インターネットや携帯電話の普及が、古き良き昭和文化の多くを博物館送りにして久しい。

昭和の大人気漫画「シティハンター」は、駅の伝言板に「XYZ(後が無い)」と書くことで無敵のヒーローが助けに来るところからストーリーが始まる昭和世代の名作だが、平成世代にはもはや駅の伝言板など、何のことかわからないだろう。

 

10円玉や100円玉を大量に握り締め、電話ボックスからクラスメートの女の子に電話をかけた思い出も、もはや3日前の晩飯よりも思い出すのが難しい記憶だ。

頑張ればなんとなく、誰と何を話していたのか、思い出せるかも知れない。

 

冒頭からオッサンの懐古話で恐縮だが、中でも私が一つ、今もあのドキドキ感を懐かしく思うものがある。

それは「ペンフレンド」という文化だ。世界各国のたくさんの友達と、英語で「交換日記」のように、相当なタイムラグのある手紙をやりとりする文化である。

 

ずいぶん昔のことなので記憶が曖昧だが、確か当時日本には、海外のペンパル(=ペンフレンド)を紹介する団体が3つほど存在した。

それぞれが世界各国のペンフレンド協会と提携しており、団体に加入すると世界中の「ペンフレンド募集中」の人たちの名簿が送られてくる。

そして自分の名前と住所も、一定期間、その名簿に載って世界中を駆け回るという仕組みだ。そのため、加入してからしばらくすると、海外から大量のエアメールが届く嬉しい悲鳴を楽しむことになる。

 

ところでなぜ、当時中学生だった私がわざわざレアな団体を探し当て、海外のペンパルを欲しいと思ったのかについてだ。

当時の私は、昭和の子供の定番で、将来の職業は絶対にパイロットになると決めていた。

それも、JALの国際線パイロットだ。

2017年に、日本FP(ファイナンシャルプランナー)協会が集計したアンケートでは、もはやパイロットは子供たちの憧れの職業でトップ10にすら入っていないようだが、昭和の時代はトップ3の常連だった。

それだけ、海外に出掛けるということが非日常的な夢だったのだろう。実際に、町中で外国人を見かけると、必ず2度見したことをよく覚えている。

 

海外との繋がりを持つすべもなく、飛行機に乗る機会など一生あり得ないと思っていた昭和の男児の多くが、パイロットという華やかな職業に憧れた。

そして、そんな夢の職業につくためには、どうすればいいか。

中学生だった私はまず、必死で英語を勉強することにした。しかしそれだけでは不十分で、パイロットになるためには「活きた英語」を学ぶ必要がある。

 

当時はまだ、英語のテストにヒアリングすら導入されておらず、読み書きだけで成績が付けられる時代。

こんな英語では、パイロットとしての会話などできるわけがないというおかしな強迫観念を持っていた私は、NHKラジオの英語講座のテキストを買い、毎回必ず聴取し勉強をするようになった。

しかしそれでも、NHKラジオ講座の英語は余りに容易で物足りない。

 

必死になって「活きた英語」を身につけるためにはどうすればいいか。

その答えとしてたどり着いたのが、海外のペンパルと英語で文通をすることだった。

言ってみれば、英語で自分の思いを表現し、また英語で自分の感情を多く表現するネイティブたちと触れ合いたいと思ったからだ。

 

さらに私の妄想は続く。

当時中学生であったにも関わらず、活きた英語を話せるようになるためには海外の同世代の女の子と文通し、あわよくば実際にデートすることだと、相当ぶっとんだことを考えていた。

 

そのためアメリカ、ポーランド、モーリシャス、それにセーシェルやラトビアなどの女の子たちと、欲張りにも程がある文通を開始した。

この作戦は当たり、やはりプライベートな感情を英語で表現するには、プライベートな友人を多く持つことだと実感することが多かった。

例えば、I want toを略して表現するI wanna などだ。

 

理屈ではわかっていても、それは本当によく使う口語なのか、スラングに近いのか。

相手によっては使ってはダメなシチュエーションがあるのか。

学校勉強では、I want toと書かなければ必ず不正解にされたが、むしろ文通でI want toなどと書くとペンパルに訂正されることもある。

 

つまり、理屈ではなくネイティブがどういう言葉のチョイスをするのか。こればかりは、実際のネイティブと話さなければわからないことがとても多かった。

 

さらに勉強になったことは、所属している部活をcircle(サークル)と表現しても、アメリカ人のペンパルには全く通じなかったような経験だろうか。

自分が当たり前に使っている英語の多くが和製英語であることを知り、コミュニケーション能力が高まり、おかしなところで「パイロットになれる」という自信がつき始めた。

 

「My father is official!」

そして時は流れ、迎えたパイロットになるための試験。

少し簡単に、当時のエアラインパイロットになるためのルートをご説明させて頂くと、大きくは2つだ。

1つは、運輸省(現在の国土交通省)が所轄する航空大学校に合格し、パイロット免許を取ること。卒業すればほぼ100%、JALやANAといった大手航空会社にパイロットとして採用される。

2つめは、JALやANAが直接募集する、「自社養成パイロット」という制度に合格することだ。

 

これに加え、2018年現在では一般大学でもパイロットの養成をする学科が現れるなど、非常にその成り方は多様化しているようだが、当時はこの2つの方法しか存在しなかった。

 

