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彼はなぜ、上司からの指示を素直に聞けるようになったのか。

「あの人、全然いうことを聞かないんですよ。」

と、困り果てたチームリーダーが言っていた。

 

「仕事を与えると、「大丈夫です!」って、返事だけはいいんですけどね、まだウデがないもんだから、まあ、クオリティの低いものが返ってくるんですよ。」

「最初に、やり方を教えないんですか?」

「もちろん教えますよ。でも自分のやり方へのこだわりが強いんでしょうね。全くこちらの言うことを聞かないんです。

例えば、企画書一つとっても、箇条書きを使えと言っているのに使わないし、「背景」という項目はわかりづらいので使うな、といっても入れてくるし。」

「なるほど……それは困りますね(笑)」

「いやいや、もう全く笑えなくて。」

 

彼は溜息をついた。半年ほど前からチームに合流した部下が、全く言うことを聞かない、と彼は困ってるらしい。

部下は2年目の女性社員で、社内では「言うことを聞かない」と評判だ。留学経験があるからなのか、原因はわからないが、自己主張することについて強いこだわりを持っているらしい。

 

リーダーは述べる。

「自己主張することは別に悪くないんですが、自分の仕事のレベルを認識できていないんですよ。

この前なんか、お客さんに「成果物の程度が低い」と怒られたのに、直そうとしないんですからね。流石にそれはマズいので叱ったら、「上司から嫌われてる」って同僚に愚痴ってたみたいで……。」

 

————————–

 

最近になって同じような話を、別の方から聞いた。

 

その方はあるスタートアップの幹部で、幾つかのプロジェクトを切り盛りしているマネジャーだ。

「彼、指示を全く守らないんですよね。オリジナリティに強いこだわりがあって、指摘するとすぐに怒って意地を張る。」

「そうです。その通りです。」

「我々も非常に困りましてね、面談で理由を聞いたんですよ。なぜ、指示通りやらないのかと。」

「なんと言っていましたか?」

「単純です。「こちらのほうが良いと思ったので」とだけ言っていました。」

 

私が「困りましたね」と言って頷くと、マネジャーは言った。

「もちろん「良いかどうかをきめるのは、アナタではなく客だ。」と強く言ったら、むくれてしまってね。で、ちょっとどう扱おうかと悩んだんですが、30代、40代になってもこれが治ってないと、まともに仕事できないと思いまして。」

「何をしたんですか?」

「きっちり彼と向き合うことにしました。大体、彼みたいなタイプに、はっきりいう人っていないんですよ。面倒だから。だから今まで放置されてきた。」

「そうなんですか。」

「彼に近づかない、って決めてる人も社内には多かったです。」

「……。」

「彼を呼び出しましてね。言ったんです。「今のままの態度だったら、最低の評価にする。」ってね。」

「はっきりいいましたね。」

「持って回った言い方では、伝わりませんよ。こういう人たちは、自分の都合のいいように解釈するので。」

「彼はなんと?」

「「理由を教えて下さい」と。私は「アナタの仕事がお粗末だから」とはっきりいいました。彼はしばらく黙ってましたが、「では、どうすれば評価していただけるのでしょう」と聞き返してきました。」

「どのように答えたのですか?」

「3ついいました。

一つ目は「成果物の出来を評価するのは客、もしくは社内の仕事の依頼者である」

二つ目は「自己流でやるか、言われたやり方でやるかは任せる。」

三つ目は「私にはどんな質問でもして良い。」」

「彼はなんと?」

「わかりました、とだけ言いましたよ。」

「その後、どうなりましたか?」

「良くなりましたね。まず自分でやってみて、何か言われたら、すぐに私のところに持ってくるようになったんです。ま、彼なりに考えてはいるんですよ、実力が伴っていないだけで。」

「そうなんですね。」

「「面倒な奴」には誰も関わりたくないですからね。でも、考えている分、成長の余地はあります。」

「なるほど」

「そういう人物は、大抵の職場で腫れ物に触るように扱われていますが、化ければできる奴になります。でも、それには誰か一人は、理解者が必要です。耳の痛い話をはっきりと、客観的にきかせる力を持った上司が。」

「彼は何で耳の痛い話を聞けるようになったんですかね。」

「私が彼をバカにしなかったからですよ。人間て、自分がバカにされているとわかるんです。そうなると意固地になる。」

「難しいですね。」

「「アイツはプライドが高いから、人の話を聞かない」っていう決め付けが、一番よくないんです。」

 

 

 

プライドが高くて大口を叩く人物は、周りからバカにされていることも多い。

当然、本人にも責任はあるが、周りにも責任はある。そうマネジャーは言っていたように感じた。

 

 

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(Alejandra Garcia

スニーカーやパンプスを磨けるようになったら単価が上がった、という話

こんにちは。出張靴磨きサービスを行っているニイナナ株式会社「ミガクル」広報部です。

この場をお借りして広報活動をさせてもらってます。社長の堀江です。

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現在、私が行っている出張靴磨きには、大きく分けて2種類のタイプがあります。「オフィスへ訪問して靴磨き」と「個人宅へ訪問して靴磨き」です。

しかし、最初からこの2種類を考えていたわけではなく、当初は「個人宅へ訪問して靴磨き」しか想定していませんでした。

ある時、 Amazonや楽天はもちろんのこと、マッサージやネイルアートなど実体験ものにしても、ありとあらゆるものが自宅でインターネットから注文できるのに、「靴磨き」はまだないなあ(1年前)と気づいたのです。

自分がそういうサイトを先に作っちゃえば「誰もやってないから、俺がやれば絶対儲かる」って思ったのです。

 

 

でも、多くの方はお気づきだと思うのですが、「誰もやってないから、俺がやれば絶対儲かる」っていうのは、「簡単に儲からないから、誰もやってない」ということでもあります。

まあ、起業した人が後から気づくという「起業あるある」なんですが…

実際は、インターネットの集客って非常に難しくて、サイトをつくったからといって問い合わせが来るわけではないです。特に誰もやってないサービスだと尚のことです。

それはリアル店舗と一緒です。どんなにいいサービスがあったとしても、誰もそのサービスを知らない上に、さらに信用もなければその店舗に足を踏みいれることはないですよね。

結局は、自分の実力では自らの数少ない人脈を辿ってリアルの繋がりを中心に営業をしていくしかありませんでした。それに関しては先日の記事でお伝えした通りです。

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そして、リアルの繋がりを利用して最終的にとった作戦は「トライアル(無料)と称して、とにかく自宅へ行く」という方法でした。

そこまでしなければ出張靴磨きの魅力はわかってもらえないと思いました。それに一度でも試してもらえれば満足してもらえる自信もありました。

 

 

ある時知り合いの社長さんの自宅へ出張靴磨きに行かせてもらえる機会をもらいました。

その社長さんのご自宅へ伺い靴を10足ほど磨かせてもらい、とても満足して頂くことができたのですが、その時に私が「会社に出張して社員さんの靴磨きとかもどうですか?」と、なんとなく聞いてみたら

「いいよ。来てみなよ」と言われたのです。

 そうやってオフィスでの出張靴磨きがはじまったのです。

 

でも一筋縄ではいきませんでした。なぜならその社長さんのオフィスに行ってみると革靴を履いている人はほとんどいなかったからです。ほとんどの人がスニーカーでした。

しかし、ここでひとつの気づきがありました。

それは「スニーカーだから磨けないんだよね」と言われることに対して、「いや磨けますよ」と言うことができれば、もっと多くの人の靴が磨くことができるんだと思ったのです。

このことがきっかけでスニーカー磨きの技を習得しました。さらにはどんな靴でも磨けるようにしとけばいいと思い、パンプスやスエード靴なども磨く技も習得しました。

まるでポケモンが技を習得していくみたいな話なんですが、経験(値)を積んで技を習得していく、まさにその表現がピッタリです。

 

 

結果的に、訪問先が必ずしも革靴の方がいる場所でなくてもよくなりました。

「御社のお昼休みなどに出張靴磨きとしてお伺いしてもいいですか?」とこちらから聞いた時に

「いやウチはスニーカーの社員ばかりだから」とか

「女性が多い職場だからね」

と言われても

「大丈夫です」と答えることができるようになりました。

多くの場合、反射的に「できない理由」を言われてしまうのですが、それが自然に切り返せるようになったのです。

さらにもう一つ絶大な効果があったのは、訪問1回あたりの単価が上がるということです。

売上げを上げるには、新規顧客、利用頻度、単価を上げることが大事というのは以前の職場で学んでいました。

その中で手間がかからないけれど意外と難しいのが単価を上げることだと実感していたのですが、スニーカーやパンプスなど磨ける靴の種類が増えることで、結果的に訪問1回あたりの単価を上げるということができるようになったわけです。 

 

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何とかニイナナ株式会社を1年持たせることができました。感謝の念をこめて今週はミガクル1周年記念パーティーを行いました。勝手に今年度の抱負を語っているところです。

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ミガクル」サイト

 

【過去の週報】

ニイナナ週報003号 キャビンアテンダントはできる男かどうかを靴を見て判断してるらしい。私はその説を信じます

ニイナナ週報002号 DMよりもWEB広告よりもビジネス交流会よりも、結局知り合いからの紹介クチコミが100倍効率よかった

ニイナナ週報001号【公式】出張靴磨きサービスのニイナナ株式会社が広報活動を行います。

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人生は「今」の積み重ね。老後のために生きているわけではない、という起業家の話。

お会いした起業家の方が起業の動機を語ってくれた。

普遍性のある話だと感じた。

 

「何故起業なさったのですか?」

「話すと長いので、どこから話したらいいでしょうかね……。そうですね、私の父が倒れた時のことからですかね。」

「お父上ですか。」

「父です。体調が悪いって言って、病院で検査したら末期がんだったんです。八方手を尽くしたんですが、半年くらいで亡くなってしまって。」

「それは、ご愁傷様です。」

「まあ、酒もタバコもバカスカやってた父なので、長生きはしないだろうとは思ってましたけど、まさかあんなに早く逝くなんて想像もしませんでした。」

「そうですか。」

「で、そん時思ったんです。「人間て、あっさり死ぬんだな」って。恥ずかしながら、私その時まで人が死ぬっていう実感を持ったことがなくて。もちろん祖父や祖母の葬式には出ましたけど、それはなんというか、当然のこととして受け止めてたんです。」

「はい。」

「でも、父はちょっとちがってました。ピンピンしてたんですよ。ちょっと風邪じゃないのか、みたいに気軽に病院行ったら、それから半年なんて、ショックでした。人生観が変わるって、こういうことだなと。」

 

彼は少し考え込んでいたが、口を開いた。

「で、思ったんですよ。誰もが思うかもしれませんが、「いつ自分もそうなるかわからない」って。どうですか?」

「そうかもしれません。」

「当時、父の葬儀を終えて、暫くして仕事に戻った時、仕事をしていても全く現実感がなくてね。なんかふわふわしてるんですよ。」

「……。」

「人の生死に比べたら、自分の今やっていることってなんか虚しいなと。どこかから「こんなことやってていいのか」って声が聞こえてくるんですよ。

自慢じゃないですけど、私会社では結構成績良い方で、それなりの報酬をもらって、評価もされていました。でも、仮に半年後死ぬっていわれたら、こんなことに時間を使うかって言うと、絶対にそれはなかった。」

 

彼は目をつぶった。昔を思い出しているようだ。

「カネも地位も、社会的な評価も、私にとっては半年後死ぬとしたら要らないものだったんです。今のまま生きてても意味が無い、と思いました。」

「でも、それまで頑張って得たものでは?」

「どんなものも、墓にはもっていけませんよ。」

「それはそうです。」

「それから考えました。人生で大事なものってなんなのか。何を大切にしなければならないか。」

「……。」

「いつか死んで、何もかも失うのに、なぜ頑張るのか、と考えました。」

「はい。」

すると意味があるのは、「今」だけなんですよ。「今」を必死に生きているかどうか。人生って、「今」の積み重ねなんです。

「……。」

「「今」が全力でなければ、老後のため、20年後のため、なんて言葉、何の意味もありません。私は老後のために生きているのではないんです。それで、考えました。」

「何をですか?」

「必死になれることは何か、ということです。ですから、起業ははじめから目的にしていたわけではないのです。やりたいことを突き詰めていった結果、起業せざるを得ない、って言うイメージですかね。」

「会社員でいたら、できなかったのでしょうか?」

「毎日、あれだけの時間を拘束されると、私のやりたいことはできません。繰り返しますが、私は老後のために生きるのはやめる、と誓いました。」

「起業なさって、どうですか?」

「いつ食えなくなるかわからない、という状況がむしろ「生きている」という実感を高めていると思いました。今は毎日「生きている」という実感が強くあります。」

「成功のイメージはありますか?」

「私にとっては、すでに成功なんですよ。「今を必死に生きている」という実感が得られていますから。」

 

 

起業の動機は人様々だ。

だが、彼のような動機で起業する方も少なくないのだろう。「今を生きたい」という言葉が重かった。

 

 

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(Kyrre Gjerstad

なぜイケメンは話がつまらなく、セックスが下手なのかを考えた時の話。

とある会社のミーティングに参加した帰り際。こんな場面に遭遇しました。

 

イケメン男子:「俺、メチャクチャ結婚したいんですよー。でも出来ないんっす」

横の独身男性:「何言ってんの、お前ならすぐに結婚できるでしょー。」

イケメン男子:「いや、そんなことないっすよー。」

向かいの既婚男性:「お前なら相手なんて困らないんじゃない?でもさ、結婚なんて全然良くないぜ。」

 

ワイワイガヤガヤ。とても男性的な会話が続きます。

私はこのやりとりを一通り見聞きして、なんだかとても居心地の悪い、違和感を覚えていました。なんだろう、この違和感は。一人で悶々と考えていると、しばらくしてその違和感の正体に気づきました。

それは「イケメンはモテるから、男としての真の魅力がなかったとしても結婚できるだろう」という、完全なる誤解の上に会話が続いているという気持ち悪さでした。

 

 

イケメンは話がつまらないという事実

女性なら誰もが一度は「話が面白くないイケメン」に出会ったことがあると思います。

ここでいう「イケメン」とは、顔やスタイルといった見た目が良い男性はもちろん、背が高くてなんとなくカッコイイという、雰囲気イケメンも含みます。

 

「お前はどんだけ男を知ってそんなことを言っているのか」

という批判はさておき、私がこれまで生きてきた中で出会ったイケメンたちは、大抵話が面白くありません。面白くないだけならまだしも、つまらなすぎて痛々しいことすらあります。

 

外見的に普通の人、あるいは少しユニークな見た目をしている人が面白くないことを言った時は「何言ってんだよ!」と周りから突っ込みが入ります。連携プレーとでもいいましょうか、結果的にその場が面白くなるということがあります。

しかしイケメンの場合は、「どんなにつまらなくても、激しく突っ込んじゃいけない」という暗黙のルールがその場を支配します。

彼らは小さい頃から、チヤホヤされるヒーローという役割を担ってきました。小学生も高学年くらいになれば、空気を読むことを覚えます。イケメンがどんなにつまらなくても、周りは愛想笑いをして、彼らのプライドを傷つけないことを自然に学ぶのです。

 

ただ、それによってなぜか自分に実力があると思い込んでしまう悲劇。

 

「本人は悪くない。周りがイケメンに甘いだけなんだ、彼に罪はない。」そう思えば思うほど心が悲しくなります。

 

イケメンはセックスも下手という事実

女性なら誰もが一度は「セックスが下手なイケメン」に出会ったことがあると思います。

イケメンは大抵セックスが下手です。これは検証できないのが非常に残念ですが、私が師匠と仰ぐ月20回合コンに行く女友達や、下は10代から上は60代までを守備範囲とする男性経験豊富な友人たちに確認してみても同意が取れたので、ここでは一旦「真理」ということにしておきます。

彼らは見た目がカッコいいので、正直モテます。女性を落とすのに困った経験はほとんどないでしょう。何もしなくても相手から寄ってくるので、女の子をもてなそうという発想が育ちません。

 

だからなのか。

エッチは終始自分本位、淡白に終わることが多いです。

もしくはAVの見過ぎ。これはイケメン云々に関わらず、世の日本人男性ほとんどに言えることです。

本当に感動するセックスというのは、今まで感じたことのないような気持ちよさを経験させてくれたり、見たことのない景色を見させてくれるセックスです。

AVの中の過激なプレイを強要するんじゃなくて、「普通なら恥ずかしくて挑戦できないことも、この人とだったらしてみたい!」と思わせる。

自分の中で眠っていた何かを開花させてくれる。女性はそんな男性に魅かれるものです。いくら鼻が低く、ハゲていても、最高のセックスを提供してくれた男性は、女性の目にはカッコ良く写るようになります。

どんなに見た目がカッコよくても、不潔はダメです。それから爪は必ず切ってください。手も洗ってください。これは個人的なお願いです。

 

男性の真価は40歳以降に問われる

さて、私は日頃から、男性の真価は40歳以降に問われると感じています。

男性が圧倒的多数の業界でバリキャリとして働いていると、40歳以上の男性と仕事をする機会が多くなります。例えば取引先の担当だったり、直属の上司だったり。

 

今の20〜30代の草食系男子と違い、アラフォー世代の男性は肉食系が多い。自分の年齢や既婚という立場を考慮せず、彼らは隙あらばアプローチをしてきます。

正直、40歳前後の男性は、カッコよかろうがいまいちだろうが、20代女子から見れば「オッさん」というカテゴリーに分類されます。どんなにカッコイイ人でも多少は腹が出てるし、ハゲてるし、加齢臭がするもの。

 

それでも彼女たちは若い草食男子ではなく、獣臭漂うアラフォー男性に惹かれます。

彼女たちが求めているものは外見ではないのです。見た目はイマイチでも、このオジさまとならご飯を食べたい、あわよくばその先があっても良い、むしろ私の人生をメチャクチャにして!と思わせてくれる男性が一定数存在します。

彼らはむしろ、若い頃はモテなかった。自分の見た目がそこまでイケていないと自覚している。外見ではある程度勝負が見えているため、中身を磨く努力をしている。

そうやって若い頃から努力を惜しまず女性の扱い方を身につけてきた男性は、40歳を過ぎると、人間としての魅力を爆発させます。何ならその加齢臭や、ちょっとシワが刻まれて張りがなくなってしまった肌さえ、大人の色気として感じてしまう…。

 

外見のカッコ良さに甘んじて、努力を怠っていませんか?

