どうしてこうなった

おれはただ、会社帰りにふらりと徒歩五分の横浜スタジアムに立ち寄って、ビール片手に「これがオリンピックいうものか」と思いながら、とくにどちらのチームを応援するわけでもなく「赤勝て、白勝て」言いたかっただけなんじゃ。

 

というわけで、おれは東京オリンピックのチケットを持っていた。過去形になる。

ちょっとばかりお金をケチって、紙のチケットを選ばなかったものだから、その「もの」すら持っていない。

残っているのは「Tokyo2020」からのお知らせメールのみだ。

 

東京オリンピックは基本無観客が決定した。

抽選、再抽選ということもなく、払い戻しということになった。

無観客が決定したときは、残念という思いではなく、なにか清々した気持ちになったものだった。

 

が、おれはオリンピックいうものを生で見たかったからチケット購入を申し込んだのだし、見事に当選した。

日程的に日本代表は見られないにせよ、すぐそこの横浜スタジアムでオリンピックだ。

 

おれはスタジアムで行われる陸上競技などを見たことがないので、そういうのも申し込んだと思うが(もうあまり覚えていない)、当たったのは野球だった。

ならば、野球でもいい。どことどこの国になるかも知らないが、ちょっとオリンピック気分に浸ることができるんじゃないのか。

 

……その程度の思いだった。

だが、どうしてこうなった。

いや、コロナ禍なんですけれどね。

 

ヘイトと分断のオリンピック

ただ、それにしても、だ。

このオリンピックにはケチがつきつづけた。

 

コロナの前から、ロゴだの、誘致だの、競技場だの、酷暑だの、水質だの、いろいろ問題があげつらわれた。

そして、コロナ、一年延期、延期してもコロナはおさまらない。

そんななかで、主催者側とされる人々の言動は、本当になにか言うたびに日本国民をいらつかせるものが多かった。

 

いま、「いいところ探し」をしようとしてみたが、なにも思いつかなかった。

もちろん、コロナウイルス感染症大流行という、未曾有(いや、過去にも世界的な流行り病はあったけれども、近年では)の事態の前に、政治家やスポーツ業界の方々もたいへんな思いをしたとは思う。

 

思う、が。それにしても、あまりにもなんというか、ちょっと、というか、かなりひどくないですかね、ということが多かった。

だれそれのどの発言とは言わんが、言わんでもなんか思いつくだろう。

 

それは、チケット持ちのおれにとっても同じことだった。

むかつくことも、いらいらすることも多かった。

多かったというか、ほとんどそればかりだった。

ネットにはそんな声が溢れかえっていた。

 

それは、たとえば飲食業者からの「なぜオリンピックだけ」という切実な声もあれば、スポーツというもの自体への批判的な物言いも含まれていた。

もう、みんなバラバラだな、分断だな、と思った。

 

そこまでスポーツに思い入れはないのだけれど

しかしなんだろうな、このオリンピックを超えて、スポーツ興行、あるいはスポーツそのものへの批判、あるいはそのあり方への疑問みたいなものも出てきた。

たとえば、日本代表を応援することは、国家と自分を一体化して悦に入るようなことだ、とか。

あるいは、ある選手の勝利と一体化することは、自らの人生の物語を放棄するようなことだ、とか。

 

うーん、そういう一体化を求める人もいるんじゃないかな。

でも、おれは違うな。

え、「おまえ、チケットを持っていたのに何を言っているんだ!」と批判されるかもしれない。

 

でもさあ、そこまで思い入れはないんよ。

そういう、たいしたことのないスポーツファンみたいなのもいるんよ。

 

そもそも、おれが物心ついたかつかないかのころ、プロ野球を見始めたのも、「赤いユニフォームのチームと、黒いユニフォームのチーム、どっちを応援する?」という、戦隊モノに夢中だった自分に対する父親の誘導尋問からはじまったものだ(赤はヒーローの主役の色で、広島カープの色だった。黒は巨人だった)。

そのていどのものなのだ。

 

べつにおれはなにかの日本代表を応援することによって、国家との一体感を求めているわけでもない。

なんだろうか、なんかわからんけど誰かと誰かが戦っていたら、どちらかを応援するほうが見ていて楽しいだろ、程度のことだ。

 

たとえば、高校野球をやっていたら、母校を応援するだろうし、都道府県別だったらなんとなく自分の県のチームを応援するだろう。

その延長線に過ぎない。

それはもし、自分に縁のない県のチームに親戚なり、知り合いなりがいたらひっくり返ってしまうほどの軽いものだ。

 

スポーツ新聞的人間思うに

おれはおれ自身をそんな「軽い」スポーツ観戦者だと思っている。

そこまで、熱くなるわけでもない。涙を流したりもしない。「感動をありがとう」と思うこともほとんどない。

たんに、なんとなく、おもしれえから見ているだけだ。

 

野球以外にも見てきたスポーツはある。

F1ブームだったころはF1を見たし、学生時分、夏休みに夜ふかししていたときはツール・ド・フランスのダイジェスト放送を見た。

 

時間が合えば世界陸上だって見たし、地上波でやっていればサッカー日本代表の試合も見た。

サッカーワールドカップではなぜかメキシコ好きになる。

 

