や抗議するという「抵抗」も諦めるということなのだ。

 

世の中には、鈍感でいてはいけない問題だってある

「対立を好まない」という考え自体は、決して悪いことではない。自分の意見ばかりを押し付けて四方八方で対立することよりはマシかもしれない。

しかし世の中には、鈍感でいてはいけない問題だってある。

 

仕事のせいでうつ病になった同僚が労災申請するときに、あなたは証人になる勇気はあるだろうか。残業代を支払わない会社を許し、ブラック企業に加担してはいないか。大きく言えば、いたるところで過労死が起こる社会を容認していいのだろうか。

他人事として見て見ぬふりをするのは、その状態を許すことでもある。なにかを変えるために、対立を恐れず自分の意思を示すべき瞬間もある。

 

だれだって、対立するより仲良くやりたい。当然だ。

だが対立は、理解や進歩への第一歩にもなりえる。対立を解消するために議論して、解決策を見出せるかもしれないのだから。

対立を極端に避け、みんなが「自分は関係ない」と考えていては、なにも進歩しない。みんなが過労死を「対岸の火事」だと思っていれば、これからも過労死は続いていくだろう。

 

だがそこで、当事者意識を持って、多くの人が「自分はそれを許さない」「経営者に抗議する」と立ち上がったらどうだろう。なにか変わるのではないか。

意思表示をすれば対立が生まれる。だがそこをスタート地点として、議論をしたり、ちがう立場や意見の人のことを理解できるようになれば、日本ではもっと積極的に議論が巻き起こるだろう。

 

それによって、いままで許されていた問題も、少しは改善されるかもしれない。

 

 

【プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

ブログ:『雨宮の迷走ニュース』

Twitter:amamiya9901

 

(Photo:jacky czj

Amazon Prime Nowというサービスをご存知だろうか。一部の地域利用できる、「究極のお急ぎ便」サービスだ。

Prime Now(プライム ナウ)は対象エリアでのお買い物が1時間以内に届くプライム会員向けサービスです。
2時間便は無料でご利用いただけます。

現在、東京都・神奈川県・千葉県・大阪府・兵庫県の対象エリアにてご利用いただけます。本ページ上部のボックス、もしくは専用アプリで郵便番号を入力の上、ご確認ください。対象エリアは、引き続き拡大いたします。

専用アプリからのみ利用できるサービスで、当日配送可能なAmazonプライムのさらなる上位バージョンと言っても良い。

 

さて、私は「新しいものはとりあえず試す」という方針なので、サービスが出た当初からこれを試してみた。

数カ月たって、Amazon Prime Nowは「禁断のアプリ」なのだ、と思う。

 

*****

 

サービスを使う前は、正直なところを述べると、あまり期待感は高くなかった。

「Amazonプライムでもかなり早く届くのに、これ以上早くしてどうすんだよ……」

というのが、多くの人の本音だろう。
アプリをインストールして開くと「売れ筋」というバナーが目に入る。

とりあえずは売れ筋をチェックするのがECの作法だろう。

家電やPCなどの分野は普段からAmazonでかなり使っていたので、Amazonプライムでは取扱があまりない、「食品」をタップすると……

大量の冷蔵・冷凍食品が出てくる。Amazonプライムと、Amazon Prime Nowの決定的なちがい。それは、冷蔵・冷凍食品を購入できることだった。

誠に感慨深い。まさか、ECでアイスを買うことができる日が来るとは……

 

当時、事務所で書き物をしていた私は、隣で働いている社員に向かっていった。

「アイスたべたくない?」

「食べたい」

「Amazonで売ってるんだけど。」

「意味がわからない」

信じてもらえなかった。

 

「Amazonでアイスが買える」と言われても、確かにピンとくるまい。

 

だが、隣人はアイスを食べたい、と言ったので、雪見だいふくとパルム、ビッグモナカを頼む。

決済は「2000円以上から」とあるので、(そりゃそうか)爽健美茶、炭酸水、コーラ、お菓子類をまとめて注文する。

 

私は仕事にまた取り掛かった。

1時間も経った頃だろうか。オフィスの呼び鈴がなった。インターフォンをとる。

 

「Amazonでーす。」

 

入り口に取りに行くと、そこには

一人のおじさんが、紙袋(下参照)を幾つか抱えてたっていた。

紙袋を受け取ると、冷たい。

「アイスだ……」

おじさんは、ありがとうございましたー、といって帰っていった。

 

しかし、私はAmazonの通常の注文にくらべて、猛烈な違和感を感じた。

なぜ、こんな違和感があるのか……。

 

まず、持ってきてもらった人が、「ヤマト」や「佐川」などの宅配業者ではない点。「近所のおじさん?」と思うような、見た目が普通の人が持ってくる。

二つ目は、「ダンボール箱」ではなく、紙袋で商品を持ってくる点。まるで近所のスーパーから買ってきたようなイメージだ。

そして配達の内容。「近くのコンビニに行けばいいじゃない。」と言うべき、アイスと飲み物、ちょっとしたお菓子など。
そうか。なぜなぜこんなに申し訳ない気持ちになるのか、わかった。

 

Amazon Prime Nowは、「近所のおじさんが、近くのスーパーで、買い物をしてきてくれた」ような、錯覚を覚えるのだ。

「おじさんを、パシリで使ってしまった……」というやるせない気持ち。近くのコンビニに行けば買えてしまえるようなものを、わざわざ近所のおじさんに依頼して買ってきてもらったような、そんな気持ちなのだ。

 

アイスはとても美味しゅうございました。

 

あれから、オフィスでアイスを食べたくなると、Amazon Prime Nowを使っている。

皆でお金を出せば、すぐにアイスも、飲み物も、お菓子も、届くのである。ちょっとした罪悪感と引き換えに、コンビニもスーパーに行かなくてよい。

 

Amazon Prime Nowは禁断のアプリなのだ。

 

 

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(Photo:Kenny Lam)

こんにちは、YeLLという会社を経営している吉沢です。

 

さて、当社では「毎日仕事するのが楽しくて仕方ない」という状況を日本中に創り出すことをビジョンとして活動をしているのですが、先日

「せっかく夏だし、とことん仕事を楽しんでる連中を集めて、イベントでもやってみよう」

ということで、中高の同級生でもあるBooks&Appsの安達さんと一緒に、1つ仕掛けることにしてみました。

(参考記事:なぜ35歳を超えると頑張らなくなるのか。それはロールプレイングゲームの終盤と同じだから

 

登壇者としてノリで集めたのが、下記の3名:

アフリカでFintechを展開する合田真氏

お笑いアプリ『bokete』など、プロデュースしたアプリは合計1000万DLを超えるイセオサム氏

デロイトのコンサルタントだったのが、妻から実家のコタツで”あんたの仕事ってそれ?”と言われたブログで独立した安達氏

 

とにもかくにも、「楽しい仕事にありついている」とおぼしきこの3名から、その場即興で、一切の事前打合せ無しにて展開したこのイベント。

その場で共有され、議論された「楽しい仕事にありつくための7つの技術」は、会場からも様々な反響がありました。

 

楽しく、ワクワクする仕事をしたいなと強く感じました(40代男性 マーケティング)

学びが多かったです!人の話を聞くのは、大切だなと思いました(30代女性 ヘルスケア)

内容・構成の濃さが、申し分なく感激レベルでした(30代男性 コンサルティング)

登壇者の方はもちろんのこと、参加者の質問が冴えていて、学びがありました。スパッとした視点に勇気をもらえた(30代女性 編集)

 

そこで本記事では、会場にて登壇者と参加者のやり取りの中で共有された、特に役立つ7つの「楽しい仕事にありつくための技術」について、具体的に紹介します。

 

1:狭き門より入れ

安達氏によるノウハウ。新入社員の教育を任せたい、など、難しくめんどくさい仕事が回ってきたときほど、進んで受け入れるというのがポイントです。

こうした仕事を引き受けると、結果的に後々、やりたい仕事が回ってくるようになります。失敗しても、元々引き受けてもらった仕事なので、上司からするとそれほどキツく咎めることもありません。

評価が下がりそう、できるか分からないな、という仕事ほど進んで引き受けよというのがこのノウハウの要諦となります。

 

2:面白い人と仕事をする

イセオサム氏によるノウハウ。仕事を選ぶときに、常に「面白い人と仕事ができるか?」というところを大切にします。そのためには、自分が面白い仕事をしている、人がやっていないことをやっていると、結果的に「面白い人」からも自分が面白いと感じてもらい、仕事相手に選んでもらえるようになります。

イセさんの場合、圧倒的に釣りが得意なので、面白い経営者と仕事をしよう、とすると、まずは釣りに誘うところから始まったりします。

ちなみに、最初は面白いと思っても、ちょっと一緒に仕事をしたら「実は、自分にとってはあまり面白い人ではない」と気づくこともあるので、そういうときは、サッと引いてしまうことも大切。

 

3:自分で産み出す

合田氏のノウハウ。完全にオリジナルなものというのは難しいが、いろいろな要素を自分で組み合わせてみて、それによって「誰かが喜んでくれるかも」と思いながら組み立てることで、ワクワクする仕事が生まれるというもの。

例えば、合田氏が仕事をするアフリカでエボラ熱が流行したときに、ワクチンを大量生成するのに何かいい方法はないかと模索し、ダチョウの卵による培養方法を深掘りする研究者にいきついたのが、いい事例。

とにかくこうした場合、取り組んでいるテーマに「愛情」を降り注いて取り組むのが大切。そうであれば長続きし、新しいものが生まれやすくなります。

 

4:やりきった感じ

安達氏のノウハウ。何か仕事に取り組んだときは、必ず自分なりの「やりきった感じ」まで完遂する。それによって、「自分はなんとかできるんだ」という自信が生まれ、次につながっていく。具体的な「やりきる」基準は、会社を辞めても、そのテーマで食べていけるんだ、という水準までやること。

これに関しては、大組織の内部でだけ通用する強みなどはあてはまらないため、様々な仕事にクビをつっこんでおいて、適切な内容について「やりきる」こともポイントとなります。

 

5:やったことがないものをやる

イセ氏のノウハウ。やったことがないものは難易度が高く、この水準が「ギリギリで高い」というのが大切。

それに加えて、新しいことをやると、予想外のことも発生し、そこから学ぶこともできます。

新しいことをするために、イセ氏は情報収集の方法に工夫をしています。新聞やTVなどはルーティンとしては見ることなく、自分で取捨選択したツイッター、フェイスブックの投稿を眺め、感度の高い人からの情報を重視して、あたらしいことの要素を掴んでいきます。

 

6:自分は何が楽しいか知っておく

合田氏のノウハウ。ワクワクするテーマというのは、人によって全然違ってくるという話。主に、子供の頃の原体験とかによって違ってくるので、自分の中でどの瞬間が楽しいかを見つける努力が大切になる。これがベースにあると、資金調達なども、独自のスタンスを貫けます。

例えば合田さんの場合、このテーマで、この人からお金だしてもらおう、ってなって決めたら3年くらい時間をかけることもあり。

その人には、決算書も事業計画も出さないし、三ヶ月ごとに会いに行って、最近こんなかんじ、あんなかんじ、いい加減出してよ、と言って、そろそろだしてよ、というので1.6億出してもらったり。

事業計画書もかわるし、「こんなこといってたじゃん」という証拠は残さない!(笑)。合田さんの場合は、そういうアプローチが合っているとのこと。

 

7:Give&Takeで組織を超えてつながる

今回の開催のきっかけともなったアプローチ。米国の社会学者アダム・グラント氏が書籍「Give&Take」にて提唱する考え方。

「自分個人のためでなく、互いに他の人のために役立つように全力を尽くし合う。ただし、一方的に搾取する人がいたときだけは、それを排除する」というものです。これにより、互いが互いに、全体の系に貢献することができ、全体として楽しい仕事の総量も増えます。

 

 

今回の登壇者した3人も、互いにそうしたネットワークでつながっており、参加者サイドにも、こうしたつながりの中にいる面々が多数いらっしゃいました。

 

そんなわけで、開催終了後、たまたまトイレで居合わせた参加者の方と話をしていると、目を輝かせながら、この一言をいただきました。

「いやあ、中々これからどうしようかと迷っていましたが、今日は元気が出ました。世の中には、考え方次第で、いくらでも楽しい仕事に出会うチャンスがありますね!」

 

今日もまた、楽しい仕事を創り出し、より楽しい時間を過ごすための試行錯誤を続けてみてはいかがでしょうか?

 

 

本イベントでもご紹介した、組織に所属しながら、複業として別の大組織の社員アドバイザーとなる仕組み「YeLLサポーター」について、当日ご案内に加えた追加説明会を予定しています。ご興味のある方は、下記リンクより詳細をご覧ください。

 

▼「YeLLサポーター説明会」詳細・お申込みは下記リンクより

https://jp.surveymonkey.com/r/yellsupporter_orientation

 

◯YeLL株式会社コーポレートサイト

目標というといかに「達成」するかに重きが置かれることが多いように思う。

だが私は達成することよりもむしろ立てることの方が難しいと感じる。目標は立ててしまえばあとは実行するのみである。目標から逆算すれば、今やるべきことは見えてくる。

やるべきことがわかれば、すんなりと達成できることはあまりないにしろ、よほど非現実的な目標を掲げるでもない限り、軌道修正しながら進んでいけばなんとか達成することは可能だろう。

 

目標を立ててしまえばあとは進むのみ。だが立てるのが難しい。これがどの程度共感してもらえることなのかわからないけれど、自分に関して言えば、目標を立てるのには心理的なハードルがある。

 

何かに夢中になっていて、知らぬ間に“目標に向かって頑張っている状態”になっている場合は別。そうではなくて、自分はどうなりたいのか考えて目標を考えるケースを想定している。 

どうなりたいのか……

現実を無視して理想だけを言えば、たとえばお金はあればあるほど嬉しいし、社会的地位も高ければ高いほど嬉しい。(お金と社会的地位はわかりやすい例として挙げている。)

 

実現可能性がどれだけなのかはさておき、使いきれないほどのお金と世界で一番の社会的地位を手に入れることを目標にしたとする。私ならその目標が設定された時点で生きる意味を見失ってしまう。

目標が設定されると人生が決まってしまったような感覚になるのである。

もちろん、理想が実現する可能性は限りなくゼロに近いから、実際は理想には及ばないはずだ。つまりどちらに転んでも嫌なのである。

理想通りだとしたら、人生が決まってしまってつまらない。人生がわかっているなら今から死んでも変わらないんじゃないか、と生きる意味を見失ってしまう。

理想通りにいかない人生だとしたら、“理想に向かって頑張っているものの、理想より劣る人生をおくっている”ということで悲しくなる。

 

社会人1年目のときに、目標を立て、実現させるためにどう行動するべきかを考えて発表するという研修があった。

私はこの研修で目標を立てることの難しさを痛感すると同時に、目標を立てること自体が悲しいという気持ちになり、先輩に上記の内容を説明した。こういう理由で自分は悲しくなるのだ、と。

最初はなかなか伝わらなかったが、最終的に先輩は「その気持ち、わかるよ」と言ってくれた。具体的なアドバイスももらった気がするが、忘れた。

ただ気持ちを理解してもらえたことで救われた。だが最初なかなか伝わらなかったこともあり、多くの人に共感してもらえるような内容ではないことも理解した。

 研修はなんとか切り抜けたが、よく言えば目の前のことに一生懸命取り組むタイプ、悪く言えば目の前のことしか見えていないタイプで、2年と数ヶ月社会人をやってきた。

目標に向かって頑張ってきたというよりは、目の前だけを見てとりあえず走ってきたという感じである。そんな自分に、時折不安を抱く。

 

*****

 

以前ある人と、切手やカード、フィギュア等、何かを集めることは好きかという話になったことがある。

そのとき相手は「お金さえあれば何でも手に入ると思うと、コレクションには興味を持てない」と言っていた。なんだかわかる気がする。完成した未来が具体的に想像できると、興味を失ってしまうのだ。

 

それは文章を書くことについても同じである。書くことが決まっていない状態で思いつくままにキーボードを叩いているときは、とても楽しくてどんどん先に進んでいくが、書く内容が決まっている場合は、脳内では既に記事が完成しているため、キーボードを叩く気分になれないのである。

 

そんなことをぼんやりと考えていたところ、つい最近ある動画を発見した。

それはもう随分前(2012530日)の「ホンマでっか!?TV」で、渡部篤郎さんが「コロコロと気が変わる性格を直したい」という人生相談をしていたものだった。

渡部さんは予定を立てるのが好きで、お休みの前の日にはたくさん予定を立てるそうだが、そのうち1つでも実行できれば良いほうで、頻繁に予定を変更してしまうそうだ。

レストランという日常レベルの予定から、ハワイ旅行という大きなイベントまで、予約していたのに当日気が変わってキャンセルしてしまうとのこと。

 

それに対して心理評論家の植木理恵先生が「予定を立てた段階で満足している場合が多い」と分析されていた。つまり、予定を立てることで頭の中でその出来事が終わってしまっているというのである。

 

自分が渡部さんと同じだと言いたいわけではない。それはさすがにおこがましい。

大事なのはここからで、植木先生は改善案として「人間は感性に頼って『したいかしたくないか』で決めると、『しない』と選択しやすい。だから、『するべきかしないべきか』という理屈に頼るということをしてみると良い」とアドバイスされていた。

 

「したい・したくない」ではなく、「べき・べきではない」で選択する。このように自分への問いかけの仕方を変更すると良いというアドバイスだった。

この方法はとても良さそうなことだと思えた。今の時代、感性を大事にすることが重視されているように感じる。「好き」という気持ちが大事だと。

「好きを仕事に」なんて言葉もよく聞く。でも感性に従うことが必ずしも自分に幸福をもたらすとは限らない。理屈で考え、戦略的に生きた方が長期的に見ればメリットが多いのかもしれない。自分が悲しいかどうかなんてどうでもいい。目標を『立てたいか立てたくないか』ではなく、『立てるべきか立てないべきか』で問いかけるべきだったのだ。

 

尚、この記事も『書くべきか書かないべきか』と問いかけた結果できたものである。

 

☆★☆★☆

 

ではまた!

次も読んでね!