要は何が言いたいかというと、「モテる男になるための本当の努力をしよう」ということです。

歳をとれば、20代で頼ってきた見た目が武器として使えなくなるわけです。なのに、それに気づかずいつまでも自分はイケメンモードでつまらない話と下手なセックスを続けてしまう。もうその頃には誰も指摘してくれる友人もいないから、ただのイタイおじさんになって終わってしまう。

それはなんというか…ただひたすらに悲しいじゃないですか。その自信満々な感じでアプローチされても、悲しさが先に来ちゃってボランティア精神からご飯に付き合ってあげてるだけなんだよ、気づいて、ってなっちゃう。

 

でも、これは私たち女性にも責任があるのではないかと、私は考えます。イケメンだからってホイホイついて行ってしまったり、大してカッコ良くないのに雰囲気イケメンに「かっこいい」と安易に言ってないですか?私はツイツイ言ってしまいます。「へ〜、すご〜い、カッコイイですね〜、面白〜い」の大安売りです。

 

でも、安売りするのはもうやめましょう。将来的に、痛々しいおじさんを大量生産することに加担してしまいます。

もし周りに見た目はイケメンだけど、話が全然面白くなくて、ついでにエッチが下手(そう)な男性がいたら、「それ、勘違いだよ!」と若いうちに言ってあげるのが優しさってもんなのではないでしょうか。

冒頭の会話を聞いて、ふとそんなことを思ったのでした。

 

 

Elly大使

アラサー女子。ひどい男やダメな男ばかり好きになってしまう。

現在はフリーライターとして女性目線からのコラムを執筆。趣味は合コンとBL

(Franz Sander)

「取材の失敗」から学んだ、3つの大切なこと

インターネットで拾い集めた情報だけで良いものはつくれない。メディアづくりには常に、取材がつきまとう。 

電話やメールで聞いたり、あるいは直接お会いしたりして、さらには仕上げた原稿を確認してもらったり、手間ひまかけてひとつの記事が生み出されるのだ。

 

ただ、取材される側にとって、メディアからの取材は良いことだけではない。

取材対応はめんどうだ。特に売れているお店や話題の場所・人であれば、さらに忙しくなるなんて御免だと、うっとうしく感じる場合もあるだろう。

時間をつくって対応しなくてはならないし、そのために何かを見せたり、振舞ったりすることもある。

 

もちろん、その対価をメディアが支払えるときもある。例えば取り上げてもらって嬉しいと、先方から言われることもあるだろう。メディアのおかげでお客さんが増え、いいねの数が増え、思わぬ良い作用をもたらすかもしれない。

だが、残念ながらそうではないときも多い。

だから基本的に編集者やライターは、「取材させてもらう」立場にあることを肝に銘じなくてはならない。

わたしはその姿勢を大切にし、仕事をしてきた。そして、これからもしていく。

先方に伝わらないことも時にはあるが、それでもしっかり心を込めて取材をお願いしていく。メディアづくりの基本は、そういうものだと信じている。取材はしてやるものじゃない。させてもらうものだ。

 

 

しかし、その姿勢がゆらいでしまった失敗がひとつある。それは、ある寺社の取材だった。

 

意外かも知れないが、寺社仏閣の取材は一筋縄ではいかない。観光スポットとして出来たものではなく、宗教施設だからだ。

「うちは観光名所じゃないので」

「パワースポットなんて失礼だ」

「お祭りは観光客のためにやるのではない」

と姿勢を取るところは少なくない。

寺社をメディアに取り上げる際は、先方の意向を聞きつつ、可能であれば取材をさせてもらっていた。

 

おそらく先方はそういった事情もあり、こちらに苛立っていたのだろう。

先方が提示した取材依頼書のテンプレートと、掲載予定の原稿を郵送したのだが、何度送っても掲載許可が出なかったのだ。

送るたびに、電話をして、取材依頼書の至らない点と送った原稿の誤りをいただいた。だが誤りの箇所を指定されるだけで、正解はなぜかもらえなかった。

 

今思えばわたしは、さっさと記事の方向性を修正すればよかった。

「何度もお手数をおかけし大変申し訳ございませんでした。今回の掲載は見送らせていただきたく」

と、わたしから言えればよかったのだ。

だが言えなかった。

わたしは、この記事にはこの情報が欠かせないのだと、躍起になっていた。もはや、自分の記事のほうがよっぽど大切だった。大事な記事に穴を開けたくなかったのだ。

そして、煮え切らないまま悪態つかれるやりとりに、わたしは爆発してしまった。責了の1週間前だった。

前に座っていた編集長は、「人がこんなに怒るところを久々に見た」とすこし笑った。

勝手に「うちにはもう絶対載せませんから!」と言ってしまったので、そのあとだいぶ問題になった。

  

 

編集者として、よいものをつくりたい気持ちは今だって変わらない。熱を持って、たっぷりと愛を注いで、最高のものをつくりたい。

ただ、我々は取材させていただく立場だと頭で考えているものの、心のどこかでメディアは歓迎されるものだと勘違いしていたのだろう。こだわりが強く生意気な(つまり、わたしのような)編集者だと陥りがちの罠だ。

 

この失敗を踏まえ学んだことが、3つある。

ひとつは、「メディアアレルギーは簡単に治せない」ということ。

取材された記事に傷付けられ、メディアアレルギーになっている人は山のようにいる。アレルギーを治すのは簡単ではない。真っ向から戦うと、自分もメディアもたくさん傷付くだろう。そんな時は身を引くことも必要だ。

わたしたちには、みんながハッピーになれる記事、編集、取材、メディアを求められている。傷付け合うために、つくっているのではないのだ。

 

ひとつは、「身の引き際を計算したスケジューリングをすべき」ということ。

今回は責了1週間前、ぎりぎりまで取材交渉をして痛い目にあった。デザイナーや営業担当など、たくさんの人に迷惑をかけてしまった。しかし今思えば、いくらでも修正するチャンスはあったように感じる。

自分の記事は思い描いていた通りに仕上げたいが、1人でつくっているわけではないので、ワガママは言っていられない。軌道修正の道筋を作っていたら、先方と長い間揉めることもなかっただろう。

難航してしまったときはどうするかと、あらゆる可能性を考えてスケジュールを立てるべきだった。

 

ひとつは、「記事は作らせていただくものではない」ということ。

取材がうまくいかなったことと、できあがった記事の良し悪しは関係がない。当然、取材対象に記事のクオリティ責任を求めるのは筋違いだ。

うまくいかなければ取材対象を変えたり、そもそも企画の前提を見直したりするなど、ハンドリングすべきだった。記事は自分のもので、作らせていただくものではない。責任はすべて自分にあるのだから、いつまでも云々と言っていないで自分で転がしていく必要がある。

 

取材をしていくと、先方の「大切にしているもの」が見えてくる。それを掴むことが取材の醍醐味であり、人と人でつくられる情報であり、検索で得られない体温だと思う。

メディアづくりにおいては、大切にしているもの––つまりその「芯」に、寄り添っていくことが不可欠だ。理解しないと始まらないのである。

寄り添う気持ちこそが、取材させていただく姿勢なのだと、わたしは思う。

 

 

 

著者:ながち

とあるWEBニュースの編集者。

過去に全国をめぐる温泉ライター、受注型オウンドメディア運営、旅行情報誌の編集など。

ウイスキーと温泉と大河ドラマをこよなく愛する、23歳の既婚者。

@1001log https://twitter.com/1001log

Facebook https://www.facebook.com/chiharu.takahara.nagai

人生で成功するためには頭の良さは必ずしも必要ではない

僕にかぎらず、ほとんどの人は学生生活を送っている時に一回くらいはメチャクチャ頭がいい人にであった事があるだろう。

 

僕も自分が何時間もかけて勉強した事を、短時間でいともやすやすと習得してしまう彼・彼女らを見て

「ああ、脳みその構造が根本から違う」

と何度も悲観したものだ。

その度に自分の性能の悪い脳みそを恨み、勉学の道は自分には絶対に向いていないから進むのは辞めようと何度も思った。

 

つい先日も20歳ぐらいの才気ある若者と話す機会があったのだけど、彼の優れたものの見方には圧倒されるほか無かった。IQが高いんだろう。羨ましい限りである。

 

 

現代は知識依存社会だ。基本的に収入が高い仕事は殆ど高学歴の人に割り振られる。IQが高いという事は、現代ではかなり優位な特性なのは疑いようもない事実だ。

じゃあ成功できるのはIQが高い人だけなんだろうか?実は物事はそう簡単ではないのが面白いところである。

 

知能指数が高いからといって社会的な成功を得られるわけではない

かつてIQという概念が生み出され、知能テストが大々的に流行った事がある。アインシュタインやらエジソンのIQが150だとか、そんな話を聞いたことがある人もいるだろう。

 

じゃあIQが高ければ、誰でもアインシュタインのように大成できるのだろうか?実は物事はそう簡単ではない。

アメリカで知能テストで高得点を叩きだした人達の人生を追跡調査した社会実験が行われたのだが、高いIQを持つ人のなんと20%もの割合の人達が社会的下層に位置していたという。

知能指数が高かったにも関わらず、この人達はなぜ成功できなかったのだろうか。実はその内訳を更に分析していくと、このグループにはある1つの共通点が見出された。それは「彼らの子供時代の家庭環境が荒廃しており、一つの物事に集中できるような環境がなかった」事であった。

 

ウサギとカメの童話はある意味では正しい

マルコム・グラッドウェルはその著書「天才!」で、一万時間の法則というものを紹介している。

これは「どんな人でも物事を習得する為には一万時間程度の時間をかける必要がある」という事を表しており、彼は豊富な事例を用いて、世の中の偉大なる業績を上げた人間は押し並べて学習にかける時間が桁違いであるという事を分析した。

 

先ほど、知能指数が高かったにも関わらず成功できなかった人達の特徴として彼らの子供時代の家庭環境が荒廃していたと書いたが、これがどういう事かと言えば、つまり「じっくりと1つの物事に集中して取り組む」という事ができるか否か大切だという事になる。

瞬間的な頭の良さが優れた才能なのは言うまでもないが、それ以上に継続して物事を行えるという事が大切なのだ。

 

考えてみればこれは極めて当たり前の事である。例えば仕事ならば、特定のプロジェクトを立ち上げて、それをしっかりと管理し、上手く成功につなげるのには強靭な意思と忍耐が必要だ。どんなに頭のいい人でも、10分でプロジェクトを立ち上げて終わらせる事はできない。

 

継続して1つの物事に取り組んだ事があるという経験は非常に大切なのだ。有名大学の厳しい体育会系に所属していた人達が有名企業に好まれるのは、おそらくその強靭な忍耐力を買われての事なのだろう。

 

ちなみにこの他にも成功できないグループの特徴として、社会に馴染めず、反体制で、孤独な人というのがあるという。

これも考えてみれば当然の事である。不平不満を言うだけで、協力する事もできない人が何かを成し遂げられるはずもない。

 

現代社会では、孤独な天才の価値はほとんど無い。

多少頭が悪かろうが、共同体にうまく適応できる、もしくは共同体に寄り添って、支持や協力を得られる人が重宝される。斜に構えて何に対しても批判的である事が格好良くみえる事もあるかもしれない。そういう気持ちもわからなくもないけど、それが習慣になってしまうと大変な事になる。

 

小賢しいウサギではなく、愚直なカメでありたいものである。

 

 

プロフィール

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高須賀 ←名前をクリックすると今までの記事一覧が表示されます

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

失敗について深く考えない人は、伸びしろが小さい、という採用担当者の話。

生きていれば失敗は誰にでもあるものだ。

だが我々は「失敗」について深く考えているだろうか?

