今回は日本最高級のブランドである西陣織を、ラグジュアリーなテキスタイル素材へとブランド・イノベーションし、西陣織の新たな歴史を刻んでいるHOSOOについて取り上げます。

 

※本稿は、グロービス経営大学院教員の沼野利和の指導のもと、4人の社会人大学院生(山根紀子、梁瀬晋也、末森玲子、庄司拓哉)が調査・研究を行った結果に基づいています。

西陣織織機

 

「箔が付く」の語源 西陣織の伝統美を生み出す引箔技術

平安時代からの歴史を持つ西陣織は、極上のものを求める天皇家や将軍家、貴族などのおあつらえ品として重宝されてきました。究極の美を追求することで、絢爛豪華な織りものを時間と労力をかけて作り続けてきた歴史があります。

西陣織の持つ優麗さは、「引箔」という技法によって生み出されます。

「引箔」とは和紙に金銀を貼り、髪の毛ほどの細さに裁断し、箔糸として手仕事で丁寧に織り込むことで立体感をもたせ、光の屈折による光沢感で特有の煌びやかさを生み出す西陣織独自の技法です。

 

値打ちが上がる「箔が付く」の語源は、この「引箔」と言われ、価値の高さがわかります。この箔糸と先染めの正絹糸を用いて、美しい文様を織り上げていきます。

すべて手仕事で行われるため1日に織れる量はわずか数センチ、着物1着分の反物1本を織るのに数ヶ月かかることもあります。この「引箔」は、西陣織の職人に代々受け継がれてきたクラフトマンシップによって生み出される唯一無二の技術なのです。

 

逆風を乗り越え、世界のラグジュアリーブランドを魅了するHOSOO

高級織物の代名詞である西陣織ですが、着物市場は1980年代の1兆8000億円をピークに、現在は2700億円と6分の1にまで縮小し、西陣織の市場も10分の1以下になりました(矢野総合研究所「きもの年鑑2012」参照)。

需要が減少したことで廃業が相次ぎ、熟練の技を持つ職人も減少の一途をたどっています。西陣織は危機的状況にあるといえるでしょう。

 

このような状況下で、西陣織1200年の歴史上初めて織屋として海外進出を果たし、脚光を浴びているのが、創業して300年の歴史を持つ、細尾株式会社(HOSOO)です。

HOSOOの織物は、パリの格付け最上位パラスホテルであるオテル・ド・クリヨンをはじめ、日本でもリッツカールトンやフォーシーズンズなど、名だたるラグジュアリーホテルの客室の調度品、レストランの壁面やダイニングチェア、カーテンなどに採用されています。

また、ディオール、シャネル、エルメス、ルイ・ヴィトン、ヴァンクリーフ&アーペル、カルティエなど数々のラグジュアリーブランドのインテリア素材として採用されています。

西陣織はもはや「HOSOO」として、ラグジュアリーブランドの世界観の演出になくてはならない存在です。

リッツカールトン東京 客室壁面にHOSOOテキスタイル使用

 

また、HOSOOは今やインテリア素材にとどまりません。HOSOOはグッチとのコラボレーションによりこれまでにないバンブーバッグを生み出しました。グッチとHOSOOが互いに持つ歴史的価値とクラフトマンシップの融合が、新しいアイコンバッグを生み出すまでになったのです。

 

HOSOOは「着物や帯の反物」であった西陣織を、伝統的な技術と素材を活かしながらブランド・イノベーションを行うことで、これまでの業界の常識を超えた西陣織の新しい歴史を刻んでいるのです。

 

変革の足枷をいかにして打破したのか?

細尾の挑戦のスタートは2005年。国内市場が縮小する中、西陣織を存続させるため、多額の費用と1年もの準備期間を経て、意気揚々と販路を求めて、世界最高峰のインテリア&デザインの見本市であるフランスのメゾン・エ・オブジェに出展します。

しかし収穫はまさかのゼロ。その後も、世界の主要な見本市に出展を続けましたが、大きな収穫はなく、海外市場の壁は高くたちはだかっていました。

 

業界の常識を超えた要求に向き合う

壁を破るきっかけとなったのは、ラグジュアリーブランドの建築を多く手がけている世界的に有名な建築家ピーター・マリノ氏との出会いでした。当時、世界中のディオールの店舗建築を手がけていたマリノ氏からインテリア素材として西陣織を求められたのです。

 

しかし、彼の要求は業界の常識を遥かに超え、西陣織の伝統の世界では到底受け入れられない内容でした。

 

それは伝統の中で生まれた、格式があり日本らしい「和柄」の否定であり、求められた柄は、日本らしさとはほど遠い溶けた鉄のような抽象的なパターン。それを西陣織で作って欲しいという要求でした。

さらに、西陣織職人の伝統として受け継がれてきた織幅を遥かに超える世界基準の150センチ幅のテキスタイルの製作を求められます。

 

「和柄」は西陣織の価値ではない

西陣織が伝統として守り続けてきた価値や常識を知らない者からの要求は、細尾にとってはねつけたくなるような話でした。

しかし、これまで幾度となく挑戦し続け、壁を破ることができなかった細尾はこれを受注し、向き合うことにしました。そして、大きな気づきを得ることになります。

 

その気づきとは、世界で通用する西陣織の普遍的な価値は、和柄ではなく、美を生み出す西陣織職人のクラフトマンシップであり、最終製品としての「モノ」ではなく、「素材」としての西陣織である、ということでした。
細尾真孝社長にそれになぜ気づけたかを問うと「挑戦して負け続けてきたから。挑戦こそR&Dである。挑戦することで、変えていいもの、変えてはいけないものがわかる」と語っています。

