ウィズコロナで揺れる市場、ジョブ型雇用への転換。

ビジネスに大きな変革が訪れる―そんな気配が濃厚です。

 

600年前―。

稀代の美少年がいました。

その名も鬼夜叉・後の世阿弥(1363?-1443?)です。

12歳で将軍の目に留まり、その寵愛を一身に浴びた鬼夜叉は、芸も達者なスーパースター。

 

けれど、彼の生きた時代は、ちょうど現在のように、マーケットの変革期にありました。

不安定・不確実なマーケットでの生き残りをかけ、彼はしたたかな戦略を練ります。

 

では、その戦略とは?

 

ビジネス書としての『風姿花伝』

世阿弥は現存する世界最古の演劇・能楽を大成させた人物です。

それは、シェークスピアが活躍する200年も前のこと。

 

能役者であり、能作家であり、演出家であり、座の棟梁でもある―マルチな才能を備え、多くの役割を担う彼は、さらに世界初の演劇論を著しました。

「秘すれば花」で有名な『風姿花伝』(以下、『花伝書』)です。

 

~世阿弥はなぜ戦略が必要だったのか~

世阿弥はなぜ『花伝書』を書いたのでしょうか。

それは、当時、能のマーケットが大きな変革期を迎えていたからです。

その変革期を生き延びるためには、拠り所となる理論が必要でした。

 

世阿弥が置かれていた600年前の状況は、現在の状況と酷似しています。

それまでの年功序列が崩れ、メンバーシップ型だった能役者の雇用形態が大きく変化するとともに、スポンサーも移行しました。

 

そのことが新たなマーケットを産み出し、競争原理が始動します。

熾烈な競争は、能役者間にとどまらず、能の集団である「座」同士でも、能と他の芸能の間でも生じました。

 

能役者として生き残り、座や能を存続させるためには、競争に勝たなければなりません。

それには、スポンサーを満足させ、観客の心を掴むことが不可欠でした。

 

そうしたビジネス上のニーズが、能という演劇を極限にまで磨き洗練させていくという方向性を決定づけた―そう考えれば、演劇論とビジネス上の戦略論とが不可分なものとして『花伝書』を成立させているとしても不思議はありません。

『花伝書』は、能役者の生き残りをかけた能楽論であり、能を存続させるための戦略でもあったのです。

 

では、600年前に、どうしてそのような変革期が訪れたのでしょうか。

 

圧倒的な勝者

~年功序列の崩壊と新たなマーケット~

室町時代、能の原型である猿楽の集団は「座」という組織を組んでいました。

それは神官や僧侶によって運営され、神社仏閣の収入源のひとつでした。

 

当時、奈良の興福寺で興行を行っていた4つの座のひとつ・「結崎座」は、14世紀後半に猿楽の名手・観阿弥を輩出しました。世阿弥の父親です。

 

1374年、興福寺が寄付集めのために京都の今熊野神社で7日間の興行を行いました。

この興行が、変革の始まりです。

 

こうした興行では、座の長老が演じるのが慣習だったのですが、そのしきたりを破り、このときは座長の観阿弥が演じました。

それは、観阿弥が当時、絶大な人気を誇っていたからです。

しかも、披露したのは、それまでの猿楽とは異なる新しい演劇。

 

これが、能楽のはじまりといわれています。

能はその出発点で、安定した年功序列を崩壊させ、人気という不安定な要素で成り立つ新たなマーケットを産み出したのです。

 

~国家権力が後ろだてに~

この興行は都人の間で大評判になり、その噂を聞きつけた当時の将軍、足利義満(1358-1408)も足を運びました。

これが、義満と鬼夜叉の出会いです。

義満17歳、鬼夜叉12歳のときのことでした。

 

鬼夜叉は、義満から人目も憚らぬ寵愛を受け、結城座は絶大な後ろだてを得ました。

これは、パトロン兼興行主が、神社仏閣から、国家権力・将軍に移行したことを意味します。

 

折から、新たなマーケットを生き抜くためには、貴族や武士の人気を獲得することが必須条件になっていました。

まさに絶好のタイミング。

鬼夜叉はスター街道をひた走ります。

やがて、22歳で父・観阿弥を亡くした藤若は、若くして結崎座の棟梁となり、父の後を継いで能を大成させました。

 

変革期において、世阿弥は圧倒的な勝者だったのです。

 

生き残りをかけた戦略とは

『花伝書』の執筆は、30代後半の全盛期から40代半ばの円熟期にかけてでした。

そこには、どのような戦略が記されているのでしょうか。

 

~「花」とは面白く珍しいもの~

『花伝書』をひもとくカギは、その名の示すとおり「花」。

「あの役者は花がある」というときの「花」です。

 

「花」は世阿弥の戦略に深く関わっています。

では、「花」とは、どのようなものでしょうか。

世阿弥自身のことばを引用します。

花と面白きとめづらしきとこれ三つは同じ心なり。(第七 別紙口伝)

「花と、面白いこと、珍しいこと、この3つは同じだ」

と言っているのです。

 

「珍しいこと」とは、新しいこと、ユニークなこと、斬新なこと、革新的なこと、といったコンセプトを内包しています。

 

当時の能は、今の能とは違い、新作が主流です。

世阿弥は、興行の度に、新しい出し物を披露しました。

世阿弥が残した能の作品は、世阿弥作とはっきりしているものだけで50以上あります。

 

観客のニーズに応え、観客の喜ぶものを提供しつつ、その斬新さで観客を鮮やかに裏切り、驚かせ、虜にする―そういうスリリングな出し物を常に仕掛けていく。

そうすれば、自ずと人気が出て、スポンサーや観客を満足させ、さらに新しいファンを獲得することもできる。

それが、マーケットで勝つための戦略でした。

 

