一週間から十日後の死

父が心筋梗塞になり、救急車で運ばれた。

ICUで鎮静剤を注入され、数日間意識を失っていた。

検査によって腎臓にも問題があることがわかった。

 

父には持病があるが、あらゆる病院に行き、あらゆる病院とトラブルを起こすような人間であった。

医師というものを嫌悪し、見下し、薬というものを嫌った。

いわゆる迷惑老人というものだろう。

やがて行くことのできる病院がなくなった。

 

そんな人間だけに、常日頃「延命措置などしない」と言っていた。

が、意識が戻り、「人工透析をしなければ一週間から十日で死ぬ」ということを医師から伝えられると、「それでは仕方ない。お願いします」と言ったということだ。

 

それを伝え聞いたおれは、「やっぱり人間というものは弱いものだな」と思った。

あるていど健康に生きているときに、「延命措置なんて不要だ」、「ぽっくり死んでやる」と思っていても、具体的に一週間から十日で死ぬというリアリティは大きい。

長い苦しみが続くかもしれないが、生にしがみついてしまう。

周りからすると「しがみついてほしくないな」と思っても、人間の生への執着はいかんともしがたい。

 

死を想うこと

とはいえ、死を前にしてそういう人ばかりでもない。

死ぬというのは面白い体験ね。
こんなの初めてだワ。
こんな経験するとは思わなかった。
人生って面白いことが一杯あるのね。
こんなに長く生きていてもまだ知らないことがあるなんて面白い!!
驚いた!!

二〇〇六年七月三十一日に逝去された、鶴見和子さんの最期のお言葉である。このお言葉を受けて弟俊輔さんが、
「そうだよ、人生は驚きの連続だよ」
と答えられ、お二人で大笑いなさったという(ご令妹内山章子さんの「闘病報告」による――『環』二十八号、二〇〇七年、藤原書店)。

いきなり孫引きになるが、こんな「まえがき」が載っている対談本を読んだ。

石牟礼道子・伊藤比呂美『新版 死を想う われらも終には仏なり』

 

「まえがき」の書き手は石牟礼道子(いしむれ みちこ)。石牟礼道子は、偉大なる文学者である。

「水俣病あたりの活動家でしょ」などと勘違いしている人がいるならば、ぜひとも作品にあたってもらいたい。

日本という国の文化を伝える巫女のような存在だ。その底知れなさに驚嘆するはずだ。たぶん。

 

して、その巫女的な存在である石牟礼道子が、晩年にあって詩人の伊藤比呂美と対談したのがこの本だ。

死について語っている。

仏教的な面からも死について語っている。

『梁塵秘抄』を読まなきゃな、と思ってしまう。

 

石牟礼道子の見てきた「死」について。

石牟礼 うちの近所の田んぼにも一発、爆弾が落ちて、びっくりしましたけどね。その代用教員の合宿所のそばにも爆弾が落ちました。爆風の威力というのは、人間の首も足も腹もぶった切っていくんですけど、それは見たことはなかったけど、植えたばかりの稲田が、円形劇場に人間が並んでいるように、落ちた周りがこうきれいに、人工的に切ったかのように……。人工的に切ってもあんなきれいにできないです。<中略>人が立っていたら、足から切れる人、腹から切れる人、首から切れる人になるでしょうね。
P.39

これは直接の「死」ではないけれど、戦争という「死」に身近な時代を生きてきた。

 

して、こんな話題から考えてみると、映画『この世界の片隅に』のすずさんと同じくらいの世代なのだ、石牟礼道子。

だからなんだというと、やはりその時代を生きてきた人間だぜ、という説得力を感じてしまう。

 

死相の国

その石牟礼いわく、村の中で年寄りが子供を見守っている光景が見られなくなっているという。

石牟礼 田んぼを作らなくなった隣のおばあさんが、私の家の田んぼに雀が来たりすると、縁側から大声で、ほう、ほう、と叫んで、雀を追ってくれたりしました。

伊藤 今はそれ、ないですね。今からそういうのを持てといっても、なかなか持ちませんよね。

石牟礼 今のままだと、なんて言うのか、「死相を浮かべた国」というか、浮かべていく国になりつつある。

伊藤 なっているような気がします、おっしゃるとおりだわ。みんな、死ぬのを待っているんですよ。

石牟礼 はい、待っている。

伊藤 でも、死ねないでしょう。

石牟礼 生きながら、「死相を浮かべている国」になっているんじゃないでしょうか。
p.51

死相を浮かべた国、とは強烈だ。

とはいえ、少子高齢化が進み、その先にあるのは死の国ではある。

まだ日本人が消えてなくなるまで時間はあるだろうが、大勢の人間が死につつある、死相を浮かべた国になる。

そんな実感はある。

人は老いて死ぬし、子供は生まれない。

これを覆す方策は見つかっていない。

 

もっともおれは、子供が生まれなければ、それだけ新しい不幸が生まれないと考えるような人間だ(反出生主義という)。

若い生命に老いた人間のための負担を強いる社会は存続する価値があるだろうか?