 

 

【著者プロフィール】

名前: きゅうり(矢野 友理)

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

【著書】

「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

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LGBTBです」(総合科学出版、2017710発売)

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Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri  ブログ:「微男微女

 

(Photo:Capture Queen

こんにちは。日本植物燃料株式会社、代表の合田です。

皆様、お元気でしょうか。

 

最近、アフリカでの電子マネーの普及の勢いは非常に目覚ましいものがあります。

↓こんな具合です。もちろん手にしているのは、VISAカード……ではなく、弊社の電子マネーです。

ちなみに、電子マネーはこんな感じで運用されています。

ちなみに、ここは未電化区域なので、「発電機」で電気を起こして、電子マネーのシステムを動かしています。

一見非力なシステムに見えますが、これで十分実用的なのです。

 

もちろんこれはモザンビークだけの話ではありません。発展途上国においては「現金」は主役を追われつつあります。

発展途上国では「現金」が死につつある

「途上国では現在、キャッシュレス化が進んでいる」とアーメッドは言う。いまでは、彼の出身地であるソマリランドの都市に行けば、何カ月も現金を触ったことがないという住民もいるという。

「かつては、そうした金融取引はすべて現金で行われていたが、それらを追跡することは難しかった。ケニアでは現在、GDPの45パーセントがM-Pesaを経由している。それに伴い、これまでは統計に現れていなかった非公式経済の大部分が公式経済に切り替わった」とアーメッドは述べる。その結果、ケニア政府はGDPを上方修正したという。

(Wired)

一方、日本のようになぜか「現金」にこだわりのある国では、電子マネーの利用者はまだまだ少数派のようです。

電子マネー決済5兆円突破 「少額利用」広がる

もっとも現金やその他の決済手段を含めてみると、電子マネーの規模は依然として小さい。日本クレジット協会の調査によると、クレジットカードの16年の利用額は49兆円(信用供与額、大手29社のショッピングとキャッシングの合計)。これと比べると、電子マネーの5兆円は増えたとはいえ、なお小規模にとどまっている。

(日本経済新聞)

こういった状況を見て、呑気な方は「電子マネーの普及は途上国だけの話でしょ?」と一笑に付す方もいるかもしれません。

が、実は日本は既に時代に取り残されている可能性があります。

 

例えばお隣の中国では、電子マネーの普及の勢いは留まるところを知りません。日本の電子マネー取引高はわずか5兆円ですが、中国では600兆円を超えています。

電子決済が普及する中国、今や物乞いも「現金ではなく電子マネー」

2016年6月、中国のインターネット人口は7億人を突破した。このうちスマートフォンを使ってネット接続する人は92.5%に達し、電子決済を利用するユーザー数も4億5000万人に達している。

 中国のネット通販や電子決済の市場規模は、莫大なネット人口を背景に急激に拡大しているが、中国メディアの今日頭条は2日付で、2016年の中国の電子決済額が37兆1000億元(約606兆円)を超えたと説明する記事を掲載した。

(@niftyニュース)

更に凄いのはインドです。

日本ではあまり大きく報道されませんでしたが、インド政府は昨年11月、高額紙幣の流通を突如として停止しました。

インド、高額紙幣の流通を突如停止 腐敗対策で

インドのナレンドラ・モディ(Narendra Modi)首相は8日、500ルピー(約800円)と1000ルピー(約1600円)紙幣の流通差し止めを命じた。同国にまん延している汚職と脱税の根絶が目的とされるが、突然の発表に同国内には衝撃が広がっている。

モディ首相はテレビ放映された国民向け演説で、9日午前0時(日本時間同3時半)以降、これら2種類の紙幣は法定通貨としての効力を失うと宣言した。ただし今年いっぱいは旧紙幣と新札を銀行や郵便局で交換することができ、また口座への預け入れは引き続き可能だとしている。

(AFP)

これは、日本で言うと

「今の5000円札と、1万円札は4時間後に使えなくなるよ。あと、銀行で新札に2ヶ月以内に交換してね。使えなくなるよ」

という宣言を政府がしたようなものであり、日本ではなかなか考えられない、ドラスティックな政策です。

 

これによって、インドは大きく「キャッシュレス化」へ舵を切り替えました。

インド政府、電子決済促進に最大10%割引きの補助金支給

11月9日、インドのナレンドラ・モディ首相は、流通している全通貨量の86%を一気に無効化した。決定は混乱を招き、人々は今や価値のない500ルピーと1000ルピー紙幣の交換に何時間も列に並んでいる。(中略)

にもかかわらず、インド政府は電子マネーにますます入れ込んでいる。ブルームバーグの記事によれば、保険契約から列車の切符、ガソリンといった商品やサービスの支払いで現金を使わずに電子決済を使えば、最大10%の割引が得られるというのだ。

(MIT Tech Review)

中国とインド、合わせて26億人という人々が、一斉に「電子マネー」を利用し始めている。この状況は驚異的と言わざるを得ません。

世界の最先端は、現在は途上国に存在しており、「キャッシュレス化」は世界的潮流な現象です。

 

*****

 

ところで最近、インドの発展について、個人的にも実感したことがありました。

 

現在、私はモザンビークで銀行を作ろうとしています。(参考:アフリカで、先進国の資本主義社会とは異なる、銀行のビジネスモデルを実現させる。

そして、銀行を作るには、まず「免許」と「お金」が必要です。

ですが、それだけでは銀行は創れません。もう1つ、実務的に重要なのが、システムです。

 

と言っても、実体はいわゆる帳簿なのですが、現代ではそれはコンピューターソフトウェアによって担保されています。

それがコアバンキングシステム、と言われているいわゆる勘定系のシステムです。

 

そして、この勘定系のシステムですが、一般的には、構築するにも、運用にも非常にコストがかかることで知られています。

たとえば、最近ではみずほ銀行のシステム統合がありましたが、投資額は4000億円に登るそうです。

みずほ銀行のシステム統合プロジェクト、投資額が4000億円台に膨らむ

みずほフィナンシャルグループ(FG)は2017年5月15日、決算会見後に開催した投資家向け説明会で、システム統合プロジェクトの総投資額が4000億円台半ばに膨らむ見通しであることを明らかにした。

品質確保のため、テスト工程を強化したことが主な要因だとし、「トラブルによるものではない」(みずほ銀行)という。

4000億円とは、巨額のお金です。

 

もちろん、うちはそんなお金はありません。

どうするかというと「モザンビークの銀行業」に興味を持つ出資者を探すわけです。

もちろん、出資者がコアバンキングシステムを構築可能な会社であれば尚良しです。

 

そこでまずコアバンキングシステムのパッケージで、かなりのシェアを持つソフトウェアベンダーに声をかけ、さらにその取引先の中で「銀行業」に興味を持ち、システム構築も可能な会社を紹介してもらいました。

その会社がインド発祥、現在はドバイにHQ(ヘッドクオーター)を置くJMRインフォテックというシステム会社です。

 

JMRは、600名体制で、世界30カ国以上で銀行システム構築の実績を持ちます。

9割以上の社員がインド人で構成されていますが、「世界で活躍」という表現は、このような会社にこそふさわしいのでしょう。

 

そして、彼らに聞いて驚いたのが

「日本」と「モザンビーク」とのシステムの価格差です。

全く同じシステムを発注しても、日本で構築するのとモザンビークで構築するのとでは、なんと価格に10倍以上の開きがあるのです。

 

確かに日本人の技術者の人件費は、インド人のそれと比べると高めではあります。

しかし、10倍は行き過ぎです。

つまり、日本の銀行は「システムに余計なコストを掛けすぎている」か、「ベンダーにボッタくられている」かのどちらかでしょう。

そのコストは、本質的には日本の銀行を利用する、日本国民が負担しているのです。

 

こういった状況を鑑みると、「日本の金融サービス」と「日本のシステムサービス」は、既にインドの会社に大きく遅れを取っていると言わざるを得ません。

残念ながら、これが現状なのです。

 

多くの地銀は、高コスト体質と、低収益で経営難といいます。

地銀の6割、9年後には本業で赤字 金融庁が試算

約10年後、全国の地方銀行の6割は貸し出しや投資信託の販売などの「本業」で赤字に転落する、という試算を金融庁がまとめた。人口減や日本銀行マイナス金利政策による厳しい経営環境を浮き彫りにした内容だ。金融庁は、経営統合を含めた持続可能な経営手法を早期に検討するように求めている。

(朝日新聞)

JMRのような会社が「地銀」をターゲットとし、日本市場にも攻め込んで来るのでしょうか。

それとも規制で地銀を守り、ますます日本は「ガラパゴス化」するのでしょうか。

 

私としては、ガラパゴス化は寂しい限りではありますが。

 

 

日本植物燃料株式会社コーポレートサイト

 


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知人の幼稚園で、「目標管理をやっている」と聞いた。

「先生も大変だね」というと知人は、

「違う、園児たちが目標管理をやっているんだよ」

という。

状況を詳しく聞いてみたところ、その幼稚園では、園児たちに「課題」が毎週与えられ、その課題をクリアするように求められるらしい。

 

例えば、朝の体操、洗顔、寝具を畳む、挨拶、一連の流れを全てこなして、一つの課題をクリア。

家で育てている、アサガオなどの草花への水やりをやって、もう一つの課題をクリア。

立ち歩かずに食事を終えると課題をクリア。

そんな感じである。

 

出される課題は毎週変わり、そのたびに1週間分の「シール」と「シール台帳」をもらう。

課題をクリアすれば自分でシールを貼ることができる。

 

これだけであれば、なんとなく「まあ、やっている所ありそうだよね。」と思う方もいるだろう。

「やらせる親が大変そう」と意見の方もいるかもしれない。

だが、この幼稚園が面白いのは「管理」が、園児たちの自主性に任せられている点だ。

 

まず、基本的に親は「どのような課題が出されたのか」を直接幼稚園から聞くことがない。子供が親に「こんな課題が出た」と報告することから、課題は始まる。

だから、子供が何も言わなければ、親は課題を無理にやらせることはできない。つまり、子どもたちは「自分で自分の目標の進捗を管理する」責任を負わされる。

 

また、毎日のことであるから、サボったり、うまく課題をクリアできないときもある。

だが、親はそれを強制してはいけないことになっている。

1週間のうち、サボった日、怠けた日はシールを貼ることができないので、結果的に「やらなかった」と子供が自分で幼稚園に申告する。

 

「できなかった」と申告するのが嫌であれば、自主的に課題をやる子もいるし、どうしても嫌ならやらなくて良い。

もちろん、課題をすべてクリアした子供は表彰される。

だが、やらなかったとしても、先生に責められることはない。単に「やりませんでした」と言うだけだ。

 

聞くと、課題によっては全くやらない子供もいるし、喜々として課せられている以上の事をやる子供もいる。

要するに、「目標による自己管理」を地で行く教育がなされていた。

 

私はこれに、思わず感心してしまった。

 

以前、慶応大学の中室牧子氏の著作、「学力の経済学」を読んだ時、同じような話が書いてあったからだ。

人生を成功に導くうえで重要だと考えられている非認知能力のひとつは「自制心」です。(中略)

最近の研究では、認知能力の改善には年齢的な閾値が存在しているが、非認知能力は成人後まで可鍛性のあるものも少なくないということがわかっています。では、非認知能力を鍛えて伸ばすためにはどうすればよいのでしょうか。

重要な非認知能力のひとつとしてご紹介した「自制心」は、「筋肉」のように鍛えるとよいと言われています。

筋肉を鍛えるときに重要なことは、継続と反復です。腹筋や腕立て伏せのように、自制心も、何かを繰り返し継続的に行うことで向上します。

たとえば、先生に「背筋を伸ばせ」と言われ続けて、それを忠実に実行した学生は成績の向上がみられたことを報告している研究があります。

もちろん、背筋を伸ばしたことが直接、成績に影響を与えたわけではありません。「背筋を伸ばす」のような意識しないとしづらいことを継続的に行ったことで、学生の自制心が鍛えられ、成績にもよい影響を及ぼしたのでしょう。

また、心理学の分野でも、「細かく計画を立て、記録し、達成度を自分で管理する」ことが自制心を鍛えるのに有効であると多数の研究で報告されています。

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実際、この幼稚園のカリキュラムは、自主的な目標達成を通じて、自制心を鍛えるようにプログラムされているのだと気づいた。

 

世の中には「習い事」を3つも4つも子供に掛け持ちさせ、英語やピアノ、算数など「スキル」に直結する能力を鍛えることに熱心な親が多いと聞く。

もちろん「スキル」も重要である。

だが、与えられた課題を自ら考え、工夫し、達成するという経験にまさる教育はない。

 

中室牧子氏によれば、4つの基本的なモラル(嘘をつかない、他人に親切にする、ルールを守る、勉強をする)について、しつけを親から受けた人物は、「年収が高くなる」という因果が存在する。

さらに、大阪大学の池田教授の研究では、子どものころに夏休みの宿題を休みの終わりのほうにやった人ほど、喫煙、ギャンブル、飲酒の習慣があり、借金もあって、太っている確率が高いことを明らかにしている。

宿題を先延ばしにするような自制心のない子どもは、大人になってからもいろいろなことを先延ばしにし、「明日からやろう」といっては結局禁煙できず、貯蓄もできず、ダイエットもできないというわけです。

前述した幼稚園のように幼少の頃から「非認知能力」を徹底して鍛えることは、非常に合理的なのだ。

 

 

 

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(Photo:Kenny Lam)

Let me tell you that a human being is not good with “logical thinking”.

 

Daniel Kahneman, who won the Nobel Prize in Economics, throws the following question.

Two premises and a conclusion. Try to determine, as quickly as you can, if the argument is logically valid.Does the conclusion follow from the premises?All roses are flowers. Some flowers fade quickly.Therefore, some roses fade quickly.

 

The answer is “No” without any doubt.

However, almost all people could answer “Yes”.

 

Kahneman says “a plausive answer comes to mind immediately”.

Overriding it requires hard work - the insistent idea that “it’s true, it’s true!” makes it difficult to check the logic, and most people do not take the trouble to think through the problem. (snip)When people believe a conclusion is true, they are also very likely to believe arguments that appear to support it, even when these arguments are unsound. 

 

Here is the important fact; “a human being isn’t good with “logical thinking”

 

You might see “a cautious person”, but he/she is just trying to be cautious.

Anybody has the human brain structure that struggles with logical thinking”.

 

I often meet a person who is good at his/her work, but lacks logical consistency.

For example, a competent manager who has a good intuition often has trouble explaining how he/she has come to the conclusion. People around the manger get confused by what he/she says because it doesn’t make any sense.

 

At the same time, we can gain “logical thinking skills” with training.

A manly person would say “I don’t need logical thinking”.

 

However, you would probably need logicality at various work situations.

 

Now let’s discuss how to gain it.

An example is a class of National Language.

 

You are given a question such as “Explain why the character took this action.”

This kind of question can be an exercise.

 

You answer this kind of questions again and again, saying “because it is…..”

Your answer will be marked good or bad, and you eventually learn whether it is logical or illogical.

That is the beginning of training.

 

The other exercise is “summarize what is the author wants to discuss.”

Many people fail to summarize articles, and write down what he/she thinks instead.

“Never guess what the author wants to claim. What’s not in the article is merely your opinion. Find the answer from the article.”

 

Your teacher of National Language would point out.

By the time you notice “it is a self-satisfied way of thinking…” you learn the difference between “other’s opinion” and “your opinion.

You probably get training at your college as well.

 

In my school days, my professor criticized my paper.

“Your paper doesn’t consist as academic writings. Your opinions, advanced researches and subjective data are all mixed up.”

 

You shouldn’t write this kind of paper on your own way. Academic writings require logical exposition. To make it clear, you can follow a typical structure.

 

It consists of the following;

1. Advanced researches (Facts)

2. Thesis and your hypothesis (Your opinion)

3. Experiments and the data of its result (Facts)

4. Conclusion (Your opinion)

You have to write those in order.

 

To gain the skills more, you can read many papers, follow the leaf of persuasive writing, and rewrite after your professor marks your paper. These training strengthen your writing skills and logical thinking skills after all.

 

“Logical thinking skills” are based on those simple training.

It is often said “school education isn’t practical”. Actually it has many ideas that help students to gain skills in real world.

“To write and think logically” is different from human intuition, and definitely requires a certain period of training. It’s not something you can gain quickly just because somebody tells you “you’re a working adult now. Be logical”.

 

Some “workshops” or “readings” are not good enough.

 

After all, if your subordinate or new team member is “illogical”, you have to give him/her training with patience, like school education.

 

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翻訳:ばばゆきこ

アメリカだけれど、スペイン語や中国語が飛び交うエリアで4年間ぐらい生活し、今は日本で山登りをしているか犬と遊んでいます。動物病院で犬のしつけ方教室を担当しています。

ブログ:いぬさん宛てのお手紙届きました。

 

 

よく私達は”人を殺してはいけません”と道徳の授業で教わる。では本当に、人は殺してはいけないのだろうか?

 

実は法律にはそういった類の事は書かれていない。人を殺したら罰則規定が下るだけで、その行動を禁止する条例はどこにも書かれていないのである。

 

これは死が我々の生活の一部に必然的に入り込むから制定された事に他ならない。

例えばだけど、車はある意味では存在していてば殺人を生み出す構造物だといっても過言ではなく、車はその利用の過程で必然的に事故を引き起こすリスクを発生させてしまう。

だから本当に人を殺す事が禁則事項に該当するとしたら、年間何千人もの人間が交通事故で死ぬリスクがある車なんて制度上存在が許されなくなってしまう。本当に殺人が絶対に駄目だとしたら、車は存在できない構造物なのである。

 

けどご存知のように、この地球上に車にのってはいけないという国はほとんど存在しない。

車が使われている、いま現在の状況は国家が車による交通事故がおきる事を暗に許容しているからに他ならない。

 

つまり車によって得られるメリットは、交通事故という人が死ぬデメリットを上回るというのが現在の世界的な認識であり、現代国家はある意味では”人が人を殺してしまう”事を仕方がない事だという風に織り込まれて設計されているのだ。

 

このように、道徳の授業で”悪”と教わるような行為も、しっかり考えていくと果たして本当に悪いものだとは到底いえないものがほとんどだという事に気がついていく。

 

では本当に悪い行為とは、一体何なのだろうか?それは”恨み”を生む仕組みにある。人を”恨まない”ような教えこそが、本当は道徳教育で教え込まれるべき事なのだ。

 

道徳は、人を攻撃するための免罪符ではない

人が人を殺す時、そこに恨みがあると私たちは納得する。30年間、様々な手法で嫌がらせを受けた人間が、恨みにより相手を殺したとしたら、殺人がいい事かどうかは置いといて、私たちは取りあえずその”動機”には納得する。

 

人が人を殺す時、基本的にはそこには恨みが介在する。

漫画をみていると、時々神の名のもとに異教徒を惨殺するタイプのキャラクターをみる事があるが、あれはそのキャラクターの中に”正義”があり、だからこそ”悪”を”憎む”が故に殺しているのである。

 

そもそもの話だけど、人に人を一方的に攻撃する権利は果たしてあるのだろうか?

正義という免罪符を勝手に作り上げて、異教徒を勝手に”憎み”、攻撃するだなんて、冷静に考えれば100%おかしいではないだろうか?

 

ここまで極端な例ではなくとも、実は私達も結構似たような事をよくやっている。

よく著名人の不倫や不正行為を不道徳だと糾弾するような人達がいるけども、あの行為に正当性は100%ない。そういうものは本来ならば当事者間だけで言い争われるべきことであり、他人が関わっていいようなものではない。

 

そもそも不倫が悪いことだという人がいるけども、本当に不倫は悪い行いなのだろうか?

では不倫の末に子供がうまれる事は果たして悪いことなのだろうか?不倫の末に生まれた子供は、生まれながらにして悪い存在なのだろうか?

 

仮に自分が不倫の末に生まれた存在だとしたら、自分の存在は悪なのだろうか?

