AIと「聖杯」はよく似ている。

 

1.万能の願望器「聖杯」に願いをかけること

「聖杯」と言って連想される作品はさまざまだろう。年配の人なら『インディージョーンズ』を思い出そうが、私はアニメ/ゲーム『Fate』シリーズに登場する「聖杯」、特に『Fate/Zero』に登場する「聖杯」が真っ先に思い出される。

 

『Fate』シリーズでは、「聖杯戦争」と呼ばれるバトルが物語の中心的舞台となる。魔術師たちは過去の英雄を使い魔として召喚し、万能の願望器と呼ばれる「聖杯」を巡ってバトルロワイアルを演じる。

『Fate』シリーズの味わい深いところ、なかでも『Fate/Zero』でとりわけ味わい深いところは、「聖杯」があらゆる願いを叶える”万能の願望器”と定義され、それがために参加する魔術師たちそれぞれの執着やコンプレックスやトラウマがあらわになり、一種の因果応報をなす点だ。

そうした寓話的な味わいが、『Fate Zero』のストーリーに色艶を与えている。

 

「聖杯」が万能の願望器だからこそ、願いを託す者の願望や、投げかける問いが問われることにもなる。

「聖杯」は、既知のビジョンや考えに基づいたかたちでしか願望を成就させることができない。『Fate/Zero』の主人公・衛宮切嗣と聖杯との問答がそれをよく現している。

 

切嗣:”ならば問おう、僕の願望を、「聖杯」はどうやって叶えるつもりか”

聖杯:”そんなことは切嗣、あなたが誰よりも理解できているはずじゃない”

 

切嗣:”なんだと?”

聖杯:”世界の救い方なんて、あなたがとっくに理解しているじゃない? だから私は、あなたがなしてきたとおり、あなたのあり方を受け継いで、あなたの祈りを遂げるのよ”

 

切嗣;”何を言っている?”

 

主人公・衛宮切嗣は、狂信的な功利主義でもって、それか狂ったトロッコ問題をとおしてしか世界の救い方を知らない。

300人と200人のどちらかしか救えないなら、200人を殺してでも300人を救う──そういう算数の問題としてしか世界を救う方法を知らない衛宮切嗣に対し、「聖杯」はそれ以外の方法を提示することができない。

 

切嗣;”違う! こんなものを望んじゃいない! こうする以外の方法があって欲しいと、だから僕は、奇跡に頼るしかないと……”

聖杯;”君が知りもしない方法を、君の願望に含めるわけにはいかない。君が世界の救済を願うなら、それは君が知る手段で成就されるしかない。”

 

切嗣;”ふざけるな! そんなもの、どこが奇跡だって言うんだ!”

 

絶句する切嗣に「聖杯」は冷淡に告げる、「願望器に願いを叶えさせたければ、その願いを叶えるのに適切なプロンプトを入力しろ」、と。

 

まさにその適切なプロンプトがわからないから切嗣は奇跡を願ったのだが、入力されたプロンプト以上のことを「聖杯」は成し遂げられない。

遅まきながらそのことを理解した衛宮切嗣は、「聖杯」の破壊を決断する。

 

そんな彼の決断を滑稽とみるか、英断とみるかは、実際にアニメ版や小説版の『Fate/Zero』をご覧になって判断いだたきだい。

だが、「聖杯」と衛宮切嗣の顛末を私たちは他人事と笑って済ませられるだろうか?

 

2.万能の願望器「AI」に願いをかけるということ

現代社会には「聖杯」によく似た万能の願望器が遍在している。

それは、もちろんAIのことだ。AIは実にさまざまなことをやってのけてくれるし教えてくれる。話し相手が欲しい・カウンセラーが欲しいといった願いをAIに託すのも、それはそれでAIの用途のうち・願いのうちだと言える。そのAIの性能は日進月歩の勢いで向上し続けてもいる。

 

だが、AIの難しさも多くの人の知るところになっている。

たとえばAIにイラストを書いてもらう際には、描画条件などについてあれこれ注文を、プロンプトを作成しなければならない。

 

私はこのあたりが今でも得意ではなくて、一枚目のイラストで描ききってもらうのは難しい。

描画の前提になりそうな会話をかわし、準備運動のような絵をいくらか描いてもらう等の悪あがきをしている。

そうしたプロセスも含め、自分自身の願い事についてAIになるべくしっかりとプロンプトを届けられなければ、願望器としてのAIは望むようなイラストを吐き出してくれない。

 

参考文献や論文について尋ねる際にも似たことが起こる。

いまどき、文献調査にAIを使わない手はない。経済学、生物学、天文学、社会学、そういったことについて、ごく簡単なこと、特に「概要」として広く知られている知識やwikipedia より少し詳しい内容で構わなければ、AIはすぐさま提示してくれる。

 

しかし概要はしょせん概要でしかない。もっと詳しく知りたいと思えば思うほど、AIから知識を引き出すのは難しくなる。

たとえばリファレンスの宛先として英語圏や中国語圏やフランス語圏を指定するだけでも、少し変わったものが出てくることがあるので、言語圏を指定してみるのも一つのトライアルではある。

