旬の話題というにはやや乗り遅れた感があるが、少し前、香川県のゲーム規制条例に関してネットがざわざわしていた。

それをきっかけに、「子どもがゲームをすることに対する賛否」といった議論を目にした人も多いと思う。

 

たとえば、保険相談サービスを運営する株式会社Wizleapが行った意識調査では、

・49.75%の回答者が「ゲームのプレイ時間を制限する条例は良いと思う」

・83.45%の回答者が「子供のゲームのプレイ時間は制限すべき」

と答えているそうだ(回答者は小学生以下の子を持つ親)。

 

実際、子育てうんぬんに関わらず、「ゲーム」というものに対してネガティブな印象をもっている人は多い。

 

何時間もゲームするなんて時間のムダ。

ゲームばっかりやってる妻/夫がムカつく。

ソシャゲ課金とかサービス終了したら終わりじゃん、アホらし。

 

……そう思っていた時期がわたしにもありました。

 

いまのわたしはといえば、とあるゲームに出会ってどっぷりとハマり、プレイ時間が1500時間を超えた立派なゲーマーである。

 

何時間もゲームやれるなんて最高!

夫がswitchやってるならプレステはわたしのもんだ!

課金? わかるわかる、自キャラにお金使いたいよねー! かわいくしたいよねー! 強くなりたいよねー!

 

とまぁこんな感じだ。人間、ちょっとしたきっかけで変わるものである(遠い目)。

 

そんなわたしからすると、ゲーム規制条例に関して「偏見や個人的な好き嫌いを根拠に議論が進むのって怖いなぁ」と思う。

 

アンチ・ゲームだったわたしがいつの間にかゲーマーに

もともとわたしは、ほとんどゲームをしない人間だった。

最後にまともにゲームをしたのは、ゲームボーイアドバンス時代のポケモンのサファイア(2002年発売)かな……?と記憶さえ怪しいレベル。

 

一方、夫はティーンのときからPCゲームをやり続けてきた筋金入りのゲーマー。曰く、「聖剣伝説は俺の青春」。

そんな夫のことを、わたしは長いこと理解できなかった。

 

せっかくの休みなのに、ヘッドフォンをして何時間もずっとPCゲーム。

話しかけても「ちょっと待って」「これが終わったら」ばっかり。

出かけても、「友だちがそろそろイン(ゲームをつけてオンライン状態になる)するから帰ろう」と言い出す。

 

ゲームなんてなんの生産性もないし、わたしとのコミュニケーションを拒絶しているみたいで悲しい。

っていうかかまってくれなくてムカつく!

料理冷めるんですけど!?

 

しかし去年の3月、結婚式の予約をしに役所へ行った帰り道、お互いテンションが上がってうっかりプレステ4を買ってしまった。

そこで夫から「せっかく買ったんだからなにかゲームしてみなよ!」と勧められ、いくつかのゲームを購入。

結果、わたしは立派なゲーマーとなり、いまや夫とプレステを取り合う仲になった。

 

多くの人がゲームの虜になるのには理由がある

さて、自分自身がゲームをやるようになってから、自分がいかにゲームについて無理解……というか、知らなかったのかを思い知った。

 

ゲームというのは、「がんばれば報われる」のが基本だ。

ある程度パターンがあり、それを理解して攻略していく。

レベルを上げれば強くなる。

強い敵を倒せばよりよいアイテムがもらえる(なお、ソシャゲ界隈では課金は努力に含まれる)。

 

よく考えたら、大人になって、「努力すれば必ず報われる」という状況はなかなかない。

むしろ、「努力してもどうしようもない」「かんたんに勝ち負けを決められない」ことのほうが多いくらいだ。

 

だからみんな、「がんばれば報われる」に取り憑かれる。

「あとちょっとやれば勝てる!」と熱くなるし、勝った瞬間の達成感が病みつきになる。

自分の成長をわかりやすく実感できるのが、気持ちいいのだ。

 

それだけじゃない。わたしにとってゲーム内コミュニティは、もはやなくてはならない存在になっている。

大人になると、友だちをつくる機会がグッと減るし、結婚や子育てでなんとなく疎遠になるのもよくある話だ。

飲み会に行けば、仕事と家庭内の愚痴が酒の肴になる。

 

でもゲーム内の交流なら、プライベートの話は基本しない。

現実を切り離して、同じ趣味のことだけを話せる。

年齢や性別がちがっても、同じ目標をもっているから仲良くできる。

 

