「サプライズ」という文化が極めて苦手です。軽い恐怖感さえあります。

 

例えば、当人に内緒で誕生会を企画しておいて、当日びっくりさせよう、だとか。

秘密裡に贈り物を買っておいて、当日突然渡して感動させよう、だとか。

気の利いた店を予約しておいて、いきなり連れていって驚かせよう、だとか。

そういう、「内容を事前に開示しないで、不意打ち気味に相手にぶつけて驚きと共に喜ばせる」という文化が、私、するのもされるのも、昔からとても苦手なんですよ。

 

私の妻もどちらかというとサプライズが苦手な人なので、しんざき家では事前調整至上主義をとっています。

子どもたちを含め、誕生日プレゼントは事前にじっくり相談して何を買うか合意をとりますし、食事に行く時はwebページを見ながらあーでもないこーでもないとみんなで議論します。

イベントごとでも、内容を内緒にしておいて、主役以外で段取りを整える、というようなことはまずしません。

全部事前に開示して、こういう内容でいいか、他にはどんなことをやりたいか相談します。

 

事前に「want」を調査出来るのだから外しようがないし、計画段階で一緒に盛り上がることも出来る。

むしろこれなしで相手が喜ぶことをなんとか探り出すって無理ゲーじゃないの、世間の人はなんでそんな難しいこと出来るの、などと思ってしまうんですよ。

 

今のところ、その方針で妻と意見が分かれたことはないですし、子どもたちから不満が出てきたこともないので、まずまず上手く回っているのかなあと思ってはいるわけです。

 

web上でよく話題に上がる話として、「初デートでサ○ゼに連れていかれてがっかり」みたいなテーマがありますけど、個人的にはそれも若干不思議なんですよね。

デートで行く店とか事前に合意しないの?と。

行きたい店ある?とか食べられない物ある?とか事前に確認しておかないもんなの?と。

 

事前に「サイゼどう?」「いいよ/いやだ」という調整があれば、そもそも「サイゼでがっかり」みたいな話って発生しようがないと思うんですけど、それってあまり一般的な考え方じゃないんでしょうか。

私と妻の場合、結婚する前から「何を食べに行くか」というのは重要な事前調整事項だったんですけど。

 

***

 

ただ、私の知人連中を中心とした観測範囲には、結構な数の「サプライズ愛好者」がいまして、しんざき家の「事前調整」スタンスって賛否が分かれるんですよね。

 

特に頻繁に言われるのが、「もったいない」という言葉です。

 

つまり、「サプライズをしない」というのは、一種の機会損失であると。

「知らなかった」ということによって産まれる筈だった驚き、その驚きが導く嬉しさを事前に殺してしまっていると。

知ってしまうことによって、当日の新鮮な驚き、新鮮な楽しさが減衰してしまうと。

 

本来「知らなかった」ということによって楽しさや嬉しさが増幅されるのに、それを最初から放棄してしまうのはもったいない、という考え方ですね。

ネタバレを忌避するスタンスにも近いでしょうか。

 

相手が喜ぶポイントを探り出す必要があるという点では、「察して欲しい」「察し合いたい」文化とも通じるものがあるのかも知れません。

ただ、実を言うとこれ、個人的にはやや釈然としないものがありまして。

「事前に知っておくことによる楽しさ」というものも世の中にはあって、その楽しさが一概に「知らなかったことによる楽しさ」に劣るものだ、とは、私にはどうも思えないんですよ。

 

例えばプレゼントであれば、「こんなおもちゃがもらえる」「こんなゲームがもらえる」ということが事前に分かっていて、それが手に入った時のことをあれこれ想像する。どんな風に遊ぼうとか、誰と遊ぼうとか、期待に期待を膨らませて、いよいよ当日待ちに待ったゲームがついに手元に、みたいな楽しさもあるんじゃないか、と。

パーティだって食事だって旅行だって、同じことが言えると思うんです。

 

もしかすると、瞬間風速的な嬉しさは「サプライズ」に劣るのかも知れないですが、楽しめる期間はもしかすると「サプライズ」よりも遥かに長いかも知れない。

「知ってしまった」ことが機会損失だとしたら、逆に「知らなかった」こともある種の機会損失なんです。

 

昔、ゲーム雑誌やパソコン雑誌を読んでいて、ゲームの「発売予定カレンダー」を眺めてワクワクしたりしませんでした?

私、タイトルと数行のゲーム紹介を読むだけでワクワクしちゃう方だったので、「内容を知った上で、発売当日のことをあれこれ想像する楽しさ」ってすごーく馴染んでいるんですが。

 

事前に相談して、調整して、その上で当日を楽しみにする喜び。

そういう楽しさも否定されるべきではないし、そこに「もったいない」という言葉は当てはまらないんじゃないかと、私はそう思うんですよ。

 

もちろんこれはごくごく個人的な感覚なので、他人に押し付ける気は一切ないんですが、「サプライズ」を選択しないことによって発生する楽しさもある、ということについては申し上げておきたいなーと思った次第なんです。

 

皆さんはいかがですか?「知らなかったことによる楽しさ」と、「知っていたことによる楽しさ」どちらがお好きでしょうか?

大人同士ではサプライズはしないけど、子ども相手にはする、といった形で使い分けている方もいらっしゃるでしょうか?

