満員御礼の長野駅
——ナゼだ。 あと一人で、ようやく自分の順番だったというのに、貴様はナゼ、堪えることができなかったんだ……
逃げるようにみどりの窓口を飛び出した外国人に向かって、わたしは心の中で強く叫んだ。
*
三連休最終日の長野駅は、ウインタースポーツを満喫した観光客で溢れかえっている。
首都圏へ戻る人間がこぞってみどりの窓口へと押し寄せたが、わたしは他人と会話をするのが億劫なため、券売機の前に立ち乗車券と特急券を購入した。
だが、向こう3時間以内の指定席は満席で、僅かにグランクラスが残っているばかり。自由席で空席を見つけて滑り込むしかない。
長野発ならばまだしも、金沢から来る満員列車で自由席が空くとは思えない。これはまさかの立席か……。
新幹線の乗車時間は、単なる移動ではなく作業または睡眠の時間である。
なんとしても席を一つ、確保しなければならない。
とりあえずわたしは、「もしかすると」という淡い期待を胸に、東京方面のホームへ行った。
だが入線してきた新幹線は目を凝らすまでもなく、デッキだけでなく自由席の通路まで、100%を超える乗車率であることが瞬時に確認できた。
——これは絶対に無理だ。
到着した新幹線から降りる乗客よりも先に改札へと向かい、「直近で確保できる指定席を購入したい」と告げた。その後、みどりの窓口へと案内されたのである。
この際、高級車両であるグランクラスもやむを得ない。なんせ、時間と座席はカネで買うもの。いつ死んでも悔いのない人生を送るんだ!
こうして、大したことでもないのに人生を賭す覚悟で、グランクラスの購入に踏み切った。
みどりの窓口の惨劇
「みどりの窓口」を滅多に利用しないわたしは、目の前に連なる長蛇の列に対して、二か所しか稼働していない窓口の不釣り合いさに絶望を感じた。
そういえば、長野電鉄株式会社は今年から"日曜日の市内バス運休"を決定したという。
その理由は、運転士不足によるもの。
地方の人手不足は深刻であり、窓口対応できる駅員が二人しかいない状況も理解せざるを得ない。
わたしが狙っているグランクラスの列車は40分後に発車するため、のんびりと順番を待っていても間に合うだろう。
だがここにいる客の中には、急ぎでチケットを手に入れたい者も存在するらしく、数分ごとに一人また一人と脱落者が現れる。
(よし、いいぞ。このままどんどん脱落していけ!)
性悪なわたしは他人の不幸が大好物。自分の順番が早まる優越感に浸りながら、顔がニヤけるのを抑えられなかった。
そして気が付くと「あと数人でわたし」というところまできた——と、ここで事件が起きた。
わたしの前に並んでいた欧米人が、ソワソワしながら外を見ている。きっと仲間が待っているのだろう。しきりに携帯電話をいじっては外を見て、とにかく忙しなく動いているのだ。
(落ち着けよ、あと一人でキミの出番なんだから)
そう心の中で彼をなだめながら、わたしはグランクラスの残席数が△になっていることに、若干の焦りを感じていた。
その瞬間、落ち着きのなかった外国人がダッシュで逃げたのだ。ボタボタと重量感のある「ナニか」が滴(したた)る音と共に——。
長蛇の列の後方では、先頭で何が起きたのかを知る由もない。
しかし、われわれ最前線の者にとっては、希望と絶望が一気にやってきたようなものだ。
一人の脱落者と共に、大量の嘔吐物がばら撒かれたのだから。
わたしは咄嗟に身をひるがえしたため、その勢いで壁に激突したが身体の汚染は免れた。だがわたしの後ろに並んでいた家族らは、逃げ場もなく見事に足元をやられてしまった。
さらに悲惨なのは、窓口で今まさにチケットを購入している者たちだ。自身の背後で何が起きたのかも知らずに、膝下から靴にかけて嘔吐物爆弾による攻撃をモロに食らったのだから。
人手不足が顕著な長野駅関係者は、この大惨事を処理するべく人員確保に奔走している様子だったが、5分経っても状況は変わらない。
