東京オリンピックがはじまりました。

東京で新型コロナウイルスの感染者が増加しているなかでの見切り発車的な開催には、賛否両論、というより、否定的な意見が多かったように思います。

 

開幕、するまでは。

 

こうしてはじまってみると、テレビはオリンピック中継ばかりになり、ネットニュースはオリンピック関連の話題で占められ、SNSは活躍した選手への称賛と活躍が予想されていたのにアテが外れた選手への批判で満たされているのです。

 

開幕前日までは、こんなに盛り上がっていないのに、本当にやるのか、やれるのか?と僕は思っていたのだけれど、蓋を開けてみれば、「やっぱりみんな、そして僕もオリンピック好きなんだなあ」と感じるし、政権の中枢にいる人たちも、苦笑しているのではなかろうか。

選手や関係者に新型コロナの感染者が出ていて、東京の感染者数も増えているにもかかわらず、ほとんどの人は、日本代表選手の結果のほうを気にしているのだから。

 

 

今回の東京オリンピックで、僕は2002年の日韓共催の男子サッカー・ワールドカップのときの自分の行動を思い出しました。

その年、ちょうどワールドカップが開幕するのと時を同じくして、僕は患者さんに直接接する臨床から、研究室に配属されることになったのです(というか、一度臨床を離れて勉強したい、というかねてからの希望がかなった、のだけど)。

 

研究室生活をはじめてみると、最初はとにかくつらかった。

30過ぎといえば、臨床医としては、とりあえずひととおりのことができて、後輩を指導する機会も多く、自信がついてくる時期だったのです。

 

にもかかわらず、この研究室では、僕は何もできない置物でした。

基本的な知識にも乏しかったし、器具の使い方もわからず、顕微鏡をずっと覗いていたら、車酔いのようになってしまいました。

おまけに周りは面識がない人ばかりで、人が苦手な僕にとっては、毎日出勤するのも気が重かったのです。

 

新しい仕事に、知らない人のなかで、いままでとは違う環境。

せめて、今までと同じようにこなせる仕事か、慣れた環境か、知っている人か、どれかひとつでもあれば……

 

自分で選んだ道とはいえ、何もできず、うまく他人と接することができず、課題を自分で見つけて解決していかないと「何もしていない」ことになる状況に、僕はすっかり打ちのめされていたのです。

なんでこんなことをはじめてしまったのだろう?

 

そんな中で、僕はずっとサッカー・ワールドカップを追いかけていました。

あのときは日本中がサッカーに熱狂していたのです。

 

それまでの僕自身は、日本代表のワールドカップ予選の試合と、ワールドカップ本選の気になる試合くらいは観る、という程度のサッカーファンでしかなかったのに(いや、それは「ファン」というより「ニワカ」のレベルだな)。

僕はあのワールドカップに、周りとうまくコミュニケーションできなくて、浮いてしまっている時間を埋めるための、あるいは、少しでも新しい環境で周りとつながるための「手がり」を求めていたのです。

 

率直に言うと、「現実逃避のために、ワールドカップに逃げていた」。

 

今回のオリンピック、開幕までは新型コロナの感染拡大リスクを懸念していた人が多かったのに、開幕してみたら、みんな手のひらを反して日本代表の選手を応援しているように感じてしまいます。

でも、いま、オリンピックに熱狂しているようにみえる人たちが、新型コロナのことに無頓着なわけではないはずです。

むしろ、「不安」だから大会前は感染拡大を懸念し、はじまってしまえば、「不安」を忘れるためにオリンピックに夢中になっているのではなかろうか。

 

2002年の僕が、新しい環境に適応できない不安から逃れるために、サッカーファンを「演じて」いたように。

ローマ帝国の「パンとサーカス」の「サーカス」みたいなものなのかもしれない。

「人はパンのみにて生きるにあらず」と世界的な宗教でも言っている。

 

強引に開催された感じのオリンピックだし、感染拡大をもたらすかもしれないけれど、ワクチン接種後の高齢者の感染状況をみてみると、ワクチン接種が進めば、今度こそ本当に収束していくと予想されます。

歴史的には、東京オリンピック(の開催時期)が転機となって、新型コロナは収束していった、と書かれるかもしれない。

もちろん、オリンピックのおかげではなくて、ワクチンの効果なのですが。

 

自分が競技に参加しているわけでも、知り合いが出場しているわけでもないけれど、だからこそ、一観客として気楽に熱狂できるというのは、ちょうどいい「ガス抜き」になっている。

