私は2日前に死んだゴキブリである。

中華料理店のものかげで生まれ、物心つく頃には油まみれで残飯をあさっていたような、ちっぽけな生き物だ。

店が静まりかえり、人の気配が消えてからフロアに這い出すのが日課だった。

 

狭い店内のことなので、毎夜、キッチンで顔を合わせるのは兄弟や従兄弟ばかり。

頭のいいヤツもいれば強気に攻めるヤツもいるが、一番に死ぬのはやはり無謀なヤツだ。

まだ明るいフロアに飛び出してエサに飛びつくようなヤカラだが、人間だってそこまでノロマなはずないだろう。

丸めた新聞紙が一瞬で振り下ろされ、ブチュっと音を立てて弟や妹たちが潰されていくのを、目の前で何度もみた。

自分より若いゴキブリが先に死ぬのを見るのは、いつも心が痛む。

 

しかしそんなある日、私もついに“その日”を迎えることになる。

もちろん私は、欲張って閉店前のフロアをうろつくようなことなど、断じてしなかった。

店主が掃除を終え、施錠を済ませ出ていったのを確認し、ひと気がないことを確認してフロアに這い出したのである。

 

するとその瞬間、店内の電気が一斉に点く。

一瞬目がくらみ、見上げれば、最近入ったばかりの若いアルバイトが私を見下ろしていたのだ。

 

(しまった…こいつ、住み込みだったんだ!)

 

それから1分ほど、触覚で相手の気配を探り、心臓をドキドキさせながらにらみ合いが続いたのだが、ダメだった。

まだあどけなさの残る若い兄ちゃんは、逃げるスキもない速さで手に持った週刊誌を私に振り下ろす。

 

「ベチーン!」

 

腰から下あたりが潰され、内臓がはみ出してしまった。

慌てて逃げようともがくが、体が床にへばりつき、身動きが取れない。

そんな私にヤツは、こんなことを言い放った。

 

「汚えなあ。マジでうぜえ」

 

そして汚物を扱うように5枚ほど重ねたティッシュで私の体をつまむと、そのまま入口ドアを開け、道端に投げ捨ててしまう。

こうして私は、道端に打ち捨てられたゴキブリの死体となったのである。

 

私のようなチャバネゴキブリの寿命は数ヶ月なので、どうせあと1ヶ月くらいの命だったのだろう。

とはいえ、メスと交尾することなく、汚物扱いされ叩き潰され、道端に捨てられたのでは死んでも死にきれない。

 

何よりも辛かったのは、翌朝を迎えてからだった。

真夏の炎天下、気温が35度を超える都心の路上で、私の体はみるみる干からびていった。

行き交うバイクに踏み潰され、道路のシミになった胴体を人間どもが踏んづけていく。

さらに悪いことに、その日は昼過ぎに夕立があり、カラカラに乾いた体に水が沁み込んで、バラバラに砕けていったのである。

 

いったいなぜ、私はこんな形で死ななければならなかったのだろう。

あれほど行儀よく、慎重に生きてきたのに。

ただ、ご飯が食べたかっただけなのに。

薄れゆく意識の中、そんなことを考えながら全身がドブに落ちると、そのまま汚水に流されていった。

 

「本当は大好きだったの」

さて、カンの良い読書家ならすでにお気づきだと思うが、これは1996年に出版された清水義範著、『私は作中の人物である』(講談社文庫)のオマージュだ。

原作の書き出しは、以下である。

 

「私は踏み潰されてぺしゃんこにひからびたミミズである。もう四日も前から、人通りの少ない簡易舗装の道に干物のようになってへばりついている。」

 

ネタバラシになるので以降の内容は端折るが、この末尾で著者は、こう書いて読者の意表を突く。

「以上のことは嘘である。嘘に決まっているではないか。なんで、私はひからびたミミズの死骸である、なんていう言葉をそのまま鵜呑みにしようとするのですか。」

 

これはとても不思議なレトリックだ。

なぜ人は、「私は2日前に死んだゴキブリである」などというあり得ない物語の書き出しを読んだ時ですら、

「なるほど、あなたはゴキブリなのですね」

などという前提を、簡単に受け入れてしまうのか。

 

しかも、死んでると言ってるのに…。

死んだゴキブリが、自分語りするわけ無いじゃないですか。

 

