先月、引っ越しをした。

わたしはとにかく引っ越しマニアで、「今はなんかしらの転機なのかも」と直感するとだいたい引っ越す。これで上京してから5回目の引っ越しになる。

 

ただいつもと違うのは、今回は建物がやや古いということである。

築40年を超えた二世帯住宅、その1階と2階部分を別々に貸しているというちょっと変わった物件だ。

 

転居直後、ちょっとしたトラブルがあった。

そこに駆けつけたひとりのテレビマン。その姿に、私は胸を打たれた。

 

鬼リフォームの二世帯住宅

写真でこの物件を見た時、かなり驚いた。

まず間取りがえげつない。屋根裏部屋を含めて70平米を超えておきながら、1LDKなのである。

要は、最低限の構造物は残したまま残りのものを全てぶち抜いたのである。

そして洒落た壁紙、綺麗なシステムキッチン。

 

実際に現地に内見に来て、さらに驚いた。

 

自動洗浄トイレ。風呂は自動で湧く(厳密に言えば、蛇口は自分でひねるのだが湯量は自動調整)。

どんな配線をしたらこの建物にこの設備をつけられるのだろう、と驚いたくらいだ。そこにまた小洒落た洗面台。

デザイナーズ物件の匂いすらする。

 

しかも、巨大なプロジェクターが残置物として残っている。

よく見れば部屋の一角の天井に小さなスピーカーがいくつも取り付けられている。ホームシアターだ。

そしてスピーカーの近辺だけ二重サッシになっているという徹底ぶり。前にいた人は、この部屋での暮らしをかなりエンジョイしていたことだろう。

 

お洒落の代償

しかし実際に越してくると、信じられないことが起きた。

テレビが映らないのだ。端末側をちゃんと設定しても映らない。

普通そんなことないやろ、と色々やったが映らない。

ということで即管理会社に連絡をした。

 

そんなこんなで数日前、でっかい脚立やら機材やらをたっぷり詰んだワゴン車で、業者さんがやってきた。

わたしがコンビニから戻ってくると、1階に住む奥さんと業者さんが話し込んでいた。

 

そこで立ち話をしていたのだが、これまた驚きの事実が判明した。

実は、1階の部屋でも、テレビが映ったり消えたりを繰り返していたのだという。

しかしオーナーも管理会社もコロコロ変わり、何かと面倒だったのでそのままでいる、とのことだった。

 

こりゃまた、家賃に目が眩んでトンデモ物件に来てしまったのか・・・

少し後悔が頭を過ぎったが、来てしまったものはしょうがない。

 

しかも。

その職人さんいわく、「これは屋根に登らないとわからない」というのだ。

そのためには4メートルの脚立をのぼらなければならない。

 

しかし、なんせここは坂の上に建つ家で、足場がない。道路からさらに狭い階段を登って入り口にたどり着くような場所である。どこに脚立を立てるというのか。

 

職人さんは、玄関からの幅の狭い階段を指さして、

「ここに(脚立を)立てて、覚悟決めて登るしかないねえ」。

というのだが、聞いているほうが怖いくらいの足場の悪さである。

 

いやいやそんなことをしなければならないくらいなら、もうオーナーさんの負担でケーブルテレビでも引いて貰えば・・・と思ったが、職人さんは

「まあ、覚悟決めて登るよ」

というのだ。

 

後で知ったのだが、危険手当も大した額ではない。よくて8000円だという。

なんという世界だ、とも思った。

それはさておき。

まずはそれぞれの部屋の電波状態の確認である。

 

2階のわたしの部屋には3か所にアンテナの挿し口があるが、ひとつの部屋だけは微弱ながら電波が通っているという。

それが他の部屋や1階に分配されていないのだという。

「こりゃー好き勝手にリフォームしたんだなー」。

 

確かに、最新の設備を取り入れて恐ろしいほどこの部屋はお洒落になっている。

その過程でテレビの配線をおざなりにしてしまった可能性があるのだという。

 

では、建物全体にどう繋がっているのかを見なければならない。

わたしの物件は屋根裏部屋つきで、ドアを開けて屋根裏に上がってもらったが、屋根裏部屋の壁まで見事に綺麗なのである。

「見た目をきれいにするために全部の配線を隠しちゃってるわ。これじゃ中がどうなってるのかさっぱりわかんないや」。

 

職人さんの経歴

結局職人さんは、わたしの部屋の下に突き出ている部分から屋根に登ることに成功した。

まあ、最初に考えていた足場よりははるかにマシだが、スパイダーマンさながらの身軽さである。

 

そしてしばらく作業をしたあとわたしの部屋に舞い戻ってきて、

「これで大丈夫なはずだよ」と。

 

そのあと室内作業をしながら、職人さんはいろいろな話をしてくれた。

「僕はね、何がなんでも直すの。だって、テレビを見られないって相当なストレスでしょ」。

 

正直、筆者はここ何年もテレビをまともに見ていない。

災害時かスポーツくらいだ。しかし彼は、テレビに並々ならぬ情熱を持っている。

彼はその昔、家電販売店に勤めていたらしい。

そこで修理も請け負っていたが、おそらく彼の腕が良すぎるためだろう、他人のミスまで押し付けられてストレスを溜め込み、病気にまでなったのだという。

 