 

して、人間が死んだらどこに行くのだろうか?

 

死後のこと

石牟礼 次の世というのは、あるんだと思いますよ。「次の世は良か所に、行かれませ」って、言いますよ。亡くなったあとで、体を清めてあげるときに。

伊藤 その「良か所」というのは、どこですか?

石牟礼 「お浄土」でしょうね。
p.59

これは仏教的な考え方だ。

輪廻転生、また人間界なら人間界に生まれ変わる……わけではない。

輪廻転生を断つところに仏教の目的の一つがあるといってもいい。

そして、人が行くべきところは浄土だ。

この娑婆にはもう用はありませんよ、というところに仏陀の教えがある。

少なくとも、おれはそう考えている。

 

考えているばかりで、そこに信仰心があるかというと、無いわけだが。

 

それにしても、人が死ねば「良か所」に行くというのは、ある種の救いのようにも思える。

人の死に救いがあるのか。

草木国土悉皆成仏ということか。

草や木ですら成仏できるのだから、人ももちろん成仏できるのというのか。あるいは、おれの父も?

 

石牟礼道子は自分の父の死についてこう描写する。

石牟礼 そしてね、猫をとても可愛がっていましたからね。ちょうど仔猫が生まれて、なんとか歩けるようになっていたんですよ。どういうことだったか不思議な光景だけど、仔猫のほうでも父を好きですから、枕から一メートルくらい離れた所に猫の親子が座っていて、仔猫がいつにない声で「ミャオミャオ、ミャオミャオ」と言って、何か呼びかけるような声で父の方に這って行くんです。うちの猫は皆「ミー」という名前だったの。

伊藤 それも「ミー」なんですね。

石牟礼 「ミー」と言って、やっと父が頭をもたげて、猫の仔のほうに向き直って、手を伸ばして、両方から近寄っていくんですね。そして、その仔が父の手の中に入るくらいの時間。そして、その猫を抱き取って懐に入れて、そして、ぽとんと……。

うちで飼っていた猫もミーという名前だった。

猫好きのおれにとっては、理想的な死に方のように思える。

それにしても、この昔話のような死の語り。

石牟礼道子のやさしさのような、やさしさというより、大きな慈しみのようなものを感じずにはいられない。

むろん、人の死というものが、このような幸福に包まれたものばかりではない。

 

梁塵秘抄は語る

人間というものはいつの時代でも生死とつきあって生きてきた。

そのときどきの人たちの言葉が残されている。

たとえば、『梁塵秘抄』などもそうだろう。

本書では『梁塵秘抄』について多く語られている。

 

その『梁塵秘抄』から、伊藤比呂美が好きなものというのが、次の歌である。

伊藤 ……「儚き此の世を過ごすとて、海山稼ぐとせし程に、万の仏に疎まれて、後生我が身を如何にせん」

石牟礼 「海山稼ぐ」というのは哀切ですね。
P.119

遊女たちの歌うことである。

そこに哀切がある。

かといって、これが今に通じない言葉だろうか。

「今の現実ともちっとも変わらないですね」、石牟礼道子はそう言う。

哀切という、日頃あまり使わない言葉になにか気付かされる。

 

生とはなにか

石牟礼は自らの生についてこう述べる。

石牟礼 ……私はどこから来たんだろう、と。どこまで遡れるかな、というのが。どこから来たのか。でも、それは今日もできていない。「流々草花(るーるーそーげ)」ですよ。

伊藤 「遡れるか」ね。その「遡る」というのは、お父様やお母様の代じゃないですよね。もっと長いですよね。なんで、それに感動するのか。私は解き明かしたいんですけど。石牟礼さんは、「自分が生まれたことは、何かの意味があるんだ」というような感じあるんですか?

石牟礼 いや、というよりは、この世に意味のないものは何もない。

伊藤 なるほど、何かの役割とか、何か課せられたものがあるとか、そういうものとは違うんですか?