—————————

 

ある採用のイベントに参加した時、面接官をやっている方から、

「うちの会社は面接の時に「大失敗した経験」はありますか?」という質問をしているんですよ。」と聞いた。

「失敗ではなく、大失敗ですか。」

「そうです。普通の失敗程度のものは、ウチが聞きたい経験ではないです。」

「例えば、どんな話があるんですか?」

「多いのは、留年してしまった、とか転職で合わない会社に入ってしまった、とかですかね。」

「ほう」

「中には、ギャンブルにハマった、なんて人もいましたが。」

「そういうのが大失敗なんですか?」

「そうですね(笑)まあ、本人がそう感じていれば大失敗ってことで。」

「他にはどんなものが?」

「あと多いのはファイルを消してしまったとか。」

「なるほど。」

「そんなことを聞いて、どうやって選考に役立てるんですか?」

「一般的には、そこからどうやって立ち直ったか、というのを聞くらしいですが、我々は「それがどうして大失敗だと思ったのか」を聞くんですよね。」

「ほう」

「これって、結構価値観が出るんですよ。大失敗って多分、気軽に「どうやって立ち直ったか」なんて聞けないレベルのものですし。」

「そうですね。」

「それよりよほど有用なのが、応募者が「失敗」というものをどう捉えているかを聞いたほうが、その人となりがわかる。

「ふーむ。そうかもしれませんね。」

「この前採用した学生は「本を読んでこなかった」という回答をしました。大失敗だと。」

「それが大失敗ですか。」

「理由を聞いたら、最近読んだ本が本当に面白かったらしいんですよ。それで、なんで今まで20年以上、本を熱心に読まなかったのか、後悔していると。この学生は知識に対する態度が本質を突いていたので、採用しました。」

「面白いですね。」

「あとは、「大学院に行ったのが大失敗」だという学生がいて。」

「なんですかそれ。」

「2年間を無駄にしてしまった、と言ってましたけどね。早く働けばよかったって言ってました。まあ、本当に無駄なことなんてないですけど。」

「採用したんですか?」

「しました。もちろんこの回答だけで採用したわけではないですが、ある程度「失敗」というものを人生の中に大きく位置づけている人がウチの好みです。」

「なぜ、そう考えるのですか?」

「失敗について深く考えない人は、伸びしろが小さいから、と言ったら良いですかね。」

「反省しない人、ということでしょうか?」

「反省とは違いますね。反省は「あれが悪かった」「これが悪かった」って言う振り返りですよね。サルでもできる。」

「おそらく」

「そうではなく、我々が見ているのは、どちらかと言えば物事の因果に関する理解といったほうがいいですかね。こういうことをしたら、こういう結果になって自分に返ってくる、という自分なりの考え方があるひとって、「考える人」じゃないですか。」

「……」

「まあ、失敗を通じて自分を客観的に見ることができる人が望ましい、ってことです。私は何故これを失敗だと感じたのか、自分はこういう価値観だから、それって自分を俯瞰してますよね。」

「確かに。」

自分の価値観を、自分の外から眺められる人って、柔軟で、強い人です。だから、伸びしろが大きい。

「なるほど。」

「私はこういう決定をした、こういう失敗をした。こういう価値観にもとづいて。これが言える人は、自分を客観視してる人です。そういう人がほしいんですよ。」

 

 

自分を客観視することは、伸びしろを作ること。

「一定期間ごとの、自分に関する振り返り」が有効なのは、それが理由なのかもしれない。

 

 

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(Nicolas Nova

「自分は特に優秀ではない」と悟ってから、一気に仕事ができる人になった人物の話。

少し前にお会いした、元コンサルタントの方の話だ。

彼は、「自分は特に優秀ではない」と悟ってから、一気に成果が出るようになった、という。

 

だが、優秀ではない、ということと、成果が出る、とは相反するように見える。

「一見、逆説的に聞こえるけど」と問うと、彼は

「いや、重要だよ。」という。

 

「僕は自信家で、とにかく人に勝ちたかった。出世、給料、有名になることも含めて。」

「野心があるのは悪いことじゃないと思うけど。」

「うん、でも、勝てないんだよね。すごい人ってたくさんいるから。例えば、先輩が作る提案書を見る。出来がいいし、何より発想が突き抜けてる。わかるんだよね。あ、自分の作ったものは十人並だなって。結局、自分にはそれほどの才能がないってこと、嫌ってほどわかった。」

「なるほど」

「でも、なんとかして追いつけるんじゃないかと、本を読んで、セミナー出て、でも、勉強すればするほど、先輩が遠ざかる。かえって、実力の差が見えちゃったんだよね。」

「で、どうしたの?」

「いや、追いつこうとするのは諦めた。エンジニアの友達に言ったら、それ、俺もあるって言われてさ。スーパーエンジニアには、十年経っても追いつけないって。才能が違うんだと。」

「ああ、わかるかもしれない。」

「無駄な努力だと悟った瞬間。泣けてきてね。ああ、なんて無力なんだ、なんて俺は平凡なんだって。俺。小さい時から勉強できて、中学受験から就職活動まで、ずっと思い通りだった。でも、いずれみんな負けるんだよね。必ずどこかで。」

「そりゃ、世界一の人以外は皆そうだね。」

「で、そこで考えた。」

「ほう。」

「負けっぱなしも、二流で終わるのも嫌だ。でも、今のままじゃ勝てない。」

「で、どうするの?」

「ルールを見直す。」

「んー、具体的には?」

「地位とか、収入とか、提案書の質とか(笑)。要は、勝手に自分が設定していた尺度をちょっと変えてみる。考えてみれば、単なる見栄なんだよね。そういうのって。」

「まあね。」

「かと言って、「楽しめばいい」とか「趣味を充実」ってのも、なんか逃げたみたいで嫌だった。見栄でもなく自分の中の楽しみだけに完結するわけでもない目標って、何かを考えた。」

「なるほど。結局目標は何にしたの?」

「単純だった。自分のチームと、お客さんが「勝つ」のが目標になれば、頑張れそうだと思った。みんなといっしょに喜びたいし、お客さんの役に立ちたいじゃない。自分一人で頑張るのを、やめたんだよね。」

「ふーん。なるほどね。具体的にはどうやって行動を変えたの?」

「すごい単純で、三つしかないんだよ。自分の他に、後輩の成果に気を配ること。お客さんの満足度には更に気を配ること。上司の滞っている仕事を手伝うこと。

「単純だね」

「そう。それくらいしかできないから。」

「で、結果は出たの?」

「それが、めちゃくちゃ上手く行ってさ。社内でもかなり目立つチームになったんだよ。で、意外だったのは「仕事すごいできるようになったね」って、目指していた先輩から言われたんだよね。そんとき、「ああ、仕事ってこうやるんだ」って気づいた。」

「いい経験だったみたいだね。」

「そう、世界が広がったっていうか、いままでチームワークだ何だ、って言われても全くピンとこなかったけど、これってそういうことなのかもしれないって気づいてさ。」

「確かにそうかも。」

「うん、で、チームワークについての話をするときには、この自分の体験を話してるんだよ。」

 

 

彼のような経験を誰もが上手にできるわけではないだろう。

だが「自分の限界」に苦しんでいる人は、一度考えても良いのかもしれない。

 

 

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(Hernán Piñera

 

自分のために動く人と、人のために動く人

就職活動の面接で、こう聞かれたことがある。

「あなたは、自分のために動く人ですか? 他人のために動く人ですか?」

 

何を意図して、このような質問をされているのか、すぐには理解できなかった。

私が戸惑っていたからだろうか。面接官は説明を付け加えた。

「つまり、あなたは何が原動力となって動く人なのかどうかを知りたいってことだよ。100%自分のため、100%他人のためという人はあまりいないけれど、基本的にどちらが原動力になっているかは、人によって分かれるところだからね」

 

そういうことか。私は少し考えたあと、こう答えた。

「私は、自分のために動く人だと思います」

 

☆★☆★☆

 

少し不安そうな顔で答えていたのだと思う。私の答えを聞いて、面接官は「どちらが良くて、どちらが悪いという話ではないからね」と言った。

 

「自分のために動く人は自己中心的で、他人のために動く人は思いやりがあるという印象が強いみたいで、前者がダメで後者のほうが良いと思われがちだけれど、僕はそうは思わない。

組織は、自分のために動く人も他人のために動く人もいて成り立っている。ただ、会社として社員の原動力がどちらにあるのかは知っておきたいし、あなた自身も知っておいたほうが働きやすいと思う」

 

説明を聞いて納得した。当時は実感の伴わない納得感だったが、働き始めて1年と数ヶ月が経ち、実感が伴うようになった。

 

どのような実感が湧いたのかというと、

「組織には、自分のために動く人も、他人のために動く人もいるということ」

についてだ。

私自身が自分のために動く人だからか、他の人もそうだろうと思っていた。「人のため」と言いつつ、結局はみんな自分のために動いているのだろうと思っていたのだ。

 

誰かの役に立つことで自分も嬉しくなるから、という意味ではみんな最終的には自分のために動いているとも言えるが、「誰かの役に立ちたい」という思いを本当に持って動いている人もたくさんいることに気づかされたのは、働き始めてからだった。

そして面接時の「どちらかといえば自分のためかな」といったぼんやりした思いが、「私は本当に自分のためにしか動けない人なんだ」という確信に変わったのも、働き始めてからだった。

 

☆★☆★☆

 

そんな「自分のためにしか動けない」私が、最近「この人の役に立ちたい」と思った話をする。

 

その人は、「人の役に立ちたい」という思いを持って事業を運営している人だった。仕事のできる人で社会的地位もある人だったが、「人の役に立つことがしたい」と事業をスタートした。貯金を崩しながら、収益化できるように全力を尽くしている。理解されずにつらい思いをすることもあると言っていた。

 

生きるために必要なお金が手に入るかどうかも定かではないのに、つらい思いまでして「人の役に立つ」事業をしようとしている。敬意を払わずにはいられない人とは、まさにこういう人のことを指すのだと思った。そして、私にできることなら協力したいと思った。

 

最初は、協力したいという思いはほとんどなく、単純に「おもしろそうだから」その人に会った。私は基本的に興味の有無で行動が決まる人であり、「おもしろそう」と感じればすぐにやってみるし、「おもしろそう」だと思えなければ、なかなか行動にうつせない人である。

 

それでも、その人の話を聞いて、「この人の役に立つことがしたい」という気持ちが湧いてきた。この気持ちが湧いてこなくても、私は「自分のために」関わらせてもらうことになったと思う。でも、「この人の役に立つことがしたい」という気持ちが湧いてからは、関わっている時の喜びに「この人の役に立てている」という思いが加わり、とても幸せな気持ちになった。

 

人のために動く人の気持ちが、少しだけわかった気がした。

 

「ビジネスではWin-Win関係を築くことが大切」だとか「世の中はGive & Takeの関係で成り立っている」だとかよく聞くけれど、もっとシンプルに、「役に立ちたい」という思いが集まって関係性が築かれたりすることもあるのだ。

 

そうではないこともたくさんあるだろうし、「世の中そんなに甘くない」「ビジネスはもっとシビアなものだ」といった意見もあるだろう。

実際、働き始めてから、やっぱり仕事はシビアなものだと感じることは何度もあったし、優しさだけで成り立つビジネスなんて存在しないとも思っている。それでも、「役に立ちたい」という思いは、私が思っているよりもたくさん転がっているのかもしれない。

 

☆★☆★☆

 

この記事を読み返してみて、先輩に「あなたは基本的に性善説だよね」と言われたことをふと思い出した。

 

ではまた!

次も読んでね!

 

 

 [プロフィール]

名前: きゅうり(矢野 友理)←名前をクリックすると記事一覧が表示されます

2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。

著書「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)

Twitter: 2uZlXCwI24 @Xkyuuri

ブログ:「微男微女

人はどうやってオトナになるのか。電柱の足場が教えてくれた、「無言の信頼」という話

今からちょっと、しょうもない話をします。

 

バカと煙はといいますが、私、幼少の頃から、高いところによじ登るのが大好きなんですよ。

まだハイハイが出来るようになったくらいの頃、どうやってかよじ登ったテーブルから転落した(伝聞)のを皮切りに、木登りの木の上から落っこちる、ジャングルジムの最上段から落っこちる、公園のフェンスによじ登って落っこちる、公衆トイレの天井によじ登って落っこちるなど、大体よじ登るのとセットで転落しています。

頭を12針くらい縫ったことはありますが、幸い再起不能の大けがをしたこともなく、まだ生命があるのが奇跡というべきかも知れないですね。

 

なにはともあれ、幼少期から今に至るまで、「登れそうなものを見ると取り敢えず登りたくなる」という、一種の病気のようなものを抱えて過ごしている訳です。

子どもと一緒に公園に行ったりすると、私は色んな場所に登りまくりなんで、一緒に遊具で遊べると解釈した子ども達は大喜びです。大体において、子どもは「本気で遊ぶ大人」が好きなものです。実際には単に欲求に従っているだけなんですが。

 

昔、といっても10年くらい前でしょうか。ある時、ちょっとした気付きを得たことがありました。これが、日本人の絶対多数、それこそ99.999%くらいの方にとってはどうでもいいことだと思うんですが、私にとっては一大事だったのです。

 

電柱の側面に、足場になるボルトが刺さってるの、ご存知ですか。多分皆さん、目に入ったことは何度もあると思います。

 

左右交互に互い違いになっていて、恐らく電柱の工事やメンテナンスの時、作業員さんが電柱に登る時に使う足場の筈です。どこの電柱でもそうなのかはちょっと分からないんですが、あれ、一番下のボルトが、普段は取り外されてるんですよね。

図示するとこんな感じです。

電柱

電柱の画像です。伝わりますか?伝わりますよね。伝わらなかった人は、今日帰りにちょっと電柱見てみてください。悪いのは私の作図であってあなたではありません。

これ、一番下のボルトが、ちょうど「私がちょっと背伸びすれば手が届く」程度の場所に設置されてまして。生来のクレイジークライマーである私は、電柱を目にする度に「よじ登ってみたい」という誘惑に駆られていたんですよ。ああ、これ、よじ登ったら楽しそうだよなあ、と。一番上までいったら気持ちいいだろうなあ、と。ただ怒られるだろうからちょっと我慢しとこうかなあ、と。

 

ある時気づいたんです。

 

あ、これ、信頼の高さなんだな、と。

つまり、「子どもならともかく、このボルトに手が届く程度の大人であれば、この電柱に登ろうなんていう変な気は起こさんだろうな」と。「だから、いちいちもっと上の高さのボルトまでは取り外さずに、下の一本だけ外しておけばいいだろうな」と。

 

私は電柱に、あるいは電力会社の人に信頼されていたんだ、と。無言の信頼の対象になっていたんだ、と。

 

社会において、「暗黙裡の信頼」「信頼することによって成立する効率化、コストカット」って、無数にあると思うんです。

例えば、普通バットでぶん殴るヤツはいないだろうから、わざわざ金網入りにはなっていない窓ガラス。例えば、野菜が無造作に置いてあって、「お金はこちらに入れてください」と書いてある無料の野菜販売所。例えば、子どもには登れないけれど、大人であればちょっと手を伸ばすだけで乗り越えられるであろうフェンス。

勿論、時には、その「信頼」に付け込んでしまう困った人もいるかも知れない。けど、多くの人はそういう信頼を無にしようとはしないから、だからそういうコストカットが成立する。

 

私は、その瞬間まで、「電柱の横の足場」というものが、そういった「暗黙の信頼」の一つの現れであることに気付いていなかったんです。

これに気付いた瞬間、私の中の子どもが一人、ひとつうなずいてどこかに去っていきました。

 

「子どもという存在は、納得を得た時死ぬ」と私は思っています。納得を得た子どもが死んだ、その後に「大人」という新しい生き物が生まれます。

私は、これに気付いたその時以来、電柱に登りたいという欲求に駆られることがなくなりました。

何故なら、私は既に納得しているから。自分が、暗黙裡の信頼の対象となっているのだ、ということに納得しているから。「怒られそうだからやめとこう」と、無理やり自分を我慢させる必要は、もうないのです。

 

そして今でも、公園にある丸型のぐるんぐるんと回す遊具に一番に登って、長男に「パパおとなげない」と怒られるのです。

 

しょうもない話でしたが、今日書きたいことはそれくらい。

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき ←名前をクリックすると記事一覧が表示されます

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて
書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

「ついてこれない人は要らない」 というマネジャーについていく人はいない。

マーケティング業界で働く知人と話していた時「ダメなマネジャー」の話が出た。

「外部から来た新任のマネジャーが、「ついてこれない人は要らない」って言ってます。実際、彼の下で仕事をしたくない、という人が現在大勢出てまして、チームは危機的状況です」

と、知人は言う。

 

「ついてこれない人は要らない」という発言をするマネジャーは結構いる。彼らは確かに成果について真面目に取り組んでおり、また仕事もできる人々である。

にも関わらず、チームの業績は振るわず、メンバーの離職率も高いので、マネジャーは数年のうちに更迭されることがほとんどだ。

結果的にチームは崩壊してしまうだろう。

 

なぜそう言えるのか。それは以下の理由による。

 

1.マネジャーはボスではなく、部下に仕えるべき存在である。

このマネジャーは古き良き時代の「ボス」的なマネジメントをしているが、そのマネジメント方法では、現在彼が行っている知識労働では成果を上げるどころか、満足に働くことすらできない。

なぜなら、通常マネジャーよりも部下として働いている人間のほうが、仕事の内容に詳しいからだ。マネジャーが外部から来た人物であれば尚更である。

マネジャーは直ちにボスとなることをやめ、チームの専門家の能力を最大限に活かすため「メンバーが何を必要としているか」を知る必要がある。

 

2.マネジャーは、短期的な成果と長期的な成果を両立させなくてはいけない。

マネジャーの仕事が難しいのは、短期的な成果と長期的な成果を両立させなければいけない点だ。

逆に言えばどちらかだけを追いかけることは誰でも簡単にできる。部下をムチで叩き「とりあえず売上/利益をなんとかしろ」と叫ぶだけで良いからだ。

「ついてこれない人は要らない」との言葉は、短期的な成果のみを追求するマネジャーか、もしくは首切り役の発言である。したがって、成果は長続きしない。

 

3.直ぐに人を切り捨てる姿勢は、真摯であるとはいえない。

マネジャーに必要な資質は、「真摯さ」である。人好きがしたり、愛想が良かったりする必要は全く無いが、真摯でなければ「この人と一緒に働こう」と思ってもらえることはない。

だが「ついてこれない人は要らない」との発言は、どう見ても真摯さに欠ける。人をモノ扱いしたり、すぐに見捨てるような人間と思われれば、彼に従う人間はいないだろう。

彼の「部下がオレに合わせるべき。合わせない部下はクビだ」という姿勢を変えないかぎり、部下を変えても結果は同じである。

 

4.自らの周りを追従する者だけで固めるマネジャーは、知恵を手にできない。

多様性に対して寛容ではないマネジャーは、知恵を手にできない。多くの学術的研究が示している通り、組織の知的レベルは、各人の意見の多様性、独立性などが確保されて初めて高まるので、「組織としての知能」はマネジャーが統制を厳しくすればするほど下がり、烏合の衆となる。

このマネジャーが皆に「頭を使わせず、自分の言うとおりにするロボット」のような仕事を期待しているのなら「ついてこれない人は要らない」という発言は正しいかもしれないが、そうでない場合は悲惨な結果が待っている。

 

 

結局のところ、もういい大人なのだから、このマネジャーも気づかなくてはいけない。「ついてこれない人は要らない」 というマネジャーについていく人もいない、ということに。

 

 

*参考文献

 

 

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(Hartwig HKD

会社を辞める前に辞めない理由を探してみよう

人格者の社長のもとに仕事のデキる上司がいて、残業はそこそこあるがコンプライアンスは完璧。自分の得意なものとやりたいことを同時に満たしていて、その仕事は楽しい。故に体調良好。

で、あれば辞める必要ないんだが…そんなことはあり得ない。そんな会社を自分で創るか、探し続けるか、今のままで我慢するか。

 

サラリーマンを辞めて起業した若者が言っていた「起業したらお金持ちなれると思ったんですけど、そんなことなかったですね。」

「社畜」という言葉もあるけれど、毎月決まった額の給料が支払われることが決まっていて、社会的な地位(ローンやクレジット審査で優遇される)や法律面でもこれでもかというほどかなり保護されている。資本主義の世の中でサラリーマンほど洗練された効率の良い「職業」はないとも言える。

本当に辞めていいのか?

