先日、福岡に出張に行ったとき、あるアントレプレナーの方と、「人の幸福」についての話になった。
背景を話すと、私は常日頃「会社は、人が幸福になるための、社会装置に過ぎない」と思っている。
だから、経営者に「幸福の条件」を尋ねるのが常なのだ。
「やはり、稼いでこそ、という感じですかね?」
と私は意地悪くカマをかけた。
起業家は「何よりも金」と、堂々という人は少ない。
建前は「世のため、人のため、世界を変えるため」なんてことを言う。
だがその実、心の中では、「金、自己顕示、モテ」を、ひたすら望む人物は少なくない。
ただ、それはそれで、本人が良ければ、良いとは思う。
が、それは隠せない。
言動や、SNSを見れば、すぐに分かる。
だが、彼は軽くスルーする。
「安達さん、いくらお金を持っても、名誉を手に入れても、幸福にはなれないですよ。」
「まあ、そうでしょうね」と私も頷いた。
思うに、「お金」や「名誉」は不安を消すことはできるが、幸福を作り出すことはできない。
私は聞いた。
「では、どうしたら人は幸福になれると思っていますか?」
彼は酒をあおり、こう言った。
「わたしね、ヨーロッパを見てきたんですよ。」
「ヨーロッパ……? なぜですか?」
「彼らのほうが、幸福についてよく知っているからです。金儲けの知恵ではなく、幸せになるための知恵が受け継がれている世界なんですよ、ヨーロッパは。成熟している社会なんです。」
「ほう……。」
「あと、ヨーロッパってのは、外食や贅沢品が恐ろしく高いんですよ。だから「消費」を通じて幸福になろうとしても、よほどの金持ちじゃないと駄目なんです。」
「知りませんでした。」
「で、貧乏な庶民は何をしてるかってことです。」
「何してるんですか?」
「公園でワインを少しのんで、踊って、市場で食材を買って、少し料理して、みんなでくつろいでるだけです。ね、お金かからないでしょう? でも、十分みんな幸せを感じているんですよ。」
私は聞いた。
「一部の人だけでは?」
「もちろん、全員ではないです。ただ、日本人と比べると、「お金なんかなくても十分幸福だよ」という人は、遥かに多い印象ですね。」
「なるほど……」
ヨーロッパを長いこと観てきた、彼の言うことには強い説得力があった。
「なんで彼らは、お金がなくても、幸福を感じやすいんですかね?」
彼は笑っていった。
「簡単ですよ。彼らは日本人よりも、日常生活の解像度が高いんです。」
「解像度……?」
「要するに、日常の些細なことにも幸せを感じることができる、ってことです。」
「例えば?」
「例えば、布団で寝られるだけで「いやー、俺って凄い幸福だよな」と思うこと。」
「……」
「卵かけご飯を食べて、「こんな美味しいものを食べられるなんて、なんて俺は幸福なんだ」と思うこと。」
正直、私は「どこかで聞いた話だな」と思った。
そこで「要するに、幸福というのは、感じ方一つ、ってことですよね。」と言った。
すると彼は、「そうじゃないです。」ときっぱりという。
よくわからない。
「そうじゃないんです。もっと視点を高くしてください。私は「卵かけご飯を食べることに幸福を感じなさい」と言っているんじゃないですよ。」
私は混乱した。
「では、どういうことなのですか?」
「「「卵かけご飯を食べることが幸福」と、自信を持って言える自分がいる」ことこそが、幸福なんです。」
「???」
「わかりやすく言うと、幸福な人ってのは、「自分がいかなる状況でも「幸福である」と信じる力を持っている人」のことなんです。」
ああ、なるほど。
たしかに、そうかもしれない。
つまり、彼の言葉の裏を返せば、不幸な人とは「私には足りないものがあり、そのせいで幸福になれない、と思っている人」のことだと言える。
仕事がないから、不幸だ。
お金がないから、不幸だ。
モテないから、不幸だ。
だから、「幸せ」は、「なろう」=「手に入れよう」とすると、とても苦しくなる。
なぜなら、そんな簡単に望むものは手に入らないから。
「持っていないものを手に入れるのが幸福」と思っていたら、残念ながら大体の場合、一生不幸なのだ。
だいたい、人間の欲は限りがない。何かを手に入れた瞬間、次のものが欲しくなる。
ところが、彼のいう「幸福な人」は、全く異なる。
日常生活の解像度を上げて、「こんなことに幸せを感じられる俺って、幸福」といえるのが、幸福な人なのだ。
何にも「ゆとり」を感じる能力を有する人、と言ってもよいのかもしれない。
彼はこう言った。
「いくら頑張っても幸福になれない理由は、幸福の本質が「なる」ではなく「見つける」だからですよ。」
「なるほど」
「競争して、良い暮らしを手に入れよう、では、幸せになれない。良くも悪しくも、ヨーロッパは階級が固定されてますからね。だからこんな考え方が発達したんでしょう。良いか悪いかは別として、もうじき、日本もそうなりますよ。」
*
彼の言うことに100%賛同できるかといえば、そうではない部分もある。
だが、彼の言ったことは一理あった。
要するに、幸福とは高度な「自律」なのだ。
そして、ヨーロッパでは「自律」の知恵が、庶民の間に受け継がれている。
いまの日本は停滞期に入り、多くの人が不幸を感じている。
だが、停滞期には、停滞期なりの「幸福」の感じ方がある。
人と比べない、わきまえる、日常の些細なことに幸せを見出す、消費よりも創り出す……
一足先に停滞期に入ったヨーロッパでは、そのような日常の知恵が発達したのかもしれない。
それは、「幸せになるための一般教養」と言うべきか。
そう感じた。
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【登壇者紹介】
安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00
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(2025/6/2更新)
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