「他サイトおすすめ記事」とは?
このページは、Books&Apps編集部メンバーが特にお気に入りだという記事を、ピックアップしたリンク集です。このキュレーションには3つのルールがあります。

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どうか楽しんでいただければ幸いです。
Books&Apps編集部

指紋認証一体型を選択したiPhoneのホームボタンはとても大きな問題を抱えている。

それは「一等地の放棄」である。

一等地とは”親指が自然に届く範囲”である。

このブログの名は「なんとなく、クソシテル」

父「ええか?人に何か貸したり、約束したら必ず紙(契約書)が必要や。」

僕「必ず?」

父「そや。必ずや。」

僕「誰でも?」

父「そや。誰でもや。例外はない。よう覚えとけ。」

父「紙が無いいうことは後から何を言われてもしゃぁないいうことや。世の中にはな。電話で約束した話を『あんたあの時そう言うたやないですか?』って裁判所で問い詰めても『それは、うちに入った泥棒があんたからの電話を取ってそういうたんちゃいますか?』て平気でウソを言う人間はいくらでもおる。口でした約束は役に立たん。必ず紙が必要なんや。

そう話す父の顔はとても恐ろしいものになっていました。

僕は下を向いて小さな声で「わかった。」と言いました。

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今話題のオリンピックスノーボードの解説「スタイリッシュ」「かっこいい」「おしゃれ」「シブい」の意味

世の中の安チェーンやコンビニなんかには、確かにおいしいものもあるが同時においしくないものもずいぶんたくさんある。

そうやって世に溢れる安くておいしくないものの中で、サイゼリヤにおいての安くて(あまり)おいしくないものは少し毛色が違うような気がしている。

どう違うのか、そのイメージをお分かりいただくためにショートストーリーを用意した。

もしも一般的な激安チェーンとサイゼリヤがそれぞれ「つけ麺」の開発にとりくんだら、という仮定の物語である。

今だからこそ、「俺の文章大好き」という、一番の基底モチベーションに立ち返った方が、色々上手くいく人も多いんじゃねえかなーと。

こうして並べてみると、なるほど確かに「変革を主導した志士」として、いずれ劣らぬピッカピカのリーダーシップを発揮したという点で勿論共通しているのですが、一方で別の共通項があることにも、すぐに気付きますね。

そう、全員暗殺されているんです。

自分の会社を作って独立したら、雇われていないのでもうONもOFFもありません。42/54的なライフスタイルの最大の特徴がこれではないかと思います。

仕事も趣味も出張も旅行も、すべてが自分の生活です。呼吸をし飯を食うように、仕事も遊びも何もかもが自分の人生であり生活の一部なのです。雇われているからこそ、OFFが必要になるわけで、自分ひとりで生きていくという状況では、ONもOFFもありません。

走る速度が速いと、体の側面によって余計に面積が膨らむ(雨粒に当たる)のが分かるはずだ。

したがって、最も雨が当たらないようにするには、ただ速く走るだけでは足りない。

任天堂は携帯ゲーム機市場で1人ラクラク市場を席巻しつつ、

そのシェアの分だけ据え置き機市場のシェアもブン取れるのである。

 

分かりやすく例えると、

「スイッチは1人ガンガン素振りをするだけで、遠く離れたPS4の後頭部に全部直撃する」

ということだ。

"多くの人間の内規化してしまっている決まり文句だが、なぜ「食うべからず」なのだろうか。「働かざるもの食うべからず」という文句は、新約聖書の一節に由来があると言われる。

 

また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。 (『口語 新約聖書』日本聖書協会、1954年 テサロニケ人への第二の手紙 第三章10節)

 

パウロの真筆か否かで議論が分かれる一書だが、どちらの立場でも、本書は終末論が高まる中、浮き足立っていた信徒たちを鎮めるために記されたものとする説がある。

また、レーニンは新聞『プラウダ』第17号(1929年1月20日)にて次のように述べている。

 

「働かざるものは食うべからず」――これが社会主義の実践的戒律である。

これは”怠惰”な者や働く能力を持たない者に向けられた言葉ではなく、資本家、地主、利子生活者といった不労所得者に向けられた批難の言葉である。"

 

グラフ理論によると、福井、滋賀、三重、京都、奈良、和歌山の6県が日本の中心とのこと

そう、田舎には田舎であることの合理性がある

"結論

変化はしていた。

わたくしが思いもよらない方向に。

そして、その瞬間私は思った。

なるほど、と。

父親の背中を見ていなかったんじゃない次男は父親の背中をちゃんと見ていたのだな、と。"

"そもそも「学歴社会」とは何か。

それは学歴で生涯所得が決まってしまう社会のことだ。

では、どういう状況になれば「学歴社会は崩壊した」と言えるのか。

それは学歴によらず、あらゆる人が自分の能力でカネを稼げる(少なくともそのチャンスがある)社会になることだ。"

ここで疑問が浮かぶ方も多いのではないか。「なぜ産業革命をした国でイギリスだけが食文化の崩壊に至ったのでは」と。

ここで、『エコノミスト』のコラムではこう答えている。「工業化の前に、彼はイギリスの料理はヨーロッパで最高だったと主張する。

 

