前に読んだ本で、日本とアメリカのバッティングセンターでの親子関係の違いを解説しているものがあり、妙に関心した事があった。

日本の場合は、指導者である父親が

「アレがダメだ」「コレがよくない」

という風なダメ出し風の叱るタイプの教育をする事が多く、練習が終わると親子共々クタクタになって店を出てくる。

 

それに対してアメリカだと

「お、今のスイングはいいな」「次はもっと素晴らしい」

という風な褒めるタイプの指導が多く、終わった後で親子がニコニコして店を後にするのだという。

 

たしかその本は

「前者の叱る教育よりも、後者の褒める教育が良いのではないだろか?」

という風な結論に結びつけており、それを読んだ当時の僕は「なるほどな。確かに一理ある」と思ったものだった。

前回の記事にも書いたのだけど、人は基本的には叱責を人格批判、褒められる事で自己肯定感を高めるタイプの生き物だ。

もちろん厳しいプロスポーツの世界だと、単純に相手を褒め殺す事がよい事だとは思わない。

けど、アマチュアの楽しんでやってるようなタイプの活動に関しては、叱るよりも褒める事を多くする事は、自己肯定感を育くめるという効用が見込め、理にかなった行いだと言えるだろう。

 

しかしである。僕はこの上に書いた文章を読んだにもかかわらず、以前かなり厳しい指導を行ってしまい、深く反省した事がある。

今日は、ダメ出しをするのは簡単だけど、人をキチンと褒めるのはとても難しいという話をしようかと思う。

 

初心者のミスを見つけるのはとても簡単だ

前に研修医の教育担当をしていた時、僕は指導者として後輩のミスを淡々と指摘し続けていた。

例えば「検査の項目でこれが出されていない」とか、「鑑別疾患としてこれがあがっていない」という風に、いわゆる完璧な仕事に何が足りないのかを淡々と指摘し続けていた。

 

僕自信は、自分がこのような指導を受けていた事もあり、普通に指導していたつもりだったのだけど、ある日後輩から酒の席で「仕事が全く面白くない」と相談され、冒頭の日米の教育話をふと思い出し、非常に深く反省した。

 

初心者というのは当たり前だけど、初心者なのだから何も出来ない。

何も出来ない個人を前にして「あれが出来ない、これがダメだ」というのは、仕事がある程度できる人間からすれば非常に簡単だ。

なにせこっちは100点の答案が頭の中に入ってるのである。そこに足りない点をみつけてしまうと、つい減点方式みたいな形で相手にミスをしたという形で指導を行ってしまいがちだ。

 

けど、当たり前だけど、ほとんどの人は何も叱られる為に労働しているわけではない。

山のように溜まった借金を返すとか、神の手の外科医になりたいだとか、そういう強い動機付けがあるのならまだしも、多くの人にとって仕事というのはあくまで日々の活動のうちの一環でしかない。

だから自分のミスをリアルな形で淡々と叱られ続けるのは、誰だって面白くもなんともない。

 

こういう時に

「もう少し続ければ面白さがわかる」

「とりあえず3年やれ」

というのは指導者としては怠慢である。

 

むしろ、その面白いところに行き着くまで、適度に褒めを織り交ぜつつ導いてあげるのが、指導者としての責務だろう。

 

並の初心者を褒めるのは本当に難しい

とはいえ難しいのはここからだ。僕はここにきて、冒頭のアメリカ人親子のバッティングセンターでの光景が、実は物凄くハイセンスな事をやっているという事に気がついた。

 

なぜならば、プロの目からすると、並レベルの初心者は褒めるところがまったく見つからないのである。

僕はここにきて、実は褒めて伸ばす教育というのが本当に難しいものだという事に遅まきながら気がつかされた。

 

熱心に練習をしているようなやる気に満ち溢れた人とか、物凄く卓越した才能を持つような、極一部の優秀な人を除き、大部分の並の人達は、そこそこ習熟した人間からすれば、マジで何も褒めるところがない。

出来て当たり前、出来ないのがダメ。これが普通の会社での光景である。

 

こうなってみて周りを見渡してみた所、研修医の中でも、いわゆる褒められ格差が随分とある事に気がついた。

TOPレベルの研修医が賞賛を山のように浴びる中で、並レベルの研修医が受け取る賞賛の量は、それこそ比較にならないぐらい少ないのである。

 

現代は褒められ格差社会

実はこれはリアル社会でも全く同じ構図が起きている。

容姿端麗な美女インスタグラマーが写真をあげれば「いいね!」が雨あられのごとく降り注ぐし、面白い事を書けるブロガーには褒め言葉が怒涛のように降り注ぐ。

現代は、ハチャメチャな褒められ格差社会なのだ。

 

