「上から目線」という言葉が使われだしてから、どれくらい経っただろう。
確か、私の子供の頃は、そんな言葉はなかった。
おそらく社会人くらいから、徐々にそんな言葉を聞く機会が増えた気がする。
それ以来「上から目線」の経営者や芸能人の発言が炎上するのをよく見かけるが、
もはや現在ではこの「上から目線」の人は、かなりの「悪者」として扱われているような気がする。
「憎まれている」と言っても良いくらいだ。
「日本人は理解できないくせに世間の空気だけでジョーカー絶賛してるだけでしょ?」
っていうツイートを見かけた。
いつも思うのですが「俺はこの映画わかってる」という感じで上から目線で他人の感想ツイートを否定するのはほんとよくないです。
リアルでいたら一緒に映画観たくないです。— みねさん(ひーくん)@映画垢 (@inpakuto12345) 2019年10月5日
他人に嫌われやすい人の特徴 ・褒め方が上から目線 すごーい当たってるー! pic.twitter.com/zBDUGvEEQL
— 黒澤ルピィちゃん (@shadow_friends1) October 1, 2019
ただ、私も気持ちはわかる。
かつて、私も「上から目線」に対して、反応していたからだ。
例えば、社会人になりたての時。
会議終了後の、「新人は、ホワイトボード消しとけよ」という、先輩の言葉にわたしはカチンときた。
いやいや、サッと消すだけなんだから、近くにいる奴がやれよ、
高々1年2年、早く入社しただけのお前が、偉そうに。
そう思ったのだ。
また、前年から大きくアップした、売上予算の発表が、経営陣から示された時、
わたしは、「売上予算アップの根拠を教えてほしい」と、質問した。
ところが、上の人間は
「それくらいは伸ばしたい」というだけで、
根拠となる話も、データも出さない。
本来ならば、市場や競合などの状況を、示しても良いはずだ。
まるで、そんなこと議論する必要はない、とにかくやればいい、
彼らの態度がそんなふうに言っているように感じ、わたしはそこでも「偉そうに」とカチンときた。
こうして、わたしは会社のよくわからない慣習や、上の態度に、いちいち腹を立て、
そして、そんなことで、疲弊していた。
おそらく今なら、Twitterなどに、あいつは上から目線で腹が立つ、などと書き込んでいたかもしれない。
*
ところが。
ひょんなことから高校のときの友人と再開し、仕事の近況を話していたときのこと。
私が日頃、怒りを感じていることを愚痴っていたら、彼が呆れた顔をして私を見る。
「なにかおかしい?」というと、彼はこう言った。
確かに「上から目線」のやつはいる。
でも、「上から目線」に反応するのは、上下にすごいこだわりがあるってからだろ?
お前が一番、こだわってんじゃん。
私は頭にきて、なにも言えなくなってしまったが、冷静に考えれば、彼の言うことは当たっていた。
彼は言った。
「そんなことに、反応する時間がもったいないよ。大体、お前が怒ったところで、そいつらの上から目線は治らないし。」
「なんで?」
「だいたいは「上から目線」のやつは「言語能力が低い」だけのやつが多いから。治すのは難しいんだよ。」
「どういうこと?」
「例えば、「新人は、ホワイトボード消しとけよ」じゃなく、「新人で、やってくれる人いる?」って言えば、同じ結果でも全然受け止められ方が違うだろう?」
「え……」
「予算の話にしたって、「私(経営者)が今年より20%アップ、なんとしても行きたいと思ったんだ。理由なんかないんだ。けどやりたい、協力してくれ」と上が必死に言ってたら、お前、頑張っただろう?」
「……確かに……」
私の中の怒りが、静かに消えていくのがわかった。
「こんなもん、言い方次第なんだから、相手を怒らせるような発言をしてるやつは、言語能力が低いとしか思えないだろう。」
私は、それ以来「上から目線」に全く腹が立たなくなった。
むしろ、「ああ、損してるなー、この人」という同情の気持ちすら湧くようになった。
彼の言う通り、一番こだわっていたのは、私だったのだ。
*
ただし、上の話は逆から言えば、「言葉には、十分気をつけなさい」ということだ。
礼儀知らず、と思われることは、敵を作り、信用を失い、恐ろしく損をする。
ジョージタウン大学のクリスティーン・ポラスは著書「「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である 」の中で、「無礼な振る舞いは、企業のパフォーマンスを落とす」と断じている。
職場で誰かに無礼な態度を取られていると感じた人は、たとえば次のような行為に出ることがわかった。
・48パーセントの人が、仕事にかける労力を意図的に減らす。
・47パーセントの人が、仕事にかける時間を意図的に減らす。
・38パーセントの人が、仕事の質を意図的に下げる。
だが、殆どの無礼なふるまいをしている人は、わざとやっているわけではない。
単に「自己認識が欠如」しているだけなのだという。
調査を始めたばかりの頃は、企業などの組織には良くない人間が紛れ込んでいて、彼らが意図的に職場を破壊しようとしているのではないかと思っていた。
しかし今はそうは思わない。悪い言動の大半は、自己認識の欠如から生じていると今は考えている。
他人を傷つけたいと望む人はまずいない。にもかかわらず、傷つけてしまう場合があるということだ。
これこそ真に、「不幸なすれ違い」だ。
無礼な人は、会社だけでなく、その人が属するコミュニティ全体、更にはのパフォーマンスを低下させてしまう。
さらに、「無礼」の犠牲になった人も、怒りを溜め込み、彼の家庭や友人関係に、「無礼」を伝染させてしまう。
これは、恐ろしいことだ。
誰かに無礼な態度を取ること、取られることを、「自己完結的」な体験だと思っている人は多い。直接、やりとりをした当事者どうしで完結することだと思っている人が多いのだ。だが、実際には、無礼さはウイルスのように人から人へと伝染していく。その後、関わった人たちすべてに悪影響を与え、人生を悪い方に導くことになる。
たとえば、ある企業の本社内のあるオフィスで誰かが誰かに無礼な態度を取ったとする。すると、その悪影響は知らない間に、廊下にも、3つ上のフロアにも、休憩室にも伝染していく。影響を受けた人はその後、社外の人、顧客などとも接することになるだろう。誰も気づかないうちに、無礼さの影響は社内全体に広がり、すべての人をより不親切に、より不寛容にし、すべての人の元気、楽しさを奪う。その分だけ悪い企業になっているということだ。
*
今では、上に書いたように「無礼」をさほど気にしなくなった。
ただ、「周りにいて欲しくない人」は、大事なものを守るためにきちんと排除しなければならない。
・暴言を吐くアカウントはブロックする。
それが、周りの人々を守ることにつながるから。
・冷笑的な記事、誰かを馬鹿にするような発言は、拡散しない。周りに冷笑的な人を集めたくない。
・「他の社員」へ無礼な振る舞いを繰り返す人は、解雇も辞さない。
他の社員のパフォーマンスを落とすからだ。
・この記事(「上下関係にこだわる人を、絶対に入れたくない」という会社の話。)にかかれている通り、
上下関係にこだわり、上から目線で人に接する人は、会社に入れない。
「悪気がない」ということは、無礼な振る舞いをする免罪符には絶対に、ならない。
たとえ悪気がなくても、無礼な人物にはそれ相応の扱いが待っている。
それが、世の中の摂理だ。
◯Twitterアカウント▶安達裕哉(人の能力について興味があります。企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働者と格差について発信。)
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