当然だけど、そんな事はありえない。

子供に罪はないだろうし、まして他人がその子供の事を攻撃する権利なんて、絶対にない。

「そんなことはない、私は清廉潔白だ」という人間だってDNAを根本まで辿っていけば、祖先に不倫のような行為の末に生まれた人が1人ぐらいはいるだろう。

 

人の世の良きあり方を”道徳”というもので定義し、道徳を学べば間違いなど犯さないという人がいるがそれは真っ赤な嘘だ。

そういう人は自分の中で強固な価値観を築き上げられているからか、他人を平気で罵倒しているが、上に書いたように人の不倫といった世の中で不道徳とされる行為ですらそこにはなんら悪といえるような行為は内在していない。

 

いくら正しい道徳教育が尊い精神のあり方を問おうが、その教えが人を攻撃する大義名分となっている時点で、非常に幼い価値観だと言えよう。

道徳は、人を攻撃するための免罪符ではない。道徳が人を殺人にまで駆り立てる”恨み”を作る原因となっているとしたら、それこそが悪の元凶だと言われてもなんの申し立ても出来ないだろう。

 

人の愚かさを受け入れよう

僕の好きなライターの1人に小野美由紀さんという方がいるのだけど、彼女が書かれたエッセイの1つに不倫の子の胸のうちというものがある。

不倫の子の胸のうち

著名人の不倫のニュースが世を騒がせるたび、あーあ、またやってるよ、と不倫をした本人ではなく世間及びマスコミの方に対して飽き飽きした気持ちになる。

同時に、ざわりとした割り切れない気持ちが胸をかすめる。

なぜなら、私自身が不倫の子供であるからだ。

自分が不倫の末にできた子であることを知ったのは21歳で、実の父親に17年ぶりに再会した時だ。

それまでは、父と母はいろいろあって別れたんだろうな、くらいで、二人の関係にはさして疑問も持たずに生きてきた。

彼女がこの記事の中で、自分の父親に「なんで私をこの世に産み落としたのか」と聞く場面がある。

有料記事なので詳しくは書かないけど、彼がその時に答えた回答に僕は深く感動を覚えた。この記事はぜひ皆さんにも読んで欲しい。大変な名文である。

 

どんなに聖人君子ぶろうとしても、私たちは愚かな存在なのだ。そして愚かだからこそ、人間は醜く、また美しい存在なのだ。

人の愚かさを許そうではないか。私達も、またいうほど偉い存在ではないのだ。

 

我々は愚かな存在なのだ。他人の行いを賞罰できるような、偉い存在であるはずがない。自分の美意識にあわない他人の不道徳な行為をみても、安易に糾弾するような存在には成り下がるべきではない。

人は人。自分は自分、である。正しいも間違いもそこにはない。不倫報道が繰り返される今こそ、他人を罰する行為をつつしんでいけるようにありたい。

 

 

 

【プロフィール】

名称未設定1

高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

 

(Photo:burstingwithcolors)

ちょっと極論になるかも知れませんが。

 

以前いた会社で、新卒の面接担当になったことが割と頻繁にありました。前途あるキラキラした若者たちの人生を、自分のようなしょーもない大人が左右していいものなのか、あれこれ悩んだものです。

 

私は専門の人事担当ではありませんので、大体の場合、人事担当を含めた何人かで学生さんとお話します。

一番多かったパターンは、他部署のリーダーも含めた数名と、学生さん数名との間でグループ面接を行うというパターンでした。

 

その期間を通じて、特に企業側の面接スタンスについて、強く疑問に思ったことが二つあります。

「なんで皆、ボランティア経験だとかリーダー経験だとか、大学や院での勉強、研究と関係ないことを聞きたがるんだろう」

「なんで皆、大学で何を学んできたのかについて全然興味がないんだろう」

この二つです。

 

私の認識が間違っていなければ、大学とは最高学府であって、日本で最も純度の高い知の居城、どこよりも「学ぶ」ことが出来る場所である筈です。

そして、そんな場所を卒業してきた、あるいは卒業してくる予定の学生さんも、学び、研究することを本分としてきた筈であって、何かの専門分野に通じた、一種のエキスパートである筈なのです。

 

少なくとも私は、例えば経済学を専攻した学生さんに対して、経済学の話で太刀打ち出来る気が全くしません。心理学を専攻した学生さんに対して、心理学の話題で互角に話せる気が全くしません。

彼らは皆、「何か、自分が知らないことを知っている」それぞれの分野の専門家である筈ですし、そうでなければいけないと思うのです。

 

それなのに、少なくとも私がその時いた会社の面接担当の人たちは、例えば「サークルでのまとめ役の経験」であるとか、「ボランティアへの参加経験」であるとか、学業と関係ないことを話題に出してばっかりです。

ちょっと大学の研究の話を出したと思っても、さらっと「〇〇のテーマについて研究していました」くらいの内容を聞いて終わりでした。

 

その時の私の会社だけの話かというとそうでもなく。例えば就活の面接のノウハウ本とか、面接担当として面接に臨む前に目を通してみると、やっぱり「ボランティア経験」やら「リーダー経験」といったエピソードを用意しておきましょう、といったノウハウが目白押しです。

「ボランティア経験について聞かれたらこう答えよう」だとか、「リーダー適性をアピールするには」とか、そんなんばっかりです。

ノウハウ本というのは、当たり前ですが様々な企業に通じる一般的な対策として書かれています。

つまり、日本の多くの企業は、一般的に「大学で学んできた、研究してきたこと」以上に「リーダー経験」やら「ボランティア経験」といったものを重視している、ということを表しているのだと思います。

 

何故なんだ。

 

いや、勿論理屈は分からないでもないんです。

企業としては、自社の仕事に直接役立つわけでもない(場合にもよりますが)学生の経験よりも、リーダー適性、コミュニケーション能力、公共の奉仕精神みたいなものを見たいということなのでしょう。

 

そのインジケーターとして、リーダー経験やらボランティア経験というもってまわった話題が正しいのかどうかは分かりませんが、まあ一つの指標ではあるのでしょう。

企業のニーズを捉えて、学生の側でもそういった経験を積もうとする、という向きも当然あるのだと思います。

 

けど、それ、正しいんでしょうか。

それってつまり、企業が学生に向けて、

「お前らの勉強、研究なんて大して重要ではない、大した価値はない」

「お前らの学業なんて社会に出てから役には立たない」

というメッセージを、まさに出しているということにはならないでしょうか?

 

「リーダー経験」だとか「コミュニケーション能力」だとか、自分たちにとって分かりやすい話だけを面接で捉えようとするのは、社会と大学の断絶を企業自らが作ろうとしている、ということにはならないでしょうか。

大学教育の質について問題になることは頻繁にあります。

研究費の話だとか、学生の質についての話だとか、「教育困難大学」なんて新たな言葉だとか、社会が「大学大丈夫か?」という不安を抱えていることは間違いないと思います。

 

けど、それならばまず第一に、社会がもっと「大学での勉強って大事だよね」というメッセージを出すべきなのではないでしょうか。

「君たちがやってる研究、大事」というメッセージを発さないで、ただ「おい大学、もっとしっかりしろ!!」とだけ言うばかりで、何か効果はあるのでしょうか。

そして、社会の大きな構成単位である企業は、誰よりもまず、「君たちの学びは大事なものなんだ」「その話を聞かせてくれ」というメッセージを、学生に向かって発するべきなんじゃないでしょうか?

 

リーダー適性、大事ですよ。コミュニケーション能力、重要です。そりゃそうです。

 

けど、それは本来、大学でまず勉強、研究をしてきた大学生たちにとって、真っ先に聞くべき内容ではない。

リーダー適性なんて、それこそ業務の経験を積んで、実際の経験の中で磨いて、身に着けていくべきものでしょう。

学生が何を、どこまで、どうやって学んできたか。それは、それこそ社会に出てから不断に続く、必須事項である「学び続けること」に対する適性を、そのまま表すインジケーターでもある筈です。

企業の実利だけを考えたって、「学生の学んできたこと」を確認するのは重要である筈なんです。

 

そして何より、企業が大学という「学府」に敬意を払うことが、何より教育の価値を上げる社会貢献になり得るのではないかなあ、と。

企業は、「リーダー経験」「ボランティア経験」なんて聞くべきではない。「大学での学び」について聞くべきだ。

 

私はそんな風に考えるのです。

 

個人的な話をすれば、私は「自分が知らない専門分野」についての話を聞くことが好きです。

私の学生時代の専門分野は、奈良・平安時代の文書の研究という大変にマニアックなものであって、巻物はたくさん触れましたが他研究室とは完全に没交渉でした。

正直他の分野についての一般的な知識は皆無に等しいです。

ですから、他の面接担当に怪訝そうな顔をされながらも、色んな学生さんに、色んな勉強、色んな研究の話を聞きました。正直、「しんざきさん、ああいう話って役に立つの?」とまで聞かれたこともありましたが、まあそれは別にいいんです。知ったこっちゃないです。

 

学生さんからは色んな話を聞けました。自分が知らない専門分野の話は、それが何であれ私にとっては大抵面白いです。

とても面白い話もあれば、あんまり身を入れて勉強をしていなかったんだろうなーと思うこともありました。それはそれで、人それぞれでいいのだと思います。

私は何よりも、「あなたたちがやってきたのは大事なことなんだよ」ということを伝えたかったのです。

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

 

(Photo:Kevin Dooley

ネットでの相談が目に飛び込んできた。

私は正社員になりたくて就職活動をしています。

就職活動を1年間してきましたが、事務の内定を取れません。

このままだとまずいということはわかっているのですが、最近では、就職活動を頑張る気が起きません。もうやめたいとすら思ってしまいます。

非正規雇用で働いていたばかりに悲惨な現状にあるという話は、ネットにいくらでも転がっていますね。それを見ると20代のうちに正社員にならないといけないと思うのですが、やる気が出なくて困っています。

厳しい言葉でもいいので、どうすべきか教えてください。

もし本当のことであれば、相談者のことをとても気の毒に思う。

 

だが、気の毒に思うのは「内定を取れない」ことに対してではない。1年以上も同じことを繰り返して、「前提を疑うこと」ができなくなっていることにである。

 

例えば、あるIT業の会社での話だ。

受託開発をしていた彼らは納期遅延と、長時間労働で苦しんでいた。現場の技術者たちは、必死の努力をしていたが、思うように状況は改善されない。

経営陣や現場にヒアリングをかけると、

「生産性向上が必要だ」

「見積もりの精度を高めなければならない」

「スキル向上で効率よく開発を」

「ツールを導入したい」

と、様々な改善策があがってきたが、どれも時間がなく、一向に改善は進んでいなかった。

 

しかし、ある「前提」については、誰も疑いを持っていなかった。

それは何か。

「売上目標」を達成しなければならない、という前提である。

 

売上目標を達成するには、営業がかなりの努力をして、仕事をとってこなければならない。

しかし、目標は「成長」という名目で、それなりに厳しい数字に設定されている。

したがって、

売上目標が高い ⇒ 営業が無理をしてでも仕事を取ってくる ⇒ 現場に負担がかかりプロジェクトが遅延する ⇒ 売上目標の達成が厳しくなる ⇒ 更に営業が無理をする

という、フィードバックループに陥っていたのである。

 

そこで、経営者に「売上目標はどのように立てているのですか?」と聞いた。

すると、「前年の数字に、成長目標をプラスして目標を作っています」と回答した。

「なぜ、成長目標をプラスするのですか?」と聞くと、「全員の給料を上げなければならないし、利益も出さなくてはならない。」という。

 

だが、

「本当に全員の給料を上げなければならないか」

「利益額は今の水準が適切なのか」

「大幅な成長が必要なのか」

については、細かな検証は誰も行っていなかった。

 

敢えて言えば、「何となくこれくらいは成長が必要」という思い込みによる目標である。

だが目標値を下げることで、現場の負担のみならず品質的な改善も成し遂げることが可能かもしれない。

 

現場の負荷を下げなければ、新しい試みはできないし、そもそも「永遠の成長」はありえない。

「前提」を疑うことで解決可能な問題は、極めて多いのである。

 

 

「前提条件」という言葉がある。

その定義は、PMBOKガイドによれば、

「計画を立てるにあたって、証拠や実証なしに真実、現実、あるいは確実とみなした要因。」

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とある。

 

この「前提条件」を疑うことは、非常に強力なツールであり、例えばディベートで勝つ時にも有効である。

相手が「出発点」としている前提、仮定を攻撃することで、その後の論理を全て無にできるからだ。

 

これは、自問自答する時にも極めて有効だ。

「私はどんな前提に囚われているのか?」と言う問いを、自分に向けるのである。

 

冒頭の相談者であれば、おそらく前提としている条件はちょっと見る限りだけでも、3つある。

・事務仕事に就かなければならない

・20代のうちに正社員にならなければならない

・就活は頑張らなくてはならない

 

これは

「過労に陥っているのに、会社をやめることができない人」や

「ブラック企業で酷使されてしまう人」にも

同じことが言える。

「つらいならやめればいい」という言葉が、本当に辛い人に届かないのは、前提を疑うことにはエネルギーをつかうため、それができない状態になっているからである。

前提とは、すなわち公理である。公理が間違っていれば、間違った結論にしかたどり着かない。

 

 

逆に言えば、「物事がうまくいかないときは、前提をうたがうべき」という癖付けがされている人は非常に強い。

そういう人は、問題解決能力が高く、時として偉大な発見に至ることもある。

 

デカルトは真理を追求するために「間違った前提」から推論を出発することを怖れ、「絶対に疑うことのできないもの」を探した。

そして、彼は「今ここにいる私が疑っている、という事実」から、推論を出発したのである。

それが、「我思う故に我あり」という言葉だ。

 

アインシュタインは、古典力学で検証なく受け入れられてきた「時間の流れは不変」「光速度は可変」という前提を疑うことで、相対性理論を構築した。

 

このように、世界の捉え方、人生の見方を変えるには、「公理」、すなわち「自らが検証なく受け入れている真実」を疑わなくてはならないのである。

 

 

 

【お知らせ】

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・「「仕事ができるやつ」になる最短の道」のオーディオブックもできました

 

(Photo:d26b73)

日本人のうち、箸が使いこなせない人の割合はかなり少ない。

箸は、様々な動きに対応できる優れた食器だが、指先の力加減が難しい。

2〜3歳の頃の記憶が残っている人は、習熟するのにかなり時間がかかったことを思い出せるんじゃないだろうか。慣れていない人にとって、箸を使いこなすのは苦痛ですらある。

 

箸以外にも、修練が必要とされる道具は色々ある。自転車然り、キーボード然り、フライパン然り。どれも、マスターしてしまえば手足のように使いこなせるが、それまでは失敗しやすく、自然な感じなど望むべくもない。

これらの道具は、失敗も経験しながら根気良く付き合っていくうちに、ようやく自然な感覚を身につけられるものだ。

 

コミュニケーションは常に修練されている

同じことをコミュニケーションの分野で考えてみよう。

たとえば、趣味のサークル内の男女の会話や、会社の先輩と後輩のやりとり。

 

さすがに会話できないという人はいなくて、みんな、ある程度はこなせている。

けれどもコミュニケーションというやつは、話し言葉の内容だけでなく、ボディランゲージ、視線の取り扱い、空気の読み具合などの加減が意外と難しい。

コミュニケーションの作法を勘違いして失敗した経験も、誰しも一つや二つはあるんじゃないだろうか。大人と呼ばれる年齢になってさえ、コミュニケーションにまつわる悩みは尽きない。

 

幸い、コミュニケーションは子ども時代から間断なく行われているし、【家族関係】→【保育園や近所】→【小学校】→【中学校】といった具合に、修練のフィールドが少しずつ広がっていくため、大半の人は、何らかのかたちでノウハウを身につけることが出来る。

つまりコミュニケーションの修練は、ほとんど全ての人に、小さい頃から半強制的に課せられ続けるので、特別に意識しなくてもある程度までは勝手にノウハウが蓄積されていく。

 

しかし、極端にコミュニケーションから遠ざかっていた人達が示しているように、この修練を怠り過ぎると、日常的なやりとりにさえ支障をきたすようになってしまう。

普段、あまりにもコミュニケーションに囲まれて生活しているので気付きにくいが、私達は、日々のやりとりのなかで絶えずコミュニケーションを修練され続けている。

数年間引きこもっていた人の経験談によると、数年ぶりのコミュニケーションには、かなりの困難や苦痛を自覚したという。

 

男女交際も、ノウハウ蓄積がなければ難しいのでは?

この話の延長線上として考えると、“まっとうな男女交際”や“こなれた男女交際”といったものも、それなりに修練やノウハウ蓄積を重ねていなければ難しいんじゃないだろうか。

 

中学生には中学生の恋が、高校生には高校生の恋が、大学生には大学生の恋があるだろう。

若くて修練が少ないうちは、露骨な自分本位に傾きやすいかもしれないし、エゴと正義感を混同しやすいかもしれない。

デートに際してのエチケットや感情面での機敏といったものも、ノウハウ蓄積が乏しい年頃には望むべくもない。

 

むろん、例外的素養を持った人がいないわけではない。

しかし大抵の人の場合、“パートナーの意志を尊重しながらの対等な男女交際”に辿り着くだけでもかなり大変で、それなりの修練やノウハウ蓄積を必要とするんじゃないだろうか、とも思う。

試行錯誤と幾らかの苦い経験、そして経験や修練を教訓へと生かすことも無しに、“パートナーの意志を尊重しながらの対等な男女交際”や、いわゆる“大人らしい男女交際”といった境地に到達できるものなんだろうか? 難しそうだなぁと思わざるを得ない。

 

ところが、箸やコミュニケーションがほとんど“義務教育的に”修練が課せられるのに対して、男女交際にはそのような“義務教育”的に修練する機会が無い。

思春期が始まっても、全員が一律に男女交際のノウハウを蓄積しはじめるわけではなく、自主的に男女交際にエネルギーを差し向けた人だけが、ノウハウを蓄積していく。

 

スポーツや学問に一生懸命にのめりこんだ人は、男女交際に関してはまったく経験蓄積しないかもしれず、もちろんそれはそれで思春期のあり方として間違ってもいるとも思えない。

だというのに、箸やコミュニケーションと同じく、男女交際のノウハウもまた「この年齢ならこれぐらい出来て当然」と期待されてしまうのだ。

 

たとえば、いい歳した社会人が高校生のように振る舞えば、ドン引きされてしまうのは避けられない。男性も女性も、年齢とのギャップが激しい振る舞いは歓迎されない。

「学生生活の大半をスポーツや学問に打ち込んで過ごしていたんです」などと弁明してみたところで、異性が納得してくれるわけもなく、ただシビアに「この年齢なら、これぐらいできて当然だよね」と期待されるばかりである。

年齢相応のノウハウを欠いていればいるほど、赤い糸を手繰り寄せるのに苦労する羽目になる。

 

思春期における男女交際は、箸やコミュニケーションほど義務的なものではなく、やりたい人だけがノウハウを蓄積する、いわば選択科目のようなものだと思う。

にも関わらず、異性から期待される際には、あたかも必須科目ごとく「この年齢ならこれぐらいできて当然だよね」などと期待されてしまう。厄介としか言いようがない。

 

かと言って、必須科目・義務教育的に「男女交際を義務付ける」なんてことは出来そうにないし、そもそも誰かに惚れたわけでもないのに「修練のために、とりあえず付き合う」とか「教育機関が推奨する男女交際」とかいうのも間違っている気がする。

 

このあたり、結局、なるようにしかならないんだろうけれど、だとしたら、男女交際が流行らなくなっていくのも無理もないことだなぁ、と思わざるを得ない。

 

 

――『シロクマの屑籠』セレクション(2009年9月21日投稿) より

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)など。

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twitter:@twit_shirokuma   ブログ:『シロクマの屑籠』

熊代亨のアイコン 3

 

 (Photo:Geoff Livingston

2017年7月29日に『ドラゴンクエスト』シリーズの新作、『ドラゴンクエスト11』が、ニンテンドー3DSとプレイステーション4で発売されました。

 

『ドラクエ10』は、オンラインゲームだったので例外とすると、『ドラゴンクエスト9』がニンテンドーDSで発売されたのが20097月ですから、8年ぶりの非オンラインの『ドラクエ』なんですね。

僕は悩んだ末に、ニンテンドー3DSのダウンロード版とPS4のパッケージ版を両方購入しました。

昔ほど発売日に購入するのが困難ではなくなったし、いざとなれば、ダウンロード版を買えば店に在庫がなくても遊べる。

 

それでも、東京の一部の店ではちょっとした行列ができていたそうです。

『ドラゴンクエスト3』のときは、『ドラクエ行列』がテレビのニュースやワイドショーで紹介されていて、「ファミコンのゲームがテレビで採りあげられるなんて!」と、驚いたのを思い出します。

いまでは、iPhoneの新機種や新型ゲーム機の発売日の様子がトップニュースになることも珍しくないんですけどね。

 

現時点では、主にPS4版で遊んでいるのですが、据え置き機で『ドラクエ』をやるのは久しぶりだな、と思っていたら、PS2の『8』は、2004年発売で、もう干支がひとまわりしているわけで、そりゃ懐かしく感じるよなあ。

 

 

『ドラゴンクエスト11』で遊んでいると、懐かしさと同時に「安心感」があるのです。ああ、これは他の人と「競争」しなくても良いゲームなんだ、って。

 

去年の夏は『ポケモンGO』一色で、最近はニンテンドースイッチの『スプラトゥーン2』が大人気になっています。

これらは、基本的にネットワークを介して遊ぶゲームなのです。

『ポケモンGO』は、プレイヤーの側に「移動すること」を求める特異なゲーム性ではありますが。

 

僕は去年『ポケモンGO』を息子とやっていて、こうして子どもと散歩できるのは嬉しいなあ、と感じていました。

ただ、それと同時に、ネットでの『ポケモンGO』の話題があまりにヒートアップし、多くの人がすごいスピードで情報サイトや攻略サイトをつくったり、ブログで話題にしていることに、「自分で攻略する楽しみが奪われている」ような気もしていたのです。

 

そんなのお前がそういう情報を遮断すればいい、という話なのですが、あるとやっぱり見てしまうし、世の中には、もうこんなにすごいレベルに達している人がいるのか、もう、ここまでわかってしまっているのか、と思うと、なんとなく「そのコンテンツがすでに消費され尽くしてしまったような気がして、やる気が失せてしまう」のです。

