もうどれくらい前なのか覚えていないが、たしかコロコロコミックだったと思うけど、子供向けのマンガ雑誌を読んでいたら
「黒夢の清春さんついにコロコロコミックに登場!」
という大々的な煽り文句で黒夢の清春さんが誌面に登場してきたことがあった。
そのコーナーは読者からの質問のお便りに清春さんが答えるというものだったのだけど、基本的に清春さんは何も答えてなかった。
それがロックだと言わんばかりに本質的には何も答えていなかった。圧倒的に何も答えていなかった。
「清春さんみたいになりたいと思っていつも真似しています。どうやったら上手に真似できますか?」
といった純真無垢、清春さんへの憧れが爆発しているキッズの質問に対しても清春さんの返答は完全にロックだった。
「真似すんな、殺すぞ」
たぶん、こんな返答だったと思う。とんでもないことだ。
殺すぞ、である。ツイッターだったら一撃で凍結されている。
もう記憶が定かではないのでこんな過激な言葉ではなかったかもしれない。もうちょっとまろやかだったかもしれない。
もしそうなら清春さんには大変悪いと思うのだけど、けっこう強烈に記憶には残っているので、なんにせよこのレベルの過激な言葉だったように思う。
質問した子供がどう感じたかは分からないが、おそらく、けっこうなショックなんじゃないだろうかと予想できる。
少なくとも僕がこの子供だったらちょっとトラウマを抱えるくらいの衝撃を受けるはずだ。
それはなぜか。
僕らの人生、特に幼少期においては、あまりに簡単な「知る」へのアクセスパスが用意されているからだ。
学校の先生は質問に答えてくれる。
大人たちも質問に答えてくれる。
大体のことは教科書に書いてある。
夏休みこども電話相談室に電話すれば専門家が優しく答えてくれる。
子供の疑問を解き明かして興味を惹かせる教育は良いものとされがちだ。
それはもちろん間違っていないのだけど、同時に「知れて当然」という想いが培養されていくことになる。
「僕らには知る権利があるんだ」と幼い頃から純粋に培養されて育っていく。
ただ、この世の中の本質はそんな綺麗ごとではない。親や先生たちは本当に都合の悪いことには答えを持たない。
そして基本的に他人の内面や事情を知る術はない。
つまり、この世の中は答えを知れることの方が圧倒的に少ないのだ。
清春さんのぶっきらぼうでロックな返答は、そういうことを教えたかったのかもしれない。
*
黒夢の清春さんとは見た目からしてかなりの落差があるが、僕の知り合いの安岡さんのエピソードが大変興味深い。
その日、安岡さんは困惑の中にいた。
広さ2畳ほどの小さな待合室に混沌とした空気が漂っていた。
目の前にはよく分からない風俗雑誌とマンガ本が詰め込まれた棚があって、そのよこにウォーターサーバーが置かれている。
ここは風俗の待合室だ。
安岡さんはネットで調べた女の子に会いに来たが、人気のある子だったらしく、1時間20分の待ちを余儀なくされていた。
この狭い部屋でこの待ち時間はなかなかの苦行だ。安岡さんの耐える時間が続いた。
おまけに、ただでさえ狭い空間だというのに先客がいたことも苛立ちの原因だった。
その男は汗だくで、かなりの熱を発しており、呼吸も荒い。
狭い空間でなくともあまり一緒にはいたくない男だった。
ついにすることのなくなった安岡さんはおもむろに立ち上がった。壁に貼ってある掲示物を読み始めたのだ。
朝早く来店すれば先着10名に割引があるだとか、毎週木曜日は私服Dayだとか、派手なチラシが躍る中、異彩を放つ張り紙を見つけた。
「本番強要客!」
毒々しいフォントに毒々しい色で書かれたそのチラシには、ポラロイド写真と免許証のコピーが貼られていた。
これは、いわゆる風俗店においてオイタをした客だ。
その客をこうやって晒し者にすることで他の客への牽制、抑止力にしているわけだ。言うなれば晒し首に近いものだ。
よくよく掲示物を見てみると、なるほど、さすが晒し首だ。
何も隠すことなく免許証のコピーが貼られている。名前も現住所も生年月日もばっちりだ。
この武田という男には住所地にある若葉コーポにいけば確実に会えるはずだ。もはや個人情報保護の概念などない。ちょっとした治外法権に近い。
ポラロイド写真の方を見てみても、やはり晒し首だ。よほど怒られたのか、しゅんとした武田が正座をさせられて写っていた。
「武田とんでもねえやつだな」
安岡さんは少しビビったらしい。あまりにオイタが過ぎるとここまでやられるのだ。
少しだけ恐怖みたいなものと漠然とした不安みたいな感情が心を蝕みだした。
そう言った意味では、この晒し首は大変に効果があるものだと思う。
「こんな風に晒されてもし知り合いに見られたら社会的に終わるな」
そんなことを漠然と考えていた。そして妙な違和感みたいなものが生まれてきたらしいのだ。
この武田、この、まさかその後に風俗店で晒されるとは露にも思っていないであろう誇らしい表情で写っている免許証の顔写真、どこかで見たような気がする。
まさか知り合いだろうか。いいや、でもこんなやつ知り合いにいない。
でも、この顔はどこかでみたことがある。絶対にある。なんだか妙に胸がざわついたらしい。
「どこかで……どこかで……」
(あっ……!)