プライベートを切り離した居場所があるというのは、とても心地いい。

現実世界で嫌なことがあっても、そこに逃げ込めるから。

 

さらに、わたしがまったく想像していなかったかたちでゲームに関わっている人たちとも出会った。

「声を失いしゃべれないけれど、オンラインゲームならチャットでやりとりできる」

「病気療養中で社会から孤立しそうになっていたけれど、ゲーム内になら居場所がある」

「子育てで息が詰まりそうなとき、ゲームで息抜きしている」

そういう人もいるのだ。

 

ゲームをしない人からすれば、ゲームは「現実逃避」であり、「生産性のない趣味」に思えるだろう。

わたしもそう思っていた。

でも、多くの人を夢中にさせるほどの魅力が、ゲームにはたしかにあるのだ。

 

感情や偏見は「意見」のひとつになっても「根拠」にはならない

「ゲームって最高だな!」とあっさり手のひら返ししたところで、こんなニュースが飛び込んできた。

県議会は、ゲームやネットの依存症対策を盛り込んだ条例の制定を目指していて、10日、委員会を開いて素案を示します。

関係者によりますと、素案にはゲームの利用などについて、高校生以下の子どもを対象に1日あたり平日は60分、休日は90分に制限するとともに、夜間の利用は高校生は夜10時以降、小学生や幼児を含む中学生以下の子どもは夜9時以降、制限することが盛り込まれるということです。

こうした制限には、いずれも罰則規定はありませんが、子どもたちに守らせることを保護者や学校の「責務」として明記するということです。

出典:https://www3.nhk.or.jp/lnews/takamatsu/20200109/8030005560.html

「子どもがゲームばっかりやってるなんてけしからん!」という人がいるのはわかる。

でも、じゃあ、「毎日3時間手芸するのはよくて、3時間ゲームするのがダメな理由」を、ちゃんと説明できる人はいるんだろうか。

なぜ60分までならよくて、120分はダメなの?

 

わたしからしたら、体が出来上がってないのに毎日何時間もムチャな練習して、疲れ切って授業中は寝ているような野球部の少年だって、立派に不健全に見える。

それなのになぜ、ゲームだけ狙い撃ちなんだろう?

 

それはやっぱり、「依存症対策」とはただの大義名分で、「ゲームは悪いもの」という認識をもつ人が多いからじゃないだろうか。

そうじゃなければ、ゲームだけじゃなくて、SNSやら長時間の部活やら、もっと規制項目が増えてもいいはずだ。

 

結局のところ、「ゲームは悪いもの」というぼんやりとしたイメージをもった人たちが、それを根拠に「悪いものだから規制したほうがいい」という理論で話を進めたんじゃないかなぁ、と思ってる。

 

ゲームを否定するなら、まず「ゲーム」を知ってから

今回は「ゲーム」だったけれど、世の中には「事情をよく知らない人たちがなんとなく議論して、実効性の薄いルールや目標を決めて満足する」ということは結構多い。

しかも、ゲームのように「社会的にあまりポジティブに評価されていないもの」だと、問答無用で「それは悪いもの」という前提で話が進んでいく。

 

なぜそれが悪いのか、それなのになんで多くの人がのめり込むのか、そういう根本的な話はせずに、「悪いと言われるものだから悪い」「だから規制」となってしまう。

ゲームというものが「いいもの」か「悪いもの」かは人によって判断がわかれるだろうけど、その判断をするためには、少なくともゲームがどんなものかをある程度知っておくべきだ。

 

まぁ、「だからみんなゲームしようね!」とまでは言わないけれど。

でも、なにも知らないまま、イメージだけで「1時間ならOK」だの「規制してよし」だのという流れになるのって、正直怖い。

自分にとって大切なものであっても、世間体が悪ければ、根拠があいまいでも「悪者」として処理されてしまうかもしれないのだから。

 

ゲームについて知らないのにゲームを否定していた現ゲーマーとしては、「偏見を主張の根拠にしてはいけない」と改めて思うわけである。

というわけで、ゲーム否定派の人はぜひ一度ゲームをしてみてほしい。

 

PS4なら、ひとりプレイ向けではあるけれど

Horizon Zero Dawn

『ウィッチャー3』

『テイルズオブベルセリア』あたりをオススメしたい(結局勧める)。

 

 

 

 

【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

ブログ:『雨宮の迷走ニュース』

Twitter:amamiya9901

(Photo:dprotz)