格闘技も大好きだった。今でも嫌いじゃない。

ボクシングだって、井上尚弥を見ていて飽きることはない。

 

まあ、見始めてからほとんど欠かすことのない競馬だけはちょっと特別なのだけれど、それは馬券という形によって当事者になれる部分があるからじゃないかと思う。

 

つまりはなんだろうか、つまみ食いの、スポーツ新聞的人間なんだ、おれは。

スポーツ新聞はプロ野球を扱うし、サッカー日本代表の試合があればそれが一面になったりもする。

もちろん競馬欄もあるし、オリンピックになればオリンピックの記事だらけになるだろう。

そんなんだ。専門誌まではいかない。

その薄さ、軽さが性に合う。

 

まあしかし、そういう浅い人間、意識の低い人間というものは、老害として退場させられていく傾向にはあるようだ。

日本ばかりでなく、野球を始めとしてスポーツ観戦離れというものが顕著になっているという話もある。

とくに、テレビ観戦なんてものは。

 

今はもう、自分を律し、自分が身体を動かしてなんぼの時代なのかもしれない。

それがスポーツとの正しい付き合い方なのかもしれない。

だが、おれはそういうの苦手だよ。

一時はサイクリングにはまっていたけれど、それも飽きてしまった。

身体を動かす楽しさを知らないわけではないけれど、そればかりではないだろう。

 

一方で、観戦に深くはまり込む、国家との一体感とか、感動をありがとうとか、そこまで思い入れない見方もあるんじゃねえのかと、そうスポーツ新聞的人間は思うのだ。

そう、か細い声をあげるのだ。

 

手のひらは返さない

して、このオリンピックは無観客になった。

ただし、オリンピックは行われる(だろう、現時点の感じでは)。

オリンピックは報道されるだろうし、ひょっとしたらマスメディアはオリンピックの感動一色になるかもしれない。

 

それはそれで、まああんまり面白くねえな、と思う。

なにせこのご時世だ。そんな場合か、という話だ。

 

けれど、だからといって、おれがオリンピックを見ない、無視するかというと、そんなことはねえだろうと思う。

もとよりそこまで感動も求めていない。

かといって、スポーツ観戦の怠惰な楽しみを放棄しているわけでもない。

 

そんなコウモリ野郎として、テレビでオリンピックを見るだろう。

スポーツ紙の記事も読むだろう。

感想をブログに書くこともあるだろう。

そこで、「おまえ、オリンピック開催に批判的なことを書いていたのに、手のひらを返したな!」と言われるかもしれない。

 

でも、そもそもよ、おれはチケット持ちだったんだぜ。

大規模スポーツ大会に興味がないわけがない。

むかつくことはいろいろあっても、なんとなく試合とか見ちゃうよ、絶対。

 

コロナなのに。

しかし、それはもうやめられんよ。

ゴタゴタやむかつく言動を理由に「絶対に見ない」なんて我慢をするつもりもない。

 

でもよ、全肯定しているわけじゃねえんだぜ。

0か100じゃねえだろうということだ。

世の中、二元論じゃねえだろいうということだ。

 

はっきり言えば、「なんで、今、この時期に?」というのはある。

ワクチンが行き渡り、季節も落ち着いたときにやりゃあいい。

もうちょっと待てば、もうちょっと歓迎される大会になったんじゃないのって思う。

思うが、そうでなく、今やっちゃったとしても、やっぱり見ちゃうよ。

 

そういう態度に怒りを覚えたり、軽蔑したりする人もいると思うが、甘んじて受け入れるよ。

おれはその程度のものだ。

その程度にスポーツを見て、その程度に政治やなにかを批判したりする。軽いもんだよ。

 

軽いのは悪いものなんかね?

して、軽いのは悪いもんなんかね。

軽佻浮薄はいつの時代も嫌われるものであったかもしれないが、人間みんなそんな重厚長大な存在になれた試しがあったのかね。

そんなことまで思ってしまう。

 

吹けば飛ぶようなおれというもの、手のひらを返しまくるように見えるおれというもの。

その点において、おれはあまりぶれていない。

おれを見るおれはぶれていない。

 

そもそも、大した思想も信念も根性もないのだ。

あっちへふらふら、こっちへふらふら、そんなもんだ。

そんなもんだとわかっていれば、それだけでも、自分を何者かと勘違いするより、いくらかましなんじゃないかとすら思う。

 

そんなおれにとっての、このオリンピックなのだ。

オリンピックが、こんなふうに人を試すというのは面白くない。

人を分断するというのも面白くない。

 

ああ、なんでこんな面白くないことになってしまったんだ。

おれはただ、ビール片手に「オリンピックとはこういうもんか」と感じたかっただけだったのに。

どうしてこうなった。

人のせいもある。あるにしたって……。

 

その根本はコロナウイルスのせいだ。

SARS-CoV-2のせいだ。

ウイルスのせいにしてどうなるものではない。

ウイルスに文句をいったところでなにもはじまらない。

 

でも、文句いわんことには終わる気もしない。まったく、もう。

 

 

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(2024/1/22更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by Ryunosuke Kikuno