とある区画に住んでいる住民の大半が死んだ。

しかも、遺体は墓地に運ばれず放置されたままである。病院はあるし、火葬場も墓地も稼働しているのに、なぜ。

 

これは、街づくりゲーム『Cities:Skyline』の話だ。わたしは基本的にゲームはしないのだが、ごくまれにゲームをやりたい気分になるときがある。そこで手を出したのが、このゲームだった。

そして年末年始せっせと街づくりをしたわけだが、試行錯誤を繰り返した結果、わたしは『成長する』ことに関して、ちょっと感動する経験をした。

 

街づくりにハマる年末年始

街づくりゲームはとても単純だ。道路を引いて、水道や電力なんかのインフラを整備をして、家を立てて、学校や病院、警察署や消防署を用意して、バスや地下鉄、空港なんかでほかの街と結んでいく。

(ドイツ語でプレーしているので、本記事では施設名や設定などを日本語版とちがう表記で書いてしまっているかもしれないが、そこはご容赦いただきたい)

 

市民というのはワガママな生き物で、「あれがないこれがない」「市長、どうにかしてくれよ」とすぐに文句を言う。

市民は病気になるし火事も起こるし犯罪者も現れる。そういった市民をなでめすかし、素晴らしい街をつくっていくのがこのゲームである。

 

街を成長させていくための主な手段は、街を拡張していくことだ。

街が大きくなれば人口も増え、収益も増えやすくなる。人口増加に伴い増加する市民の要望に応えるために、新たな土地を買ってまた街を拡張していく。

そこにも入居者が現れ人口増加、さらなる需要に応えるためにふたたび道路を伸ばし……と、これを繰り返す。

 

しかしゲームである以上、当然、どこかしらで壁にぶつかる。

たとえば、住居を同時に建てまくると人口ピラミッドのバランスが悪くなり、居住者は同時に定年を迎え、いたるところで労働者不足に陥り、同時に死亡することで火葬場と墓地の需要が高まる。

学校を十分に建ててしまうと、進学者が増えて工場での労働者が足りずに工場が稼働できなくなることも。

 

こういった問題を解決しながら、いい街を目指す。

地味だがそのぶん時間を忘れて没頭できる、作業ゲー好きにはたまらないゲームのジャンルのひとつだ。(プレイ時間は現在43時間で、やりはじめたことを後悔するレベルになっている)

 

市民の大量死、迫られる再開発

さて、街はどんどん大きくなり、わたしはどこに出ても恥ずかしくない立派な市長になった。何もせずとも上がっていく収益に、思わず笑みがことれる。

なんだこれ、楽勝じゃん。

 

そう思ったのもつかの間、思わぬトラブルが発生。とある区画で、住民の突如大量死が起こったのだ。

住宅街はもちろん、商店やオフィスの建物の上にも死者を示すドクロマークが並ぶ。ぶわーっとドクロマークが表示され、わたしの頭は一瞬パニックになった。

 

いったいなぜ。

いろいろ調べてみると、、救急車が渋滞につかまって間に合わず、市民が死んでしまったことがわかった。

しかも霊柩車も渋滞に巻き込まれるため、遺体の運搬もできていない。同時に住宅を建てたため、大量の老人が同時に寿命を迎えたことも背景にあるようだ。

 

これを解決するには、渋滞の緩和が必要不可欠である。そうしなくては、いまはどうにかなってもまた同じ問題が起こる。

しかしまず道路を引いてそれに合わせて建物を経てた以上、渋滞回避のためには一部を取り壊して街の区画をデザインしなおさなくてはならない。いわば再開発だ。

悩ましい。非常に悩ましい。

 

大渋滞&死者多数とはいえ、なんやかんやそれなりの時間をかけて成長させ、もう「完成」だと思っていた区画である。

ブルドーザーマークをクリックして更地にしてやりなおすのは、その時間を無にするということだ。できればそれは避けたい。

 

わたしは、迷いに迷った。優柔不断だしゲーム慣れもしていないので、どうにか対処療法でなんとかならないかとウダウダ考えていた。

そのあいだも死者は増える一方で、人口は減り、市民の満足度も下がり、収益はついにマイナスに転じた。

 

さらに追い討ちをかけるように、電力不足を知らせる雷マークがぶわーーっと点滅する。渋滞に引っかかって資源が運べず、発電所が稼働できなくなったらしい。しかも、商店にも商品が届かなくなり、空き家も増えた。もうどうしようもない。

結局わたしは、対処療法ではなく、死者累々となった区画をひとつ取り潰して、渋滞が起こらないように街の一角をつくりなおすことを決める。

 

再開発に成功、見事黒字を叩き出す

市長として一生懸命街をつくった結果が、『区画の取り壊し』。それは明らかな後退だ。

いくら渋滞していても、多少の赤字や人口減少は仕方ないと割り切って耐えれば、ドクロマークはいずれ消えるはず。取り壊しは必須ではない。

それでもわたしは、将来的に同じことを繰り返すよりは思い切って改善すべきだと決断し、区間を取り潰した。

 

そうするとどうなったか?