そんな彼のサラリーマン時代の趣味は、ひたすらテレビを見ることだった。

「だから僕はね、テレビを見られないって聞いたら、何がなんでも直してやろうと思うの」。

病気を機にサラリーマンをやめ、今度は建築の世界に飛び込んだ。理由はほかでもない、テレビの仕事をしたいからだ。

 

しかし、やりたいからといって、いきなりそれだけをやらせてくれるわけではない。

だから、解体もリフォームもなんでもやってきた。

 

ひたすら「テレビが好きだから」という気持ちだけがあったという。

いきなりやりたいことに到達できなくても、たどり着くために思いつく唯一の方法を選び、とにかく飛び込んだのである。

 

「リフォームやってたおかげで、外から見ればいろんな配線がどこの壁の裏にあるかがわかるようになったんだよね。

800軒1000軒こなしてくると、だいたいのことがわかるよ」。

 

そして今、テレビまわり専門の修理人として、不動産管理会社から「なんとかしてくれる人」として多くの依頼を受けているのだという。

本人も、「自分の手で必ずなんとかしてやる」と決めている。

 

何年かぶりにテレビをつけたまま寝た

さて、修理を終えて実際にテレビをつけると、もちろん、全チャンネル問題なしである。

さらに彼はわたしが部屋に飾り立てたベイスターズグッズを見て、

「ベイスターズ好きなんだね〜」

と。

 

「そうなんです!だからtvk(テレビ神奈川)が映るのはすごく嬉しいんです!」そう返すと、

「俺も野球好きなんだよ〜。きょうは作業時間考えたら大谷の第一打席だけは家で見られるな、と思って見てたらさ、ホームランだからね。もうきょうは1日機嫌良く仕事できるって思ってね。テレビのおかげだね」。と。

 

「じゃあ、このあとはゆっくりテレビ見て過ごしてくださいね」

そう言って去って行った。

 

なんだか、テレビ見ないと申し訳ないなあ。

そう思って久々にテレビをつけて一晩過ごした。もちろんテレビ神奈川である。

 

本当のことを言えなかった

ちなみにわたしはどのタイミングでも、自分がかつてテレビ局にいたことを言わなかった。というか、言えなかった。

というのは、話を聞けば聞くほど、テレビに対して自分なんかよりも彼のほうがはるかに強い情熱を持っていることが伝わってきたからである。

彼こそ真の「テレビマン」である。

 

何がなんでもテレビを見られるようにしたい、それが彼の原動力であり誇りであり楽しみなのだ。

 

なんだか自分のTBS時代を振り返って、恥ずかしくなったくらいだ。

こんなの完全に建物の不具合なんだから、管理会社かオーナーからちょっとでもなんか寄越せって言ってやる!

なんて一瞬でも思った自分も完全に恥ずかしい。

それどころか、それって彼に対して失礼極まりない発想である。

 

何がなんでも自分の手で直してやる。それが生きがい、という人がいるのだ。

 

「つくる」世界は、その先の人によって支えられているということ

思えばわたしはずっと、「つくる」側の世界にいた。今もそうだ。

 

もちろんそれはそれで必死にやってきたつもりでいる。

どうやったら難しい話をわかりやすく伝えるVTRを作れるだろう?どう作れば興味に応えられるだろう?

そうやって受け手のことも考えてきたつもりだ。

 

ただ、時に「妥協」を迫られたのも事実だ。

時間的な限界、マスとして許される表現の限界。

 

かつ、完全に抜け落ちていたものがある。

「売る人」と「売った後のケアをする人」の存在である。

 

少し前に、普段は営業の仕事をしている音楽仲間が年度末の忙しさを嘆いていた。

「毎日売ってるほうが無理だってわかってる以上のノルマなんてさ。無理なもんは無理なんだってば」。

 

そりゃそうだ。誰だって人間、数字を掲げればそれ通りにいくわけではない。

「売ればいいんでしょ」という気持ちでは、うまくいくものもいかないだろう。

 

しかし、「本当に惚れ込んだもの」を売るとなったら?

きっと何かが違うと思う。

「ファンベースマーケティング」という言葉がある。

世の中に商品や情報やエンタメが溢れかえっている今、「自分にぴったりの商品」や「まさに今の自分に有益な情報」や「自分のツボにハマるエンタメ」にいったいどうやって出会えばいいのだろう。

(中略)

でも、友人が薦めるなら話は別だ。
なぜなら、友人とは「価値観が近い人」だからである。

価値観が近い友人がツボにはまるコンテンツは自分もツボにはまる可能性が高いし、価値観が近い友人が愛用しているモノは自分も愛用する可能性が高いし、価値観が近い友人が熱中するコトは自分も熱中する可能性が高いからだ。

<引用「ファンベース-支持され、愛され、長く売れ続けるために」p72-73

まさにわたしは彼によって、「テレビに対する熱中」の伝播を受けた。

 

ではわたしが何を言いたいのか?

わかる人にはわかってほしい。
業界で活躍する、あなたたち後輩たちにこそ聞いてほしいエピソードだ。頼むよ。

 

 

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【プロフィール】

著者:清水 沙矢香

北九州市出身。京都大学理学部卒業後、TBSでおもに報道記者として社会部・経済部で勤務、その後フリー。
かたわらでサックスプレイヤー。バンドや自ら率いるユニット、ソロなどで活動。ほかには酒と横浜DeNAベイスターズが好き。

Twitter:@M6Sayaka

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