「吾輩は猫である。名前はまだない。」という書き出しから始まる夏目漱石の「吾輩は猫である」を知っている人は多いと思う。
しかしこの物語を実際に手に取り、冒頭を読み始めたところで、
「この作者、いきなり何言ってんの?猫がしゃべるわけ無いじゃん」
と、冷めた感想を持ったことがある人はいるだろうか。
いるとすれば、その人は天才かもしれないが、多くの場合は社会生活を営む上で不自由さを感じる事が多いかも知れない。
多くの人の感性では、「なるほど、主人公は猫なんですね」という設定を素直に受け入れ、世界観に入りこむことが人の常だからだ。
つまり人は、物語を手にとった瞬間から、どんな突拍子もない設定をされたところで、それを物語として受け入れる準備ができているということになる。
しかしこの、「素直に受け入れる」という人の機能。時として非常に困った問題を引き起こす。
なぜなら、このような作用が脳内で働くのは、何もフィクションの物語を読む時に限っての現象ではないからだ。
それこそ、時には「猫が話し出す」という設定ほどにあり得ないフィクションであるにも関わらず、事実として受け入れてしまうことも多い。
具体的な例を挙げてみたい。
2018年も年の瀬が迫った12月21日。日経新聞の電子版に以下のような記事が掲載された。
結婚後の生活ルールや離婚した場合の慰謝料、財産分与などについて、夫婦で結婚前に契約を交わす「婚前契約」が広がっている。3組に1組が離婚するといわれる中、結婚に不安を感じる男女が増えているためだ。
この記事はまさに、少し冷静に考えればわかるほどのフェイクを前提にしており、そこから導き出した無意味な結論だが、おわかりだろうか。
冷静に考えて欲しいのだが、肌感覚で、周囲の夫婦の3組に1組が離婚しているという職場やマンション、町内会に住んでいる人はいるだろうか。
田舎の年老いた父母の住む家を想像してみると、3組に1組が離婚するということは、実家、右隣、左隣のいずれか1組が離婚しているということである。
もちろん、向かい3軒のいずれかも離婚している計算だ。その隣3軒のうちの1軒も、離婚していなければ数字が合わない。
職場でも、結婚経験のある10人の上司や部下、同僚がいれば、そのうち3人は離婚経験者でないとおかしいことになる。しかし、私を含めてそんな肌感覚を持っている人はそう多くないはずだ。
「ふわっとした事実らしきもの」は基本的に嘘
これは日経電子版に限らないが、「3組に1組 離婚」でニュース検索すると、有名ニュースサイトが続々とヒットする。
そして表現方法や温度差に違いはあっても、「離婚率が年々高まっている」「3組に1組が離婚する時代に突入」「3組に1組は離婚するなんて言われているこの世の中」と記す。
しかし肝心のソースは、日経電子版と同様に主語を示さず、「~と言われている」「~という世の中」と、誰が言っているのかを示さず「ふわっとした事実らしきもの」を提示する。
似たような論調はテレビでも多く目にするので、きっとこれが事実と信じ込んでいる人も多いのではないだろうか。
しかしこれは、完全なフェイクだ。
ではなぜ、このようなとんでもないフェイクが常識としてまかり通るほどに、定着してしまったのだろうか。
それは、この数字にはいっけん本当に思えてしまう、もっともらしい根拠があるからだ。
2017年度版の厚生労働省「人口動態統計の年間推計」*1がそれであり、この公的資料では、出生や死亡、婚姻や離婚といった日本の人口動態を統計的な資料として集計し発表している。
そしてこの資料の中に、2017年度1年間の婚姻数と離婚数が示されているのだが、その数字は以下の通りだ。
婚姻数:607000組
離婚数:212000組
この統計値が発表されてから、メディアではこぞって「日本では、結婚した夫婦の3組に1組以上が離婚している」というフェイクが独り歩きするようになった。
だがこれは、2017年度の1年間で離婚した夫婦と、結婚した夫婦の数に過ぎない。
両者は全く異なるものだが、違いはおわかりだろうか。
例えば、人口総数と世代別の人口構成比率が大きく変わらないという前提であれば、
ある年の離婚数 ÷ ある年の婚姻数
という数式で、結婚した夫婦の何組に1組が離婚するのか、概ね推定することはできるだろう。しかし残念ながら、日本では少子高齢化の影響で、婚姻数は年々大きく減り続けているのが現状だ。
同じ厚生労働省の「人口動態統計の年間推計」によると、戦後もっとも婚姻数が多かったのは1972年で、およそ110万組。それに対して2017年は先の通り、607000組である。
つまり、婚姻数そのものが、ほぼ半減しているわけだ。
もはやおわかりだと思うが、ここまで人口動態が大きく変化している以上、
ある年の離婚数 ÷ ある年の婚姻数
という割り算は、「結婚した夫婦の何組に1組が離婚するか」などという事実を全く反映しない。分母が半分に減れば、分子が一定であっても「離婚率」は倍になるからだ。
この論調をわかりやすく身近な例に置き換えると、例えば過疎化し高齢者ばかりになった村で久しぶりに若い夫婦が1組誕生し、同じ年に村で老夫婦が1組離婚したとする。
この事実をして、「この村の離婚率は100%」と推定し、この村で結婚した夫婦は必ず離婚する時代、と結論付ければどう思われるだろうか。完全に非論理的だ。2組の老夫婦が離婚すれば、さらに支離滅裂なことになるだろう。
こんな論調を大手メディアはこぞって事実であるかのように報じており、そして多くの国民がなんとなく、この「ふわっとした事実らしきもの」を信じている現状がある。