これは、イノベーションそのものです。

実際、世阿弥は「攻め」のイノベーターでした。

 

世阿弥は「夢幻能」と呼ばれる、斬新な能のパターンを発明しています。

ストーリーが2つに分かれていて、後半は前半の登場人物が見る夢、という構成です。

 

このパターンを使うと、さまざまな制約が解かれ、無限といっていいほどのストーリーが自在に組み立てられる―「夢幻能」はそんな作劇装置としても機能しました。

このパターンを使えば、次々に面白い新作が作れるシステムです。

 

しかも、源氏物語や伊勢物語など、当時の観客が慣れ親しんだ物語や、その物語ゆかりの場所を巧みに取り入れ、共有情報を活用しながら、観客の楽しみを増幅します。

 

世阿弥による「夢幻能」の例:井筒(上)・清経(下)
出典:能楽協会「能をさらに楽しむ『夢幻能』の魅力」
https://www.nohgaku.or.jp/guide/mugen-noh

世阿弥は以下のようにも記しています。

住する所なきを、まづ花と知るべし。(第七 別記口伝)

「安住する場所、定まった境地を持たないことが、まず花だ」

というのです。

 

とにかく、攻める。

そして、顧客が欲しがっているもの、さらにそれを超える、斬新で面白いものを常に提供する。

600年前に世阿弥が編み出した、こうしたイノベーションのあり方は、現在にも通じるイノベーションの本質を指し示しているのではないでしょうか。

 

~「男時・女時(おどき・めどき)」~

常に攻める、といっても、勝負には「流れ」というものがあります。

ゲームにもスポーツにもある「流れ」です。

世阿弥は、その「流れ」について、印象的なことばを遺しています。

時の間にも、男時・女時とてあるべし。いかにすれども、能にも、よき時あれば、かならず悪き事またあるべし。これ、力なき因果なり。(第七 別記口伝)

世阿弥の時代、能は「立合」と呼ばれる競技形式で演じられていました。

座同士が競うことも、能と田楽が争う、いわば異種競技の場合もありました。

 

複数の役者が同じ日に同じ舞台に立ち、勝負したのです。

とはいっても審判がいるわけではなく、どちらがカッコいいか、どちらが観客の人気を得るかで勝敗が決まりました。

この競技で、自分に流れが来ている、つまり勢いがある時が「男時」、相手に流れが行っている時を「女時」といいます。

 

いかに努力しても、効果が上がらない、下降運のときがある。これは不可抗力というもので、避けることができない。

では、そういう流れに操られながらも、最終的に勝つにはどうしたらいいのか。

 

世阿弥は、こういいます。

 

女時では、さほど重要ではない催しなら、勝負にはこだわらず、手の内を出し切らずに、控え目に能をして、勝負に負けても気にしないことだ。

肝心なのは、大きな勝負どころ。

男時が来るのを待って、男時が来たら、そこで得意な技を見せる。

それが観客を驚かせ、感嘆させて、必ず勝ちを引き寄せることができる。

 

時流の見極めと、勝負に打って出るタイミング、そして、そのための備え。

勝ちをとろうと思えば、これもまた重要な要素です。

 

~「秘すれば花」~

秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず。(第七 別紙口伝)

あまりに有名なことばですが、これこそが彼の戦略論だと筆者は考えます。

 

秘めること、隠すことが花である。

秘めずに見せてしまったら、それは花ではない。

 

これは、演劇論としても解釈できますが、その後に続くことばを読めば、勝つための戦略であることがわかります。

すべての芸能分野において、その家々の秘伝がある。

それは、秘密にするからこそ効果があるのだ。

だから、秘密にしないで見せたら「どうということでもない」と言われるようなものであっても、秘めておくことが大切なのだ。

その家に伝わる大切な芸や技であっても、それをすべて披露してしまったら、「花」は保てません。

先ほどみたように、新しくないもの、珍しくないものはもはや「花」ではないのです。

 

ある芸が当たったからといって、それに安住してしがみついていたら、人気はたちまち陰っていくでしょう。

見せてしまったら、それはもう花ではないのですから。

 

常に、「次の一手」を用意して、それを秘めておく必要があります。

そして、男時になったら、その奥の手で勝負する。

奥の手だからこそ、観客はその意外性に驚き、惹かれ、感動するのです。

 

そうやって、リソースを常に刷新し、循環させていけば、観客の信頼を獲得し、マーケットで勝ち残っていける―これは、現在のビジネスにも当てはまる法則でしょう。

世阿弥のしたたかな戦略でした。

 

まさかの凋落と永遠の栄光

実は、『風姿花伝』の執筆を終えたころ、世阿弥の人生は俄かに暗転しました。

彼の後半生は、波乱に満ちた、苛酷なものでした。

いわば女時の連続です。

男時の到来に備えつつ、女時を耐え抜いた世阿弥でしたが、彼の生前、男時はついに巡っては来ませんでした。

 

しかし、彼は最後まで創作活動を放棄せず、新作能を書き続け、演劇論をしたため続けました。

そして、今日にも受け継がれる能のスタンダードを確立しました。

 

能は世界的にみても最も前衛的な演劇だと言われます。

600年前に創られた演劇がそう評され、今も演じられている―それは、能が世界レベルのマーケットでも通用し、生き残っているということです。

それこそが、戦略家・世阿弥の真骨頂ではないでしょうか。

 

 

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【著者プロフィール】

株式会社識学

人間の意識構造に着目した独自の組織マネジメント理論「識学」を活用した組織コンサルティング会社。同社が運営するメディアでは、マネジメント、リーダーシップをはじめ、組織運営に関する様々なコラムをお届けしています。

webサイト:識学総研

Photo :midorisyu