新型コロナウイルスに対する「自粛生活」がはじまってから、すでに1年半。

そのあいだ、日常生活の制限には波があったものの、そろそろ大きな「サーカス」が必要な時期だったのかな。

 

ほとんどの日本人にとっては、今回オリンピックの開催は、観戦のために家で過ごすという「ステイホーム」につながるだろうし。

ワクチン接種がすすんでいる状況を考えれば、競技の参加者、関係者は別として、みんなが家で暇をつぶせて時間を稼げるというイベントは、けっしてマイナス面ばかりではありません。

 

最近、鴻上尚史さんの『演劇入門』という本を読んだのだけれど、そのなかで、松尾スズキさんが2020年7月3日に発表した「コロナの荒野を前にして」の中から、こんな文章が紹介されていました。

「演劇なんてなくても生きていけるし。
コロナ禍の中、ある演出家氏の発言を巡って、ある種の人々がそんなふうに言った。それは、ひきつりながらではあるが、うなずけない話ではない。私だって、なくても生きていけるものはある。正直、オリンピックがなくても生きていけるし、パチンコ、競馬、ボウリング、なんならテレビだってなくてもネットがあるので生きていける。なくても生きていけるもので世の中は満ち溢れているし、おのれの戒めとして、しょせん、なくてもさほど他人が困らない仕事をしている、という忸怩たる思いは常に胸の中にある。というより、その自戒は私の表現の在り方の根幹にどんと大きく横たわっている。

(中略)

とはいえ、人間は、なくてもいいものを作らずに、そして、作ったものを享受せずにいられない生き物だとも私は思っている。生きるに必要なものだけで生きていくには、人間の寿命は長すぎるのである。(中略)生半可な気持ちで『自分に必要ないものなどなくてもいい』とは、言い切れない。私は、少しでも長生きしたくてずいぶん前にタバコをやめたが、それでも、タバコがこの世からなくなればいいと思わないのは、タバコを欲する人のタバコ愛というのは並々ならぬものがあり、それに税収も馬鹿にならないし、と考えるからである。しょせん暇つぶし。しかし、人は命がけで暇をつぶしているのだ。」

「暇つぶし」とか言うけれど、赤ん坊はともかく、大人であれば、自分に残された時間が有限であることは知っています。

「暇」なら、英会話の勉強をしたり、体を鍛えたり、ボランティアでもやったほうがよさそうですよね。そのほうが「自分のため」になりそう。

 

にもかかわらず、実際は、多くの人が「何の役にも立たなさそうな暇つぶし」で時間を使ってしまう。

「暇つぶし」だと周りには言うけれど、本当はそれが「そのとき、いちばんやりたいこと」なんですよね。

やろうと思えば、できることはたくさんあるのだから。

 

たしかにわれわれは、命(あるいは有限の人生の時間)を削って、「暇つぶし」をしているのです。

そして、オリンピック観戦というのは、けっこう良質な「暇つぶし」でもある。

それに、世の中の大概のことは、その環境に踏みとどまっているうちに、慣れてきたり、状況が変わってきたりして、「なんとかなる」ことも多いのです。

 

あのとき、打ちのめされて、ワールドカップに依存していた僕は、その後、研究室での生活に少しずつ適応することができ、良い経験と大切な知己を得ました。

世の中の「本当にすごい人」の近くで過ごすこともできました。

やり過ごすことは、必ずしもプラスにばかりは働かないけれど、「現実逃避」が人を救うこともある。

 

僕はあの2002年のワールドカップには、ずっと「恩義」みたいなものを感じていますし、今回の東京オリンピックを、あのときの僕と同じような「逃げ場」にしている人も少なからずいるのではないか、と想像しています。

 

競技や試合そのものに夢中になる、という人だけではなくて、オリンピックやワールドカップなどの「大義名分」があれば、夜更かししたり、仕事に身が入らなくても許される(ような気がする)。

ポジティブに「応援」しなくても、「サボるための口実」にしてもいい。

 

「同じ阿呆なら踊らにゃ損々」というのは、先人の知恵でもあるのです。

それぞれの人にとってのオリンピックがあって、うまく付き合っていけばいい。

 

ただし、感染予防に関しては、油断せずに自分の身を守るに越したことはありません。

日本が金メダルをいくつ獲っても、自分が新型コロナで酷く苦しんだり、命を落としてしまっては「割に合わない」ので。

 

 

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【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

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