とある経験を経て、「不機嫌で人を支配しようとする人」の気持ちとその発生機序がだいぶ分かった気がしたので、ちょっとそれについて書かせてください。

 

まず前提として、しんざき家には、「察してもらうな、察するな」「どんなことでも言葉にしよう」という家訓があります。

して欲しいこと。して欲しくないこと。嬉しいこと。嫌だと思ったこと。賛成、反対、不満、満足、喜怒哀楽。

どんなことであれ、とにかく言葉にしましょう、と。全部言語化して、遠慮なく相手に伝えましょう、と。

 

パパもママもエスパーではないのだから、君が考えることを何も言われずに察することは出来ません、と。

君にエスパーであることを期待もしませんから、パパもママも言いたいことは全部口にします、と。

そういうコンセプトです。

ことあるごとに「とにかく言葉に」と言ってます。これについてはかなり徹底していると思います。

 

「言わないで気付くのを待つ」という選択肢を、基本しんざき家ではとりません。

全部言いますし、全部言ってもらいます。

その上で待ち時間が必要なら、待ちます。

 

以前この話をした時に、「無言のコミュニケーションも大事なのでは?」とか、「空気を読めない子になるのでは?」と言われたこともあるのですが、今のところの所感は「そんなことねえでしょ」です。

「空気を読む」なんてのは、「言葉によるコミュニケーションに熟達した後、更にそれだけではどうしてもカバー出来ない部分をなんとか埋める」という能力であって、そもそも言葉抜きで身に着けられる能力ではない、と思うんですよね。

 

たとえ「空気を読む」能力を求められる場面が来たとしても、練習も無しに本番を戦うことなど出来ないのだから、「練習」であるべき家庭内の環境で、言語抜きのコミュニケーションなんぞ求めたらそれは流石にクソゲー過ぎませんか、と。

模範解答が存在しない問題集を無理やり解かされるのは理不尽じゃないですか、と。

 

そういう理由から、少なくとも向こう10年は、「言語抜きで察する」なんてコミュニケーションは絶対子どもには求めないぞ、と。(夫婦間でもですが)

私は現状、そんな風に考えているのです。

 

もちろん、これは飽くまで「しんざき家に合致しそうなのでしんざき家で採用している方針」に過ぎず、一般化するつもりはありません。

家庭それぞれ、子どもそれぞれ、マッチするスタンスは変わるでしょう。

その点はご承知おきいただけると幸いです。

 

***

 

ところで、しばらく前の話なのですが、ひどい風邪で喉を壊して、風邪がおさまってからも数日ほとんど喋れなかったことがあります。

マジでささやき声以外の発話が出来ませんでした。

 

で、この時、次女が滅茶苦茶「察する」為に努力してくれたんですね。

次女は小さな頃から感受性豊かというか、とにかく共感能力が旺盛な子でして、ちょっと相手に感情移入し過ぎてしまうところもあります。

 

次女はパパッ子なので私に大変懐いてくれているのですが、例えば私が脚をぶつけて痛がっていると自分も泣きそうになりますし、私がお腹を壊して苦しそうにしているだけでべそをかいたりします。

まあ、そういう点も心配だったので冒頭書いたような家訓が出来た、という側面もあるのですが。

 

そんな次女ですが、私がしゃべれない間、本当に色んなことを「察して」くれまして。

たとえばご飯を食べるのが遅くなって、所定の就寝時間を過ぎてしまうと、私が眉をしかめているのを見て「パパ、早く寝ないとって思ってる!」とか言ってくれたりとか。

部屋が散らかっているのをじーっと観ていると、「あ、パパが片付けろって思ってる!」とか言ってくれたりとか。

 

そんな風に、えらい頑張ってくれました。それ自体は滅茶苦茶ありがたかったんですけどね。

 

ただ、思ったんです。正直これ、確かに楽だな、と。

 

ただ私がちょっと眉をひそめて不機嫌そうにしているだけで、勝手に私が言いたいことを読み取ってくれる。

不機嫌を他人に押し付けてコントロールしようとする人の気持ち、分からんでもないな、と。

 

喋れなかったから余計実感したんですが、言語化とか発話とかって、改めて考えても決して「楽」な行為ではないんですよね。

まず自分の考え、相手に伝えたいことを明確にして、それを言語に落とし込んで、しかも相手に伝わるレベルの言葉に翻訳して、その上で相手に聴こえるタイミングで伝えないといけない。

それだけ頑張っても、必ずしもちゃんと「伝わる」とは限らない。

 

