「北朝鮮工作船」と聞いて、ピンとくる人はどのくらいいるだろうか。

補記 九州南西海域における北朝鮮工作船事件から21年(日本財団)

 

隣国の船が日本領海へ侵入するニュースは絶えないが、工作船の侵入は「あれ以来」聞こえてこない。

 

「当時の様子を記録した文書は、もうほとんど見かけませんね」

先日、海上保安資料館横浜館*1へ足を運んだ際の職員の言葉だ。

 

たしかに、どれほどネットを漁っても、出てくる資料は事件当時のニュース記事がメイン。

むしろ、銃撃戦の様子を収めた動画や、回収した武器の画像を見るほうが、どんな詳細な説明よりも臨場感が伝わってくる。

 

工作船による攻撃で被弾した「巡視船きりしま」が、2022年11月に解役されるなど、時の流れとともに風化しつつある北朝鮮工作船事件。

そこで今回は、少し視点を変えて「工作船に乗っていた人間」について、自分の過去と併せて触れてみようと思う。

 

「不審船」が「北朝鮮工作船」となり、その後

2001年12月22日午前1時30分、九州南西海域にて不審船が確認された。

海上保安庁の巡視船や航空機による度重なる停船命令を無視し、ジグザグ航行で逃走を続ける同船に対し、同日午後2時36分、巡視船「いなさ」は威嚇射撃を行う。

 

それでも逃走を続ける同船は、ロケットランチャーや自動小銃による攻撃を行ってきた。これにより、巡視船「あまみ」、「きりしま」、「いなさ」が被弾し、「あまみ」の乗員3名が負傷。

そのため、同日午後10時10分、巡視船「いなさ」は正当防衛射撃を実施。しかしその後、不審船は自爆用爆発物による爆発を起こし沈没した。

 

翌年、2002年9月11日に不審船は引き揚げられ、船内からは極めて殺傷力・破壊力の強い武器や、工作員が潜入・脱出に使用するための道具が発見される。

その後も、徹底的な海上保安庁による捜査の末、不審船を「北朝鮮工作船」と特定し、2003年3月14日、漁業法第141条第2号「立入検査忌避罪」および海上保安官に対する「殺人未遂罪」の容疑で書類送検した。

 

2003年5月、捜査が終了となった北朝鮮工作船は、保管されていた鹿児島県内の造船所から、東京都品川区にある「船の科学館*2」へと移送された。

これは、多くの人々に「日本周辺海域の現状や、北朝鮮問題への理解を深める機会」として、工作船船体と武器類等の現物を一般公開するためだ。

 

およそ9か月間の一般公開期間中、北朝鮮工作船の見学に訪れた人数は約163万人。予想以上の関心の高さを受けて、2004年12月10日、横浜海上防災基地の一角に「横浜海上保安資料館横浜館」が開館した。

やや古い数字だが、2020年1月18日時点で延べ350万人もの入場者数を記録しており、今もなお、国籍問わず多くの人々が訪れている。

 

――この、北朝鮮工作船の展示にかかる費用を助成したのが、かつての私の職場である日本財団*3だ。

 

若者の命の格差

日本財団の採用面接試験におけるお題は、「大学生活で学んだこと」だった。

 

待合室には、見るからに優秀そうな学生たちが己の順番を待っている。

そもそも、スーツを着ていないのは私だけで、見た目の時点ですでに「採用を見送ることとなりました」が濃厚。

 

さらに驚いたのは、他の学生たちは自身の研究結果や論文を持参していることだ。そりゃそうか、大学生活で学んだことを伝えるのだから――。

かくいう私は、小脇に東スポを抱え、ポケットには麻雀牌を忍ばせていた。

 

ちょ、ちょっと待ってくれ!これにはワケがある。

その日は金曜日、つまり中央競馬の開催前日だった。毎週のルーティンとして、金曜日の午後に東スポを購入する私は、普段通りの昼下がりを過ごしていたわけだ。

 

そして麻雀牌は、これこそが私の「大学生活で学んだこと」の全てである。勘違いしないでほしいが、決してギャンブル狂ではない。

 

麻雀というのは人生の縮図である。老若男女、金持ち貧乏問わず、卓上では平等に真剣勝負ができる。

そして「ブラフ」も含めた騙し合いや、相手の手の内を予測したうえでの勝負放棄など、正面からぶつかったり既のところで避けたりと、あらゆる方法を取捨選択することこそが「勝負」なのである。

 

……というようなことを、会長・理事長はじめ役員らに向かって偉そうに語ったところで、「もう結構です」と退出させられたわけだ。

 

このようなふざけた経緯にもかかわらず、唯一、私が内定をもらったのだから不思議である。

 

