これを書くと理解しようとしない人が誤読して炎上してしまう可能性が高いが、しかし今回はあえて書いてみる。
それでも、なるべく分かりやすく書いてみたい。
差別をなくす運動というのは、なかなか上手くいかない。
その根本的な理由は、差別をなくそうとする人そのものが、差別心があるからである。というより、差別をしている。
誰を差別しているかというと、彼らは「差別をする人」を差別している。
差別を糾弾する人こそ、実は最も差別的である
例えば、国籍差別をする人がいたとする。中国人や韓国人を心から蔑む日本人だ。それに異を唱える人は、ほとんどの場合で国籍差別をする人を蔑んでいる。
だから、国籍差別をしている人の心に響かない。おかげで、国籍差別はなくなるどころか、ますます増えるのである。
男女差別もこれと一緒だ。
まず、女性を蔑む男性がいたとする。すると女性は、その男性を蔑む。そうして、蔑みの連鎖が生まれる。
そんなふうにお互いに蔑み合っているから、いつまで経っても問題が解決しない。
この問題を解決する方法は、まずは蔑まれている方が、蔑んだ人を蔑むのをやめることだ。
分かりにくいかもしれないから、もう一度噛み砕いて言う。
この問題を解決する唯一の方法は、誰かを差別している人がいたら、その人を糾弾するのではなく、むしろその人の心に寄り添うことである。
どうしてその人が差別するのか、その人の気持ちになって考えることだ。それしかない。
例えば、国籍差別をする人がいたとする。
そして、それを嫌だなと思ったら、まずは「なぜこの人は国籍差別をするのか?」と考える。そして、とことん考える。
最後には、「なるほど、この人の立場に立ったなら、国籍差別するのも無理はない!」というところまで、その人の気持ちに寄り添う。理解する。そうすることで初めて、この問題は解決する。
ただ、たいていの人は、「そんな国籍差別する人の気持ちなんかに寄り添いたくない! 理解する必要などない!」と考えて、ぼくの提案は即座にはねのける。
そうして、ちっとも差別する人の心に寄り添わない。
しかし、そういった他者の心に寄り添わないその態度こそが、差別を生み出すのである。
そもそも、中国人や韓国人を悪く言う日本人は、中国人や韓国人の心に寄り添わないから、差別をしている。もしそういう人たちが中国人や韓国人の心に寄り添えたなら、そこで差別は終わる。
そして、そういう差別する人を悪く言う人たちも、差別する人たちの心に寄り添わない。
そうして、差別する人たちを差別する。
だから、差別がなくならない。むしろ、その人たちもが立派な差別者へと成長していく。そうやって、差別は逆に増えていってしまっているのだ。
実は、差別を糾弾する人こそ、実は最も差別的であるという場合も少なくない。
だから、差別をなくすという運動はなかなか進まないのである。
なぜ人は差別をしてしまうのか
ところで、なぜ人は差別をしてしまうのか?
なぜ差別は、戦争や食糧問題が過去に比べて大きく改善した現代においても、なかなか解決されないのか?
それは、差別するということが人間の本質の一つだからだ。というより、生き物としての本質の一つだからだ。
人間は、そもそも差別する生き物である。
もちろん、人間だけではなく、他のあらゆる生き物が差別をする。
人間が特殊なのは、むしろ差別をなくそうと努力しているところだ。差別するという生き物の本質に強く抗っているところである。それはむしろ、人間の特殊性だろう。
人間というのは、そういうふうに生き物としての本質に抗いながら生きている。それもまた人間の本質である。
つまり、様相は矛盾しているのだ。差別するのも人間の本質なら、それに抗うのもまた人間の本質というわけである。
そういう矛盾した様相こそが本質で、逆にいえばその矛盾を解決しようとする行為——つまり差別をなくそうとする行為は、本質から外れているのである。そっちの方が、むしろ無理が大きいのだ。
誰の心にも差別心はある
何が言いたいかというと、我々が取り組まなければならないのは、まずは「誰の心にも差別心はある」というのを認めることだ。
そして、差別をするのはある種仕方ないと、一旦開き直ることである。
その上で、差別する人たちの心に寄り添い、彼らを理解することだ。
そうすることで、まず自分自身の差別心が減っていく。自分の本質のところにある差別心を、可能な限り小さくさせておくことができるようになる。
そういうニュートラルに近い状態で、例えば国籍差別をする人と接すると、彼らもその人の言葉に耳を傾けるようになる。
実は彼らも人間である以上、本質的には「差別する心」と同時に、「差別に抗う心」も持っている。
彼らも本心では、差別をしたくないと思っている。いやむしろ、この世から差別をなくしたいとすら思っている。
国籍差別をする人たちは、実際のところ、自分の行為が差別に当たるとは認識していない。
もし差別だと認識していたら、とてもではないがヘイトスピーチなどできないだろう。差別だと認識していないからこそ、ヘイトスピーチができるのである。
彼らは、他のあらゆる人と同様に、差別を心から唾棄する気持ちも持ち合わせているのだ。
そういうことが理解できれば、どんな人でも差別者の心に寄り添えるはずだ。
そして、彼らの心の奥底にある「差別に抗う気持ち」に火をつけ、彼らの差別的行為を可能な限り抑えることができるようになるのである。
差別というのは、そういう形でしかなくしていくことができない。
しかし残念ながら、ぼくのこうした考えは、ほとんどの人に届かないだろう。
それどころか、きっと多くの人が、こう考えるぼくを「何を訳の分からないことを言っているのだ」と馬鹿にする。
そうしてぼくを蔑むようになり、この記事は少なからず炎上するだろう。あるいは、炎上しないまでも、無視されるだろう。そうして、やがて多くの人が、ぼくを「馬鹿なやつだ」と叩き、最後には差別するようになるだろう。
しかしながら、そこでぼくがみなさんに言いたいのは、みなさんがいくらぼくを差別しようとも、みなさんがぼくを差別するという気持ちは、よく理解できる——ということだ。
確かに、ぼくのこの文章を読んでいたら、差別もしたくなるだろう。それはよく分かる。
だから、どうぞ自由に差別してください。なぜならぼくは、おそらく差別されるくらいでちょうど良い人間だからだ。
差別されるために生まれてきた——というと少し大げさかもしれないが、しかしこれほど差別されることが相応しい人間も、なかなかいないかもしれない。
差別されるということが、おそらくぼくという人間の、あるいはぼくのような人間の、社会における役割なのである。
だから、ぼくはそれを理解し、差別する人の心に寄り添いたいし、寄り添う。
そうすることでしか、逆にいえば、ぼくはこの状況を打開できないのだ。
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【著者プロフィール】
岩崎夏海
作家。
1968年生まれ。東京都日野市出身。東京芸術大学建築科卒。 大学卒業後、作詞家の秋元康氏に師事。
放送作家として『とんねるずのみなさんのおかげです』『ダウンタウンのごっつええ感じ』等、テレビ番組の制作に参加。 その後、アイドルグループAKB48のプロデュースにも携わる。
2009年、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』を著す。
2015年、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら』 。
2018年、『ぼくは泣かないー甲子園だけが高校野球ではない』他、著作多数。
現在は、有料メルマガ「ハックルベリーに会いに行く」(http://ch.nicovideo.jp/channel/huckleberry)にてコラムを連載中。
(Photo:Der Wunderbare Mandarin)