 

***

 

ところで先日、「120万のピカチュウの婚約指輪をプレゼントしたら泣かれた」という増田(はてな匿名ダイアリーの俗称)を読みました。

今確認したら何故か削除されていたので、以下はアーカイブです。

 

ポケモンGOをきっかけに仲良くなった彼女に、サプライズプレゼントとして婚約指輪を贈ったところ、喜ばれるどころか泣かれてしまった、という話ですね。

 

この件については論点が色々ありまして、実話なのかどうかは一旦置くとして、

 

・事前に彼女がサプライズを期待するような発言をしていたこと

・元々「プロポーズ」という文化とサプライズが関連づけられて語られやすいこと

・指輪が120万と非常に高額だったこと

・その後も「相談して欲しかった」と何度も言われていること

 

あたりは議論の対象になっていました。とはいえ、基本的には「サプライズ」のリスクが顕著に発現した問題ではないか、と認識しております。

金額が大きすぎる、影響が大きすぎるから事前に相談しておくべきだ、という意見も見かけまして、それもまたもっともです。

 

ただ、私自身は、プロポーズがどうとか金額の多寡とかあまり関係がなく、

「人生を共にするような相手であれば、なにくれとなく事前調整・相談が出来るような関係を構築しておくべき」

であって、その入口となる筈の「プロポーズ」というイベントにサプライズの影がつきまとっていること自体、ちょっと理解し難い部分ではあるんですよね。

 

一般論として、そもそも女性の側は、男性に「サプライズ」なんて期待しているんですかね……?

指輪なんてきちんとサイズとか測らないと買えたもんじゃないし、指のサイズなんて聞いたら「指輪を買います」っていうのがバレバレだし、その上でセンスを発揮して相手が気に入る指輪を買わないといけないとしたら、それはそれで試されてるみたいで正直キツいんですが……。

 

そもそも「サプライズ」文化自体が「事前調整」という概念とは相性がよくないこともあり、サプライズ文化に馴染んだ人が日々こういったリスクと背中合わせの生活をされていると思うと、「やはり事前調整……事前調整は全てを解決する……」と思うところ大なわけです。

 

***

 

ちなみに、そもそも何で私がそんなにサプライズが苦手なのかという話は、どうも元をただすと「サザエさん」にあるようなんです。

 

私が子供の頃、母方の祖母の家に毎年遊びに行っておりまして、そこに「サザエさん」の原作が全巻置いてあったんですよ。

当時、「アニメの原作」という概念自体を知らなかった私は、「あれ、アニメが漫画になってる」と不思議に思いまして、暇を見ては「サザエさん」を読み漁っていました。

 

なにせ「サザエさん」の連載は戦後まもなく始まったものですから、当時ですら随分昔の話に思えまして、逆にとても新鮮で面白かったものです。

 

で、その時読んだ中の一作に、「父の日を祝ってもらえることを期待していた波平が、皆の素っ気ない反応に失望する」「実はサプライズ父の日パーティが計画されていたが、失望した波平が一人で飲みに行ってしまった為、パーティは主役不在で失敗」という話があったんですよ。

まさにその回について、Twitterで言及してくださっている方をたまたま見かけました。以下、引用させていただきます。

この回、「忘れられた波平」というタイトルでアニメにも採用されているみたいです。

 

上のツイートでは、サプライズが成功した時の話も併せて言及されておりまして、これも当時読んだんですけどね。

とはいえ子どもの頃の話ですので、私、この「サプライズ失敗」の話に大変な衝撃を受けまして。

「始めから波平に言っておけばよかったじゃん……!!」と強く思ってしまったんです。

 

サプライズって、とにかく「失敗した時」のことが怖すぎるんですよね。

楽しんでもらえる、喜んでもらえるという期待が空振りに終わった時って、本当がっかりするし、誰一人幸せにならないじゃないですか。

波平のこの表情がある種のトラウマに近い記憶になっているばかりに、その後も「サプライズ」に対する恐怖感をずっと引きずり続けている、というのが私に関する実情のようです。子どもの頃の記憶こわい。

 

ということで、長々と書いて参りました。

この記事で書きたかったことを簡単にまとめると、

 

・サプライズ文化がどうも苦手です

・「知ってしまう」ということは一種の機会損失なのかも知れないが、「知ったからこそ」の楽しみ、というのもあるんじゃないでしょうか

・事前調整至上主義があまりに安定し過ぎていてそこから離れたくない

・近くにいる人とはなにくれとなく事前調整・相談できるといいですよね

・サザエさんには結構えぐい話もある(特に原作)

・それはそうと、フラッシュモブによるサプライズプロポーズ、みたいなヤツも個人的には超怖い。あれ、される側どんな気持ちなんだろう

・プライベートなことを周囲に晒されるのが嫌な人は珍しくないので、他人を巻き込む系のサプライズには特に慎重でありたい

 

これくらいの結論になるわけです。よろしくお願いします。

 

全然関係ないけど、特に初期のころのサザエさんって泥棒とか強盗がしょっちゅう描写されますよね。

それだけ治安が悪い時代だったってことなんでしょうか。

あと復員兵の話がちょこちょこ出てくるのも時代を感じるポイントです。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

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【登壇者紹介】

安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
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(2025/6/2更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

Photo by Xavi Cabrera