でも、それだけではカバーできないことなど幾らでもあるし、そもそもAIには「答えやすいこと」と「答えにくいこと」がある。

 

 

AIはアウトプットとして最も確からしいもの・確率的に妥当っぽいものを提示する。

たとえば社会学者のブルデューについて尋ねると、AIはオンライン空間においてブルデューについて一番多くの人が参照し、一番多くの人が質問しそうな事柄について真っ先に挙げる。

 

「ブルデューの有名な書籍について教えてください」とか「ブルデューについて有名なことを教えてください」と訊ねると、AIはもうちょっと色々なことを教えてくれる。

そこから「ブルデューの述べた文化資本とは何か、もう少し詳しく教えてください」と質問すれば、AIは文化資本についての概要を滔々と語ってくれるだろう。ユーザーの願いがそこまでなら、まあ、それで構わない。良かったですね、としか言いようがない。

 

だが、こういうやりとりに終始している限り、AIはブルデューについて一番多くの人が参照し、一番多くの人が質問する事柄について”しか”答えてくれないのである。

文化資本についても同様だ。「もう少し詳しく教えてください」といった質問に終始している限り、AIは一番多くの人が文化資本についてなぞっていることしか答えてくれず、その外側については答えてくれない。

そういう時のAIの挙動は、まるで「この質問者にはいつものテンプレを提示しておけばそれで十分だ」と言わんばかりだ。

 

では、AIが悪いのだろうか?

そんなことはない。AIは、質問者の質問に精一杯答えようとしていると思う。いけないのは質問者の質問、そしてプロンプトである。

 

さきほどの「もう少し詳しく教えてください」などが典型だが、こういう抽象度の高い質問はプロンプトとしては何も言っていないも同然なので、AIとしては一番多くの人が質問していることを確率的に回答してみるしかすべがない。

 

これは、人間が相手だったとしてもそうだろう。たとえば電子メールで同じ質問を本物の社会学者に届けたとしても、せいぜい通り一辺倒なことを答えるぐらいしかなすすべがあるまい。

せっかく本物の社会学者に質問するチャンスが与えられたとしても、「もう少し詳しく教えてください」では授かれる知識はたかが知れている。

 

ゆえに、もっと豊かなアウトプットをAIに期待したい人は、質問の内容・質問の仕方を変えなければならない。ところが、まさにその質問の内容・質問の仕方を変えることが難しい。

 

“君が知りもしない方法を、君の願望に含めるわけにはいかない。”

 

AIを使っていて、「聖杯」が宣告した言葉が頭をよぎった回数は一度や二度ではない。AIにもっとマイナーで詳細な質問に答えてもらいたければ、自分が何を質問すれば良いのか、ひいては自分が何をわかっていないのかを、わかっていなければならないのである。

 

これではまるで、「服を買いに行くための服がない」や「金庫を開けるためのカギが金庫のなかに入っている」と同じではないか。

 

3.google検索の時代と変わらないことが起こっている

2026年のAIは、苦手といわれていた人文社会科学領域の書籍や論文についてもある程度までは答えてくれる。

ブルデューやフーコーといった、読みづらいと言われがちなフランス人著者が書いた書籍の、込み入った事柄について質問しても、AIはかなりのところまで応答してくれるし、オンライン空間では発掘の難しそうな知識を披露してくれる場合さえある。

全能の神には遠いとしても、ブレインストーミングの相手としては既に相当なレベルに達している。

 

けれどもAIが込み入った事柄について知識を披露してくれるのは、私自身がマイナーな質問をプロンプトに練り込める時だけである。

具体性の乏しい「詳しく教えてください」的な質問を投げかける時、AIはありきたりなテンプレートだけを返してよこす。

 

『Fate/Zero』の「聖杯」に似て、質問者が知りもしない質問にAIは答えるすべがないのである。

AIから豊かな知識を汲み取るためには、AIに対して豊かな質問ができなければならない、とも言えるだろう。

 

これは、かつてgoogle検索がインターネットの森羅万象を詳らかにしていた頃とまったく同じ構図ではないだろうか。

「知識を手に入れるための知識」がない人にとって、Google検索はあまりにも難しい。

 

9年前に私は、「知識を手に入れるための知識」がない人にとってGoogle検索は難しい、と書いたが、それを拡大再生産したような事態がAIにおいても起こっている。

AIの場合、ここに課金額という問題も付け加わるため、知的格差はますます大きくなろうし、おそらく、AIは知的格差を拡大する社会装置として既に機能している。

 

誰もがAIにアクセスできる時代になったから、誰もが賢くなれる・なんでも理解できると思ったら大間違いである。

AIは、あなたが知っていることしか教えてくれないし、あなたが質問できることしか答えてくれない。

 

ゆえに、AIを十全に使いこなしたい人は、AIに頼らずとも考えたり質問したりする力を手に入れなければならないだろう。

この点において楽観は禁物である。AIは奇跡を授けるツールではなく、ユーザー自身が知っていることに沿って働くだけのツールだからだ。

 

 

 

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(2026/9/17更新)

 

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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