 

人から縛られない「自由」だけが、辞める理由で本当によいのか?

「で、自分はどうしたいの?」という言葉は、時に鋭いナイフのように心臓をえぐる。それを知ってて、私はあえて彼女に問てみた。彼女は「わからないです。」といった。

会社を辞めれば自由になれるのかより

 

あなたが辞めたいのは、あなたの努力不足もあるかも知れない

「仕事って、基本的にこちらからアクションしないとつまらないんだよ。だから自分の行動に変化を持たせて、ある程度楽しくすることはできる」

仕事が楽しくない、という新人へ、先輩が言ったことより

 

その仕事が好きなはずなのにやる気が出ない原因は上司にある

友人の話を聞きながら、一つのフレーズを思い出した。

“優れたエグゼクティブは、部下が上司たる自分を喜ばせるためなどではなく、仕事をするために給料を払われていることを認識している。”

まったくもって、そのとおりであるが、逆にそういう上司が少ないからこそ、ドラッカーはわざわざこのようなことを言った

「仕事やめよう、と決めたら、逆に仕事が面白くなった」という友人の話より

 

サラリーマンを辞めて起業する人の究極の理由

「結局、「人の下で働く」ってのは、面白くもない仕事をして、成長を諦めて、給料の低い仕事で頑張るってことだったよ。」

「ずいぶんと極端だな。」

「だから、もうボクは、サラリーマンを辞めようとおもってる。」

仕事に不満だらけだった彼はなぜ、仕事を楽しめるようになったのか。より

 

あなたは「今」が辞め時なのか?

では、「辞め時」をどのように判断したら良いのか。私がはっきりと、「そんな仕事やめちまえ」と言い切るのは次の条件の会社だ。

1.社長や上司がクソ

2.残業代を支払っていないなどの法律違反をしていて、それを会社が認めている

3.やりたいことがある

4.仕事に飽きている

5.体を壊した

会社の辞め時を判断するにはより

 

 

あなたはが会社を辞める本当の理由は何だろうか。

【大喜利お題】木造アパート、四畳半、風呂なし、トイレなし、でも◯◯付き。⇒ 人工知能はなんと回答したでしょう?

こんにちは「株式会社わたしは」広報部です。

24日の日曜日、「オオギリダイバー」というイベントに登壇し、弊社の人工知能、大喜利βが人類と対決しました。

DSCF1887

「オオギリダイバー」は、制限時間の中でどれだけ面白いネタを言えるか、対戦相手と大喜利で勝負をするイベントですが、弊社の「大喜利β」は、今回スペシャルマッチということで出場させていただきました。

以下、対局で出たネタです。

 

【お題】

木造アパート、四畳半、風呂なし、トイレなし、でも◯◯付き。

【大喜利β】

ドライブスルー。

 

 

【お題】

凡人でも、3人寄れば素晴らしい知恵がでてくる。でも、300人集まったら何がおこる?

【大喜利β】

ぶっかけ。

 

しかし、人類の壁は厚く、残念ながら結果は惨敗でした。これにつきましては、追ってレポートします。

 

—————————-

 

こんにちは。大喜利人工知能の「株式会社わたしは」小橋です。

バージョン 2

今回は私が熱烈に入れ込んでいる2名の研究者について、お話をしたいと思います。その二人とは、ノーム・チョムスキーとアマルティア・センといいます。

 

なぜこの二人なのか。

それは私の中で、言葉は悪いですが「道を外れた天才」と呼んでいい方々だからです。

 

もちろん、お断わりしておきますが、この二人は間違いなく人類史に残る偉業を成し遂げている、と言っても良いでしょう。

チョムスキーは情報処理を学ぶ人が読む教科書には必ず出て来るような方ですし、アマルティア・センはノーベル経済学賞を受賞しています。

 

しかし、それだけであれば「ただの天才(?)」であり、私が熱烈に入れ込む理由にはなりません。

私が彼らに惚れ込んだのは、「彼らの道を外れたバカなことをする部分」がとてもかっこいいからです。

 

例えば、チョムスキーはよせばいいのに、専門外の政治の分野に口を出し、「アメリカは史上最悪のテロ国家」などと、自国の政府に対して歯に衣着せぬ批判をしています。またそれによって、投獄されたこともありました。

学者は普通、専門外のことに関しては口をつぐむものなのですが、彼は敢えてそうしていません。彼には政治に対して強い信念があるのだと思います。

 

また、アマルティア・センはインド人です。ですから自国でカースト制のすさまじい不平等を見てきているわけです。なので、彼も「公平」や「自由」に関しては強い思い入れがあります。

思い入れが強すぎる分野では、しばしば彼も陳腐なことを言います。でも、それがいいんです。

 

いずれにせよ、チョムスキーもセンも、普通の学者とは異なり、「とにかく、よくわからなくても行動してみよう」という、精神の持ち主です。。

そして私にとっては、それがたまらなくカッコよく見えるのです。

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父親が子どもと過ごす時間は「贅沢品」のままだ

父親が父性に目覚めるためには、子どもと一緒に過ごす時間がある程度必要だ

――母性がそうであるのと同じように。 

 

母親が子どもに付きっきりの状態だと、もともと母性に恵まれた母親でさえストレスを募らせやすく、母親と子どもの心理的な距離の調整も難しくなる。

だから、父親が単なる“子種”ではなく養育上の父として役割を引き受けるのは好ましいはずで、昨今は“イクメン”という言葉もあるていど定着している。

「子育ては母親に責任がある」と断定されがちだった昭和時代よりはだいぶマシになったと言える。

 

父性に芽生えて学べることは大きい。母性もそうだろうが、自分自身の成長、自分自身の快楽だけにとらわれる心境から、自分より小さな者の成長、自分より未熟な者の笑顔にも、関心や喜びを見出せるようになる。

自分自身の成長しか眼中になかった世界が、そうではない者の成長も含めた世界へとすんなりに移行できるのは、子育てをはじめとする、年少者の世話全般のアドバンテージだと思う。また、自分自身の成長の限界に直面した際にも、アイデンティティの危機に陥るリスクを緩和してくれるだろう。 

 

 

ただし、この父性への芽生えは、まだまだ「贅沢品」だと思う。 

確かに、男性の育児休暇への意識は高まった。イクメンという言葉も普及した。しかし実際に子どもと長時間を過ごし続け、目覚めた父性を起動状態のままにしておくのは、なかなか容易ではない。 

 

新生児を病院からそっと持ち帰った日の感動を、何か月も何年も維持するのは容易ではない。育児休暇には終わりが来る。子どもを育てるためにはカネを稼がなければならず、子どものため・家族のためにカネを稼ごうと真剣になれば、結局のところ、子どもと一緒に過ごす時間は短くなってしまう。

イクメンという言葉が流行っているとはいえ、父親全般が子どもと一緒に過ごす時間がどれぐらいかというと、まだまだ残念な状態が続いている。 

 

厚生労働省『 第5回21世紀出生児縦断調査結果』を読み取る限り、子どもが父親と過ごす時間、特に平日に過ごす時間は母親よりもずっと短い(グラフ参照)。 スクリーンショット 2016-07-22 19.26.01

(引用:厚生労働省『21世紀出生児縦断調査』第5回調査の概要より作成。 )

 

父親と母親が子どもと過ごす時間を比較したグラフ。特に平日、父親が子どもと過ごす時間は圧倒的に短い。

このグラフを眺める人は、まず「母親に子育ての負担が集中している」ことを問題視するかもしれない。もちろん問題だ。だがそれだけではない。

父親が子育てをとおして何かを学び、子育てをとおして子どもに育てられる余地が乏しくなっている、という意味でもこのグラフは問題である。母親に比べて圧倒的に少ない接触時間で、父親は父性に芽生えそれを維持しなければならないのだ。 

 

ちなみに同調査の特別報告では、休日に父親と過ごす時間の長い子どものほうが、「落ち着いて話を聞く」「ひとつのことに集中する」「がまんする」「感情を表現する」「集団で行動する」「約束を守る」等の項目で高得点の傾向がみられていた

子どもとの接点は単なる父親の自己満足ではなく、子ども自身にもプラスの影響が期待できそうである。 

 

—————–

 

しかし現実は厳しい。平日に家庭で子どもと関わりを持てる父親は少なく、休日ですら、諸々の事情で関わりきれない父親も多いだろう。

母と子が良好な関係を築くことが望ましいのと同様、父と子が良好な関係を築くことも望ましいはずだし、そのこと自体、母子関係にもプラスの材料を与えるはずなのだが、そのような関係をつくろうにも、今日の父親に与えられている時間的・体力的余力はあまりに少ない。 

 

父親としての私は、そのことを“不公平”と感じる。世間には、子育てに費やす時間は少ないほど良いと思っている人もいるらしいが、私は正反対で、子育てに費やす時間がたくさん欲しいと思っている。

私には、父親として子育てにコミットすることは素晴らしい体験と感じられ、なまじっかな遊びよりも起伏や変化に富んでいるとも感じる。それこそ、カネを払ってでもその機会を手に入れたいぐらいのものだ。ジェンダー的な制約によって母親が子育てを押し付けられがちなのも問題だが、父親が子育てから遠ざけられがちなのも私は気に入らない

 

父性に芽生えるためには、やはり、それなりの時間とコミットメントがあったほうが良い。

平日は子どもの眠る姿だけを見て、休日は疲れ果てて子どもに関わる余地が無いようでは、父親と子どもは家庭内で遠距離恋愛しているも同然だ。

もし、遠い昔の地域社会のように、父親が不在でも地域の年長者や地域社会システムが父親的存在として機能していれば、父性の不在の弊害はまだしも少なかったのかもしれないが、今日では、父親の不在は父性の不在に直結する。

かりに、母親が母性と父性を一人で兼ね備えるとしたら、それこそスーパーレディでなければならず、と同時に、親がスーパーレディだったらそれはそれで子どもにとって容易な状況ではないだろう。

 

核家族化が進んだ社会だからこそ、父性への目覚めは「贅沢品」であってはならず、もっともっと各家庭に普及していてもいいはずだが、そのような意識はいまだ浸透していない。そのことが残念でたまらない。 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨 ←名前をクリックすると記事一覧が見れます

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)など。 
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』

熊代亨のアイコン 3

知的能力を活かすには、コミュニケーション能力が不可欠。

知人に、京都大学を卒業した、極めて知的能力に優れた人物がいる。

彼と話すと

「なるほど、頭が良いとはこういうことなのだな」と納得する。

 

だが、まだ彼は社会的に成功しているとはいえない。社会的地位や収入からすればよく言って「中の下」というくらいである。

彼はいつも半ば自虐的に、

「いやー、学歴ばかり無駄にいいよ」と言う。

彼は、研究も、就職活動も、周りの人とのトラブルで中断してしまったのだ。周りに合わせてうまく立ちまわることができないと言えるだろう。

 

話を聴くと、人の話を聞かず、つい自分の我を通してしまったり、空気を読めなかったりと、今の職場でも苦労しているようだ。

 

————————-

 

「一万時間の法則」を提唱したことで知られる、現在、最も著名なジャーナリストの一人、マルコム・グラッドウェルは著書*1の中で、幾つかの天才に関するエピソードを紹介している。

 

クリス・ランガンという男がいる。彼はIQ195という、100万人に一人の並外れた知能の持ち主だ。

彼は「全米一頭の良い男」と呼ばれ、16歳でプリンキピア・マテマティカを完読し、クイズ番組で同時に100人の相手と競争して勝利できるほどの頭脳の持ち主である。

だが、彼は控えめに言っても、成功とは程遠い生活を送っている。大学を中退し、建築現場で働き、ハマグリ漁や下級公務員などの職を転々とし、孤独な人生を送っている。

 

 

スタンフォード大学の心理学教授、ルイス・ターマンは「知能の高い人間の研究」を行っていた。

彼は25万人の小中高生の中から高いIQを持つ1400人余を選び出し、心理学研究の調査対象とした。成績や大学の進学実績を記録し、結婚について調べ、昇進や転職も記録していった。

ターマンは「彼らこそ、米国の将来を担う人材たちだ」と考えていた。

だが、ターマンは間違っていた。彼が発見した天才のうち、全国的に名前が知れ渡るような人物はいなかった。高い年収を得ているが、さほどすごい額ではない。大多数が普通の職業につき、驚くほど多くの者がターマンの期待はずれと考えるような職業についた。

ターマンはこう述べた。

「知能と、成功の間には完璧な相関関係があるというには程遠い。」

 

*1

 

—————————–

 

一体なぜ、このようなことが起きるのだろうか。

もちろん幾つかの理由がある。クリス・ランガンは家が貧しく、大学の学費を満足に支払うことができなかったために、大学を中退せざるを得ない状況に追い込まれた。

ほかの人間にも、同じように「運が悪かった」という状況が十分起こり得たのだ。

 

だが、理由は「運が悪かっただけ」とは言えないかもしれない。

ピーター・ドラッカーは、現代の労働者を「知識労働者」と呼ぶ。そして、知識労働者は、「自分の知識を利用してくれる組織があって、初めて成果をあげることができる。」と述べている。

 

仮にそれが正しいとすれば、知識労働者は知的能力だけではなく、自分の知識を売り込む能力、利用してもらうようにアピールする能力を持たなければ満足の行く仕事ができない、ということになる。

つまりそれは

「コミュニケーション能力が知的能力を十分に活かす上で不可欠」

だということだ。つまり、知的な職業においては、仕事の成果は(知的能力)✕(コミュニケーション能力)で決まる。いくら知的能力が高くても、コミュニケーション能力が低ければ能力は十分活かされない。

 

もちろん、これは企業の中だけの話ではない。現在は学問の世界も多様化し、一人で大きな成果を成し遂げられることは、ほとんどない。そこでは、多様な専門的能力を持つ人々との協業が不可欠である。