そして私は、航空大学校の試験を何度受けても、1次試験の学科は合格するものの、2次試験の身体検査で落ち続けた。

結局、一般の大学に通いながら年齢制限まで受け続けたが、結果は変わらなかった。

そして、事実上のラストチャンスとも言うべき大学4年生の年。

 

バブル崩壊後の不況で、自社養成パイロットはJALしか実施していなかったが、私はこのラストチャンスにかけて、JALの自社養成パイロット試験を受けていた。

正直、直前まで航空大学校の勉強を重ねていたので学科試験など楽勝である。

その後の管理職面接も突破し、そして迎えた英語面接の日。

噂では、ネイティブの面接担当者が様々な英語で志望動機やなぜパイロットになりたいのか、と言ったようなことを聞いてくると聞かされていた。

 

ただでさえ、緊張する就職面接だ。ソファーに座り、自分の順番を待つ間、いろいろシミュレーションをブツブツ繰り返すが、不安な思いは拭えない。

そして、自分の順番が呼ばれ部屋に入ると、金髪で陽気そうないかにもアメリカンという兄ちゃんがだだっ広い部屋に、1組の机と椅子だけを並べて座っていた。

 

彼は手招きすると私に座るよう指示し、早速最初の質問を飛ばしてくる。

「What is your father’s occupation?(あなたのお父さんのお仕事は何ですか?)」

 

……やばい、わからない。

いや、相手の言っている意味はわかる。わからないのは、父の職業を英語でなんと言うのかだ。

ちなみに父は公務員だったのだが、バカ真面目な私は公務員という単語を必死になって頭の中で探そうとする。

 

正直、会社員という設定にしてemployeeとでも言えばいいのに、とっさに嘘を付くことができない。

なおこの時代、家族構成や両親の仕事などを聞くことも、面接では普通に行われていたことだ。

というよりも、まるで中学1年生の最初の英語のレッスンのように簡単な会話でありサービス問題のはずだが、公務員という単語が出てこないばかりに苦痛の時間が流れる。

 

追いつめられた私は、公務員=公の人というイコール式から連想し、苦肉の策でこう答えた。

「My father is official!」

 

冷静に考えれば、これはネイティブにどう聞こえたのだろう。

直訳すれば、「俺のオヤジは公式だ!」となるが、おそらくニュアンス的に、「俺はオヤジとちゃんと血が繋がっている!」というような意味不明の自己主張なのかも知れない。

 

相当おかしなことを言ったはずだが、それに対し面接の兄ちゃんは一瞬目を丸くし、

「Hey!every father is official!(おいおい、世の中のオヤジはみんな公式だろ!)」

という意味のことを答えた。

 

もはや、自分がおかしなことを言っていることだけはわかる、プチパニック状態だ。

この返しに対し、自分はどう答えるべきなのか。頭をフル回転させている時に、ペンパルとの文通で教えてもらった言い回しをとっさに2つ、思い出した。

会話に困った時、砕けた場面で使うと便利だと教えてもらったフレーズだ。

 

「Is that so?Really?(そうなの?マジで?)」

 

これには相当意表を突かれたのか、面接の兄ちゃんは声を出して大笑いした。

……冷静に考えればそりゃあそうだろう。

よくこんな緊張の場面で、こんな会話をしたものだとつくづく思う。

 

その後、結局何を話したのかは詳しく覚えてないが、私は面接の兄ちゃんに気に入られたことだけはわかった。

そして無事に合格し、最終面接に進むことができたが、そこで落ちた。

そして、私の人生におけるパイロットチャレンジは完全に終了した。

 

長い時間を掛けて、人生の目標と定めてチャレンジし続けた夢の職業だ。

私は結局、大学を卒業し大手金融機関に就職したが、ずいぶん長いこと、飛行機に乗れなかった。

 

自分が全身全霊を賭けてなれなかったパイロットという職業。

その職業にある人が操縦する飛行機などに、絶対に乗りたくないと思ったからだ。

しかし、ある程度責任ある立場になってくると、そういうわけにもいかない。

私は海外の取引先とも交渉をする必要があるポジションに就き、実際に何度か海外出張を余儀なくされたが、それからは昔の未練を断ち切り、今では海外旅行も楽しめるようになった。

 

そして現在。

やはり、若い時に身に着けた英語はそう簡単に抜けない。

ペンパルに教えてもらった数々の言い回しは健在で、軽くジョークも飛ばせる語学力は維持できている。

その上で思うことだが、やはり日本は、アジアの中で本当に英語を話せない人口の割合が多すぎる。

 

私が仕事で出かけたアジアの国々では、ビジネスパートナーはもちろん、町中で誰に話しかけても、英語が通じずに困ったという思いをしたことがほとんどなかった。

母国語に加え英語を話せるのは当たり前。その上でさらに、フランス語、ドイツ語、たまに日本語も話せる人がいるなど、発展途上国の人たちの語学熱には驚かされるばかりだ。

 

私を含めて、英語くらいはせめて身につけなければと、仕事や旅行で海外に行くたびに、そんな思いを新たにしている。

 

それにしても、ネイティブには「My father is official!」はどう聞こえていたのか。

今も良くわからない。

 

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(2024/4/21更新)

 

【著者】

氏名:桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し、独立。会社経営時々フリーライター。

複数のペンネームでメディアに寄稿し、経営者層を中心に10数万人の読者を、運営するブログでは月間90万PVの読者を持つ。

(Photo:Eiichi Kimura)