僕の場合、もうこんなに強くなっているのか、というプレイヤーに頻繁に遭遇すると、もう追いつけないな、と向上心が萎えてしまいます。

 

ネットワークを介するゲームというのは、「他者と勝負する」ものがほとんどなのだけれど、攻略サイトや動画配信がお金になる時代になることによって、あまりにも早く情報が出回り、それを徹底的に利用する人、やる気と時間がある人と、そうでない人の格差が大きくなってきているのです。

ネットは、コンテンツの流行のスピードを早く、規模を大きくしたけれど、それを消費し尽くしてしまうまでの時間を、かなり短くしてしまったように思われます。

 

 

『ドラゴンクエスト11』も、すでにけっこう攻略動画が出ているみたいですが、現時点では、まだ攻略サイトにお世話になるような難関には遭遇していませんし、他者と競争するような状況もなさそうなので、マイペースで遊べています。

スタンドアローンのゲームが絶滅したわけではなくて、最近では、『ファイナルファンタジー15』なども、他者を気にしなくても遊べるゲームだったんですけどね。

 

ゲーム会社の収益を考えると、一部の大ヒットしている課金性のソーシャルゲームというのは莫大な利益をあげていて、それはもう、非オンラインの買い切りゲームでは太刀打ちできないレベルの金額になっています。

そのかわり、人気のソーシャルゲームは、常にユーザーの動向をチェックしてゲームバランスに微調整を加えたり、人気マンガとコラボレーションをしたりと、シンプルなゲーム性にもかかわらず、大きな投資もしているのです。

最近のiPhoneアプリの人気ランキングの顔ぶれをみていると、新しく参入したソーシャルゲームが人気を得るのは、かなり難しくなっているようです。

 

僕は、まだネットを自分では使えない環境の長男が少し古いゲームで楽しそうに遊んでいるのをみて、ちょっと羨ましくもなるのです。

「ゲーム攻略動画」に夢中になっているので、「自分で遊んだほうが楽しいんじゃない?」と言った際に、「いや、見ているほうが楽しいよ」と答えられたときには、時代の変化を感じずにはいられませんでしたが。

実際、僕にとっても、テレビゲームというのは、自分で攻略するには、時間がかかりすぎる趣味になってはいるんですよね。

かかる費用と遊べる時間を考えると、コストパフォーマンスはものすごく高いのだけれど。

 

 誰がやっても同じような経過をたどるゲームなら、動画を見れば十分なのかな、とも思います。動画なら、ネットをやりながらとか、ちょっとした他の用事をこなしながらでも観られるし。

そう言いつつも、攻略サイトに「そんなに速く消費し尽くさないでくれ」なんて思うのは矛盾しているのだけれど。

 

 今回の『ドラゴンクエスト11』って、スタンドアローンの非ネットワークゲームの最後の輝きになるのか、それとも、「他人を気にしなくていいゲーム」の復権のきっかけになるのだろうか。

SNSにも同じことが言えるのですが、見知らぬ他者と繋がりたい、という欲求があったはずなのに、繋がれるようになってしまうと、そのリスクやめんどくささに辟易してしまうというのが、人間というものなのでしょうね。

こういうのは「個人差」が大きい。

それでも、ネットはもう無かったことにはできないし、他者と繋がらずには生きていけない時代であることは確かです。

 

 

 

【著者プロフィール】

著者;fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ;琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

Twitter:@fujipon2

The book, “The Skills of Communication” is selling well. Communication is an extremely important skill at work, but at the same time, hard to define. Many people worry about it, and try to improve speaking skills first, in order to improve communication skills.

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Actually, “speaking” accounts for a large percentage of communication. Probably at 90 percent of communication, people are talking.

 

However, I have to say that “speaking” isn’t efficient. When you speak to someone about an important issue, it probably doesn’t come through well.

You must have seen “a person forgets most things in 3 days”.

It is not you had a bad luck, but it is a human nature.

 

Human beings forget things because we have limited capability of “listening”. Human brain is like “working memory” of a computer. It is not good at processing complicated or many things in a short period. When a person listens to many things at once, he/she might not understand even with careful attention and with taking notes.

Without understanding, it’s easy for a person to forget things.

 

When you want to inform something, “speaking only” is a bad idea.

If you’re saying “I said it before”, I would say that you are not taking responsibility as a speaker.

 

Is there a better way than “to speak”? I suggest you to write. Visual media such as written documents or pictures is very effective communication because a receiver can see it repeatedly.

 

Writing benefits “a speaker” as well.

I sometimes see a person who talks without knowing what he/she is talking about. He/she has trouble with organizing. By writing, he/she would organize “conclusion”, “reasons”, and “examples”. As a result, the receiver would understand the information better.

 

So prepare “written” documents or pictures to show when you “speak”.

 

Visual aids also help you when you are a learner. When you’re learning complicated things, “just listening” isn’t efficient. You probably want to use a written record such as books to read again and again until you understand.

 

Sounds familiar? Yes, it is pretty common regarding communication.

So I will tell you more. If you’d like to inform something more efficiently, I’d recommend “making”.

 

I’m going to tell you what to “make”.

Say, “a tool”, “a manual”, or “software”.

An example is this product, “Edison’s Chopsticks”. You’ll see it below.

 

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When you teach a kid how to use chopsticks, a tool is much more efficient than explaining how, or handing a document. You don’t need to explain, but just have the kid use the tool to hold chopsticks in a better way.

 

Another example is a notebook called “Franklin Planer”.

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“Franklin Planer” is promoted as a tool to “improve user’s planning skills”.

You could use this planner rather than to read many books in order to learn planning skills.

 

 

A tool is also helpful to tell someone about an abstract concept such as “way of thinking”. In that case, a movie, a film or software helps.

Here is an example. It is difficult to explain “terror of computers”. However, if you show a kid “Space Odyssey 2001”, he/she will understand it right away.

 

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To communicate with someone is a definitely difficult task.

You might want to use “a tool” or show “a product” besides “speaking” or “writing”.

 

 


翻訳:ばばゆきこ

アメリカだけれど、スペイン語や中国語が飛び交うエリアで4年間ぐらい生活し、今は日本で山登りをしているか犬と遊んでいます。動物病院で犬のしつけ方教室を担当しています。

ブログ:いぬさん宛てのお手紙届きました。

 

(Photo:Werkheim

かつて非常に厳しい上司の元で仕事をする機会に恵まれた事がある。

その人の仕事のスタイルは口頭でガンガンと指示を出し続けていくというもので、一度言った事を聞き返す事は許されず、出された指示はその後全て迅速に遂行せねばならなかった。

 

今思い返してみても、出される指示は新人にはかなりキャパオーバーだった。仕事に不慣れだった事と、指示の量があまりにも多すぎた事から、僕は時々抜けを作ってしまったりしていた。

 

その上司は、一日の終りにその日に行った全ての仕事を振り返るという仕事スタイルを採用していた。

恐らく、自分の出した指示がキチンと遂行されているかどうかをチェックするのが目的だったと思うのだけど、1つでも抜けがあるとそれはもう烈火の如く怒り狂うような人であった。

「なんでいつまでたっても出来ないんだ」

「脳みそついてる?」

「はぁ・・・。なんでこんなのがうちに採用されたんだろ」

 

上記はその上司から僕にぶつけられた言葉を、かなりマイルドに書き直したものだ。

カンファ中に繰り出された罵詈雑言は、今思うと立派にパワハラに該当するような凄い言葉のオンパレードだったと思う。

 

前職就任時は

「ミスをしたのはこちらなのだから、怒られるのは仕方がない事だ」と思い、甘んじてその言葉を受け入れていた。

こちらは仕事を教えてもらっている身なのだ。これも愛あるムチなのだろう。そう思っていた。

 

ある時、その上司がちょっとしたミスをした事があった。本当にたまたまなのだけど、チームの中だけで僕だけがそのミスに気が付き、それをカバーできた。

「ふう、やれやれ。これで給料泥棒と言われないですむかな」

こんな思いつつ以下のような事を考えていた。

「あんなに他人のミスに厳しいこの人は、自分のミスには一体どういう風な落とし前をつけるのだろうか?」

その日の振り返りカンファレンスにて、仕事を報告する際、この事について報告した際の上司の反応は以下のようなものだった。

 

「そうですか」

 

これでおしまいである。

別に僕はその上司に罵詈雑言を浴びせたいとかそういう気持ちはなかった。けど、自分が普段食らっていた対応と比較して、対応があまりにも軽すぎる事に、物凄く違和感を覚えたのを今でもよく覚えている。

 

あんなに僕を様々な言葉で罵倒したのだから、自分のしたミスにもキチンと落とし前ぐらいつけるのかと思っていたのだけど、そんな事は全然なかった。寝土下座ぐらいはするものかと思っていたのだけど。

そしてこの事はサクッと流され、次の日もまた僕が罵倒される日々が続いていったのである。

 

ミスを理由に人を叱責するのはいじめっ子のロジックである

その後、別の職場に移る事になった。

その職場には、僕のミスを理由に個人の人格攻撃を行うような人は1人もいなかった。

 

ミスはミスとしてキチンとその事実は指摘するのだけど、あくまでそれは業務上の改善すべき点としてであり、少なくともミスを突破口にして「お前が悪い→だから怒られて当然」というロジックを用いる人は皆無だった。

 

しばらくした後、その職場の上司と酒をのむ機会に恵まれ前職時代の話をする事になった。実は上司も僕と似たような経験をした事があるようで、彼は笑いつつもこのような話をしてくれた。

「ミスを理由に人を叱責するような人間は、いじめっ子みたいなものなんだよ」

「いじめっ子は様々な難癖をつけて、いじめられっ子はいじめられて当然という風な風潮に持っていきたがる」

 

「確かに、いじめられる子にもある程度のいじめられてしまう素因があるのは事実だとは思う。けど、そもそもイジメ自体が悪い行いだという事を、いじめっ子は絶対に認めない。

その事実は巧妙に隠して、いじめられっ子にいじめられてしまう原因があるという風なロジックに持ち込み、イジメを正当化してしまう」

「仕事上でのミスも似たようなものだ。そもそも人間は完璧ではないのだから、仕事上でミスなんて絶対におきる。ミスは業務遂行における改善すべきポイントの1つでしかないし、そもそもそれを理由に他人を叱責するような性質のものでは絶対にない」

「だからミスをした人は怒られて当然だ、というロジックは実は全然正しくない。まあいつまでたってもそんな事をしている人は、ちょっと幼稚すぎるよね」

 

これを聞いて、僕は目からウロコが落ちるような思いをした。今後は、出来る限り部下のミスについてはこの上司のスタンスで付き合っていくようにしようと固く心に誓ったのである。

 

組織をコントロールする方法は、主に恐怖か忠誠心のどちらかを用いる必要がある

今考えると、たぶん前職の上司はかつて自分が行われた行為を、そのまま自分の部下に行っていたのだと思う。考えてみるとあの職場には鬼のように他人のミスに厳しい人が随分といた。

 

組織をコントロールする方法は、主に恐怖か忠誠心のどちらかを用いる必要がある。恐怖型のマネジメントは、忠誠心と比較して構築が非常に容易だしスピーディだ。

 

「お前が悪い→だから怒られて当然」という空気が職場にできるようになると、人はミスを指摘されないよう自己防御的に非常に細かくなっていく。

まあ細かくなれるのは仕事ができる人だけで、仕事ができない人はそんな事をする余裕もなく心を病んで勝手に職場を脱落していくのだけど。

 

考えてみるとあのウルトラハイパー激務病院において、忠誠心を育てるようなマネジメントを行うのは困難だったのかもしれない。

短期間で仕事ができる人間を育成する為には、教育ではなく選別のような作業が合理的だ。だから忠誠心型ではなく、恐怖型のマネジメントが横行していたのだろう。

 

人をキチンと教育するような暇もない超ウルトラハイパー病院では、即席でいっぱしの企業戦士を育てあげるのには恐怖型のマネジメントを徹底するのが最適解だったのだ。

 

弁護するわけではないが、恐怖型のマネジメントも、短期間ならば一度ぐらい体験するのもそう悪いものではないとは思う。

振り返ってみれば仕事は割と細かくチェックできるようになれたなと思うし、どういう所に人が付け込まれがちになるのかが、実体験として理解できるようになったから。

 

ただまあ、あの空間は長期間生存するような場所ではないな、とはやっぱり思う。10年先を見越して組織を運営するとしたら、恐怖型のマネジメントはあまり合理的な方式ではないだろう。

 

人のミスに対する振る舞い方を見直そう

あなたも人のミスに厳しくなってしまったりする事はないだろうか?

ミスした→だから怒られて当然、のロジックは上記の通り、あまり褒められたものではない。

 

ミスは単なる改善点にとどめておくべきもので、それを理由に他人にマウンティングをかます材料にするのは、人間関係の構築には非常に毒である。

繰り返しになるが、それはいじめっ子の理論であり、あまり人として褒められたおこないではない。

 

長期的にものを考えれば、ミスはオープンな場で議論されるべきものだろう。ミスを理由に、人を攻撃する糸口にしてしまっては、職場の雰囲気はギスギスするし、ミスが隠蔽されて後々に大きな問題に繋がってしまう事も多々ある。

 

今現在、飛行機が極めて安全な乗り物へとなれたのは、人が行ったミスについての責任が個人には問われず、組織として徹底的に改善していったからに他ならない。

これを徹底したからこそ、開発当初は墜落を頻繁に繰り返していた飛行機も、いまでは3000万回に1回程度しか墜落しなくなったのである。

 

「罪を憎んでも人を憎まず」である。聖書にも論語にも書かれているこの言葉だけど、一度しっかりと吟味してみてはいかがだろうか。

 

 

【プロフィール】

名称未設定1

高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

 

(Photo:SurprisePally)

 

こんにちは。CourieMate(クーリエメイト)の伊藤と申します。

私はアフリカのウガンダという国で、バイク便の事業を営んでおります。

前職はアクセンチュアでコンサルタントをしていたのですが、何年か悩んだ挙句、「アフリカから世界を変えたい。」という思いに素直に従い、4年ほど前にアフリカのウガンダで起業をしました。

 

「ウガンダ」という国名を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。年配の方は「人食い大統領」と言われたアミン大統領で名前を聞いた事があるかもしれません。

ケニヤの西方、ルワンダの北東に位置した、国全体がスローライフな農業国です。

首都のカンパラは、アフリカで最も大きな湖、ビクトリア湖の北方にあり、緑豊かな街です。ウガンダはアフリカの中では降水量も多く緑豊かで『Pearl of Africa(アフリカの真珠)』と呼ばれています。

 

人口は約160万人で、赤道直下ですが、標高が1190メートルと高いため、一年中を通して日本の春や秋の気候であり、とても過ごしやすいです。

お陰で、素晴らしい景色が臨めます。

治安も隣国に比べると安定しており、気を付ければ夜間でも外に出歩く事ができます。

とはいえ、もちろん、日本のような治安は望めません。外務省のページでは現在、カンパラ付近は「危険を避けるため、特別な注意が必要です」と書かれておりますし、ナイフによる窃盗や強盗は頻繁にあるので、初めて来られる方は注意が必要です。

 

さて、私は前述したようにこのカンパラで、2014年に起業していくつかの商売を経て、20163月からバイク便をはじめました。

なぜバイク便かと言えば、3つほどの理由があります。

1.近年の急速な経済発展、世界トップクラスの人口成長の中、物流インフラの発展がビジネスチャンスになる事

2.未成熟な市場から、アフリカ発の持続可能な新たなプラットフォームを構築し、世界に展開できる可能性がある事

3.隣国ケニアなどと比べ、外資大手の参入が少なく、個人の比較的少額の投資でも市場に参入でき、色々と試行錯誤が出来る事。

 

バイク便のような小口の配送では、バイク1台+ドライバーというセットなため、初期投資も少なくすみます。(その分参入障壁は低いです。)

しかし、商売というものはやってみなければわかりませんし、「想定外」な事ばかりです。

特に、日本と全く異なる国民性と文化を持つウガンダでは、想像もつかなかったような出来事が日々次々と起こります。

 

“住所”がない

発展途上国で商売をしてみると、つくづく日本という国はインフラが整っているな、と感じます。

例えば、何気なく使っている「住所」ですが、これは「住所システム」という巨大なインフラであることは、案外意識しないものです。

 

ところが、多くの途上国と同じように、ウガンダではこの「住所システム」というインフラが存在していません。

首都カンパラでは、主要な通りのストリート名(道路名)は存在するのですが、道路の長さが数百メートルに及ぶと、そのどこに位置するのか特定できません。

また、ストリート名(道路名)の「通称」と正式名称が異なっており、Google Mapなどを使っても、正式名称では全く別の地点を指す事もあります。

 

田舎においては、道路名すらなく、20キロメートル四方の地域が一つの『地名』になっている事もあります。

日本の例でいうと、宅配便の伝票で書かれた住所が、「東京都八王子市」まではわかるけれど、「八王子」のどこにあるのかわからない……といったイメージです。

そのため、宅配サービスを提供する我々にとって、お客様のご自宅まで届けるのは一苦労になります。

 

では、住所の存在しない国で、どのように物を届けるか。

先人の方々が様々な工夫をしていますが、まだ確立された方法はありません。試行錯誤しています。

そんな中、我々は原始的ですが、荷物を届ける前にかならず電話を入れ、建物やスーパーなどのランドマークを確認し、それを元に荷物を届けています。

 

政府機関や大企業などを除き、事前に電話をせずに荷物を届けるのは、かなり困難です。

ですから、僻地の田舎によっては電話がつながらない地域もありますが、そのような地域では、玄関先までの宅配は非常に難しくなります。(よくあるパターンは、村の中心部での受け渡しです。)

 

また、ウガンダではクレジットカードは普及しておらず、モバイルマネー(日本でいう電子マネー)は決済手数料が高い事もあり、ほとんどの場合オンラインショッピングの料金は、「現金代引き」です。

したがって、オンラインショッピングの宅配の場合、我々は集金の代行まで行っています。

 

ただここにも問題がありまして、荷物を届けに行くと、お金がないという事が頻繁に起きます

前日にオンラインショップで受けた注文に対して、翌日の朝に電話をかけて確認をすると、

「今お金がないから、一ヶ月後に配達してくれ」とか

「あー、今朝、急用がありお金使っちゃったよ」とか

「月末の給料日まで待って」とか

「子供に借りるよ」とか……

 

とにかく、一筋縄ではいきません。

始めた当初は、電話に出ない、住所に人がいない、いてもお金がない。など、再配達の率が5割を超える事もしばしばでした。

現在ではオーダーを受け取った時点で必ず、こちらから本人にTELを入れ、

・何処に行けばよいのか聞く

・お金を用意してもらえる

2つの条件が揃ったときのみ、配達をするようにしています。

 

日本では信じがたいのですが、中には更にウワテの人がいて、朝に電話したときには「お金ある」と言っていたのにもかかわらず

「あー、1時間前に来てくれれば良かったのに!さっき使ってしまった」

ATMでおろせばある。おたくの宅配バイクの後ろに乗せて連れて行ってくれ」

「えっと、今はドルしかない。両替所まで連れて行ってくれ!」

といったこともあります。

ここにいると、日本の宅配サービスは、洗練された数々のインフラの上に成り立っているのだなと実感します。

 

なお、商慣習上では、「2回までは配達する」と認識されており、それを超えると注文は自動的にキャンセル扱いとなります。

 

地図が読めないドライバー

さて、もう1つ困ったことがあります。

ウガンダの方の多くは「地図が読めない」のです。

特に、バイクの運転手(ライダー)は教育レベルも低い事が多く、地図を読めない人が大半です。

 

実は商売を始めた当初は、ドライバーにGPS付きのスマートフォンをもたせ、そのGoogle Mapを見て配達をしてもらおうと思っていました。

「地名」や「番地」がなくても、Google Mapでは自分の現在地と目的地を示せば、地図上のルートを確認する事ができます。

 