 

反物が32センチの幅と決められているのも、手作業で箔を織り込んで精度を出すためのものであり、これは職人の伝統として受け継がれてきたサイズでした。マリノ氏の要求である5倍のサイズは、西陣織を知る誰もが不可能とも思えるものだったのです。

しかしHOSOOは幅150センチの技術開発に、1年の歳月をかけて成功し、見事に西陣織の新しい歴史を刻むことになります。

 

長い歴史の中で何度も危機を乗り越えた西陣織

現代における細尾の挑戦を紹介してきましたが、実は西陣織は、過去においても様々な挑戦や革新を通じて危機を乗り越えてきた歴史があります。

最大の危機は明治維新でした。西陣織を支えていた幕府が消滅し、遷都で天皇や貴族が京都から去り、西陣織を買い求める顧客がいなくなったのです。このかつてない危機に直面しましたが、フランスでは織物の機械化が進んでいることを知り、西陣織を未来へつなぐため、3名の若い職人がフランスに渡り、当時最先端であった「ジャカード織」の織機と技術を持ち帰りました。

職人の手作業のみに頼る伝統的な生産にこだわらず、機械化技術を導入することにより、これまで2人がかりで織っていた作業が1人で行えるようになりました。引箔の職人技を継承しつつ、西陣織はコスト削減と生産性を飛躍的に高めることになり、明治、大正の着物ブームを追い風に復活を遂げたのです。

 

このような西陣織に携わる者なら誰でも知っている、現代の西陣織に繋がるジャカード織への挑戦と復活というストーリーは、歴史的価値としてスロスビーが提唱した文化資本といえるものです。

 

サプライヤーからコラボレーターへ 伝統や職人技の価値化

その後のHOSOOは、ブランドの価値向上と共に文化資本として積み上げ発展させてきた西陣織の歴史的価値、職人のクラフトマンシップといった精神的価値を訴求するようになります。

 

例えばHOSOOのテキスタイルが、トヨタの高級車レクサスの内装に用いられた際、取引時のエピソードとして細尾氏が以下の様に語っています。

「これまでのトヨタ方式であれば費用は工数計算であるが、1200年続く西陣織の歴史的価値、先人たちの努力や積み上げてきた技術力をどう価格に換算するのかを交渉した。その結果、HOSOOにしかできない技術が理解され、(対等な立場として)リスペクトしてもらい、サプライヤーではなくコラボレーターとして協創することで合意した」

 

HOSOOとトヨタ、素材の箔メーカーなどの企業とのこうした4年にわたる協業により、まるで工芸品とまで評価される本物の西陣織によるレクサスの内装が生まれたのです。

 

実は、西陣織は、車載内装素材としての厳しい採用基準を満たすことは不可能といわれていました。しかしそれをHOSOOが実現できたのは、不可能に挑戦してきた歴史クラフトマンシップ、素材となる箔メーカーとの共同開発や、協業先との繋がりといった西陣織がもつ文化資本があったからなのです。

そして、細尾氏が西陣織の文化や職人の尊厳を守る使命感をもって交渉にあたったことで、西陣織がレクサスの文化的価値の向上につながることを実証し、トヨタからこれまでにない価格を引き出すことに成功したのです。

 

伝統の継承と美への投資

危機的な状況の中、文化資本を活かしつつブランド・イノベーションに成功したHOSOOは、現在、様々な価値の発信や社内への浸透を行っています。

 

本社ビルには、美意識を伝承するために、あらゆるこだわりが散りばめられています。建物の外壁には金箔、墨漆喰といった素材を施し、伝統美を追求することで、経年美化する建築を実現しています。

これらは西陣織の伝統とHOSOOの哲学を具現化したもので、日々触れる従業員や、この建屋を目にする人々は自然と感性が磨かれていきます。

細尾本社ビル・旗艦店

 

また本社の旗艦店では、次世代のテキスタイルの在り方を発信すると同時に、ショールームのフレグランスや環境音など五感に訴えつつHOSOOの世界観を伝えています。
工房の職人のユニフォームも有名デザイナーに特注でオーダーし、靴は「職人がスーパースターになれますように」とアディダスの「スーパースター」を貸与するなど、様々な方法で社員やステークホルダーへ新たな西陣織の価値観、HOSOOの哲学の継承を行っています。

 

さらに、ブランド発信拠点として「HOSOO milan(ミラノ・ブレア地区)」、「HOSOO Tokyo(東京ミッドタウン八重洲)」を立て続けにオープンしています。

このようにHOSOOの価値の発信は、ブランドという木が生み出す果実が、肥沃な土地をつくるという「リンゴの木モデル」のように、HOSOOという新しいブランドが生み出す価値が、西陣織や日本の美意識といった文化を発展させようとしているのでしょう。

 

以下の図では、HOSOOにおける「リンゴの木モデル」のイメージを示しています。(リンゴの木モデルは、文化資本がブランド価値を生み出し、ブランドが文化価値を向上するというメカニズムです)

 

また、HOSOOが危機を乗り越えられたのは、挑戦し続けてもなかなか壁を破ることができなかった時、業界の常識や従来の価値観とは相容れない外部からの要求に出会ったことがきっかけでした。

 

 

<HOSOOのリンゴの木イメージ>

(執筆:山根 紀子・末森 玲子・梁瀬 晋也・庄司 拓哉)

 

 

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【著者プロフィール】

グロービス経営大学院

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ヒト・モノ・カネをはじめ、テクノベートや経営・マネジメントなど、グロービスの現役・実務家教員がグロービス知見録に執筆したコンテンツを中心にお届けします。

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