「孤高の天才」というイメージは、研究分野においてもすでに過去のものである。現に、最先端の研究分野では数百人のコラボレーションを要するものも少なくない。

一昔前は、知識やノウハウはクローズし、企業内で閉じた環境に置いたほうが独占という果実を手にすることができた。だが、現代は「オープン化」を進め、利害関係者をふやすことでより高度な仕事ができる。

 

 

だが、よく知られている通り「コミュニケーション能力」は、単に目の前に置かれた勉強をしているだけでは、伸ばすことができない能力であり、学校で体系的に学ぶことができない。

実際、コミュニケーションとは、他者と共生する中で失敗を繰り返しながら実践的に学ぶものであり、「正解」の存在しない高度な能力である。

 

今後の世界は、「知的能力」のみならず、「コミュニケーション能力」を同時に磨かなくてはならない。頭がいいだけの「コミュ障」には生きづらい世の中なのだ。

 

 

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(Hoffnungsschimmer

キャビンアテンダントはできる男かどうかを靴を見て判断してるらしい。私はその説を信じます

こんにちは。出張靴磨きサービスを行っているニイナナ株式会社「ミガクル」広報部です。

この場をお借りして広報活動をさせてもらってます。社長の堀江です。

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私は、月200足以上は靴を磨いてきました。新規顧客営業で苦労したこともあり、最近はどのような方が靴を磨いてくれるのかがだんだんわかってきました。今日は、そのような経験で気づいことをお話したいと思います。

女性のキャビンアテンダントの方から聞いたお話です。

「ある時好みの男性がいたけれど声をかけようとしたら、先輩に『その人は靴が汚いからダメよ』と言われた」

という話を聞いたことがあります。

その話を聞いて、私はなるほどなあと思いました。それ本当に当たっていて、仕事のできる人は間違いなく靴が綺麗なのです。ほぼ100%なんじゃないかと思えるくらいです。

なぜならば、足元って目線のいちばん下にあって「靴」の手入れが行き届いている人は、細かいところまで気配りができる人だからです。しかもそういう人に限って女性への気配りも抜群に美味いんですよね。キャビンアテンダントさんの話を聞いた時になるほど的を得てるなあと思ったのです。

 

ところで、私がそれに気づいたきっかけというものがあります。それは仕事ができると思われる方って、私のところに磨きに来た時点で、すでに靴が綺麗なのです。

では、なぜその方が靴を磨きに来ているか?というと、そういう人にとっては靴は汚れてから磨くものではなく、汚れる前に靴を磨くものだと考えているからです。

「あ、こういう人が仕事できる人なんだ」と思わざるを得ませんでした。その経験は、私の仕事観にもとてもいい影響を与えてくれています。

 

というわけで、最近は、靴を見ると仕事ができる人かどうかは大体わかります。たぶん、そういう人は間違いなく女性も大切にしています。もちろん中には例外の人もいますが、大体において靴には、その人の仕事ぶりがあらわれていると思って間違いないと思っています。

 

【先週の訪問先】

経営者ご自宅 10足/2時間

税理士事務所Y 8足人/2時間

営業代行会社S 8足/2時間

生保会社P 15足/3時間 

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計40足以上の方の靴を磨かせて頂きました。

今週の個人のご自宅へお邪魔して靴を磨かせて頂きました。出張靴磨きサービスはいろいろな場所にニーズはるのではないかと思っています。行けるとこまで行きたいです。

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ミガクル」サイト

 

【過去の週報】

ニイナナ週報002号 DMよりもWEB広告よりもビジネス交流会よりも、結局知り合いからの紹介クチコミが100倍効率よかった

ニイナナ週報001号【公式】出張靴磨きサービスのニイナナ株式会社が広報活動を行います。

【お知らせ】

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本気で整形をしようと思っていた、という話。

3年前の冬。20歳のとき、わたしはクラウドファンディングをした。

「日本一周をするので援助して欲しい」

なんとも厚かましさ極まりない企画であった。

 

当時(今もだが)、そんな厚かましい援助依頼を発信する度胸は持ち合わせていなかった。つまりやりたくなかった。どうしてもやりたくなかったのだ。もう、なんとしてでも避けたかった。

しかし、仕事だったのでやるしかなかった。仕事といっても、インターンの企画である。

 

LIGという会社でインターンをしていた学生(当時)のわたしは、日本一周しながら温泉取材をすることになったのだった。クラウドファンディングは、企画自体のPRにつながる。ファンも増える。援助もしてもらえる。

やらない理由はなかった。わたしにはお金も人気もなく、会社もそんな学生のわたしに投資するほど暇でないのだ。

結論を言えば、わたしはクラウドファンディングに成功し、多大な援助と愛に背中を押してもらいながら、日本一周を遂行した。

 

それから別の会社で旅の経験を生かした雑誌の編集者となり、結婚し、いまは六本木の大きなビルで働いている。

いま思えばすべてが良い方向へ転がった。クラウドファンディングを見たと、旅の途中や帰ってきてからたくさん声をかけてもらった。

しかしそんなクラウドファンディングが公開される直前まで、わたしの考えていたことはただひとつである。

「整形したい」それだけだった。

 

* * *

 

女性なら誰しも、一度は整形したいと考えた経験があるだろう。

恋をしたとき、スクールカーストに直面したとき、面接で落ちたとき、誰かに選ばれなかったとき。

「可愛くないからうまくいかなかった」

とまくらを濡らした夜が、わたしには数え切れないほどある。

 

女性であるからには永遠につきまとう、自分の容姿レベルと目の前に広がる現実。相互関係はゼロだと言い切れないのが世の中の悲しい原理である。

しかし女性は大人になるに連れて、整形以外で作れる「可愛い」を覚えていく。

母親の目から離れられれば無理なダイエットをしやすくなるし、自立してお金を稼げば流行りの服もぷっくりしたネイルもつやつやの髪も手に入る。

芸能人のように整っていなくても「可愛い」と言われる女がいることを、じんわりと知っていく。彼女たちの戦略を学び、仕草をまねて、笑顔と愛嬌の良さで押し切れば、なんとか可愛いステージに立てるものだ。

20歳のわたしは、整形以外で作られる「可愛い」に当然気づいていたが、付け焼き刃でどうにかなるものでないことも知っていた。

 

だから、武装も厚化粧もしていない生身のわたしが商品であって、世の中に「選んで!」と叫ぶクラウドファンディングは、恐ろしく怖かった。

しかも企画は日本一周である。地元のお土産が送られてくる程度の見返りと、援助する人のメリットも著しく少なかった。

クラウドファンディングはまさに、「可愛いひとだけが成功するもの」だと、自分自身に刃を突きつける企画だと感じ取っていたのだ。

「女子大生が温泉取材で日本一周する企画なんて、可愛くて応援したい以外に援助する理由があるだろうか」

「クラウドファンディングに出て誰かから『可愛くないから応援する理由が見つからない』とか言われたら、この先生きていけるだろうか」

そうして行き着いたのが整形である。

 

とにかく目を整形したかった。わたしは笑うと目がなくなる、おそろしく細い一重まぶたをしている。ブスの象徴とも言える、一重まぶた。

せめてこのまぶたがどうにかなれば。どうにかなれば、どうにかなるかもしれない。クラウドファンディングが失敗しても、わたしが可愛くないせいではなく企画のせいにできるかもしれない。

企画を進めていくなか、わたしはこっそりと両親を説得した。そのあとクリニックの予約まで済ませた。アルバイトで貯めたお金を使うときがきた。わたしは腹をくくっていた。整形するぞ、と。

 

LINEで親友に告げる。親友は、いつだってわたしの背中を押してくれるからだ。

「クラウドファンディングをするので整形しようと思う」

帰ってきた答えはこうだ。

「爆笑した」

わたしは至って本気である。むしろ、完璧な作戦だと褒めて欲しかった。

「どこ整形するの?」

「目」

「一重?」

「そう、二重にしようと思って」

親友は、わたしにこう言った。

「それは惜しいな、わたしその目けっこう好きだったから」

今までこの目を褒められたことがなかったので、わたしは心底驚いて、そしてたっぷりと涙した。

つけまつげを2枚重ねたりアイプチをしたりして幾度となく誤魔化してきた、一重まぶた。

そもそもこの目を、世の中の審判にかけたことがなかった。アリかナシかなんて、考えたことがなかったのだ。ナシ中のナシである。

 

しかしわたしはその親友の一言で、いとも簡単に、「ええっそんな意見あったの?」と決意をひっくり返してしまった。

ほんとうは生身で選ばれたいのだ。おこがましいが、コンプレックスさえも応援してもらいたいのだ。親友は別の角度からわたしの背中を押してきた。

 

結局、整形をしないままにクラウドファンディング公開へと至った。

そして、一重まぶたの女子大生であるわたしの厚かましい企画に、慈悲の援助が降ってきたのだった。

 

それから3年経ち、ネット上でわたしを見かけた人が、たまに「可愛くない」「ブス」などのコメントを残している。

そのたび、奈落の底に突き落とされるぐらい落ち込む。そんなことわざわざ言わないでほしい、と思う。なぜなら「わたし可愛いでしょ」と発信をしているわけではないからだ。

本筋と外れているし、それは発信側と受信側のコミュニケーションではない。ただの悪意だ。

 

そこまで考えられるようになったのは、すこしだけ大人になったからだと思う。クラウドファンディングをしたあのとき、整形していたら人生はどうなっていただろう。

うまくいかないときは、整形外科医を恨んでいただろうか。眉より細い一重まぶたで、きょうも人に会うし、仕事をして生きている。

 

 

著者:ながち

とあるWEBニュースの編集者。

過去に全国をめぐる温泉ライター、受注型オウンドメディア運営、旅行情報誌の編集など。

ウイスキーと温泉と大河ドラマをこよなく愛する、23歳の既婚者。

@1001log https://twitter.com/1001log

Facebook https://www.facebook.com/chiharu.takahara.nagai

上司がモチベーション下げる天才だった

「あの上司は、モチベーションを下げる天才でした」

と彼はいう。

「別にモチベーションを上げてくれ、とか面倒を見てくれ、とか、そんな贅沢は言うつもりはありません。ただ、真面目に仕事をしている人のじゃまをしないで欲しいんです」

 

彼は、ある営業会社にいたのだが、あまりにひどい上司のマネジメントに嫌気が差し、このたび転職を決めたという。

私は彼と飲みながら、話を聞きたくなった。

「そんなにひどかったんだ。」

「ええ、本当にひどかったです。おまけに「自分はデキる上司だ」と思っているから余計にたちが悪い。」

「うーん……。うちのはヒドい上司って、皆言うけど、実際本当にヒドい上司って、実際にはそれほど多くない気もするけど。」

「いや、僕も他社の状況は知りませんよ。でも、この話を聴いたら、そうは言えないと思います。」

「聞かせてください。」

 

彼は頷いた。

「まず、配属された当日、ちょっとおかしいな、と思ったんです。」

「何が?」

「上司の言っていることがですよ。」

「何を言っていたの?」

「一部の部下のことを「ちゃん」づけするんですよ。例えば、ヤマちゃんとか、たかちゃんとか。でも、その二人以外は、呼び捨てでした。」

「……よく事情が飲み込めないんだけど。」

「いや、僕もそうでした。少し経って気づきました。要するに、お気に入りの部下だけ「ちゃん」づけなんですよ。あそこまであからさまな贔屓は珍しいのではないかと思いますけど、社長が同じ事をしていたので、半ば公認でした。」

「わかりやすい贔屓……ですか。」

「意図的なのかわからないですが、呼び方や口調の他にも、昼食を一緒にとるかとらないか、会議で詰めるか詰めないか。そう言った事全てで贔屓がありました。」

「なるほど……。」

「だから、社員は「いかに上司と仲良くなるか」しか考えなくなるんですよ。上司に気に入られている度合いで、部署内にヒエラルキーができるんです。あれはひどかったです。」

 

私は過去に訪問した会社に想像を巡らせた。そして、確かにそれに類する会社が一定数あった。

 

「それで、次に変だと思ったのが、上司に相談すると不機嫌になる、っていうことです。」

「相談すると不機嫌。」

「そうです。例えばお客さんからちょっと無理な要求を言われたとするじゃないですか。」

「はい。」

「困って上司に相談すると、「そういう面倒なことを何でオレのところに持ち込むんだ。お前の責任だからなんとかしろ」って言われるんですよ。」

「部下の困っていることを助けるのが上司では?」

「私もそう思っていたんですが、彼の言い分は「俺が言った通りにやらないから、トラブルを起こすんだ。自分でなんとかしろ」なんですよ。」

「そこまで来ると、なんか笑えるね。」

「要するに、「絶対に問題を起こすな」って言う態度なんです。これも社長と同じでした。社長もなにか問題が起きると、状況を聞くよりもまず怒るんですよ。「何でそんな問題を起こしたんだ!」って。」

「そりゃ、失敗が怖くなるね。」

「そうなんです。毎日上司の顔色ばかり見て仕事してました。」

 

確かに、これも「あるある」かもしれない。トラブルを部下に押し付ける上司は、部下にとってみれば悪夢だろう。

 

「まだあります。さっきも言いましたが、上司は自分は仕事ができる、って思ってたんですよ。」

「できる人ならまだ救いがありそうな気もするけど。」

「と思うでしょう。ところが社長の機嫌を取るのはうまいんですが、実際は何もしない人で。皆それをわかってました。でも、社長が「お前はできるやつだ」って言ってるんでしょうね。勘違いしてしまっていて。」

「そりゃ酷い」

「そうなんです。でもお客さんからは嫌われてましたし、社外人脈も皆無でした。単なる内弁慶ですよ。社外からの評価が得られないからこそ、社員に威張りたくなるんでしょうね。」

「どんな感じで威張るの?」

「とにかく説教が長い。「お前のためを思って叱ってるんだ」なんて言うんです。アホくさくて聴いてられませんよ。あと、社長の前では異常に社員に厳しいんです。社長に「部下をきっちり叱ってます」アピールがしたかったんでしょうね。」

「……。なるほど、ちょっと下に付きたくない上司だね。」

 

彼はまた頷いた。

「でしょう。あとはなんといっても、部下の話を聞かないところですかね。

「ああ、いるね。」

「あの上司は特にひどくて、人の話を遮る、関係ない話を始める、すぐにマウントを取りたがる、とか、話を聞かないだけじゃなくて、人をなんというか……、とにかく尊重しないんです。」

「へえ。」

「ワンマン社長でも、中には人の話を聴く人はいます。でも、人の話を遮ったり、なぜか部下に張り合って「オレのほうがスゴい」話をすぐに始めたりするのは、病気としか思えないですよ。」

「なるほど。まあでもたしかに居るね。そういう人。」

「そうでしょう。それを「部下の話を聞かない」という言葉で片付けていいのか、若干言葉が足りない気もします。」

「うん。多分器が小さいんだな。」

「かもしれません。」

 

彼はにっこり笑って言う。

「まあ、でも上司としてやっちゃいけないことが全部わかったので、いい勉強にはなりましたけどね。」

「ポジティブだね。」

「からかわないでくださいよ。あ、そういえばあとひとつヒドい点がありました。」

「何?」

「その上司、すっごい学歴コンプレックスだったんです。」

「誰も気にしてないのに、「オレは◯◯大で、頭悪いからさ」とか言うわけですよ。こちらはもう呆れて、モノも言えないです。」

「なるほど」

「で、学者とか大学とかに偏見があるんですよ。例えばエビデンスを示したりすると「頭でっかちにはならない」とか「理論と実践は違う」とか、必死に抵抗するんです。」

「イメージ湧いた。」

「で、更に言うとITとかにもスゴイ偏見があって、「SNSをやる奴はリアルなつながりを大事にしない」とか真顔で言うんです。どうなってんだって感じです。」

「まあ、保守的な人もいるからね。」

「営業は、気合と根性が一番で、効率よくやるのはダメなんです。だから、長時間労働しないと気に入られない。偏見が強すぎて、不条理な上司って、本当にモチベーションを下げますね。ま、そんなとこです。」

「転職できてよかったね。」

「本当ですよ。」

 

 

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(flipi

ゲームは現代の宗教、というゲーム開発者の話。

米国で、任天堂のPokemonGOというゲームが大変な人気になっていると報じられていた。そんなゲームのニュースを見るたびに、私は一つの話を思い出す。

 