相手が何かに夢中になって聞いていなければ、聞くまで何度も言わないといけない。

相手が誤解すれば、いちいち誤解の元を確認してそれを正さないといけない。

本当、面倒くささの塊みたいな行為なんですよ、「会話」とか「対話」って。

 

で、そういう面倒くさいコストをかけないで、なんとなくふわっと言いたいことが伝わる。

しかもそれは相手が解釈したことなので、頑張って伝えようとしなくても相手の意志で勝手に動いてくれる。

確かに、楽だ。正直そう思っちゃったんです。

 

まあ、長女は次女と違って「言われるまでてこでも気付かない」というタイプなので非常に正常運転で、長女には筆談で言いたいことを無理やり伝えたりしてたんですが。

次女には、正直なところこの時期、かなり「察してもらう」ことに甘えていた、と言わざるを得ません。

うっかりすると、このままこれ続けてもいいな、って思ってしまうくらい楽でした。

 

***

 

ところで次女には「お気に入りの場所」が何か所かありまして、その一つが私の部屋の座椅子の上です。

次女は漫画を何冊か私の部屋に持ち込んで、座椅子で読み漁るのをくつろぎの時間にしています。

ところが、私が喉を壊している時、2,3日すると次女がめっきり座椅子に寄り付かなくなってしまったんですね。

 

これ、その時は聞けなかったんですが、後から聞いてみると、「喋ってくれるパパがいる時はいいんだけど、喋れないパパがいる時って、なんか不安になるの」と。

そう言ってくれたんです。

 

その時つくづく思ったのが、「ああ、これはダメだな」と。

「察してもらう」型のコミュニケーション、やっぱダメだなと。

風邪だったのは仕方ないけど、少なくともうちでは、二度とこういうコミュニケーションに甘えちゃいけないな、と。

 

つまり、「察してもらう」ことで楽をしていた分のコミュニケーションコストって、丸々相手の心理的安全性を食いつぶす形でまかなっていた、ってことだったんですよね。

安心できる筈の場所が、「察する」為にコストを割いた結果、安心できる場所ではなくなってしまった。

 

こんなの慣れちゃダメだし、こんなこと続けてたら絶対不健康なコミュニケーションしか出来なくなる、って思ったんですよ。

なにより次女が私のそばに来てくれなくなる。

 

だから改めて、次女には「少なくとも家では、絶対「察し」なくていい」と伝えました。

口に出来ない時は仕方ないけど、筆談でもなんでもなんとか伝えるから、それを待ってくれればいい、と。

そんな風にフォローしました。

 

まあ、ちゃんと喋れるようになってからは、元通り私の部屋で漫画読んでくれるようになったんで、その点大きな傷はなかったとは思うんですが。

 

で。

私自身、「余りにも楽だから」という形で「不機嫌で相手を操る」方向に闇落ちしそうになったわけなんですが、この要因になったのは、「言われないでも察してくれる」人が周囲にいたからだなあ、と改めて思ったんです。

 

これはタマゴニワトリじゃなくて、「察してもらえる」から「察してもらおうとする」ようになる。

楽な方に、楽な方にいっちゃう。それは人間としてむしろ自然なことなんですよね。

 

しんざき家の場合ですと、私がしゃべれない間も長男長女は絶賛平常運転で、なんとかして私が伝えないとガンガン夜更かしするし、言われないとお風呂も入らないし、てこでも後片付けはしない。

むしろ、こういう相手だけだと「黙ってれば黙ってるだけダメージが広がるだけ」なので、察してもらおうなんて欲求は発生しようがないんですよ。

 

そこから考えると、

「不機嫌で相手を操ろうとする人」

の周囲には、きっと余りにも「察してくれる」人が多過ぎたんだろうなあ、と。

相手を闇落ちさせない為にも、「察しないでちゃんと言葉にさせる」ことって重要だなあ、と。

優しさの為の「察する」行為で、結果相手をスポイルしてしまうことって、きっと今でも色んなところで起きているんだろうなあ、と。

 

そんな風に考えた次第なのです。

 

***

 

ちなみにこのスタンスは職場でも同じでして、私は基本

「全部言います」

「私が言わないことは考えてないものと思ってもらって大丈夫です」

「ただし私は察しが悪いので、私にもして欲しいことは全部言ってください。察しません」

と言っています。

 

それで、今のところは特に問題なく回っています。

 

陰で何て言われているかは分かりませんが、まあ陰で言われていることは察せないので無いのと同じです。

私に関しては、今後もそのスタンスを押し通そう、と考えている次第でして、察しが悪くて申し訳ないですがよろしくお願いします。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

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・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう

【登壇者紹介】

安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00

参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。


お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください

(2025/6/2更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

Photo by Matthew Henry