最近まわりから、「もっと勉強しておけばよかった」という声を聞くようになった。
「学生時代ちゃんと勉強しておけば、もっとちがう道が拓けていたんじゃないか……。」
社会に出て数年経つと、たいていの人は一度くらいこう考えると思う。
ネットアンケートでも、「後悔していることランキング」において、「勉強しなかったこと」は高確率で上位に位置している。
かくいうわたしも、「勉強しとけばよかった!」と後悔しているひとりだ。
それはなにかといえば、ずばり「英語」。
こんなことをいうと、「でも使わなくない?」とか、「英語話せたらかっこいいけどね〜」なんて反応が返ってくるけど、そうじゃない。
わたしは、語学力としての英語ではなく、教養として、「英語をもっと身につけておくべきだった」と後悔してるのだ。
日本では英語ができなくても問題ないけれど
あなたが最後に英語を使ったのはいつだろう。
外国人観光客に道を聞かれた? 毎日英語で会議してる? それともまったく英語を使わない?
日本で生活しているなかで、「英語」という言語力を求められることはかなりまれだ。
「英語を話せたらよかった」と思うことはあっても、「英語が話せないことで不利益を被った」と感じたことはない。
それはたぶん多くの人にとっても同じで、だからこそ「英語を話せたらかっこいいけど別に話せなくてもいいや」「日本人に英語って必要?」なんて話になるわけだ。
でもそれはあくまで、「意思疎通に使う語学力としての英語」の話。
そういう意味では、日本で英語の需要はかなり低いし、できなくても問題はない。ないのだが……。
ドイツに来て、英語には「教養としての側面」があることを知った。
そこで初めて、「あー英語やっときゃよかった!!」と思ったのである。
当然のようにTOEFLで100点以上とるドイツの大学生
ドイツには「ある程度の教育を受けていたらある程度の英語ができる」という前提があるから、大卒が条件のポストなんかでは、「それなりの英語力込み」になる。
たとえば、大学を出ているのであれば、問題なく英語の契約書が読めて、英語で企画のプレゼンができると思われる。
ドイツ人の夫(大卒)も、国際部署で働いているわけでもなければとくに英語力を求められるポストに就いているわけでもないけど、当然のように英語の資料が回ってきて、英語で電話をかけているらしい。
そりゃもちろん人によって得意・不得意はあるけど、「英語がまったくできません」なんていう大卒はありえない。
ちなみに大学時代の友人は、事前にまったく勉強せずとも、みんなサクッとTOEFL100点以上とっていた。すごすぎ。
そういえば、わたしがドイツの大学に入学する前、「英語できないんですが大丈夫ですか」とわざわざ大学に確認しに行ったことがある。
「最低限できれば問題ないよ」と言われて安心していたが、蓋を開けてみれば、英語での講義もあるし、使う文献もかなりの割合で英語。
これが教授のいう「最低限の英語力」だったらしい。
統計の授業ではチューターが「みんなが解いてる間に英語で説明しようか」、
ゼミでは教授が「レポートは英語でも大丈夫だよ」と言ってくれた。
いや、だからわたし英語できないんだって……。
高等教育を受けるのであれば、英語は当然身についているもの。
英語には、その言葉をいかに使いこなすかという「言語力」とはまたちがう、できて当たり前の「教養」という側面があったのだ。
一方で「ノーイングリッシュ」と電話を切る人もいる
「教養」であれば当然、学歴や生活環境で、その習得度は大きく変わる。
よく、「外国人(とくにヨーロッパ人)はみんな英語を話せる」かのように思っている人がいるけど、それはちょっとちがう。
たしかに日本と比べれば、ドイツの人々は平均的にかなり英語ができるのは事実だ。
EF EPIによる英語能力指数では、ドイツは88ヶ国中10位と高順位(日本は49位)。
でも、年齢はもちろん、学歴、所属する社会層によって、英語力はかなり変わる。
田舎のレストランでは英語が通じないことも珍しくないし、英語の書類をみた途端、面倒臭そうな顔をする担当者だってなんども見てきた。
英語の書類だと受け取り拒否もありうる。
友人がカギを失くしてカギ屋に電話したときも「ノーイングリッシュ」と切られたし、チケットを買い間違えたとバスの運転手に英語で言っても無視されていた(ちなみにどっちとも、ドイツ語で問い合わせ直したらすぐに解決)。