そしてわれわれ被害者は、惨状から目をそらすことはできても、嗅覚への攻撃から逃れることができず苦しんでいた。
かといって、あと少しで新幹線のチケットが手に入るというのに、すごすごと逃げ去ることもできない・・・まさに地獄だ。
嘔吐や排泄に関する提案
今回の外国人に限らず、なぜか人間は嘔吐に関して寛大(?)というか、むしろ舐めているように思う。
もしもこれが排泄であれば、まず間違いなくトイレへ向かう。
己の排泄物を公衆の面前で晒すなど、常識的にあり得ない行為だからだ。
ちなみに、腹を下したときも急な腹痛を伴い症状が現れるが、それでもトイレまで持ち堪えられるのは「外肛門括約筋」の締めヂカラによるもので、嘔吐よりは時間調整できるわけだ。
とはいえ、吐き気やむかつきを感じた時点でトイレへ駆け込めばいいだけのこと。遅かれ早かれ訪れる"惨劇"を無視して、なぜボケッとしているのか理解に苦しむ。
その証拠に、金曜日の夜の駅構内には嘔吐物の残骸が散見されるが、排泄物はどこにも見当たらないわけで——。
「当たり前じゃないか、大や小をもよおしたらトイレへ行くに決まってるだろ!」
その通りだ。もよおしたらトイレへ向かうのが、常識人がとるべき"当たり前の行動"である。
それなのになぜ、嘔吐の時はやりたい放題にまき散らして、自ら処理もせずに立ち去るのか。これは、無責任どころか非常識というべきではないのか!?
激高するわたしに向かって友人が、
「犬だって、ウンチしたら後ろ足で砂をかけるのにね」
と、静かになだめてくれた。正にその通りである。犬でさえマナーを守っているというのに、いったい何をやっているのだ、ニンゲンよ!!
ここでひとつ豆知識を挟んでおこう。
犬の"砂かけ行為"の目的は諸説あり、巷で支持されているものの一つに「マーキング説」がある。
犬は肉球から分泌物が出るため、自分の縄張りを主張するべく、地面を蹴ってニオイをばら撒いているらしい。
なるほど、土や砂が排泄物にまったくかかっていないのに、地面をカッカッと蹴り上げては誇らしげな顔をする犬がいるが、あれは一理あるわけだ。
「おやおや、ウンチは隠れていないぞ・・」と思っていたわたしだが、どうやらあれで正しかった模様。
だが、友人の獣医師に尋ねたところ、
「痕跡を消すためとも言われているね。犬の先祖であるオオカミは、敵に気づかれないように自身の排泄物に土をかぶせてニオイを消していた・・とも言われているから」
と教えてくれた。
たしかに、屋外で飼育される犬が穴を掘ってお宝を隠し、その上から土をかぶせる姿を見たことがある。
そういった行動からも、排泄物を隠す目的で"砂かけ"をするのは理にかなっているといえる。
いずれにせよ、犬の習性を人間に当てはめるつもりはないが、それよりもむしろ犬を見習ってもらいたい。
とどのつまりは、自己管理の範疇を超えて勝手に酔っぱらい、他人への迷惑を顧みずに駅構内や道端で嘔吐するような輩は、嘔吐物の始末までをセットにさせるべきだ。
なに、大したことじゃない。吐き気がするならビニール袋を持ち歩くなど、当たり前の準備をするだけで事件は回避できるのだから。
*
まぁ、今さらあの外国人を責めるつもりはないが、もう少し早く"列から脱落する覚悟"を決めていれば、あの事件は起きなかったはず。
願わくば、余裕を持ってトイレへ向かう・・という危機管理能力を持ってもらいたいものである。
(了)
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URABE(ウラベ)
ライター&社労士/ブラジリアン柔術茶帯/クレー射撃スキート
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Photo:Towfiqu barbhuiya