ついつい声を挙げそうになったらしい。気づいてしまったのだ。
(待合室にいるもう一人の男、武田だ……)
そう、この狭い待合室に同席していて、やたら熱を放っている男、フーフーと荒い息づかいの男、どこからどうみても晒されている武田なのだ。
オイタが過ぎて免許証まで晒された男、若葉コーポ102に住む男、武田なのだ。
どうしてこんなところに武田が。出禁のはずじゃ。
晒され、出入りを禁止された男じゃないのか、安岡さんは困惑の中にいた。
いてはならない男がここにいるのだ。
(店員が気づいていないだけじゃないだろうか)
そう思ったという。こういった風俗店の出禁システムは実はそこまで強くない。
例えば予約の際の電話番号や、会員証の会員番号で弾くことは可能だが、予約もせず、新規入会などで来られてはなかなか難しい。
入口に顔認証システムがあって、出禁の客が来たらけたたましく警報が鳴り響き、毒ガスでも出てきて亡き者にするといったシステムも存在しない。
そうなると、受付をした店員が顔を覚えているかに懸かっている。おそらく、受付の若い店員が見落としたのだろう。
安岡さんのハラハラする時間が始まった。
退屈と思われた1時間20分の待ち時間が急遽エキサイティングなものに変わった。
いつ店員が気づくかという要素が加わったのだ。
安岡さん曰く、まあ、気づかないということはほとんどあり得ないそうだ。
こういった狭い待合室に通される店は、監視カメラか何かで実際に接客する女性が顔をチェックできるようになっているらしい。
カメラに映らないよに顔を伏せていても、店員がどうでもいいことを確認しに話しかけてきて顔を上げさせるそうだ。
武田は、オイタをしすぎて出禁になったわけだから、当然、その女の子は鮮烈に覚えている。
必ずや顔チェックでバレる、そう確信していた。
しばらくして安岡さんの予想通り、武田の存在がバレた。たぶん監視カメラの顔チェックだと思う。
おもむろに店員がやってきて、受付の方に武田を連れて行ってしまった。
そのお店は、待合室と受付の間にやや分厚い黒いカーテンがあった。なので様子を窺い知ることはできないが、武田の声だけが待合室まで聞こえてきていたという。
「ああ、そうだ、俺が武田だ!」
武田はなぜか開き直っていたらしい。
「なんで俺が出禁なんだよ! それを教えろよ!」
何が起こったのかよく分からないが、免許証まで晒され、正座しているポラロイドを撮られてもなお、自分が出禁である理由が分からないらしい。
「ミコトと話をさせろよ!」
ミコトちゃんに出禁にされたらしい。
「俺には知る権利があるだろ!」
本当にあるのだろうか、武田に知る権利、本当にあるのだろうか。安岡さんはそう思ったらしい。
結局、その日はそのまま武田の声が聞こえなくなったので何が起こったのか分からなかったが、次行くと待合室にもう一枚、反省している武田のポラロイドが増えていたので、まあ、知る権利はなかったのだろうと理解したらしい。
武田が何を知りたかったのか分からないが、彼が口にしたという“知る権利”という言葉、これが妙に引っかかった。
知る権利。広辞苑によると以下のように説明されている。
「国民が公的な種々の情報について公開・提供を要求する権利。また、国民の国政に関する情報収集活動が国家権力によって妨げられない権利。」
とある。
もともとは国家権力に対して知ることを妨げられない権利という記述のようだ。
もちろん国家の暴走や不正を暴くために国民全員が知る権利を行使し、食い止める術を持つことは大切だ。
けれども、この「知る権利」使い方がおかしくなっていないだろうか。
権利というものは放っておくとどんどん拡大していき、最終的には横暴に変わる。
昨今でも国家の不正に対する「知る権利」という単語もいくらか聞かれるが、それ以上に国家に関係ない「知る権利」も多く聞かれるようになってきた。
少なくとも、武田の言う「なぜミコトに出禁にされたのか知る権利がある」は、おおよそ国家とは関係ない。
あったら大変だ。
犯罪被害者の素性や悲劇をことさら暴くことが国家の不正に関係あるのだろうか。
有名人のスキャンダラスな内容を徹底的に暴くことは国家の不正防止に繋がるだろうか。ちょっとよく分からない。
ただ「知る権利」が暴走しているような気がする。
おそらくではあるが、あまりに純粋に「知る」ことができてきた経験は、より暴力的で横暴な「知る権利」を育んでやしないだろうか。
声高らかに「知る権利」を宣言する人には注意しなくてはならない。
誰かを代表しているかのようにそれを宣言する人には特に注意しなくてはならない。
たぶん僕らにはほとんど「知る権利」などないのだ。
知らないことを知ることは極上の快楽だ。それが隠されていればいるほど知ったときの快感は大きい。
でも、そういったものはほとんどが本来の「知る権利」に由来していないと知るべきだ。
「それでさ、けっこううまくやっちゃって、今度、あの店の女の子とデートするんだよ」
安岡さんは笑顔でそう言っていた。
「え、どうやってそんなうまくやったんですか。その秘訣を教えてくださいよ!」
僕がそう言うと、安岡さんは少しムッとした。
「真似すんな、殺すぞ」
それはあのコロコロコミックでの清春さんのようだった。ツイッターだったらとっくに凍結されている。
知りたいなあと思うのだけど、やはり僕らにはそこまで「知る権利」はないのだ。
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