そしてこのレトリック、物語の中だけでなく私たちは、実は毎日のように遭遇している。

例えば、夢の中で見る光景である。

およそ現実的に起こり得るわけがない風景に、毎晩のように遭遇してその前提を受け入れる。

 

空を飛ぶ夢、高いところから落ちる夢、汚物だらけのトイレに悩む夢…。

しかし私たちはおよそ、空を飛ぶことも高いところから落ちることも、日常の中で経験することなどありえない。

にもかかわらず、夢の中ではこういった非現実的な光景がいきなり現れ、しかもそれを受け入れてしまう。

 

ちなみに私は先日、学生時代にフラれた女性が夢に現れ、

「先日はごめんなさい。本当は大好きだったのに、嘘をついたの」

と告白され、そのままウッキウキでホテルに連れ込まれる夢を見た。

いくら生成AIが発達した令和の時代でも、0.1秒でフェイク動画とわかるはずだったのに…。

 

ではなぜ、どういう時に人は、「私はゴキブリである」を受けて入れてしまうのだろうか。

 

人の脳は、デタラメを受け入れるようにできている

そのヒントになるのが、きっと特殊詐欺だ。

特殊詐欺の中でも、一番被害件数が多いのは「還付金詐欺」だという。

被害額ではなく、被害件数だ。つまり、一番多くの人が騙される手口である。

市役所などの職員を装い、健康保険料など還付されるお金があるので、銀行に行ってATMを操作して欲しいという手口が一般的だ。

 

おそらく多くの人は、

「こんなものに騙されるのは、頭が悪い人か、認知が衰えている高齢者だけだろう」

そんなふうに考えているのではないだろうか。

 

しかし私は、こう思っている。

「年齢に関係なく、共感力が高い人こそ、こんな詐欺にひっかかってしまうのではないだろうか」

なぜか。

 

他人の話す物語に共感する能力が高い人は、前提として肯定から入る。

「吾輩は猫である」

「私は踏み潰されてぺしゃんこにひからびたミミズである」

「私は2日前に死んだゴキブリである」

そんな書き出しを読むと、物語に没入するためにその光景を脳内に描き、全ての前提を受け入れる。

 

もちろん、そんな人であっても普通、いきなり電話が掛かってきて、

「もしもし、私は死んだネズミです」

と言われて、信じるわけではない。

この違いはいったい、何なのだろうか。

 

きっとそれは、「相手に悪意はない」と、盲信する前提を作られてしまった時なのではないだろうか。

そして、「親切な市役所の人」から還付金があると言われたら、悪意を感じることは相当難しい。

お金を要求されるような詐欺ではなく、むしろお金を返すと、“市役所の人”が言っているのだから。

 

そして最初のハードルを突破されると、後はもう、共感力の高い人は相手の物語に没入していってしまう。

「私は2日前に死んだゴキブリである」

というデタラメな前提を突破された後に、

「死んだゴキブリが話すわけ無いじゃん」

と、思考を切り替えて物語に対応するのは相当、難しい。

 

では、私たちは全てのコミュニケーションで、

「どうせ人は、自分を騙そうとしている」

という前提で付き合うべきなのか。

もちろん、そんな姿勢で社会生活を送ることは困難なので、現実的ではない。

ではどうするべきなのか。

 

「人は相手の悪意を感じられない前提を作られた時、デタラメな物語にも容易に没入する」

という脳の認知を、自覚することなのではないだろうか。

 

この脳の認知は、だからこそSFが生まれファンタジーを楽しめる人間らしさの根源の一つではある。

そして詐欺師は、それを知り尽くし、巧みに利用して騙してくることを心の片隅にいつも置くこと。

これこそが、特殊詐欺だけでなく、全ての詐欺行為に引っ掛からない心の持ちようだと思うのだが、いかがだろうか。

 

そんなことを考えつつ、今日も素敵な女性から告白されるフェイク動画を心待ちにして、眠りにつこうと思う。

 

 

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【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など

ゴキブリのことを生々しく書きましたが、実は私は、ゴキブリが大の苦手です。
泣きながら書きました(泣)

X(旧Twitter) :@ momod1997

facebook :桃野泰徳

Photo by:UNehil Singh