「日本人はデータの活用が苦手」という、それこそふわっとした事実らしきものを報じるメディアは多いが、皮肉にもこちらの方は、それこそ真実なのかもしれない。
「猫がしゃべるわけ無いじゃん」と感じる事ができるのは大事な才能
さらにこの「常識とされる論調」には、まだ重大な続きがある。
実は日本では、離婚数も離婚率も近年、20年近くに渡り減り続けていることをご存知だろうか。
なお「離婚率」という数字は厚生労働省が正式に定義しており、人口1000人あたりで何人の人が離婚するか、という計算式で算出する。決して、「ある年の離婚組数 ÷ ある年の婚姻組数」ではない。
そうしなければ、大きく変わる人口動態の影響をまともに受けてしまい、事実を正確に把握できないからだ。
そしてその数字は、概ね以下の通りだ。
・1970年代以降の婚姻数、離婚数の推移
※左軸が婚姻組数(万組)、右軸が離婚組数(万組)、下部が西暦。
※厚生労働省の「人口動態統計の年間推計」を基にオリジナルに作成。
・1970年代以降の離婚率の推移
※左軸の数字は、人口1000人あたりの離婚人数。
※厚生労働省の「人口動態統計の年間推計」を基にオリジナルに作成。
ご覧頂くと明らかだが、日本では離婚する夫婦の組数は2000年代に入り、急減し続けている。
人口1000人あたりの離婚率も、当たり前だが同様に減り続けている。どちらかというと、このグラフからは読み取れる事実は、離婚数、離婚率ともに、婚姻数の増減が何年か後になって表れているだけではないのか、という推測に過ぎない。
つまり、昔も今も、恐らく結婚した人の何組に1組が離婚するのか、という数字にさほど大きな変化は無いということである。
にも関わらず、2017年の離婚数÷婚姻数という算式の結果を根拠に、「日本では、3組に1組が離婚する時代に突入」とニュースにするのは、もはや深刻なレベルで頭が悪い。
そして多くのメディアでニュースを作る記者たちが、このタチの悪いフェイクを信じ、
結婚後の生活ルールや離婚した場合の慰謝料、財産分与などについて、夫婦で結婚前に契約を交わす「婚前契約」が広がっている。3組に1組が離婚するといわれる中、結婚に不安を感じる男女が増えているためだ。
という記事に仕立て上げてしまう。
このような「事実らしきもの」に接した時には、メディアの権威を盲信することなく肌感覚を信じることが大事だ。そして、時には「猫がしゃべるわけ無いじゃん」というほどに、信じることが前提の脳の活動を拒否する努力をすべきだ。
重大な決断には、必ず一次データにあたるクセを身につけよう
ここまでお読み頂いた段階で、「創作の物語とニュースソースは違う」と考える人がいるかも知れない。
つまり、「吾輩は猫である」という設定が現実であると信じる読者はいないし、ニュースソースであれば疑ってかかっているので大丈夫だ、という考え方だ。
それは確かにそのとおりだが、では、こんな話はどうだろうか。
少し前だが、テレビ東京のガイアの夜明けかカンブリア宮殿であったか記憶が定かではないが、ある職人集団のドキュメンタリーを放送していた。
その会社では、昼食は皆で必ず集合して食べて、なおかつ食事中の私語は厳禁というルールが課されていると言うことだった。
そして皆が、押し黙ってご飯を黙々と食べている光景に、
「このような厳しい規律から、強いチームワークが生まれる」
というナレーションが充てられていた。
この行為のどこに、結果の因果があるのだろう。
食事中の私語厳禁という“規律” → 強いチームワークの醸成
という相関関係があるのなら、少なくとも多くのスポーツチームや世界中の軍隊で採用されていると思うが、そのような組織論は耳にしたことがない。
こうして文字に起こすと可笑しさが際立つが、番組の各種エフェクトの効果は絶大だ。
「なるほど、そういうものなのだろうか」
となんとなく、ふわっと理解し流されかけて、ふと冷静になり鼻水を吹いた。
やっかいなのはこのような、フェイクを前提にしている物語なのか、真実を前提にしているニュースなのか、という境界が曖昧なコンテンツだ。
ノンフィクション風のフィクションとでも言えばいいだろうか。
テレビの番組には必ず、演出や創作が事実であるかのように織り込まれている。
しかし、経営者はもちろん、どれほど小さな組織の管理職でも、ふわっとした真実らしいデータやロジックには、絶対に流されてはならない。
肌感覚で「あれ?」っと思ったら、「すみません、そこよくわかりませんでした」と声を上げ、相手が上司であれ経営トップであれ、納得の行く説明やデータを求める習慣を組織に根付かせることが大事だ。
もちろん、一次データに当たり真実を自分の目で見極めるセンスも、重要になる。
そうすれば、どんな組織でも個人でも、必ず「並」の壁は超えることができるだろう。
*1
平成 29 年(2017) 人口動態統計の年間推計
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei17/dl/2017suikei.pdf
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【著者】
氏名:桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し、その後独立。会社経営時々フリーライター。
複数のペンネームでメディアに寄稿し、経営者層を中心に10数万人の読者を持つ。
運営する個人ブログでは月間90万PVの読者を持つが、リア友になるのは40代以上のオッサンばかりで嬉しいやら悲しいやら。