しかし、この方法は上手くいきませんでした。多くのドライバーは地図が読めないからです。

 

地図が読めないには、色々な理由があります。

一つ例を挙げると、カンパラ市内の大きな地図を開いても、「自分が何処にいるのかわからない」のです。

そして、よりミクロな地図になると、右左が分からなくなります。現実世界では右折、左折は当然認識できるのですが、地図上の世界では右と左を混同してしまう事があります。

 

色々とトレーニングを重ねても、中々改善しないため、最初は理解に苦しんだのですが、初等教育や高等教育の現場に通う中で、理由が判明しました。

ウガンダの教育では、文字情報は扱っても、絵や図など「2次元の情報」を扱うことはほとんどありません。

つまり、表や図が読めない。グラフが書けない。

 

例えば、大卒のスタッフにエクセルトレーニングを行った際に、いくらエクセルの機能や数式を伝えても、エクセルを使えるようにはなりません。

情報を行列で整理するという発想がない限り、エクセルを使いこなす事は難しいのです。

多くのスタッフは、話を聴いてメモを取る時も、「全文を書き起こし」になります。思考が1次元的なのです。(箇条書きなどで構造化する事もあまりありません。)

 

これは、学校での教育のほぼ全てが「知識の暗記」に偏重しているためと思われます。

日本人の殆どが地図が読め、料金表を理解し、グラフを見て納得をするのは、教育の賜物と言えるのかもしれません。

 

ひたすら従業員を教育する

バイクタクシーの運転手に溢れるカンパラの街ですが、宅配サービスが出来るレベルのドライバーに会えることは中々少ないです。

全ての能力が整っている人は、既に他の高給な仕事に就いているケースがほとんどです。

 

逆にすべての能力が整っていて、職を希望する人は警戒が必要です。前職でお金の持ち逃げをするなどの前科がある場合があるからです。

スキルを満たした人材を雇えないのであれば、我々がやるしかありません。

 

弊社では、バイクのドライバーに対して、定期的に

「バイクのドライビングの練習」と「接客ロールプレイ」を実施しています。

 

バイクのドライビングは、日本の教習所でやるような一本橋の練習や、スローでバランスをとる練習などです。街中のバイクタクシーの95%以上は無免許で運転していますし、仮に免許を持っていても教習所などに通っていません。

ウガンダのバイクの免許は、お金さえ出せば取れてしまうため(正確には100メートルほどエンストしないで乗れればOK)、細かな技術指導などは全くありません。

安全にバイクで配達をしてもらうには、ドライビングの研修は必須です。

 

また、宅配はコミュニケーションスキルが非常に重要です。

丁寧な対応、言葉遣いなども重要ですが、特に、お客様に対してキレない事も重要です。

例えば、代引きのお金を受け取る時に、お客さんから「料金をまけてくれ」という無茶な交渉を持ちかけられる時があります。もちろん我々は単なる料金収納代行なので、お断りせざるを得ません。

 

ただ、向こうがあまりにもしつこく料金交渉をしてくると、ドライバーもキレてしまう時がありました。

ですから、ロールプレイなどではしつこく、「お客様にキレてはいけない」と教える必要があります。村出身のドライバーには、「お客様は、自分の村の長老と接するように」と伝えています。

 

でもポジティブなウガンダの人々

ただ、そう言ったユルさには、良いところもあります。

私はウガンダに来た当初、人材育成事業をしており、これまで数百名のウガンダの社会人へトレーニングを提供してきました。その際に『あなたの夢は何ですか?』と問いかけていました。

 

最初は、彼らは色々と夢を述べます。

『この会社で支店長になる!』

『起業して金持ちになって、世界中を飛び回るビジネスマンになりたい』

『この会社で営業でトップセールスになる』とか何とか。

しかし、関係性を築き、数か月後に聞くと、80%以上の方々から聞いたのは以下のようなものでした。

 

『良い仕事に就いて金を貯める。30代中盤くらいまでに貯金を作って、そのお金でカンパラで不動産を購入し、田舎に戻って、家賃収入を得ながら家族と自農作しながらのんびり暮らす。』

ウガンダの多数派の夢は、日本のスローライフの最先端をいっているのかもしれません。

 

また、彼らは他者の失敗に寛容です。

例えば、銀行に行くと、大体1時間以上待たされることが多くあります。またされた挙句、窓口で「あ、ここじゃないですよ。別の列に並んでください。(また1時間並びなさい)」と言われることも。

 

日本人なら怒りますよね。

でもウガンダの人たちは怒りません。「ふーん、どこ?」みたいな感じです。

 

*****

 

ウガンダは内陸国ですが、地政学的に重要な地点に位置しています。隣国の経済大国ケニアの港から来た荷物はウガンダで降ろされ、そこから南スーダン、コンゴ民主共和国、ルワンダへと運ばれていきます。

内陸国かつ鉄道のないウガンダでは、95%以上が道路輸送となります。

 

このウガンダからアフリカを変える、世界を変える物流の仕組みを作りたい。

そんな夢を抱きつつ、日々働いています。

 

なお現在、アフリカでの物流業の発展のために出資してくださる方を探しています。

伊藤淳Facebookアカウント https://www.facebook.com/Itojun までご連絡いただければ幸いです。

 

 


【お知らせ】Books&Appsでは、企業の広報活動を支援するサービスを行っています。ご興味のある方はこちらからご連絡ください。

タイトル長すぎると思ったんですが、「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」ってなんか適切な呼び方あるんでしょうか。

軽くぐぐったんですが、うまい略称が見当たりませんでした。どなたか、適切な略称をご存知でしたら教えてください。

 

まあ、字面から言わんとしているところは了解していただけると思います。

例えばPTAとか。例えば町内会とか。例えばマンションの自治会とか。

 

もしかすると企業や学校でもそうなのかも知れませんが、「ある程度長く続いていて、硬直化した組織」では、しばしば下記のような状態が見受けられることがあります。

・どう考えても不要かつ無駄な作業が、何故か改善・撤廃されない

・改善しようとすると、そこに長くいた人から何故かよく分からない抵抗や圧力がかかり、改善することが出来ない

・現在の作業者も全員無駄な苦労だということを認識しているが、嫌々その作業を継続している

・本来なら改善を指示するべき上位の人間も、何故か見て見ぬ振りをしている

 

皆さん、上記のような経験ありませんか。

これ、別に組織の作業やフローに限った話ではないと思うんです。

 

例えば育児とか料理とか家事とか、およそ「多くの世代がやってきた、共通の作業」一般で、かなり広範囲に、「どう考えても無駄な苦労、ないし非効率な行為なのに、何故か継続する/以前と変えないよう圧力がかかる」という現象が発生することがあります。

子育てを既に完了なさった世代の皆さんが、「こんなことで親が楽をすると子供に悪影響ガー」とかやられることもよく聞く話ですよね。

これが、私が考える「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」の分かりやすい一例です。

 

ちょっと諸事情で詳細はボカしますが、しんざきの話をさせてください。

しんざきは、住んでいるマンションの理事長を持ち回りで担当した時、当番制で地元の町内会に所属していたことがあります。

「町内会」の「青年団」というものが、青年といっておきながら9割以上50歳以降の皆様で構成されていることを、私はこの時初めて知りました。まさか、35を過ぎてから「何かの集団の最若手」になるとは思いませんでしたよホント。

 

で、この時、妙に「何の意味もない、要らん役職」というものが多いなー、ということに気づいたんです。

 

例えば、実際には何のタスクも割り振られていないのに、何故か会議にだけ出席することになっている「町内会長補佐」であるとか。

町内会の印刷物を担当する役割の人は他にいるのに、その印刷物をコピーして保存しておくことだけが仕事となっている「書類管理係」であるとか。(印刷物の電子ファイルは別に保存されている)

区と交渉することなど実際には年に1回もなく、町内会長がやってしまえば済む話なのになぜかわざわざ役職が定められている「渉外」であるとか。

 

いや、上記はほんの一例なんですが。とにかく、「これなくていいよな」「これしなくていいよな」という、妙なポジションやタスクが目白押しだったわけです。

「一見無駄だけど、よく調べてみたら何かしら必要な部分もあるのでは?」じゃないんです。「かつては必要だったかもしれないけれど、今は完っっ全に無意味だよね」なんです。

 

これら役職は、持ち回りで必ず誰かしらが担当することになっており、その人たちは一年間、実質的なタスクもないのに会議やら連絡やらに追われることになります。

 

仕事柄、無駄なフローを見ると省略して工数を改善したくなる習性がある私は、町内会長にも掛け合って、その辺整理しませんかという話を持っていったんです。

あと、単純に無駄なタスクはめんどーくさいので。

帰ってきた答えは、「不要なのは分かるんだけれど、「ずっとやってきたのに、来年から楽になるのはずるい」っていう人が多いから。。。」というものでした。

 

なんか、以前にも会議の席上で「タスクの省略」が話に出たことは何度かあったらしいんですが、その度に立ち消えになってしまったらしいんですね。

 

正直、ちょっと驚きました。話には聞いていたけれど、実際にこういう「改善を嫌がる抵抗勢力」というものがいるものなのか、と。

確かに、かつてはそういうポジション、そういうタスクが必要だったこともあったかもしれないんですよ。

確かに、かつて色んな「めんどーくさいこと」を乗り越えた人たちの苦労は尊重するべきだと思うんですよ。

確かに、かつて「めんどーくさいこと」をやった人たちが、そのポジションがなくなることで、まるで自分たちの苦労が無になった、毀損されたような気分になることもあるかもしれない、と思うんですよ。

 

けれどそれは、現実に「改善するべき点」を無視する理由にはならない。

「かつて苦労をした人たち」は、「次の世代が苦労をしなくて済むこと」を喜んで欲しいし、「俺たちが苦労したからこそ、今、苦労しなくて済むようになるんだ」と誇りを持って欲しい、と思ったんです。

 

この時、私が考えた「処方箋」は、下記の二つでした。

・役職等は表面上そのままで残しつつ、中身を省略しまくって有名無実化する

・改善をいやがる人に個別で掛けあって地道に根回しをする

 

どっちがいいかなあ?と思ったんですが、当時は割と時間があったのと、町内の人たちに興味があったこともあって、二つ目を選択したんです。

会議の席でいきなりぶち上げると面倒なことになることが予想されたので、「こういう人たちが改善を嫌がっている」ということを町内会長からお聞きして、その人たちと個別にお話をしてみることにしました。

 

この時、「昔苦労したことは理解できるし、尊重する」というスタンスが相手に伝わるように、なるべく腰を低くお話することを心がけました。

 

細かいところは省きますが、結果からいうと、面と向かって「そういう改善をされるのは納得がいかない」という話をされることはありませんでした。

皆さんお話をするとご納得いただいて、拍子抜けする程あっさりと、「役職の簡略化」「不要タスクの省略」は前に進みました。

 

正直、私のスタンスが功を奏したのかはよくわかりません。

「現役世代に不満を持っている人が多かったから」というパワーバランス的な前提があるのは間違いありません。

実際には町内会長の心配が杞憂というか気にしすぎで、抵抗勢力というほどの勢力は残っていなかったのかも知れません。

一対一だったから頑固なことを言い出せなかったのだ、という可能性もあります。

 

実は町内会長自身が改善を望んでいなかったという可能性も、表面上文句が出なかっただけで、実際には私が裏で顰蹙を買いまくっていた、という可能性も勿論あります。今のところ実害は出ていませんが。

 

ただ、一般的な「処方箋」として、

・かつて苦労した人たちに、「私は、あなたたちの苦労を尊重している」ということを伝えること

・その上で、「みんなが苦労しなくて済むこと」を受け入れて欲しい、と伝えること

・根回しは事前に個別にやっておいた方が楽だ、ということ

 

この三点が言えることは多分確実だろうと思い、今後とも同じような状況では心がけていきたいと思った次第なのです。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

ショッキングなタイトルの記事だな―、と思いながら、記事を眺めていました。

飲食店経営に手を出したら、その先には「地獄」が待っている

筆者は、ベンチャーキャピタリストとして1000以上のビジネスモデルを見てきたと同時に、自身でも事業のゼロからの立ち上げ、飲食業も含めさまざまな投資案件を見極めている。現在、投資実行している会社の売上合計は60億円で、4億円の営業利益を出している。

この経験から感じたのは、飲食業は「基本的には勝てないビジネスモデル」だということである。これはもう、断言してもいい。

(現代ビジネス)

でも、「勝ちにくいビジネス」というなら、たしかにそうかもしれません。

 

そう言えば、昔こんな記事を見ました。

廃業が後を絶たない飲食店の傾向を探る

開業3年で約7割が廃業し、10年後も営業している店は1割程度

飲食事業は参入障壁の低いビジネスであり、誰でも比較的簡単に開業することができます。情報誌やインターネットを見てもわかるように、個人店・チェーン店に関わらず、新しい飲食店がどんどんオープンしています。

しかし、その廃業率は非常に高く、1年未満で閉店した割合は34.5%、2年以内で閉店した割合は15.2%。合計すると49.7%となり、約半数の飲食店が2年以内に閉店しているというデータもあります。

さらに、開業3年では約7割が廃業し、10年後も営業している飲食店はわずか1割程度と言われています。つまり、「どんどん新店舗がオープンする一方、どんどんつぶれている」のが、飲食業界の実態です。

(livedoor news)

「流行るお店を作る」のが難しいのは当然として、「普通にやっていく」のすら難しいのが飲食業界だということでしょう。

 

飲食店を立派に何年も運営している「行きつけのお店のあの人」は、実はスゴい事をしているのです。

 

さて、冒頭の記事の中に、一つ面白い指摘があります。

チェーン店は残るが、突然オープンした謎の居酒屋はすぐに姿を消す。一方で、町中華や、中国人が家族で経営する中華料理店は、なぜだか残っていたりする…。

確かに、イケイケのラーメン屋が突如なくなり、街の「普通の」ラーメンさんが生き残る……経験的にも正しいと感じます。

 

記事の筆者は、その理由を「人件費がほぼかからないから」と言っています。

一番大きいのは、人件費がほとんど掛からないことだ。町中華には、夫婦で切り盛りし、忙しい時間帯には子供も手伝うようなお店が多い。

また、自分の店で食事をとれば食費も浮くので、生活にかかる経費を大きく落とすことができる。さらには、店と自宅が共用であれば、家賃負担も大きくならない。

そして、この話は「起業」を考えている方にとっても、非常に重要な考え方です。

なぜかと申しますと、「起業」は街の中華料理屋さんのようにやったほうがうまく行きやすい、ということが言えるからです。

 

畢竟、企業において肝心なことは、固定費の削減にあります。

倒産とは、つまり現金不足で支払不能に陥ることですから、毎月の固定費が少なければ少ないほど、その会社は潰れにくい、潰れにくければ、さまざまなことにチャレンジでき、成功の可能性が上がる……のは当然と言えるでしょう。

 

逆に、「イメージの良いスタートアップ」は、その華やかさとは裏腹に、リスクも高いのです。

かっこいいオフィス。

たくさんの従業員。

手厚い福利厚生。

経営がうまくいきだすと、こう言った「固定費」を気楽に増やしてしまう経営者を数多く見てきましたが、こう言った会社は何かあると「ブラック化」し易い傾向にあります。

膨れ上がった固定費を賄うべく、日々の営業活動に邁進せざるを得なくなるからです。

 

逆に、真の意味で良い経営陣は固定費をそう簡単に増やそうとしません。

極端な話、全員で共同生活をし、同じ釜の飯を食っていれば、固定費は最小まで押さえられますから、4人で100万円ずつ持ち寄れば、その400万円で1年間は事業が可能でしょう。

一人が毎年100万円の売上(毎月8万円程度)を作ることができれば、次の1年も会社を続け、夢に邁進することができる。

これは十分、現実的な数字です。

 

もちろんそれは、何億円も調達し、渋谷の一等地にオフィスを構えるような起業とは異なる、

「カッコ悪い」起業です。

でも、カッコのために起業するわけではない、という方は、こちらのほうが遥かに楽しい起業だといい切れます。

 

株主からの圧力も、資金繰りに頭を悩ませる必要もなく、短期的な売上を追求する必要もない。

自分の好きなことの延長を、どこまで商売にすることができるか、という、別の種類のチャレンジです。

 

かつて、堀江貴文氏は以下の4つを兼ね備えた商売を「うまくいく商売」の条件としました。

1.利益率の高い商売

2.在庫を持たない商売

3.定期的に一定額の収入が入ってくる商売

4.資本ゼロあるいは小資本で始められる商売

在庫がなく、小資本で始められる商売とは、すなわち「固定費がゼロに近い商売」です。

 

余談ですが、そう言った経営を実践しているのが、芸能事務所です。

例えば、吉本興業は売上が500億円近くありますが、東京本部の家賃は新宿の廃校を上手に利用し、400人規模のオフィスで月額340万円です。

吉本興業が新宿の小学校跡に移転。夏は暑く、冬は寒いオフィス?

そもそも新宿区では平成17年より、歌舞伎町を新しい文化の創造と発信の街にしようと、さまざまなプロジェクトを進めており、今回の移転もその一環として実現した。

東京進出の大型拠点を探していた吉本興業と、校舎の有効利用の道を模索していた区との思惑が一致し、耐震工事など約1年半をかけて今回の移転となった。吉本興業によると、これまでにかかった費用はおよそ10億円。新宿区との契約は10年で賃料は月340万円とのこと。

(日経トレンディネット)

ジャニーズ事務所も、売上が数百億とも1000億とも言われますが、事務所は小さい雑居ビルです。

(出典:Wikipedia ジャニーズ事務所)

これからの「起業」は、能力ある少数の人を活用する形態となるでしょう。

それは「芸能事務所」とあまり変わりないのかもしれません。

 

 

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(Photo:Chris Campbell)

「名選手、名監督にあらず」という言葉がある。

この言葉、随所で出会うので、経験的には正しいように感じるのだが、なぜ名選手が名監督になりえないのかを、きちんと説明することは結構難しい。

 

*****

 

昔、ある会社の営業部の立て直しを手伝っていたときのことだ。

その会社は、総勢40名程度の営業部で、部長が1名、課長が5名の体制だった。

 

私はその会社の経営者から

「うちの部長課長は、営業をやらせたら一級品なのだが……問題がある」と相談を受け、その会社に常駐していた。

「何が問題なのですか?」と聞くと、経営者は

「うちの管理職は皆、営業の腕前は一級品なのだけれど、部下に教えることがヘタで、下がなかなか育たない」という。

 

話を詳しく聞くと、営業部員たちは

「上が教えてくれない」「どうやって営業したら良いかわからない」という不満を持っているらしい。

逆に部課長たちは

「営業は教わるものではなく、盗むもの」「失敗しながら覚えろ」と、メンバーたちの要望を甘えであると捉えている模様だ。

 

果たしてどちらが言っていることが正しいのか。

私は彼らの力量を確かめるため、部課長たちとメンバーを一同に集め、営業のロールプレイを行った。

 

まずは営業部員たちのロールプレイだ。

 

私はお客さん役として彼らの営業を受ける立場だ。

簡単な挨拶の後、一人の営業部メンバーが私に営業をする。

「どのようなご要望でしょうか?」

「こんなサービスです。」

「いつまでに必要ですか?」

「ご予算は?」

「他に声をかけていますか?」

「誰が、いつまでに決定をしますか?」

 

オーソドックスな営業で、そつがない。

特に大きな瑕疵もなく、「まあ、こんなものだろう」といった具合だ。ニーズが存在していれば、そこそこ注文も採れるだろう。

 

さて、今度は部長の営業である。私は営業部長の対面に座った。

部長は開口一番「いやー、お会いするのを楽しみにしていたんですよ。」という。

「どうしてですか?」

「いや、安達さん記事を書いていらっしゃるでしょう?私たまたま幾つか拝見しましてね……」

「そうだったんですか、ありがとうございます!」

「いえいえ、ちょうど私のクライアントがね、安達さんの書いていた記事の……」

 

スゴい、この部長は全く売り込みをしない。

ひたすら私の書いた記事に対してコメントし、質問を投げかけてくる。

何か心地よい感じだ。

 