しかし、英国が工業化する最初の国であったため、冷蔵庫はまだ発明されていなかった。

のように、英国人は現代の食料保存技術の恩恵を受けずに農場を去ることになったのだ。彼らは食材の策源から遠く離れて、缶詰の野菜、保存された肉、根野菜などに頼って、少なくともこれらを魅力的なものにするために揚げたのだった。

技術によって新鮮な果物や野菜が利用可能になった後でさえ、英国人の口の中は軽くて脂っこい食事に設定されていた。」

つまり、イギリスは産業革命が最初の国だったために発達した食料保存技術の恩恵を受けられずに、缶詰の野菜や干し肉などしか手に入れられなかったとしているのである。も

英語よりも先に、国語をマスターすべき、という意見は、個人的には絶対正しいと思っている。

デザインとアートはどこが違うのだろうか?この問いに答えられる人はどれくらいいるのでしょうか。

2017年に佐藤天彦名人に勝ったコンピューター将棋のソフトウェアPonanzaを作った人がそう言ってる

話題も面白いのだが、ブログ主も面白い。

深く深く奥深い書体の世界。

これは素晴らしい、やってみたい。

「単なる入力デバイス」として使うのなら、要らないと思ってたけど、こういう使い方があるなら。

Appleが自ら創ったSan Franciscoというフォントには、アップルが提供するユーザー体験の超絶なこだわりが垣間みえます。

"本来は個々の職業に上下の関係はありません。しかし、私達の日常生活の中では、意識的あるいは無意識的に、特定の職業を「立派な職業」と思ったり思わなかったりするという、イメージの格付けが存在しています。

例えば誰かが自己紹介をした時に「スーパーの店員です」と言ったのと「医者です」と言ったの とでは、どちらの方が周囲の人々に「スゴイ」とか「立派な職業に就いている」という印象を与えるでしょうか。あるいは、親が子供に将来就いてほしい職業と して尋ねた時、「スーパーの店員」と「医者」とではどちらに回答が集中するでしょうか。
多くの人が「医者」の方だと考えるでしょう。スーパーの店員も、医者も、共にそれぞれ社会に不可欠な職業であるにも関わらずです。

このように私達は主観的に何らかの物差しを使って職業に上下関係をつける(評価する)という傾向があると考えられます。職業に対する人々の このような主観的な格付けを、社会学では職業威信と呼んでいます。"

多分なんですが、「面白い記事を書く能力」って、育つと思うんですよ。

どこかから出来合いのものを見つけてきてそれをアレンジするのではなく、自分で材料を拾ってきて、自分で考えて、面白そうなものに仕上げて、人にも見える場所においておく。

それを繰り返すことで、徐々に「色んな人にとって面白い記事」を生み出せる頻度や可能性が上がっていく。

これは、あらゆる分野、あらゆる場面で有用なノウハウの塊です。civ4でいえば、それこそ「筆記」ですよね。筆記やアルファベットは、決して陳腐化しません。

ベスト1はマジで読むべきw

"例えばパチンコを趣味とする人と、現代絵画を趣味とする人とでは、それぞれに自己規定や他者からのまなざしも変わってきます。世の中には色々な考え方がありますが、一般的に多くの人にとって「パチンコ」よりも「現代絵画」の方が「高尚である」「教養がある」と見なされる可能性が高いでしょう。パチンコを趣味とする人にとって、現代絵画は「何となくよそよそしい」「学校で教えられるようなもの」として否定する対象となる可能性が高いですし、現代絵画を趣味とする人にとってパチンコは「くだらない」「だらしない」と映ったりするでしょう。

それでは、こういう本人の趣味はどうやって形成される のでしょうか。一見すると趣味は本人の自由意思によって決定されるように見えますが、実はその人がどういう趣味を持つかは、その人の出自(両親の学歴・職 業・年収・家庭環境)、その人の学歴、その人の職業などと強い関連性があることが、フランスでも日本でも各種の社会調査によって明らかになっています。特にフランスは日本と比較して、社会の上層に位置する人々と下層に位置する人々との趣味の違いが激しいことが分かっています(美術館のページ参照)。

ブルデューは、このような卓越化を”ハビトゥス”という概念を用いて説明しようとします。"

さらに、実質的には年500万円の所得があっても、300万円を経費として落とし、税務署からは年200万円の所得にしか見えないようにすることは、それほど難しくない。

だから、年500万円の所得を得ても、あまり税金を払わず、実質的に年500~700万円の生活費のそこそこ贅沢な暮らしをすることもできる。

 

重税高福祉国家になって、徴税体制がどんなに厳しくなっても、これは原理的に十分可能だ。

 

基本は、自分で法人を設立し、仕事場と自宅を一体化してしまうことだ。

 

本棚、パソコン、プリンタ、ドキュメントスキャナ、デジカメ、電話、FAX、データ通信カード、携帯電話、ソファー、家賃の一部、光熱費通信費の一部など、実にたくさんの支出項目が、生活と仕事の両用にできる。

 

それらにかなり贅沢なものを買ったとしても、それらには所得税も消費税もかからない。(払った消費税は還付される)

論説のクオリティの高さに驚くが、もっと驚きなのは、この論説が「小説家になろう」というサイトに掲載されていること。謎すぎ。