ドイツにはさまざまな背景をもった人がいるから、その人たちがドイツの教育を受けていたのかどうかまではわからない。
でも、そういう人たちだって実際ドイツにいるわけだ。意外だろうか。
わたしたちが出会う「外国人(ヨーロッパ人)」というのは、テレビに出るインテリだったり、はるばる極東の島国まで旅行する経済的余裕がある人だったりするから、「デキル」人である可能性が高い。
でも多くの人が思い描く「英語ペラペラな白人」ではない人だって、ドイツにはたくさんいる。
英語力ひとつとっても、それなりに「階層」があるのだ。
英語力と学力(学歴)が必ずしも比例するわけじゃないにせよ、ドイツである程度の「層」に食い込みたければ、英語はできて当然の教養、必須スキル。
英語を使いこなす語学力はもちろん大事とはいえ、それなら言語のスペシャリストである通訳を雇えばいいだけの話である。
でも実際使うかどうかではなく、身につけているかが大事なのが、教養というものだ。
英語ができない=相手にされない
「教養としての英語」という話になると、英語能力指数で88ヶ国49位の日本は、めちゃくちゃ不利だ。
断っておくと、英語力が低いから日本はどうこう、というつもりはまったくない。
そもそもわたし自身、英語たいしてできないし。できなくても困らなかったし。
(分野によるとはいえ)「母語だけで高等教育を受けられることが日本のすごいところ」という主張も理解できる。
でもそれとは別に、いわゆる「国際競争」のような場、ビジネスの場で、アカデミックな場では、教養としての英語が求められるという現実がある。
たとえば、いくらビジネスに必要なくとも、マッキンゼーやグーグルの社員が「夏目漱石ってだれですか? アメリカの大統領の名前なんて知っててなんになるんです?」なんて言っていたら、「だ、大丈夫か……?」となるだろう。
いや別に、夏目漱石やアメリカの大統領の名前を知らなくても仕事はできるんだろうけどさ……でもなんか……。
「英語ができないと教養がないと思われ相手にされない」というのは、つまりそういうことだ。
我が国では、人々が英語をはじめとする外国語を日常的に使用する機会は限られている。
しかしながら、東京オリンピック・パラリンピックを迎える2020(平成32)年はもとより、現在、学校で学ぶ児童生徒が卒業後に社会で活躍するであろう2050(平成62)年頃には、我が国は、多文化・多言語・多民族の人たちが、協調と競争する国際的な環境の中にあることが予想され、そうした中で、国民一人一人が、様々な社会的・職業的な場面において、外国語を用いたコミュニケーションを行う機会が格段に増えることが想定される。
出典:文部科学省
国はあくまで「英語は外国人と交流するために必要」と思っているようだし、それももちろん大事なのだが、「英語ができないと話にならない」場面もそれなりにあることは、お伝えしておきたい。
教養としての英語がないと不利になるという現実
日本にいるなら言語力としての英語はたしかに必要ないし、英語力で教養のある・なしを推し量られることもあまりないから、堂々と言えるのだ。「別に英語なんて話せなくていいじゃん」と。
でも一歩外に出れば、教養としての英語を身につけていないことは、単純に不利になる。
だから、使うとか使わないとか、旅行で便利だとか就職に有利だとか、そういう損得勘定は抜きにして、英語はある程度身につけておくべきだ。
海外を見据えれば、現地ができたとしても、英語スキルがないだけで将来の可能性が狭まることはおおいにありえる。
将来的に海外に出ようとしている人はもちろん、「教養としての英語」という考えがあることも、知っておいたほうがいいんじゃないかと思う。
というか、わたしは知っておきたかった。
言語力だけなら「使わない限り不要」ではあるけど、教養は「ないと土俵に上がれない」もの。
「なくてもいいや」とは言えないのだ。
学生のうちにそれを知っておけば、ドイツに来る前にもう少し英語もやってただろうになぁ〜と思う。
そしたら、もう少し選択肢が増えていたかもしれない。
まぁいまの生活が充実しているし、結局「必要ないしなぁ」と英語から逃げ続けたわたしが大きな顔でいえたことじゃないけども……。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
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(Photo:Indi Samarajiva)