しかしこの場はロールプレイなのだ。部長との会話を楽しんでいる場合ではない。

「で、今日のご用件はなんでしたっけ?」

「ああ、スミマセンでした。そうそう、私のクライアントで安達さんの記事を読んでいる方から、こんな意見をもらったんですが……」

 

部長は、私の運営しているサイトに対するお客さんの感想(という設定)を淡々と述べる。

部長は最後に、

「安達さんはどう思いますかね?これって妥当なコメントなんですか?」

と言った。

 

私はこの時点で、部長の圧倒的な営業としての力量を感じていた。

凄い。

相手の懐に入る技術。相手の課題を嫌味なく伝える技術。相手から本音を引き出す技術。どれも一級品だ。

わたしが実際の見込み客であれば、間違いなく部長に注文を出すだろう。

 

ロールプレイが終了した後、皆の表情を見る。

普段、部長の営業を見慣れていないメンバーたちは、感激したようである。

「部長、あんなにすごい営業をするんですね」

と、誰か一人が言う。

そして、別の誰かがぼそっと言った。

「あれは、マネ出来ないから。」

 

*****

 

このような会社の課題は何か。

一つしか無い。

それは、「経験を理屈にする」ことだ。

この会社においては、部長が持っている、豊富なお客さんの課題解決経験を、理屈にできていない。つまり、問題解決のパターンを創れていない、ということが課題だ。

 

例えば、

相手が経営者の場合、担当者の場合

予算が既にある場合、これから予算を取る場合

相手の課題が明確な場合、不明確な場合

相手と関係ができている場合、これから関係を作る場合

 

こう言ったパターンの法則化ができていなければ、現場はひたすら部課長が行っていることを眺め、膨大なパターンの組み合わせになる営業を、ひたすらマネていく、という非効率な学習をしなければならない。

それはまるで、定理を何一つ知らず、数学の入学試験に取り組むようなものである。

 

定理だけでは問題は解けない。だが、数多くの定理を知れば知るほど、解ける問題の幅は大きく広がる。

営業部員たちは、「どのようなご要望でしょうか?」「こんなサービスです。」「いつまでに必要ですか?」「ご予算は?」「他に声をかけていますか?」「誰が、いつまでに決定をしますか?」

というテンプレート営業しかできなかったが、これは「三平方の定理」しか知らない人が、微分方程式を解こうとしているようなものである。

 

ある上場企業の社長が、

「会社の仕組みを作るには、経験と理屈の往復が必要」

と述べていた。

 

結局のところ、「経験豊富」で「技術が高いだけ」の上司は、管理職としては無能である。

本来の仕事をしていないからだ。

 

管理職がやらなければならないのは、

1.自分の経験を理屈にして部下に教える

2.部下はその理屈を基に仕事の経験を積む

3.更に、部下はそれを自分の中で再度理屈にする

4.部下が構築した理屈を、上司にフィードバックする

5.上司は部下から受けたフィードバックを基に、理屈を改良する

というプロセスを会社の中で作らなければならない。

 

「理屈じゃねーんだ。」と上司や職人が言うことは十分理解できるが、「理屈じゃないこと」を理解できるようになるのは、「理屈」を完全に体得した人だけだ。

 

 

 

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(Photo:Neil Carey)

 

よく、「日本人は議論が苦手だ」と言われる。理由としては、協調を重んじる気質や自分の意見を言うのが苦手な日本人の国民性が挙げられることが多い。だが、それだけではない。日本人は、議論を通じて「対話」するのが苦手なのではないかと思う。

 

そう考えるようになったのは、Twitterで自分の記事に対する反応を見ていたときだ。記事への反応はさまざまで、賛同するものも反論するものもある。

 

だが不思議なのが、賛同意見は「共感した」「その通り」といったコメントが多いのに比べ、反論意見の場合「まぁこの人は○○だから」「どうせ××したことないんだろ」と人格への言及がほとんどセットになっていることだ。

 

反論意見は多くの場合、こういった人格への攻撃が伴う。

わたしへの反応だけではなく、他の人への反論コメントも似たようなものだ。

「ちがう意見=敵」と思ってしまうことが、「日本人は議論ができない」と言われる原因のひとつではないだろうか。

 

反対意見を言うと「和を乱す悪者」になる日本

当然のことだが、意見の賛否と人間性は分けて考えるべきだ。仲がいい友人でも驚くほど考え方が違う場合もあるし、逆に考え方はとても似てるのになんだか好きになれない人だっている。

 

それでも日本では意見の賛否と人間性を切り離せない人が多く、話し合いの場でも感情が重視される。

小池東京都知事が安全より安心を重視したことは、わかりやすい「感情優先論」と言えるだろう。

 

ほかにも、「○○さんは不倫をする不誠実な人なのでその意見は信用できない」だとか、「そういう言い方をすると傷つきます」のような、「本題にまったく関係ないし客観的根拠もないが情に訴えます」という姿勢で話し合いに臨む人が少なくない。

 

なぜ、日本はこのように感情が優先されるのだろう。

これは、日本の「同調圧力」「空気を読む」といった独特な考え方に根差したものだと思う。

 

みんなが同じ考えであることを前提としているから、同じ考えの者同士は徒党を組んで、ちがう意見の者を攻撃する。みんなが賛成なのに反対する「空気が読めない輩」は、厄介者扱いされる。

意見がちがう=和を乱す悪者であり、敵なのだ。

 

そういう思考回路だと、敵には容赦なく攻撃するし、「自分が正しいから相手は間違えている」という極論に走るようになる。

意見がちがう人=敵だと考えている限り、双方は意見はひたすら平行線をたどるし、議論ではなくただの意見の押し付け合いになる。

 

白黒はっきり決められるテーマなら、それもありかもしれない。だが現代社会で話し合われる多くの問題は、確実な正解が存在しないのだ。現代では、議論を通じて、多角的な視点から「より正しい答え」を導くことが求められている。

 

日本人が学ぶべきは「正解へいたるプロセス」

では、どうすれば日本で、議論を通じて「より正しい答え」を構築することができるのだろう。

「より正しい答え」を導くには、数学と同じように「正解へいたるプロセス」がある。

日本は特にこういった技術的なことを習わないから、議論ができないのだと思う。

 

まずしなくてはいけないのは、議論の目的を共通認識として持つことだ。全員が「意見を出し合って対話することが目的」と理解することによって、はじめて議論が成り立つ。

 

「論破や勝ち負けが目的ではなく意見を通じた対話こそが大事なのだ」と考えれば、関係のない人格攻撃や揚げ足取り、詭弁がいかに無駄で邪魔かわかるはずだ。

「論破」を狙うひとりによって議論がぶち壊しになることもあるから、目的の共有は大前提となる。

 

目的の共有のあとは、「事実」と「テーマの本質」の共有が必要になる。

たとえば、「国公立大学の学費を無料にすべきか」という議題があったとしよう。そこで、「無料にすべき」「すべきではない」という真っ向から対立した意見をぶつけ合ってても、「より正しい正解」は見えてこない。

 

同じ土俵で話し合うためには、現在の学費や経済的理由で進学できない人数など、客観的事実を基礎知識として共有していないといけない。

さらに、「教育の機会平等の観点で無料にすべき」なのか、「日本はもっと高等教育を支援すべきだから無料にすべき」なのか、はたまたちがう視点からなのか、どこに議題の本質があるのかを理解することも必要不可欠だ。

 

議論が進むにつれテーマをちがう角度から見たり拡大することもあるが、まず最初に「どこにスポットライトを当てるのか」を決めておかなければ、収拾がつかなくなる。

日本の議論ではこういう「整理されたプロセス」がないから、しっちゃかめっちゃかな言い分が飛び交ったり、感情論に流されてしまうのだろう。

 

議論で大事なのは、どちらが100%正解かを決めるのではなく、正解がないテーマに対し多くの知恵を持ち寄って「より正しい答え」を模索することだ。

だから、「より正しい答え」を導けるように、日本人も議論する能力を身につけるべきだろう。

 

議論は、物事の理解を深め、より確実な正解を求めるために必要なことだ。グローバル化が進む世界では特に、自分の意見を述べて相手の意見を聞き、「より正しい答え」を構築する対話能力は必須になる。

まともに議論できる人が増えれば、日本はもっと意見を言いやすくなり、多様性が認められるようになるのではないだろうか。

 

 

【プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

ブログ:『雨宮の迷走ニュース』

Twitter:amamiya9901

こんにちは。株式会社Relic、代表の北嶋です。

弊社のメイン業務の一つは、「社内ベンチャーの支援」ですが、現在ご支援をしている企業の一社に、一風変わった制度を持ち、大きな成果を上げている社内新規事業創出制度があります。

 

それが、NTTドコモのR&D部門が主幹する、39worksです。

(39works 渋谷サテライトオフィス)

今回はこの39worksが、新規事業の立ち上げにおいて、どのようなアプローチを取っているかをご紹介し、「成果をあげる社内新規事業のありよう」について考察します。

 

*****

 

まず、39worksとは何か、少し説明をします。

39worksは、一言で言うと「NTTドコモにおける、新規事業創出プログラム」です。新規事業をマーケットに問いながら小さな種から大きく育てることを目的に、様々なパートナー企業と共同で事業を生み出しています。

そして、この「支援」を39worksのアクセラレーターとして実際に行っているのが、金川さんです。

金川さんを含む、支援チームの39worksにおけるミッションは、2つ。新規事業を担う「人材の発掘」とその事業の「支援」です。

 

1.社内新規事業の「人材発掘」

金川さんによれば、ボトムアップ型の社内新規事業を生み出すに当たって、まず最初に重要なのが「人材」です。

 

実は、金川さんご自身も昔、39worksの第一号案件として、新規事業の立ち上げを行い、大きく失敗した経験があるそうです。

39worksの新規事業は、撤退する時も自分で決めなければなりません。

私が当時やっていた新規事業は、KAOTASという顔認証による決済サービスだったのですが、サービスの見通しの甘さなどから、開始して2ヶ月で閉じる決断をしました。

その時、日経産業新聞に「爆速終了」と書かれてしまいまして、あの時は凹みました。

ただ、当時の私の決断は正しかったと思います。そして、私が失敗から学んだことは、多くの社内起業家に役立つはずです。また、当時は支援という制度はなかったので、全て自分だけで切り開かなければいけなかったのですが、欲しかったサポートもたくさんありました。

 

その金川さんはドコモにおける「社内起業家」の条件として、次の条件を挙げています。

1.「何か作りたい」だけではなく「ビジネスを生み出したい」

何と言っても「ビジネスを生み出したい人」というのが、必須の条件です。でも、これが意外に難しい。

「プロダクト・サービスを作りたい人」はそれなりにいるのですが、そう言った人は「作れる」けれども「事業にする」ができない。まず社内でそういう人を探さなければなりません。

 

2.「なぜドコモでやりたいのか」を明確にしている

39worksはドコモの新規事業を生み出すことを目的としたプログラムですから、「なぜドコモでやりたいのか」を明確にすることは大事です。

社内で起業することと、外部で自己資金で起業することの大きな違いは、この一点にあると思います。

もちろん、この問いに正解はありません。ですから、お金でも、技術でも、ブランドでもなんでもいいです。でも、最初の利害関係者である「NTTドコモ」を説得できるくらいでなければ、成功はおぼつかないでしょう。

 

そして、上の条件を満たす人が、どの程度社内にいるのかを調査するため、先日、金川さんのチームがアンケート調査を実施しました。

結果はプロダクトやサービスのアイデアがあり、それを使って自分でビジネスを立ち上げたい「事業創出層」が約5%。プロダクトやサービスのアイデアがあり、それを創りあげたい「DIY層」が、10%弱でした。

 

このうち「事業創出層」の方々は、39worksが、事業の成功確率を上げるための適切な支援をするだけです。

しかし、新規事業は多産多死です。「事業創出層」の5%の方々だけでは足りません。

 

そこで、「ビジネスにはあまり興味が無いけど、面白いものを作りたい」という「DIY層」の方々を、「つくりたい」というだけではなく「ビジネスにしたい」という志を持てるように、啓発していくことが重要だと、金川さんは言います。

彼らは、ドコモのR&D部門にいるだけあって、特殊な才能を持っている人ばかりです。趣味でなんでも作ってしまう技術は持っているのです。そういう人を、事業家として育てることが、39worksの重要な使命です。

 

2.社内新規事業の「事業化支援」

前述したような社内起業家を「発掘」した後、39worksが、事業化を支援します。

具体的には次のようなことです。

・事業化プロセスの実行を支援する

・場所を提供する

・営業/マーケティングの支援を提供する

・デザイン/クリエイティブの能力を提供する

・メンタリングを提供する

・イベントなどの交流の場を提供する

・人材を提供する

 

この中でもっとも重要なものの一つが、「事業化プロセスの実行支援」です。

事業化は幾つもの障害があり、それを乗り越えて市場で収益を上げるには、PDCAを素早く何度も回す必要があります。

 

しかし、従来から大企業の中で行われていた「事業化プロセス」には問題が山積しています。

幾重の稟議を重ね、大資本を投下してサービスを開発する、というスタイルは、テクノロジーの分野においては、どうしてもスピードに欠け、革新的サービスの提供において、スタートアップ企業に遅れをとってしまいます。

要するに、時代の要請に応えることができていないのです。

 

そのため、39worksは独自に「事業化プロセス」を改革し、以下の2つの方針の元で、事業化を支援しています。

 

1.リーンスタートアップ方式を採用する

39worksは、サービスを立ち上げるときに「事業化検証(PoC)」というフェーズを設けています。

ここでは、従来の新規事業とは異なり、売り上げや利用者数といったKPIではなく、MAUや継続率など、サービスの価値を測定するKPIを設定し、サービスを改善します。

 

これにより、新規事業でつきものの限られたリソースにおいても「早くて軽い」サービスの立ち上げが可能となり、実際のプロセスにおいては、現場の裁量で実行することができます。

リーンスタートアップ方式

リーン・スタートアップとは、サイクルタイムの短縮と顧客に対する洞察、大いなるビジョン、大望とさまざまなポイントに等しく気を配りながら、「検証による学び」を通して画期的な新製品を開発する方法

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2.企画・開発・運用を同一の組織で行う

大企業では通常、企画・開発・運用を別組織で行うことが普通ですが、これを同一のチームで行うことで、顧客から得られるフィードバックを、素早く製品に反映できます。

いわゆる「BizDevOps」です。

このように、「大企業」の中にありつつも、スタートアップ企業の機動力と、風土を生み出すこと。それが39worksのミッションとなっています。

 

 

まとめ

39worksは、2014年の夏に発足して以来、3年を経て、徐々に結果も出てきました。

 

大きな設備投資なしに、空きスペースを駐車場化できる、「docomoスマートパーキングシステム

人工知能搭載のweb接客システム「ecコンシェル

驚くほどチャットボットを簡単に作成、カスタマイズできる「Repl-AI

 

今後、大企業の中でも、ベンチャー的に動ける「起業家」を支援する動きが広がるでしょう。

「社内公募」して、予算をつけるだけではなく、その事業化の支援まで含め、全面的なバックアップを起業家に提供する。

39worksは、その好例となるはずです。

39works :https://www.39works.net

 

 

 

WEBサイト:株式会社Relic

 

・クラウドファンディング「ENjiNE」

・日本経済新聞社のクラウドファンディング未来ショッピング Powered by ENjiNE

・新規事業創出プログラム/オープンイノベーション支援サービス「ignition」

オープンイノベーションを支援する「asta*ENjiNE」(アスタエンジン)

 


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コミュニケーションについて書かれた記事に、2つ、個人的に面白かったものがある。

いずれも大変にバズった記事なので、覚えている方も多いだろう。

 

一つ目は、電通の人たちのカラオケが、恐ろしく洗練されており、「ただ行為のみ」に目的が置かれたコミュニケーションの極地を見た話。

電通の人たちとカラオケに行った話

電通の女性の1人は、AKB48の『大声ダイヤモンド』の「大好きだ! 君が 大好きだ!」の「君が」を「仕事」におきかえた替え歌を披露していた。照れの一切ない、一体こうなるまでに何度こなしてきたんだという洗練されたものだった。

普通なら振り付けをこなすだけでじゅうぶん盛り上げ役の責務を果たしたと考えてしまうところなのに。ハードワークなサラリーマンに広く刺さるよう、絶妙なモジリをほどこすなんて。

すげえという眼差しで傍観していたが、ほかの電通の人たちは彼女の完璧な振り付けや替え歌には反応を示さず、当たり前のことのように、オーソドックスに盛り上がるばかり。替え歌の女性も、自分の気の利かせっぷりに誰も言及してないことなどお構いなく、曲中のすべての「君が」を「仕事」におきかえて歌いおおせていた。

すごい。ウケるとかスベるとかそういうものを超越した、ただ行為のみの世界だ。

電通というエンタメの長みたいなところにいる人たちが、ただただ空気の流れに身をゆだねる形のコミュニケーションをとっているのには、単なる体育会系のノリという以上に意識的なものがあると思う。

(雑記)

そしてもう1つは、「内容のないコミュニケーションの重要性」について語られた記事だ。

内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない

人間同士のコミュニケーションのなかで、「コミュニケーションの内容」が本当に問われる場面はそんなに多くない。
 
もちろん、業務上の指示やディベートの際には、内容こそが重要になる。しかし、日常会話の大半は、コミュニケーションの内容よりも、コミュニケーションをしていることのほうが重要だ。(中略)

日和や季節についての会話や、女子高生同士のサイダーのような会話も、しばしば「内容のない会話」の例として槍玉に挙げられる。しかし、交わされる言葉の内容そのものにはあまり意味が無くても、言葉を交換しあい、話題をシェアっているということ自体に、大きな意味がある。

(シロクマの屑籠)

内容のないコミュニケーションを極めた人たちの話と、内容のないコミュニケーションであっても、大事にしたほうが良い、という話。

 

この2つの話は、研修やビジネス書などに書かれている「テクニカルなコミュニケーション」とは異なる。

「空気読めよ」「仲間だったらノリを合わせろよ」「言わなくてもわかるだろ」という、感覚を優先したハイコンテクストなコミュニケーションだ。

 

しかし、こういった「ハイコンテクストなコミュニケーション」が優先されることに対して、それを嫌悪する人もまた、多い。

コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由

極めつけは、たとえばビジネスとかで、「みんなで協力して新しいマーケットなりサービスなりを創造しよう」と言って集まるときに、マーケット自体、サービス自体を創造することよりも、創造されたマーケットにおいて、自社がおいしいポジションを獲得することばかりに力を入れる人たちの醜悪さ。

やたらと根回しして、飲みニケーションして、こそこそ耳打ちして、目配せして、言外に微妙なニュアンスをにおわせて。。。。そんなことばかり。自分の分け前を少しでも大きくすることばかりにエネルギーを費やすものだから、肝心のパイがちっとも焼き上がらない。

(分裂勘違い君劇場)

これらの言説を対比してみたとき、ようやく気づくことができた。

つまり、これらのスレ違いが、コミュニケーションに起因するトラブルの大体の原因であると。

 

例えば、

要件を伝える際の「電話派」と「メール派」との対立。

電話は雰囲気を共有できるので、要件が曖昧な状態でも、なんとか相手に意図を伝える事ができる(ような気がする)が、メールは要件をはっきりさせてからでないと、書くことができない。

また、

「結論から言う」という状況と、「単刀直入に言ってはいけない」という状況の使い分け。

人事評価などでは、結論だけ伝えても納得感が生まれないが、質問は結論から言うべきである。

さらに、

「会社の飲み会は大事」という人々と、「飲み会は嫌い」という人々との対立。

空気を共有することの重要性については、相当の認識の差がある。

 

以上のように、世の中のコミュニケーションに関するトラブルの多くは

「空気を読め」の度合いに関する、ズレが原因だ。

 

以前、こんな記事を書いた。

「察し」の文化が、徐々に後退してきている、という話だ。

コミュニケーションの要諦は察してくれに甘えないことなんだけど。

「コミュニケーションが不調で、お互いに不信感を持ったり、いがみ合ったりしているプロジェクトやスタートアップって、大抵「察してくれ」が多すぎるんだよ。」

「具体的には?」

「例えば、トップに対して「困ってたら助けてくれるだろ」と思って助けを自分から求めないケース。結果的に締め切り寸前に「すみません、納期を遅らせてもらえませんか」といって揉める。」

「ああ、そういうこと」

「「こっちは困ってんだから上司が察してくれよ」に甘えてる、というわけだ。」

「なるほど」

「ちなみに、このケースの場合はもちろん上司にも非がある」

「なぜ?」

「上司の側も同じく「困ったら相談しろって、言わなくてもわかるよな。察してくれよ」って思っているからさ。」

「ありがちだな。」

「でも、「常識だったらわかるだろ」は、これからどんどん通用しなくなる。なにせ、正社員は減る一方だし、必然的に社外の人や契約社員、場合によってクラウドソーシングを使ったりするからな。「察し」なんてものは過去のもの。」

現在、恐ろしいスピードで社会の多様性が高まるにつれ、「コミュニケーション」のルールは変化している。

 

控えめであることが美徳だったのに対し、自己アピールが重視されるようになった。

正社員同士であれば「あれ、うまくやっといて」で済んだものが、外注への依頼は「何を、どのように、どの程度」を明確にする必要がある。

職場に皆が集まって仕事しているときは仲間意識を持てたのに、リモートワークに移行して連帯感がなくなった。

 

冷泉彰彦氏は、ニューズウィークのコラムで、コミュニケーションのルール変化について、以下のように述べている。

「コミュニケーション能力」への誤解が生む悲劇とは?

