衆参両院の同意を得て、植田和男氏が2023年4月9日に日銀総裁に就任しました。

 

植田氏は金融政策における国内屈指の研究者であると同時に、1999年のゼロ金利政策や2001年の量的緩和政策の導入時には日銀審議委員として理論面から政策決定を支えました。

 

研究だけでなく政策実務経験も併せ持つ植田氏は、これまでの日銀総裁とは毛並みの異なる人物といえます。

日本では経済学者が日銀総裁となるのは初ですが、海外では、米国の連邦準備理事会議長であったベン・バーナンキ氏やドラギ元欧州中央銀行総裁をはじめとして、学者出身の中央銀行総裁が主流となっています。

 

黒田日銀が支えたアベノミクスの狙い

「どれだけ真面目に働いても暮らしがよくならない」という日本経済の課題を克服するため、安倍政権は、「デフレからの脱却」と「富の拡大」を目指し、これらを実現する経済政策としてアベノミクス「3本の矢」を導入しました。

この政策は、第1の矢の大胆な金融緩和政策、第2の矢の積極的な財政政策、そして最後の第3の矢である規制緩和の三本の矢を束ねていくことで、経済を継続的に成長させることが目的でした。

 

経済成長率(実質)は、①労働人口の成長率、②投資の成長率、そして③全要素生産性(技術進歩や人的資本の向上等)の成長率に分解できます。

第1の矢の金融緩和によって実質金利水準を引き下げることで民間投資を増大させ(②)、第3の矢の規制緩和によって、高齢者・女性の労働市場への参加を促すとともに、経済の構造転換・新陳代謝を進め、生産性の向上と投資の増大を狙いました(①、②と③)。

 

また、金融緩和によるデフレ脱却を通じた名目経済成長率(=実質経済成長率+インフレ率)を引き上げることで将来の経済展望を明るくし、これによって民間の消費・投資意欲を掻き立て(②)ました。

三本の矢はこうした狙いのもとに、経済を成長軌道に戻そうとしたわけです。

 

大規模な金融緩和政策が残したもの

黒田日銀による前例のない大規模な金融緩和政策は、アベノミクスを金融面から支えようとしましたが、国民の心の底に住み着いたデフレマインドを払拭することができませんでした

規制緩和も遅々として進まなかったことから、成長と物価上昇の好循環は実現できず、政府・日銀は財政支出と金融緩和に頼った政策運営を余儀なくされました。この結果、財政規律の緩みや市場機能の低下といった副作用が膨らんできています。

 

4月8日に任期を終える黒田氏は、2013年3月に日銀総裁に就任して以来、一貫してデフレ脱却に向け2%の物価上昇を目標とし、10年近く世界的にも類のない大規模な金融緩和政策を続けてきました。

一方、欧米の主要国は、新型コロナウイルスの蔓延による世界的な供給システムの寸断、そしてロシアのウクライナ侵攻を契機としたエネルギー・穀物価格の急速な上昇を受け、これまでの金融緩和からインフレ退治を目的とした金融引き締め策にすでに転換しています。

 

植田氏の姿勢とは?

今回の日銀総裁の交代は、このように世界を取り巻く経済・金融情勢が大きく変化している中でとなります。

植田氏は2022年7月の日本経済新聞の「経済教室」で「異例の金融緩和枠組みの今後については、どこかで真剣な検討が必要だ」との考え方を示しています。

一方で、2月24日の国会での所信聴取では「私の使命は魔法のような特別な金融緩和を考えて実行することではない」とも語り、金融緩和の継続を約束する一方で、過度の日銀依存の経済運営からは距離を置こうとする姿勢にあります。

 

植田氏は、金融政策のフリーハンドを広げその効果を高めるためにも、まずは日本の潜在成長率を高めなければいけないとの持論を持っています。

そこで、成長と物価上昇の好循環の実現を目指し、政府に金融政策と構造改革をセットとした出口戦略を提言する可能性が高そうです。

 

長いトンネルであっても出口のないトンネルはありません。異例の大規模金融緩和も、いつかは終止符を打ち平常に戻していく必要があります。その過程で、何が起こりうるのかを冷静に見つめ、準備を行っておくことが肝要です。

 

長期金利の代表的な指標である10年物日本国債の金利は現在0.5%程度です。経済理論的には、国債の金利はその国の経済成長力を示しています。なぜなら、国債を買うということは国の成長力を買うと同じ意味だからです。

 

国の潜在的な実質経済成長力は前述の通り、①労働人口の成長率、②投資の成長率そして③生産性の成長率の和となりますが、①も②も③も容易に推計が可能で、今現在の日本の潜在的な実質経済成長率は中長期的には0.5%~1.0%程度とみられています。

植田日銀は、金融面からこの潜在成長率のかさ上げを支援していくものと考えられます。

 

更に、我々が見ている国債の金利は名目金利といって将来のインフレ率を織り込んだ数値となっています。

つまり、国債の金利=実質経済成長率+期待インフレ率となります。ここに、潜在的な実質経済成長率として1.0%、期待インフレ率として2%を代入すると3%となります。

日本の物価上昇率は今現在かなり高くなっていますが、日銀では年内には2%を下回る水準に落ち着くとみています。

 

いつかは至る「出口」を意識した企業経営を

以上より、本来であれば、国債の金利は3%程度になっているはずですが、実際には0.5%と極端に低くなっています。

これは日銀の大幅な金融緩和政策のもとで人為的に金利が低く押さえられているためです。

欧米の主要国でも同様でしたが、金融政策の変化を受け、国債金利も本来の水準(潜在成長率+期待インフレ率)に回帰してきています。

 

日本でも金融緩和政策に終止符が打たれると、国債金利は今現在の0.5%から3%程度へと上昇することになります。

企業の銀行借入金や社債の金利、個人の住宅ローンの金利も、国債の金利水準をもとに決められており、基準となる国債の金利が大幅に上昇すれば、各種の金利も大きく上昇し、資金の返済・調達計画に大きな影響を与えることになります。

 

過去20年以上にわたり、我々は低金利に慣れてきましたが、日銀の政策転換によって、遅かれ早かれ金利が大きく上昇していくことになります。

誰が日銀総裁に就任するにしても、異例の金融緩和策もいつかは出口に到達することを念頭に、企業経営のかじ取りを行っていく必要があります。

 

(執筆:斎藤 忠久)

 

 

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ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
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(2025/6/2更新)

 

 

 

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