私達は、優れたものを褒めることについては、そこまで抵抗感がない。

例えば橋本環奈さんは誰がみたって超美人だし、ハンターハンターは誰が読んだって超名作だ。

これらの神が与えたもうマスターピースについては、いいねなんて100万回押したって押し足りないぐらい、簡単にポチポチ押せてしまう。

 

普通の人達だって、褒められたい

けれど、それじゃあ才能あふれる人だけが「いいね!」を独占する様な社会でしかない。

あくまで、健康的に生きれるぐらいの「いいね!」を、みんなが得られるような社会のほうが、本来なら望ましいのではないのは、いうまでもない。

 

人はパンやお金のみで生きていけるわけではない。他人からの承認を通じて、社会の一員であるという実感を感じ、認められているという実感を持って初めて、豊かな生活を営む事ができる。

 

しかし、先の例にあげたように、普通の人達が褒められるという事の恩恵を受けることは本当に難しい。

先日書いた記事でも、大学を辞めてフリーランスで生きる事を宣言して承認欲求をモリモリ稼いでいた女子大生の話を紹介したけど、世の中にはこの手の悪い道へズルズル誘い込むタイプの悪い大人が結構いる。

 

かつてドローンを飛ばして逮捕された少年がいたのをご存知だろうか?

彼はノエルという名前でニコニコ生放送で生主(いわゆるyoutuberみたいなもの)をやっていたそうなのだけど、彼は何度も何度もこの手の過激な事を繰り返し、そのたびに承認を稼ぐという行為を繰り返している。

 

この手の人達を「いいね!」をエサに過激な破滅的な行いへと焚きつける、一部の大人の行いが醜悪なのは事実だろう。

だけどだ。

ここでもう一度振り返って、じゃあ件の女子大生やノエル君に「真面目になれ」という正論をぶつけるのも、それはそれでなかなか苦しいのである。

彼・彼女らが真面目にやって、じゃあ誰が褒めてくれるのだろうか?

 

本当だったら、そういう人達こそ、私達まっとうな大人が、叱ること無く褒める事で、まっとうな道へと導いてあげるべきだろう。

実は私達は、説教みたいな正論を用いて、ある意味では件の女子大生やノエル君に真摯に向き合わず、悪い大人しか「いいね!」をしてくれない魔界へと排斥しちゃっているのではないだろうか?

 

普通の人を、褒めるように意識してみよう

何が良い、何が悪いという道徳的な話をする人は世の中にはごまんといる。

けど普通の人に真正面から向き合って、キチンと褒めてくれる人はほとんどいない。

これがこの社会のリアルである。

たぶんだけど、この手の人達を本当の意味で生きやすくするためには、私達自身が、普通の人を褒めるという事を極めて普通の事にしていくようにしていかなくてはいけないのだ。

 

正義や道徳を振りかざすのは快感だ。けど、それではギスギスするだけで、世の中は全く改善していかない。

そうではなく、承認を、もうちょっと普段より多めに普通の人にも与えられる社会になった時、もう少し生きやすさを感じられる人の数が増えるんじゃないだろうか。

 

キチンと人と向き合えば、その人のいいところは必ずみつかる

僕も、はじめの頃は本当に普通の人を褒められるようになるのに苦労した。

けど今では、普通の人の事を褒められなかったのは、ある意味ではその人自身の事をキチンと見ていなかったからなのだな、と深く反省している。

 

私達はわかりやすい業績の事は簡単に褒めるけど、実はそれはその人の事をあまり見なくても感じ取れる「わかりやすい」部分を褒めているに過ぎない。

本当の意味でキチンと向き合ってその人をみてみると、人というのは実に様々なユニークな魅力に富んでいる事に気がつくだろう。

 

明日から、あなたの周りにいる人の事をもっとよく観察してみよう。

そして良いところをみつけて褒めてみよう。

お世辞でも褒められて嬉しくない人はいない。きっと、キチンとあなたが向き合って賞賛を送ったのなら、褒めてもらった人は深く深くあなたに感謝するはずだ。

そうする事で、あなたもその人から好意というお返しを貰えて、ほんのちょっぴり未来が明るくなる。

 

そして、あなたのその洞察に満ちた「いいね!」で、その人の人生も良い方向へと切り替わるのだ。

まさにWin-Winの関係である。

 

「いいね!」を良き道標にするのも、悪い道標にするのも、私達の心がけしだいなのである。

若者を、初学者を、よい方向へと導いてあげましょう。

 

それこそが私達大人の責務ってもんなんじゃないですかね。。

 

<参考文献>

 

 

【プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

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noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki

(Photo:stephanie vacher