 

広報グループへ配属されてしばらくすると、先述の北朝鮮工作船が、お台場にある船の科学館で一般公開されることとなった。

工作船という前代未聞の「異物」を展示するための費用は、およそ八千万円。そしてこの原資は、ボートレースの売上金の3.3%(当時)で賄われるのだが、その橋渡しをするのが日本財団の仕事である。

 

一般公開の前年(2002年)に、金正日国防委員長(当時)が日本人の拉致について認めたこともあり、日本国民の北朝鮮に対する関心は高まっていた。

その最中での工作船一般公開ということで、連日連夜、マスコミ対応を迫られたわけだ。

 

私にとって人生初となる大仕事だが、さすがに下っ端にできることは何もない。

よって、忙しく駆け回る先輩たちを見守る「仕事」という、あまり大声では言えない任務を遂行したのである。

 

 

話は逸れるが、当時の日本財団会長は、作家の曽野綾子氏だった。

氏のコラムはどれも痛快で、他者に媚びることのない論調は、ひねくれ者の私の胸を踊らせた。

 

そんな曽野氏の「工作船に関する発言」を、私は、20年経った今でも鮮明に覚えている。

 

覚せい剤の密輸や不法出入国、その他の重大犯罪の可能性が高いだけでなく、至近距離からの銃撃による海上保安官の負傷など、どれを挙げても全てが犯罪行為であり、非難されるに値する北朝鮮工作船事件。

――これが一般的な見方であり、事実である。

 

だが私は、展示された工作船の船尾部に、ユリの花とメッセージカードが添えられていることに衝撃を受けた。

そこにはこう書かれてあった。

「2001年12月22日 九州南西海域で沈んだ朝鮮民主主義人民共和国の若者たちに捧げる。日本財団 会長 曽野綾子」

さらに英語とハングル語によるメッセージも、日本語の隣りに並べられていた。

 

私はそれまで、工作船の乗組員がどんな人物で何歳くらいなのかなど、考えたこともなかった。

仮に考えたとしても、「極悪非道な面構えの薄汚い中年」くらいにしか思わないだろう。

 

・・そう、「若者」という言葉にハッとさせられたのだ。

「海上保安レポート2003」*4によると、乗組員の年齢は20~50歳代ということで、若年層に限定することはできない。

しかし当時、曽野氏は権威筋から更なる詳細を得ていたはずである。

 

産経新聞に掲載された同氏のコラム「透明な歳月の光(60)/工作船公開 為政者の残酷さを象徴」でも、このように綴られている。

「(中略)東京でこの工作船を見る人たちは、その時、工作船の乗組員たちが浸水を防ごうとして、自分の衣服で穴を詰めた生々しい状況を見ると思う。沈没したのは十二月二十二日。九州南西海域もどんなに寒かったろう。こんなボロ船に若者たちを乗せて送り出した北朝鮮という国は、何という残酷な為政者を持つのだろう、と私は思った。(後略)」

 

国の命令とあらば、どんな任務でも従わざるをえない。そして万が一の時には、船に設置された「自爆ボタン」を押さなければならない。

つまり、任務に失敗した彼らには、「死」という選択肢しかないのだ。

(工作船の乗組員と私は、同年代かもしれないのに…)

 

社会人になり充実した日々を過ごす私にとって、想像しがたい現実を突き付けられた気がした。

およそ平和な日本とは違い、海外では若者が命を張って生きる国もある。目と鼻の先にもかかわらず、こんなにも残酷な人生を強要されるだなんて――。

 

事実は事実として受け止めなければならない。

だがその裏にある「どうしようもない現実」というのも、否定してはならないだろう。

 

 

約20年ぶりに北朝鮮工作船と対面した私は、当時の自分を思い出していた。

 

異端児を採用してくれた組織の懐の深さ、そして、北朝鮮工作船が引き揚げられたタイミング。これらがたまたま重なったからこそ、私は当時の出来事を鮮明に記憶しているのだ。

そして改めて思う、私は運が良かったのだと。

 

最後に、曽野綾子氏の前出のコラムで締めくくらせてもらおう。

「(中略)私は北の優秀な若者たちを、こんな暗い戦闘で死なせるためではなく、学校で学ばせるために日本財団が奨学資金を出せる日が来ることを、心のどこかで期待しているのである。」
(了)

 

*1 海上保安資料館横浜館
*2 船の科学館
*3 日本財団
*4 海上保安レポート2003/海上保安庁

 

 

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【著者プロフィール】

URABE(ウラベ)

早稲田卒。学生時代は雀荘のアルバイトに精を出しすぎて留年。ブラジリアン柔術茶帯、クレー射撃元日本代表。

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