問題は「コミュニケーション能力」というものへの誤解です。まず確認しておきたいのは、学校の世界などに見られる「仲間うちの空気を読んで同調し差異を押し殺す」ようなコミュニケーションというのは「高度」ではないということです。

会話の前提条件となる情報が共有化されていることで、省略表現や暗号などが頻繁に使われているスタイルであるだけであって、内容のほとんどは予定調和ですし、利害関係を受け止めて調整するスキルもなければ、転校生や外国人などの「異なった存在」の受け入れ能力にも欠けるわけで、コミュニケーションとしては非常に幼稚です。

物事を語るには事実を確認しなくてはいけないとか、因果関係を考えるとその結論は違うのではないか、といった思考法を持つ人には、確かに合わせるのにはバカバカしくて苦労するかもしれません。その苦労もあるレベルを越えているのであれば、笑い事ではないのは分かりますが、そもそも「場の空気」の「同調圧力」にタダ乗りしただけの会話のほうが高度だというのは間違っていると思います。

次に、企業社会の組織内コミュニケーションであるとか、接客や営業のトークなども「同じように同調圧力に屈する会話」であり、とても辛いものだというイメージがあるようですが、これも違うと思います。土下座して謝れば済んだり、人格を否定するようなパワハラに耐えるというのは過去のものになり、現代の社会は、そんなことをやっていては「成り立たない」世界になっているのです。

例えば、接客や営業では理不尽な「モンスター」的な客に対してひたすら耐えるようなコミュニケーションが求められるように錯覚しがちですが、現実の商取引というのは膨大で詳細な事実認識と法的な契約の枠組みの中で進むことがほとんどです。

職場で年配の方々の「空気を読め」に対応しつつ、増えた外注や派遣社員・外国人や若い優秀な人材が求めてくる「コミュニケーションの目的をはっきりさせてください」に応えるのは非常に大変なことだ。

 

だが、大変だからと言ってそれを怠れば、コミュニケーション自体が成立しなくなる。

ピーター・ドラッカーは、コミュニケーションを成立させるものは、受け手であり、コミュニケーションは受け手の言葉を使わなければ成立しない。受け手の経験に基づいた言葉を使わなければならない、と述べている。*1

 

したがって、受け手が多様化すればするほど、コミュニケーションも多様化せざるを得ない。

そういう意味で、「グローバル化」はコミュニケーションの多様化と直結する。それが、現代の人が悩む「コミュニケーションのトラブル」の本質的な原因である。

 

*****

 

「コミュニケーション能力」に悩む人が多い現状を踏まえ、webメディア上で数多くのコミュニケーションに関する記事を書いてきました。

それらの「コミュニケーション」について書かれた記事だけを編集し、加筆修正した書籍が8月24日に発売されます。

Amazonで予約を受け付けていますので、ご購入いただければ嬉しいです。

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・「「仕事ができるやつ」になる最短の道」のオーディオブックもできました

(Photo:Neil Carey)

 

*1[amazonjs asin="4478410232" locale="JP" tmpl="Small" title="マネジメントエッセンシャル版 - 基本と原則"]

はじめまして。オリエンタルインフォーメイションサービスの田中です。

4年前に新卒で入社し、現在は複合機のファームウェアの開発を行っています。

自分で言うのも何ですが、エンジニアはなかなか楽しい仕事だと思います。

 

さて、記事を書くことになったのですが、正直言うと、どういう話を書いたらいいのかよくわかりません。

広報と言われても、困ってしまいますよね。

 

ですので、今回は個人的に極めて重要だと感じていることについて書きます。

技術者に必須のスキル「質問」です。

 

技術者にとって「うまく質問できるスキル」は生命線

技術者にとってもっとも重要なスキルの一つが「うまく質問できるスキル」です。

トラブルシューティングのみならず、自分と他のメンバーとの意識合わせ、自分の知識の確認など、およそ全てのシーンで「質問」は役に立ちます。

 

ですが、質問のうまい人は実はそう多くありません。

大抵の先輩・上司は優しく教えてくれると思いますが、世の中は必ずしもそういう人ばかりではありません。また、他社のエンジニアであれば、なおさらです。

ですから、自分自身も、新人のときは質問があまりうまくできず、よく指導を受けました。

 

ですが、振り返ってみると、非常に基本的なことを先輩は教えてくれていたと思います。

その「うまく質問できるスキル」のポイントは、以下の4つです。

 

1.「どうすれば調べられますか?」と質問する。

2.「Yes」か「No」で答えられるように質問する。

3.「私が欲しい情報」を明確にしてから質問する。

4.「聞きやすい人」ではなく「聞くべき人」に聞く

 

1.「どうすれば調べられますか?」と質問する。

質問される側にとって、一番嫌なのが「自分で調べもせず、考えもせず、単に「教えてくれ」という人」です。

例えば「部門IDの拡張」を任された時に、何も考えずに質問してくる人は「部門IDってなんですか?」と聞いてきます。

 

質問された側はどう思うでしょう。

当然、「自分で調べる努力をしているのかな……」と思うでしょう。

でも、質問をした人物は「調べ方もよくわからないし、時間も掛かりそうだから、聞いたほうが早い」と思って聞いているわけです。

 

ですから、この場合最も良い質問の仕方は、

「部門IDと言うものがよくわからないんですが、どうすれば調べられますか?」と聞くことです。

この質問のやり方はとても有効です。

今だけではなく、今後も自分である程度調べることができてから質問できますし、先輩と前提の知識を共有できるため、今後のやり取りもスムーズにできます。

 

また、「過去に事例はありますか?」なども良い質問です。事例を当たることができれば、質問するよりも遥かに多くの知識を得ることができます。

まずはなんでも聞かず、「自分で調べる方法」を聞くのがポイントではないかと思います。

 

2.「Yes」か「No」で答えられるように質問する。

自分である程度調べたら、次の質問の基本は、「Yes」か「No」かで答えられるように質問をうまくつくることです。

逆に「どうやったらいいですか?」や「何をしたらいいですか?」といった、YesNoで答えられない質問は、基本的にはあまりよくない質問です。

 

そして質問をうまく作るには、「自分の意見」をもつ必要があります。

例えば、

「こうしましたけど、これで正しいでしょうか?」

「私はこう思いますが、進めて問題ないでしょうか?」

という形式での質問です。

また、「この課題に対しての解決策は、A案、B案、C案の3つあると思いますが、どの案がもっともいいと思いますか?」という、選択肢を提示した質問も、良い質問の仕方です。

 

「自分がこう思っている」がない状態での質問は、回答する側も困ってしまいますので、かならず意見形成をし、その後に質問することが重要ではないかと思います。

 

もちろん、「自分の案」が採用されるとは限りません。場合によっては用意した案がすべて却下され、まったく別の案になる場合もあります。

ただ、すべての案が却下されたとしても、自分で案を考えてきたことは上司から評価され得ますし、自分自身の経験値にもなるはずです。

 

3.「私が欲しい情報」を明確にしてから質問する。

2.で紹介したように、YesNoで回答できたり、選択肢を作ることができたりすればベストです。

ですが、もちろん現場は「Yes」や「No」で質問できるケースばかりではありません。

先輩や上司からアイデアが欲しい時や、解決策の具体案が欲しいときもあるでしょう。

 

そんな時は必ず、「私が欲しい情報」を明確にしてから質問しなければなりません。

具体的には、私は次に述べるような、3つのまとめを書き出しています。

 

今までやったこと、わかっていること

「部門ID」についての仕様書を読み、一通り理解した

得たい成果

部門IDを拡張し、セキュリティの権限を制御できるようにする

私が欲しい情報

セキュリティの権限を部門IDで制御するために、セキュリティの仕様についてもう少し深く理解したい。本プロジェクトのセキュリティの仕様の参考となるサンプルや資料

 

まず「今までにやったこと」を箇条書きにしてまとめ、その次に「得たい成果」をこちらも同じように箇条書きにします。

「得たい成果」は、作業の目的といっても良いと思います。

 

そして最後に「欲しい情報」をまとめます。

ここが質問の核となる部分です。

 

最後に、まとめた紙を先輩や上司と共有し、質問をすれば、質問の効率はぐっと上がります。

若干最初は手間に感じるかもしれませんが、結果的に何度も質問をしに行くよりも、この方が遥かに早いと思います。

 

4.「聞きやすい人」ではなく「聞くべき人」に聞く

そして最後のポイントが、「聞くべき人に聞く」です。

私もそうだったのですが、一般的な傾向として、怒られるのがコワイですし、自分の質問がうまくできているかどうかも不安なため、どうしても聞きやすい人に聞いてしまいがちです。

 

でも考えてみれば「聞きやすい人」が答えを持っているとは限りません。

技術者は人それぞれ得意分野がちがいますし、今までにやってきた仕事も異なります。したがって、「聞きやすい人」ではなく「聞くべき人」に聞くのは当然と言えます。

 

でも、そういう人が常に「良い質問の受け手」であるとは限りません。

中には一生懸命質問しても、冷たくあしらわれてしまうこともあるでしょう。(彼らも人間なのですから、当然です)

そのため、質問する側に求められるのは、「相手を見て質問の仕方をカスタマイズすること」です。

 

例えば、私の上司の一人は「結論」から言うことを強く部下に求めますし、上司も結論から言うタイプです。

ですから、その方に質問をするときにはかならず単刀直入に、結論を伝えるように心がけています。

 

また、別の先輩技術者は、逆に「結論」から言わない方です。

思考の過程を一から話してくれるので、理解はしやすいのですが、逆に結論は曖昧になりがちです。

その方には必ず最後に、「確認しますが……」と確認をしなければいけません。

 

また別の先輩技術者は、私が質問をすると丁寧に「田中さんはどう考えたの?」と一つ一つ確認をしてくれます。

とても丁寧で、紳士的なのですが、逆に自分で考えて意見を持っていないと、逆に「なんで自分で考えないのさ」と、無言の圧力をもらってしまいます。

 

私は常に、質問するスキルは、「受け」のコミュニケーションスキルであると思っています。

例えば、飲み会で活躍するような、皆を楽しませるコミュニケーションに長けた方でも、「質問が苦手」という人は意外に多いと思います。

それは、「自分から発する」コミュニケーションは得意でも、「相手から引き出す」コミュニケーションが苦手なことの証です。

 

質問力を鍛えるにはこの、「受け」というコミュニケーションスキルを鍛える必要があるのだと思います。

 

 

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人間の悩みは健康・お金・人間関係の3つに分類される、と聞いたことがある。

「さすがにそれだけじゃないでしょう」と思ったが、なるほど、思い浮かべた過去の悩みはたしかに大半が3つのいずれかに分類された。

 

健康とお金に関しては物理的なつらさが伴うが、人間関係のつらさはある意味「気の持ちよう」である。病気になれば誰もがつらいが、人間関係は同じこじれ方をしていても「気の持ちよう」でつらく感じる人とそうでない人がいる。

自分なら絶対に耐えられないと思う人間関係であっても、強がりでもなんでもなく、本当に意に介さず過ごせる人も存在する。

ただ、そうわかってはいても人間関係に悩んでいるときの悩みは底が見えない程深く、ネガティブな気持ちに支配されてしまいがちである。

 

自分自身に関して言うと、人間関係に悩まされていた学生時代と比べ、今はすごく平和である。

その理由は「周囲の人も自分も成長したから」「環境を自分で選べるようになったから」だと思っていたが、最近もう1つ理由を見つけ、納得した。

それは、「学生時代はお金が絡まないピュアな人間関係を築く必要があり、それゆえに複雑で煩わしかったが、社会人のお金が絡む人間関係は一見ドロドロしそうで、実は結構“シンプル”で“ラク”な関係性なのではないか」ということだ。

 

☆★☆★☆

 

学生時代の人間関係にはお金が絡まない。利害関係ではなく、「話やノリが合う」や「なんとなく好き」といった曖昧な要素でグループが形成され、「なんとなく気に食わない」といった曖昧な理由でいじめが発生する。

恋愛が絡むとドロドロした人間関係に発展してしまう点は学生も社会人も変わらないけれど、総じて利害関係のないピュアな人間関係を築けるのが学生の特徴である。

 

だが、学生の人間関係は、利害関係がないからこそ「感情」に支配された複雑な関係になりやすい。

詳しくは知らないが、以前「スクールカースト」という言葉が流行り話題になった。お金が絡まない中でカーストができてしまう関係性に身を置くことは、私ならとても煩わしいと感じる。皆さんはいかがだろうか。

 

その点、お金が絡む人間関係はシンプルである。

客と店員の関係も、経営者と従業員、上司と部下の関係も、お金が絡んでいる。

感情ではなく、お金に支配された関係である。客はお金を払うからサービスを提供してもらえる。

経営者はお金を払うから従業員を働かせられる。

店員がサービスを提供するのはお金を受け取るからであり、社員が働くのは給料がもらえるからである。

 

ある経営者は「世の中の95%のことはお金で解決できる」と言っていた。

極端だが、あながち間違いではないのかもしれない。

 

ある知人は「自分にとって良い上司とは、給料を上げてくれる上司である」と言っていた。

極端だが、理解はできる。

 

そういえば、若林正恭さんの『完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込』にこんなことが書いてあった。

不動産屋に部屋を出る旨を伝えにいくと「少々お待ちください」と言われた。するとコーヒーを出され「次のお住まいはお決まりでしょうか?」と尋ねられた。

これにはビックリした。なぜ驚いたかというと、風呂なしのアパートを借りた時はコーヒーなんぞというありがたいものは出ず、内件の時も鍵を渡され「どうぞご覧になってきてください」と言われていた。

そして、あとになって不動産屋の子に聞いたことだけど、当時ぼくは赤いシャツ1枚しか外着を持っていなくて、不動産屋に毎回同じシャツでくるので「赤シャツ」というあだ名がついていたらしい。

それがコーヒーを出してもらえて色々なアパートの資料を持ってきてくれる。おまけにマンションを買える金を持ってるとでも思っていたのか、マンション購入の勧めまでしてきやがった。口調もなんともやわらかかった。

ぼくにとって社会とは風呂なしの部屋を探している時にはコーヒーは出てこないが、風呂ありの部屋を探している時はコーヒーが出てくる。そういう場所としてインプットされた。

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 最後の「ぼくにとって社会とは風呂なしの部屋を探している時にはコーヒーは出てこないが、風呂ありの部屋を探している時はコーヒーが出てくる。そういう場所としてインプットされた。」が印象的である。

お金を持っているかどうかで扱いが変わるというのはよく聞く話ではあるが、ここまでリアルに表現されると、社会の残酷な一面を改めて見せられたようで、少々苦い気持ちになる。

 

だがこれは裏を返せば「お金があれば社会は快適に過ごせる」ということでもある。

 

会社の人間関係をとっても、お金が絡んでいる分センシティブな側面もある一方で、「感情」を凌駕する「お金」が関係性を構築するため、ある意味シンプルで煩わしさがない。

 

金の切れ目が縁の切れ目、寂しさがないわけではない。

だが思い返せば、学生時代の友人も、しばらく会っていない人が大勢いる。当時仲が良かった友人でも、会っていないどころか連絡さえとっていない人もいる。

それは嫌いになったからではなく、「ただなんとなく」そうなっているのである。

 

寂しいと思う気持ちもゼロではないが、こうやって更新されていくのだな、とさっぱりした気持ちもあって、私はこの“更新”が実はそんなに嫌いじゃない。

また縁があれば、当時とはまた違った関係性が築かれていくのだろう。それはそれで面白いと思う。

でももしかしたらもう縁はなくて、二度と会わないかもしれない。そう考えると、お金が絡む人間関係の寂しさとそんなに変わらないんじゃないかなーと思えてくる。

 

それに、お金が絡む人間関係にも、「感情」がないわけではない。

「感情」を凌駕する「お金」でしっかり関係性が保たれつつ、「感情」もしっかりと存在している。

たとえばお金が絡む関係性で「恩」を感じることは多々ある。「恩があるからこの人のためには頑張りたい」といった話も聞く。鎌倉時代の「御恩と奉公」に似た関係性は、現代でも見られるのではないだろうか。

 

他にも、敬意、憧れ、好意等、お金が絡まない人間関係と同様に様々なプラスの感情が湧く(もちろん、マイナスの感情が湧くこともある)。お金で関係性をしっかり保ち、そんな中で芽生えた感情が今度は関係性を豊かにする。

部下が上司と仲良くなったり、客が店員と仲良くなったりするのは珍しい話ではない。私はそんな関係も、シンプルで強固で豊かな関係だと思う。

 

☆★☆★☆

 

ではまた!

次も読んでね!