子供の頃は新しいゲームに触れるたびにワクワクした。初めて「スーパーマリオブラザーズ」をプレイした時には、世の中にこんなに面白いことがあるのかと、寝ても覚めてもマリオの事を考えていたような記憶がある。

あれから約30年が経ち、ゲーム産業は巨大産業となった。任天堂を筆頭として、ソニー、マイクロソフトやGoogleなどの名だたる大企業すらもゲーム産業を作っている。

いや、大企業でなければ、ゲームが作れなくなってきていると考えても良いのかもしれない。ゲームはすでに、多くの人々の生活の一部であり、最も大きな影響力を持つ娯楽の一つなのだ。

 

さて、そんな状況にある現代だが、私はすこし前、あるゲーム製作者を訊ねたことがある。彼はあるメジャータイトルの作成にも携わっていた、多くの開発者の一人であるが、面白い話をしていた。

彼は、ゲームについての考え方や、利用のされ方、ユーザー層の話などをしてくれたが、彼の最後の話は、そういったテクニカルな話とは少し違っていた。

 

「安達さん、ゲーム業界にいると、何かと非難されることもあるんですよ。」

「わかります。」

「わかりますか。ソシャゲーの課金問題やら、ゲームの倫理性やら、いろんな問題が取り沙汰されるんですよね。まあ、ほとんどは言いがかりに近いものだと思ってますが。」

「影響力の大きい物は、必ず批判されますから。」

「そうなんですよ。でも、うちの若い子たちはそれが気になるらしくてね。それを解消するため話をしているんですよ。」

「どんな話ですか?」

「皆がどう思うかわかりませんが、ゲームってのは、現代の宗教なんですよ。

 

意外な一言だった。

「宗教?」

「そう、宗教です。魂の救済をもたらすわけです。」

「またまた、ご冗談を……。」

「冗談ではないですよ。まさに、科学に打倒された宗教は、形を変えて蘇ったわけです。」

「なぜ宗教と呼べるのですか?」

「一種の教義と呼べるものがあるからですよ。」

「具体的には?」

「まずは「努力が報われる」という教義を持っている。ゲームの世界では、大抵のプレーヤーは成長し、努力は報われる。当たり前ですが。それがゲームバランス、ってやつです。」

「確かに…」

「人は、目標達成をすると気持ちが良いんです。アイテムを手に入れた、難しいボスを攻略した、これらはすべて、快感を生み出す。現実では努力は報われませんが、ゲームの中では努力が必ず報われる。こんな良い世界はない。」

「……。」

 

「つぎに「皆平等」という教義を持っている。」

「平等……。」

「どんなプレーヤーも、初期のパラメータ、条件、身分はほとんど同じです。一様に低い。そこから己の努力と才覚で立ち上がっていくわけです。サクセス・ストーリーですよ。」

「なるほど……。」

「親が金持ちかどうか、才能が有るかどうかは関係ない。全員同じパラメータを持ち、同じイベントに参加できる機会を持ち、同じアイテムを持てる機会を得られ、誰でも成功できる。これこそユートピアでしょう。」

「よく考えると、理想的な世界ですね。」

「我々ゲームクリエイターは、理想的なユートピアをどうやって設計しようか、日夜悩んでいるわけです。」

 

「そして、「失敗してもやり直しができる」という教義を持っている。現実では、失敗して立ち直れない、という人はたくさんいます。ゲームはチャレンジができる、やり直しができる。人間の冒険心と、学び、そういったものをすべて含んでいるのがゲームなんですよ。」

「怖くてチャレンジできない、という人がチャレンジできる世界ですか。」

「そうです。人間はどこかでチャレンジしたい、失敗を恐れずに挑戦したい、と思っています。でもリスクは取れない。現実のリスクは場合によっては命に関わりますから。そう言った人たちにチャレンジを提供するのは、素晴らしい仕事だと思いませんか?」

「……。」

 

「最後にゲームが提供するのは「わかりやすい評価基準」です。善悪、というものではないですが何に対して報酬が与えられ、何をすると不利になるのか、これがわかりやすく提示される。宗教には必要な要素です。」

「確かに現実の評価基準は見えないですね」

「現実的には、自分で評価基準を創りださなければならないのですが、これは一種の苦難を伴います。ゲームは外部から評価基準を与えられるので、とてもわかりやすい世界です。」

「わかりやすい世界が求められているということでしょうか?」

「そう言っても良いと思います。」

 

彼は最後に言った。

ゲームの本質は、生まれ変わりなんです。現世で報われなくても、ゲーム機のスイッチを入れれば別の世界で活躍できる。ゲームによって、つらい現実に少しでも日がさすのならば、ゲームには大きな意義があるのですよ。」

 

 

私は彼の「ゲームが魂の救済をもたらす」という考え方に、それなりに合理性を感じた。

現代の宗教は、教典の中ではなく、電子回路の中に存在したのだ。

 

 

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(Jared Cherup

無言のキャッチから学んだ「余計なことを言わないコミュニケーション」の重要性。

ども、ゆうせいです。普段はキャッチには目もくれず、むしろ完全無視して自分で調べたお店に直行しています。

あ、居酒屋の話ですよ。

 

でも先日、初めてキャッチに捕まりました。なぜなら、そのキャッチは無言だったからです。

普通、キャッチの人は、

「居酒屋お探しですか?今ならすぐにご案内できます!」

「1ドリンクで1時間歌い放題のカラオケどうですか?」

などなど、あの手この手のトークで捕まえようとしてきますよね。

 

しかし、そのキャッチは違いました。

メニューをこちらに見せながら、目を見て、何かを話しているようで、何も言っていない。つまり、音量はゼロだったのです。口がパクパク動いているだけ。

めちゃくちゃ気になるじゃないですか。何を言っているのか、そのメニューには何が書いてあるのか。思わず立ち止まってしまいました。はい、失敗です。話を聞いてしまったのです。

彼の作戦にまんまと引っかかって。少しでも話をしたら、よほど感じの悪い人や、おそろしく高い値段ではない限り、

「ま、ここでいっか」

という気持ちになってしまいます。今回もそれでした。メニューを見たところ、普通の居酒屋レベルは満たしていましたし、お酒の種類もそこそこありました。

どんどん断る理由がなくなってくるわけです。店の場所を聞けば、すくそこなわけで…

そのまま入店してしまいました。

 

そして、普通にお酒と料理を楽しみながら思いました。さっきの手法、キャッチ以外にも使えるんじゃないかと。無言でないにしても、余計なことを言わない方が良いのではないかと。

「カラオケ◯◯です。このたび新装オープンしました!」

と言いながらポケットティッシュを配っている人、よく居ますよね。これ、カラオケに興味がない人は完全にスルーするしかなくなるわけです。

でも、

「ポケットティッシュです!どうぞ!」

だったら、ティッシュが必要な人はみんな気になるわけです。

他にも、

「◯◯ラーメンです!味噌が自慢の野菜たっぷりラーメンです!」

と言いながら、餃子の無料券を配るくらいなら、

「餃子です!」

の方がめちゃくちゃ気になります。

 

人に何かを伝えようとするとき、とにかくわかって欲しいという気持ちが強く出てしまうので、いろんなことを説明しようとしてしまいます。

でも実はほとんどの人にとってそれはどうでもいい情報であって、メリット、ベネフィットをズバリ伝えた方がいいわけです。

「生ビール通常400円のところ、今だけ80円引きの320円で販売しておりま〜す!」

どうでもいい情報が多すぎます。

「生ビール320円は当店だけ!」ぐらいでどうでしょうか?

む、この先のお店は320円以上するのかな? と勝手に想像してくれるので、足を止めてくれる可能性が高くなります。

 

こんなことを、ずっと飲みながら考えさせるパワーが、あの無言のキャッチは持っていました。

果たして彼は狙ってやっていたのでしょうか?

ただ単に緊張して声が出ていなかっただけなのでしょうか?

いずれにしても、私は立ち止まり、入店し、お酒と料理を楽しみながら、いろんなことを考える機会を得ることができて、彼にはすごく感謝しています。

キャッチひとつとっても、侮れないものです。

“喋って喋ってお客を落とす” が普通なのに、あえての無言。逆張りの意外性に、惹きつけられたお話でした。

さて、みなさんはどう思いますか?

 

 

【著者プロフィール】

名前: ゆうせい 企画、執筆、編集、モデルを提供する「カンパニオ」代表。

ぱくたそでフリー素材モデルとして不倫素材や、記者風素材を提供している。映画大好きの愛妻家を自負しているが、恋愛映画や恋愛系コラムは苦手。とにかく水曜どうでしょうが大好きでしかたがない。

Twitter:W8HeBCLk_400x400のコピー @wm_yousay

ブログ:http://huniki.hatenablog.com/「雰囲気で話す」

自分の感覚を疑うことが、明晰な思考への最初の一歩。

人は、「自分自身の得た実感」に非常にこだわってしまう時がある。

 

例えばある会社の経営者は、アンケートや売上のデータなどの分析から、顧客の嗜好が明らかに3年前から変化していることが分かったにもかかわらず、頑に商品の仕様変更を拒んだ。

その経営者は「オレがお客さんのところに行って見た実感からすると、今の路線は正しい。変更の必要はない」と言っていた。

アンケートや売上のデータが、経営者の間違いを示していたとしても、彼は

「アンケートや市場調査なんて、本当のところはわからない。自分の現場での実感を大切にしなければダメだ。」

といって聞き入れようとしない。

結果的に、その後の業績低迷により社長交代が起き、ようやくこの会社は持ち直した。

 

—————————-

 

・実感を大切にしよう

・直接見聞きした話でなければ、信じられない

・データよりも現場感だ

という言葉を、なぜ無批判に受け入れてはならないのか。

 

例えば、

「太陽は地球のまわりを回っている」といっている人が隣にいると想像して欲しい。

彼は「データがいくら示そうと、オレの「実感」はやはり、太陽が地球の周りを回っている」と言う。

この場合、実感が正しくないことは明らかだ。

 

だが、朝日新聞が調査したところでは、公立小の4年生から6年生348人のうち、42%が「太陽は地球のまわりを回っている」と答えたそうだ。*1

もちろん子どもたちは地球が太陽の周りを回っていることを知識として習った上での解答である。しかし一部の子供は素直に実感を重視してしまうのである。

 

むろん、大人でも「実感」は大きな影響力を持つ。例えば、次の問題だ。

バットとボールは併せて1ドル10セントです。

バットはボールより1ドル高いです。

では、ボールはいくらでしょう?

すぐにひらめいた数字は誰でも10セントだろう。それが人間である。だが、それはもちろん間違いで、正解は5セントだ。

しかし、間違えても恥ずかしがることはない。なにせ、この問題に答えたハーバード大、マサチューセッツ工科大、プリンストン大の学生の50%が間違った答えを出しているのだから。*2

 

これは、頭の善し悪しの話ではない。

人間とは、感覚にしたがって思い込んでしまう生き物なのだ。

もちろん、実感は正しい時もある。だが実際には、どんなに賢い人のそれであったとしても、それほど無条件に信用に値するものではない。

 

 

これらの事実を踏まえて考えると、明晰な思考に何より必要なのは、「自分自身の実感」の否定である。

「自分の実感とは逆の仮説を立てる人」

「自分の馴染みのある考え方とは逆の結果を示すデータ」

「自分の意図したこととは別のことが起きている事象」

こういったことに着目しなくてはならない。「反証」を探ることが、真実にたどり着く道である。

 

米ゼネラル・モーターズの偉大なCEO、アルフレッド・スローンは最高レベルの会議において、出席者全員の意見が一致していると、こう述べたという。

それでは、この問題について異なる見解を引き出し、この決定がいかなる意味を持つかについてもっと理解するための時間が必要と思われるのでさらに検討することを提案したい

ピーター・ドラッカーはこの発言を見聞きし、スローンについて次のように述べている。*3

スローンは直観で決定を行う人ではなかった。意見は事実によって検証すべきことを強調していた。

しかも結論からスタートしそれを裏付ける事実を探すようなことは、絶対に行ってはならないとしていた。その彼が、正しい決定には適切な意見の不一致が費用であるとしていた。

 

だが、現実的には多くの会社でおこなわれているのは逆のこと、すなわち

「自分の意見を強化する意見」ばかりを集め、

「自分に有利なデータ」ばかりを見て、

「自分に賛同してくれる人だけ」に会いに行く。

その結果、「実感」は強化され、いつの間にかそれが正解となる。

だが、残念ながらこれでは質の高い思考はできない。

 

自分の実感ときちんと距離を取り、時に否定もできなければ、ブレークスルーはない。でなければ、「太陽が地球の周りを回っている」という小学生と変わらない。

 

*1

*2

*3

 

 

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(Irish Typepad

なぜ彼らは、大した見返りもないのに頑張るのか?

少し前、あるフリーランスの方が、大変そうに仕事をしていた。

「いやー、プロジェクトが忙しくて寝る暇もなくて……」

と彼はいう。

「そんなに仕事があって、羨ましいですね。」

と同情すると、彼は

「いえいえ、これ、ほとんどお金にならないんですよ。」

といった。

聞くと、その金額でこの働き方はちょっと……と言うほどの仕事。しかも、クリエイティブな仕事というよりも、どちらかと言えば雑用のような仕事だ。

私は「なんで、金銭的にも、スキル的にも見返りのないような仕事を一生懸命やるのですか?」と聞いた。

彼は一言、「さあ……何でですかね。美学なんですかね。自分達の仕事に自信をを持ちたいじゃないですか。」

と答えた。

 

 

知人の一人に「幼稚園の父母会の役員」を進んでやっている方がいる。

父母会はweb上にコミュニティがあり、役員は、父母会の誰かが投稿した質問のすべてに対して、「調べて回答する」という役割を負っているとのこと。大変そうだ。

もちろん、役員は損な役回りである。あたりまえのように周りの父母たちは

「いかに役員をやらずに済ませるか」

「いかに楽にこなすか」

ばかりを気にしているが、その方は「まじめにやってみると楽しいよ」と、生真面目に役員の勤めを果たしている。

その方がいなければ、おそらく父母会は機能しないだろう。ただ、その方には誰も感謝していない。むしろ「変わった人扱い」されている。

 

 

昔からの仕事仲間に一人、職場でファイリングや倉庫の整理など、「成果に直結しないので、誰もやりたがらない仕事」を進んで引き受けている方がいる。

彼と話すと、「マンションの管理組合の役員」などもすすんで引き受けているらしい。

「みんなやりたくなさそうだけど、誰かはやらなくちゃいけないし、自分の勉強になると思って引き受けた。」

とその方は言う。

彼がきちんとマンション管理を勉強し、周りを巻き込んで適切な管理会社と取引をした結果、管理コストなどの負担をかなり改善出来たという。

「でも、あまり感謝はされないけどね」

と彼はこともなげに言う。

 

 

しかし、一つの疑問がある。一体なぜ彼らは頑張れるのだろうか。

彼らに理由を聞いても、

「さあ?そんなに見返りが欲しいなんて、おもわないけど」

という返答が返ってくるばかり。

実際、ビジネス的な文脈から言えれば、彼らの行動はみな、上司から「お前、無駄な仕事をするんじゃない」と怒られるものばかりだ。

多くののビジネスパーソン・学者は「人はインセンティブで動く」と考えているが、彼らの行動は説明できない。

 

 

これについて暫く考えていた所、ある会社でミーティング終了後に一人の若手社員とこんな会話になった。

「うちのボス、必ず自分の飲み物は自分で片付けるし、ホワイトボードなんかも下の人に任せずに消していくんですよね。」

「そうなんですか。」

「はい。私の前の会社は、下の人が雑用をやるっていうのが当たり前だったんで、変わってるなと思って。で、ボスに「上の人が雑用をやるなんて、珍しいですね」って言ったんですよ。そうしたら、ボスが言ったんです。」

「なんて言ったんですか?」

「「どんな場所でも誰かが人の嫌がることをしなくちゃいけない。それを進んでやれる人間がわずかでもいる職場が、いい職場なんだ。」って、言ったんですよ。私、なんか妙に納得してしまって。」