石牟礼 役割とも違いますね。役割を自分は見つけたにしても、その役割を果たすのは至難の業で、ただ、なんか「縁(ゆかり)」がある。ゆかりというのは具体的な結びつきではなくて、ただ、川を一人の赤ん坊が流れていくと、目に映る物が美しかったり、恐ろしかったりするんだけども、せめて美しく見えたことを思い出すために、思い出すために書き留めておきたい、ということでしょうか。
P.144

むずかしいところだ。「せめて」というのはわかるような気がする。

おれは、基本的に生というものは苦しみだと思っている。

一切皆苦といっていい。

ゆえに、反出生主義者である。

 

とはいえ、反出生主義というものはこれから新たに不幸を増やさないほうがいいという思想であって、すでに生まれてしまったものについてはどうしようもない。

そこで、生まれてきてしまったものには、「せめて」が必要とされることもあるだろう。

それが明るいものであれ、暗いものであれ「せめて」があって人は生きて、死ぬ。

 

後生を願う

伊藤 ……石牟礼さんは意識がなくなってしまったら、もうそれでお終い、とは思いませんよね、きっと。

石牟礼 そう思わないこともないけれど、皆の願いがあるから。あれほど皆、先祖代々、「お浄土へ行かせてください」ってね。後生を願うとかね。

伊藤 「後生を願う」という言葉は、とても好きです。

石牟礼 のちの世。現世では行く所がなかったでしょうし。現世では、どっちみち苦しい。誰でも苦しい。だからせめて、後生を願いに行くって。願いに行くんですからね。願いという言葉は、本当にあれですね。
p.152

やはり戦争の時代を生き、水俣病の苦しみを目にしてきた人の言うことである。

いや、きっとそんな体験がなくとも、そこに行き着いた人のように思える。

それでも「後生を願う」という。

そこに救いがあるのかもしれない。

ほんとうに、「あれ」だ。「あれ」ってなんだ?

 

生の苦しさ

そう、石牟礼道子自身、生きていることそのものが苦しいと述べている。

伊藤 苦しい……。今もおつらいですか。石牟礼さんご自身、生きてるってことそのものが。

石牟礼 そうですね。

<中略>

石牟礼 半端な人間ですよ。私だけでなくて、生命、特に人間は、生きていくことが世の中に合わないというか。

伊藤 人間が?

石牟礼 人間が。どこか無理じゃないかと。私だけじゃなくて、無理しなきゃ生きていけないんじゃないかって。どんな意識を持つか、それはわかりませんけど、生きていることには無理があるなぁという気がします。
P.165

「生きてることに無理があるなぁ」。

すごい言葉じゃあないだろうか。

これを意識して、自殺すら考えつつ、それでも九十年生きた人なのだ。

生きていることに無理があると思いつつ、九十年生きた。

それはまるで、たとえばフランス(ルーマニアの?)の反出生主義者のシオラン(1911年- 1995年)がこの世と自分の生を呪いつつ長生きしたようなものではないだろうか。

 

それにしても、生命全体について「無理がある」とするスケールの大きさよな。

そこまで考えを拡張できる人というのは、本当に稀有ではなかろうか。

 

して、人はときに、死を抱くことによって、長く生きる。

むろん、病気やなにかによって長生きできないこともある。

が、死をポケットに入れる(ブコウスキーね)ことによって、少なくとも自死を選ばない、そういう人生もある。

それは単なる苦しみだろうか。そう言い切ることもむずかしい。

 

生命そのものには無理がある。

そう考えることで、逆に楽になることがあるのではないか。

 

そもそも、人は仏ではないのか。

伊藤 「仏も昔は人なりき。我等も終には仏なり、三身仏性具せる身と、知らざれけることあはれなれ」(二三二)

これも『梁塵秘抄』からの一編である。

即身成仏、あるいは、盤珪禅師の「不生の仏心」と通じるものがここにはないだろうか。

人は普通に生きながらにしてすでに仏心がある。

修行も苦行も必要ない。

ただ気づけという。

 

嫌々ながら生まれてきてしまい、しょうもない苦しみの中で生きて、やがては病み、老いて死ぬ。

それでも、我々は仏である。仏になれる。

そういう救いがあるのかもしれない。ないのかもしれない。

 

いずれにせよ、おれはこの国に仏教が伝わり、この国なりの仏教が育まれたことには感謝したい。

宗派によりいろいろあろうが、ついには阿弥陀如来の本願によって、なにをせずとも救われているのだ、というところまで突き抜けてしまったところがどえらい話なのだ。まったく。

 

ともあれ、いろいろの神を信奉し、あるいはあらゆる神を信奉せず、それでも苦しみを生きること。

そこに「せめて」の生がある。

生があって、当たり前のように死が訪れる。

生死というものがそこにはあって、そこから目をそらして生きられる人は幸福であろう。

 

とはいえ、死を想いながら這って生きる人間にも、何かがあるんじゃないのか。

その「何か」が生きた意味であって、死んだ意味にもなるのだろう。

むろん、意味があろうとなかろうと、それでもかまわない。

 

なんとなく、おれはそう思う。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

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