 

 

【著者プロフィール】

名前: きゅうり(矢野 友理)

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

【著書】

「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

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Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri  ブログ:「微男微女

「稚拙な体育会系」に関してのツイートがちょっと面白かったので、紹介する。

このツイート主が述べる

「体育会系から排除されたオタクが集団を作ったらさらに稚拙な体育会系を構築する」

という現象が、普遍的かどうかはよくわからない。

 

だが確かに「権力の扱いが稚拙な組織」が存在するのは事実だ。

 

実際、権力は適切な取扱をされなければ容易に堕落し、構成員を不幸にする。

したがって、人が集まって「権力」が発生する場所には、必ず「マネジメント」の技術が不可欠であり、それなりに訓練された人物が上に立つ必要がある。

 

しかし、一方で「素人」がマネジメントをして、長く組織を維持しているケースもある。

それが、体育会系だ。

顧問や生徒など、全くのマネジメントの素人が組織を維持しているケースが殆どである。

したがって、「体育会系」には、様々なマネジメントの工夫が見られる。

 

故に、興味の中心は

「体育会系はどのようなマネジメントを行っているのか?」

「素人が作った組織と何がちがうか?」

である。

結論から言えば、ちがいは3つだ。

 

1.メンバーに共有された「わかりやすい目的」が存在する

マネジメントの第一歩は、組織の目的を定義することだ。企業で言えば「経営理念」のような存在である。

なぜこの組織が存在しているのか、なぜ我々は集結して事に当たるのか。

そういったことを明確にしておかなければ、組織は「音楽性の違い」によって空中分解する。

 

もちろんこれは企業でも例外ではない。

きちんと練られた「経営理念」のない企業は、経営者の私利私欲の道具となりがちであり、構成員は長く居着かない。

 

だが、体育会系は毎年人員が変わり、3年から6年も経てば全ての構成員が入れ替わる。

したがって、大半の体育会系では部の理念を

「苦しい練習に耐えて精神修養をすること」または

「大会で勝利すること」

といった、わかりやすい目的を掲げた部がほとんどである。

 

余談であるが、部活であっても今までとは異なる大きな成果を追求するのであれば、「部の目的」を再度、定義しなければならない。

野球部のマネジメントを題材として扱ったビジネス書「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」では、こんなエピソードがある

「つまり野球部をマネジメントするためには、まず野球部はどういう組織で、何をするべきか――を決めなければならないのよ

「ほほぅ。ふうむ……なるほど、それで『野球部とは何か?』って聞いたわけね」

「うん、そうなの。でね、これが決まらないと先へ進めないんだけど、それがさっぱり分からなくて……

「野球部って、野球をするための組織じゃないの?」夕紀は、何気ない調子でそう言った。しかしみなみは、残念そうな顔をしながらこう答えた。「それが違うらしいのよ。『マネジメント』には、こうあるわ」

"自らの事業は何かを知ることほど、簡単でわかりきったことはないと思われるかもしれない。鉄鋼会社は鉄をつくり、鉄道会社は貨物と乗客を運び、保険会社は火災の危険を引き受け、銀行は金を貸す。しかし実際には、「われわれの事業は何か」との問いは、ほとんどの場合、答えることが難しい問題である。わかりきった答えが正しいことはほとんどない。(二三頁)"

「つまり、『野球をすること』というのは、ここでいう『わかりきった答え』なのよね。だから、それはたぶん違うと思うの」

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逆に、素人が作った組織はこれが存在しない事が多い。サークルやバンド、同人などが、体育会系に比べて分裂しやすい理由はここにある。

彼らは「楽しいことを第一とする」を標榜していることが多いが、「楽しいこと」は個人の主観に大きく左右されるからだ。

 

例えば「困難を乗り越えて達成する」を楽しく感じる人と、「気楽にのんびり」を楽しく感じる人では全く相容れない。

また、組織が大きくなってくると、「楽しく」やるために、自分自身の支配欲を満たそうと動く人物が増え、メンバーの一部がそれを嫌って組織が分裂するパターンが多い。

 

2.理不尽でも「伝統」として慣習を出来る限り守る

体育会系には、理不尽な慣習が数多く存在する。例えば私が在籍していた部では「練習の帰りに炭酸飲料を飲んではいけない」というオキテがあった。

今思えばよくわからない慣習であり、試合のパフォーマンスとは無関係だろう。だが当時、殆どのメンバーはそれを律儀に守っていた。

反論しても「伝統だから」という理由でおそらく却下されただろう。

 

だが、なぜ体育会系にはそういった慣習が存在するのか。

おそらくこれは「素人がマネジメントしている」ことを補完する意味合いがある。

つまり「伝統」と言えば、人が言うことを聞いてくれる組織は、顧問やキャプテンがマネジメントに関して無能でも、なんとか機能させることができるのである。

 

多くの方が知るとおり、人の説得やルールの浸透はとてつもなく手間がかかる上、マネジメントの技術も必要とする。

そこで「伝統」という言葉を持ち出し、「理由はともかく守るべき事項」として、顧問やキャプテンの手間を省き、マネジメント能力不足を補うのである。

 

逆に、サークルや同人のリーダーが「人間関係に疲れる」とこぼすのは必然だ。

「伝統」が使えなければ、やること成すこと、調整や説得が必要となる。

そうした手間が、彼らを疲れさせているのである。

 

3.「年長者」に強力な権限を与える

体育会系は、先輩やOBなどに、体育会系は強力な権限を与えている。

サークルや同人にもこう言ったケースが見られないこともないが、体育会系の先輩やOBの権限を見れば、可愛いものである。

 

例えば、PL学園のエピソードである。

爆笑!ああ、体育会の青春 先輩から人生の「理不尽」を学んだ日々

「先輩がいる部屋では、常に緊張して息が詰まる。授業に出て初めて一息つけるんです。朝早くても、4時に先輩を起こすといけないから目覚ましも使えない。どうするかというと、目覚まし時計は時間になるとカチッと音がして、それから鳴り始めますよね。そのカチッという音で飛び起きるんです。目覚ましを抱いて寝て、カチッ、ピタッと」

全体練習後、寮から学校まで約3kmの山道を、1年生は全力で走って寮に戻る。最後の3人は〝ベベスリー〟(ベベは関西弁で最下位の意)と呼ばれ、先輩の〝パシリ〟(使い走り)として「おい、飲み物買って来い」となるからだ。

「これで帰りが遅れると、共用の台所や洗い場が混んで調理と洗濯ができず、睡眠時間がどんどん削られる。1年生は、寝る時間を確保するために毎日競争を強いられるんです。

試合のときだけは、先輩のプレッシャーから解放されて、何より『これだけやって負けるわけがない』と思っていました。5万人の観客より一人の先輩の方が怖かったですもん。他の高校はガチガチに緊張してますから、それが強さにつながっていたんでしょうね」

(現代ビジネス)

しかしなぜ、体育会系は上下関係にここまでうるさいのだろうか。

 

それはもちろん「効率の良いマネジメント」に、上下関係が有用だからだ。

 

本来、最も理想的なマネジメントは、「本人のやる気を引き出す」ものである。

だが、キャプテンや上級生といった、10代、20代のマネジメントの素人に、それを求めることが合理的だろうか?

 

おそらくそうではない。

キャプテンや上級生が、その技術を身につけることを待っていては、任期の1年はあっという間に過ぎてしまう。

したがって、次善策として有効なのは「恐怖によってマネジメントする」ことにほかならない。

 

メンバーが理不尽を受け入れてさえくれれば、上級生のマネジメントの稚拙さはカバーでき、部全体としての意思決定が致命的に遅れてしまうことをカバーできる。

 

サークルや同人はこれが難しい。

「たまたま」その世代のリーダーや上級生に、マネジメントの技術に長けた人物がいればよいが、恐怖によって人を動かすことができない以上、どうしても意思決定には時間がかかる。

また、ルールの浸透や、規律の維持もどうしても甘くなる。

「短期で結果を出す」「マネジメントが素人」という環境においては、体育会系の方式のほうが有利なのだ。

 

******

 

なお、余談だが企業で「体育会系」が好まれる一番の理由は、上に述べたように「マネジメントが楽だから」に尽きる。

「努力家が多い」や「困難を乗り越える力が強い」ではない。

 

だから、高度成長期にはもちろん、黙って言うことを聞いてくれる体育会系が最も良い人材だった。

 

だが今はどうか。

もちろん、「その会社のビジネスモデル」が何であるかに依るのだが、現在、世界のトップを走る会社を見ると、「黙って言うことを聞いてくれる」が、それほどのアドバンテージではないように感じる。

 

 

 

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(Photo:Vinu Thomas)

中川淳一郎さんと適菜収さんの対談本、『博愛のすすめ』のなかで、こんなやりとりがありました。

適菜収:父親が小さい子供を保育園に送ろうとして、チャイルドシートに置いたまま忘れてしまった事件がありました。

保育園で子供を降ろさず、そのまま会社の駐車場に車を停め、夕方に女房から電話がかかってきて、ハッと気づいた。急いで車に行ったら子供は蒸し焼きになって死んでいた。

それがヤフーニュースに載っていて、コメント欄でみんな父親を叩いていた。「子供を育てていて、忘れるなんてありえない」「苦しんだ子供がかわいそう」「自分が奥さんなら絶対に許さない」とか。

それはそうなんですけど、とんでもない事件は、とんでもないからニュースになるわけです。逆なんですよ。「ありえない」と言うけど、ありえないからニュースになっているだけで、ありえないことに対して、「ありえない」と言うのは意味がない。

私はこの父親がかわいそうだったんです。だって、人間は忘れることがありますから。絶対に忘れてはいけないような、ありえないことが発生するのが現世です。本当にポーンと忘れることもある。子供が蒸し焼きになるのが現世です。

 

 中川淳一郎:いちばん悲しんでいるのはその親父ですよ。後悔しているだろうし。だから叩くのは簡単です。

北海道の山の中で男児置き去り事件がありましたよね。ネットでは子供がいないような人々が、親の気持ちもわからずに「父親が怪しい」「息子を殺した父親の虚言ではないか」などと「子供は邪魔なものだ」という主観を元に妄想を膨らませるわけですね。

そいつらは、子供がいたら、ランドセルを買うのに三万円かかるとか、保育園も毎月五万円かかるとか、怖くて仕方ない存在としか思っていないんですよ。オレも子供はいませんが。

[amazonjs asin="4062206366" locale="JP" tmpl="Small" title="博愛のすすめ"]

僕も、大事なことを「忘れてはいけない」と思いながらも忘れてしまうことがある人間なので、このお父さんがやってしまったことは、「あってはいけないことだけれど、他人事ではない」と思ったのです。

以前、子供を保育園に預けるのを忘れて職場まで行ってしまったこともありましたし(引き返して保育園に預けてきました)。

 

子供への愛情が足りない、というよりは、大事だ、忘れてはいけないと意識しているにもかかわらず、いや、意識すればするほど、なぜか「抜けてしまう」ことって、ありますよね。

 

この話を読んでいて、僕は、あの長嶋茂雄さんが、息子さんと一緒に球場にやってきたにもかかわらず、試合終了後、息子さんを球場に「忘れて」帰宅してしまった、というエピソードを思い出しました。

でも、この長嶋さんのエピソードで、長嶋さんを「子供になんてひどいことを!」と批判している人を僕は見たことがありません。

むしろ、「お茶目な長嶋茂雄の伝説のひとつ」として、語り継がれているのです。

 

暑い日に車内に置き去りにされるのは、野球場に忘れられるよりも、リスクが高いのかもしれないけれど、どちらも「忘れてはいけない子どもという存在を忘れてしまったお父さん」の話ですよね。

 それでも、結果として子供が亡くなってしまえば、「ひどい親だ」と、本人も自分を責めているところに大バッシングをされ、無事だと「面白エピソード」になってしまう。

 

僕は、長嶋さんも同じくらい責めるべきだ、と言いたいのではありません。

車の中で、動けずに熱中症で命を落とした子供のことを想像すると、「親は何をやってるんだ!」と憤りたくなるのもわかります。

 

しかしながら、人間というのは「忘れてはいけないことを、忘れてはいけないと意識すればするほど、忘れてしまうことがある生き物」だとも思うのです。

僕自身にも、何か他のことを考えていると、「抜けて」しまうことがあるから。

そして、このお父さんと同じことをやってしまうのではないか、と怖れてもいるから。

 

ああ、でもあの北海道の男児置き去りのとき、「親の狂言なのでは……」と疑う気持ちが僕にもありました。

それに、こういう事例で、置き去りにした親を責めるというのは、世の中の忘れやすい人たちへの戒めとして、意味があるのかもしれません。

もし子供を置き去りにすれば、お前もこんなひどい目に遭うんだぞ、って。

 

それに、「子供が蒸し焼きになるのが現世です」って、蒸し焼きになるのが自分の子供でも、同じことが言えるのかよ!とも思うのです。

結局のところ、同じようなことをやっても、結果の良し悪しで世間の評価というのは大きく変わってしまう。

 

「何かに夢中になると、大事なことを忘れてしまいがちな人間」としては、他人事じゃないな、と考えずにはいられません。

こういうのって、第三者としては、起こってしまったことを責めるより、これを教訓として、車の座席に子供の重さがかかっている場合などに、運転席のドアを開けるとアラームが鳴るシステムをつくるとか、親の側もスマートフォンにメモしておくというような技術的な対策を考えたほうが良いのではなかろうか。

 

信じられない、信じたくない人も多いのかもしれないけれど、「これは忘れてはいけない」ということほど、なぜか抜けてしまうことって、確かにあるのです。

 

 

【著者プロフィール】

著者;fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ;琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

Twitter:@fujipon2

 

(Photo:atblsxgrep lzmnadtshn)

あなたの人生は、あなたしか生きることができない インターネットの備忘録

ヒーローがヒーローらしく、大人が大人らしくふるまうっていうのは、そんなに簡単なことじゃない。 -いつか電池がきれるまで

 

上掲の、2つのリンク先は、40代にこれからなる人と、40代を続けてきた人のブログ記事だ。

二人ともインターネット上の書き手として長いだけあって、現在の心境が、読みやすい文体で綴られている。 

両方の文章を読み進めるうちに、以前から考えていたことがまとまってきたので、文章にしてみる。

 

 自分の人生を自分で生きる、喜びと覚悟 

生き方が多様化している現代社会には、「40歳までに○○をしていなければ大人失格」といった、○○に相当するものが存在しない。

どのように生きて、どのような40歳になるかは、個人の自由と都合に委ねられている。というより、はせおやさいさんが書いてらっしゃるように、自分の人生は、自分にしか生きられない。

あなたの人生は、あなたしか生きることができません。

それはつまり、あなただからこそ得られる喜びや幸福、悲しみや悔しさ、様々な経験があるはず。

誰かが作ったロールモデルや期限に振り回されず、自分が得た感情をめいっぱい味わって、人生を豊かにしていけばいい。

わたしも同じように、得た感情が甘いものでも苦いものでもそれぞれをしっかり味わって、豊かな人生にしていければいいな、と思っています。

 私は、はせおやさいさんのこの言葉に救いを感じた。と同時に、壮年期の覚悟のようなものも読み取った。

ここに書いてあることは、「あなたの好きなように生きていいんですよ」的な慰めとは違う。自分の人生を自分で豊かにしていくということは、人生の豊かさの定義も含めて、自分の人生は、自分で生きていかなければならない、自分で耕して自分なりの豊かさをつくっていかなければならないということと同義でもある。

 

親に言われた幸福や豊かさでもなく、メディアが喧伝している豊かさでもなく、自分のオリジナルな豊かさを定義し、追いかけ、守っていくというのは、楽なことばかりではない。

なぜなら、それで不幸になったとしても、親やメディアのせいには、もうできないからだ。自分の人生の豊かさに対して、責任を持たなければならない、ということでもある。

それでも、自分の人生を自分で生きられる、生きたって構わないという認識は、アラフォーの救いだと私は思う。 

ただ、自分がそれぞれの期限を過ぎたときに、「ああ、間に合わなかったけれど、これはこれでいい人生だな」と思えるかどうかのほうが、もっとずっと重要だと感じる。

100人の人間がいれば、100通りの人生がある。

そしてそれぞれの人生において、それぞれ分からないなりに迷い、選び、後悔したり、それを乗り越えて生きている。

 40代にもなれば、人生は、これまでにできあがった都合や事情によってだいたいのところができあがっていて、1からリセットしてやり直し、というわけにはいかない。

間に合わなかったこと、出来なかったこと、選べなかったこともたくさんあるはずだ。私が思うに、40歳を迎えて無謬で無傷な人生を歩んでいる人など、いるわけがない。

 

だけど、これまでに抱えてきた都合や事情で凸凹だらけになっている自分の人生を、卑下する必要は無い。

むしろ、今の凸凹だらけな自分の人生にあわせて、「豊かさとは何か」を自分なりに再定義して、自分にとって一番良いよう年を取っていけば、それでいいのだ。

 

そういう豊かさのカスタマイズを進めていくにあたって、「自分の人生は、自分しか生きることができない」という認識はひとつの拠りどころになる。

どこかの誰かが言っている豊かさではなく、自分の人生にあわせてカスタマイズした、自分にとっての豊かさを追求していけるなら、凸凹だらけの人生だってそう悪いものじゃないし、まだまだ豊かにしていく余地がある。

たとえ自分の人生が、チンパンジーのような人生でも、野牛のような人生でも、イワシのような人生でも、だ。

 

「『大人』を実践すること」と、自分だけの人生

他方で私は、成人は、多かれ少なかれ「大人」として生きる“べき”だとも思っている。

ここでいう「大人」とは、以前、Books&Appsに寄稿したものとだいたい同じだ。

今は、大人を「やる」ための機会がとても少ない社会になった。

 「大人」という言葉は曖昧なニュアンスを含み、その定義も人によってまちまちだが、あえてひとつの条件に絞るとしたら、私は、「世代や立場が違う人に、その違いを踏まえて対応できること」が「大人」の第一条件だと思う。

 言い換えると、自分の世代のことしか考えられない人、自分の世代の目線を年下世代にそのまま適用している人には、「大人」という言葉が似合わない。

 人は、年齢の違いから逃れることはできない。たとえば、30代の人は20代からは経験の豊かな年上とみられるだろうし、10代以下には、おじさんやおばさんとうつるだろう。

反面、40代からは若手とみなされ、60代からはまだまだ若者の部類だとみなされる。

 

だから私は、自分にしか生きられない自分の人生を生きている人も、年下世代から、年齢相応かどうかを批評されるのは仕方のないことだと思う。

年上が、年下に対して「おまえは年齢相応ではない」と言うのは必ずしも適当だとは思えないが、年下が、年上に対して「あの人は、40歳としてしっかりしていない」といった風に言うのは避けがたく、どのような事情や都合があっても、甘んじて受けなければなるまい。

 

こう書くと、「大人」を実践しながら生きていくことと、前半で書いてきた、自分の人生を生きていくことは、正反対だと思う人もいるかもしれない。

だが、たぶんそうではないのだ。

 

「大人」を実践するというのは、年下から百点満点を貰えるような「大人」を忠実にやってみせるのとイコールではない。

そうではなく、自分の人生の都合や事情を抱えた精一杯の範囲のなかで、できるだけ「大人」をやっていくこと、それでもし、至らないところがあって年下からあれこれ批判されるところがあるとしても、それを受け容れながらも生きていくのが、「大人」の実践ではないだろうか。

 

「大人」を実践する、というと、私達は立派に子育てをしている親や、後進の育成に励んでいる指導者といったテンプレートを想像しがちだ。

もちろん、それらは立派な「大人」の実践ではある。だが、誰もがテンプレどおりに「大人」になれるわけでも、いつでも「大人」をやり遂げられるわけでもない。

 

たとえば、自分が生きていくのに精一杯で、とても年下の目線なんて意識しきれない40代なども、世の中にはいるだろう。

それでも、その人が電車のなかで赤ちゃんの泣き声に文句を言わずに黙っていたりする一瞬一瞬において、その人はやはり「大人」をやっているのだと思うし、それがもし、その人の人生の都合や事情のなかで精一杯だとしたら、それがその人にとっての「大人」の実践だと、今の私は思うのだ。

 

人は、それぞれの都合や事情のなかで、それぞれに豊かさを求めていかなければならない。

と同時に、人は、それぞれの都合や事情のなかで「大人」を実践していくしかない。豊かさのモノサシが各人各様なのに似て、自分に実践できる精一杯の「大人」のモノサシもまた、各人各様のはず。

 

もちろん、10代~20代の人は、精一杯な「大人」の実践に対しても、容赦なく「あの人は大人気ない」「あの人は自分のことしか考えていない」といった風に寸評するだろう。

それは仕方のないことだし、10代~20代の視点として、それは妥当だ。年上は、そういった年下の目線を受け容れなければならない。それでも、自分にできる精一杯のことをやっていくほかない。

 

許せるのも、裁けるのも、最後は自分自身

結局、自分自身の主観的においては、自分の人生がどれぐらい豊かなのか、どれぐらい「大人」を実践できているのか、自分の胸に手を当てて自問してみるしかないのだと思う。

他人はあくまで他人だから、自分の人生の主観的な豊かさを読み取ってはくれない。

苦しい都合や事情のなかでやれる範囲でぎりぎりまで「大人」を実践している人と、望ましい事情のなかで楽々と「大人」を実践している人の、主観的な奮闘の程度についても読み取ってはくれない。

それは、どうしようもないことだ。他人というのは、誰にでも理解できるモノサシでしか、自分のことを見てくれないから。

 

だから、主観的な豊かさを認めるのも、どこまで「大人」を人選しているか否かを裁定するのも、最後の最後には自分自身しかない。

他人から見てどれほど豊かな人生も、またどれほど「大人」を実践しているようにみえる人生も、自分自身がしっかりしていなければ空虚でしかないし、堕落するだろう。

 

客観的にどれだけ豊かで、どれぐらい「大人」を実践できているかが大切なのは言うまでもないし、そういったものを馬鹿にするべきではないだろう。だけど、自分自身の主観的なモノサシも、それに負けず劣らず大切だ。決して軽んじるべきではない。

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)など。

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twitter:@twit_shirokuma   ブログ:『シロクマの屑籠』

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 (Photo:OiMax