渋滞が減った。そのために立体交差点や道路の車線を増やしたのだから当然だ。病人は病院に行けるし、消防車も間に合う。死者は無事、墓地に運ばれた。資源や商品も届くようになり、人口も収益も増えた。問題解決である。

 

その結果に、わたしは実はちょっと感動した。

たかがゲームだ。それでもわたしは、感動したのだ。いままで積み重ねてきたものをぶっ壊した結果、『成長』できたことに。

 

『成長する』ということはそれまで、『積み重ねること』だと思っていた。

なにかを成し遂げるためには、積み重ね、できることや経験値、知識を増やしていくべきだ。それが正しい。そう思っていた。

 

実際、わたしはそうやってライターの実績を細々と積み重ねて生活できるようになったし、毎日練習してベースも弾けるようになったし、ドイツ語学習もわからない単語を全部メモして調べて暗記して、を繰り返して今がある。

成長することは積み重ねること。それに疑いを持ったことはない。

 

でも、いままで必死こいて大きくした街のひと区画をまるまる潰した。

それでやり直して、軌道修正をした。そして黒字になり、街はよくなった。これって結構、画期的なことじゃないか? すごいことじゃないか?

成長する方法は、『積み重ねる』だけじゃない。ダメなところを思いっきりぶっ壊して『やり直す』ことも、またひとつの方法なのだ。

 

壊してやり直すことで成長することもある

大げさな話だと思うかもしれないけど、ちょっと聞いてほしい。

小さい頃から

「コツコツがんばりましょう」

「続けることが大切です」

「毎日の積み重ねが将来につながります」と言われてきた。

たぶん、みんなだってそうだろう。

 

「いままで努力して積み上げてきたものを一度ぶっ壊して新たに上書きすることでよくなる可能性もあります。これまでの成果を、一旦すべてナシにしましょう」なんて言われたことはなかった。

だって、イヤじゃん。いままでがんばってきたことをナシにするなんて。ぶっ壊してうまくいかなかったらバカみたいだし。そんなこと言われたらなんかやる気なくなるし。まず自分のミスを認めなきゃいけないし。

 

だから、水泡に帰す再開発は、自分の今までの積み重ねをすべて否定するようで気が進まなかった。まぁ、わたしが街づくりゲームをはじめてやったというのもあるのだろうけど。

正直なところ、よくないとはわかっていても、いままでやってきたことを繰り返すほうが楽だ。適当にごまかして荒波が収まるのを待てば、どうにかはなったかもしれない。

でもそれじゃ、今以上は望めない。わたしの街はもはや、そういう状態だった。

だから仕方なく、新たな可能性にかけてみた。そうしたらうまくいった。わたしの街は成長した。

 

でも考えてみれば、現実社会だって、『積み重ね』だけでは行き詰まることがある。

まちがっている方向に積み重ねても正解にはたどり着けないし、時勢によっては過去の慣習を廃止して柔軟に新しい仕組みをつくっていく必要もある。

 

それでも『積み重ね』だけが大事だと思っていたら、「このまま続けていけばきっといつかうまくいく」と負け戦を続けてしまうし、「伝統をなくしてしまうなんてもってのほかだ」と頭ごなしに反対してしまうかもしれない。

 

毎日を積み重ねていくことは大事だけれど、その方法じゃうまくいかない場合だってある。

そのとき必要なのは、『積み重ね』の反対の位置にある『やり直し』だ。どこかで見切りをつけて、マイナスが大きくなる前に切り捨てる。そして、やり直す。

 

そうやって多くの人は、新たな一歩を踏み出し、また少しずつ進んでいくのだろう。

ゲームだけじゃない、人生だって同じだ。人生はゲームほど簡単にはやり直せないけれど、前に進み続けるだけが成長じゃないという意味では、同じだと思う。

 

わたしの街は人口が10万人を超え、めでたく最高ランク『メガロポリス』になった。そして今日もまた道路を伸ばし、街を大きくしていく。

うまくいかなかったら、またやり直せばいいのだ。

 

 

【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

ブログ:『雨宮の迷走ニュース』

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