「良い職場なんですね。」

「そうですね、ここはいい会社ですよ。」

 

 

彼らを動かしているのは「見返り」ではない。

だが、彼らこそ、真に「コミュニティ」を理解する人々であり、組織に不可欠な人材である。

 

 

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(Hannah Nicole)

「人の失敗を予言するヤツって、マジ無能だよな」という知人の話。

ちょっとした話だったのだが、個人的に面白かったので紹介する。

 

先月、一緒に飲んだ知人が、こんなことを言っていた。

「人の失敗を予言するヤツって、マジ無能だよな。」

「何の話?」

「いや、新規事業とか、新商品とかさ。「あれは失敗する」ってドヤ顔でいうヤツいるじゃない。」

「いる。昨日も見た。「あれはうまく行きませんよ」って言う人たちでしょう?」

「そうだよ〜もちろん。」

「なんで?」

「当たり前のことを言って、人の気分を悪くさせるだけだから。」

彼は少し酔っていたので、饒舌だった。

 

私は聞いた。

「未来の予言はするなってこと?」

「まあ聞けよ。おれは予言しちゃいけないなんて、一言も言ってない。」

「じゃあ何?」

「失敗を予言するのは、スッゲー簡単、ってこと。」

「もっと、具体例を教えてくれない?」

「例えば、Apple Watchの失敗を予言したやつ。「これは売れない」とか行ってた評論家。信頼出来ない。」

「……何で?」

「とりあえず、新製品が出たら「これは売れない」ってゴタクを並べて言っときゃいいんだよ。」

「……ああ、そういうことか。」

「やっと分かった?そういうことだ。」

 

つまり、彼が言いたかったのはこういうことだ。

新しい試みは、基本的に失敗する可能性のほうが遥かに高い。だから「新しい試み」に対しては「これは失敗する」って言っておけば、大体その予言は当たる。

 

彼は皮肉たっぷりに言う。

「難しい顔をして、失敗例を持ってきて、「むー、これは売れませんな」って言っときゃ、これで9割は当たるね。評論家って、そういう職業だろ?」

「まあ、そうじゃない人もいるかもしれないけど……。」

「ああ?そんな奴見たことねえよ。」

 

まあまあ、と、私は彼をなだめる。

「だから、おれは「失敗」しか予言しないヤツは、絶対信用しない。オレでもできるからな。聞きたいのは「これはうまくいく」っていう予想と、その理由だよ。」

「当てられる人っているの?」

「いや、当たらないだろ。普通。」

「ダメじゃん。」

「アナリストや評論家の予言が当たったかどうか調査したら、殆どはでたらめだった、っていう話、あったよな?*1予言なんて、当たらないんだよ。それでも予言するのは、強い思い入れがあるか、金をもらってるかどっちかだな。」

「……なるほど。」

「いるんだよ、4Kテレビはうまくいかない、IoTはうまく行かない。うまくいかないことだけ予言するやつ。だから、そういう奴がいたら、今度聞いてみな。「何がうまくいくんですか?」って。まあ、当たらないと思うけど。」

「なるほどw」

彼は話したいだけ話すと、酔いつぶれて、寝てしまった。

 

 

そういえば、「未来は予測できない」とピーター・ドラッカーは言っていた。我々ができるのは「すでに起きていることを発見すること」だけなのだと。

「失敗するよ」という外野を気にする必要はない。「そんなの知ってるよ」と返すだけでいいのだ。

 

 

*1 彼が述べているのは、ペンシルバニア大学の心理学教授フィリップ・テトロックの研究

「専門家による政治予測はどれだけ的中するか?」だ。

この研究は政治動向に関する評論と助言で生計を立てている評論家284名にインタビューし、幾つかの出来事に関する予測をしてもらうものだった。

結果は惨憺たるもので、それで食べている評論家たちは、得意分野とするものでさえ、専門外の人を大幅に上回る成績はあげられなかった。

(参考文献)

 

 

 

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(Jamie McCaffrey)

「すごい人」になれるかどうかは、人生の「鎧」をどれだけ脱げるかにかかっている。

本校での「学び」を端的に表す言葉として、私が好んで使っているのが「Real Life and Street Smart」というフレーズです。

その意味を簡単にまとめると

 

(1)学校での学びは、教科書の内容を覚えるとか、テストなどで良い点数を取るといった、単に教室内だけで磨かれる表面的な知識の習得をさしているのではない。

(2)学びの目的は、生活に即した、より良く生きることへの追求《Real Life》であり、そういった学びは教室や教科書の中にとどまらず、街中でさまざまな人たちと関わり、生きていくことを通してこそ身につくもの《Street Smart》である。

(3)さまざまな体験や幅広い経験を通して《生きた学び》を積み重ね、《街中で賢い人》になっていく。滋賀学園の3年間で、人生をいきいきと過ごしていける、聡明で逞しい人に育ってほしい。

 

もちろん、これを生徒に求める以上、私たち教員(大人)も同様の学びを積み重ねていかなければなりません。では、果たして、自分はそうしているだろうか?

それを振り返らせてくれる、こんな出来事がありました。

 

 

30年来の知り合いであるF商事のNさんから、ある会合で講演の依頼をいただき、打ち合わせをしました。その後、こんなメッセージをいただきました。

「私の友人のIさんは、30年前からすごい人でした。安居先生は30年かけて、すごい人になられました。」

確かに、図星です。

同年代のIさんは関西の雄、国立K大学を卒業後、若くしてご自身の会社を立ち上げられ、3年前には日本e-Learning大賞を受賞されました。マルチメディア学習システムのパイオニアです。

 

それに引き替え、私は・・・

30年前といえば、教員になってまだ日が浅い頃。頑張れば認めてもらえるとか、一生懸命にやれば報われるだろうとか、あくまでも自分中心に物事を考えていたように思います。

できることは何かを考え、持てる力を出し切って仕事をし、それなりに充実していたことは確かですが、いま思えば、思考の原点や判断の出発点が「自分」でした。それを指して、Nさんは「ごくフツーの先生っていう感じだった」と言い放ちました。

至極当然、そのとおりだと思います。

 

決して、先生という立場で物事を考えていたわけではありませんが、そこにいた私は、たくさんのしがらみや鎧を身につけながら、知らず知らずのうちに本音を隠していた臆病者です。

そんな状態では、いくら「とことんやっている」と言ったところで、それは嘘になります。あくまで鎧を身につけた自分がしている判断や行動なので、どこか「他人事」のような感覚が拭いきれません。

それが「フツーの先生」という印象として、Nさんに伝わっていたと思うのです。

その後、幾多の苦労や人生の転機を経て私が学んだことは、「起こることは必然」「すべてがリアル」「素の自分が判断根拠」「やりたいことをやりたいと言う」「人の縁がすべて」「本年で生きる」・・・ということでした。

 

まさに、これこそStreet Smartに他なりません。

「カッコつけたって無駄」「鎧をどれだけ脱げるか」ということこそ、相手の信頼を得るために必要なことであり、それが「人の縁」の出発点だということです。

鎧を脱ぐと、肩の荷が下ります。物事への対処が、自然体になります。どういう結果になろうが、すべてを受け入れられるようになります。

結果、生きることが楽になります。楽になると、とことん打ち込めます。一生懸命さがストレートに伝わり、相手の心にダイレクトに響きます。そこに信頼感が生まれ、この人の言うことなら聞いてみよう、この人と一緒に仕事をしよう・・・という感情を呼び起こします。

なんて、クリアなんでしょう。

そんな振り返りをFacebookに書いたところ、Nさんから、こんな言葉が届きました。

 

———-

失礼なことを申し上げました。お許し下さい。普通の先生でも、とても「いい人」だと感じていました。今も「いい人」であることはお変わりありません。いい人が一生懸命だから伝わるのだと思います。優しく、人なつっこい語り口は30年前と変わりません。

しかし、発せられる言葉は変わりました。「いい人」が発するから、尖った言葉も伝わるのだろうと思います。それに比べて30年間、私は鎧を着たままだなあと思います。ひょっとしたらもう1枚着込んだかもしれません。

———-

 

 

いま、私は多くの人に支えられ、やりたいことを一緒にやってくれる人と巡り会い、試行錯誤しながらも前向きに生きつつ、喜怒哀楽をリアルに感じられる日々を送っています。

ほんとうにありがたいことです。

まだまだ、スゴイ人になれたわけではありませんが、自分自身が成長できたのは物事の視点を「自分」ではなく「相手」や「みんな」に置いたからだと、つくづく感じます。

相手あっての自分

人の縁あっての人生

もっともっと「素の自分」で生きていきたいと思います。

 

☆☆☆

 

<プロフィール>

安居長敏(Nagatoshi Yasui)←名前をクリックすると今までの記事一覧が表示されます
 
私立中高校長。

高校で20年間教員をした後、コミュニティFMの世界へ飛び込む。県内で2局を運営、同時にPCオンサイトサポートを個人起業。11年前、再び教育現場に戻り、「生徒が自ら学ぶ学校へ」改革を推進。4年前から現職。

・Facebook →12799032_966933036675803_8989260437419551489_n facebook.com/yasuis
・Twitter →1YB44m9q_400x400 twitter.com/yasuis
・校長Blog → YASUI’s web diary

会議での姿を見れば、どの程度の人物なのかはすぐに分かる。

先日、ある社内会議に外部協力者として参加した時のこと。

 

8名ほどの参加者にたいして、議長が「意見はありませんか?」と聞いた。

彼らのうち、3名は意見を述べたが、残りの5名は何も言わなかった。「本当になにもないのですか?」と議長が念押ししても、

「ありません」

というばかりだった。

 

会議はその後、つつがなく終わったが、議長は先の意見を述べなかった5名に、

「来週からこの会議には出席しなくて良い。」と告げた。

その5名は

「今日はたまたま意見を言えなかっただけです」

「情報を共有したいので、出席します」

というのだが、議長は「議事録は後から送ってあげるから」と言って、取り合わなかった。

 

議長に後で話を聴くと、「「最近無駄な会議が多い」という課題があり、会議を絞り込んでいる最中です。」という。

「大体、会議に来てぼーっとしている人や、内職をしている人に、会議に出て貰う必要はないですよね。」

「確かにそうですね。」と私が相槌を打つと、

「多分、彼らも「会議になんて出たくない」と思っていたでしょう。だから、両者にとっていいんです。こう言うところから変えていかないと、生産性は向上しないですから。」

 

——————————

 

余談だが、「集団を賢くするのは何か」を明らかにするため、MITのアレックス・ペントランドは、数百の小グループを対象に、IQテストを行うなどして、「集団的知性」を検証した。*1

賢い集団と、愚かな集団にどのような違いがあるのか?組織の中で働くことの多い我々にとって、興味が尽きない分野だろう。

 

そして、この実験結果は意外なものだった。

実験によれば、会社で経営者が気にしているような要素、

・団結力

・モチベーション

・満足度

などについては、統計学的に有意な効果はなかった。

 

集団の知性を予測するのに最も役立つ要素は、「会話の参加者が平等に発言しているか」だった。

少数の人物が会話を支配しているグループは、皆が発言しているグループよりも集団的知性が低かった。

その次に重要な要素は、グループの構成員の社会的知性、すなわち相手の声のトーンやゼスチャーで相手の考えを察するなどの「雰囲気を読み取る能力」だった。

*1

 

つまり、会議の生産性を高めたかったら、

1.発言しない人

2.発言しすぎる人

3.空気の読めない人

を会議に参加させてはならない。これは科学的検証に基づいた事実である。

 

——————————

 

コンサルタントという仕事についていた時は「会議での発現を観察すること」は、その人の実力を測る上でとても重要であった。

議事録をレビューし、以下のような行動を繰り返す人物は、会議から遠ざけたり、外すことを推奨したこともある。

 

・すぐにマウントを取ろうとする人物

・人の話をぶった切る人物

・アイデアを出さない人物

・自分の意見を述べない人物

 

上の要件に当てはまる人物は、いくら個人として有能であっても、「集団的知性」を低下させるため、個人で活動させたほうが良い。そう結論づけたのだ。

会議とは、個人のパフォーマンスを見せつける場ではない。個人を遥かに超えるパフォーマンスを出すために「集団で考える場」なのだ。そのルールを理解しない人物に、会議に参加する資格はない。

 

 

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(Brian Dys Sahagun)

我々の事業は人工知能の「デジタルペット」を皆に楽しんでもらうことです。

こんにちは。大喜利をする人工知能を作る会社「株式会社わたしは」社長の竹之内です。

弊社にご興味をもって頂いた方々の中には、我々にこのような質問をする方が数多くいらっしゃいます。

「ところで、御社はどんな商売をするのですか?」

 

単に「大喜利ができる人工知能の開発をしています」だけでは稼ぐイメージが全く浮かばないためなのだと思いますが、そこはきちんと我々も「どうやって稼ごうか」を考えています。

 

結論から言うと、我々は「育成して遊ぶ、人工知能のペットを作りたい」と考えています。

 

昔、「たまごっち」というデジタルペットがありました。

餌を与えるタイミングや、どれだけかまってあげたかによって、その後の成長が変わるという、玩具のペットです。

 

基本的に、我々が作ろうと思っている人工知能はそれと同じです。

もちろん、たまごっちと比べて、育成の方針はより幅広く、ユーザーの方々がそれぞれ決められます。Wikipediaを読ませるも、写真集を見せるも自由です。

また、LINEのようにメッセージを人工知能とやり取りをしたり、あなたの行動を学習することにより、人工知能は成長します。

 

さらに、ネットワークを介し、ある程度育てた人工知能を「他の人に使ってもらう」ことも可能です。

自分の育てた人工知能が誰かの端末に入り、大喜利をしてその持ち主を笑わせる……そんなことがあったら面白いと思いませんか?

 

 

もともとわたしは「普通の人たちがこっそり考えている面白い事」に強く興味を持っていました。例えばラジオ番組に投稿されるネタ、昔の「ジャンプ放送局」のように投稿で成り立っている雑誌の一コーナー。

そういった「ネタ」が大好きでした。その頂点に立っているのが「ビックリハウス」という雑誌です。

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ビックリハウスは「完全投稿型」の雑誌で、糸井重里さんやみうらじゅん、ナンシー関さんなどが関わっていた、サブカルの「オールスター」とも呼んで良いようなものでした。

ここにはまさに、「一般の人々が密かに考えているおもしろいネタ」が詰まっているのです。そして「投稿」というのは、本質的に大喜利なのです。

ただ、紙媒体やラジオ番組などはその性質上、一過性です。

もっとその熱量や、その場の雰囲気を残したい……そう考え、結論としてだしたのが、「大喜利ができる人工知能ペットをつくって、皆に利用してもらう」でした。

 

 

現在の人工知能は、まだまだ我々が目指す姿とは遠いものです。

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ですが、人工知能は日々進化しています。

「自分の育てた人工知能」が世の中に出回る日を楽しみにしていてください。

 

 

【大喜利PickUp】



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複業(副業)をすることで「残業代+昇給」を上回るメリットを得られるか?

最近お会いした弁護士の方が、「最近、複業関係の相談多いんですよ」と言っていた。各企業、特に大企業が複業の規制を緩和する方向の中、社員と会社の関係も変わりつつあるのだろう。

とは言え、複業をするには時間もかかるし、それなりの覚悟もいる。

 

特に、「複業」は正規の就業時間外に行うものであるので、基本的には定時後と土日を利用してやらなければならない。

したがってこの場合「残業」を基本的にやらないことになるので、今までもらえていた(いなかった?)「残業代」分の収入が減ることになる。

 

そして、もう一つ問題なのは「出世による昇給」だ。

「毎日定時で帰っても、順調に出世できる会社」がどれほどあるだろうか。推測だが、おそらくまだ少ないだろう。

私の知るあるマネジャーは、

「定時で帰っている奴に、仕事のできるやつはいない」という。

 

この事の良し悪しはここでは論じないが、ともかく「たくさん働く奴が出世する」はまだ一般的な傾向として存在する。特に、仕事の質や能力が同程度であれば、最後は労働時間の多寡が成果の量となって現れるからだ。

結局のところ、複業は「残業代」と「昇給」とを引き換えに行う。これが今のところの実態である。

 

————————–

 

さて、「複業」のかわりに「残業代」と「昇給」を差し出した場合、これがどれほどの機会損失になるか、少し計算してみよう。

 

まず残業代だ。ひと月あたりの残業時間を約40時間程とし、割増賃金の時給を2000円ほどとすれば、残業代は大体月に8万円程度である。

さらに昇給。比較的多くの人がなれる、リーダー程度まで出世したとすると、平社員よりも月の給料は10万〜15万円程度高いだろう。

したがって、合計で18万円〜23万円。「複業」をすることにより、これだけの機会損失を発生させる可能性がある。

 

月に約20万円。これを多いと見るか、少ないと見るかは人それぞれだが、「複業」で月20万円程度を稼ぐのは、大変だろう。ブログを必死に書いて広告などで月に数万円の収入を得たとしても、これでは割にあわない。

「小遣い稼ぎ程度」の複業で、残業代+昇給を賄えるか、と言われれば、NOなのだ。

 

では、複業はやらないほうが良いのだろうか。

そんなことはない。

「終身雇用を前提として働く」ならば、その会社での僅かな昇給と残業代をとりにくのも良いだろう。

だが、終身雇用はすでに過去のものだ。我々が必要としているは「汎用性の高いビジネススキル、専門スキル」である。その獲得のために複業は最適だ。

 

例えば、社外の人と働くことは、スキルアップにとってとても貴重な機会だ。一社の仕事だけではとかく「タコツボ化」しやすいため、継続的に外部の人間と仕事することで、様々な知恵と出会うこともできる。

カーネギー・メロン大学のボブ・ケリーは、「花型研究者(スター)」と「平均的研究者」の違いに着目し、なにが違いを生み出すのかを統計的に研究した。

平均的な人々は世界を自分の観点からしか見ようとせず、ずっと同じ観点で考えてしまう。
一方スターはというと、広範囲な立場の人々を自身のネットワークに含めており、自分以外にも顧客やライバル、マネジャーの視点から物事を考えることができる*1

*1

仕事のパフォーマンスの向上のためには「多様な人々との付き合い」が重要であることを、有能な人々は知っている。

 

 

そして、ビジネスマンの中で最も優秀な層は、インターネットや紹介会社経由で転職をするわけではない。その多くの方は、「知り合いを通じて、有利な条件で」転職をする。

これは当たり前の話で、最も少ないコストで人を雇えるのが紹介ということを彼らは知っており、「紹介料の分を年収か、もしくは賞与に上乗せしてくれ」場合によってはという交渉をすることもできる。

実際、「紹介会社に200万、300万払うくらいなら、賞与にある程度色を付けても十分割に合う」という人事を、わたしは何人も見た。

だが、この転職方法には「人脈」が必要だ。その人脈を得る一つの方法が複業である。

 

 

自社での出世で勝負をするか。

マーケット全体で勝負するか。

後者の場合、複業は必要なのである。

 

 

 

 

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brian donovan

DMよりもWEB広告よりもビジネス交流会よりも、結局知り合いからの紹介クチコミが100倍効率よかった

こんにちは。出張靴磨きサービスを行っているニイナナ株式会社「ミガクル」広報部です。

もちろん広報をするのは私、社長の堀江です。社員は私1人です。今日は、現在実店舗を構えさせて頂いているコワーキンスペースの「ザサードラウンジ」からお届けします。

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創業1年となりました

ニイナナ株式会社は、先週の7月7日でおかげさまで創業1年となりました。起業したらお金持ちになれると思ってたんですが、そんなことはなかったです。

「ああ、なんとか1年間食いつなげたなあ」が、正直な感想です。

今ではおかげさまで30社以上の会社さんと取引をして頂けるようになりました。

 

新規顧客開拓で心折れそうになったこと

最初は、新規顧客開拓やり方がわからなくて200社にダイレクトメール、Facebook広告など出してみましたが、ほぼ全滅。またそれならばリアルに人脈つくろうとビジネス交流会にもたくさん参加しましたが、100社当たって1件取れるか取れないか程度でした。

それではあまりに効率が悪いと思い、今度は靴を磨く必要がありそうな人たちに的を絞って集中的に営業することにしました。

ビシっとした格好をしないといけない人だと思い「普段から経営者に会う機会が多そうな人たちがいる会社」つまり保険会社、弁護士や税理士などいわゆる士業の事務所、不動産営業会社などに営業してみたのです。でも、それもさほど成果を出すことができませんでした。

自分では「まだ誰もやっていないし、こんないいサービスはない」と思っていましたし、営業も得意だと思っていました。数撃ちゃ当たるくらいの軽い気持ちで考えていたんですが、こんなにも売れないものかとかなり落ち込みました。

もうそうなると「出張靴磨き」というサービス自体がダメなのかと自分で自分を疑い始めました。創業してまだ3か月くらいしか経ってない時です。

血迷って、婚活のWEBサービスをつくったり、不動産営業の代行とかやったりもしましたが、それらはさらにダメでした。すぐ辞めました。

 

出張靴磨きサービスを諦めかけた時に始めたこと

そんな時、私の信頼している方が「今取引をしている会社に対してサービスの質を上げることに専念してみなよ」とアドバイスくれました。それで一旦新規営業開拓はやめて、友人づてで紹介されていた数社でのサービス向上に集中しました。

 

具体的に行ったことは

◯靴を磨いている時に、靴のケアの仕方や保管方法について教えてあげた

◯靴ひもなども汚くなっていたら取り替えてあげるようにした

◯靴磨きサービスを社内に導入してくれた担当の方に負担がかからないように企業ごとのオペレーションマニュアルを作ってお渡しした

 

主に3つです。

そうしたら、うまくいきはじめたんです。一つ一つの会社を大切におつきあいすると、その会社の方の紹介で他の会社を紹介してくれることがわかったんです。

「今度他に紹介してあげるよ」

けっこう気軽に紹介してくれるんです。いわゆるクチコミです。

結局はそれが一番の営業効果がありました。DM打ってテレアポした時と比べると大げさじゃなく100倍の効率良さだと感じました。紹介されていくと、かなりの確率で契約が取れるからです。

というわけで、取引先も徐々に増え現在は30社ほどの会社さんと取引があります。

 

【先週の訪問先】

メディア企業Pさん 10人/2時間

保険会社P都内3支店 20人3時間・10人2時間・10人2時間

弁護士事務所A 10人/2時間

IT企業R 6人/2時間 

社労士事務所B 5人1時間

税理事務所C 5人1時間

—–

計70名以上の方の靴を磨かせて頂きました。

今では企業さんのオフィスへ出向いての出張靴磨きサービスに手応えを感じています。もっと取引会社を増やして、行けるとこまで行きたいです。

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ミガクル」サイト

 

【過去の週報】

ニイナナ週報001号【公式】出張靴磨きサービスのニイナナ株式会社が広報活動を行います。

 

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仕事において「能力」と「人格」は、分けて考えることが重要

よく言われる話であるが、「仕事ができる」ことと「人格が優れている」こととはあまり関係がない。

人望があっても仕事は今ひとつの方がいるし、逆に仕事は突き抜けてできるが人格に問題あり、という方もいる。両者とも希少な資質・能力であるから、必然的にこの二つを兼ね備えた人は稀である。

 

例えば、スティーブ・ジョブスは偉大な経営者であったが、近くで働く人物にとっては一緒に気持ちよく働ける人物ではなかったという。

実際、元米アップル社のシニアマネジャーだった松井博氏は、著書*1の中で、彼についての特徴的なエピソードに触れている。

スティーブに社員食堂などで話しかけられてしどろもどろになってしまうと「お前は自分がどんな仕事をしているか説明できないのか?同じ空気吸いたくないな」などといわれ首になってしまうという噂が流れました。

たまたまエレベーターでスティーブと乗りあわせてクビになったという話もあり、みんなスティーブと目も合わせないようにする始末でした。

これが「噂」だったとしても、こんな噂が立つ人物と一緒に働きたいと思う人は稀有だろう。

 

また、こんなエピソードも紹介されている。

例えばお客様からの苦情メール。
これが突如スティーブ・ジョブスから転送されてくる、ということが年に数回ありました。

スティーブから直々に送られてくる問題ですから上から下まで全員が注目しています。
こう言った場で「この問題の原因を作りこんだ責任者」のようなレッテルを貼られてしまうことは、アップルで政治生命の終わりと言ってもいいほど最悪の事態でした。

管理職研修などでは「皆の前で部下を叱ってはいけない」と教えられたりするが、スティーブ・ジョブスはそんなことお構いなしだった。

*1

 

 

アメリカ南北戦争の英雄、北軍を勝利に導いたユリシーズ・グラント将軍は、実は大変酒癖が悪かったという。

また、後年大統領となったとき、スキャンダルをおこし、汚職に手を染めるなど、人格的には決して褒められた人物ではなかった。

だが、大統領であったエイブラハム・リンカーンは戦時中、その危険性を知りつつも彼を解雇しなかった。戦いがあまりにもうまかったからだ。

対して、グラントのライバル、南軍のロバート・E・リー将軍は大変穏やかな性格であったという。人をつかうこともうまかった。だが、最終的にはグラント将軍に敗北してしまった。

 

 

「仕事の能力と、人格は切り分けて考えなければならない」ということをしばしば我々は忘れてしまうが、上のようなエピソードは、それを再認識させてくれる。

 

———————————–

 

先日、ある会合で友人が言っていた。

「信頼して仕事を任せた方が、何もしていなかった。あまりにも無能であることに腹を立てて、「アンタ、仕事ナメてるでしょ」とつい大声で怒ってしまった。」

彼に事情を聴くと、

「仕事と人格は別っていうのはわかるんだけど「この歳になって、こんなこともできないなんて、世の中を舐めてきた」と思ってしまう。するとついつい、リスペクトを失って、怒ってしまう」

という。

 

上のように「仕事ができないがゆえに、人格まで否定したくなる」という衝動が存在することを認めない人はいないだろう。おそらく、誰でも経験があるはずだ。

過去、

「お前は本当に仕事ができないな、だらしないヤツだな。」

「目標達成に向かって頑張らないヤツはクズだ。」

そんな言葉を様々な企業の中で聞いてきた。

 

だが、その場に居合わせた別の知人が言った。

「無能っていうのは、「時代の要請と合わない」ってことだから、人格とは分けて考えたほうがいいと思う。例えば自分は戦国時代に生きてたら、たいして活躍できなかったんじゃないかな。たまたま今の、この仕事だから、能力が活かされてるんだよね。」

 

———————————–

 

我々は、ともすれば仕事の能力を「人格」で語る、「人格主義」で考えがちである。

しかし、上のように人格主義は万能ではない。

 

「精神を鍛えれば、仕事ができるようになる」

「成果をあげる人は、人格も高潔だ」

と言った具合に、仕事の能力と人格とを安易に結びつけるのは避けるべき事態である。

 

 

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Brittney Bush Bollay

夏休みの宿題進捗管理をIT化してみたら子どもが凄くやる気出したので今年もやろうかな、という話

長男(今年9歳)が通っている学校は、かなり宿題が多い学校のようで、低学年でもそれなりの量の宿題が出ます。当然、夏休みの宿題も結構な量です。

 

長男は、普段の勉強については特に苦労をしていないようですが、やはり小学生であって、計画的に宿題をするのは苦手です。

一年生の時の夏休みの宿題も、結局すべて片づけるのはかなりギリギリになっていたようで、8月下旬くらいに泣きべそをかきながら宿題をやっているのを観測しました。

 

小学校の宿題に親が口出しするのもどうかなと思いまして、一年の頃はあまり干渉しなかったんですが、ちょっとそれを見て反省というか、考えを改めました。

宿題の本来の意味は、「家庭での勉強の習慣を作ること」だと思います。それが機能しないばかりか、単に嫌な思い出ばかりになってしまい、机に向かうこと自体がイヤになってしまったら可哀想だなーと思ったからです。

 

そこで、2015年の夏休みは、多少干渉してみることにしてみました。

ヒアリングから始めました。

私「(長男の名前、以下長男)くん、夏休みの宿題出た?」

長男「出たよーー、いっぱい!」

私「やるの大変そう?」

長男「大変だと思うー」

私「難しそう?」

長男「んーー?そんなに難しくはないと思う」

私「けど去年なかなか終わらなかったじゃない?」

長男「大変そうーーって思うとなかなか始められないの…」

私「始めたら割とすぐ終わってたもんね」

長男「うん。そんな難しくないもん」

私「どれくらいあれば終わりそうーとか最初にわかる?」

長男「分かるかも知れないけど、最初にそんなとこ見てない」

ふむ。

(自分自身の経験から)予想はしていましたが、長男が宿題ギリギリになる理由と状況を整理すると、

・タスクの事前抽出が出来ていない

・同じく、タスクの全量が事前に把握出来ていない

・なんとなく「すごく多い」というイメージだけで、着手の心理障壁が上がり、着手自体が遅れてしまう

・タスクに取り掛かってしまいさえすれば、タスクの遂行速度に問題はない

という感じになりました。ほぼ想定通りです。

普段の宿題でも、彼は終わった後は「あーー終わった!」と大喜びしているので、達成感、モチベーション的な意味での問題はなかろうと判断。

 

となると、

・なるべく細かい単位でタスクを書き出して可視化する

・ざっくりでも構わないので各タスクの工数を事前に検討する

・上記をスケジュールにはめ込む

・進捗度合についても可視化する

・進捗はなるべく視覚的に分かりやすく見えるようにする

・進捗及びスケジュールは適宜見直しをする

という、非常にシンプルなタスク管理手法で問題は解決出来そうです。

 

宿題の進捗管理は、当初自分でアプリ作ってMS Projectと連携させるかと思ったのですが、調べてみたら色々と良さそうなwebサービスがあったので、今回はBrabio!を使ってみました。

多分BacklogでもTodoistでもいいと思います。

http://brabio.jp/

brabio001

Todoでタスクの管理が出来まして、その内容はプロジェクト全体で共有できます。

完了したタスクが「わたしのあしあと」でずらっと閲覧できるのが一つのポイント。終わったタスクをコレクション的に眺められることが、長男のコレクター魂を刺激しました。

 

タスクがカレンダーからどんどんタスクが消えていくのが、長男としてもビジュアル的に気に入ったようです。

折角なので、「夏休み宿題プロジェクト」として私と長男両方メンバーとして登録して、家族共有のiPadで進捗を登録するようにしてあげたら、なんか「かっこいい!!会社のひとみたい!!」ということでやたらテンションが上がったらしく、俄然やる気を見せてきました。意外な副作用です。

ここにTodoとしてタスクを登録していくわけですが、この時は

・長男と話し合いつつ、夏休みの宿題をTodoとして分解・リスト化

・一個のTodoは30分程度で無理なく終わる大きさにする

・最初から遊びや旅行の予定が入っている日はタスク量を少なくする

・週に1回くらい「進捗確認会議」の予定を入れて適宜見直しをする(敢えて仕事っぽい言葉を使う)

・予定通り進んでいたらちゃんと褒めてあげる

という程度のことを工夫しました。流石にタスク登録はまだ難しいだろうと思ったので私がやりましたが、ちょっと慣れれば多分自分でも出来るようになると思います。

 

「夏休み帳 ○○ページ」「自由研究 ○○駅にいって写真を撮る」という感じでタスク分解してみたら、それだけでもう「思ったより大したことない」ということが分かったようで、宿題はさくさくと進捗。

結局、当初の予定を繰り上げて、8月の上旬くらいにはもう一通り終わってしまいました。予定が前倒しになるプロジェクトなど私にも滅多にありません。嫉妬。

今回長男的にはうまいことハマった訳ですが、勿論向き不向きはあると思います。ただ、大事なのは

・手をつけるのがイヤなことは、単にやること整理されていないだけであることが結構ある

・整理して細かくタスクを分解すると、大変そうに思えることでも実は案外楽

ということをわかってもらうことだと思いますので、そういう意味ではなかなか良い成功体験をさせてあげられたと思います。折角うまくいった例なので、今年の夏休みでも継続したい所存。

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

【プロフィール】

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SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて
書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

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